昨日から活動再開(2006.11.30)
まだ何かアタマがぼんやりしている。 水曜日は、稽古場へ。研究所の稽古。研究生も多数、風邪を引いている様子。 本日は、MOPの公演。 ズピズピを。 まだ風邪が抜けてない気がするので、お昼の公演で。
同じ場所で起きる四つの話を、まとめて一本にするという斬新なスタイル。 四つの短編である。 一見別々に見えて、それが実は微妙に関係し合っているという、そこら辺のところも上手くまとまっていて、良い芝居だった。 何よりも、意味なく人が殺し合ったり、傷つけあったりしないところがとても安らぐ。
スパイダースのまったくすれ違いつつ、虚しく傷つけ合う関係性とか、 ウォーキングスタッフの、どっちちがどっちかを抹殺しないと、先に進めない、というような息の詰まる関係性とか、 ドラマとして、理解は出来るけど、やはりわしは苦手である。 それぞれにそういう状況には意味深いものはあり、社会や世間に対する洞察があるのは分かるけど、当然ながら楽しくない。 それは単に笑いたいということでもないぞ。 現にスパイダースなんか笑いが一杯だ。
要するに、ギリギリのとこに追い込まれて、狂ってしまった人間の姿なんか、わしはあんまり見たくないんだな。 もっと精神を大きく揺らす余裕のある人たちが、その心の揺れで右往左往する様子を見て笑いたいんだ。 一つのことに縛り付けられた精神の悲鳴ではなく。
狂った人間は、変なこといっぱいするし、確かにそれはそれで面白いんだけど。しかも、わしもそういう人間の力を借りて、時にドラマを組み立ててもいるけれど。 だから、甚だ、勝手な言い分で、もしかしたら、今この時だけの気まぐれな気分かもしれないけど。
キチガイの叫びは、劇場では意外に退屈だ。 だって、劇場は、すでにキチガイで一杯だから。 それはうまくまとめ過ぎか。
とにかく、舞台の上に、右往左往する人間がたくさんいる、楽しい舞台だった。 まだまだ続く劇場巡り。 明日は、萬斎さんの狂言。 ずっと見たかった、釣狐を見る。 明後日は、豊橋へ。オーレの稽古を見にいく。
発熱(2006.11.27)
土曜日は朝から厚木に。 田中達がやっている厚木子供塾をまず覗く。 ノリが悪くて、言うことを聞かない子たちでいつも手を焼いているという噂だった。 でも、この日、見た限りでは、まあこんなもんだろうという感じ。もっと悲惨な光景を想像していたのでむしろ、拍子抜け。
確かに、素直にハイハイ、と返事して、テキパキ動いちゃくれないが、決してシラケてはいない。 焦らずに、じっくりと育てていけば、じわじわと芝居が染みこんでいくんではないか、と思った。なかには何人か、すでにハマリかかってる子もいるし。 しかし、そういう全体の大器晩成型の雰囲気は、たぶん田中の性格によるものと思う。 オレなんかせっかちだから、もっと頭ごなしに引っ張って、強引に盛り上げちゃうけど、田中は、そういう軍隊式なのを誰よりも嫌う、扉座内左翼だから。 押しつけ教育断固反対主義者だ。 それは彼自身、半端な進学校へ進んでノイローゼとかになりかけた、反動と恨みの結実である。
わしは教育なんて、どのみち半分は押しつけじゃねえかと、開き直って、押しつけるべき部分は嫌でも何でも押しつけちまった方が話は早いと思ってる派であるが。 でもまあ、ここまで田中の理念で来ているので、いきなりわしがアレコレ覆すのも、馬鹿げたことなので、いくつか私見を述べるに止めた。そもそも田中はあれで意外に頑固なので、押しつけても、のらりくらりと抵抗し続けたりするのである。 それが証拠に、半端な進学校からオチこぼれて同志社大学まで進んだのに、親の期待にあっさり背き、芝居の世界に飛び込んでいる。
親の言うことも聞かぬ極道が、わしの言うことなんか聞くものか。
ともあれその後、文化会館で、相模人形芝居を鑑賞する。 厚木一体に残る、人形浄瑠璃である。江戸時代から続いているものだが、なかなか本格的なモノだった。 まえからずっと見たいと思っていた。
