2007年03月                             

本格始動(2007.03.31)

 いとしの儚 に出ていたメンバーが戻り、バリバリ稽古を、しようと思ったら、本日のメニューのメインは歌稽古。

 もちろんバリバリやるんだけど、この稽古の間はわしは開店休業である。
 歌唱指導の上野先生の時間。
 音楽方面で、強気になる根拠なしのわしは、ひたすら見学。
 
 なーるほどぉ、うたって、そーやって歌うのかぁ、みたいな。

 そして誰もが案じる犬飼ソロ。

 何と、犬飼のための曲があるのである。
 それも、かなり重要なとこで、ドーンとかまして貰いたい曲。
 長谷川さんも、気合いが入っているし、バックコーラスまでハモリで入る。

 まあ、そこら辺のとこは、本人もブログで、正直な不安を告白しているが……

 なぜか知らないが、三鷹高校アスリート部(レッスンの時、先生は必ずそーいう名の入ったジャージを着ておられる)の上野先生の厳しく的確なる指導によって、犬飼の歌は確実に進化している。

 でも、いかんせん安定感が乏しい。

 肝心な時に、ハズシそうな気配が漂っている。
 
 今日も、あれほど何度もレッスンで歌ったはずの持ち歌の歌詞を、稽古でデタラメに歌っていた。
 またしてもズッコケるわしら。

 ミュージカルへの道はまだまだ遠い。

 それでも本人は、まったく気が付かずに、一心に歌い続けているから、呆れるというか、たいしたものというか。

 ともあれ、犬飼が歌う部分は、かなり良いけど、同時にBDPである。
 (big doki doki point)である。
 
 期待してドキドキして欲しい。

 ところで、先日、鈴次郎の崇史と話していて。

 あそこんとこOPなんすけどねえ、

 と言われ、
 何じゃ、ソレは?と少し怒りつつ聞き返してしまった。
 変な言葉使うなよ、どこの流行言葉よ、って。

 OPとは オイシイポイントのことである。

 何を隠そう、それは『アトムへの伝言』で科学者達がお笑い研究で使っていた言葉だった。

 自分で書いといて、完璧に忘れていた。

 まあ、過ぎ去ったものに執着しないから、こうして新しいモノに没頭できるのだと、思っておこう。

  

 



(2007.03.30)

 桜の季節に、花びらが美しく舞って、幕。

 そして温かい打ち上げ。
 
 わしは明日からの本格的稽古のために、途中で帰って来たけれど。
 みんなはまだやってる。

 崇史が、久しぶりにヘベレケだった。
 人が気持ちよく酔ってる姿は、楽しい。

 みんな有り難うと、満開のサクラに叫ぶ。



備忘録(2007.03.29)

 にわかに忙しくなり、今日は、出来事だけ。

 昼から稽古。
 
 夕方に渋谷コクーンへ。 
 「橋を渡ったら泣け」を見る。
 超満員で、ひたすらうらやましい。
 まあ、人気者勢揃いだから、当然といえば当然だけど。
 その中に六角が居るのを不思議な感覚で眺めていた。
 終演後、久しぶりにお会いした戸田恵子さんらにご挨拶。

 その後、同じく渋谷の映画上映スペースへ急ぐ。
 美保純さんの、初監督自主映画作品の試写があった。
 二十分の短編だけど、マイカメラまで購入してのチャレンジ。
 
 すごいエナジー。
 とんがりつつ、ピュアな感性が全開の若い作品。
 集まった友人兼観客も多数、そしてその人たちの暖かい拍手。

 同い歳なんだが、こういう元気を持つ人がいることはとても頼もしい。
 初演の『きらら浮世伝』が出会いである。
 それは、先日亡くなった道祖土さんのプロデュース。
 これもまた、道祖土さんの残してくれた財産である。

 その後、一人でラーメン食べて(やっと夕食)帰宅。
 出来てきた曲の詞を書かなくては……

 明日は稽古を休み、『いとしの儚』の千秋楽。
 見た人みんなが泣いたと言ってくれる。

 良い本だよね、と。

 遅いよ!
 初演は7年前だぜ。

 でもまあ、それがこうして再評価されていることは限りなく嬉しい。

 でも、明日は打ち上げも中抜けしなきゃイカン。
 世田谷の戯曲塾が最終講義なのである。
 講師は佃典彦さんなので、わしは
 顔だけ出してドロンするが……

 ちょっとドロン。
 を使ってみた。



 



稽古場移動(2007.03.28)

 今日からちょっと広い3スタへ。

 さてミクシィである。
 足跡辿りが面白くて、ついつい遊びほうけてしまう。
 
 私のページを見に来た人を、逆行して行くことが出来るのだ。
 そして、その人の、友だちなんかのことも更に遡って行って、いろいろ知ることが出来る。

 こうして友だちの輪が広がる……
 そんな錯覚が起きる仕組みだ。

 だって、実際の友だちには遠いからね。
 まあ、友だちになったような錯覚だろう。

 現に、わしは今、稽古場で毎日会ってる、林とか経塚とかと、ミクシィ上では、親しい友だちということになっているが、たとえば今日、この2人と、稽古以外の用事で親しく話しなんかしていない。

 でも、このミクシィ、なるほど確かに上手くできていて。
 何か、ステキな出会いがあるんじゃないかと、そういう期待を掻き立てるものがある。

 たとえばプロフィール写真というのがあって、ここに好きな写真を掲載できる。
 私は、写真の圧縮というのが、どーにも理解できなくて、デジカメ画像はちゃんとあるのに、何も載せられていない。

 が、女の子の名で、水着写真を載せてる子なんかもいるのである。
 それが、足跡の先の足跡なんかにあると、ついそこを押して、そこに踏み行ってしまう。

 で、行ってみて、何か様子がおかしいことに気付き、よく見てみれば、有名なグラビアアイドルの写真だったりする。
 おまけに女の子だと思った人が実は男子だったり。

 最近とみに目の霞が酷くなってきたオッサン、通りに張り出された看板にかーんたんに釣られているのである。

 んで、まんまんと引っかかった証が、そこに足跡として残るのである。

 ああ、あなたも釣られましたねえ、と言う感じで……

 しかしそれやこれやで精力的にアクセスしていた結果、マイミクってやつが、急速に増加中である。
 増えたから、何だ?という気もするが。

 追伸。

 4月7日の告知が出た。
 稽古場なので、街頭よりもずっとまとまった感じで、いろいろお見せ出来ると思う。
 是非、応援しに来て下さい。
 稽古場で歌舞音曲を見るというのも、得難い経験であります。

  

 
 
   



サクラ咲く(2007.03.27)

 うちのすぐ側は、結構有名なサクラポイントである。
 今日は暖かくて、しっかり咲いていた。

 稽古に向かう前、うららかな春の陽射しの中、
 モーとポーを連れて、久しぶりに犬の実家(犬屋さん)へ。
 モーは歩かせ、ポーはバッグで。
 途中、モーが交番の真ん前で、うららかに、うんこを始めて、焦る。
 
 本当に、ど真ん前なのだ。
 我々に突き刺さってくる国家権力の視線を、ものともせずに平然と排便するチビ犬。
 
 モーは反権力犬なのか。

 ノンポリ事なかれ主義の権化である飼い主はひたすら恐縮し、アスファルトまでティシュでゴシゴシして立ち去った。

 久しぶりの実家では、犬の歯ブラシを薦められる。

 1年前、モーが子イヌ歯ブラシの頭を食いちぎり、それから半月、腹の中から(上?下?は不明であった)そのブツが出てくるまで、気が気じゃなかった、因縁の歯ブラシである。

 以来、歯ブラシ方面は回避していたものだが基本的に実家の言いなりのわしは、そのまま歯ブラシを購入。それもモーとポー別々のもの。
 犬なのに……

 同じヤツの一本使い回しじゃダメなのか?

