2007年02月                             

急速に(2007.02.28)

 赤道近くの国などから、真冬の横浜に来て、2週間も異文化の中で、初体験のことを、あれこれとやるのである。

 そんな苦労をさせて、たった1回きりの公演がガラガラだったりしたら、大問題だぜ!国際問題だぜ!またまた日本とアジアの間に新たな溝が生じるぜ、と製作部隊を脅していたのである。

 んでつい最近までは、ガラガラかも、なんて状態だったらしい。
 それが、週明けで、新聞記事とか、テレビのニュースとかの紹介もあり、一気に満員になったそうな。

 良かった!
 対日感情回復への道である。

 今日は、野毛シャーレで、通し稽古。
 演奏家との即興コラボーションが、とても濃密で豊かな時間に膨らんだ。
 徐々に溶け合ってくる、演奏家たち、四カ国の舞踊家たち。

 残すところ、あと3日。
 いよいよ、お披露目という期待感とともに、
 これでお別れの時が来てしまう、という寂しさが漂いはじめている。

 今回は実験的試演で、上手く行けば、アジアからワールドツアーへ、という能楽堂プロデューサーの言葉を信じて、ここまで来たわけであるが、マジで、上手く行ってる今、これで終わらせてはアカンと、関係者一同思い始めているところだ。

 だから、サヨナラじやなくて、ここから出発のはずなんだが。
 それでも、何か泣いちゃうかもな。

 言葉が違っても、文化が違っても、歴史の中に、哀しみや憎しみまであっても、
 一緒に一つの舞台を、必死で創る。
 そのことで、いろんなことが乗り越えられて、分かり合える。
 政治家だの、金儲けのビジネス戦士だのが、ゴチャゴチャやるより、わしら芸能者たちとか、スポーツ選手が、ガチンコやる方が、よっぱど、手っ取り早く確かな、国際交流なんだって。
 
 我々は、舞台という宝物で、結ばれていると、つくづく演劇の神様に感謝。

 最近は、わしの演出の言葉も、翻訳される前に、ダイレクトに通じているという実感がある。

 稽古はいよいよ明日で終わり。
 明後日、小屋入り。

 
 



アジアアジアアジア(2007.02.27)

 最初は、杉田という場所で、金曜の夜、試験的に1回だけの公演というのが、気楽で良いな、と内心思ってた。
 正直に行って、どーなるか、やってみなきゃ分からない状態だったから。

 それが、今や、なんでそんな人の集まりにくいところで、金曜の夜、1回きりなんやと、嘆いている。
 
 こんな傑作が、それだけで終わりなんて、おかしいぜ、と思い始めている。
 それぐらい良い感じに仕上がってきた。

 あくまで試演扱いなので、舞台の装飾なんかはゼンゼン不満なんだけどね。
 しかし、その分、シンプルに、踊りが際だって見えてくる、ということもあろう。

 時間の都合のつく人には、是非観て貰いたい。

 電車賃と、乗車時間分の価値は、絶対あると、宣言しておく。

 金曜夜、六時半開演!
 横浜から、根岸線で、18分の新杉田駅前の、杉田劇場にて。

 1時間20分のアジア踊り旅行である。
 
 



いろいろの日曜日(2007.02.26)

 まずマンションの管理組合理事会に出て、

 このマンションの構造計算には偽装はないが、計算上の強度がギリギリであることを知り、

 錦糸町に行き、
 11期の新人オーディションに。
 
 最近、応募が減少傾向で、このまま減っていくなら、わしはもう研究所は閉める、と宣言してのが、今年はケッコウ持ち直して、
 オーディションのし甲斐はあった。
 担当の田中、微妙に誇らしげであった。
 
 今回は、何よりも、雑多なところから人が集まっているのが良し。
 選考は来週の土曜受験組を見てから、決定する。

 年齢制限撤廃も、良かったと思う。
 集まった顔ぶれに厚みが出ている、と思う。
 そもそも、今年の研2(2年に進級組)の5人中2人は、実は年齢制限オーバーの不法入所組である。

 芝居は、そこそこ歳取らなきゃ、面白くなってこないもんである。

 オーディションを終えて、わしは同じスタジオ内で稽古している『いとしの儚』の稽古場に顔出し。

 すでに立ち稽古が進んでいて、しかも、儚は、もう歌や踊りや料理なんかも覚えているところ。
 それは急速な成長ぶりであった。

 山中崇『史』は、2度目なので、セリフはかなり入っているが、横山智佐さまは、あまりに早い稽古の進行に、ちょっと待ってくれぇ、テエヘンだよ、テエヘンだよ、と喘いでいた。
 それでも、気合い充分で、台本は手放していた。
 負けず嫌いなのよね。
 頼もしい限り。

 稽古後は、新研2の歓迎お食事会を。
 いつも行く近くの台湾飯屋で。

 途中呼び出しがあって、韓国本土より上手い韓国料理店ハンラサンへ。

 稽古を終えた、智佐さまに、茅野や山中、草野徹氏や、語り継ぐ者に出てくれた権藤君らとしばし歓談。

 帰って、雑文書きとかしようと思ってたけど、疲れ果てて風呂にも入らず、寝た。

 んじ今朝早起きして、いろいろやって。
 今から風呂も入り、
 横浜に向かう。

 慌ただしいぜえ。
 そして2月は逃げて行く。


 

 
 


 
 
 



土曜日(2007.02.24)