その後、新宿のトップスへ。 山田まりやの出ている、ウォーキング・スタッフの公演を。 でも新宿に向かう途中で悪寒が走り嫌な予感。 嫌な予感は的中し、開演時間を間違えていた。 到着時、すでに三十分経過。 しかし、加えてますます悪寒が増す。まだ何かあるのかと不安が過ぎるが、どうやら熱が出てきたらしいと気付く。 そういえば、朝からカラダがヤケに重くて辛かった。厚木行きのための、久しぶりの早起きが原因だと思ってたけど。 それにしてもまりやは、最近いろんな芝居をやっている。 そんですっかり舞台人としての貫禄が漂ってきたなあと感心。 本当はいろいろ話もしたかったけど、ますます具合が悪くなりそうだったので、急いで帰宅。 そこから日曜丸1日、寝続けた。
あのイヌのこと(2006.11.24)
今、私は崖っぷち犬のことばかり考えている。
あいつはなぜ、どうして、あんなことになってしまったのか。 実は兄弟だか、姉妹だかがいたらしいけど、その二人、というか二匹は、これからどんな犬の暮らしを送るのか。
あの映像を見つつ、もっと厳しい崖っぷちの人間がいっぱいいるんだよ、と吐き捨てるように言った人がいたけど、そして実際、保護ネットのないコンクリートに飛び降りてしまった、中学生とかもいたりするんだけど。
社会派な切り口も持ってたりして。
いろんなことを思わせてくれる犬である。 そもそも、誰が付けたか知らないけど、タイトルが絶妙だ。
崖っぷち犬。
うちに犬飼という俳優がいて、彼は、常に崖っぷち犬飼みたいな感じなんだけど、そっちはやはりどうもゴロが今イチ。 徳島のあいつには適わない。
そんですでに彼は著名犬である。 犬の名士といってよい。 特に徳島辺りは、そんなに数多く名士はいないだろうから、これから年末年始にかけて大忙しであろう。 これで来年が、戌年だったら、紅白の審査委員もあったろうな…… 当然だけど、犬飼が、崖にへばりついても、ああはならない。 現実、劇場の壁にへばりつくようなことは、何度もやってて、その時はむしろ、壁が傷むからやめなさい、とかたしなめられている。
今、崖っぷちは、犬でなくては。 んで、 なあ、モー、お前もちょっと、崖行ってみる?
とさっき聞いてみた。 もーは、その質問には無反応で、わしの足の指に噛み付いてきた。
んが、あんなに絶妙な崖というのも、なかなかないものだ。 全国ロケハンしても、見つけられないぜ。
本当はもっといろいろ考えたけど、売る原稿のネタにしたいので、ここまででやめとく。
とにかく、崖っぷち犬 である。
下北に(2006.11.23)
すずなりへ。
燐光群の「黒点島」を。 大きく分けると、どうやら三つの世界の話が微妙に関係しつつも、パラレルな感じで進行していたようだ。けど、その多層感が、ちょっと難しく、頭の悪い私には、もう少しそこの繋がりの説明というか、繋がることを共感する手かがりが欲しかった。
しかし相変わらず、坂手クンは、わしらが日常の忙しさに取り紛れて、見て見ぬふりして素通りしようとするややこしい問題に、しっかり絡みついてるなあと感心する。ラストの、チェックポイントが意味を変えて、世界が一つになってゆくイメージには、強く胸打たれた。
まあ今イチ曖昧な感想しか持てないのは、ボーダーを越えて越境したことのない、ぬるま湯暮らしの私の人生の反映かもしれない。と反省する。 検問に関係のない人生過ぎるのだ。 ところでスズナリが25周年なんだそうな。 わしらは、スズナリでデビューした劇団である。それが何年前が最後のスズナリだろう。 ずいぶん長く離れてしまった。 でも、いつかはまた、アソコに帰ってやらにゃイカンと思っている。聖地すずなりに卒業はない。 なのに、道路拡張問題で、すずなり消滅の危機。 確かに、わしが住んでいた頃から、ずーっとあそこらの道路は機能してなくて、開かずの踏切にも苦労していたけど。 それでもナンとかなってきたんだから、他の方法もあるんじゃないのか。 下北まで他の繁華街と同じようなものにしてしまうことはない。 観劇後、六角と会う。 六角がここ数年ずっと根城にしている酒場に行く。 他の劇団員たちも、いつも行ってるらしいけど、私はチャンスがなかった、というか。基本的に劇団員が行くところには、あんまり行かない習性があって、足を向けなかった。 別に心境の変化があって、習慣を変えた訳でもないけど。
とはいえ、観劇の日々である。 ナンか、ずっと昔にそうだった、演劇に憧れる演劇青年のように、アチコチの劇場に通っている。まあたまたま、ここ2週間程度のことだけど。