 ふと疑問を感じたのは、モー・ポーをシャンプーのために預けて、錦糸町行きのバスに乗った後だった。

 そもそもヤツらは、シャンプーカットだって明らかに、わしの三倍は行ってる。
 それでももう少し頻繁に来た方がよいですね、と実家から指導を受ける始末……
 
 稽古場では、ラッキィ池田、彩木映利夫妻の、怒濤の振り付けが進行した。

 轟組で、ただ一人の本格派ミュージカル女優、小牧祥子のソロ・バレエ部分を。
 いつもとは違う、本格派の雰囲気であった。

 でも、ラッキィさんが時々、踊って見せるバレエがそのまま、ネタのようだった。
 しかしご本人は至って真剣にアラベスク!である。
 こんな珍しいものドキュメンタリーにも残さずに、稽古場で毎日垂れ流している。
 
 なんという贅沢な日々。
 
 そうこうするうちに、赤星が、長谷川楽聖から預かった新曲を届けにやってきた。

 早い!そして、カッチョ良い。
 
 これでほとんどの曲が出そろった。

 発注しておいて何だけど、
 ホントに作ったしまった……

 何しろ、15曲もあるのである。

 巷に溢れる、ミュージカルとは名ばかりの場つなぎだけに歌って踊る「音楽付き演劇」にはしないという意思の表れと思って頂きたい。
 それでもミュージカルなんて名乗るのは、わしらにはまだ早いと思い、ミュージカルのようなものです、と言っている、その謙虚さ。
 ただ謙虚な中に、わしらの野心は溢れている。
 
 
 今は新曲を一所懸命聞いて、歌詞をハメる作業の途中。
 
 犬たちは、良い匂いになって、ぐっすりと寝ている。

 今週は桜ぐらい、見に連れて行ってやりたいが……
 
 
 



不屈!(2007.03.26)

 子供演劇塾発表会会場に行くと、厚木シアタープロジェクト伊藤会長が待ち構えていた。

 今日は子供塾の発表と、ドリル魂の街頭宣伝活動がある、ってもう新聞にまで載っちまってるから、今更、なしにも出来ねえべ。

 そりゃそうだなのだが……

 駅前は自粛にしても、代わりにサティの前でやらせてくれって、掛け合ってくるからよぉ。

 こういう時の応援団は、スゴイ。
 不可能を可能にする。

 結果、なしだったはずの、街頭活動が、いきなり復活した。
 その模様はたぶん、他のメンバーのページに多数掲載されているだろう。

 それにしても、不屈の精神とすぐやる、今やる行動力!
 我々はホント頼もしい人たちに支えられている。
 

 その前の子供演劇塾。

 これが、良かった!

 正直言って、ずーっとテンションの低い子供達だったのだ。
 ここは自主参加なんだから、芝居やりたい子が、やる気満々で来てると思うじゃない、普通。

 確かにそういう子もいる。

 でも、実は、人前に出ることはおろか、学校も行きたくなくなってしまったような子が、家族に勧められてというか、一縷の望みをかけて、あそこに行ってみればなんて言われて来てる深刻なケースも少なからずあり、

 そういう意味で、成果の発表までこぎつけるのは至難の業と思われていたのだ。

 まあ、その日その日の体験を重視して、成果は求めなくていいんじゃないか?

 他ならぬわしが内心そう思っていた。

 それが……
 今日の発表では、見違えるように、元気な大きな声を出し、生き生きと動く子供達がいた。

 10分の集中も出来なかった子たちが、30分間芝居をし、踊ったのみならず、集まった人たちを飽きさせることなく、楽しませた。

 厚木のサウナに泊まり込んで、根気よく指導を重ねたエディケーション部長の田中とそれを手伝ってくれた、元研2の若者たち。
 よくやってくれた。

 でもそれ以上に、子供たちが、よくがんばった。
 今日の姿は、本当に輝いていた。

 なかなか動かぬ、はじけぬ子供達のことを案じ、嘆き続けていた犬飼が、今日生まれ変わったような、皆の姿を見て、泣いていた。 

 それにしても、
 一見ぼーっとしてるようにしか見えない子供たちの中にも、未知なるエネルギーが充満している。

 それが解き放たれるかどうかは、彼ら彼女らを取り巻く環境と、そこに関わる大人たち次第だ。

 このことをわしらは肝に銘じよう。

 子供塾は来年度も継続予定。
 この分野、本当の成果が現れるのは、この子達が大人になった時だから。
 10年では足らぬ、大事業なのだ。
 大人たちの勝手な都合や気まぐれで、途切れさせてはイカン!

 発表を終えて、パワフルになった子供たちは、サティ前の轟パフォーマンスの応援にも駆け付けてくれた。
 
 でもそこで思わぬ試練が彼らを襲う。

 な、何と、子供塾の進化にすっかり気分を良くした犬飼が、パフォーマンスを盛り上げようと、口から吹き上げた紅蓮の炎の火の粉が、最前列においてノリノリで手拍子してた、森本理沙子ちゅんのお洒落バッグとトレーナーまで飛んでしまって、その一部を焦がしてしまったのである。

 何という、悲劇!危険行為!

 終わってから知って、わしらは真っ青になり、平謝りに謝ったが、でも当の理沙子ちゃんは、まったく怒るでもなく、スッゴイ記念になったと、焦げた部分を見せびらかして、がんばって下さい!と逆にわしらを励ましてくれる始末。

 厚木の子供は炎にも負けぬ、はがねの子たちになったのだ!

 この子たちの期待に応えるためにも、轟組は、一層奮起しなくてはならぬと心に誓うわしらであった。

 でもホントゴメンねえ!理沙子ちゃん!
 今度、厚木の公演の時、代わりの何か用意しとくからね!