 『踊るアジア』、演奏家も入って、関内ホールと言うところで通し稽古。
 演奏は和太鼓パーカッションと、チェロと笙という、ゴージャスで不思議な編成。
 
 鼓で、バリダンスと、韓国舞踊が同時に踊る、なんてことが時々起きる。
 しかしそれがサイコーに

 COOLである。
 誰かそのまま、高級車の宣伝にでも使わないかね、って感じ。
 
 通しの成果は、あと一週間というところで、すでにかなりの完成度だった。
 わしらスタッフは少なからず、びつくりだ。

 稽古に入る前は、もっと大混乱になってて、こんな時期に通すなんてゼッタイ無理と思っていたのだ。
 自分らで予定立てておいて何なんだが……
 むしろ、大問題を浮き彫りにするために、ここで無理くり通すのが当初の目的だった。

 それが、そんなに大問題は見えなくて。
 むしろ、良いねえ、て感じで。

 結局、本日の稽古を休みにした。

 それを舞踊家たちに伝えたところ……
 喜んだ、喜んだ。

 そりゃまあ、せっかく日本に来て、ずーっと稽古の日々でしたからなあ。
 にしても、まるで授業がなくなった学校の生徒みたいに、世界的なダンサーたちが、たった1日のお休みを無邪気に喜ぶ姿は、とても可愛かった。

 昨夜は前から予定されていた、親睦会。
 踊れないアジア隊の皆さんも一緒に。
 途中から入り乱れて、通訳なしで、互いに何か語り合う。
 アジアの混乱。その中の、自然な調和。

 今週号と、来週後の『週刊金曜日』に平田オリザさんとわしの対談が載ってて、今わしらはどんな風にアジアとコラボレーションしてゆくべきかを話し合ったのだが、
 その結論である、

 わしらはイデオロギーを越えた、稽古場と舞台という現場で、ダイレクトに衝突と融和を繰り返し、ちょっとづつ仲良くなってゆくしかないのだ。

 という言葉そのままの情景がそこにあった。

 尚、2週続きになった対談の、来週分では、わしと仲間たちが、福岡の国民文化祭、開会式で体験した、出来事を初めて公に語ってみた。
 我々と南京の皆さんとの間に起きた、ちょっとしたエピソードであるが。

 私の中ではまだ未解決の問題で、
 この『踊るアジア』の中でも、私は解答を探し続けている。

 ともあれ、
 ダンサーたちにとって、大事な横浜での休日。 
 今日がすっきり晴れてて良かった!
 
 そんな中、わしは溜まった原稿書きとか、雑用とか。
 家に来て以来、まだポッポのこともちゃんと構って上げてないし。
 何とか、ポッポとモーの、仲を取り持たなくてはならないし。

 せっかくお嫁さんに来て、花婿さんが、そんな態度じゃ、そりゃダメだろ、ポッポだってそのうちゼッタイ、愛想尽かすぜ。
 という感じなんだ。

 あと、今日は夜から『ドリ魂』の美術打ち合わせもあり。
 今回は、初めてのお付き合いになる、秋山さんという気鋭のデザイナーにプランをお願いする。

 まだまだ世間は『ドリ魂』において、わしらが何に挑もうとしているのか、
 どれほど本気で、
 この奇妙なことを実現しようとしているのか、
 それに気付いてくれていない様子。

 ただの若手公演じゃないのである。

 少なくとも、わしは本気である!
  



余裕と焦り(2007.02.23)

 アジアは、存外上手く行っている。
 まあ、名人ばっかり集まっているので、やれば良いに決まっていたが、
 その肝心の
 やってくれるか、どーか。
 実はわしも含めて、スタッフもかなり半信半疑であった。

 で、まあ大混乱は必至であろうと、覚悟を決めていたのだけど、
 みなさん、ホントーによくやって下さっている。

 
 そんな中、昨夜狼狽えた。
 
 もう終わったのだと思った『生本』があと一回残っていたそうな。
 わしはここでも、これにて終わり!
 とか宣言していたが、
 撤回する!

 あと1回あります。
 んで、大リニューアルなのだそうです。

 勝手に終わらせてゴメンナサイ。
 というワケで、わし、大慌てで書かにゃならん。

 んで、ついでに整理しておくと、
 この4月、『ドリ魂』公開に合わせて、連載をまとめたエッセイ集が刊行される予定。
 
 知ってる人は知ってると思うけど、
 けっこー軽めのヤツですワ。
 
 気にして下さい!

 



新杉田(2007.02.22)

 横浜市磯子区の杉田劇場という場所で稽古。
 むかーしちょっと良い感じだった女の子(女子大生)を、ボロボロのブルーバードで送ってきて以来の新杉田だ。
 25年前かよ、だが。

 ひたすら異文化交流が進む。
 でも出演者は、とても熱心で、ワークショップなんかもやってくれる。
 踊れないアジア隊 大儲けである。
 今日は、バリダンスの巨匠お2人の特別講座。
 あまりにもったいないので、わしは新研2(2年生)を呼び寄せて、受講させた。
 バリに20年住んでいるという通訳さんが、2人がこんな踊りを踊るのは見たことない、なんていう貴重なモノまで見せて頂く。
 本当に、サービス精神の塊のような人々。
 でも、

 我らの踊りの第一は、観光、娯楽ではなく、神への祈りです、と。

 何だか心の洗われる時間である。
 そして『踊るアジア』は大傑作の秘密上演作の道を着実に歩んでいる。
 別に秘密でなくてもいいんだけどなあ……
 杉田 ってどこよ、だろ。
 普通。

