2007年05月                             

やる!(2007.05.29)

 わしは 緊急再工事!

 で良いと思ってたんだが、耐震偽装などの問題で
再工事は、気が悪いと制作部が配慮して、

 新・工事になっている。

 当初は、そんなことになるとは、まったく思ってなくて、
 公演が終わってから、押っ取り刀で、アチコチ、打診して
 幸運とか、熱い激励とかが、重なり合って、
 
 こぎつけた再演である。

 アンコールの声がたくさんあったのだ。
 それも、すぐに見たいという声が。
 最後の3日間で、行きたかったけど、席がなかったと
いう人や。
 もう1回見たい、という人とか。

 そういうポジティブな声を寄せてくれた人たち、ありがとう。

 そんで、実を申せば、今更、また一つ予定が、しかもかなり間近に加わるのは、大変ではあるんだけど、
 
 これだけ勧められるも、何かの、巡り合わせだろうと、思って、腹をくくり、

 やることにした。

 んで、まだ正式には言えないけど、その上に、考えてることとか、企んでいることもアレコレある。


 また騒がしいことになっていくけど、どうぞ、相変わらずの我々の右往左往、笑いながらの、ご見物をよろしくお願いします。

 このHPも、ここんとこは、穏やかな日常風景が続いて、ちょい冷めかけでしたが、

 こっからまた、熱い盛り上がりに向かっていくので、
 楽しみにして下さい!
 
 



鈴本とか、桟敷とか(2007.05.22)

 昨日は昼間、発作的に、上野・鈴本にいった。
 銀座で、急に一個予定が変わって、夕方の桟敷童子まで、上野でパチスロしかないだろう、と思って、黄色いメトロに乗ったのだが。

 最近、書いてはいないが、もうホントのホントに、コテンパンにやられていて、
 ヤル前から、ちょっとビビってしまった。

 で、ふと見上げれば、そこには寄席。

 発作的に、逃げ込んだ。

 
 生寄席は久しぶり。
 最近、週刊金曜日の書評で「師匠噺」というのを取り上げて、原稿書いたので、吸い寄せられたものと思う。

 その本は師匠と弟子のインタビュー集。で、泣けて笑える。
 
 が、その前に本としては『考えると夜も眠れない』を推しておく。
 最近、ミクシィ内で、わしはわしの本を、熱心にお勧めてしている。
 しかしその、結果、その自己発電を応援してくれる人が続々現れて有り難い。
  
 さて寄席は
 五大楼玉の輔 という人が面白かった。
 ちょっとニューウェーブでね。

 オヤジにぶたれた、若旦那が、
 安倍……小泉……森……おぶちになりましたね!
 というのが、わしのツボにはまった。

 あと、江戸神楽の、コマ回しの人。名前は不明。
 かなり若いんだけど、ところどころくすくずりが入っていて、明るく笑える。名前が不明なのが、何とも申し訳ないけど、注目したい……て、どうやって注目すんだ?だけど。

 虚弱でやる気がなく見えてしまう、喜多八師匠も久しぶりに聞いたけど、脱力が心地よいという、現代口語演劇 の演技の見本だと思った。


 んで、その後、やっぱり軽く、秘宝伝に、2、3万、もっていかれて。(寸暇を惜しんでやってまうたとです……)
 
 せっかく笑った後に、わざわざ暗くなって……
 すみだパークへ。

 懸案の『桟敷童子』公演。
 3日遅れの初日。でも一杯だった。
 倉庫がスッゲー芝居小屋になっていた。
 雰囲気ありまくり。こんなの見たら、みな、ココを使いたいと、思うと思うが、その雰囲気も、手作りだから出来ているモノだ。

 にしても、この集団力。
 最近は若い人たちも、ユニットなんていってね。
 1回限りの契約出演が多いから、仕込みとか、作業なんてのを分担するというのが、やりにくいらしい。
 で、舞台がどんどん簡素になってゆく。

 そんな潮流に反して、このテッテ的な、モノとの格闘。空間の創造。

 芝居は、過剰なセンメンタリズム溢れる、純情アングラと言っておこうか。
 
 アングラの尻尾を囓った世代のわしには、むしろ懐かしいテイストだったりするんだけど、今やそれも一回りして、最新モードに見えているかもしれぬ。

 ただ、戦後の、深く複雑な傷を描くには、ちょっとセンチメンタルが過剰すぎたかな、とわしは思った。
 空間造形があまりに見事だから、理屈抜きにぐいぐいと引き込まれていくのだけど、
 
 近代戦争は、たとえ『へ』がつくものでも、理屈が引き起こすものだから。
 弱者が連帯するイメージは尊いけど、そこに、もう一つ理がないと、深い共感は出来いかな、と。
 何より、弱者や傷付いた人も、それぞれに傷があって、同じ傷として、一つに重なり合うのは実際は難しいものだと思うし。
 被害者の会って、現実には、とてもまとまりにくいものだからね。むしろ、深くいがみあったりしがちだと思うし。