 再確認!
 火花は飛ぶが、裸火厳禁!
 それがドリル魂……


 最後になりましたが、
 
 厚木まで応援に駆け付けて下さった皆さん。
 厚木から文化の発信をするのなら、是非応援したいと快く場所を貸して下さった厚木サティ様、
 どうもありがとうございました。


 
 


 
 
  
 



拍手!(2007.03.25)

 横山智佐さんは、芝居仲間だし、友人だけど、そういう距離感をすべて吹っ飛ばして、今日の遊座公演『いとしの儚』初日に拍手を捧げる!

 7年前、扉座の『いとしの儚』を観てすぐに、これを演じたいと言い始め、7年越しで、本当に叶えてしまった。

 一言で言えば「信じれば、夢は叶う」ということだ。

 でも、その7年の間、彼女がどんなふうに日々精進を重ねてきたかを、折々で垣間見てきた私は、それが一言にまとめられるほど簡単なことではないことを理解している。

 私の周りでも、アレがやりたい、こーなりたい、という気持ちを述べる者は多くいる。
 横内さんの○○○の××の役がやりたい、とか。

 特に若者が夢を持つのは、大事なことだし、大いに語れ、とも思うけど、
 たいていの場合、私に語ってみることで、精一杯って場合が多いんだよな。

 夢を語る勇気を持ったってことも、確かに偉いよ。
 私が若い頃、そんな勇気があったか、怪しいからね。

 しかし、語るだけじゃ叶わないんだよね。
 信ずれば、の信じるという言葉の中には、そこに向かって、果てしなく、向かい続けるガッツとエナジーが詰まっていなくては。

 考えてもみて、横山智佐は7年前に、すでに声優界のアイドルにしてカリスマだよ。
 声の仕事と、そこから派生するタレント業で、充分にやっていけるだけの財産を築いてたんだよ。

 その人が、次は舞台だって、目標を定めて、
 もう一度、新人としてスタートラインに立ち、
 日舞、長唄、タップ、アクロバット……
 次々にチャレンジし、夢に向かって、突き進んで来たんだ。

 今日の舞台を観て、誰も、声優が余技でやってる芝居だなんて思わないだろう。
 これは素晴らしい舞台女優の仕事である。

 若者達には、見習え。手本となせ、と言っておく。
 
 私の作品が新国立劇場にかかるのは初めてだったんだけど、誇りを持って、乗り込める舞台だと思った。

 そして同時に、今取りかかってる仕事で、コレに負けてたまるかという気持ちもムクムクと。

 自分の芝居がライバルなんて変な話だけど……
 それぐらい刺激を受けたし、心を揺さぶられた。




 最後にもはや手遅れながら……
 深くお詫び!

 明日、厚木駅前で『轟組街頭パフォーマンス・デビュー』を飾る予定だったのですが、折りしも地方統一選挙と重なってしまい、拡声器を使用してのパフォーマンスが、著しく制限されるという情報が入り、路上ライブは中止することになってしまいました。
 ゲリラでやり抜く手もあるかも、なのですが、『轟組』が政治的な組織のように誤解されて、おかしな捉えられ方になるのは、更に我々の本意ではないので、極めて遺憾な気持ちでの自粛であります。

 拡声器を使わない、街頭での宣伝活動は、小雨決行で行いますが、お知らせでうたっているような「轟組工事お披露目」のようなカタチにはなりません。
 期待して下さった方々に、お詫び申し上げます。

 でも、あまりにも悔しいので、次こそは本気の工事途中経過お披露目を実施することに決めました。
 詳細は間もなく、発表します。

 とにかく、明日、文化会館での『子供演劇塾』の発表会を見た後、駅前で、4時半頃から肉声を張り上げての宣伝活動を決行します。
 見かけたら、遠慮なく声をかけて下さいませ。


 


 



 


 



どうか、動画を(2007.03.24)

 稽古場の風景が映し出されている。
 画像も音もイマイチだけど、まあ、様子は分かるだろう。
 あんな感じで、やってます。

 これはeープラスってとこの企画だけど。

 この後、自社製CMも発表予定であります。
 その撮影を今日致しました。

 コピーライト&ディレクションが私。
 撮影及び機材提供、新研2の串間クン、
 出演、轟組-ハカナ組、って感じです。

 一分ほどの稽古場映像をお送りします!

 こちらも来週にはアップ予定です。
 カット、編集なしの一発撮りながら、ケッコー良い感じになったと思います。
 是非、感想をお寄せ下さい。
 反響があれば、第2弾、第3弾も支度します。


 そんなこんなで、いろんなことが新しい『ドリル魂』。
 現場は若者中心だし、わしも日に日に若返って行く気がしている。
 そして文化祭実行委員の血が騒ぐ。

 ずっと前にも白状したが、そもそもわしは永遠の文化祭委員なんだ。
 わしの表現活動の原点は、文化祭なんだ。
 高校時代からしたら、その規模はやたらに大きくなって、国民文化祭までやっつけたりしているけど、

 実を申して、やってることの本質は、30年、変わっていないのである。
 しかし、これはなかなかどうして、ドエリャーことだと思わないか?

 どんな分野も10年続ければ、一人前と言われるものですよ。
 それがわたしゃ、その三倍ですよ。

 プロの文化祭委員と呼ばれていいと思わないか?
 諸君、文化祭のご用命は、私までよろしく!


 さて、それはともかく、明日ついに「いとし儚」が初日を迎える。
 前に見た通し稽古で、これは行けると、確信しているので、ハラハラもドキドキもなく、ただ浮き浮き劇場に行ける気がする。

 そもそも私の作品が新国立にかかるのも初めてなのだ。
 こけら落としの時に、何かやる予定もあっだけど、芸術監督の人選問題で、当時、ここがいろいろ揺れてて、その余波をくらって、途中でプランが立ち消えになり、その後、何となく、キッカケを失っていた。

 ピットという小劇場だけど、ここがなかなか良い空間である。
 儚にはぴったりだ。

 茅野イサムがどれぐらい大人げない装いで初日のロビーに立っているのか、という興味もますます膨らみつつ、ゲネと初日の舞台に立ち会いに行く!

  
 
 


 



音楽監督(2007.03.23)

 長谷川雅大さんが初めて稽古場に。
 
 ガッカリさせてはいけないと、一同、緊張しつつも必死に、今までの成果をお見せする。

 まあ、不安なとこはたくさんあるはずなんだけど……

 いいですね、と言ってくれた。

 すっごく上手く歌って貰っても、ガッカリってこともあるんですよ。
 君が上手いのは分かったから、この歌、ちゃんと歌って、ってブルーな気分に落ち込むことがあるって。
 それはつまり歌の性根を掴んでくれてるか、どうかなのだけど。
 
 みんなちゃんと歌ってくれてる、よ。伝わってくる。

 一同、安堵。
 
 ついでに、行われた私との「メットを被れ第3弾」の対談の席では、
 
 今回の『ドリル魂』には、何か自分の意思を越えた運命みたいなのを感じつつ、やっているんだよ。
 大きな別のチカラに、しっかりやり遂げろと告げられているような……

 とまで言ってくれた。

 オイオイ、ミュージカルの神様、来てるかもだぜぇ!

