2006年12月                             

案の定(2006.12.26)

 候補作総計6時間。
 去年よりは短かったかな。
 でも、腰が張ってる。

 全部見て、セレクトして、段取り立てて。というか、田中に細かいことは任せたよ、といって。大慌てで帰宅。
 
 明日からの旅行の準備。
 今度は専ら、ブライベートな観光である。
 とりあえず毎日、何か観てくる。
 ねばねば以来突入した、観劇モードの総仕上げである。

 そんなワケで、しばしここの更新も途絶える。
 
 次に現れるのは元日になる予定。
 
 皆様には、今年もご声援ありがとうございました。
 来年もどうかよろしく。
 そして皆様、どうぞ、良いお年を。

 
 
 



ハッピイクリスマス(2006.12.25)

 タイの空港で買ったサンタ衣裳を着せて、モーとお散歩。
 文京区民に可愛さを見せつける。
 んが、同じような企みの一家が多数。
 うちはサンタ帽がない分負けてたりした。
 きっちり完全コスを仕上げている犬がいるのである。
 犬馬鹿に天井なしである。

 お昼から、俳優座で『ギフト』鑑賞。
 いつも生真面目な篠原さんらしくないエンタテイメントで、篠原さんらしい世界の行く末を真摯に憂えるテーマが詰まった作品であった。
 素直に面白かった。
 恵里佳ぴょんも、よくやってる。というか、また腕を上げている。
 この人は隠れた逸材だ。
 ただバラエティで何かうるさいだけの小娘ではないのである、この人は。
 早く演劇界がこの人に気付くべきだと前からずっと思ってたけど、今日も又、そう思った。
 
 風邪気味だったということだけど、変わらずセリフは明晰だ。
 落語家の弟子って設定だけど、さすがにそんな味わいはない。でもシェイクスピア劇のヒロインのようなセリフ力を持ってるなあ、と感心。
 ベニスの商人のポーシャとか、恵里佳さんで見てみたいと思った。誰か、蜷川先生に紹介してくれ。
 というか、そんなこという前に、わしが何か考えればいいんだけど。
 でも、考えたいと思います、ハイ。

 意外な発見と言っては失礼ながら、イジリー岡田氏に驚いた。
 きちんと芝居に向かい合ってる人であった。
 まあ、お笑いの人って、そもそも芝居は上手く、真面目な人が多いけど。
 今日の舞台見ながら、イジリーと六角が絡んで何かやったら、可笑しいだろうなあ、と思い、一人関係ないところでニヤニヤしてしまった。
 たぶん、お互いに姿が似ていることは了解済みだと思うが。
 この二人に、南海キャンデーズの山ちゃんを加え、三人姉妹のパロディの三人兄弟、てのはどうだ?
 それに大木凡人を親父役に迎えたら、敵なしである。
 見てみたい。

 夜は家でMⅠを見た。
 優勝のコンビは見事だったけど、準決勝で負けたあの素人の女子コンビの点が低すぎると思った。
 あの脱力感と、二人の関係性の微妙に揺れながら面白みを照射する間合いは、現代演劇における今日の潮流を強かに汲み取ったものである。
 本人達が意図しているか否かは別として、充分にアバンギャルドであり、今後の漫才の方向を変えてしまう可能性を持つものである。
 もしチェルフィチュ的な、ナンセンスな動きなどがアレに加わっていたら、その意味ももっと鮮やかに浮き彫りに成っただろうが。
 
 島田紳助師匠が、わしにコメントさすんかい、といきなり腰が退けていたが、たぶん師匠はそのことが分かっていたのだと思う。
 でも保守派に配慮して、黙ったんだと思う。
 今流行の芝居を一度でも見ていれば、アレがどういうものか、簡単に分かるはずだもの。
 
 ビートたけしを生んだ漫才ブームだってそうだ。
 あの時、出てきた新しいレトリック。
 たけしの論理ですら、僕らはすでにそれを知っていた。
 つかこうへいの言葉を通じて。
 つかこうへいの逆説的言語の洗礼を、芝居何本分かそらんじるほど強烈に浴びていたわしらには、たけしも、伸助も、コント赤信号も、全部、つかの真似に見えたモノだ。(おさむちゃんとか、洋七とか、肉体ギャグ有り派は違ったケド)
 芝居は常に、先を行ってるのです。
 
 見ててご覧。
 あの素人の二人の、雰囲気、確実に今後のお笑いの一ジャンルを確立させるから。というより、すでにあの潮流の中に進みつつある新人達がたくさんいるはずだから。
 
 明日は、ラブ3のオーディション。
 そして、なんと。
 明後日から、わしはニューヨークへ行く。
 
 



メリークリスマス(2006.12.24)

 日付変わってイブです。
 今日は、父の快気祝いのパーテイがありました。久しぶりに親戚が集まり、楽しい時間でありました。

 さてまずはソウル報告。

 ソウル2日目、韓国の伝統舞踊の人間国宝・李梅芳先生のアトリエを表敬訪問した。
 今度横浜に来てくれるのが、先生のお弟子さんなのである。
 12、3畳ほどの広間。大きな窓から差し込む冬の日差し。
 その広間の中心に、蒸気機関車の模型みたいな、真っ黒い古びたミシンが置かれている。
 先生のお母さんの嫁入り道具で、齢八十になる先生がそれでずっとご自分の舞台衣裳を縫ってきたという宝物というか、生涯の相棒である。
 ミシンの歳は百十歳だという。
 そのミシンの佇まいが、大きな窓から差し込むソウルの陽とともに、そのまま何かの芝居の舞台装置みたいだった。

 先生は今も、それでご自分の舞台衣裳や、日常着まで縫っておられるのだ。
 針にもご自分で糸を通される。
 明晰な頭脳、そして歯に衣着せぬ物言い。
 持参のお茶を進呈したら、オイ、次はこんな気を使うなよ、と仰有る。
 江戸弁のような歯切れ良い日本語。
 ふと三木のり平さんを思い出した。
 そんなふうにいいながら、最後にはお手製のスウェット型稽古着パンツを下さった。人間国宝の手縫いパンツだ。
 生涯の宝物だろう。

