横内謙介×山中崇史 Special対談 フルバージョン

『横内謙介×山中崇史Special対談 フルバージョン』

横内 崇史は、今、劇団活動とともに、他のマネージメント事務所にも所属して映像の仕事をやってるじゃない。そもそも目指したのは何だったの?

山中 最初はTVに出たいというところからですね。目立ちたがり屋な子どもだった。そんな子が、引っ越してきてすぐの学校でやった学芸会で、すごい拍手をもらったんです。ちょっとしかない出番だったのに。その時すごく感動して。高校卒業後、俳優・芸能の世界に顔突っ込んでみたい思いで某俳優養成所を受けました。。

横内 俳優の仕事って、目につくのはテレビや映画の中。でも、劇団はちょっとまた違うところじゃない。劇団を進路に選んだのは、演劇の面白さを知ってたってこと?

山中 教えてもらいました。で、舞台に向いてると言ってくださった講師の方がいたんです。

横内 ほお。で、数ある劇団からなぜ扉座を選んだの?

山中 僕のことを気にかけてくれた講師が、善人会議(現・扉座)の横内さんのことを高く評価していたんです。若いのに大したもんだと。横内さんの戯曲を授業で使って、皆でやったりしてました。

横内 へええ。

山中 僕、その先生のことを信用していて。舞台やってみようかな、舞台やるなら劇団入るべきかなって思ってる時に、自分とそんなに年代が離れていない人たちと一緒にやりたいと思ってたんで、善人会議は頭の中にあったんです。僕が入った時には扉座になってましたけど。

横内 じゃあ、その人がつないでくれたんだね。

山中 そう思ってます。僕の中では恩師だと思ってます。

横内 扉座は年に2、3回舞台の公演をするための集団。なんだけど、さすがに山中崇史は才能があった。とともに、あの頃は演劇人にチャンスがあったんだよね。入って割とすぐにTOKYO FMのパーソナリティに抜擢されたじゃない。

山中 されましたね。

横内 TOKYO FMで有名なDJの方が芝居を観に来てくれて。

山中 坂上みきさんですね。

横内 そう。それで、ラジオ番組のMCに使ってくれるようになったわけじゃない。それもTOKYO FMの超メジャーな番組だった。凄いチャンスがあるもんだなと思って。自分ではどうだったの? その展開はよんでたの?

山中 いや(笑)。その展開はホントにビックリしましたね。ラジオで喋ってみたいとか考えたことなかったです。そんなのできるんだろうかって感じです。でも1人でやるわけじゃないから。プロのDJと芸能人の女の子・タレントさんがいて。

横内 今思うと錚々たる人たちがいたよね。仲間由紀恵さんとかいたんでしょ。

山中 由紀恵ちゃんも、短い期間でしたけどいましたね。

横内 実際そこでも才覚を現して。

山中 (笑)

横内 演劇活動は役立ってたの?

山中 役立ってましたね。ラジオなんだからお客さんの顔は見えない。なのに、誰かに見られているように喋ったり動いたりするのが、ラジオの作り手としては面白かったみたい。

横内 ほお。

山中 誰かに何かを一生懸命おくろうとしてるっていう風に思ってもらえたみたいです。

横内 へええ。で、それをやって、今度は『相棒』の芹沢刑事役。たまたまだけど、劇団員の六角精児も米沢守という役で同じ番組に出てて……『相棒』って演劇人が多く出てるよな。あれ、何でなの? 水谷豊さんは映像系の大スターだけど。

山中 周りはほとんど劇団出身の人です。

横内 ねえ。刑事さん達、ほとんど皆そうじゃん。

山中 東映の相棒プロデューサーだった須藤さんという方が演劇大好きだったんです。札幌の方で、道新ホールで善人会議の『夜曲』を観て感動したんだそうですよ。

横内 北海道で観てくれたんだ。その時はまだプロデューサーじゃないでしょ。

山中 その時はまだ学生だったそうです。で、卒業して東映に入社され、『相棒』のプロデューサーになって。だからだいたい同じくらいの年代の俳優……六角さん、川原(和久)さん、山西(惇)さん、寺脇(康文)さん……大谷(亮介)さんはちょっと上ですけど、ずらっといて。最初、僕の名前はなかったんです。だけど、大谷さんが舞台で忙しくなったりして、誰かもう1人というので、よんでいただけたのだと思います。僕のことも、扉座で観てくださってくれていて。

横内 いろんな俳優さんたち観ていて、面白い人って演劇育ちが多いような気がするのは、俺の偏見?