 ところで昨夜、稽古後に、浜松町へ、ダバシ工務店は結集した。
 文化放送において、広井王子氏と横山智佐さんを待つ。

 その後、緊急対談を。

 『愛しの儚』と『ドリル魂』
 横内関連作品、連続上演に向けての、動きである。

 そもそもわしが、東京建築ショウを始めたのは、広井氏と、ラスベガスに行って『O』を見て触発されたのが、キッカケである。
 その広井氏のプロデュースで『愛しの儚』が上演され、それから4週間後には、わしの新作が上演される。

 不思議な縁を感じるのである。

 対談の模様は、このHPでも公開予定。
 今、田中がテープ起こしをしているだろう。

 にしても、田中は今も、カセットテープの録音機。

 せっかくだからうちのページにも載せたいと、広井さんの会社、レッドカンパニーが用意したのは、何だか分からない、NASAの武器みたいな超高性能集音マイク付き、デジタル録音機であった……

 だが問題は、原稿の仕上がりである。
 がんばれ田中!と励まそう。




 せっかくお嫁さんが来たのに、
 モーは、喜ぶどころか、顔を見ては吠えまくり、
 未だ一度の接触もありませぬ。

 大丈夫なのか……
 そんなモーの態度にもまったくめげず、遊んで遊んで、お兄ちゃんと、定期的に突撃して行くポーちゃんは頼もしき限りであるが。
 仲良くさせる手立て、誰か知らぬか。
 
 
 

 



アジアの人々(2007.02.20)

 案ずるより産むが易しと申す。

 アジアの伝統芸能の人たちに、カウントなんてものが通じるのか?
 チェロの奏でるメロディーで踊れるのか?
 そもそも、わしの言うこと、聞いてくれるんやろか?

 ぜーんぶ、心配しすぎであった。

 説明だけ聞いてる時には、明らかに不安げな気配があった、アジアのご一同。
 いざ稽古場に入り、音楽が聞こえてくると、理屈より先に身体が動き出す。

 踊りの人たちなんだなあと、改めて思う。

 まあ、集まった演奏家も、これまた皆さん一流の人たちなので、それ聞いてるだけでも、面白いのではある。
 〆太鼓と鼓などの和楽器パーカッションと、チェロと、雅楽の笙。
 の3人編成。
 天才・佐藤容子の采配である。
 扉座では普段しないような、芸術モード全開である。
 でも、これがカッコイイ。

 一般参加の『踊れないアジア隊』が稽古場で、稽古を見てるのもチカラになっている。

 プロの舞踊家だから、人に見られているのと、いないのとでは、明らかにエナジーが違うのである。
 それやこれやで、
 今後に期待の膨らむ、稽古突入であった。

 午前11時の打ち合わせから、何やかやで午後9時近くまで。
 あんまり休みも取らずに、ずっと地下の稽古場に。

 よく働いたオレであった。
 しかし、イチイチ起こることが面白いので、退屈しないし、まったく飽きない。

 今日のヒットは。
 バリの通訳さんが言った、
 「バリ人がこんなに慌ててる姿、初めて見た!」

 皆さん、明日の人間国宝みたいな踊り手たちなんだけど、果敢に初めてのことにチャレンジしてくれている。
 その結果、珍プレーも様々起きる。
 しかし、そんな時に稽古場に、新しい風が吹いて、気持ちが通い合い、何かが解け合って行くのを感じる。

 ただ出来ることだけ、摺り合わせても、こうはいかない。
 人はともに困難に向かうときに、本当に仲良くなるのだ。
 と言っておこう。

 明日も稽古。
 実は『いとしの儚』の稽古初日なんだけど、こっちを離れるわけにはいかず。
 まあ、イサムがきっちりやるだろう。

 ただし、夜には、広井王子さんと会って、『いとしの儚』と『ドリル魂』の扉座関連連続事業のための、対談を執り行う予定。
 その対談の様子は、当HPで公開予定なので、待っていて欲しい。



 やってきたお嫁さんは、まだ我が家に慣れず。
 クンクンと鼻を鳴らし続け。

 花婿さんのモーはモーで歓迎の様子は微塵もなく、頑なな警戒態勢。
 オメーのために、来て貰った、お嬢さんや、ちゅーに。

 本当にこれで、夫婦になれるのか、この子たち、って感じ。

 嫁の名は
 





 ポーシャちゃん。


 悪いシャイロツクを懲らしめます。
 
 

 



開始(2007.02.19)

 韓国 タイ バリ島 日本の四つの国と地域の伝統舞踊家による、舞踊公演『踊るアジア』の稽古が本日より、横浜で始まった。

 来日組六人も、冷たい雨の中、無事到着。
 ともに舞台に上がる、総勢二十数名の『踊れないアジア隊』の出迎え。そして顔合わせ。

 今日は軽く打ち合わせだけして、明日から本格的な稽古に入る。
 ちょっと一言しゃべっても、その言葉がたちまち三カ国語に化けて飛び交うことになる、現場。

 だいじょーぶか、と思う反面、今はただ、これから何が起きるのか、ワワクワクの気分が勝る。
 
 それにしても、昨日の竹取の、筋肉疲労が、今日になってひしひしと響いてくるという、情けない状況である。
 明日は更に、筋の深みで、ツッパリ感とかが来そうで、恐ろしい。
 昨日は全体がダルイだけだったのに……
 痛み神経も、ユルユルになってるんだろう。