 のり平さんも、いろいろ毒舌放ちつつ、最後に桃屋の記念腕時計をくれたっけ。
 ほら持ってけ、って。
 日韓ダメ出しジジイお宝、二つの幸せである。

 先生からいろいろお話伺ったが、面白かったのが。
 人間の中には両性が備わっている。
 故にホモとかレズとか、犬猫にない行為が生じるのであるが、しかし、その両性、男の中にある女、女の中にある男こそが、男でありながら女の心になって泣いたりする、微妙な表現を生むのだと。

 そーいえば、のり平さんの女形も、可笑しいだけでなく、妙に色っぽかった。あちらの道も造詣は深かったそうだし。
 梅芳先生も、かなり色っぽい。八十過ぎてのことだから、超人的、もっと言ってしまえば化け物だと言ってよかろう。
 踊りに魂を捧げた怪人だ。
  
 ただ、その怪人の棲む屋敷の真ん中に、じっと佇む、老ミシン。
 その構図が、アバンギャルドであり、まるで乱歩の語る、夢の中の夢のようであり、限りなく趣深かった。

 3日目は、能楽堂の中村副館長と踊るアジア担当戸井田女史が別件の打ち合わせだったので、少し自由時間。
 お買い物狂いでもしようかと思ったけど、実を申して今年は年末ニューヨークに行くことになっていて、そこでお買い物狂いになるのは目に見えていたので、自重。
 その代わり、ずっと気になっていた、独立門へ。

 早稲田で講師をしていた時の、最も優秀な生徒だった韓国からの留学生・金文光クンとも連絡が取れたので、案内を頼んだ。
 金君は、今、日本の小説を翻訳したりして暮らしている。ただ、生涯の夢であるミュージカル作家にはまだなれず、屈託の日々とか。
 でも、電話一本で、仕事投げ出して駆け付けてくれる。
 義理堅い、素晴らしい青年。というかもう四十になるそうだけど。

 そこは日帝時代、日本占領軍が韓国の独立運動家たちを投獄し、拷問し、処刑した、刑務所の跡地である。
 前回の国民文化祭製作の時も、南京の虐殺記念館(04年の2月23日参照せよ!おお日記継続の威力)と同じく、作家としては、是非見ておきたいと思う場所だったのだけど。
 その時は、何を間違ったか、武器がズラリと提示してあるばかりの戦争博物館の方に行ってしまったのだ。
 で、ソウル3回目になる今回、ようやく見学。

 日本語を話す、ボランティアのおじさん(キムさん)の案内を受けつつ、実際の独房や、死刑執行の小屋などを見学。

自国の独立のために活動した人たちが、犯罪人として拷問を受けて処刑されていったのです。

 感情を抑えて、淡々と語るキムさんの、その押さえた調子が、余計に胸に突き刺さってくる。

 私は、余計なことを言っているでしょうか?
       
 何度かそう尋ねるキムさん。
 いいえ、キムさんは極めて冷静に語っておられました。
 でも、冷静でも感情的に言っているように聞こえてしまう、哀しさ。
 それは、ただひたすら話の中身が、無惨過ぎるから。
 そんな酷いことを、言葉にしていうこと自体が、おぞましいといいたくなるような。
 しかし、それが現実にそこで起きたことなのである。
 それを日本人が起こしたのだ。
 
 見学の間、何も語らずじっと一緒に回ってくれた、文光クン。
 何人もの独立の志士たちの首がくくられたという、絞首刑の縄に向かって手を合わせつつ、私と文光クンのように、あるいは、我々と梅芳先生のような、心の通じ合いが、あなたたちの闘いのお陰で今はたくさん生まれています、どうかご冥福を。と祈るのが精一杯だった。
 
 聞けば、小泉元首相も、ここに来たのだとか。
 どう発言したのかは、どうでもいい。
 心の底で、何を思ったか、それを聞かせて欲しいと思った。

 今回のソウルでの食べ物発見もさまざまあるが。
 第一は、スンデ。
 ブタの腸詰めである。血とか挽肉とか、餅米とかいろんなものが餃子みたいな感じで詰まっている。
 これは今回の通訳の、金考珍(女子)さんのお薦め。
 
 豊橋の時に、杉田監督に、豊橋に帰ると何食べますか?という同じ質問で、菜めし田楽を喰ったのと同じ流れで。

 金君が、名物店を知っていって、日本人3人と韓国の男女・金さん5人で、ヤカンに入ったマッコリの一番搾りってヤツと山盛りズンデで盛り上がる。
 臭みがあるけど、慣れるとやみつきになる、という感じの臓物系つまみ。
 これは初めてだったかも。

 文庫で日本の小説を毎日読んでいる考珍(ヒョウジン)さん、と日本の小説を翻訳している文光クン。
 ともに独身なので、一瞬わしが一肌脱いでまとめてしまおうかとも思ったが、例によって(てか、世間はそんなこと知らんだろうが)わしが動くとまとまるものも、潰れるというジンクスというか、実例が多々あるので、敢えてわしは動くのを自重した。
 思えば今回は、全面的に自重の旅であったかもしれぬ。

 ちなみに、韓国では同じ苗字同志では結婚出来ないというけど。どこどこの系統の金というので照らし合わせて、違う系統なら金同志でも良いのだそうな。
 んで、実際にこの時も金さん同志、どこどこの金だと言いあっていた。
 
 まだいろいろ書きたいことはあるが、そのうちに。

 ただ書き残しておきたいのは、わしら扉座の行きつけの韓国料理、錦糸町稽古場より徒歩五分のハンラサンの料理は、全面的に旨かったのだと言う再発見。
 もちろん、日本人に向いた味付けというのはあるかもねしれぬが。
 マッコリにしても、ちぢみにしても、チゲとかも。本国の料理に負けてないと思った。
 もしかしたらズンデもあるのかも。