そうして劇場通いをしてみると、これがなかなか面白い。 東京は面白いよ。 毎日、こんなことどこかでやってんだよ。 六角の根城では、猫ホテの永二君に会った。彼らは駅前でコント公演やってるんだそうな。例のイヌの日もまだやっている一方でだ。 何と重層的な演劇村なんだ。下北だけでだぜ。 もっとも昔と違って、招待券で。どこ行っても、誰か知り合いと会って、しかも好きなモノを自由に喰って、タクシーで帰ったりするすっかり堕落した演劇青年ではあるが。 昔は、一食抜く覚悟でチケット並んで買ってたもんなあ。そんでお茶だけ飲んで満員電車で帰ったり。 そうか。今度は、招待とか使わずに、20代前半みたいなやり方で、見物してみようか。何か新たな発見があるかもしれぬ。
それやこれやで、まだ劇場巡りは続く。 次は新宿でまりやの芝居。 心配なのは、わしがちょっと風邪気味なこと。
劇場周り(2006.11.22)
日曜日寒い雨の中、演舞場へ。 新三之助の芝居を。
月曜日は打ち合わせがあって、銀座で美味しいてんぷらを頂き、火曜は朝から、NHKの深夜劇場へようこその撮り。
ゲストは、道学先生の 中島淳彦さんと元宝塚の 大浦みずきさん。 その後、せりふの時代の 取材を受ける。なんか俳優教育について。うちの研究所のこととか話す。
海老蔵の四の切を観てて、ちょっと切なくなる。 まだまだ、試運転、という感じだったけど、海老蔵という人、姿が良くて、声が良くて、まあ本当は狐より、立派な武将とか、若武者の役で観たい人だなあと思ったけど、とにかく華があって、出てきただけで、劇場を熱くさせてしまう。 かなり前から猿之助さんも、海老蔵は良いと言っていて、自分の芸をこの人に伝えることを喜んでいたらしい。 それは良いんだけど、しかし何と言っても、こういうカタチで猿之助の芝居を観れば観るほど、猿之助が舞台にいないことがたまらなく寂しくなる。
新しい人がやることで、猿之助の俳優としての表現力、演出の見事さも、また再発見できるから、尚更に。
それは海老蔵がまだ至らぬとか、そういうことではなくて、この当代一の若手に、大事な宝物が伝えられる場に立ち会う、幸せを噛み締めつつも、否応なく移ろっていく季節や時代というものへ抱かざるを得ない哀惜の情、ちゅうものであろーか。 ああ、こうして時は過ぎ去って行く、と寂しさを噛み締めたのである。 私にとっては思い出深い、演舞場であるから、おそらく余計に。
狐忠信って、こんなに悲しい芝居だったかしら、と思うほど、飛び去って行く狐忠信の姿が、私の胸を締め付けた。
海老蔵がまだ役をこなしきれていないとか、そもそもサービス過剰の猿之助型でやる必要はないだろうとか、テクニカルなことが専門家の間でアレコレ言われてるようだけど、今、演舞場で起きていることは、そんな狭い世界のエピソードみたいなものではなく、もっと大きな人間の精神のドラマなんだと私は言いたい。 一つの時代を創った巨人と、これから時代を創る新鋭とが、一つの芸を通じて、魂をぶつけ合っている。 さてまだまだ続く劇場巡り。 今日は久しぶりのスズナリ。いつ以来か忘れたぐらい、スズナリに行ってなかったことに、今気付いた。 坂手クンの芝居を見にいく。
王様問題(2006.11.19)
岡森から抗議の電話があった。 正確には、知らぬ間に留守電に入っていたので、抗議の伝言だ。 横内さんが聞いたのは、国歌ではなく、王様を讃える歌です! そんな叫びの後、王様を讃える歌を留守電の中に残していた。 確かに、聞いたのはそんなスローなバラードみたいな歌だった。 なるほど、そうだったのか。 にしても、何しろ留守電の中の岡森の歌なので、かなりふにゃふにゃな歌声で、ああ、その歌だよ!という明解さに欠けるのではあるが。
ともかく、高校時代にわしらが習ったのが、 岡森クンを讃える歌、ではなかったことだけは確かなようだ。
岡森クン、ごめん。
土曜日は、研究所。 まだまだ低調な、ラブ3演目。 もっと面白いこと考えろよ、とハッパをかける。
今想ったけど、ハッパかけるって、木の葉をかけると、似てるけど。木の葉かけてもどうにもならんだろうな。 くだらん。