 なのに、今日、調子に乗って『踊れないアジア隊』の人々とともに、竹の切れ端を持って、リズムに合わせて叩く練習なんかやってしまった。
 自ら、そんなものに混じるなんて、最近は滅多にしないのに。
 練習を見てて自然に、参加したくなった。

 わしが、盛り上げるのだ、という使命感より、むしろ素朴にワクワクしているのだと思う。
 何しろ、竹も切る、フォーエバーヤングのわしである。
 
 ともあれ、明日からもずっとワクワクが続けばよいが。


 で、皆さんと楽しく、初日宴会なんかやった後、家に帰ると、
 我がモーツァルト君の、満一歳の誕生日プレゼントが届いていた。
 それは……

 嫁である。

 
 



19回目のキック(2007.02.17)

 昨日、午前10時に週刊金曜日にて、平田オリザさんと対談。今、アジアのアーチストとともに、何かやることについて。
 
 そのあと、東京カレンダーで『ドリ魂』についての取材をして頂く。
 
 そして午後3時より、第10期性卒業式、続いて謝恩会という名の、最後の居酒屋呑み会。

 帰宅して、金曜日の書評を書く。

 本日は 午前8時に赤星と待ち合わせて、厚木へ向かう。
 『踊るアジア』で使う竹を採りに。

 市民応援団の、大塚さん、古座野さん、松下さんにまでお手伝い頂き、愛川町のお寺の山で、直径20センチはあろうかという立派な孟宗竹たち、総勢30本ほどとバトルロワイアルを。

 厚木に関係のない催しなのに、我々と一緒にお手伝い下さる、大先輩方。
 扉座の若手も来ていたので、わしは見ているだけのつもりだったけど、先輩を働かせて、自分だけサボるわけにはいかず、
 
 10数年ぶりに、のこぎりを握った!
 竹も担いだ。

 結果、今も、うっすらと腰が痛い。
 いつにない早起きと、労働……
 画期的な1日であった。

 厚木から飯田橋に帰り(電車内は、爆睡であった)、夕方から2年の研修期間を終えた、2年生たちと面談。
 
 明日から横浜通いで、アジアンダンスの日々なので、一気にいろいろやらなきゃアカンかった……

 んで本題。

 昨日の、取材終わりから、卒業式までの間だ。2時間ほど空きができた。

 錦糸町、ミトヤで久しぶりに、北斗の拳に挑む。
 どうせアタりゃしないんだから、ケンシロウたちと変なジープで荒野をさすらいつつ、卒業式で言うこと、考えようと思った。

 リニューアル北斗は、変なジープで走り続けて、たまーに、敵との闘いを始めるのである。

 案の定、1万円ほどアッサリ飲まれて、もう帰ろうと、いう時に、2チェに入る。
 んで仕方なく、また両替。
 2チェ・スルーならヤメだと、私のバチスロ虫にきつく言い聞かせている時に、シンとのバトル。3回目にキックを受けて水色の血にまみれ、バシュ!かと思ったら、

 なんと、
 バットが窓から身を乗り出して、ケーンと叫ぶ。
 そういえばコレ、ニューヨークのハンバーガー屋で、わしが叫ばれた感じと同じだった。(不明の人は、過去日記参照のこと)
 だから印象深かったんだ。
 
 ともあれ、目出度い。
 が、どーせ、アッという間に、終わるんだろうと思っていた。

 とにかく、弱気と、諦めが先行するのが最近の傾向なのである。
 それほど、期待を裏切られ続けているのだ。
 この時点で午後2時すぎぐらい。
 まあ、なんかお菓子でも取っていければ、と思った。
 青7の青オーラだったし。

 案の定、一回目から燃えるミカンを喰らう。
 で うっ と倒れるケンシロウ。

 い、1回終わりかよ!

 と心が折れそうになり、ザケンナよ、もう二度と、北斗なんかやんねーよ、バカ!
 バシリとレバーを叩くと、
 
 すると今度はリンが

 ケーン!

 おお、またNYのハンバーガー屋である。
 
 復活したケンシロウは強かった!
 7回目で 愛を取り戻し。
 12回目で トムキャットの、カツポレカッポレに突入。
 最初にミカンを投げつけたラオウは、その後、人が変わったようにヘナチョコになり、ネコパンチの空振りを繰り返し、
 我がケンシロウのキックを股間に受けまくる。
 何のことか分からない人は、パチスロやる人に聞いてくれ。

 もしや、このまま、ラオウ昇天に至るのでは……
 そんな気配がプンプンと漂ってくる。
 周りのオッサンとオバサンも、すでにさっきから、チラ見を通り越し、ジト見体勢だ。 

 んが、ここで大問題が……
 この時点で、2時二十数分あたり。
 
 無限継続はケッコウだが、この後、私は、卒業式を控えているのだ。
 所長として卒業証書とか、渡さなきゃイカンのだ。

 まさか、パチスロのために、遅刻するワケにはいくまい。
 でも、こんな時に限ってケンシロウは、いい感じで喰らったキックからも、見事に復活する。
 
 私は覚悟した。
 パチスロのために、卒業式を遅刻した校長先生。
 これが、普通の学校だったら、即刻懲戒免職だろうよ。
 んが、ここは演劇界だ。
 
 これで式に遅れたら、それもまた伝説になるだろう。

 とことんまでやるぞ。
 決意して、19回目のレバーを叩く。
 20回に到達で、ラオウに勝つまで継続する、昇天コースだ。
 
 始まったラオウの攻撃。
 キックだった。
 微妙だけど、何度も立ってるケンシロウだ。
 とりあえず、赤い光にまみれて、吹っ飛ぶ。

 そして、ウッと呻いた。

 それでは

 またまたまたケーンか?