 とにくかくにも、ここまではオッケーということで、一安心だった。

 安心した勢いで、先日「ガン平ブログ」に出ていた錦糸町の『やよい軒』に若者達を誘って乗り込む。
 ブログを読んで、どんなとこかどうしても行ってみたくなったのだ。(んで、全部わしの奢りじゃ!)

 別にそんなことを命じた覚えはないんだけど、
 我々、オヤジたちの態度が、若者達に対して、

 とにかくメシをお代わりしつくして『やよい軒』を潰せ、

 とでも言っていたように見えたらしく。
 ヤツらは、とにかく必死で喰った。

 その様子は、ガン平のとこなどで発表されるだろう。

 あと、今日は、岡山の寅壱さんのとこまでご挨拶に行った赤星がお土産で頂いてきた『寅壱まんじゅう』を食べた。

 さすが寅壱さん、まんじゅうまで特注でお作りなのである。
 聞けば社長さんは、極めてダイディな若社長であられるとか。
 
 『ドリル魂』にも興味を持って下さり、応援して下さっている。
 会社が岡山で、ちょっと遠いけど、是非、見に来て頂きたいものである。

 んで……
 
 ミクシィの足跡が、突然、増えた。
 でも、その中には劇団員やスタッフが大勢いる。
 そんで成り行きで、劇団員やスタッフとマイミク仲間になってる。
 嫌でも毎日、顔合わせているのに。
 これでいいのか?私のミクシィ……

 



ミクシィ(2007.03.22)

 広井王子さんに、面白いです、と薦められて、ミクシィに入った。
 ただし、広井さんから貰った携帯用のお誘いは、何が何だから分からなくて断念。
 もはやケイタイの細々とした文字を見るだけで、拒絶反応が出るオヤジなのだ、私は……

 で、今年の研2の経塚さんじゅうに招待状を貰い直して入会。
 だから私の親は経塚三十路。
 彼は研2なのに、三十オーバーなのである。
 
 確かに、普通のネットと違って、足跡みたいなのが、はっきり残って、思わぬ人と巡り会ったりする期待感のようなものが膨らむ。
 素性が知れてしまうので(私は実名登録!)変なことできないし。

 けど、まだ私は極めてお友達が少ない。
 
 だからパーティの隅っこで、一人手帳を開いてる状態。
 構って貰えないと、意味なくそんなことでもしてないと、間がもたないからね。
 別に手帳に用事はないんだ。
 ただ、自分に用事を作りたいだけ。
 今風の感覚では、ケイタイいじりって感じでしょうね。
 賑やかなパーティで、ひとりケイタイいじってなきゃいけない寂しさ…… 
 
 しかし今日、稽古場で、それを嘆いたら、上原健太に、鼻で笑われた。
 
 ちきしょう。
 友だち百人作ってやる!
 そんで、
 
 百人で食べたいな、何とか何とか何とかを……だ。
 
 うっ、歌い出したはいいが、歌詞を忘れている、百人で何とかしようみたいな、幼稚園の頃の歌。
 
 まあ、今は、歌と言えば、ドリル魂の歌漬けだから、仕方ないけど。

 今日はラッキィ氏の振り付け。
 作品中でも最大級の大作『ウぃますぐ現場』を完成してくれた。

 そんで、いいよコレぇ。久しぶりにこんなスゴイの見たよ~

 って。
 そういうのは自画自賛っていうんだろうと、思うけど。
 手放しの究極・自画自賛である。

 でも、天才が自惚れるだけあってホントに、スゲェ。
 
 ナンバーは、ウぃますぐ現場!だ。
 
 ウィますぐ の意味は、やがて分かる。
 期待して欲しい。

尚、上原健太のブログから飛べる、ラッキィ池田氏の、新作ダンスが、かなりイケテル。
 見た方がよい。
 

 追伸
 みんなあ、ここのBBSには書き込みづらいと思うけど、ミクシィなら、やりやすいから、語り合う時は、そっち使おうじゃないか!

 
 



倶会一処(2007.03.21)

 お弔いで。
 久しぶりに会う、懐かしい人たち。
 それは大人の同窓会だった。

 そして、皆を引き合わせて、仲間にしておきながら、その張本人がいない理不尽。

 こっちだって、もう45歳なんだから、人に頼らず自分でやってかけなゃイカン。
 でも、こういう、仲間集めの達人が消えるのは、つくづく寂しい。

 何か、張本人は、一人、トイレに隠れてるだけなんじゃねえの、とずっと思い続けた。

 それにしても、今年は、立て続けに大事な人とサヨナラをした。
 祖母と、道祖土さんと、ニューヨークのグラッセラさん。
 年末にお見舞いに行った、優しい恩人も、その後、亡くなられたと知らせが来ていた……

 それぞれに、大切な言葉をくれた人たち。
 でもその意味は、まだ掴みキレていない。

 大切に抱きしめて、ココロで反芻する毎日。

 さて、明日からは、またドリルに復活。
 そろそろエンジン回してイカンとな。


 
 



なごり雪(2007.03.20)

 19日の午後11時半頃乗った山手線。

 目白駅停車中、電車からふと手を差し伸べると、小さな雪が手に落ちた。
 ついに雪のない暖冬かと思ったら、最後の最後に涙のような、なごり雪だ。

 それも、錯覚かと思うほど、微かな微かな、結晶で。

 ドリル稽古は、歌稽古なので私はお休みして、昼に別件の打ち合わせに出ていた。
 その後、どちらからともなく、六角精児と連絡し合って、夜、下北沢で落ち合った。

 実は、我々の師匠にして恩人が、不慮の事故で亡くなった。
 劇団にとっても大事な人だった。

 道祖土健さんという。
 セゾン劇場の『きらら浮世伝』のプロデューサーだった。
 その後私は『魔女の宅急便』や『NINAGAWA火の鳥』などを一緒に作ってきた。
 でも本業は映像のプロデューサーで、数々のテレビドラマや映画の大作を手がけてきた人だった。

 私がこの人から受けた薫陶は限りない。
 この人がいなければ、今の私はいなかった。
 この恩は、とても語りきれないので、いつかちゃんとした文章にまとめようと思う。

 六角は、今の事務所が、道祖土さんの関連会社なので、最近は私よりもずっと深く付き合っていた。
 5年ほど前、下北沢で六角がマスターをやっていた、飲み屋のオーナーでもあった人だ。

 昨日、六角から知らせを受けた時は、何も感じなかった。
 聞かなかったことにしておけば、錯覚で済むような気がしたのだ。
 
 でも一夜明けて、事実だと認めるしかなくなった。
 朝には、普通に過ごそうと決めていたのに、気が付けば、六角と電話で話していた。
 もはや俺たちは、電話なんか、年に2、3度しかかけ合わないのに……

