2007年01月                             

ガガガガ、ガ(2007.01.30)

 ガは5つなのでヨロシク。

 ホントはドリダマを、ガガガガガと書いてなくちゃいかんのに、例によってウジウジと進まない。
 
 んで、ネットなんかいじり廻してしまう。
 んで、自分の昔の日記を読みふけったり。

 まったく意味のない行為なんだが、これが意外にハマる。
 たいてい、戯曲を書いてる時期で、しかも苦しんでいて、これはもう書けません、間に合いません。
 みたいな局面ばっか読むのだけど。

 それによると、ああ、もう正真正銘ダメです、とか言っておきながら……
 (まあ、一見、日記上では余裕ありそーに書いてても、実はホントにヤバイ状態だな、という時が多々あって、当然ながら、本人のわしにはそれが手に取るよーに分かるのである)

 でも、なんやかんや言って、結局いつも初日は開いてて。
 開くと、面白くなってる、と書いている。

 だから今回も大丈夫かなあ、とか思いつつ、ダラダラと周辺の日の分も読みふける。

 そんなことしてると、もしかしてこの日記、一番熱心な読者は、誰あろう、わしではないのかと不安になる。

 でもまあ、とりあえず取りかかってる。
 まったくやったことのない、形式の台本。
 芝居でもないし、ミュージカルとはいえないし。
 だからな……手探りはしばらく続くだろうな。

 しかしっ、長きに渡って、歌と踊りの鍛錬を重ねてきて、しかも今回、その歌や踊りを武器に紀伊国屋ホールに乗り込むということで、扉座新時代を創るのだと、今から必死に宣伝活動とかしてる、建築ショウ・メンバーのためにも、みっともない舞台はゼッタイに創りたくないと、それだけは肝に銘じて、アレコレとアタマを悩ませている。

 そんな中、今日はモーがイメチェンした。
 冬になって、長い毛の下にやたらフケが出てしまい、ケンネルの先生から、刈り上げ命令が出たのである。
 我が家のお手入れ不足である……

 といっても、サボってたワケじゃなく、モーがなかなか手入れさせてくれないのである。
 そんな暇アッタラ、遊んでくれと、ボールを持ってジャレついてくる。
 無理矢理捕まえても、隙を見て、逃げ出すし。
 そこからはゲームのような追いかけっこになってしまう。

 それやこれやで、セレブ風ロングは断念である。
 んで、すっかり刈られて、まるで別の犬みたくなって帰ってきた。
 これはこれで、可愛いんだが。
 
 明日は、お昼に恵比寿に。
 『生本』の山口さんと、久しぶりに会う。
 何とか、ドリダマまでに、生本原稿をまとめた新刊を出そうという計画。
 
 生本原稿は、前作『夢見るチカラは眠らない』とうって変わって、馬鹿話オンリーの軽文である。
 ネタに困ると、劇団員の常軌を逸した丸秘秘話で繋ぐという、手を使ったので、扉座を知る人には、二倍楽しめるはずだ。

 出たら買ってね。
 なんか事情があってそれかぜ無理な人も、図書館にリクエストよろしくね。
 今年の夢。
 エッセイの重版……
 
 
 



ダンス!(2007.01.29)

 『踊るアジア』の出演者オーディションを昨日、横浜野毛で。
 8人の伝統舞踊家とともに、舞台に登場する踊れないアジア人たち。
 人呼んで

 『踊れないアジア隊』

 である。
 あんまり呼びかけが行き渡ったとも思えないのに、熱心に人達が集まった。
 踊れない、という名前なのに、ケッコウ踊れる、或いは踊りたい、もしくはとにかく何かしたい、アジア人たち。
 本気モードの人が多いのは、今回集まるダンサーたちが、世界的に有名に名手たちだからでもある。
 バリ島の舞踊団・ティルタ・サリなんて、必ずガイドブックで紹介されているし。
 その舞踊団のリーダーも参加するのだ。

 能楽堂副館長が、皆さんはラッキーだと言っていたけど、それ以上に、嗅覚の鋭い人たちである。
 たいしたものを発見した。
 
 横浜から少し外れた住宅地で、金曜日の夜、こそっと発表みたいなかなりマイナーな企画で、大々的な公演に発展するのは、うまくいっても5年後か、って感じだけど、実を言って、わしはかなりこれにワクワクしている。
 何しろ、現役バリバリの名手達が、ほんとにカラダを空けて集結するのだ。
 これが真剣にぶつかりあえば、そして結果として融合すれば、どんなことになってしまうのか。
 それを眺めるだけでも、意味深いに違いない。

 まったく宣伝なしで、たぶん舞踊界の人も、知らないかもだけど、
 そういうことが密かに進行しているのであった。

 オーディションのあと、前に青少年センターでワークショップがあった時に、横田先輩たちと行った、元祖ぎょうざの店「萬里」へ。
 馬鹿話を、手伝いの劇団員たちと。
 話題の中心は、各人のブログ。

 わしが最近、面白いと思っているのは、ガンのページ。
 カラダで書いている、感じがすごい。
 やはり記事の面白さは、取材に費やす労力に比例するね。
 でも、実際のアクセスは意外に少ないのだそうな。
 数値を見て、ガンは泣いているらしい。

 そんな数値を気にしているらしいというのが、意外であり、更に切なさを増す。しかし

 みんなが見てなくても、オレは見てる!
 と励ましたい。

 あと、
 最近、ユキノのページを見て、その可愛さに
 
 恋をしてしまいそうだ

 と、肉団子を箸で追いかけつつ、ついに皆に告白した。
 まだ見てない人は、ユキノブログに行って、その写真を見て欲しい。
 今、ユキノンはクレープを食べているところかな。
 
 なっ、美少女だろ!
 
 はっきりいって、こんな美少女が我が劇団にいたことを、私はこのブログが開設されるまで知らなかった。
 
 更に恋させて欲しいと願う。
 
 
 追記

 昨日厚木市長選があり、新人の小林常良さんが当選した。
 小林さんは、市民応援団にも参加して下り、我々を支えて下さった方だ。
 おめでとうございます。
 これからが大変だと思いますが、どうぞ自らの夢を信じて、新しい町作りに邁進して下さい。
 
 長くお世話になった、前市長・山口巌雄さんにはお礼を申しあげたい。
 かれこれ10年前、すっかり東京の劇団になっていた、私と扉座を文化会館に呼んで、厚木において市民の皆さんと共に活動するキッカケを作って下さったのは、山口さんでした。
 ありがとうございました。そしてお疲れ様でした。
 
 私は厚木に選挙権もないので、ただ見守っているだけでしたが、今まで撒いて、水をやり続けてきた(と思う)、演劇で厚木を盛り上げていく活動を、大きな花が咲き乱れる時まで、継続してゆくつもりです。