 が、そこでバシュ!とすべては終わった……

 時計を見ると、2時35分。
 とりあえず、30回ほど廻して、何も起きないのを確かめ、モソモソと両替して、稽古場に。
 10分前に余裕で到着。

 証書を持つ赤星が遅れて来たので、その間に、校長のお言葉もちゃんと考えられた。

 結局、キッチリと、予定をこなした私。
 
 その運命の不思議さを、何度も反芻していたために、式から呑み会の合間も、たぶん私は、物思う顔になっていたと思われる。

 どことなく、寂しげ……みたいな。
 19回目で終わった、この日の勝負の意味を。
 
 神は私に何を問いかけておられるのだ?

 たぶん誰も、私の中で、そんなことが起きていたなんて、気づきもしなかったであろうよ。
 まさかパチスロのこと考えてたなんてな。

 そして伝説はまだ生まれていない。



前へ(2007.02.15)

 満身創痍のラブ×3が、何とか終わった。
 わしはまったく無傷であるが、出演者がバタバタ倒れておった。打ち上げも、全力を使い切った若者達は皆、疲れ果てて、店のアチコチで討ち死に状態。さながら野戦病院のような風景であった。
 そんな中で、ひたすら元気なのは、有馬先生と、犬飼先生、みたいな……

 ともあれ、今までの10回で、最も多いお客さんを集めて、とても盛り上がった、記念すべき10回目のラブ×3となった。

 さて、ここからはいよいよ、劇団本隊の活動に入る。
 今日は事務所で、音楽監督の長谷川雄大さんや振り付けのラッキィ池田さん、彩木映利さんらとの第一回打ち合わせを行った。

 長谷川さんは『阿国』などの音楽監督で、ミュージカル界では有名な人である。わしは福岡での国民文化祭など何本か一緒に仕事をしてきた。
 豊橋オーレも、長谷川さんの仕事である。
 ラッキイさんと彩木さんは劇団では『アゲイン』でお馴染みだけど、最近は黒木瞳さんのミュージカルの振り付けなんかもやっているらしい。

 今回の『ドリル魂』は、声高に名乗ってはいないけど、内心はかなり本気で、ミュージカルというものにチャレンジしようと思っているのである。
 それはスタッフの顔ぶれを見れば、分かる人には分かる。
  
 んでただ今、台本上、使う曲は15曲ほど。
 その全部を今回新作オリジナルで、作曲して頂かなくてはならない。
 そしてその後、その大半にわしが歌詞を付けて、歌にする。
 しかる後に、振り付けを考えて頂くのである。

 しかも、大事な部分は、また最高の盛り上がりは、今回はゼッタイにセリフではなく、歌と踊りの場面で達成したいと思っている。
 芝居の繋ぎに、歌や踊りが、はさまっているのではなく。
 最も良いとこを、歌と踊りでヤルのである。
 つまり、本格的なミュージカルである。

 けど、そんな野心とは裏腹に、その工程を考えて、軽い目眩が起きた。
 本当に、そんなこと出来るのだろうか……

 しかしっ、
 打ち合わせの終わりに、長谷川監督が呟いた。
 
 このメンツで作って、カッコ悪いのをやるワケにいかんでしょう。
 
 おお、何と力強い、宣言か。
 本当は、誰よりも先に、わしがそう言わなきゃイカンのに。
 そうなのである。
 これは仲間内で、ちょっとした思い付きを、試してみました。
 みたいな軽い話ではないのである。
 
 そもそも、将来、劇団でミュージカルとか出来るようにしようと、研究所を始め、そこでは歌や踊りのレッスンに力を入れることにしたのである。
 その将来がついにやってきて、今、その成果を世に示す時なのである。

 正直に言って、今のチラシなど見ても、そういう気配は今イチ、伝わりにくいだろうと、私自身感じている。
 また、今日、手に取った轟組版『扉座通信』では、何だか意気込みだけが空転してて、ますますもって、何がしたいのか、お客様方にご理解頂くのは難しいであろうと思う。

 ここんとこを、これから何とか上手く伝えて行かなきゃイカンなあと、切に感じている。
  
 まあ、まだ時間はあるので、じっくりと進めていく。

 わしが、かつて夢見た、将来が、今、ついにやって来た。
 
 そのことを是非、覚えておいて頂きたい!
 わしももう一度、自分に言い聞かせた、バレンタインデーの夜。

 

 



日曜日(2007.02.11)

 ラブ×3は 田中部長と有馬講師が、付きっきりでやってくれているので、まったくお任せ。

 初日も安心して見ていられた。
 とにもかくにも、2時間20分、人を退屈させないだけでも大変なことで……

 まあ、俳優人生のスタートとしては、皆、良い船出であったと思う。
 私はあと、明日の楽日に行く。
 お客さんも大勢来て下さっているようで、良かった。
 
 初日、隣にリサが居て、思いつくポイントをメモって貰っていたのだが、終わって客電がついた時、真っ赤な涙目になっていた。
 これに関わる先輩達も、本当に大変なのだ。ギャラなんかないのに、後輩達に奉仕するのだ。
 特に リサには振り付けデビューであったし。
 
 初日はいつも、見に来た劇団員と、手伝った先輩達が、近所の飲み屋に行って、乾杯する。
 出演者は誰も呼ばない。
 でも、結構、熱く盛り上がる。
 研究生の公演だけど、やっぱり劇団の公演なのである。