 しかし、昨夜の公演の場合、団員の事故と、それを乗り越えた初日という特殊状況下。
 そのちょっと甘めの、連帯が、リアルに輝きを放っていた。

 それを劇的高揚感というのだと思う。

 芝居は、理屈じゃない、という言葉を改めて噛み締めた。

 困難を乗り越え初日を開けた『桟敷童子』の劇団力に拍手。


 
 その後、一緒に見てた田中と、扉座稽古場で、DーBOYSの稽古していた茅野とアバンギャルズ残党二人を誘って、錦糸町の居酒屋で、久しぶりに歓談を。

 

 
 
 
 

 
 
 
 
 



美浜文化ホール(2007.05.19)

 千葉の美浜というところに出来るホールの、オープニングイベントを創る。


 最も近い、仕事がコレ。
 先日、世間的に発表になった。

 内容は、今、構成しているところ。
 わしの役目は構成演出。



 にしても、出演者が豪華である。

 ドリル対談『メットを被れ』の第3弾に登場している、ハンズの菊地さんが、新しくできるこのホールの、館長になったのである。

 んで、まずは、このホールを多くの人に知って貰おうと、こんな企画が立ち上がった。

 まあ、菊地さんは、音楽業界では、知らぬ人のない実力者なので、各方面からの全面的な応援・協力があって、実現するものだ。


 じゃなきゃ、四百弱のホールで、こんなキャスティング不可能です。たとえ大金積んでもね……

 あの、菊地さんが、本気でやるのなら、と皆、集まっている。

 かく言うわしも、まったくその通り。


 正直、この町に、こんなホールが必要なのか?
 と例によって、市民派、良識方面 から、非難を浴びているホールである。(千葉でやたらにホールを建ててると、批判的ニュースにもなっていた)
 
 わしが内覧した感じでは、無駄のない、スッキリしたホールだと思ったけど、

 まあ、安いモノではないわな。



 んで、その上に、こんな派手なオープニングをやらかしてしまうのである。

 たぶん、やっかみも含めて、またアレコレ、言われるだろうな。

 しかし、今のうちに声を大にして言っておきたい。


 確かに、ホール建設には、金がかかってるかもだけど、このイベントがとびきり豪華で、もの凄いのは、断じて金のチカラではないのである。

 出演者は、皆、心意気で馳せ参じているんだから。


 わしらスタッフも、今、お金をかけずに、どんだけ凄いことが出来るか、毎日、打ち合わせしている。


 そこんとこヨロシク。


 んで、今までやってきた、福岡とか、豊橋とか、大和とか、この前の『踊るアジア』とか。

 それらの蓄積が、それを可能にするはずだ。

 そして今回もまたまた、市民の参加者を募る。
 参加資格などは、ホールのページを見て欲しい。

 いつもの通り、扉座メンバーが、びっしりひっ付いて、演劇精神を市民の諸君に注入する。
 


 なので、今回だけは、中味を良く吟味しない、迂闊な人たちの闇雲な批判は、大きく的はずれなものなるよ、と予言だけ残しておく。

 要するに、劇場があって、イケナイなんて理屈はないだろ。
 むしろ、近所にそんなものが出来るなんて、喜ばしいことでしょう。
 ただ、それがどんな風に使われるか?
 そこで何が生まれるか、が大事なのでね。

 酷い使われ方のホールは多々あるけどな。
 そんなものに、わしらがしないよ。

  
 全国で、指定管理者制度は始まってて、
 こういうホールも徐々に民営化されてゆく。


 今回はそのテストケースみたいなもんなのだが、
 それ故に、ここでアレコレ成功させて、新しい潮流を生みたいと思っている。

 

 このオープニング以降の、展開についても、わしらは意欲に燃えている。


 出来れば、厚木市文化会館に次ぐ、新たなる発信拠点に!

 

 今後も注目して欲しい。
 んで、千葉方面の人、どんどん参加して。
 
 

  



桟敷童子は(2007.05.18)

 何か、出演者が怪我しちゃって、
 急遽、公演初日を延期したそうです。

 月曜から公演開始だって。

 
 何か、いろんなものたかーく、積み上げてたからなあ……

 スッゲーなあ、と思ったけど。

 スッゲーなあと思った、ローラーブレードも、スッゲー分だけ危険で、思わぬ大怪我とか、起きちゃったみたいだし。


 しかし、うちの『ドリル魂』だって、よく鉄板がひん曲がったぐらいで済んだものよ、という感じだもんな。

 他人事じゃありません。


 せっかく苦労して、創り上げてきて、桟敷童子の方々には、大変お気の毒ながら、どうか挫けずに、この困難を乗り切って欲しいと思います。


 ギリギリまで頑張ってると、それはお客さんだって分かってくれるもんだからね。

 エアギアだって、楽日の公演は中止にする選択もあったろうけど、結果的には、観客と共に、苦難を乗り越えたワケで、

 とにかく、わしら舞台人は、幕を下ろし、舞台を降りたら、終わりなんだってことだな。

 そこに居続けろ、そうすれば、何かが起きる、って。

 それを信じ続けるしかない。



ダウン(2007.05.16)