 下北沢っぽくない、居酒屋で。
 久しぶりに六角と差しで話した。
 泣くだけじゃなく、馬鹿話もして、笑い転げた。 
 
 たぶん何かを語り合いたかったワケじゃない。
 感傷に浸りたいワケでもない。
 ただただ今夜は、一緒にいたかったんだ。
 
 六角と別れた帰り道、
 
 雪が降った。



土日(2007.03.19)

 土曜は厚木に行った。
 あつぎ子供演劇塾の練習を監修?に。

 ノリが悪いと言われ続けていた、演劇塾の子供たち。
 来週の発表会に向けての練習になり、かなり熱気を
帯びてきた。
 田中と、田中に呼びかけられた研究所卒業生たちが、とても
よくやってくれている。

 元研2は、こういうワークショップは始めてだろう。
 名作「さよなら先生」「がんばれ先生」も初体験。
 きっと子供たちと絡んでみて、新たな発見があったと
思う。
 これを経験した役者は、ちょっと生まれ変わる。
 扉座の歴史で実証済みだ。
 
 子供の芝居が、変えてくれるのだ。
 彼らと向き合うと、自然に何かが湧き上がってくるというか。
 別の次元に引っ張られて行くような。
 教えるという行為は、教えられるという体験でもあるのだ。

 来週、25日2時から文化会館で発表会。
 興味のある人は誰でも入れます。
 
 尚その後、駅前で、轟組がミニライブをする予定。
 その二つに参加するのがお薦めである。
 わしらもそうなっている。
 
 厚木があつい。

 塾後は、シアタープロジェクトの方々にお食事をご馳走になる。
 
 厚木高校のダンドリの母、伊藤早苗先生が、この3月でご勇退たとか。
 お疲れ様でした!
 ステキなミニポンポンの記念品を頂いた。

 皆さん、ドリルに向けて、盛り上がって下さっている。
 ありがたい。
 
 日曜は、稽古場に。
 ドリルと同時に進んでいる、いとしの儚 の通し稽古を見た。
 
 期待の持てる仕上がり具合。
 特に、儚をやるのだと言い続けて、それをついに実現させた(対談『メットを被れ』参照のこと)横山智佐の気合いが漲り、限りなく濃密な時間と空間が生まれている。
 未だかつてない、智佐さんの芝居だ。
 彼女は、殻を一つ突き破ってきた。
 
 たぶん、見る人、みんな泣くと思う。

 実は明後日、お祝い事がある。
 こちらの用事があれこれパンパンで、行けないのがとても残念なのだが……
 愛・地球博の「地球タイヘン大講演会」に妖精役で出ていた川越直美さんと、音響スタッフだった池田勇人さんが、名古屋の方でご結婚されるのである。

 万博カップルの誕生だ。
 
 おめでとう、おめでとう!
 極めてめでたい。
 「未来へ!」
 だ。



うんち(2007.03.15)

 稽古と、今は、ついに出ることになったエッセイ集の著者校をやっつけている。
 原稿チェックね。

 同じ言葉でも、分かった と わかった と書いてある部分があったりする。
 その時の気分でたまたまそーなったのだろーが、こういう部分はどちらかに統一しましょう、とか。
 微に入り細に入り、突いてゆくのである。
 本作りも、なかなかどうして、細かい作業である。

 尚、その本は、ドリル魂の初日に向けて、刷り上がる予定である。
 たぶんタイトルは『考えて夜も眠れない』になる。
 全部で、48コのエッセイ。
 
 かなり馬鹿なことばかりで、お気楽に読んで頂けるはずのものである。
 ほとんど個人的なことだけど、合間合間に劇団員の失敗談などが入る。
 ネタに困ると、劇団員ネタで、凌いで来た結果である。
 
 それはともかく、最近の困ったこと。
 
 モーツアルトとポーシャの不仲は、徐々に解消されつつある。
 決して仲良し ではないけれど、やみくもに吠え合ったりする最悪の時期は何とか乗り越え、最近ではボールのひっぱりっこなんかもし始めている。
 これでもう少し、ポーシャが娘サンらしくなってくれば、ボール遊びしか興味のない、ボールバカ少年のモーも、多少、リアルに色気づいてくるような気がする。

 んじゃあ、リアルじゃなく色気づくって何よ。
 ということだけど、
 ボール遊びに飽きると、もしくは、私や嫁がエンドレスのボール投げに疲れ果てて、それを強引に終わらせた後に、

 さあ、次はコレ。
 という感じで、ぬいぐるみに、やおらマウンティングをはじめるのだ。
 ポーシャ、つまり許嫁が、すぐ横にいるというのに!
 それをほっといて、愛用のぬいぐるみに抱きついて、腰をヒコヒコと。

 恥ずかしいことこの上ない。
 許嫁の立場もないじゃないか……

 これはこれで困っているのだけど、実は今の大問題はこれではない。
 
 ポーシャが、うんちを喰うのだ。
 ムシャムシャ食うわけじゃないけど、くわえて走り出したり、撒き散らしたり。
 自分のモノの場合もあるし、モーのモノの場合もあるし。

 犬の困った癖の中に、その分野は確かにあって、全国の飼い主から、悲鳴の頼りが、犬雑誌などには届いている。
 でもモーは、そんなことまったくしなかったので、ポーが来て、こいつにその癖のあることわ知り、改めて狼狽えている。

 その口で、平気でペロペロ口元を嘗めに来たりするし。

 誰か、良いヤメさせ方を教えて下され。

 明日はわしは厚木文化会館に行く。
 市長さんが変わって、新体制となる財団の理事会に出席。

 入魂の新作『ドリル魂』への熱い応援を関係の皆さんに、お願いしてくる。



 
 
 



日・月(2007.03.12)

 日曜は、RUPの2度目の授業。
 前回のヤングコースに続いて、今回はアダルトコース。

 ダンドリに出てた、松田まどかちゃんなんかもいた。
 もちろん、美女と美男揃い。
 しかし、こんだけ平然と揃うと、何か綺麗なことなんか当たり前に見えて、そんで何見せてくれるんや?という気持ちになってくる。
 ただ綺麗なだけじゃなくてさあ、なんて。

 何と贅沢な注文か。
 でもそれが、この業界の掟でござろう。
 やっぱり美女美男コースの競争も厳しく大変やなあ、とつくづく思う。

 しかし参加者は皆、期待の人ばかり。レベルも高く、近い将来、この中からもスターが出るんだろうな、と納得。
 
 一夜明けて、今日は錦糸町。
 ドカタ・ミュージカルの製作に励む。

 この3日間は、歌の歌詞作りに必死だった。
 たった一曲のことなんだが、極めて大事な部分の歌で。
 しかも長谷川さんが、カッチョ良い曲を書いてくれたので、重圧感が増した。