それにしても。
 羽田~金浦空港便だ。
 出入国審査の簡潔具合といい、搭乗口のしょぼさといい、とても国際線とは思えぬ軽便さ。
 加えて2時間を切るフライト時間。
 金浦は、ソウル市街にも近いし。
 近い国だ。

 明日というか、イブのお昼は。
 俳優座で、劇作家協会の篠原さんのホンで、山川恵里佳さんが出ているミュージカルを観てくる。
 久しぶりに、恵里佳さんの舞台。北九州以来2年ぶりか。
 
 クリスマスイブに六本木!ただし芝居見物~
 
 
 
 



年の瀬に(2006.12.18)

 土曜日は劇団の労使交渉。
 俳優部からは、特に申し立てナシ。
 むしろ、経営側からの諸問題についての相談が山積みで、いろいろ語り合う。
 いつも過渡期で、いつも崖っぷちで、ずっと瀬戸際なわしら。
 
 名案はなく、地道に励んでゆくだけだね、の結論。
 まだ続くのか。
 これが、人生か。

 その後、ファンの皆様との歓談会。
 ノロウィルスの猛威吹き荒れる中、劇団員の手作り料理をバンバンふるまう。
 恐れ知らずの無法者達。
 大丈夫だったろうか、皆さん。

 もっとも、会費以上の商品券がゲームで配られたりして、瀬戸際なのに、なぜか気前の良い劇団だ。
 わしらの考えていることは、ようわからん。
 ただ、これだけは言える。
 会員なら、参加しなきゃこれは損だ。
 
 だいたいこういう会って、お客さんを楽しませるために、劇団員たちはいろいろ苦労して、内心は面倒くさがってる、というのが大半の構図だと思うけど、この宴会は劇団員が結構楽しみにしている。
 無理にご接待、とかしてないからね。
 むしろ自分たちが面白がってる。
 加えてお客さん方も慎ましく、適度な距離感を保って、気を使って下さるし。
 やる度に、ええ感じやんけ、と思う。
 ただし、来年は秋公演がかなり年の瀬に予定されているので、パーティをどうするか、要検討になっている。

 お客様をお見送りの後は、そのまま忘年会にグダグダと突入。
 ダラダラと飲む。岩本と有馬。

 日曜日は、
 お昼に、エアリアルの公演。若井田チームの皆さん。
 若井田先生が見事なのは当然ながら、今回、若い生徒諸君の制作作品が、お洒落でポップで可愛かった。
 20代前半の女子の空中芸パフォーマンスだ。
 美少女雑伎団で、売り出せないものか。
 空飛ぶギャルチーム、とか。
 
 そもそもエアリアル学校の設立を焚きつけた者として、責任があるのもさりながら、良いはずコレ、と素直に思った。
 
 その後、劇作家協会の新人戯曲賞審査会へ。
 毎回の公開審査。
 まるで己の読解力を試されているよーな気分になる。
 冷や汗掻きつつ、分かったふりで戯曲を語る。
 
 しかし、最近、応募作の作風が変わってきた。
 アバンギャルド志向の分かりにくい芝居が減って、オーソドックススタイルの復権の兆し。
 今回の受賞作『ダム』(嶽本あゆみ作)は、愚直なほど王道を征く、力強い作品だった。
 分かる芝居の擁護派といえる、斉藤憐、マキノノゾミ、永井愛、とわし。審査員7人中4人が、非アンチテアトル作家であることも大きく影響しているだろうな。
 ちなみに残る3人は、川村毅、鴻上尚史、坂手洋二氏。
 この7人で芝居を語つても、噛み合わぬだろうと素人は思うだろうが、そんなことはなく、不思議に面白い。
 観客も年々増えてきている。
 紀伊国屋ホールに百二、三十人ほど。
 これが満席になった時、日本の演劇は変わる。と思う。 
 あと特筆すべきは、候補作六本のうち、九州弁の作品が三本だったこと。
 このところ、関西方面の作品が強かったけど、ついに九州にブームが移る気配あり。
 縁ある者として、ちょっと嬉しい。、今年はわしも小倉弁で書いたしな。 

 審査会後に、授賞式を兼ねた宴会。
 いつもの居酒屋の片隅で。
 仮にも授賞式なんだから、そんな場所じゃなくて、もう少しちゃんとした場所で出来ないものか。
 せめて賞状渡す時ぐらい、とずっと思っていた。
 でも、コレにもだんだん慣れてきてしまって、まあこれも趣深いかなあ、と思えてきた。
 わしらは真剣に読んで、それぞれの演劇観をぶつけ合い審査している。その果ての居酒屋授賞式である。
 中味はちゃんとしている。
 体裁は悪いが、心がある、はず。
 
 ボロボロの稽古場でやってるわしらのパーテイも同じだ。
 
 さて、明日から韓国、ソウルへ。
 踊るアジアのための、ツアーその2。
 3泊で。
 韓国舞踊を研究する旅。

  
 
 



エンジョイ(2006.12.15)

 本読まなきゃ強迫観念に襲われつつ、今日も本屋へ。
 朝までテレビの姜さんの『愛国の作法』という親書。まだ途中だけど、グイグイと引き込まれる。
 新国へ行くまでちょっと時間があり、こりゃまたやめた翌日のパチスロか、と不安を抱きつつ新宿で時間潰しになったのが、この本のお陰でたちまち予定時間に。

 こういうのを知性と呼ぶのだなあ、と思う。
 故郷と国家は別のものなんだよ。
 国家は、知性をもって冷静に愛さなくては。
 まったく賛同。

 とそんなことしつつ、初台へ。
 山犬の会、山抜き、のメンバーらと。
 チェルフィッチュの岡田利規さんの新作を。

 噂にだけ聞いていた劇作家。
 犬の会は戯曲を使わせて頂いたが。

 その時の上演がまったく意味不明だったので、その後、わしと犬との間に、ちょっとした意見交換があり。
 では、本家を見にいこうということになったのだ。
 もっとも聞けば、犬の会が借りたスタイルはとっくに捨てて、現在の舞台は、新たなものになっているとのこと。
 なのでこれ見ても正確には、犬との論争の決着は着かないのであるが。