 今日は富士見ヶ丘小の、演劇教室があった。
 行く予定だったのだけど、昨夜からにわかに具合が悪くなって、朝起きたときは、熱が出てた。

 ので、欠席。
 はしか ではないけど。
 
 別に児童諸君は、わしの到来を待ってはいなかったろうが、ここの先生方は、いつも公演とか見に来て下さるので、お会いしてお礼を言いたかったのに。

 教室自体は、今やわしなんかいなくても、田中部長と、メンバーたちで充分に成立しているはず。
 
 
 とそんな、調子の日なのだが、原稿の締め切りがあって、モソモソと起きだして、カチカチと……

 その締め切りも一週間も前のものだったりする。

 ちょっとダメな感じのわし。



 そんなダメなわしが、感嘆し、ぜひ紹介したいと思ったのが

 劇団『桟敷童子』の仕込み。

 明日から、わしらの稽古場がある すみだパーク内の二号倉庫で公演をするだけど、

 仕込み風景を見て、感動した。
 まだ芝居も見てないのに。

 倉庫を、自分たちの手で、唯一無二の劇場に改造しているのである。

 わしらのドリル魂も、かなりパワフルだと思ったけど、劇場から作ってしまおうとする、この桟敷童子のパワーには畏怖の念を感じる。


 倉庫演劇は、わしらも二度やってる。
 『夢の海賊』てのと『建築ショウ』だ。

 そりゃ『夢の海賊』は、負けない大事業だったけど、それなりにスタッフも参入してたからね。

 しかし桟敷童子は、まったく自前で、役者たちが、炊き出ししつつ、劇場作りから取り組むのである。

 前回、『建築ショウ』の時は、わしらの前の公演がやはり桟敷童子だった。
 その時も凄かった。(芝居も良かった、04年の7月頃の日記がその頃のことのはず)

 んで、その様子を見てアングラ魂に火が付いた、茅野現場監督が、俺たちも炊き出しだ!と宣言し、

 本当の現場みたく炊き出しが毎日行われるようになったのである。


 でも今回の仕込みは、あの時を超えてると思った。

 芝居はまだ見てないけど、これがスゴイ見せ物にならないはずがない。

 座員の人と、ちょっと話したら、あんまり宣伝されてないんだそうだ。

 こんなのが注目されないのは、絶対におかしい、とわしは思う。

 なんちゅうか、最近、こういうマイナーだけど、チカラのこもったモノに対する応援が少なすぎるよな。
 なんか聞いたことある、ものばっかり取り上げられてね。
 見るからに、何かのタイアップとか、バーターとかさ。

 しかも、ページ買い取りとか、記事にして貰うのに宣伝費がかかるとか。

 だからわしらは『ドリル魂』では、インタネット に賭けてみたんだけど、

 それにしても、かつての若者の味方だった、ぴあ みたいなのがさ、また登場しなきゃダメだよ。
 じゃないと、本当に面白いモノが、残っていかない。

 

 桟敷童子 がんばれ!

 てか桟敷さんたちも、ネットであの仕込みの模様とか中継すればいいのに……

 怒濤の仕込みで、それどころじゃないか?



 
 
  

 

 



サクラ大戦 武道館公演(2007.05.13)

 お昼は、親戚集合のお食事会。

 その後、武道館へ。

 バリ組もニューヨーク組も、わしは何のことやらサッパリ分からないまま、記念すべき公演の座席に座っていた不届き者である。

 でも、この人達が、ゼロから始めて、今日ここに至ったことの偉大さは、ひしひしと感じた。


 ここまで一つの作品を育ててきた、すべての出演者と関係者に拍手。


 でも、最後の最後に、ずっとカメラ担いで走り回り、報道カメラマンに徹していた広井王子氏に対して、客電の点った客席から、沸き起こった大拍手。
 
 あの熱さが今夜の、すべてを物語っていたと思う。

 クリエイトし続ける、素晴らしき執念の人。

 終わった後の楽屋で、誰が受けたよりもスゴイ拍手でしたねえと、半分からかうように言ったわしの言葉に対して、広井さんがポツリと言った、


 (お客たちと)一緒に夢叶えたんだからね…… 

 
 重みがある言葉だったな。

 で、そんな偉業を達成して、泣いてるのかというとそんなことはなくて、

 さあ、次、何しよう、
 みたいなモードになっている。

 あっさりと、一個終わり!って。


 そうなんだな。
 
 夢を叶える人って、それが叶うときには、すでに次の夢が始まっている。

 叶うような時には、すでにそれは夢ではなくなっててさ。



 今日の横内格言。

 本物はいつも、夢の途中。





 
 

 



Dー51とか(2007.05.12)

 先日の六角の舞台「新しいばかを~」では、70年代フォークがモチーフになってて、

 自分の暮らしがガタガタなのに、それを飛び越えて社会を激しく憂える歌を歌う、売れないフォークシンガーなどが、切な、可笑しく描かれていたわけであるが、

 そして、やがて社会派とか、メッセージ派の時代は終わり、等身大の四畳半フォーク、その後、ひたすら恋愛にハマリ込む、Jポップの時代になってゆく、という流れを感傷的に追っていたワケであるが、