さて、今日の日曜は、夕方から歌舞伎見物。 海老蔵が、猿之助型で狐忠信を演じている。 元祖猿之助というのは、幕末の頃、団十郎一座の三階(下っ端)だったそうだ。だから市川姓になっている。 しかしその後、師匠筋ともめて破門みたいなことになり、団十郎(成田屋)と断絶状態になったと聞いた。
以来、猿之助一門は、団十郎の演目は演じにくい状況にあったりしたらしい。
だから、猿之助さんは、基本的に勧進帳もやらないし。 かつて右近が、勧進帳をやった時も、歌舞伎十八番(団十郎の制定なので)というタイトルは外していた。 そんな因縁ある、猿之助が、団十郎の子息に、自らの開発した芸を伝授したという公演なのである。 もちろん、破門とか、仲違いなんてのは、今の猿之助にも団十郎にもほとんど無縁の昔の親戚達の話なんだけど。 でも、歴史的なことには違いない。 正直に言えば、おもだか一門の端くれ(?)としては少し複雑な思いもあるけどな。 これで、四の切 が海老蔵のものになっちゃうんじゃないか、って。 まあ、右近や、段治郎が、これからも海老様に負けぬ、忠信を見せて、切磋琢磨していけばいいんだけど。 それにしても、エビの名は今、強いね。 エビゾーとか、エビちゃんとか。
何を隠そう、最近のわしの妄想は、モーを散歩させている時、同じように子犬を連れたエビちゃんと遭遇して、仲良くなることである。 といつか誰かに話していたら、えっエビちゃんは、文京区なんすか?と聞かれたが、
そんなことは知らん。 妄想に論理を求めないでくれ。
死を想う(2006.11.18)
17日は佐藤一憲さんの命日であった。 多摩丘陵までお墓参りを。 早いものであの哀しみの日から2年が経つ。 お墓に行ってみると、お線香が煙を立てていた。先客の姿は見えず。美しく供えられた花だけが、秋の空に揺れていた。 「踊るアジア」こそは、佐藤さんの力が必要だったのに。アジアンパーカッションのコレクションを思い出しつつ、お墓に話しかける。 そして耳を澄ます。 今も未だ、大気の中で鳴り響いているはずの、佐藤さんの太鼓の音を聞き取るために……
その帰り道、赤星から電話が入り、博多のイベントのプロデューサーだった、岸川さんが亡くなったと知る。 テーマソング創りに甲斐よしひろさんを口説き落として下さった、博多の伝説的ラジオプロデューサーだ。日本のフォークブームを創った一人。 奇しくも佐藤さんと同じ命日になった。 死を想う、1日……
その後、池袋で、文具道楽仲間の鈴木聡さんの新作「八百屋のお告げ」を観る。 る・ばるの3人。若い頃に芝居仲間になって、それからずっと一緒にやり続けている。集団は20年だけど、3人供に50オーバーだとか。 でも、供に歳を重ねつつ、芝居を続ける、っていいなあと、しみじみ想った。まあ、わしらも似たようなもんだけど。
作品も、たまたまか、運命か、死を想う作品だった。 鈴木聡さんは、ずっとお洒落なことしか書かない印象のある作家だったけど、最近、人生について語るような作風になっている。 私は、それが嬉しいのであるが。 しかし、今夜、呑み会で、それはなぜ?と聞いてみた。 2年前に劇団員を亡くしてからだという。 死はどこにでもある。 何よりも、自分にも一度は用意されている。 ただし、普段は、気付かないんだよな。 身近に、それが生じて初めて、ハッと気付く。 いろんな偶然が重なって、とても趣き深い芝居に感じた。 ますます、こうして生きて芝居をやっていることの幸せも噛み締めた。
佐藤さんと岸川さんのご冥福をお祈りします。 合掌。
若い(2006.11.16)
歳をとると寝続ける力もなくなると言われている。 実際、私は今年、6時間以上寝たことがなかった。 テッテテキに寝るぞと決めても、6時間前にたいてい目が覚めてしまうのだ。 4月以降は、犬も来て、朝になると、顔を嘗めに来るので、余計に寝続けが難しくなった。
んが、なぜか、昨夜、サッカーを観つつ、うつらうつらし始めて、わあ津波とか来たら嫌だなあ、と思ってる間に、津波の代わりに睡魔が襲い、まあ1回寝ようかと、ベッドに入ったら、
目覚めたのが午前9時半ですわ。 12時間、睡眠であった。 途中、寝返りで何度か、わしにひっついて寝てたモーを潰し、ウギァアアという声とともに噛み付かれて、うっすらと目が覚めた以外、トイレにも行かずに眠り続けた。