 とまあ、そんなことはどうでもよくて。
 結果から言うと、かなり面白かった。

 ストーリーと呼べるものはなく、ひたすら無意味な会話が続き、
 ワケ分かんないと言えば、分かんないのだけど、普段使わぬ脳味噌を刺激される面白さというか。
 えっ、これ演劇?
 と素朴に思ってしまうけど、アリだなあ、というか。
 蟻でも、モハマドでもなく、有りね。有馬も違う。

 一言で言えば、平田オリザの常套手段である、非常時下における終わらぬ雑談形式を使いつつ、その雑談を語る様態を、ちょっとというか結構、ただし軽快にカリカチュアして、変なダンスみたいに見せてしまうというか。
 
 ああ、今時の若者は、社会情勢とまったく関わりない気配で、こんなふうに無意味に動きながら会話してるよ、というか、わしもそんな風だよなあ、と
 面白がれるものである。

 ああ、感動したぁ、なんて芝居じゃないけどね。
 巷で岡田さんに言われている、コンテンポラリー・ダンスみたい、って感じ。
 それは私にとっては脳の中の手の届かぬ部位を、いじられてる感だ。
 しかし、アジアのダンスのことを、考えなくてはならぬ今の私には、それはとても興味深く、インスピレーションを与えてくれるものであった。

 何よりも、フラフラと動きつつ意味不明のしぐさで、しょーもないこと語り続ける若者を見てて、客席でじっとしてるのがとても阿呆らしくなり、こっちもカラダを揺すったり、無意味に手足動かしながら見たくなる感じがした。
 それは、もしかしたら、音楽における、グループ感みたいなものがここで生まれてる、ちゅーことじゃないかと思ったナ。

 これ見てると、わしもコンテンポラリーなら、踊れるんじゃないかと思ってしまうみたいな。

 芝居で、グループ感出すなんて、これは至難の業だよね。
 
 ともかく、面白かった。
 こんな世界を、たまたまにせよ、まったく別の世界に生きているよーな扉座の稽古場に、引っ張ってきた犬は、エライと改めて思った。
 犬も歩けば、ボーに当たるんだね。
 
 犬と言えば、うちの犬。
 突然、犬との会話に目覚めた。
 今日も散歩中、他犬を見つけると、自分からグイグイと近寄っていき、鼻をクンクンさせてご挨拶なんかしてる。
 ちょっと前まで、犬の姿見るだけで、変な毛むくじゃらがいるよ、お父様、行きましょう、って感じだったのに。
 なぜ、そんな境地に至ったのかは心当たりナシ。
 
 恋がしたいのか?
 ボーに当たるか?
 ボーにシッコならよくしてるけど……



……(2006.12.14)

 横浜で打ち合わせした帰り、池袋で秘宝伝。


 もう、パチスロなんかやらない。
 トシノリがいつか壁を叩きながら言ってた通りだ。

 パチスロはイジメ  です。



すっげー変な日(2006.12.13)

 年の瀬に向かい、時空が乱れておる。

 今朝は、朝から駒場の劇作家協会へ。理事会。
 何を隠そう、わしは副会長なのである。日本の劇作家の集まりのだよ~

 しかし、とても大事な案件に対して、何の心構えもなく、アイデアもなし。会議中、ひたすらボー然とするばかり。
 そんで、遅れてきて、サラリと発言した、平田オリザ氏の意見の鋭さに、感心、感銘。
 アッタマいーな、この人、って。
 
 それでも大事な案件はなかなか進展せず。

 そんな中、わしはこともあろーに、早退で表参道へ散髪へ。
 まさか、会議がそんなに長くなるとは思わなかった。
 一瞬迷ったけど、何かと優遇してくれるお店に、年の瀬の予約飛ばしは申し訳ないので、すっごく大事な打ち合わせがあるような顔して、アセアセと駆け付けた。

 何かと優遇のお店は、今日も手厚いおもてなし。
 お医者さんに来てもらって、スタッフ一同、インフルエンザの予防接種して貰うんだけど、横内さんもどう?

 昨年、ラブ3の時、インフルエンザBをもらい、人間国宝の野村万作氏に、伝染しかけた記憶が蘇る。
 先日、国宝は元気に釣り狐に出てたので、良かったものの。
 何より、インフル辛かったし。
 
 結局、お言葉に甘えて注射をお裾分けして頂いた。
 パーマのくるくるをアタマに乗せた姿で、予防接種を受ける。
 
 希有な経験であった。

 にしても、やって来た先生、お店とは古いお付き合いとのことだが、白衣を着てなくて、何かゴルフウェアみたいな格好で、美容院の雑然とした控え室で、ハイ次の方、なんて言っている。
 知らぬ人が見たら、怪しい光景の限りであろう。
 時空が捩れてるとしか、思えぬだろ。

 さて、ちょいと予定より早く、行程終了。
 表参道から銀座に行く予定だったが、なんか辛抱たまらなくなり、赤坂見附でブラリ途中下車。
 おやおや、横内さん、パチスロですね……(あの声で)
 
 秘宝伝と闘う。

 1万円でかからなかったらヤメようと思ってたら、ちょうど1万円ぐらいで、チャンスなのか?に入り、ビッグゲット。そこから、連チャンし、するすると2箱弱まで。
 ケツがある時に限って、こんなことになるんだ。このまま大連チャンに入ったらどーしようと心配したとこで、パタリと運が尽きる。
 でも、こんなにあっさり勝利は久しぶり。
 
 サクっと現金に換えて、散髪代と予防接種代を取り戻す。
 そのまま銀座へ。まだ時間に半端な余裕有り。
 本屋に向かう。
 週間金曜日の書評活動を復活させて頂くことになった。