 Dー51は、たとえば、

 二十歳の頃、ニートになりかけていたが、兄貴に言われて近所の薬局で働いてみて、労働の後のピールや、休日の喜びを知った。
 とにかく、お前ら、働いてみろ。

 みたいなことをストレートに歌うのである。

 もっともそんな歌詞が乗るサウンドは、今っぽく心地よく、何よりも歌が上手でハーモニーが美しい。
  
 そう言う意味で決して、単純な時代回帰ではなく、新しい空気を堪能させてくれるのであるが、

 それでも、何のために歌うのか。
 今、このメッセージを届けたい。

 みたいな、真摯な姿勢は、どこまでも真っ直ぐな、わしにとっては、ある種、懐かしささえ漂う、世界観であった。

 それを今時の若い小娘たちが、巧みにダンスしながら、明るくノリノリで受け止めている。
 
 
 Dー51がどれほど新しいのか、わしはよく分からない。
 映画 ALWAYS に使われてるぐらいだから、懐かし類に分類されているのかも知れない。

 ただ、そんなことはどうあれ、
 今の若いヤツら、捨てたもんじゃないな、と思った。

 正直に言って、ルックスが良いワケじゃない、小柄な2人組だ。
 しかも、歌ってることも、ゴージャスな絵空事じゃない。
 要するにバイト青年の労働歌とかなんだし。

 でも、そんなヤツらの歌を聴くために、ニーハイはいた女の子たちが、チケット買って集まってくる。
 声を枯らして応援している。

 
 今、ある種のエンタテイメント業界では、とにかくイケメン、がキーワードである。

 姿の良い、若い兄ちゃんたち、ずらりと集めて、とにかく何かやらせる。

 いくつかの成功例に続けとばかりに、アチコチで、同じような企画が立ち上げられて、

 そのイケメン揃いぶりを競い合っている。

 ホストクラブの開店競争かよ、と言いたくなるほど。

 まあ、音楽だってビジュアル系という言葉はあるから、同じなのかも知れないけど……


 実際、その実力に反して、Dー51のライブ会場は小さいなぁ、と感じたし。
 わしの耳には一瞬似て聞こえた、def tech の方がはるかに盛り上がってるだろうし。(音楽も良いけど、見た目もカッチョ良いもんね)
 
 しかししかし、安直に集められたイケメンたちが、心もなく棒読みする、借り物のメッセージに大勢の小娘たちが、泣いたりする現象より、

 Dー51 の言葉が、小娘たちの心に響いている状況に期待をかけたいと思う。

 

 イケメンが、嫌いなワケじゃねえんだよ。
 ただ無能なイケメンが、大人たちに便利に使われているのも自覚せず、イケてる気になってノウノウとタダメシ喰ってるのが、情けないだけだ。

 イケメンも オトコ(漢と書く)じゃなきゃ認めないねっ。
  
 

 



金属疲労(2007.05.11)

 制作から報告を受ける。
 ドリル魂で借りた、建材屋から大クレーム有り。

 イントレの鉄板が8枚ほどグニャグニャになって使い物にならないと。
 こんな歪み方は、事故でも起きなきゃ有り得ないのだが、アンタらいったい何やったんだ?
 建材屋に問いただされたらしい。


 その答えは……




 江原が踊ったのだった。




 厚木の楽日の本番前のチェック時、江原の立っているイントレの床が、グイグイと沈むのを私も見た。
 鉄の板なんだが……

 グイグイ……と。きしんでいた。

 わしは確かに鉄の悲鳴を聞いたのだった。

 怖くなって、
 気をつけろ!
 んで、毎日必ず床をチェックし、頻繁に床板の位置を変えるように!
 と指示していた。


 んが結果、8枚が歪んだのだった。

 鉄の板が……
 
 でも、ずっと同じ板に立たせなくて良かった。
 たぶんどこかで、鉄板はその重みに耐えかねて、割れたり、砕けたりして、大惨事が巻き起こっていただろう。

 弁償ぐらいで済んで、よかった。

 次からは、鉄板に鉄筋沿わせなきゃいけまんせん、だと。

 にしても、踊るだけで、事故になるのだ。(普通は、事件というとこだけどね……)


 スゴイやつだ。


 
 再工事の時は、そこだけ特製にしなきゃならないかもしれぬ。



 さて金曜日は、日帰りで、名古屋に。

 Dー51 というグループのライブを見に行く。

 それだけのため、だけど、明日行くしか手がないので、行く。

 それが何のためなのかは、間もなく、発表されるだろう。

  


 



建築系……(2007.05.10)

 今回の『ドリル魂』でちょっと残念だったのが、寅壱様以外の、現場関係の方々とあまり接点が持てなかったこと。

 ぜひ鳶協会とかと連携を取りたかったんだけど。

 台本執筆の頃、わしが検索してみつけて驚いた
 高知県の『轟組』にはその後、制作がコンタクトしてみた。

 何しろホームページに世界に轟く轟組って、わしらの組と同じ事うたってるんだから。
 本社は高知だけど、東京にも事務所があるようだし。
 とりあえず、見に来て下さるだけでも、と考えた。

 そして出来れば。
 兄弟の杯を交わし合いたいと思ったのだ。

 けれど、我々の説明力が不足していたのであろう。
 ひたすら、

 はあ?????