山中 いや、そうだと思います。

横内 だよね。

山中 演劇やっているところを観てくださって声がかかるというのは基本だと思いますよ。

『横内謙介×山中崇史 Special対談』より 横内 そうか。映画でもテレビでも、実際芝居を観て決めてるってことなんだろうね。

山中 まあ、僕らのパターンはですけど。そうじゃない俳優さんもいますよ。オーディションでとか、別のパターンもあるんでしょうけど。やっぱり、コツコツ、一生懸命、舞台を面白がってやっている人は、観ていて面白いじゃないですか。選ぶ側の人も面白がってくれる。この人と一緒にやりたいって思ってくれるんですね。

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横内 劇団で良かったと思えることってある?

山中 帰るところがあるってことですかね……気が小さいところがあるんで。

横内 ええ! そうなの?

山中 ええ。強がってみせることはよくあるんですけど。特に、テレビの仕事をやり始めた頃は、分かんないことだらけで不安でした。で、失敗して落ち込んだりする。でも、劇団で公演に参加させてもらって、気持ちを1回リセットできるんですよね。リセットしてまた挑戦する。僕にとって大事な場所ですね。

横内 修行時代はどうだったの?

山中 修業時代……準劇団員として仲間に入れてもらって。

横内 まだ、研究所ができる前だからね。

山中 そうです。入った時25歳だったので、何かしらすぐに結果出したいと思ってました。横内さん含め、先輩方が劇団を作ってきたので、その人たちのことを知ったり、仲良くならないとこの劇団で芝居できないと思って……だから当時は、同期はどうでもよかったんです。

横内 ほお。

山中 同期よりも先輩たちと仲良くなって、自分をわかってもらう。飲みに誘われたりとかすると、話も聞けるし、お酒も飲めるし(笑)、大事だったですね、僕にとってその時間は。

横内 そうか。俺なんかの場合、岡森諦や六角精児らと20歳くらいで学生劇団から始めて、先輩がいなかったのさ。

山中 はいはい。

横内 だから、誰にも教わることができなくて、芝居作りをゼロから自分たちでつかんでゆくしかなかった。それがパワーになったことも確かだけど、教えてもらえるとか、いい先輩がいるっていうのは、時々、うらやましいなあと思うことがある。今、扉座の場合だと、親ほど違う、親以上のおじいさんの年なんだけど、長いこと演劇だけでやってきた人達の智恵とか経験がある。それって、なかなかのもんなんじゃないか。生き残ってる人たちだしさ。崇史だってもうキャリア30年くらいでしょ?

『横内謙介×山中崇史 Special対談』より 山中 そうですねえ。

横内 やり方を見られるとか、実際にそばで稽古の様子を見させてもらえる場所があるっていうのは、すごくうらやましいことだなって思う。俺なんか、演出の仕方なんて分からなかったからさ。見まねもできない。他人の稽古場を見られるチャンスなんてなかったしね。見られる場所があるっていうのは強いだろうな。それはね、歌舞伎に関わるようになってから、ことさら思うようになった。歌舞伎の場合、伝統芸能だから、師匠、先輩の真似をして芸を覚え、その後に個性出せという、僕たちと順番が逆の世界。ではあるけれど、確実な手本とか、目指す目標が具体的に目の前にある。それは、長く歴史が続いているところの凄さなんじゃないか。扉座も手本がしっかり劇団にいてほしいと思うし、実際手本になってるところあるんじゃないかな。40年以上続けてきた劇団だからね。