 書いては消し、書いては消しだ。
 字数合わせに走ると、なんかありふれて平坦なことになり、云いたいことを追求すると、音に乗らない。

 歌詞ってのも難しい。
 昨夜は、夜通しデモテープを聞き続けて、うんうんと唸っていたが、結局、納得の境地には至らず。
 夢の中でも、メロディーがグルグルと鳴っていた。

 そんで、朝起きて、メシもそこそこに、机に向かって、また指を折る。
 短歌読みのように、字数を数えて作るのである。
 わしの場合、不用意に歌うと、勝手にメロディーを変えてしまい、妙なことになってしまうのだ。だからつとめて冷静に言葉と向き合う。
 
 結果、昼過ぎになんとか、まとまったのだった。
 慌てて稽古場に向かった。

 ちなみに、その曲を歌うのは


 犬飼淳治である。


 歌えるのか、犬?
 楽譜と歌詞を手にした
 犬もちょっと青ざめていた。

 それは、顔面手術のせいばかりではないと思われる。

 期待と不安が入り交じりつつ、ドリル魂は、進行して行く。
 

 
 
 



ラッキィ池田(2007.03.10)

 ラッキィ池田を今尚、変な色物芸人でしかないと思っている人は多いと思う。

 しかし、実を申して、偉大な振り付け師なのである。
 それも、志村けんと研ナオコが踊るCMとかだけじゃなくて、黒木瞳さんのミュージカルの振り付けとかもしているのである。

 もっとも黒木さんの仕事の時も最初は、まったく信用されてなくて、現場ではしばらく疑いの目で見られていたそうだが。

 かく言う私も、実は、そー思っていた。
 でも、最初に池田氏の仕事ぶりを間近に見た、もはや10年以上前の、木村拓哉・主演作「モダンボーイズ」の時から、この人は、世間が思っているよーな、単なる色物ではないと、分かったのだった。
 当時はまだ普段の時も、ピンクのゾウの絵の付いたネクタイとかして稽古場には来てたけど。(最近はたまにしか、ゾウ柄はみない)

 その後、井ノ原快彦主演「リボンの騎士 鷲尾高校演劇部奮闘記」でも、池田氏が振り付けで参加していて、改めてその実力に感嘆した。
 日本一の伊達男演出家・河毛俊作氏選曲のフレンチポップにのって鈴木蘭々や一色紗英ちゃんたちが踊った女子高生ダンスの斬新なカワイさは、今も記憶に鮮明に残っている。
 
 あれは、ガッキーのポッキーダンスより10年早く、女の子ダンスの新世界を見せていたと時代の証人として、断言しておく。

 扉座では「アゲイン」のインド軍団の振り付けでお世話になった。
 けど、その時は一曲だけで、本格的にガチンコしたのは、福岡の国民文化祭オープニングセレモニー「人生号」の時である。

 これまた歴史に残る傑作であった、と今もわしらは思っている。

 そしてラッキィ池田の更なる進化を痛感した仕事だった。
 ところで進化の一因には、知ってる人は知っている、内部事情がある。
 もともとも天才であった人だが、強力な相棒を得ていたのである。
 それが、コレオグラファーの彩木映利さんだ。
 池田さんの奥様でもある。

 スラッとして、モデルみたいな美人だ。
 元ダンサーで、とてもお洒落で格好良い。
 
 この人の存在が、池田氏の世界を明らかに、大きく拡げている。
 福岡でも、ここはバレエで。
 なんて注文の部分は、映利さんの担当になっていた。

 今、池田氏を振り付け師、映利さんをコレオグラファーと書いたが、意図的である。
 同じような仕事でも、そんな違いがある感じなのである。

 で、夫婦なのに、たまにラッキイ先生、映利先生、とか呼び合ってる。
 それも可笑しい。

 そんな2人が、昨日は稽古場に張りついて、朝から晩まで振り付けをしてくれた。
 もちろん、限りなく面白く、美しくなっていってる。

 CM一本で、家が建つようなお二人が、わしらのような、大きなフリしてだけしてる小劇団のために。

 しかもこの先には尚、10数曲の振り付けが待っている。
 扉座の仕事では、家の表札も買えるかどうかとても怪しいのに……
 だからって、そんなに必死にやらなくていいですとも言えないからね。

 ひたすらありがとうございます、という気分。

 何があっても大成功させなくては、申し訳ないぞと、肝に銘じている。

 そんな池田さんと映利さんとの鼎談が広井王子氏、横山智佐さんに続く突撃対談「メットをかぶれ」の第2弾の予定。
 似合わぬメットであるが、徐々に被りこなしていくようにしたい。

 昨夜は帰ってヘロヘロで、討ち死に。
 今朝は早朝に目が覚めた。
 
 長谷川さんの曲もガンガン上がってきている。
 これまた、業界の鉄人である。

 今日は、千葉の美浜という場所に。
 新しく建つ劇場の下見に。
 これも密かにとある計画が進行中……

 その後、夜にはNHKのラジオに生出演。

 そういえばラジオって、最近タクシーでしか聞かないなあ、と思いました。


  
 
 



怒濤の如く(2007.03.08)

 稽古突入。

 天才・ラッキィ池田、映利コンビの振り付け始まる。
 一方で、軽音楽聖・長谷川雄大が次々に曲を上げてくる。

 目まぐるしく動き出した、轟の現場である。
 そんな中、昨日から、しばし入院していた犬飼が退院してきて参加。

 実を申して、怪我で入院していたのである。
 場所は顔面。
 症状は骨折。

 理由は、まあ本人から聞くがよい。(もう書いていいすよ、と本人が言ってきたので書いたが、わしの口から詳細は敢えて控える。あまりに愚かで、開いた口がふさがらぬから)
 今も、患部はかなり腫れ上がっているけど、本人はもう大丈夫と言い張って、歌ったり踊ったりしている。
 明日、抜糸ということだが……
 入院で稽古に出遅れたことを、チャラにせんとでもするように、ことさらハイテンションで。

 にしても、顔である。

 むかーし、まだ善人会議という名の劇団だった頃。
 杉山と、岡本(現・岡森)と、木原実(現・日テレお天気兄さん。当時は自称俳優)が、青少年センター(昨日惨劇のあった場所だ。まだ立て替える前で、古い建物を劇団にも格安で貸していた)
 での稽古を終えて、岡森のオンボロシビックで、江ノ島の海に行き、
 夜中の浜辺で、大声でサザンの歌とか歌ってたら、暴走族にからまれて、ボコボコにされたことがあった。
 特に木原さんは顔面から多量の血を流し、救急車を呼ぶ騒ぎになったのだった。
 大人しく家に帰っていたわしは、岡本からの狼狽えきった電話で夜中に起こされた。(ケータイなんかない頃だ)
 