 という反応であったらしい。
 で、結局、公演を見て頂くことも適わなかった。

 見て頂けたら、きっと喜んで頂く自信はあったし、再工事に向けて、良い関係が築けたと思うんだけどなあ……

 現場用具、提供協力『リアル轟組』とかさ。

 もしも、ここを見ておられる方で、高知の轟組に親類縁者が関わってるとか、関係者を知ってるとかいう人は、ぜひバックアップをお願いしたい。

 
 なにしろ、
 劇中に出てきた
 「貫通石」というもの。
 その何たるかは、高知轟組さんのHPで知ったのだ。

 そういう意味で、すでにお世話になっているのである。

 お礼も申し上げねばならぬ。




 備忘録(後の記憶のために)

 6日 日本青年館にて茅野の「エアギア」
 主役の代役というピンチを乗り越えて、よく公演を盛り上げている。代役の若者に、侠気を感じた。(彼よかったし)そういう硬派な感じが、もっともっと充満してくれば、オヤジとしても、若い女子の嬌声に包まれつつ多少孤独を感じつつも、応援心が湧いてくる。それは茅野イズムともいえるはずのもの。茅野の得意分野のはずだ。そういう意味で、この舞台はもっともっと男っぽい茅野色になっていいと思う。(制作意図と外れるかもだけど)
 にしても、岡村のとこの日生劇場での辻ちゃん降板もそうだけど……
 病気とか、事故とか、予測不可能なことがいろいろ起きるのはライブの宿命だ。
 でもね、その主役に賭けて、一心に勢力を注いで作る現場は辛いよな。
 病気になるな!だの、恋するな!
 というのは、無茶だけど、そういいたくなるよね。
 スターはそういう超人でいてくんなきゃ困るんだ。


 9日昼 六角の「新しい馬鹿を~」
 中島さんの手慣れた世界。安心してみていられる大人の芝居。
 こういう芝居を見た後は、みんなとワイワイ居酒屋に行きたいねえと思った。
 昼間に行くなんて、無粋の極みだったなあ、と反省。
 大人の芝居の中で、必死にがんばってた高校生役の若い男女2人がとても良かった。
 桜美林と日芸の現役学生らしいけど、拍手を送りたい。
 一見、上手な大人たちの芝居に見えるけど、実は、この若い2人の懸命さとひたむきさで成り立っている芝居である。
 もし、これが大人たちだけだったら、煮詰まった鍋みたいになったと思う。
 道学先生、は良い若者を押さえている。

 9日夜 
 外苑で、打ち合わせ。
 ドリルとは別件だけど、最後は長谷川さんと、ドリルのことを真剣に語り合う。
 ともに45歳。
 勝負の時かね、なんて。
 
 
 
 
 
 
 

 
 

 
 


 



寅壱(2007.05.08)

 遅ればせながら、寅壱様には多大なご協力を頂きました。

 メンバーが着ていた衣裳は、サイズがなかったケンタのもの以外、すべて寅壱様より、ご提供頂いた物です。

 もちろん新品で頂きました。
 ただ、頂いたその日から、作業や稽古で必死に着続け、自然な汚しを徹底的にかけました。

 なので、まったく新品には見えなかったと思います。

 せっかくピカピカで頂いたモノを申し訳ないと思いつつも、汚れていることこそ、仕事着の勲章だろうとは思いましたが。

 建築ショウを開始したときから、こういう現場関係の方達と、手を組みたいとずっと思っていました。

 なかでも、ファッションは最重要課題だと思ってましたから、寅壱様が、我々のプレゼンテーションを快く受け入れて下さったと聞いたときには、小躍りしました。

 そして、さすが、現場アルマーニ、だと思いました。
 こういうことに興味を持って下さるんですから。

 ホームページやカタログも、かっこよくてお洒落ですからね。
 単なる、作業着屋さんじゃないな、と。


 宣伝のためにも、轟組員は、普段も作業着を着るべし、という方針になり、稽古場に来るのも帰るのも、寅壱ファッションということになっていたのですが、

 最初は奇妙さを面白がっていたのが、そのうち、ごく自然なものになってきました。

 ごく自然に若者達がファッションとして着るのもアリだと誰もが思いましたね。


 まあ、街中で見ても、少しも可笑しくないフォルムなんですよね。むしろ、主張があって、カッコイイ。

 何より、わしらに、似合う!

 ダンス・レッスンなんかで、扉座座員達の太く湾曲した脚を見るたびに、うちがミュージカルをやるのは、百年先だと思っていたものです。

 ボブ・フォッシーなんか見てると、脚のスリリングなラインこそ、ミュージカル・ダンス!って気がするじゃありませんか。


 それがうちの場合、というか、大半の同胞の活動では、レオタードは論外にしても、ジーンズ・ミュージカルさえ、ダサダサになる感プンプンであります。
 ああっ~
 と思わず下向いて溜め息みたいな。

 それが、寅壱ファッションは、キマルと思わない?

 女の子達も、可愛く見えると思わない?
 ちょっとヘソ出すだけで、色っぽくなって。
 アレ、もしも今流行のローライズとか履いて、ヘソ出してても、ダメだったと思いますよ。

 そういうジーンズにTシャツで、ロックとか歌っても。
 我が軍の人たちが……

 ………… 

 ほら、イメージするだけで、寒くなるでしょ?
 