 今年は前半は、まったく本なんか読んでる暇なかったからな。このままクビかと思ってたのに、寛大な編集部。
 そんで最近、慌てて、読書をし直している。

 気になるものを何冊か買って、さあ、行こうかと思ったら、となりがマック。
 マクドナルドじゃなくて、リンゴの方。
 ふらふらと覗いているうちに、アイポット・シャッフルが猛然と気になりだす。

 何かもう、ちょっとしたクリップなんだよな。
 耳たぶにでも挟んでおけるみたいに。
 さすがに三百も曲数は入らないらしいけど、
 五千曲入るデジタルのヤツはすでに持ってるけど……
 この小ささ軽さは、魅力的。

 パチスロ勝った後でもあるし、サラリと購入。
 リンゴはすごいね。
 うわ、欲しいと思わせるものを次々と創り出す。
 
 その後、銀座のお料理屋さんへ。
 深夜劇場へようこそ の年に一度のお食事会。プロデューサにお呼ばれで。
 女子コンビの鈴木裕美さん、林あまりさん、植本潤クンらと。
 実は、5年続いたこの番組が、来年3月で、一区切りとなる予定。
 まだ収録が1回残ってはいるけど、早めの打ち上げのようなものであった。
 んで、かなり大人な感じのお店で、ご馳走を頂く。
 
 たいへん楽しく、また美味しゅうございました。
 それにしても、アチコチ、うろついた日であった。

 
 豊橋の追記。
 初日の後、杉田監督や、東京から駆け付けてくれたハンズの菊地さんたちと、居酒屋で宴会してて、豊橋に来て、何を食べるべきかという話題になった。
 豊橋生まれの監督のお薦めが、菜めし田楽。
 そんで、翌朝、わしはホテルめしを喰わず、一人タクシーで、その専門店に向かった。
 
 菜っ葉の混じったご飯と、豆腐にミソを塗りつけた田楽が八本ほど。あと香の物と吸い物のセットで、千七百円。
 江戸時代の宿場飯といううたい文句で、素朴で旨いものであった。ただ、もう一人の豊橋人、茅野がその素朴さに対して、あの値段が如何なものか、と。
 確かに、ひたすら同じ味の、しかも濃いみそ味の田楽だけがオカズで、ゴージャス感には欠ける。
 でもでも、わしはそのシンプルさが、気に入った。何より、値段のことなんか言い出したら、そこに行くのにホテルからタクシーで千五百円。そんで、そこから劇場に行くのに、また千七百円。合計、約五千円の、朝飯になっておったのだ。

 ささやかながら地域活性化に貢献した私。

 んで、その店に入ると(この店内が宿場チックで趣深いのであるが)、奥のお座敷に通された。
 テーブルがいくつかある中に、入ったときは私一人。
 どうもこりゃ一人でくる所じゃないなあと、思っていると、店員さんが、お茶のセットと、なぜか朝刊を持ってきてくれた。
 おお、気が利くなあ、と思っているところに、やはり同じくツーリスト的な、おじさんの旅人がやってきた。
 すると、またまたお茶セットと朝刊。
 何紙有るんだ、朝刊!?
 どうやら朝刊が、必ず付いてくることになってるらしい。

 その後、どんどん、お客さんが来て、たちまちテーブルは埋まっていったが、家族連れとカップルには、朝刊サービスはなかった。
 そんな人たちに混じって、お茶を啜りつつ、ガサガサと朝刊を読む、二人のオッサン。
 ちょっと奇妙な絵であったと思うだら。

 隣の席は、おじいちゃんと孫二人のチームだった。
 高校生ぐらいの明るく可愛い娘さん。
 やたらに、だら、だら。と言っている。
 おじいちゃんと一緒じゃないと、こんなご馳走食べさせてもらえんダラ。
 とか。
 
 その響きが、心地よかった。菜めし田楽と同じく飾り気のない感じで。
 
 以来、私の中で、だらブームだら。
 明日、わしは横浜に行くだら。
 踊るアジアの打ち合わせだら。
 
 

 



劇場の神様(2006.12.11)

 私は演劇教の信徒である。
 劇場の神様を崇めている。

 この土曜と日曜、その神様は豊橋にいた、と思う。

 『豊橋オーレ!』
 スタッフに名が載ってはいるものの、起ち上げに参加しただけで、あとは茅野や赤星に任せきりだった。
 なので、かなり観客気分で観ていたのだけど、素直に笑い、胸が熱くなった。
 そして、矛盾しているけど、名前だけでもここに関わっていることがとても嬉しく、誇らしかった。
 
 モボもすごく頑張って良い本を書いてくれたし、扉座メンバーも舞台の上で、稽古場で、ある時は裏にも周り、よく作品を支えた。
 茅野も、辛抱強く、150人の人々を一つにまとめて、同じ目標に向かわせた。
 でも、何か、そういうそれぞれの力や努力の積み上げの上に、人智の及ばぬ特別な巡り合わせのようなモノが加わって、奇跡的な味付けになっている。
 そんな気分になったのだ。

 作品の中に出てくる、人と人の繋がりが、歴史を生んでゆくんのだというような感覚。その歴史の瞬間に生きている幸運!
  