やれば出来るんじゃないか。 今は16の午前中だけど、今から風呂に入ろうとしかしている。 やるべき雑用はあるものの、久しぶりに逼迫した締め切りのない、状況である。
ずっとこんな日々を夢見てた。今年は働きづめだから、これでいいのだ。 けど、いざこうなってみると、何か罪悪感がある。こんなことしてて良いのだろうか、半日も寝て、朝から風呂なんか入ったりして…… 公演の時、テレビのプロデューサーも言ってた。2日のんびりすると、不安になってくると。 だから適度に用事がないと、むしろ具合がすぐれないのです。 立派な病気だ。
さて、そんな中、わしは今月は芝居を観る。 今日は『イヌの日』。と言っても、犬飼ではない。 スパイダースってやつ。友人の美保純も出てるので、久しぶりに下北に。 明日は、鈴木聡、鈴木裕美の『八百屋のお告げ』。加納さんも出ててる。 山田まりやのもあるし、MOPもあるし、海老蔵の『四の切』も行く。あと坂手クンのも行く予定。 全部行けるのか?ホントに。 しかし思えば、関係者の演劇だけで、これだけ埋まる。 純粋観客であることが滅多にない私。
モーと(2006.11.14)
11月の残りは、もう何もしないで、ぼんり過ごすぞ、と決意していたのに、いろいろ考えると、そうもしていられない現実に気付き、とりあえず今日はおうちで貯まった仕事。
結局、久しぶりにモーと1日を過ごす。 散歩もした。 早くなった夕暮れ時。すっかりと寒空。 風呂にはいるのに、恐る恐る体重計に乗る。 でも、別に太ってなかった。 むしろ公演中の方が目方があった。 まあ3日ぐらい食い続けても、関係ないか。 何より、朝から晩まで活動し続けだったからな。
今年は、夏前に、高校以来の最軽体重を記録した。 ぴったり六十キロ。 最近、やたらに太りだした赤星よりも明らかに計量だったはず。 連ドラ体勢中だ。 食欲がなかったワケじゃない。むしろ食べ物だけが楽しみだった上に、執筆時、打ち合わせ時、お菓子を貪り食っていた。 でも、太らないで痩せていく。 聞けば、脳味噌というのが、もの凄くカロリー消費をするのだそうな。 まあ、あの頃は、朝から晩まで頭のヒネリ通しであった。 そんなに頭使って創ってる話だとは、誰も思わなかったろうが。 もちろん高尚な哲学なんかしてたワケじゃなく、ひたすら次はどうする、こうならんか、あーならんかと、シュミレーションをし続けていたのである。
寝てても、考えてる感じだった。 結果、脳がガソリンを喰っていたのだ。 だから、ねばねばに入っても、やっぱり太らなかった。 それが、稽古に入った途端に、ドバーッと太りだした。 見る見る、体重が増えていく。 確かに、稽古というのは、書くことに比べたら頭は使わない。多くの人間との共同作業だし、ほとんど人が何かしてるのを観ているばかりだし。 ストレスはあるが、観てるだけだから、バリバリお菓子なんかも食うし、稽古終わりには居酒屋にも行く。 そして公演に突入し、神経は使うけど、頭はますます使わない状態になって、公演後はほぼ毎日、居酒屋通いで、更に太る。
それやこれやで、千秋楽辺りには、テレビ突入前以上の目方になっておった。 それでタイに行って、食い続けでどうなったかと心配したけど、一安心。 ダイエットには芝居書きをお薦めする。
バンコックから(2006.11.12)
日中温度30度である。 しかも、べったりと空気が絡みついてくる。 モンスーン、て感じ。
2月のアジア舞踊舞台の共同製作のために来日される、ナタシンという名の国立舞踊学校の教授、チャワリット先生直々の運転で、各所の視察に。 んが噂に聞くバンコックの交通渋滞は、まこと凄まじく、ほんとーに車ギッシリであった。 目の前に見えている建物までなかなか着かない。 そんで向こうでは、バイクのタクシーもあるのである。運転手に掴まって二人乗りで運んで貰うんだ。 しかし、見た目にもとても危険。 あーぶねーな、と思いつつ渋滞の道を眺めるばかりの長い移動時間……(東京もかなりだけど、バンコクよりマシなのだから呆れる。そんでアチコチでぶつかってる)