 ああ、もういいよ、無理しなくて、と言いたくなるでしょ。

 そういいつつ、毎年「ラブラブラブ」では、ジーンズや革ジャン姿で、ミュージカルナンバーとかやってるんですけどね。

 正直、アレを演目に導入してかれこれ、7、8年だと思うけど、未だに、オオ、キマった!カッコイイって、ヤツは男も女もいてません。

 見た目カッコイイとか、可愛いとか、ちょっと踊り上手いとか、唄こなせる、みたいなのはいたけど、こいつで本物のステージ一本まるまる見たいと思わせてくれる新人はいなかった。

 という意味では、毎年、ダメだろうな……
 と思いつつ、宝探しをし続けているみたいなものです。
 
 まあ、かなりのプロが挑んでも失敗してるような、難しいモノなので、ダメで当然なんだけど。
 

  
 かつては、日本語はロックに合わないと言われていた。
 わしの青春時代なんかずっとそうだった。

 で、英語の歌が断然優位でね。

 それが、たぶんサザンの出現、あたりでしょう。
 日本語のロックが聞こえてきた。

 ある種の人たちは、アレはロックじゃないといい、一方で、そもそも日本語として認めないとか、
 異論は噴出したけど、あの時、ロックが借り物じゃなくなる瞬間が確かにあったと、わしは思う。


 正直な話、我が国は、オペラもミュージカルも、まだ借り物から脱してないと思う。
 たくさんの実験を繰り返し、秀作は生まれているけど、

 借りてきたものを、驚くほど上手に着こなすことは出来るようになったけど。

 まだ自分たちの、体型とか、風土にあったオリジナル・デザインを生んでいない。

 日本語はロックに合わないと言われた時代から、日本語でロックを作ることがごく自然になってきたように、オペラやミュージカルもそういう段階に入ってるはずだと思う。


 そこにおいて、わしらは寅壱と出会ったのだった。

 百年先と思ったものが、かなり早まった大きな理由である。


 しかし、諸君!
 
 そもそも、ジーンズとは何だったか、ようく考えてみよう。

 アレは、西部開拓とかの時代の、油田堀りとか、砂金採りとか、カウボーイとかの労働着なんでしょ?

 
 仮に、ロックの精神がジーンズにあるとするならばだ、
 わしらのロック・ミュージカルが、ニッカポッカでやられているというのは、とっても正統な精神の継承とはいえないか?



 いつか語ろうと思ってたこと。

 ちょっと語ってみた。


 何よりも、寅壱様に感謝です。

 寅壱様、これからもお付き合いをよろしくお願い致します!


 

 


 
 
 
 
 
 
 

 
  



ギター三代(2007.05.05)

 読売VSヤクルト

 のチケットをガン平に譲った私(ガン平ブログ参照されたし)がどこに行ったかというと、

 ハイココ……



 渋谷AX


 マッスルミュージカルの隣の建物である。

 ここで今宵行われたのが、

 甲斐よしひろVS井上尭之バンドVS押尾コータロー

 という一晩だけのライブ。

 『ドリル魂』音楽監督・長谷川雅大氏が井上バンドの影のバンマスというか、番頭さんなのである。

 その活躍を見に行かぬ訳にはいかぬ。

 しかも甲斐さんは、福岡の国文祭でお世話になった方、というよりも、わしがガキの頃からずっとファンだった、青春のアイドルである。

 
 押尾コータロー氏が、高校時代に、バイト代貯めて行ったコンサートが甲斐バンドで、甲斐さんと甲斐バントのギターの松藤氏が、ガキの頃から、手本にしてたのが尭之さんで、という、ギター三代史、総括みたいな企画なのだった。

 
 これが、すごかった。
 
 わしも思わず「甲斐ーっ」と絶叫していた。
 ホントは「だいーっ!」(雅大氏のあだ名)と叫ばなきゃ行けなかったんだけど、そういう内輪の事情をまったく忘れて、ひたすらライブに呑み込まれたのだった。
 