 終演後のパーテイの席で、茅野が、自身の豊橋との関わりの運命を語っていた。
 14の時に、一家の夜逃げ同然に捨てて離れた故郷の町。
 
 盟友の身の上なので、安直に夜逃げとか、一家離散とか、失礼なことばかりわしは放言してるけど、思春期の浩一少年にとっては、それは深刻な問題に違いなかったわけで。
 笑いながら言ってても、浩一の目は、どこか寂しげだったワケで……
 
 杉田成道さんから、この仕事を請け負ってきて。
 
 故郷に錦を飾るつもりでやりゃいーだろ。

 と、これまたライト感覚で、かるーく彼にフッた時、わしは知らなかったけど、内心はよりによって豊橋に帰らなくてはならぬのか、みたいな屈託に溢れていたのだそうな。

 もう二度と帰らないと決めた過去の町だったのだそうな。

 演歌みたいだけど、そんな場所だったのだと。
 でも、今回、ここで皆さんと芝居が作れて、帰ってくる故郷を手に入れられた……

 これを、神様の祝福以外の何だと言えよう。

 わしらは芝居しか出来ないし、やってこなかった。
 世間一般の目から観れば、不可思議なアウトローたちであろう。
 そんな奴らと足かけ2年も、付き合い続けた、豊橋市役所の方々もさぞ、折々に呆れられ、ご苦労も絶えなかったと思う。

 でもね、劇場の神様は、そんなわしらに、たまーにご褒美をくれるんです。
 たいてい、辛い試練しか与えてくれない、かなり意地の悪い神様なんだけど、ごくたまーに、シビレるようなことしてくれる。
 
 それは、良い行いをした、とか、困ってる人を助けたとか、そういうことのご褒美ではなく、ただひたすら、一所懸命、芝居をやったというご褒美として。
 世間では、芝居なんかやってると、罰を受けることの方が多いのに。
 へそ曲がりの神様がな。

 14で故郷を失った佐藤浩一少年に、芝居がその故郷を返してくれたんだ。
 一所懸命、芝居を創る茅野イサムという名の芝居者となった30年後の浩一クンに。
 よく芝居をやった、と。

 そしてそれはこの2日間、何も茅野君にだけ祝福があったのではなく、この作品作りに関わったすべての人たち、応援してくれた人たち、そして見に来てくれた観客達に降り注いだ、と思う。

 相模原から車を飛ばして、スピード違反罰金6万円までくらい、駆け付けた岡森が、
 これは掛け値なしに素晴らしい、
 と感動していた。
 岡森は、福岡や大和での、扉座の成果を観てないので、ショックも大きかったようだ。
 演劇の原点があると思う、と。
 そして、今度こういうのがある時は是非参加したいと、申し出てくれた。
 
 崖っぷち犬飼淳治も自腹を切って、深夜バスでやって来て二日間滞在した。
 ネバネバにも、わしに隠れて勝手に老人の扮装をして、出演者たちに紛れて舞台に立っちまったヤツである。
 150人に混じったら、絶対に分からないから、こっそり出て行ってマツケンサンバ踊ってしまえと焚きつけたのだけど。

 しかし。
 この神聖な舞台を汚すわけにはいきません、と観客に徹していた。

 それじゃ、劇団の本公演は神聖じゃねえのかよォ、だけど。
 
 その気分は分かる。
 やっぱり、犬も、そこに神を感じたのだ。
 劇場の神様が来ているのを。

 扉座のねばねばには来ず、素人のオーレに来たんですか?
 と不審に思う方もいるだろうけど、そういう気まぐれな方なのだ。
 わしらの神様は。
 ねばねばには来てたかも知れないけど、普通にブラブラして帰って行った。

 でもそれが当然なのだ。来てくれただけで、普通は十分というべきなのだ。
 
 ホントに久しぶりである。
 わしも、この神様の祝福を感じたのは。
 わしらはいつも一所懸命やってるので、常に神様に守られてはいると思っている。
 でも、なかなかお褒めは頂けない。
 それも、こんなに手放しの祝福なんかもらえない。

 ああ、もはやすべてが消えてしまって、あとは、そこに居た人たちと、それを見た人たちが語り継いでゆくしか、この奇跡を残してゆく手立てはない。
 もっとも、それが芝居であり、その切なさを愛するのがわしら芝居者なのだけど……

 豊橋は今頃は、まだ、馬鹿騒ぎだろうな。
 疲れ果てて迎える夜明けの眠りとともに、ゆっくりと思い出に変わり始めて行くんだ。
 
 もっと何かステキなことが起きるような気がして、去りがたかったけど、居たら居たで、寂しさが増すばかりなので、予定通りにエイヤアと帰ることに。
 わしは、岡森の車に乗せて貰って来た。

 道中、アレコレと話をする。
 わしらの劇団と芝居の、来し方行く末を。
 結局、休憩を入れて三時間半以上かかったけど。

 昔は、よくこうして真夜中、車でどっか出掛けては、国道沿いのファミレスに入り、次の公演の構想なんか善人会議副座長の、岡森と話し合っていた。
 コーヒーを何杯もお代わりして。
 あの頃の僕たちを思い出した。

 オーレの出演者たちのように、舞台への憧れと、飢餓感に溢れていた若い頃。
 まだ演劇が日常生活ではなく、驚きと恐怖に溢れていた修業時代……
 東名を東京に向かって走る車。
 今のわしらが、演劇を仕事にしている場所、それが東京だ。
 神様に会うために、その東京でまた新しい仕事に明日から取りかかるのだ。

 時間旅行をしているような不思議な旅だった。
  
   
 
 

 
 
 
 



明日から豊橋(2006.12.08)

 昨日は研究所から、池袋に速攻移動して、キャラメルボックスの『少年ラヂオ』を鑑賞。
 本日は、久しぶりに事務所に行って、田中から扉座通信用の取材を受けた。
 06年の回顧を田中に語る。
 あと原稿書き。
 そんで明日、明後日は豊橋。

 相変わらず、お客さんたくさんのキャラメルボックス。
 このお客さんの何分の1かでいいからうちに引っ張れないモノか、と思いつつ舞台を見る。
 前に見たときも、たぶんわしの内部テーマは同じだった。
 成長してねーな、わし。

 過剰すぎるんじゃないかと思うような、音と明かりの盛り上げ。
 ドーンと入って、鳴り響く軽快で爽やかな音楽と、サーッと変わる明かりだ。
 そして、トントンと進んでいく早い展開のお話とポジティブメッセージ。

 わしも決して不得意なものではないし、結構やってたりすることだとも思うのだが、しかしここまで徹底してないもんなあ。
 特に最近は、音楽なんかもあんまし流さなくなって来てるし。
 