 族のチョーパンを喰らった上くびるが二つに裂けて、何針か縫うことになったのだった。
 痛々しい傷を見た、木原さんのお母さんがしみじみと呟いたのだった。

 売れてないとはいえ、役者が顔に、こんな傷つくって……
 もうこれで、実も本当に終わりだよ。

 まったく売れてなかったのである。
 極貧で、わしは何度も稽古場までの電車賃を貸したモノだ。
 だって、そうしなきゃ、稽古に来てくんなくなっちゃうから……

 犬飼の顔を見て、久しぶりにそんな木原母の言葉を思い出したのだった。

 しかし、その後、木原さんは、立派に売れて、今や気象予報士協会の偉い人になってるらしいから。
 今は腫れてる犬の顔も、そのうち落ち着き、いつかは有名人の顔になるのかもしれぬ。

 今回のことで言えば、犬の役は現場工事のオッサンなので、どんなに顔が腫れていても、一向に構わぬ、どころかむしろ味があって良いのだれど……

 ともあれ、そんなこんなで激しく進行中。

 わしは曲に詞をつけんとイカン。

 そんな中、土曜の夜は、ラジオに出る。
 NHKで、ケータイ短歌という番組。
 前に、出たが、2度目のお座敷。
 なかなか面白い番組だった。

 追記。
 今。思い出した。

 族どもが立ち去った浜辺で、血だるまになった、木原予報士は叫んだそうだよ。
 
 「海はみんなのものだ!」

 って。
 遙かなる、青春であったことよ。

 



切り替え(2007.03.05)

 日曜日は、RUP のやっている演技塾の講師をやりに行った。
 わしの他には、杉田成道氏とか、河毛俊作氏とか、羽原大介氏とかが講師をやっていて、受講者は、プロダクション所属者ばかりで、若いけど、皆、すでに芸能活動している人たちばかり。

 美少女、美少年の集まりである。

 『セリフの時代』において、わしはすでに我が劇団の研究所では、そういう原宿スカウトコースにひっかからない、アウトレット品を基本的に育成してゆくのだと、宣言している。

 でも演技のやり方に、違いはあるワケではないので、扉座とか、市民のためのワークショップとかで普段言ってるようなことをやってきた。
 わしは、玄人にも素人にも、同じスタンスで、向き合うのである。
 だから、相手が美少女でも、手加減なく、ビシビシとやってやったぜ。
 
 とは言うものの、天が与えたルックスというものは、不公平にして、圧倒的な説得力があるもので。

 13歳の美少女が、一所懸命、オジサン(わしのこと)の言うこと聞こうとして、緊張してしまい、セリフを間違ったり、手足が絡まってしまったりするサマは、ひたすら愛らしく、そのまま、お菓子のCMにでも使ってあげて下さい、という気持ちにさせられるのであった。

 劇団だったら、マジに腹立てて、フザケンナ、この山猿が、バカヤロー、とか言ってるとこなのに。

 可哀相な、扉座の若者達。

 でも、しかし、
 天からのプレゼントがなかった我が手勢たちには、妬むな、わしらにはわしらの道がある。
 がんばって、現場に踏みとどまり、ニッカポッカと地下足袋ブームを巻き起こそう、と言っておきたい。

 もっとも、あの娘たちの、ニッカポッカ姿も、見てみたいとは思う……
 たぶん、それはそれで良い見せ物になるだろーな。
 神様は、意地悪だ。

 それはともかく
 今日は、久しぶりに、ちょっと余裕の日。
 明日から稽古に入る、その前日。

 昼間、辛抱溜まらなくなって、家の前から、強風の中、池袋に向かう。
 ラオウとの闘いに。
 卒業式以来である。

 最近、家にも馴染んできて、顔を見ると、オトーさん、遊んで遊んでとじゃれてくる、ポーシャをむんずと掴んでゲージに放り込み、わしは行ってくる、とだけ言い残して。

 何度も当たりを引いた。
 だぶん高設定台だった。
 300廻すと何か当たる。
 なのに、続かない、続かない。
 一箱近くまで行っては、空になりかけ、またちょい戻す、みたいなことを何度も繰り返す。
 
 でも2時間ぐらい経過したところで、赤の7揃いで、青オーラ。
 3回目で、剛掌波をのけぞってよけ、
 5回目には、百烈拳を炸裂させる。

 蒼い光に包まれて、フッ飛んだ、ラオウを見た時、私は今日の勝利を確信した。
 んが、次のキックで、大地に沈む……

 『うおぉ、かんべんしてくれよぉ……』

 はっきりと声に出して言ってしまい、隣のオバサンと目が合ってしまった。
 ヘタレ・ケンシロウとともに、こんなとこでオバサンに哀れみの視線を受けている自分に耐えられず、ココロが折れる。
 コソコソと帰り支度を。

 結果、七百枚。
 負けてはおらぬが、

 とっても微妙。
 モヤモヤだけが残る、後味の悪さ。

 ともあれこれにて、私の休暇は終わり。
 明日からは、切り替えて『ドリル魂』の日々。

 それにしても『踊るアジア』みたいな、ステキな仕事した後、そのまんま、気分良く、次の仕事に取り組む、ことがなぜ出来ぬのか。
 一息つくにしても、こんな日は1日家にいて、じゃれてくるポーシャを可愛がってあげてればいいのである。
 横浜通いで、ほったらかしていたんだから。 

 わしゃなんで、わざわざ、ステキな気分をぶち壊すようなこと、やっているんだろう。
 という謎。
 
 
 
 
  
 



ひな祭りの日の深夜(2007.03.04)

 アジア制覇の翌朝。
 どっと疲れて、カラダが重い。別にわしが踊ったわけでもないのに。

 しかし朝から、モーとポーの険悪カップル、を実家の犬屋さんに連れて行き、シャンプーを。
 ポーが2度目の予防接種なので、その前に、さつぱりしとけば、という話。

 モーは歩かせ、ポーは鞄に入れて運ぶのだが、久しぶりの外出で、モーがデタラメに歩き回り、道程の遠いこと遠いこと。
 何とか、がんばって、折り合い付かぬカップル、を預けてわしは錦糸町へ。
 入試の2日目。
 
 入試は、年齢制限撤廃の甲斐あって、下は18歳から、上は50歳オーバー!までが、集い。またHP改変の甲斐もあって、例年になくバラエティに富んだ経歴の人々が集まってきた。
 いろんなとこからいろんな人間が集まってくる感じは、大事だと思う。
 演劇にとって、均質化は敵だ。

 その後、すみだパーク内でやってるエアリアルアートダンスアカデミーの卒業公演に。
 『ドリル魂』に出てくれる、エアリアル界のあやや、桧山宏子さんたちの公演だ。

 エアリアルだけでなく、さまざまなダンスも充実していた。
 倉庫の中の空間が、ますます上手く使われていて、雰囲気も洒落てて良い。
 ニューヨークのダウンタウン辺りの、前衛パフォーマンスとか、見ているような感じだった。
 実は錦糸町なんだけど。
 
 最後に、演劇の授業を受け持っていた、田中信也が、カーテンコールで呼び出しを受けていた。
 事情を知らぬお客さんは、あの人、誰?
 状態。

 空飛ぶ美少女たちに囲まれて、照れつつ頭を掻いている田中さん、
 わしらには、フィリピンパブで、ニューボトルを入れておだてられている、オヤジのように見えていた。

それにしてもこの集団。
 明るく元気で、お世辞抜きに美しくカワイイ。
 しかも、というか、最も大事なこととして、全員、空が飛べちゃうのである。
 このままでも、もっと注目されていいはずのものだ。
 彼女たちが、売れないのは、おかしいぜ。
 見れば、分かる。
 黙って一度、見てみたまえ! 
 