 
 何よりも、本人達が心底楽しんでいた。

 しかもそこに、ただ楽しいだけじゃなく、プロがプロを認め、惚れ合っているという、何とも言えないある種、神々しいような、楽園の雰囲気が充満している。

 スリリングにして、官能的な時間と空間であった。


 アンコールも終わり、無味乾燥な最終アナウンスが流れても、わしら客席はその場から動こうとせず、拍手を送り続けたのだった。

 そして、仕方なく現れた尭之さんらの手には缶ビールが。

  
 本当のホントのアンコールだ。

 
 ちょっと不明を恥じたのが、

 押尾コータローさん。
 わしゃ、矢田亜希子さんと話題になった人と、すっかり混同していた。

 若い、はねっかえりのロッカーだと思っていたのだった。

 
 これが、実は超絶的独創系のギターだった。
 詳しいことはさっぱり分からないけど、

 ギターって、こんなことも出来るのかと、目から鱗だった。
 というか、
 耳から、毛皮というか。

 『翼あるもの』
 を押尾ギター一本で、甲斐さんが歌ったのだけど、
 背骨がしびれた。

 特に、この曲でわしが好きなのは、最後のサビに向かって、急激にギアチェンジしてテンポアップする部分なんだけど、

 ここが、ツボを心得て、悲鳴下痢ボタン連打!って感じで、ひたすらかっこよかった。

 
 それに対して、井上さんは、あくまでもオーソドックスなロックギターで迫る。

 甲斐さんが、尭之さんのピックのノイズは、クラプトンより上ですからね。

 と紹介しつつ、実際に、尭之さんの弾くギターに耳を近づけて高まっている姿も、スゴイ風景見せて貰ってる感に溢れていた。

 これは事件なんだよ。
 という甲斐さんの言葉は、決して大袈裟な表現じゃないと、客席にいた人々、皆が感じたのだった。


 そしてわしらは事件の幸運な目撃者として、たちまちに連帯して、拍手を叩き続けたのだった。

 
 
 こんなスゴイ見せ物が今宵一夜。千人弱だけのお客の前でやられたのだ。

 ライブってものの、尊さを噛み締めた夜だった。
 
 
  
 
 
 



(2007.05.04)

 芝居の見方というのは人それぞれなワケで、思わぬ感想があるのは、当然であり、もう慣れっこなのだけど、

 エ?

 と思うことも少なくない。


 とある方から、批評を頂いた。
 評論家の方だ。
 劇評の著作ももっておられる専門家。

 そんな方が『ドリル魂』をクリーンヒットだと誉めて下さっている。(もちろん、もっと細かくいろいろと)


 それはとても良いことで、ありがとうございます!
 なんだけど、

 
 良かった役者が、挙げてあって(他のメンバーも皆良かったと言って下さっているのだが)。

 順に

 累央、江原由夏、上土井敦……

 となっているのだ。

 もちろん、我が軍の手勢に手柄有りということで、文句も異論もなく、ひたすらありがとうございます!

 なんだけど、


 まあ、江原については嫌でもところどころ視界に入っていたとは思うけど、上土井って……
 
 かなりマニアックな視点というか。

 真剣に舞台を見て頂かなくては、絶対に分かんないポイントだと思う。

 とりたてて、目立つポジションにいたワケでないし。

 親戚縁者でもないのに、パンフの小さな写真を参照しつつ、アレが上土井敦、と判別するのは、至難の業ではなかったかと思う。

 よくぞ、上土井という名を拾い上げて、チェックして下さったモノである。

 批評活動に生きる人の、こだわりに敬服するばかり。


 ちなみに、江原については

 「あの肉体のこなしで、もう20キロ増量出来れば、愛嬌のある傑出した役者になるだろう」

 
 上土井については

 「そのまま現場で通用するような肉体感も見事だった」

 とその原稿で、お褒め頂いている。


 いつだったか上土井クンに『やよい軒』でいっぱいご馳走しておいて良かった。


 江原については、打ち上げの席で

 アタシは、こんなデブの三枚目役は二度とゴメンです!
 「美女と野獣」のベルをやるために芝居をやっているのです!
 明日から、痩せて劇団四季を目指します!

 と泣いていたのだが、早速この金の言葉を届けねばと思う。


 20キロ増量である。

 江原も『やよい軒』には連れて行ったが、さすがにその後のハードワークで、ちょっと縮んだかもしれなかった。


 ちなみに
 
 泣いていた江原は、その席で、同系列の先輩格の三千代とリサから『考えると夜も眠れない』の「妖怪職人」という項をしっかりと読みなさい、とアドバイスされていた。

 同じく、若き日の夢見がちでおセンチ少女だったリサが、
 私だってヒロインやりたいです!変な女の役なんかもう嫌です!お姫様役やりたい!

 と泣き出した時に、山中崇史が、
 
 何を馬鹿なこと言ってるんだ!
 
 と厳しく叱りとばして、リサを正しいケモノ道に導いた、感動のエピソードが描かれている項である。

 とそんな、扉座の人々も生きるよすが、としている、もはや聖書といって良い本。

 『考えると夜も眠れない』(横内謙介・著 アクセスパブリッシング刊)

 は各書店にて絶賛発売中である!(紀伊國屋ホールのロビーだけで売ってるわけではありませぬ!あなたの町の本屋で買えます、ネットでも買えます!ブックオフにはまだ出てない!はず……)
 

 ともあれ、溢れる愛とガッツに満ちた、また為になるご批評ありがとうございました。

 中村義裕さんという方で、
 「演劇批評」というホームページを持っておられる。

 そこに批評原稿はアップされるとのこと。


 思わぬ所で、名を挙げられた、上土井の得意顔を見たい。
 すっかり、天下を取った天狗顔であろうことよ。
 安達や新原に、悪いなあ……とか、でかくなった鼻を擦りつつ言ってることであろうよ。

 当分、会う機会もないのが残念である。

 

 



猫と針(2007.05.03)