 新しい体制になっても、厚木の文化政策がしっかりと継続されてゆくのみならず、更に発展してゆくことを切に願います。
 そのために、私と扉座は、今後も全力を尽くして参ります。
 



モーが(2007.01.28)

 朝メシの時、ちょっと目を離して台所に立った隙に、イスに飛び乗り、わしの茶碗の中のメシに食らいついた。

 人間の食い物は絶対やらないように育てている。でも高い缶詰とか、犬屋さんに言われるままに惜しげもなく買い与えているので、何の不足もないはずなのに、オトーさんの食べてるものが食べたくなるらしい。

 かなり必死に、チャンスを狙っているのである。
 慌てて止めたが、後の祭りであった。
 まあ、毒じゃないから、いいのだが……

 ただし、モーの口周りが大変なことになった。
 長い毛に、メシの固まりが、こびりつき、こんがらがってしまったのである。
 本人(犬)も違和感があるようで、何とか取りたいと思うのだろう。ジュータンに擦りつけたりするから、余計に困難な状況に陥ってしまう。

 メシもそこそこに、メシ粒、排除作業に足りかかるハメとなった。
 んが、これが『崖っぷち犬』救出ぐらい、難しい仕事だった。

 敏感な髭にまで絡まりついていて、それを何とか取ろうとして、こちらは必死に引っ張るので、

 モーの暴れること、暴れること。
 お前の為ジャと、申すのに、わしのことをまるで、虐待者のように睨み付けて、ウーウーうなり、

 ついにはマジ噛みをしやがった。
 それでも、ここで手放すと、今度はやっかいな追っかけっこになるのは分かっているから、絶対に放さない。
 モーは基本的に、呼んでも来ない。
 追うと、ゲームだと思って、ずーっとはしゃいで走り回る。

 なんで、首根っこを掴んだまま、口元の米粒を掴み取っていた。
 ますます唸り、暴れるモー。

 結果、わしの手が血塗れになった。
 
 いくらなんでも、飼い犬にこんなに手を噛まれて良いのだろうか。

 さすがに、これはどーよとわしも思い、本気で叱りつけてやった。
 そしたら、しばらくは悲しげな顔で、ソファーの下に隠れていたけど。

 誉めて伸ばしましょう、と犬屋の先生に言われて、そうしようと思い、未だかつて私は一度たりともモーを叩いたこともつねったこともない。
 今日も、厳しく言葉で叱っただけだ。

 しかし、態度ばかりが尊大になり、明らかに、わしへの尊敬の念が欠けている。
 犬育ても、簡単じゃない。

 明日、日曜日は『踊るアジア』に出演する
 踊れないアジア隊 のオーディションを横浜で。

 


  
 


 
 



神田川(2007.01.25)

 今日は昼から事務所で『踊るアジア』の打ち合わせなど。

 ドリルにも取りかからねばなのだが、慌ただしい。

 んでアレコレ懸案問題があるために、事務所でみんなに報告しようと思ったことを言い忘れた。

 今日、良い天気だったので歩こうと思い、水道橋から飯田橋までブラブラ行く間に、神田川で水死体を見た。
 いや、正確にはすでにブルーシートが被せられていたので、見たというのは正しくないが……
 でも川のちょっとした岸みたいなとこに、遺体らしきものが安置されていた。
 んで警察の人が動き回り、昼休みの勤め人など野次馬たちが(含む、私)集まっていたのだった。

 仏様と、ご遺族には深くお悔やみを申し上げるつつ。
 少し物思うた。 

 一帯はオフィス街なので、とても不思議な光景であった。
 人によっては、チラと一瞥くれただけで足早に通り過ぎていったりもする。
 日常の中の非日常。その中の無責任な好奇心と無関心と。
 それでも時間は止まることなく流れ、立ち止まる人も、僅かの昼休み時間を思い出し、慌てて弁当屋のワゴン車の下に走る。

 特別な死に様のために、束の間、人の耳目を集め、やがて忘れ去られて行く、川の旅人。
 都市の孤独。
 死して尚、都市の中で、人はひとりぼっちを思い知る。

 それにしても、この東京のど真ん中にも河が流れている。
 そこに、人の亡骸も流れる。

 それがガンジスなら、それは天に通じる大いなる道なのかも知れない。
 けれど、都市の水路に浮かぶ死体は、警察に引き上げられて、ワゴン車に乗せられ、どこかに運び去られて行く。

 祖母の葬式の時、火葬場で思った。
 ズラリと金属の扉が剥き出しで並び、その前に整然と並べられる棺。
 喪主がボタンを押すと、扉が開き、自動的に棺は扉の向こうに引き込まれて行く。

 北九州の超最新式火葬場には、近隣住民への配慮が行き届いて煙突もない。
 では、煙はどこに消えているのだ。
 
 我々都市に生きる者は、天への道を閉ざされている者たちか。

 都市の享楽を享受する我々はそれでも文句はない。
 天に還る翼は、長きにわたる堕落の暮らしで、とっくに使い物にならなくなっている。
 しかし、

 せめて、おばあちゃんは、うちの裏山に土葬でいいんじゃないか。
 
 私はそう思った。
 
 
 
  

 



ニューヨークのハンバーガー屋(2007.01.24)

 5年続いた番組、今日で終了。
 一本目は、ワンオアエイトの田村さんがゲスト。ずっと高橋麻里から、田村さんの芝居は面白いと話ばかり聞きながらなかなかチャンスがなかったが、この機会でやっとお会いできた。
 二本目は、司会やってた4人で懐古的雑談みたいな感じで。

 終わってみればアッという間の5年だった。
 失敗は数知れず。
 列挙すれば、ちょっとした読み物になる。
 そのうち列挙したい。

 公共の電波使わしてもらって何だけど、良い経験であった。
 何よりも、たくさんの演劇人に会えた。これは財産。

 それはともかく、少し雑談。

 ニューヨークではル・パーカー・メリディアンというホテルに泊まった。一応高級ホテルである。五つ星なんかじゃないけど。
 ロビーもこざっばりとしている。

 そのロビーのフロントの横に、なんか裏口への通路みたいなのがある。
 で、なぜかそこにひっきりなしに人が出入りしている。
 表向きは、特に何もあるようには見えないのに。

 ただし、よく気をつけてみれば、その通路の奥の方に、ちっちゃなネオンサインが見える。
 それはハンバーガーのカタチで光っている。

 出入りする人について行くと、そこにはさっきまでの近代的なホテルのロビーとは、まったく別の空間があった。

 小さな、ハンバーガー・ショップがそこにあるのだ。
 ど真ん中に、肉を焼く煙がもうもうと立ちこめる厨房があり、それを取り囲むように、木製のテーブルやイスが並んでいる。
 そして、あの入り口から入ってきたとは思えないほどの、たくさんの人で溢れている。
 ハンバーガーを頬張りつつ、賑やかにおしゃべりする人、人、人……その人いきれと、ハンバーガーとポテトの匂い。

 そうさな、
 映画タイタニックでデカプリオが、例の彼女を連れて行く、船底のパブがあるじゃないか。
 あんな感じを想像して頂きたい。

 突然タイムスリップして、少し昔のどこかの田舎町にでも迷い込んだような気分になる。

 とりあえず注文の列に並ぶ。
 焼き方は?
 オニオンやトマトは入れるか?