 この劇団は、お客さんに愛されてきたことを、誠実にかつ忠実に守り続けているのだなあと、つくづく感心。
 オオ、まだやっとったかあ、この感じ、とも言えるけど。
 わしは飽きっぽくてなあ。
 すぐにスタイルとか、作風とか変えたくなるしなあ。
 
 なのにキャラメルは、この感じを年4回だって言うんだから。
 ファンも忙しいけど、安心して見続けられるし、応援しがいあるだろうな。
 ねばねば見に来たあるお客さんが、まさかずーっと年寄りの姿じゃないよな、と思ってたら、最後まで年寄りだったから、がーっくりきたんだって。
 誰かのファンらしいが。
 わしらは、安心できんのじゃ、やはり。
 平気で、裏切り行為に走る劇団じゃ、キャラメルボックスに比べたら。
 今日奇しくも、なんでこんなにドアクラブ会員が増えぬばかりか、むしろ減って来てるねん、と田中に小言を言ったばかりだけど、原因は己にあることに気付くわし。

 もっともこれを確実にこなし続けるのは大変だろうよ。
 実際、成井さんは、くたびれ果てているらしいが。
 横内さんはよく書き続けられますねえ、なんて感心されたけど。そりゃあなた、私なんか今や劇団は年1回すからね。しかも、ずっとじじいの姿とか、嬉々としてやらせるし。
 
 やっぱりわしと仲間達に、キャラメルのようなことは無理かなあと感じた。
 わしらはもっと好き勝手に、加えてダラダラとやれなきゃ、たぷん劇団活動が嫌いになってしまう。
 今のペースだって、えっ、もう劇団公演やらなあかんのか!
 て感じだもんなあ。 

 終演後、岡田達也さんと坂口さつきさんらと池袋でお食事。
 鳥取出身の岡田さんに、万年筆博士を自慢する。
 道具自慢かよ、だが。
 
 そういえば、昨夜は隣の座席に、北九州の飛ぶ劇場の権藤君と、MOPの塩湯さんがいた。
 他劇団の人たちとよく会った日であったことよ。

記録
 本日レノンの命日。明日は猿之助さんのお誕生日。
 今年も又、パーテイに出席できない無念をお伝えしたところ、軽井沢から自筆のお葉書を頂く。
 「少し蘇ってまいりました」
 だって。
 吉報だな。
 
 



MAとか厚木とか(2006.12.07)

 富士見ヶ丘小でやってきた演劇授業の様子をまとめた記録ビデオの副音声の、解説というか、テレビ見ながらのオバサンの雑談みたいのを、前協会会長・永井愛さんと二人で録音してきた。
 断っておくが、永井さんがオバサンという意味じゃないぞ。
 わしも含めて、おすぎとピーコ的に、口うるさいおしゃべりオバサンのように、画像見ながあーでもない、こーでもないと、コメント垂れ流した、というほどの意味だ。
 永井さんは、密かに自分について書かれたコメントとかについて、ネット検索しては、細かい悪口とか見つけて、ショック受けたり、怒ったりする習慣がある、とご自分で仰有っておった。
 なので、きっちりフォローしておく。 

 それはともかく。
 これは文化庁を通じて、全国の小学校に配られることになっているけど、到底、全校とは思えず、どれほどの学校がカバーされているのかは謎。
 しかし、ワシが見る限りは、何も知らない先生が、演劇とか教えろとか、そういう授業やれ、とか命じられて途方に暮れた際の、多少のよすがにはなるだろうと思える。
 かなりコンバクトにまとまってるし、詳しい解説も添付されるようだし。

 なので興味のある方は、劇作家協会とか文化庁にどしどし問い合わせて欲しい。そんで

 オレに、アタイによこしな、とリクエストなされぃ。

 あと、若い劇団で、芝居の練習の仕方が分かんない、という人たちにも、これは意外に有効かも。
 小学校の授業だけど、やることは大人向けと変わらぬものばかりだ。
 副音声解説しててつくづく思ったけど、結局、芝居に大人も子供もないんだよな。
 やることは同じなのだ。
 プロとアマもまた同じ。
 
 ところでこのDVDには、扉座エデュケーション部部長田中信也氏や、鈴木里沙氏、崖っぷち犬飼氏などの姿も時々映っている。
 田中部長に至っては、上海バンスキング・斉藤憐氏と、子供達の前で、エチュードの見本試技までご披露している勇姿だ。

 田中が、青井陽治先生の指導で、斉藤憐とからんで鏡の動きとかしてるんだぜ。

 マニアには、たまらぬお宝である。
 そういうマニアが、どれほどいるかは、分からんが。

 さて、その後、厚木に移動。
 サテンで、新人戯曲賞の候補作一本を読んだ後、宴会場へ。
 
 厚木シアタープロジェクトの皆様と、忘年会兼、ミーティング。
 実は、今豊橋でやってるようなことを、厚木でもやろうという兆しが見えるのだ。
 それについて、どんなことなのか説明しつつ、もしやることになったら、頑張りましょうね、という話をさせて頂く。
 イメージを掴んで頂くために、豊橋への視察もお願いしつつ。
 しかしお願いするまでもなく、豊橋に負けてられるか、とワラワラと勢いづく、応援団。
 たちまち、数名の方の豊橋入りが決定する。

 厚木もやる時はやる。
 待ってろよ、豊橋!状態である。
 
 豊橋は燃えているか? 



師走(2006.12.05)

 たいした師じゃないのに、なかなか慌ただしい。
 これからやるべきことを手帳に書き込んでみたら、あっと言う間に余白がなくなり狼狽えた。

 明日は、劇作家協会で出す、演劇教育のためのDVDのナレーション入れに行った後、厚木に行って、応援団の方々と、来年以降の活動についてのお話を。
 忘年会を兼ねて。

 DVDは、文化庁の支援で製作されていて、小学校に無料配布の予定。
 富士見ヶ丘小の授業の様子をコンパクトにまとめたものだ。
 そう言えば、文化庁は未だに庁じゃないか。
 防衛庁が、省になって、なんでこっちは省にならんのか。
 文化は防衛よりも遙かに大事なものであろう。
 違うのか?