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山中 先日、稽古場の発表会を見て。

横内 若手の発表会ね。

山中 久しぶりに若い人たちと話をして、たくさん質問されました。

横内 質問されたんだ。

山中 はい。知ってることはいくらでも答えたい……僕もそうしてきましたからね。で、この年齢になったからなのか、若い人にも友達みたいな感覚で喋れるというか、先輩ヅラしないで色んなことが話せたんですよね。

横内 へええ。

山中 先輩ヅラしなきゃいけないと思って喋ってたことあったんですよ。

横内 ほお。

山中 なんか大事なこと言ってやんなきゃなみたいな、考えすぎちゃうことがあったんだけど、最近、思ったことだけを素直に言えるようになった。年齢かな(笑) でも、そんな感じになって、手本というのとは違うけど、若い人たちといい距離感、付き合い方ができるようになったかもしれないと思いました。

『横内謙介×山中崇史 Special対談』より 横内 まあ、うちの特徴だけど、先生じゃないからね、誰も。研究所やってるから、俺も先生のようなことをやるし、劇団員も講師をやるんだけど、皆、自分が表現者だから。しかも現役の。経験や知識はあるので、教えてあげられる技術はある。だけど、一歩外れると、もう一緒にモノを作る仲間。その時には一俳優と一演出家の付き合い……じゃないとモノって作れないじゃない。

山中 はい。

横内 それって、活動している表現集団の良さでもあるんじゃないかなって気がする。関わる若者全員が僕にとっては素材、可能性、今後自分が作品創りするために必要な人材。もちろん未熟なところは多々ある。でも、若くないと面白くない役もいっぱいある。下手だろうが知識がなかろうが、若い人を使った方が作品が良くなる。そういう意味での可能性みたいなものとして僕は若者たちを見てる。それは、若い人たちと付き合いながらやってる劇団の凄みでもあると思う。

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横内 今の若い俳優たち……こういう言い方をすると、年取ってきた証拠ではあるけど……崇史はどう見えてる? 俳優の卵も含めて。扉座に限らず。

山中 映像の方のお仕事では、若い俳優さん……これは相手が僕たちだからなのかもしれないですけど、あまり話しかけてこないですね。

横内 怖い顔してるんじゃないの?

山中 そうでもないと思うけど(笑) 1人でいてスマホをいじって出番を待つとかね。同じ様に劇団に所属している若い俳優なら時には話しかけてくれることもあります。でも映像の現場では演劇の場合と違ってみんな個人プレーです。

横内 芝居の場合、稽古から本番まで全員一緒にやってるから、同じ船に乗ってるって感じざるを得ないところが多々あるじゃない。でも、映像作品はバラバラで撮っていくからね。同じ作品に出ていたって会わないこといっぱいあるわけでしょ。

『リボンの騎士2023-県立鷲尾高校演劇部奮闘記-』より 山中 はい。

横内 作品創りのために相談するとか、そういう機会も多分少ないだろうし。コミュニケーションみたいなことでいうと、演劇の場の方が密だよね。だから、その力も鍛えられるところが多分にあるんじゃないかなという風には思う。

山中 今、映像の仕事をやらせてもらって、演劇をやってて良かったなって思ってます。共演者の皆と一つの作品作ってる感じ、一体感を大事にしたいんです。その面白さや感動、熱、悦びを知ってるので。作品に関わっている実感を持てる。

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横内 俺が今の若者たち見てて感じることを少し語るね。

山中 どうぞ(笑)。

横内 劇団も長く、研究所ももう27年。この間に何が変わってきたって、若者の気質が変わったのすごく感じる。最近は、ホントにね、素晴らしく真面目。みんなね。芝居に真剣に取り組んでるし。昔は、もうちょっと軽薄にっていうと言葉悪いかもしれないけど、テレビ出たいっす!とか(笑)

山中 さっき僕が言ったことじゃないですか(笑)