 レジ打ちのお姉ちゃんが聞いてくる。
 何だか分からないけど、前に並んでいた人の真似をして、テキトーにそれらしく注文する。
 
 んが、最後に、なぜかお姉ちゃん、ワッチャーネーム?と聞いてきた。
 は?
 ね、ネーム……、ケ、ケンスケです……け、ケン!

 何で名前を聞かれるのか、よく分からないけど、忙しい店内で、お姉ちゃんの命令には逆らえない雰囲気が充満している。
 人で溢れかえって、微かに殺気立っているようにも思える、狭い店内で、お姉ちゃんは勇敢にも、一人でテキパキ、レジをさばいているのである。
 黙っていう通りにしろ!とにかく、名を名乗れ!
 という気合いである。 

 理由はすぐに分かった。
 ハンバーガーが出来上がるたびに、このお姉ちゃんが大声で名前を読み上げるのだ。
 「トーム!」とか「キャッシー!」とか。

 やがて、私の番が来た。
 「ケーン!」
 おお、ニューヨークの何か片隅の隠れ家的スポットで、プエルトリカンなお姉ちゃんに、叫ばれる私の名前。
 ちょっとはずい。
 でも、ここはニューヨークだ、と言う気がした。
 
 調べたら、このお店。かなり有名なとこだった。
 ニューヨークで一番美味しいハンバーガーと言われているとか。
 確かに、特に目立つ細工もないんだけど、肉がしっかりしつつジューシーで、王道的に旨いものであった。

 あなたもプチ・ニューヨーカー気分に浸りたいときには、是非ここを訪れると良い。
 メリディアンの、フロント脇の何か怪しく薄暗い通路だ。

 分かってると思うが、申告する名はフルネームじゃだめだぜ。
 ちょっと短縮な。
 あき子なら、アキとかさ。
 
 ちなみに、もう一カ所、フレッシュジュース・ショップでもレジで名前を聞かれ、出来上がりで「ケーン」と呼ばれた。
 アメリカでは結構、有名なチェーン店らしい。
 スタバみたいなシステムで、注文して、しばし仕上がりを待つのである。
 たぶん、間もなく日本でも開業されるだろう、というか、もしかしたらもうしてるかもしれぬ。

 ただ、その際、名前はどうなるのだろう?
 たとえば錦糸町で「ケーン」と呼ばれるのは、如何なものか。
 さりとて「横内様」ってのもね。ジュース一杯買ったぐらいで。
 
 それにしても、何であんな場所に突然、一軒だけあのようなハンバーガー屋があるのか?
 その謎が知りたい。  
 
 
 
 

 
 



錦糸町の1日(2007.01.23)

 昼から錦糸町。
 まずエアリアルアートアカデミー(若井田さんの空中パフォーマンス学校)の特別授業を。
 エチュードとか、オフィーリアのセリフとか。

 実は、それはドリル魂出演者のオーディションも兼ねていた。
 んで、アカデミーのあやや、こと、桧山宏子さんに参加して貰うことに決定。
 彼女は前回の建築ショウにも参加して、活躍して貰っていたし、福岡の国文祭でも空高く舞っていたので、御存知の方もあろう。
 昨年開かれた、シルクドソレイユ、オーディションにも合格した実力者だ。
 もちろん参加の暁には、エアリアルも披露して貰う予定。

 んでその後、扉座アトリエに。
 祖母の葬式で飛んだ稽古のし直し。

 不在の間、トシノリや有馬がフォローしてくれていたので、思いの外、まとまりはあった。
 しかし、まだこなれてなくて、かなり手直し有り。
 結局、夜までかかってしまった。

 その後、稽古場に来てた有馬と田中を誘って、メシ飲み。
 与太話をして解散。

 本年最初の錦糸町的1日であった。

 明日は 深夜劇場へようこその最終収録。
 5年間の総決算。

 なかなかドリル魂にとりかかれねえよう!



 
 



追われつつ(2007.01.20)

 昨日は、朝から富士見ヶ丘小へ。
 少し早い、演劇教室の成果上演。

 3年目を迎えて、ついに一時間のストーリー物に挑む。
 それを1年生から5年生までの児童達と共に鑑賞。

 リサも轟ブログであげていた、手作りの犬たち、素晴らしい。
 歌も歌声も良かった。
 それらは学校の先生達の指導の賜物。
 3年目にして、劇作家協会と学校のコラボレーションが見事にははまってきたなあと思う。
 
 そもそも学校ってとこは、劇場によく似たところなんだよな。
 普通の社会では実効性はないけど、人間作りに有効な空間と、道具がたくさんある場所。
 そして教師の中にも、こんなふうに創造力をもつクリエイターたちが大勢いるのだ。

 自然な演技も、良かった。
 もっとハッチャケてても良かったかなとは思うけど、たぶん緊張してたんだな。
 2度目の回は、もっと自由にやれたんじゃないかな。
 それにしても1年生も、一時間、じっと見てた。
 スバラシイことだよね。
  
 さてその後、恵比寿へ移動。
 『いとしの儚』の製作発表。
 久しぶりに、広井王子氏や、横山智佐さんに会う。

 ちなみに今、検索に引っかかれと思い、ネットの人気者たちの名をフルネームで表記してみました。

 いわゆる演劇記者ではない、デジタル系雑誌の記者さん達が大勢集まっていた。
 ここも垣根を越えたチャレンジであるなあ。
 それにしても、今回のプロデューサーのマーベラス社長の中山さんのオフィス、ガーデンプレイスタワーの上の方で、六本木ヒルズと向かい合ってる感じのドーンとした眺望。
 
 わしと崇志は、展望台に登ったガキのように、東京タワーを指差して騒いでいたものよ。

 それにしても富士見ヶ丘小体育館から、ガーデンプレイスタワーまで、東京内タイムワープのような格差移動だった。
 そのどちらも演劇の仕事だから、ワケ分からん。

 会見終えて、智佐さまと崇志、の新・儚と鈴コンビを誘い、タワー内千房で、絶景お好み焼きを。
 
 さあ、帰って貯まりだしたいろいろな仕事をと思ったが、
 こんとこの激務の上に、早起きで疲れ果てたカラダが、ついに作動拒否。
 気が付いたら、ソファで打ち死にしていて、そのまま睡眠に落ちたのであった。
 