今回は主に観光客も観るような舞踊しか視察できず、主にタイの文化と風土の体験というか、とにかくタイの人の姿を見に行ったという感じだった。 でも、そんな近代化の歪みというえるウルトラ交通渋滞の都市で、伝統舞踊に生きている人々と会ってお話している感覚は、まさに現代のアジアで、踊るとはどういうことか、伝統を守るとはどういうことか、今回私が関わる仕事に、ダイレクトなインスピレーションを与えてくれるものであった。 とまあ、仕事の話は難しくなるし、このあとまだソウルとバリ島行きが残ってるから、もう少し整理が付いてから語ることにする。 そういうアジアン・ダンス方面の仕事が年明けに控えている。
さて、メシは、チャワリット先生や通訳のパンジャラック先生(日本在住のタイ舞踊家で、観光地販売の絵はがきに若き日のダンシング姿が映っていてご本人もびっくり。基本的に肖像権とか、そんなのは関係ないのね)、のご推薦のどこも美味しところばかり。 もちろん、辛い、けど、ただ辛いだけじゃなくて、旨辛い。なので、辛くても後を引く。 あと意外にカラダに優しい気がした。何か身体に良さげな葉っぱとか山盛りだし。ほぼ毎食タイ料理だったけど、下痢一つせず、たぶん太って帰ってきた。 素晴らしいのは、とにかく安いこと。 山盛の菓子買って50円とか。
あれだけ美味しくて、安ければ、そりゃずーっと何か食うことになる。 でもタイ人にデブはいない。 きっとヘルシーなんだろうな。
好きになったのは、トムヤンクンにココナッツミルクを混ぜて、鳥スープにしたみたいなチョイ辛スープと、海老の薩摩揚げ。あとライスメン。米麺は我が国でももっと流行って良いと思う。
見学地で、一番面白かったのは、ナタシンという舞踊学校だった。中学から大学まである。ここを出ると、王様の前で踊るような一流の舞踊家か、舞踊の先生になるエリート達の集まり。 女学生たちが何十人と並んで、優雅に踊っている姿は、甘酸っぱくも、カレンに美しかった。 しかし、休み時間に携帯いじったり、マツゲ抜いたりしている姿は、もう日本の高校生とかとまったく同じ。 未来の王宮ダンサーも、確実に現代の空気を吸って生きている。当たり前だけど。
ここで、王子役の訓練を受けている美少年を発見。 タイダンスでは、男子は若いうちから、ラーマヤーナにちなんで王子役、猿役、鬼役、の三つのコースに分かれて勉強する。それはたいがい見た目で振り分けられる。 ただ、この美少年、Tシャツの下の乳首の辺りが、やけに腫れていた。 そして、目つきがやけに色ぽっく。腕にしている時計がピンク色のハート型。 君は将来、何になりたいの?とインタビューした。 「私は女になりたい」
舞踊家としての夢を尋ねたのに…… タイでは、カミングアウトは極自然に行われているという。 町でも、そういう気配の素人たちを大勢見かける。 それにしても、なぜ乳首周辺があんなに膨らんでいるのか、聞きたかったけど、芸術関係の仕事で来ている身としては、ちょっと聞けなかった。 まさか、人工物じゃないと思う。それにしては微乳過ぎるし。 人工いじりではなく、自然いじりの成果だろうか。
あと、大いなる疑問が一つ。 劇場に入るたびに、開演前必ず国家斉唱があった。そんで王様の写真とかが映し出されたりする。 タイの人々は王様のことが心から好きなのである。(ゴシップまみれの皇太子は人気がないらしいので、王族なら何でもいいというワケではないらしいのが、イギリスとかと似てるかも) それはともかく、そこで聞く国歌が私の知ってる国歌と違うのだ。 私が知るタイ国歌とは、タイからの帰国子女であった、岡本クン(現岡森諦)が私の誘いで演劇部に入り2年になって新入生を迎えた時、今日からはこれが演劇部の部歌だと勝手に決めて、新入生たちに、教えこませた歌である。(歌わないと殴られるので皆、必死に原語で覚えた。だから1年後輩の山地クン(現六角精児)はそれを今でも歌える) でも、その歌と、昨日まで幾度か聞いた歌が、どうしても同じに聞こえないのである。 思わず、これタイ国歌じゃないでしょう、と通訳の先生に言ったら、これが国歌ですとピシャリと諭された。 我々は岡本に、いったい何を教えられていたのか。 実は歌詞が、偉大なる岡本君、とかいう意味だったりして。
ホテカルを上演した時、あの頃の部員たちから、私たちがタイの国歌を岡本さんに殴られつつ覚えてるシーンをなぜ入れなかったんですか、と何度も言われた。 私としては、あまりに意味不明の行為で、善良な一般観客の皆さんにリアリティを持って伝える自信がなかったから、敢えて外したのだった。