 ところで、六行会ホールをサボって、わしが何をやっているかというと、ドリ魂 の台本書きである。
 いつもより、ゼンゼン早い、取りかかりだ。

 しかし、今回は 歌が10数曲必要なのだ。
 しかも、全部オリジナルで行く予定。
 
 あまりに不遜なので、ミュージカルと名乗るのは遠慮しているけど、実質はミュージカルを作るつもりなのである。
 そもそも、今までの建築ショウで試してきた、本格的建築行為のほとんどは、厚木のホールや紀伊國屋ホールでやれるものでもないのである。
 
 作曲は、国民文化祭などでお世話になった、長谷川雄大さんである。木の実『阿国』とキンキ『shock』の音楽監督だ。
 そんで振り付けは、今回はラッキイ池田氏と彩木映利さんにお願いする。
 
 ミュージカルと名乗らぬ割には、かなり本気体勢なのである。

 次の日曜から『踊るアジア』でわしは2週間、そこに没頭しなくちゃいけないので、どうしても打ち合わせを週明けにはやりたい。
 そのために、家にこもって仕事をしているのであった。

 んで余談。

 執筆にあたり
 現場のことを調べている時、ふと『轟組』を検索したら。
 現実に 高知県に
 
 『轟組』
 
 という建設会社が実在していた。
 全国に名が轟くように、命名したとか書いてある。

 うちの『轟組』と同じじゃねえか。
 早速、連絡を取って、義兄弟の杯を交わした方がいいぜ、と。
 うちの轟さんたちに伝えておいた。

 あと、今回は
 現場作業着のアルマーニと呼ばれる、一流ブランド

 寅壱 

 様よりご協力が頂けることになった。
 そもそも、鳶さんたちの現場作業着がカッコイイから、あれみんなで着て踊ったらカッコイイんじゃないか、と思ったとこから始まったのが
 
 東京建築ショウである。
 
 扉座の人々は、レオタードとかはまったく似合わんが、ダボシャツやニッカポッカに地下足袋は、誰よりも見事に着こなすのである。
 もちろんスコップや、ツルハシを手に持つ姿もバッチリ決まる。
 扉座の名作『ジプシー』で、カンさんたちドカチンチームが活躍して以来、これはもう伝統的に、家の芸とも行っていい。
 
 今のところ、カッコウだけは出来上がってる。
 期待して頂きたい。

 
 
 



誕生日!(2007.02.09)

 ただ今、8日の深夜。
 モーの誕生日(9日)になった。
 
 1月27日生まれだったはずが、誕生日詐称が、血統書によって判明し、この日の生まれに訂正された。
 結果、楽聖モーツアルトと同じ1月27日生まれという、名前の根拠を失い、意味なく、ただたまたまのモーツアルトとなったのだった。

 そんな中、わしは『踊るアジア』のことを考えつつ、『ドリ魂』を書き、ラブ3を見守るという日々を過ごしている。
 明日は初日なので、ラブ3に行かなくては。

 犬の誕生日のために、ラブ3を休むまでにはなっていないのが、何よりである。
 わしはまだ、健全だ。

 ちなみに、ただ今のキーワード、である。
 健全。

 まあそもそも健全とか、不健全とか、そーいう区分けの仕方がもはや、時代錯誤チックなのであろうな。
 
 そんなこと、テメーに判断されたくねーよ、ってね。
 昔なら政治家は、国民に道徳教育するような立場だった部分もあるだろうがね。
 人生訓なんか説いたりして。

 しかしもはや、インチキはバレバレだから。
 
 どーせ、赤プリで、会議の合間に怪しい愛人呼びつけて抱いたりしてんだろ。
 みたいなね。
 
 そんなことはどーでもよい。

 で、お誕生日のモーにプレゼントは何か?
 と言えば、
 実は、スッゲーものが支度されている。

 はっきり言って、ワシもそんなプレゼント貰ったことはねーぜ、って感じのもの。

 それはまだ発表は出来ぬのであるが。

 誕生日と言えば、ワシの誕生日吉例の人間ドッグが危機である!
 郵政省の簡保ってヤツの、センターに行ってたのが、それが今年の夏で廃止されるんだと!
 郵政民営化の流れであろうか。

 わし、郵政民営化賛成!だったのだが、思わぬ所で、痛手を被ることとなった……
 代替施設を探さねばならぬ。
 んが、せっかく慣れたのに、またイチからドキドキのやり直しになる……

 今から憂鬱。
 やっぱり民営化反対!
 



新馬場に行ってやって欲しい(2007.02.07)

 昨日は『踊るアジア』の杉田劇場の視察に行ったり、新中野へ別件の打ち合わせしたりしていた。

 一昨日は、ラブ3の通し稽古。
 わしが見るのは最後だった。
 なので、どうしても気になるところを通し後に、ちょいと手直し。

 リサのダンスもかなり良くなっていて、労を労いつつ誉めたりして。
 
 で、その間、稽古場で田中さんや有馬さんのダメ出しが行われていた。
 小一時間のケイコが終わって、まあ、両先生に、ご苦労様とか行って帰ろうとダメ出し終わりを待ったが、これが9時過ぎに始まり11時を越えてもまだ続く。
 