 
 
 



祖母を送る(2007.01.18)

 98歳であった。
 年明けから母が見舞いに行っていて『ねばねばらんど』のチラシとか見せつつ、あなたのことケンスケが芝居にしたよ。
 と言ったとき、ずーっと無反応だった祖母が、ふと目を開けて。
  
 そうかね、私は幸せよ。

 と言ったそうな。
 それが母にとって、祖母の最後の言葉であったそうな。
 出棺の時、跡取りのいとこが挨拶で、我々もそういって死ねる人生を送りたいと思います、と言いつつ泣いたが、
 私も涙が出た。

 決して、ハッピーな人生ではないのである。
 祖母の自分史『みほとり』を精読した私は、よく知っている。
 まあ時代が時代だから、誰しも苦労はあったろうが、それにしても、終戦後すぐ夫と死に別れて、そこから女手ひとつで、家と田畑と守り抜き、6人の子供を育てたのである。
 本当は農家に嫁ぐのは嫌で嫌で、女学校に進んで先生になりたいという夢もあったのに。
 運命を受け入れて、理不尽な不幸にも黙って耐え抜き、ひたすら自分以外の誰かに身を捧げて尽くし抜いた、その潔さ。強さ。

 その6人の子供が創り上げた家族が、通夜と葬式に集結した。
 病院暮らしを嫌がり、ずっと家に帰りたがっていた祖母の願いを叶えてやろうと、喪主の叔父さんが英断を下した、祖母がずっと暮らした家での通夜と葬式。
 そこに集まった子供、孫、ひ孫達の賑やかさ。多彩さ。

 劇中有馬が、三千代演じるうちの婆さんに、あなたは人に恵まれている、と語りかけるが、

 それはそのまま、私からの祖母への言葉である。
 人を呼び集める。
 それがいかに尊いことか。
 
 オレは、お金をたくさん集める人よりも、人間をたくさん集める人のことが好きだとしみじみ思った。

 特別なことを何かしたわけではない。
 
 ただ、一所懸命生きただけだ。
 そのことを、みんなが讃えに集まる。
 あの賑わいは、98のほとんど老衰で死んだお婆さんの葬式のものとは思えなかった。

 にしても、よく行けたものだと思う。
 亡くなったのは正しくは15日の朝。
 本来なら、昨日が告別式になるところが、友引で1日延びた。
 その結果、バリからの帰国後で間に合った。
 しかも、着いた日は、まあ仕事にならんだろうと、何の予定も入れてなかった。
 今日は本当はラブ3の稽古場行きだったけど、これはまだ調整可能なものだ。
 
 田舎の家の葬式なんか、もう滅多に見れんけ、見においで。

 そう祖母が言った気がする。
 そして万事取りはからったんだろう。
 通夜の夜、仏間に寝ている祖母の傍らで、皆で語り明かすのである。
 久しぶりに、たくさんの親戚と会った。
 忘れていた思い出が蘇る楽しさ。 

 一応ホテルを予約して言ったのだけど、結局キャンセルして、私も妻も祖母の家に泊まった。

 駆け付けると、祖母の家には、バリ島の寺に立てる竹飾りと同じような、竹の飾り物が立てられていた。
 近所の人たちが作り立ててくれたのだそうな。村に続く風習だが、そんなものを村の人たちで作ったのも数年ぶりだという。
 バリ島の田園風景を見るたびに思い出すのは、幼い頃に遊んだ、祖母の家の周辺のたんぼ道や森の神社の有様だった。
 もちろん、今回の旅でも、その思い出を噛み締めていた。
 
 稲と竹。
 アジアは確かに繋がっている。

 そして祈り。
 バリ島では舞踊家や演奏家、島の人々が折々に天に捧げる祈りをただ、ぼんやりと眺めているばかりだったけど。
 昨日から今日まで、何度も手を合わせて祈るうちに、ふと、無信心の自分の姿が彼らの姿と重なる一瞬があったような気がした。
 信仰はカタチではない。
 
 仏と言えば、仏なのだろう。
 祖母は熱心な仏教徒である。
 でも、私はなんかもっと身近な、故郷の神様がいる気がした。
 あの家と、田畑と、辺りの風景に宿る、土地神が。
 
 合掌。 
 
 



帰国(2007.01.16)

 今朝、バリ島から帰ってきた。
 素晴らしい体験いくつか。
 
 雨期なのに、スコールにもまったく祟られず。

 いろいろ書きたいことあるんだけど。

 成田に着いて、スカイライナー待ちしてるときに、携帯の電源入れる。
 いろいろ連絡貯まってるだろうな、また仕事に追われるのだなあ、と恐る恐る。
 そしたら、親戚のオジサンから、連絡。

 祖母が亡くなった。

 飛行機の窓から見た、暁の空がやたらに綺麗だったんだ。
 雲の上に輝く、朝日の帯が。

 バリ島というところは神様の島であり、歌舞音曲も全部神への捧げものだ。
 なので、何を聞くにせよ、見るにせよ、こちらも神聖な気分になるのである。
 しかも、ついこないだ、ねばねばで、南の島を描いたばかりだ。
 亡くなったのは昨夜らしい。
 帰りの飛行機に乗る頃かな。
 
 南の島初めての赤星が、ついた南国ホテルの様子を見て、これはネバホテルそのものじゃないですか、と喜んでいた。
 それはホテルの様子のことなたんだけど。

 ホテルの姿のみならず、シーズンオフで、やたら欧米人の年寄りカップルが目立っていたのだった。
 おばあちゃんが、立派に花柄ビキニなど着て、おじいちゃんと手をつないで歩いてたりして。

 おばあちゃん、もしかしたら、一緒に、バリ見物に来てたのかな。
 そんで、違う飛行機で、あっちの方へ帰ったのかな。

 私の名を忘れて思い出せなかった、最後に田舎の病院で会った時に、私の中では、もうサヨナラは出来ていたから、そんなにショックはなくて、
 もうこれで退屈なベッドで寂しい思いもしなくてすむね、お疲れさま、何よりもありがとうね、おばあちゃん、とひたすら言いたい。

 それやこれやで、これから小倉の通夜に行くことになった。


 追伸
 まだ手直しはあるけれど、ホームページのリニューアルが進行している。
 最近、まったく閑古鳥の掲示板だが、どうか皆さん、盛り上げて頂きたい。
 

 
 



バリ島へ(2007.01.11)