慌ただしい中でもいろいろ買い物はした。 ただ、モーに何もないなあ、と残念に思っていたら。 諸君、今の時代を嘗めてはイカン。 新しく建て直されたピッカピカのタイ空港内の免税店には、犬のお洋服売り場がちゃんとあったのだ。 タイの民族衣装はなかったので、サンタの衣裳を急いで購入。
今日は(2006.11.08)
明日から、タイに。 でも日曜日には帰ってくる。すっげー速攻往復。も少しゆっくりする予定でも良かったな。 まあ、思いの外、近い感じだから、良かったらまた行くことにする。 とりあえず、行って、ひたすらダンスを見る予定。
その前に今日は、里沙を連れて、神奈川某所へ。 とある市の中学校の国語教員の研究会に。 聞くとか、話すとか、というテーマの講演みたいなの。 でも、わしは里沙を連れて行って、極力体験して貰う場にしようとした。 ただ話を聞くのは退屈だものね。 セリフを皆さんに言ってみたりして貰う、ワークショップを一部取り入れたのだ。
しかし、ちょっと呆れた。 相手は国語教師である。しかも、聞くとか、話すとか、というテーマである。 人の話が聞けないとか、人とコミュニケーションが取れないとか、そういう生徒が増えている今、学校でいかにそれを教えるか、その能力を鍛えるか、という問題を考える会のはずだろう。
なのに、まだわしが話す前、案内の人がわしのプロフィールを紹介している時から、机に突っ伏して、寝ている教師が壇上から見て3人いた。総勢五十人弱ほどの会である。
わしの話が退屈とか、どうしても眠くて落ちた、というのなら、仕方ないと思うけど。わしが、こんにちわ、と挨拶する時からずっと突っ伏したまま、みたいなのは、どうなんだ。
ちょうど劇団の芝居見て、寝る研究生問題で、里沙と話が盛り上がった後なので、壇上からその様子を見て、呆れつつ笑っていたのだが、その方々は、まったく意に介すこともなく、当然のように爆睡を続けられておられた。
もはや、じっとすると寝てしまう。 人の話なんか興味ない。 一人で居たい。 好きなことだけして後は寝ていたい。
という病理は、単に今時の若者だけのことでなく、もっと根深くこの世に広がっているようだ。 何しろ、話を聞く ことを考えようと言う教師にして、この有様なんだから。 これで生徒にちゃんと人の話を聞け、なんてどうやって言うというのだ。
何より、失礼じゃないかね?
あまりにも傍若無人に寝てるので、テメー、オレを嘗めとんのか、といきなり怒鳴りつけてみたい気持ちも沸いたけど、おそらくそういうヤツに限って粘着質で、根に持つタイプで、変な復讐とかされてもつまらないので、スルーしてやった。
というよりも、そんな馬鹿者はほんの一部で、他の先生たちは熱心に参加しておられたのでね。その人達と、大事なことをともに考え合う有意義な時間にはなったと思うから、それでいいのだけれど。 にしてもなあ、そんなバカ教師に当たった生徒が可哀相だよな。 つまらないに決まってるもんな、そんなヤツ。 今、ダメ教師はクビにしようという政治的な動きがあって、当然一部には、そういう権力乱用には断固反対する、という意見もあるんだけど、わしは今日の有様を見る限り、クビにするべきヤツはいるぞと思ったな。 少なくともわしにもし子供が居たら、わしが必死に話してるのに(だって退屈しないようにと思って、役者まで連れて行ってるんだよ。自腹でアシスタント代払って。さまざま小道具まで持っていって)、無礼極まりなく、突っ伏したままでいたアイツらには、絶対に預けたくない。 子供の将来のためにならないもの。 念のために言っておくけど、決してそんな教師ばかりじゃないんだ。 大半の先生が、たいして上手くもないし、論理性も欠けるわしの話に熱心に耳を傾けてくれて、何かヒントを得たいと一所懸命に参加してくれたんだ。 でも、そんな人たちの努力を、一握りの馬鹿者の愚行が台無しにしてしまうってのは、よくあることで。 余計なお世話ながら、我が国の未来に、わしは一抹の不安を禁じ得なかった。