 その後、『いとしの儚』の稽古終わりを待って、茅野と合流。
 来年度の研究所の方針など打ち合わせ。

 そこにラッキィ池田氏から『ドリル魂』の振り付けについて、問い合わせがあり、いっそ今から行ってご説明します、といことになり、新宿区のラッキィ邸へ急行。
 邸内鏡の間にて、すでに振り付け助手見習いのような立場で、派遣しておいた里沙とも合流。
 『ドリル魂』会議をする。

 アジアが終わったと思ったら、一気に次なる課題が襲いかかってきた1日だった。
 帰ると抱きついてきたモーとポーの匂いが、とーっても爽やかだったのが、ささやかな喜びであった。

 ところで『踊るアジア』である。
 昨夜は、ダンスの神様が杉田にいた。
 
 たった1回の公演で、失敗したらそれっきりだし、演出家としても、もー黙って、見てるしかない本番だった。
 でも、そんなこと抜きに、わしは我を忘れて、見入ってしまった。
 
 言葉は一切ないけど、舞台に豊穣なコミュニケーションがある。
 踊ることで、国の違う人たちが分かり合っている。
 仲良くなっている。
 信じ合っている。
 愛し合っている。
 
 その瞬間を目撃というか、凝視することの悦楽。
 そのチカラが、
 踊れないアジア隊、という名の一般市民さえ、何か特別の存在に変身させてゆく。
 クライマックスには、あらゆるものが一つになった。
 
 ダンスはノーボーダーだ。
 常に言葉との格闘から逃れられぬ、我ら芝居者としては、軽い嫉妬を覚えたな。

 ながいながーいカーテンコールが終わって、
 楽屋に行ってみると、
 踊りの達人も、踊れない市民も、涙を流して拍手し合っていた。
 達人たちも泣いた夜、と記憶しておこう。  
 
 来週の火曜日に、NHKの夕方のニュースで、この模様はちょっと流されるらしいけど……
 しかし当然ながら、劇場で見なきゃ、分かんないよな、この感じ……

 ロビーでの全体乾杯の後、アジアの舞踊家達と、さよなら宴会。
 2年前、最初にお会いした時と同じ居酒屋で。
 
 すでに家族のようになった、仲間たち。
 翌日にはほとんどの人が帰国してゆく。

 また会おう、続きを創ろう、とはいうものの、そんなに手軽には会えないわけで。

 ひたすら寂しい打ち上げだった。
 最近は、どんな打ち上げでも、感傷的になるなんてことはないのだけど。
 これだけ遠くの友人たちと、一度きにさよならするのは、寂しいものである。
 ゲネと本番。
 疲れ果てているはずの舞踊家たち。
 それでも皆が、時の過ぎて行くことを、惜しみ、いつまでも別れがたく、尽きることなく、語り合っていた。
 通訳を待つのももどかしく、意味なく、抱き合い、気持ちを伝え合っていた。

 楽しい2週間だった。
 この成果は、是非とも何かに繋げたい。

 このメンバーで、グループを組んで世界を回れば、世界制覇も夢じゃないと、マジに思った。

 それこそ、ニューヨークのダウンタウン辺りで『踊るアジア』が連日上演されている図は、かなりリアルにイメージ出来る。

 
 



突貫工事(2007.03.02)

 小屋入りしてから、ドトーの如く、あれこれと同時進行して、プランを一気に現実にして行く。

 わしらは毎度毎度のことで、もう慣れっこだけど、アジアの方々は、こんな経験初めてだろう。

 そもそも照明器具を、こんなに使わないだろうしナ。

 平田オリザ君が言っていた。
 こんなに勤勉に図面通りに仕込みやって、小返しとか、分刻みでやって、小屋入り翌日には、幕開けるなんて、
 日本人だけだって、そんな無茶してるのは。
 明らかに、異常だし、
 そういう部分は、マイノリティーだと思った方がよろしいと。
 

 他の国では、小屋の寸法に合わせて、材木切ることからはじめて、あーでもない、こーでもないと、時間かけて進むんだって。

 人件費や、小屋代の仕組みがまったく違うから、出来ることだろうが。

 だが、そんなことはお構いなく、徹底的に、日本式スパルタ方式でわしらの支度は進んだのだった。

 そうやって、ガンガン進む上に、
 皆さん、
 あそこに立て、いや一尺戻りだ、ちょい後ろだ、と。
 あれやこれや言われて、気が狂いそーになったんじゃなかろうか。
 
 そんなこんなで今日は、何とか舞台稽古をやってきた。
 何度も同じとこやらされたり、
 じっと待たされたり、
 
 舞踊家サン方、さぞお疲れだったことだろうよ。
 そして日本人は気が狂ってる、と思っただろう。

 わしら狂気の日本人たちは、これぐらいは当然のような感じで、けっこー余裕で進みましたなあ、なんて笑顔で言い合っていたのだが。

 まあ異文化体験と言うことで……

 気が付けば、明日でこの愉快で不思議な、通い合宿もおしまいである。

 かなり寂しい気分になってきた。



劇場へ(2007.03.01)

アジアは明日から劇場入り。

今日、稽古場に行くと、韓国の、崔昌徳先生(韓国芸術総合大学教授)が嬉しそうに、インターネットからの打ち出しシートを差し出してくれた。

何か、変な兄ちゃんが写っている。

ハン・マダム という韓国の芸人さんらしい。

5年ぐらい前に、女装しておかしなことやって大人気になった人らしい。

教授曰く、この芸人が私にそっくりなのだと。

昨夜、開かれた宴会の時から、ずーっとそう言っておられた。

その証拠を今日、わざわざ持ってきて下さったのだ。

小さな写真で見る限り、似てると言えば、似てる感じがしないでもないけど、
わしが見るには、村上ショージと熊川哲也を足して2で割った顔、という感じだ。

はて、そもそも、その両人に、私は似ているだろうか?

今、私の髪が伸び放題でロンゲー、になってるので、そこが似てるポイントというのは確かだとは思うけど。

にしても、見たことない人に似てる、ていわれても、とにかく実感わかねー。

そんな昌徳先生は、私的には、知的にしてうーんと上品に改造した石坂史朗、なんだが。

先生も、ちょっとザカちゃんに似てますよ、なんて言われても、実感わかねーだろうな。



  





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