 踊りを訪ねる、アジアツアーのラスト。
 バリ島へ。
 暖かなところへ行ける嬉しさ。
 でも、たぶん雨期。
 またスッゲー、スコールに遭うのだろうな。
 
 これで3回目のバリである。でも今回は、踊り見物に特化していて、しかもその方面の先達も付いていてくれるので、心強いことこの上なし。
 前回見たケチャが、あまりにツーリストを嘗めた感じのヤツでガッカリだったのを思い出す。
 芸能の聖地、バリで、手抜きだけは見たくない。
 かなり期待している。
 
 聖地と言えばミュージカルはニューヨーク。
 今回見た中で、今もアタマに残っている歌が一曲。
 他にも良い曲は無数にあったけど、何しろ覚えやすくて簡単だったので、記憶内ベストになっている。
 それは、

 モンティパンソン スパムアロット ってやつの歌。

 ALWAYS LOOK ON THE BRIGHTSIDE OF LIFE 
 というもの。
  
 アーサー王と円卓の騎士が出てくるのであるが、劇中、落ち込んだアーサー王を励ますために、サンチョパンサみたいなお付きの家来が歌う歌だ。
 一言で言えば「上を向いて歩こう」みたいな感じの歌。

 モンティパイソンで、そんな明解なポジティブメッセージなんか歌っちゃうわけ?
 という意外なものだけど、やっぱりミュージカルだから、ナンセンス具合はかなり緩くはなってると思う。

 でも、これがとても脳天気で軽快で、いかにもミュージカルって感じでとても良いのだ。
 
 ああ、CD買ってきたら良かったな、と悔やんでいたところだ。
 が、たまたまネットでいろいろ調べてたら、このミュージカルと公式サイトがあり、しかも、とりあえず全ナンバーのさわりが聞けることを発見した。
 恐るべしブロードウェイである。
 
 んで、ALWAYS LOOK ON もちゃんとやっていた。
 興味がある人は、アクセスして聞いてみて欲しい。

 MONTYPYTHON`S SPAMALOT ドッコム
 
 てとこにある。
 モンテイパイソンのホーリーグレイルという映画の舞台版になっている。
 私は大学生の頃、つまり二十数年前に、早稲田松竹でそれを見ている。
 同世代の人には懐かしい人も多いんじゃなかろうか。
 かなり別物で有りつつ、映画に出てた、恐怖の人食いウサギなんかはちゃんと出てくる。
 ちなみに人食いウサギのヌイグルミは思わず買ってきた。

 とりあえず、そんなワケで行ってきます。
 行ってる間に、ホームページの改装が進んでるはず。
 感想などどしどし書き込んで下さい。

 ドリル魂も、歌ぐらい聴けるようにせんとアカンで。


 
 
 



真夜中(2007.01.10)

 ニューヨーク以来、私の睡眠がおかしくなっている。
 
 今は10日の午前3時。んでさっき目覚めたとこ。
 今から、生本の原稿書き。明後日というか、すでに明日から5日ほど『踊るアジア』でバリ島にいかなくてはならぬので。今日中に書かなくてはならぬ。

 9日はお昼から、名古屋の舞踊家・西川流お家元・右近さん。(市川右近にあらず)と今年の秋の『名古屋踊り』の新作の打ち合わせ。
 そういう公演があって、そこに舞踊劇の新作を書き下ろすことになっているのである。
 今年は踊り関係の仕事が多いのである。
 というか、世の中で、今踊りが熱い。

 『深夜劇場へようこそ』でも、金森穣さんとか、近藤良平さんとか、ダンス界で面白い人たちと出会ったし。
 正直言って、踊りのことは何も知らぬ私であるが、日に日に興味が増して行く今日この頃である。

 青山のウラクっちゅう、高級会員サロンみたいなとこで打ち合わせした後、錦糸町に行って、ひとつ劇団のこと打ち合わせて、その後、帰宅と思ったけど、
 何かそのまま帰る気になれず。
 上野にて、初廻し。
 
 回すといえば、
 パチスロ。
 
 秘宝伝であっさり、二万五千円ほど縁もゆかりもない、上野のパチスロ屋にお年玉を残して帰る。
 その間、見事に何もカスラズ。

 久しぶりのパチスロであったが、そもそもコレ、何が面白かったんだろう、何でこんなのに熱中してたんだろう、という変な疑問を感じつつ、だらだら現金投入するという、訳の分からない状況になっていた。

 もしかしたら、2年ほど続いた我がパチスロブームもそろそろ終焉の時が近いのかも知れぬ。
 たぶん別の娯楽見つけたら、終わるなと、直感した。

 で、しみじみ、またしてもトシノリの名言『パチロスはいじめです』という言葉をアタマの中で噛み締めつつ、むしろ『罰スロ』であるなあ、なとど一人ゴチつつ、回転寿司を一人で喰った。
 わしは上野では、大江戸の回転寿司か、麺屋武蔵のラーメンと決めている。

 つまり、ここでも初廻しであったのだな。
 上野は廻し場であることを今、再発見。
 
 そんで帰って、さあ原稿書こうかと思ったとこで、
 猛烈な睡魔が遅い来る。

 昨夜は、名古屋のためにちょっと遅くまで調べ物してて、寝不足ではあったのだが。

 こりゃたぶん無理と思い、まあ朝起きてやろうと決めて一度、9時過ぎから睡眠。
 
 そしたら、何か2時に目が覚めて。
 こりゃますます妙なことになるから、も少し寝ようと思ったけど、思えば思うほど、眠気が去っていって。
 仕方なく、ノソノソと起き、今に至る、という感じですわ。

 ちなみに生本の「考えて夜も眠れない」はこれにて連載終了。
 またNHKの『深夜劇場へようこそ』の司会も次の収録で終わり。
 これも偶然だけど、どちらも5年目続いたのだった。

 やっぱ何か区切りなんだよね。
 罰スロ、も終わりで良いのかも。
 

 



スゴイなあ、イサム(2007.01.07)

 全部オリジナルの曲作って、歌って、踊って、殺陣やって、ローラースケートやって。
 その工程を考えるだけで、他人事ながら恐ろしくなり、ゲソっとしてくる。
 
 正直『エアギア』の若者達が何のために争ってるのか、まずその世界観にまったく付いていけてないので(1回ぐらいセリフや歌詞で聞いても、そりゃ分からんと思うと、皆に言われた。分からなくてもいいんだね、きっと。体感するべきなんだろう)ただ口を開けて目の前で、全力疾走で繰り広げられる、架空ワールドをア然と眺めているだけであった。
 そんでアタマの片隅で、今進めなくてはいけない、我が劇団公演の、工程のことを思い続けた。
 
 ローラースケートははかないけど、似たような作業と言えば作業なのだ。
 工事現場ミュージカル。
 オオ、オレに出来るかな、こんな仕事……
 と限りなく不安を感じた。
 