 ポーちゃん、2度目の散歩チャレンジ。

 今日は誘惑用のお菓子を持って行ったので、お菓子に釣られて
きっちりと 三歩 だけ歩いた。

 しかし、それ以外は、ずっと一所に留まってブルブル~と。

 ポーが、犬らしい散歩をする日は来るのか……


 その後、池袋の大書店に行って、本を物色。
 最近、読書もしていなかった。




 そのその後、キャラメルボックス事務所に行って、
 『猫と針』の打ち合わせというか、顔合わせというか。

 今回の作家・恩田陸さんも、途中まで出来た原稿を持ってきて下さり。


 ちょっと読んでみましょうみたいな試み。

 芝居が初めての恩田さんに、セリフを役者が言う感覚を体験して頂こうということに。
 
 もっとも、今日は、稽古と言うには、早すぎるタイミングで、わしなんかまだ工事現場の音がアタマの中で、ガガガ……と鳴っている。

 一方、岡田達也氏らも、今も尚、『まっさをな』公演中。

 それでも、彼らはこの後、長い旅に出てしまうので、ここらで1回会っておかないと、またずーっと先までいろんなことが伸びてしまうのである。


 でもそこは、皆、経験のある役者たちであった。
 恩田さんを安心させるに足る、仕事を立派にこなした、と思う。

 
 恩田さんも初めての体験に、かなりドキドキされたと思うが、とにもかくにも、役者が動き始めたら、セリフは確かにこの世界に響き出すわけで。

 ああ、本当に芝居が生まれようとしているのだ、という感覚は、深く感じていただけたと思う。 

 わしらは現場がすべてだからね。

 現場に入れば、作家の脳内で増殖する悩みの半分は消えるものだ。

 そして、ひたすら現実との闘いが始まる。
 でもそうなる時点で、芝居は、キャストスタッフ一丸となってチームとして戦い抜く団体戦となるわけで、それが芝居の面白いところですね。



 それやこれやで、とにかく発車だ。

 
 まだ、ほんの触り部分しかないけど、恩田さんの言葉は、本格的戯曲に挑むのだという気迫に満ちている。

 小説の劇化ではなく、戯曲への挑戦である。

 アタマの中で鳴るガガガを、必死に消して、久しぶりに劇的なる言葉の世界と向き合ったわしであった。 


 その後、近くの飲み屋で、歓談。
 まあ今日は、これがメインみたいなものか。


 
 にしてもさ、岡田君達は、わしらが厚木公演をやるずっと前から、公演に入っているのだ。
 それも紀伊国屋の倍は客席があるサンシャイン劇場で。

 なのに、未だに公演しているのだ。


 すっげーよなあ、と赤星と溜め息をつきあったのであった。


 



ありがとう(2007.05.01)

 千秋楽は、想定外のお客様にご来場頂き、大混乱でした。
 ご迷惑をおかけしたお客様がたに深くお詫び申し上げます。

 何しろ、あんまり満員に慣れていないので、申し訳ございません。
 どうぞ、これに懲りずに、またご来場下さいませ。

 打ち上げは、そんなに盛り上がらなかった。
 搬出が遅くまでかかり、全員揃うまでに、あまりに時間がかかり過ぎたし。

 というより何より、今回の場合、舞台の上できっちりと打ち上がった、のだと思う。

 楽日だけ最後にもう1回、ドリル魂のテーマを歌った。

 そのためにいつものカーテンコールから、もう1回、ステージに、親方とガン平さんを先頭にして、メンバー達は現れたのだけど、

 しかし、その現れ方の早かったこと。
 
 特に親方とガン平さんはクイックターンかと思う速度で、舞台に舞い戻ってきた。
 おそらくそれまでに拍手が消えてしまったら、格好悪いと焦りまくったのだろうと、思われる。

 
 実際は、拍手は鳴りやむどころか、手拍子に発展しかけていたのに。

 あまりに早く舞い戻ってきた2人に、むしろ観客が、驚いていた感じだった。

 
 まあ、初々しい感じで良かった。
 実はそんなに若くもない2人なんだけど、

 幹部の多くが不在の若手中心座組で、2人は、何とかしなくちゃというさまざまな重圧もあったろう。

 拍手をゆっくり味わう余裕なんかまだないんだろう。

 
 それでもう一度、歌った『魂のドリル』
 
 おまけで、桜を降らせてみた。

 思えば、今年は、この新作にかかりっきりで、ゆっくり桜を眺める余裕もなかった。

 
 泣きながら、歌っているメンバーたちに、ハラハラと舞い落ちる芝居の桜~

 まあ、舞台人にとっては、最高の花見ではあった。


 打ち上げの席では、盛り上がると言うよりも、今後、どうしようという相談。

 土曜から、チケットがなくなって、見たいというお客様をずいぶんお断りするカタチになってしまったので、再工事は早急にしたいと思っているが、スケジュールは?上演場所は?


 いずれにせよ、それを本気で検討している。

 会う人会う人、再演を勧めてくれる。

 
 嬉しいのは、人に勧めたいというのと一緒に、もう1回見たいからと言って下さること。

 
 こういうモノは、リピーターを生まなきゃダメなんだと、とメンバーたちには言い続けていた。

 それが実現している。

 疲れ果てたけど、心地よい。




 今日は、モーとポーとひたすらごろごろしている。 
 
 





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