 んで明後日は、研究所でラブ3稽古した後、キャラメルボックスを見にいく。
 キャラメルボックスは半分は出演者に用事があって行くのであるが、舞台を見るのも久しぶりで、最近の観劇シリーズにあって、今キャラメルがどうなっているのか、興味がある。

 何か、大人になることを拒んでるようなイメージのある劇団だけど、実はわしらと同世代で、中味はちゃんと歳をとってるワケで、彼らがどんな風に歳を重ねていくのか、見てみたい。
 
 そんな中、崖っぷち犬飼にわざわざ電話して、来週、劇場に行こうぜと誘う。
 劇団員をこんなふうに誘うなんて、5年に一度あるかないかだ。
 チェルフィッチュの岡田さんという人の舞台を見に行こうと、約束があったのである。
 夏前に、稽古場で崖っぷちが演出した『高利貸しの女』の作者である。
 正直わしはあれの何が面白いのか分からんかったのだが、その後、業界内でやたらに、岡田氏の評判を聞き、気になって仕方なくなった。
 実際、今回の公演は新国立である。新鋭登場という感じで、ドーンと売り出されているし。
 
 わしの感覚はそんなに世間とずれているのか?
 確かめなくてはならんと思うに至ったのである。
  
 犬飼と並んで、確かめてくる。

 そんな矢先、ゲーテという雑誌で吉田拓郎が語っていた。
 若い奴らの音楽なんて、ほとんど理解出来ないよ。
 でもオレは否定はしない。
 分からなくなったのは、自分の問題なんだから。
 
 拓郎は、一世代上だけど、わしも肝に銘じよう。
 分からなくて、ダメなのは、己かもしれぬ。
 
 



早朝(2006.12.04)

 昨夜、豊橋から帰って来ると、眠くて眠くて、そのまま寝たら、4時過ぎに目が覚めた。
 うつらうつらしていたが、わしが目覚めたのを察したモオが、じゃれついてきたりして、ますます目が覚めた。

 仕方なく、原稿仕事をのそのそ始めた。

 一泊で豊橋に行ってきた。
 寒い体育館だけど、百五十人ぐらいの出演者とスタッフがワサワサと蠢いている。
 芝居と言うより、祭り作りだ。

 土曜と日曜に分けて通し稽古。
 見た結果、中味は、祭りではなく芝居だった。
 歌舞音曲はあるけど、中心はセリフ劇。

 にしても、こんだけの出演者でやるのだから、これはとても珍しい。
 一幕を見た時は、ああ、もっと歌とか踊りとか入れるように、口出しすれば良かったかも、とか思ったけど、翌日の二幕、そして全体を見渡して、帰り道とかしみじみし噛み締めてみて、
 まあこれはこれでチャレンジだし、これが観客に伝われば、意味深いものになるなあ、と考え直した。

 結局、モボ鈴木も茅野イサムも、マジでドラマに取り組もうとしているワケだからね。
 ここでも手抜きとか、お茶濁しみたいなことが出来ず、ガチンコやってる扉座の皆様なのである。
 それに市民の皆さんも、必死に食らいついて行ってるし。
 
 そんな中で、身内の者たちが、やり甲斐のある役とかもやらせて貰っていて、これはとても有り難い話と言うべきだろう。

 ルオや小牧祥子(建築ショウメンバー)、石坂に、君らがしっかりやっちくれよ、と注文した。
 ただ、がんばるのみならず、芝居を見せてくれということだ。
 そういう構造になっているのである。
 もちろん、他の市民俳優たちにも、頑張って貰わなくちゃだが。

 でも、市民の皆さんは、よくやってくる。
 遠慮なく叱ったりする、扉座スタッフにもよく耐えて。
 仕事とか学校とか家庭とか、それぞれに問題を抱えつつ参加して、どうして、こんなに叱られたり、こき使われなくちゃいけないの?と疑問が湧いて当然と思うのに、ほとんど脱落者もなく、ハイ!ハイ!と厳しい指導とダメ出しに応えている。

 ま、そうやって、素人相手にもムキになって、エネルギー注いでやるのが、茅野はじめ、扉座の使命でもあるんだが。
 応えてくれる人たちがいなきゃ成立しないことなんだから。

 それにしても、もはやほとんど呼び捨てだからね。そんでスパルタ。
 ○○!もっとちゃんとやれ!とか。
 
 深く信頼が結ばれているのを祈るばかり。
 終わったら、体育館裏呼び出しとかあったりして。

 ともあれ、大成功の兆しが見えている。
 思えば、名古屋万博の頃から、ワークショップとかやっていた。種撒きから初めて、いよいよ収穫の時だ。
 ここから、終わりまで、あと一週間、一瞬一瞬、喜怒哀楽の極地に至る舞台作りの醍醐味を、皆さんに堪能して欲しいと心から願う。
 
 金曜日は、そういうものとはある意味対極に位置する、萬斎さんと万作さんの磨き抜かれた、釣狐。
 それは狂言と言うよりは、ドラマだった。
 
 人間も獣も超越した、生の孤独という普遍。
 なにげない民話のような話なのに、狐も人も、たまらなく悲しい存在としてそこにある。
 
 見る、というごく当たり前の人間の活動が、一つの体験となる濃密な時間。
 
 それにしても、茂山一家の公演と、野村一家の公演の、同じ狂言でも、なんという雰囲気の違い。

 野村万作さんは、

 可笑しいよりも、面白く、面白くより美しく、と仰有る。
 万作さんは、そう仰有っていましたが、と茂山の千之丞さんに申し上げたら、タダ一言。

 それがナンボのもんじゃい、と。

 もったいぶらずに見事にわらかしたら、ええやんか、って。ともに人間国宝みたいな爺さん同志がそう言い合う。

 しかし、その両家が反目し合っているワケではなく、プロレスみたいに主張しつつも、絡み合って業界を押し上げる強かさ。
 そこが極めて趣深い。

 
 





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