 思えば、イサムは、もう何回もミュージカルに関わっている。しかるに、わしは数回、台本書きで参加したことがあるだけだ。
 修羅場くぐったイサムだからこんなに大変なこともまとめられる。(途中で聞いた噂では、大変すぎる上にノロとか、インフルとかまで直撃で、もう初日開かないかも、ということだったのだ)
 なのにわしは現場を全部統括かつ進行させるのは初体験なのである。
 他人事ではない、心の焦り汗を新年早々、ゲネの客席でかいていた私であった。

 それにしても、上原健太である。
 何か慌ただしく出演が決まったらしいが、当然みたいな顔して、たいした役を頂き、臆すことなくシャアシャアと仕切り役みたいなことやっている。
 イケメンの若者達の中に混じって。
 パスポートも持ってない癖に、英語の絶叫なんかして。

 豊橋の時も、千人以上の大ホールで、あの自称クールキングの累央でさえ、狼狽えてセリフを飛ばしていたのに、健太だけは、同じく仕切り役みたいな事を、一人のびのびやっていて、その心臓に毛の生えた感じに、呆れつつ感心したのであるが、今日も又、何なんだコイツと思った。
 隣で見てた岡森は『たいしたもんじゃん』と言っていたが。
 いわゆる座内新人類(言い回し古すぎますナ)の一人だな。
 
 聞けば、学生時代は、もの凄いいじめられっ子だったそうな。
 体験談でも語らせて、コンテンツ、一つ立てようか。
 教育方面に売り出して。芝居の力でイジメを克服、今は心臓に毛が生えた健太君の体験談だ。

 まあ、人気者たちとともに我が軍の手勢が活躍しているのは、喜ばしい。
 ゲネ前のウォーミングアップで、俳優達の一緒に、スケート靴履いて舞台を走り回っていたイサムと同じぐらい、頼もしい。
 というか、何で演出家が走っていたのか、
 その理由はたぶん誰にも分からない。
 大変だ、大変だと言ってた割に、ゲネ前にこの余裕。
 本番でも、あれは是非毎回やって欲しい。
 そしてこれがシリーズ化したらいいな。
 テニスの王子様みたく。すべる演出家(これは語呂が悪いよね)もとい!疾走する演出家イサムの名声と共に。

 活躍と言えば、有馬自由。
 今宵『風林火山』を見た。
 自由が居た。
 鳥取のご両親も、見てくれただろうか。吹雪の大雪山の麓で。
 今回のテレビ出演は、今回限りではない。
 それが証拠に今夜の合戦では死んでいない。
 たぶんこれから何度もヤツは出てくる。そのうち岡森も出てくるらしい。
 何と言っても大河ドラマである。
 
 どんなに2日酔いでも、リハーサルと違うこといきなり本番でやるようなことはせず、与えられたことを真摯にやり遂げて欲しいと願う。オズマではないのだから、

 たぶん、鳥取のご両親も、ヤギたちを抱きしめつつ、深い雪の中、電気も通っていない山小屋の中でそう思っているはずだ。
 と、いうか……
 電気が通ってなくて、テレビが見られるのだろうか。

 ちょっと不安になった。
 京都で役人をやっておられたご両親は、数年前から文化生活を捨てて、徹底的エコロジカルな生活をかの地で営まれているはずなのである。
 詳しいことは、今度聞いておく。

 大森寿美男さんの脚本、分かりやすく、しかも盛り上がりそうな気配に満ちていた。男っぽい世界に、淡い恋やロマンが上手く散りばめられていきそう。こんなのもやれるんだね。まあ今や大作家だから当然か。
 にしても芝居のホン書くと、何であんなに難しくなるのか、ちょっと不思議。知ってる人は知ってると思うが、扉座は彼に戯曲を書いて貰って上演している。イサムの演出作『そらにさからふもの』だ。

 偉いと言えば、偉いとは言ってないけど。

 岩本君。
 一人折り込み続きで偉い。
 のみならず、銀座のたぶん博品館だと思うけど、あそこに、あの姿で言ったのが、偉い。
 どんな姿かは、ガンちゃんのブログを見て貰いたい。
 
 『ドリル魂』
 略して、ドリダマ!

 この気持ちに応えるためにも、しっかりやらねばと胸に誓った、夜である。
 
 
 追記
 その前に来月取りかかる『踊るアジア』
 その中に、ダンサーではない人達を数名登場させたいと思った結果。どうせなら公募してしまおうということになった。
 日本、韓国、タイ、バリの伝統舞踊の名人が二人ずつ参加し、一つのダンスの舞台を創り上げるという画期的な実験公演だ。
 それをわしが構成演出する。
 題して『踊るアジア』だが、そこに伝統とかけ離れた現代の象徴たる、踊りを失った人達(フツーの人達)を登場させたいと思ったのだ。
 人呼んで『踊れないアジア隊』
 当然、舞台経験、ダンス経験は一切不問。むしろド素人歓迎である。指定する練習に参加できれば資格有りだ。
 
 締め切りは1月16日。(急げ!)
 詳細の問い合わせは 横浜能楽堂(045ー263ー3055)まで。
 
 ちなみに来週は、その関係でバリに行く。
 バリから来るのは、有名な王族にしてダンサーである、高貴な王子だというハナシだ。
 

 あと、このHP内のいつくかの記事は、間もなく消える予定です。特にわしの駄文とか。(日記は残すけど)
 あしからず。



ホームページ(2007.01.06)

 すでに知らせが出ているが、扉座ホームページを大改革する。
 月半ばぐらいが、刷新の目安であるが、細かいところはたぶん追い追いという感じになろう。
 でも、印象はかなり変わる予定。

 忘れもしない豊橋から、車に乗せてもらっての帰り道。
 今やネット大王と化している岡森から、扉座のHP、しょぼいし、動きがなさすぎねーか、と指摘されていた、その問題の解決への一歩を踏み出すのである。
 やる時はやるのである。 

 付随して、個人ブログが急増中である。
 とりあえず今は、各人1個持つ時代であろう、ということになっている。
 残念ながらそういう環境になくて、あるいはポリシーとかあって、わしはやらんというメンバーに強制はしないので、全員が揃うというワケでもないが。
 
 まあ、それはそれで良かろう。
 嫌々やっても続かないし、何より面白くならないから。

 それにしても一挙に増えたので、それぞれ読むのが大変である。
 でも、お陰で劇団員がどんなことしているのか、最近はよく分かるようになっていた。
 実はここ数年、誰が何やってるか、よく知らないことがほとんどだったのである。
 座内連絡としてもとても有効で助かる。