横内 いや、その時代の若者だったんだと思うよ(笑)。有名になりたいとか。今は、芝居やりたいっていう子がホントに増えてきて。だけど、もうちょっと野望を持とうよとは思う。俺にとって舞台は一番面白いものなので、ずっと舞台だけやっていこうと思ってる。でも、たとえ舞台でも、お客さんに楽しんでもらうことのなかには、スター性のある人が出てるとか、さ。お客さんの本能として、華やか、派手なものを観たいとかあるだろうし、そっちの方が作品が拡がることが多々あるわけで。そういうところへ向けて頑張ろうと思う意欲とかね、うちの劇団に来るにしても、持ってていいのになあって。だから、今日、崇史くんに来てもらったの。扉座派手チーム代表として(笑)。

山中 (笑)

『扉座版 二代目はクリスチャン』より 横内 そういう思いみたいなのがほしい。なぜならば、これは結構真剣に思ってるんだけど、新しい時代のヒーローとヒロインを持ちたいと思ってるから。作家、演出家として。男で言うと、崇史が入ってきたときって、最初から目立ってたし、メジャーなラジオ番組にいきなり引き抜かれるぐらいのなんかがあった。スター性を感じさせた。実際、俺たちもそれを感じたから、駆け出しの時からいい役、目立つところにいたと思うんだけど。それ以降、そういう風に、劇団の枠を飛び出していって、ヒーロー・ヒロインを背負える俳優がね。一時預かった高橋一生とかいたけども、生粋にうちで育って劇団サイズを飛び越えていく俳優が現れない。候補はいるけど小粒におさまってしまっている感じ。現状に満足してるのかなって。だから、今、ホントに探してる。僕は作家なので生めるわけでしょ、作品を。こいつだ!と思ったら、その人のために台本を書ける。実際にメジャーな舞台だと、この俳優さんでやりますと言われて、その人のために書く。創作意欲を刺激してくれる若者にもっともっと会いたい。真面目なのはとてもいいし、安心。一緒にできる信頼感みたいなのは生まれる。でも、こいつにかけてみようみたいな、そういう人が出現しないかと、今、思っています。

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横内 今後の進路について、迷っている若者たちも大勢いると思う。お金もかかることだし。新たな一歩を踏み出そうとしている人たちに、崇史くんからメッセージを。

山中 僕は、とにかく舞台はやっておいた方がいいと思っている人間です。で、色んな劇団ありますけれど、うちの劇団は長くやっている。ということは、色んな事を経験、知ってる先輩たちのいる劇団。若い人もいっぱいいるし。何か迷ったら、アドバイスを聞ける人間がいっぱいいる劇団。だから飛び込んでおいでって感じですね。僕たちは受け止めるから。

横内 優しくしてくれるんですか(笑)

山中 優しくしますよ(笑)

横内 色んな経験をしてきて、劇団の体質も随分変わってきた。厳しくやってた時期もあるけど、今の若者たちに厳しくやってもね。それで結果が良ければいいけど。導かなきゃいけないことは多々あるにせよ、頭ごなしに怒ったりすることは、まったく意味がない。ホントに真面目なんで。ちゃんと話せばわかるし。

山中 コミュニケーションをとることは大事ですね。

『ホテルカリフォルニア-県立厚木高校物語-』より 横内 うん。だけど、若い人たちに憧れられるものは用意しとかなきゃいけないなって思う。なぜなら、俺たちは、何かを生み出すクリエイティブな集団だから。何か決まったことを教るのではなくて、一緒に何かを生み出してゆく場所としての研究所。そういう意味で、いろんな意欲を持っている人に会いたいし、来てほしい。扉座研究所は必ずしも俳優だけを生み出しているわけじゃない。結構色んな人材を生んでいる。会うことない? 台本を書いているとか、演出してるとか、劇団主宰になりましたとか。

山中 ああ確かに会いますね。

横内 メイクの専門家になった人もいるし、日本舞踊の師匠になった人もいる。で、お師さんになった人が、劇団公演の所作指導で、時代劇の立ち居振る舞いを教えてくれる立場になったり。衣装のスタッフになったり、舞台監督になった人もいる。色んな可能性を試せる場所でもある。もちろん、崇史も芝居に出ますし、モノづくりになった時は、先生と生徒とかではなく、同じ俳優として同じ板の上に立ってほしい。

山中 そうですね。

横内 そういう気持ちをもってくれてるとうれしいなと思います。

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