 結局、オヤスミさよならを言えたのは12時近かった。

 恐ろしい情熱!
 細かく細かく、指導されているのである。
 
 その、幸せ地獄。
 
 研究生も大変である。
 ここ一ト月は朝8時前集合、11時過ぎ解散、時にはもっと延長~
 みたいな暮らしが続いている。
 しかも、踊って歌って、道具造って、叱られて叱られて……
 みたいな日々だ。

 もともとよく寝る奴らで、秋頃は、何でこいつらこんなに寝るんじゃ、とわしに何度も嫌みを言われていた若者ら。

 それが罰ゲームのように、今は、睡眠や休息を削られている。
 稽古の合間、廊下で、討ち死にのように倒れている者も数名。
 立っていても、寝てしまいそうだけど、今は寝られない。
 
 やらなきゃいけない時が、人間誰にも来るってことね。
 しかし、落伍者なし。
 これが偉い。
 全員が、やり遂げ体勢に突入している。
 
 彼らはもう稽古場を出て、劇場に入っている。
 そんな血と汗の結晶を晴れ舞台に乗せるために。

 いつもこの時期が来ると、お誘いというか、お願いしている。
 少しでも多くの人に、彼らの姿を見て欲しいと。

 まあ、研究所の卒業公演としては、普通では有り得ない、びっくりするような観客数を集めて、しかも有料で、過剰に熱く本気モードでやっているのが、ラブ3だけど、
 
 それでも当然ながら、出演者の身内が見に来るものになっている。
 でも、やっていてつくづく思うのであるが、ここには演劇の原点がある。
 無骨で、無様で、まる裸だけど、
 圧倒的な、劇的リアリティが溢れている。

 特に、進路に迷っている人に見て欲しい。
 役者を目指す人は当然のこと、それ以外でも、何か今の状況を変えたいと思っている人たち。

 ここにあるのは、
 若者が、一つ大人に生まれ変わる、通過儀礼の瞬間である。
 
 確かな通過儀礼が社会の中に消え失せて、
 いつまでも曖昧な子供気分でいなきゃいけない、不幸な若者たちで溢れかえるこの都会で、
 こんな無茶で野蛮な体験をし、

 古い自分と訣別をしようと試みている者たちがいるのである。

 大金叩いて、世界一周するだけが、自分探しの旅ではないぜ、 ナカタ君。

 新馬場六行会の舞台でみつかる自分もいるのだ、
 と声を大にして言っておく。

 
 

 
 
 



江古野博士(2007.02.03)

 今日、テレビを見ていたら、ブッシュに負けて、今は環境問題を訴える人になった、ゴア氏が出てきた。

 んで、地球温暖化についてミニ講演をしていたのだが、

 これは 江古野守博士の「地球タイヘン大講演会」じゃないかと思った。

 愛知地球博の愛知県館で、関わった、愛知パピリオンの演し物である。
 環境問題を烈しく憂える、江古野博士という人が、このままではタイヘンだと、必死に講演するのである。
 約20分の講演を、期間中で計3000回以上やった。

 もはや、愛知博も過去の思い出になりかけているが、

 これはわしらが2年前にとっくにやってた、ことだ。
 と言いたい。

 そもそもアメリカは、一番二酸化炭素を出しながら、京都議定書からも勝手に外れているCO2の問題児なんである。

 まあ、そこからゴアさんのような人が出てきたことは、とても貴重なことなのであるが。
 そしてついでにいえば、この機会に、ブッシュには是非終わって欲しいと、自国の選挙にもそんなに積極性のないわしも、これはかなり切実に思うのである。
 イラクからもいい加減手を引いた方がいいじゃないか。
 今度はイランに攻め込む気らしいが、
 そんなのいらん
 とアエラの中吊りがいう前に言っておく。

 ニューヨークで見た、アベニューQというミュージカルで
 『今だけとのことさ』
 という歌があって、辛いけどまあ、今だけだろうからがんばろう、
 みたいなラストの歌なんだが、
 その途中で、
 ジョージ・ブッシュ!
 と相の手みたいな叫びがはさまり、それも

 今だけのことさ~

 となったとこで、場内大歓声になっていた。
 ニューヨークでは、ブッシュはとても不人気だって聞いてたけど、確かだった。
 
 それにしても、究極のエンタテイメントであろうミュージカルの中(なにしろそれはセサミストリートの体裁の人形たちが演じる舞台なのである)でも、こんな政治的なギャグが入って、大爆笑が起きる。

 大人の娯楽だなあ、と思う所以だ。
  
 と、そんなこと思いつつ、わしは『ドリ魂』の台本書きに励んでいる。
 単純な、娯楽作にはしないつもり。
 
 ゴアの講演会と映画は、今、大きな反響を生んでいるらしい。
 是非、江古野博士とゴア氏との対談を実現させて頂きたい。

 愛知県が呼んで仕掛けたら良いんだけど……
 世界に先駆けて、それを訴え続けていたという自負を持って。

 でも今、知事選でそれどころじゃないだろうな。
 
 ああ、目先の票の取り合いで、大事なことがどんどん、切り捨てられて行く。
 



らぶ3(2007.02.02)

 佳境に入ってきた。
 メンバー全員、もはや僅かの余裕もないという感じで、切迫した顔をしている。

 4月辺りの顔と比べて、きっと別人のような顔つきになっていると思う。
 まあ、くたびれ果てて、ヘロヘロには違いなんだが、でも、生命力は燃えてるはず。
 
 一言で言えば、目の輝きが違うと思う。
 いろんな面で至らぬところがあるのは仕方ないけど、精神力が足らぬと言うのは、どんな言い訳にもならない。

 そのスタートラインというか、最低ラインクリアぐらいまでには、ようやく追い付いてきたかなあ、という感じ。
 まだ初日まで一週間あるので、ギリギリまでがんばらにゃイカン。