 ともあれ、こういう流れの中、ここに来ればとにかく、新しい情報が何か生まれているということになってくるだろう。
 チラシ4500枚折り込んだ、というのが情報かと突っ込まれたら、それまでではあるが、一見ナーンにもしてないように見える公演の狭間も、わしらが決して止まることなく、激しく活動し続けていることはご理解して頂けよう。

 ちなみにわしは今日はらぶ3の稽古。
 思いの外、構成の直しに手間取った。
 三本あるうちの二本でタイムアップ。
 
 んで明日は、エアギアのゲネに行く。

 あと昨年末をもって、石坂が退団することになった。
 といっても、いきなり今度の『いとしの儚』には出るし、たぶん今後もわしらの近くにいることに変わりはない。
 彼自身、新たに追求したいことがあるということで、ならば一度ケジメをつけた方が良かろうということになった。
 もちろん役者は続けるので、今後も応援してあげて欲しい。
  
 
 



仕事始め(2007.01.05)

 事務所に行って、いろいろ打ち合わせ。
 上半期の案件の山々。
 これから登らなくてはならぬ峰峰の高さに、事務員一同、深く溜め息……
 
 途中抜け出して、劇作家協会事務局の勢戸さんと、来年度の戯曲塾の打ち合わせ。
 これも、また楽な道ではなし。

 それはともかく。
 勢戸さんと話していて、気付いた。
 やっぱり、わしらの戯曲塾なんかも、もっとおじさんおばさんに集まって貰うべきなのだ、と。
 世に言う団塊の世代である。
 会社や家庭で一仕事終えた人達が、次に挑むテーマとして芝居書きなんか理想的なんだから。
 昨年の新人戯曲賞で、いいとこまでいった、『宮さんのくんち』の山之内宏一さんは、眼科医の五十五歳であった。長崎で開かれた、北九州の劇作家・泊篤志クンの劇作教室を受講して書き上げたのだという。
 五十五歳の新人である。
 わしらも世田谷でこういう人を育てたらいいんじゃないか。というか、生まなくてはならぬ、だろう。

 突然ミイラの番組にハナシは戻る。
 まだアタマから離れぬ、あの姿だ。

 実はあの夜は、もう一つ別の地方のミイラも見た。
 アンデス・ミイラである。
 なんかメロンみたいだが、あの地方もその業界ではエジプトに並んでかなり有力な産地なのである。

 何しろ乾燥している土地なので、死体がカラカラになって、手軽に出来てしまうらしい。

 もちろん別の番組である。
 裏の方でタケシがやっていた、ナスカの地上絵の謎の番組だ。
 エジプトを終えて、チャンネルを回したらナスカだったのだ。

 にしても、正月の三が日ですよ。
 それの、朝とか昼じゃなく、けっこう美味しい時間帯。
 そんな時に、誰がミイラなんか見てるのか、と思うと、たとえばわしはちゃーんと引っかかってたんだね。
 たぶん、有馬なんかも引っかかってんじゃないか。
 岡森とか、六角もかかりそうだな。
 もし家にいたらね。
 
 一方、高木トモとか上原とか、景子とか里沙とか、絶対見ないに決まってるよね。
 更に下の研究生も百パー見ないね。
 若者はもう、微塵も見ない気がする。
 気持ち悪いとか、そういうこと以前に、興味ない、て感じでね。
 
 コレつまりどういうことかというと、テッテ的におじさんおばさん向けに番組が作られてるということなのね。
 昔は、家族揃って、マチャアキの隠し芸を見てる時間ですよ。
 桜田淳子と野口五郎の英語劇とか。
 それは今年もあったのか知らんが。

 ありゃとにかく団塊の世代特有の、自分の知識を披露したい、ウンチク語り症を限りなく刺激する世界なんだ。
 人数が多い癖に協調性がなく、自意識過剰で、付き合いにくいことこのうえない、ダメな世代が団塊の人たちだけど、勉強はしてる人達なんだ。
 分からないことも分かったフリして、議論するのがとっても好きで。
 とにかく馬鹿と言われないように必死に見栄を張り続けた、人達だ。
 だから、もうウンチクは三度の飯より好物である。
 彼らにはミイラも美味しい。
 
 そしてそんなウンチク披露から子供達は辟易として逃げ出して、部屋に閉じこもり、あるいは夜の町に繰り出して、親たちの知らない正月の風景を過ごす。
 これが今の世の中なんだ。

 そんでさ、ミイラじゃなきゃ、あるいは

 マグロね。

 これもオヤジオバサン、好きだもの、喰うのも、釣られるのを見るのも。
 あんまり若者は熱中してないよね、大間のマグロ釣りとか。
 あれも、オヤジとオバサンに向けてのプレゼンツだ。
 まさか、渡でドラマにまでしてまうとは思わなかった。
 さすがにわしはそこまでは付き合いきれなかったけど。
 
 新年早々、時代を垣間見た私であった。
  
 明日はらぶ3で初錦糸町。



ピラミッド(2007.01.03)

 やめようやめよとうと思いつつ、結局観てしまった。エジプト関係番組。
 長すぎるんだよ。
 今日ぐらいからボチボチあれこれ始めようかと思ってたのに。
 しかも、ミイラ満載だし。

 何度も述べているが、私が最も恐れているのがミイラである。
 北九州の霧が丘小学校の、古い古い床が抜け落ちそうな木造校舎の、図書室。つるべ落としの秋の夕暮れ。
 そこで、5年の時の同級生の野中クンと二人、『ツタンカーメン王の呪い』という本を読んでいる時、その中のミイラの写真に釘付けになり、背中にゾーッと悪寒を走らせて以来、どんな幽霊より化け物より、ミイラの写真が私の中で最も恐ろしいものになったのだった。

 何度もいうが、ミイラ男ではない。
 ミイラの現物写真だ。もしくは、滅多に出会うもんじゃないけど、生ミイラ。(博物館などで、ブツがあると知ると、ダメだダメだと思いつつ、絶対に素通りでなくて、つい足を向けてしまう)
 
 テレビでも雑誌でも、怖いのについ観てしまう。チャンネルをページを、止めてしまう。その上、またまた目が釘付けになり、二度と離せなくなる。
 今夜もしっかりと見つめてしまった。ツタンカーメンとラムセス二世。
 たぶん今夜も又、あのひんやりとした図書室の夢を見るのだろう……

 それはともかく今日は、初詣に行った。
 どうしてもモーと行きたくて、近所のお寺に。
 そこは実は滝沢馬琴のお墓がある。
 八犬伝の、馬琴先生である。我が国において、執筆料で初めて生計を立てたと言われる職業作家の元祖である。それまでの戯作者達は、吉原で遊ばせて貰うとか、飲み食いさせて貰うとか、そういうご褒美で済ませていたらしい。

 それやこれやで、わしにも犬のモー(横内一犬士!)にも、ご縁があると思い、詣でたのであった。徒歩5分で到着の近場であるが。

 そこで初めて知ったのが、文京区が一昨年制定したという、小石川七福神巡りという企画。
 その寺も、恵比寿様でルートになっていた。
 お寺で、恵比寿様、というのも、何ともごちゃ混ぜでおおらかではある。まあ、あんまり細かいこと言ってたら、小石川で7福が揃わなかったのだろうという気配は、濃厚に漂っている。
 それでも、結構、スタンプラリーで、回っている人がいる様子だった。
 何度か、散歩がてら馬琴の墓参りに来ているが、ここで人に出会ったのは初めてであった。
 
 うちの近所には、護国寺というメジャー寺もある。
 でも、そこは、少し前、お受験殺人の現場になって、ちょっと辛い感じになってしまった。
 時代は小石川七福神だ。
 
 で、まあそんな流れも思いがけず掴みつつ、馬琴の菩提寺に、今年は賭けてみることにしたのであった。
 
 わしは馬琴との縁は結構深いのだ。
 私が書いたスーパー歌舞伎の第一弾が八犬伝だし。きらら浮世伝では若き日の馬琴が登場しているし。
 モーがもし、ガイジンでなく柴犬だったりしたら、きっとシンベーと名付けたことであろうよ。
 八番目の犬士、仁の玉を持つ、犬江親兵衛である。
 
 馬琴先生のような、傑作を書かせて下されと、お願いしてきた。
 それはもしかしたらミイラ物かもしれぬ。
 
 いかん、正月早々ミイラから思考が離れなくなった……
 
 


 



謹賀新年(2007.01.02)

 向こうの大晦日の朝に発って、元日の午後に、成田に着きました。
 さて、いったいどこで、カウントダウンであったのか。
 飛行機の中で、そういうイベントのようなのがあるのかと思ったけど、まったくそんなことはなく、到着した時にアナウンスでおめでとうとか言われただけだし。
 結局、境目が曖昧なまま、新年に突入です。
 
 ともあれ、無事に帰って参りました。
 ミュージカル3本とストップ、あとジャズライブ1本を観てきました。
 作品は、モンテイパイソンとヘアスプレー、アベニューQといういやつ。
 日本にも何度か来てるストンプは今更って感じながら、まだ観てなかったので。あとジャズはブルーノート本店。

 どれも見応えのあるものでありました。
 でも、なんというか、こちらが歳のせいもあるんだろうな。
 もはや、脳天を殴られる衝撃なんてのはなくて、なるほどなあ、そうくるか、納得……
 みたいな感じで、勉強と言うよりゆったりとしてフツーに楽しんだという気配。

 もちろん、英語がほぼ分かってないので、まったく宛にならぬ感想ではあるが。
 とくにモンティパイソンとアベニューQは、社会風刺とかスラングのジョークが満載らしく、劇場中大笑いの中で、取り残される外国人観光客の哀しみを噛み締めなくてはならず、返す返す、天下の早稲田大学までちゃんと卒業していながら、なんでこんなに英語が出来んのや、とひたすら悔しい思いではあった。
 
 しかし、東京では必ず知り合いにあって、見終わってた後、楽屋に行って誰かに挨拶した方がいいかなあ、でも面倒だな。飲みに誘われるなあ。帰ってやることあんだけどなあ……
 みたいな訳ありの観劇しか出来ないのが、こちらではまったくの純粋観客となる身。
 それはそれで、ニューヨークでもそうならにゃアカンやろ、ということもあろーが、ひたすら劇場を回って、人の芝居を見回っていた青春時代が蘇って来る気分も悪くはない。
 何より、芝居って面白いなあ。劇場は楽しいなあ、と心の底から感じることが出来るし。
 ねばねば終了後から始まった観劇シリーズの締めくくりにふさわしい毎日であった。
 
 まあ、個々の感想は追い追いに。

 それよりも今回は人に会う旅であった。
 私たち夫婦の日本人の古い友人と、前回ニューヨークに行った時に知り合って、友だちづきあいが始まったアメリカ人の友人と。
 日本人の友人は、妻の高校演劇時代の同級生で、今はニューヨークで日本料理店を経営しておられる方の奥様となられた人。
 かつては舞台女優をやっていて、初期の頃の私達の稽古場に遊びに来たこともある人だ。
 元扉座座員の辻洋子さんから、消息を聞き、今回再会が適った。
 んで、二件あるお店に日替わりでご招待頂き、日本食のご馳走を。
 これが見事に、美味なる日本の味で、店の中では全部日本語が通じるし、ご夫妻やお子さん方とも日本語だし。
 ニューヨークにいることなんか忘れて、ひたすら昔話と今の話に夢中になる一時であった。
 二人のお子さんが通っているニョーヨークの公立小学校の様子とか、とても興味深かった。これも詳細を語り出すと、長くなるので追い追いに。
 
 もう一方のアメリカの方は、お見舞いに。
 前回の時、偶然に出会って、とても親切にしてくれたおばあさま。その後娘さん夫婦とも親交を得て、お二人は私達を訪ねて日本にまで遊びに来たりもした。
 詳細はまた後日語るけど、こんな出会いもあるのだなあ、としみじみ人生と旅の不思議を思う出会いである。
 その方はご高齢なおばあさんなのであるが、最近、入院なさったと聞き、この機会にお見舞いに行ったのである。
 おばあさんはとても喜んでくれた。
 再会がかなって良かった。
 私は、あなたたちを愛しているわ。
 地球の裏側の町に、そう言う人がいてくれる幸せを噛み締めた。
 
 そんなこんなで、ドラマよりも、ある意味ドラマチックな人との絆みたいのを感じた。
 たぶん、私たちがそういう歳なのだろう。
 生も死も、絵空事ではなく、ひりひりと皮膚に伝わってくる現実として静かに受け取らざるを得ない年齢。

 そういう現実があって、それを可笑しく、或いは美しく映し出してくれる、鏡としての舞台芸術の数々……
 
 ニューヨークの劇場には大人が多い。
 一見脳天気に見えるミュージカルも、大人であるほど深く味わえる人生の苦みとか、運命の皮肉とか、インチキな社会に対するからかいとかが必ず込められている。
 人生を忘れるための娯楽ではなく、人生を見つめ直すための娯楽である。
 
 ほんの少しだけど、その境地に触れられたかな、という感じ。
 大切な友人達のお陰で。

 ともあれ。
 いろんなところ(ソウルとか、ニューヨークとか、豊橋とか……)で、この日記も読まれているかと思うと、書き甲斐も一層深まるというのもので。
 
 面白いこといっぱい書けるように、今年も頑張ります。
 変わらぬ応援宜しくお願いします!
 
 
 
 
 
 
 





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