 今回は、リサが、初めて振り付けに参加している。
 最近、ワークショップなどで、とても頼もしいので、更に大きな戦力になって欲しくて、敢えて機会を与えた。
 
 『セリフの時代』のインタビューでも語っているけど、うちの研究所は、座員が育つ場にもなっているのだ。
 ここから茅野が演出家になっていって、今の活躍は、言うまでもないし。
 田中も、教育部部長として、新人の育成と、加えて演出も学び覚えている。

 新米先生ってのは、不安なとこも多々あるけど、ひたむきな情熱があるからね。
 わしなんかもう、若い人たち見てても、たいして驚きも感動もないというか、それではイカンと、自戒はするものの、やはり今までの経験の量がありすぎて、

 どれもが、いつか見た風景に、思えてきてしまう。
 若者が泣いてる姿も、悩んでる姿も、喜んでいるところもね。
 なにせ、ラブ3だって十回目だ。

 でも、リサにとっては、見慣れたラブ3も、今回はまったく別のものになっているはず。
 そこに、新しいエネルギーと思いがこもる、はず。

 そこを強く期待している。

 昨今、巷で言われている、教育改革。

 わしは次々に新人先生を登用し、現場に送り込むのが一番だと思っている。
 
 ダメなら、すぐに首切って、また新しい人を、どんどん送り込む。
 小学校とかいくたびに思うけど、先生の高年齢化も確かに、問題なんだが、なんちゅうか、精神の初々しさ。
 
 驚きと感動に欠けているのだと思う。
 
 当たり前だ、汗と涙の、ラブ3でさえ、人は10回も続けると、見慣れた風景に思えてしまうんだ。
 学校で生徒達と過ごすことも、長く続ければ、退屈な苦役に思えてきても不思議じゃない。

 退屈を感じない人を、そこに大勢おくべきなんだ。
 その大勢を、経験のある少数がサポートすればいい。
 
 それは別に、年齢の問題ではないのである。
 別に年寄りでも構わないんだ。
 ただ、新人として刺激を楽しみ、新しい分野に飛び込むときのエネルギー、情熱を発揮できる人ならば。
 
 そんで、最近ちょっと感動できなくなってる古株先生たちには、学校を離れて、別の経験とかして貰う。
 そこで、新人になるのである。
 たとえば、生徒じゃない、市民に教えるでも良いし。

 有馬だって、工学院に先生に行ったり、扉座研究所で、若者たちに教えたりするようになって、芝居に厚みが増してきたとわしは思うぞ。
 
 慣れたところにだけいると人間はゼッタイ、ダメになる。
 と思う。
 
 
 



オレ……(2007.02.01)

 さっき気付いたんだけど、ずっと やまなかたかし の名前間違ってたな。

 山中崇志って書いてた。
 
 崇史だったのだね……

 タケシと10年呼び続けている、岡森クンと変わらないね、これでは。
 崇史も早く指摘すればいいのに。
 漢字読めないから、私の間違いに気付かなかったのだろう、きっと。

 中ではなく、川の方の
 山川恵里佳さんが、結婚するらしい。
 お会いするたびに、最近はどーよ、と挨拶代わりに聞くのが習慣になっていて、
 その度に

 なんもないスよ、お願いしますよ、ほんとうにぃ。

 とバラエティ番組のように笑っていたのに、年末に会った時は、なんかやたら神妙に。

 ええ、何とかやっております……

 みたいな答えで、わしもエエッ、コレハと思っていたが、
 そうであったか。
 
 とにもかくにも、
 おめでとうと、申し上げたい。

 あと、岩本のブログ(ガン平なんとか)読んでて思ったんだけど、

 扉座には 電動カンナ とかあんだよね。うちの備品だよ。
 材木工場じゃあるまいし。
 オレなんか、免許あっても、中古の軽自動車一台持ってないのに。 

 当然、電ノコとか、電クギ打ち機とか、なぜかグラウンドの白線ヒキ・マシーンまである。
 運動会の時には、ご利用下さい、みたいな。
 ちょっとした、レンタル屋だ。
 
 いつも心配になるのは、コレ、解散する時、どうするんだろう。
 という問題。
 どれもちゃんと動くし、ケッコウ高価なものだったりするんだけど、いらない人は、もうゼッタイに一生いらないものですからね。
 
 だから解散はメンド臭い、という考えにも至り、だらだらと劇団は続くのだった。
 その一方、劇団があるために、どんどん、得体の知れない備品が増えてゆくのだった。

 たとえば、牛のアタマの骨とか。
 マジにあるんである。
 西部劇の酒場の入り口に飾ってあるような、本物が。
 
 バスケットのイベントで使うためにわざわざ取り寄せたけど、意外にもろくて、触ってるうちに、ポロポロ壊れてしまうのと、何より、

 死臭が漂う……

 ので、作り物でいこうという結論に至ったのだ。 

 ワケ分かんねえし、こえぇ、よお。

 そんな中、今日は夜から、ラブ3に。
 昨日は、打ち合わせ。
 4月公演までに、エッセイ集は間に合わせてくれるみたい。
 
 当然、演歌歌手のように、こまめに売ります。

 
 追伸

 ユキノンが、今度はアイス食べてる。
 この娘に、会ってみてぇ。
 
 





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