重ねてフォローしておくけど、わしは今日のことも決して不快には思っていないので、関係各位の皆さんはどうか心を痛めないで下され。 むしろ、また次のとこで話すネタが出来たと、喜んでいる。 作家にとって、あらゆる現象は金の卵である。
なぜ現代人は、言葉や表現を受け取る状況に向き合うと、かくも簡単に寝てしまうのか。
考察に値するテーマであろう。 その後、町田の山奥に住む妹の息子と妹に会って、トカゲを買ってプレゼントする。 フトアゴトカゲと何とかトカゲもどき。 長男が、トカゲを欲しがるのはまた分からぬでもないが、幼稚園児の妹まで、トカゲもどきを欲しがったのに、ちょっとびっくり、二人ともカワイイカワイイと、手に乗せて大はしゃぎだ。 トカゲだぜ。 エサは生きてるコオロギだ。
いろんな道楽がこの世にはある。
明日からは、辛さとの格闘だろうか。
打ち上げ(2006.11.06)
昨夜は打ち上げ。 でも、老いも若きも、それぞれに次の仕事が待ち構えていたりして、かなり早く散り散りになった。 若者も、間もなく豊橋の市民劇作りに、またまた一ト月行かなきゃならぬのである。
気が付けば、私と岡森、有馬、杉山、田中と三千代と松田さん、という熟年グループだけで二次会に。 すでに杉山は酩酊して、おらぬことをアレコレと放言する。 しかし、とにかく舞台でセリフを言うことが、恐ろしくて仕方ない、という杉山にとって、無事に芝居をやり遂げたこの夜は、心底、ヤッターの夜なんだろう。 ヘベレケでやかましいし、何よりカラダが心配だから、いつもならとっくに止めて強制送還するところだけど、まあ、今夜はいいかと、好きにハジケさせてあげた。
でも杉山の仕事は、無事にやり遂げた、なんていう程度のことでなく、素晴らしい仕事ぶりだったと思う。 岡森が、ブログで「今夜は宇宙に近い気がする」というセリフを良いセリフだと書いてたけど、セリフがよいと言うより、あれは役者が良いんだと思う。 八十年、宇宙と対話し続けたというリアリティが、あの博士の姿にあった。 一言でいえば、存在感、という陳腐な言葉にまとまってしまうのだけど、今の杉山の舞台姿には圧倒的な存在感がある。
実は最初の台本には、博士のセリフはもとったたくさんあったのである。 でも稽古の途中でどんどんそぎ落としていった。 作劇上の処理としてもあったが、一つには、杉山が長いセリフに手こずっていたからである。 クモ膜下をやって以来、セリフを覚えることは彼にとって、死に物狂いの格闘となっているのである。 長いセリフは、その中でもギリギリの勝負になる。
でも、だからと言って単純に切ったワケじゃない。 稽古が進むうちに、杉山がその存在にリアリティを生み出していったので、余分な言葉の説明がいらなくなったのである。 何ナニナニの、どんな宇宙とか書いてあったのが、タダ一言、宇宙、と杉山が言っただけでイメージが広がる。 そういうことが起きるのだ。
正直言って、世間はまだ、そんな杉山の凄さに気づいていない。 笠智衆という、名優が居て、この人はとんでもなく不器用な人だったという。だが、他の人にはない圧倒的な存在感があった。
杉山は、間もなく演劇界の笠智衆になる。 ただし、彼の凄さに世間が気づくには、私と扉座ももっと頑張って世間を惹き付けなくちゃならんし、時間もかかる。 何しろ、そんなワケでこのギリギリの真剣勝負、他の舞台などに簡単に出続けてやると言うことが出来ないのだ。 彼のことをよく分かってなくちゃ、ダメなんだ。 と言うわけで、彼は目下、扉座だけのご出演だ。 加えてあと、彼がどれほど元気でいるかという問題もある。 病気はすっかり治っているけど、また最近飲み出している。 まだまだ死ぬ歳でもないはずだが、すべてにおいてドッグイヤーで生きてる感のある人なので、また人生の暴走を始めるかも知れない。 もちろんわしらも頑張るし、これからの飲み過ぎは止めるけど、どうか皆さんも、応援をよろしく。 杉山を、うちの名物にしよう。
ともあれ無事に今年の公演も終了。 ほっと一息、付く間もなく、わしは貯まった小仕事をこなしている。 そして木曜から日曜まで、慌ただしくタイを往復し、舞踊を見てくる。
今日はモーを美容院に連れて行った。 お肌に良い、桃の葉パックというのをやって貰う。犬エステなんだそうだ。 もう一つリラクゼーション入浴も勧められたが、それはやめておいた。 そんなの必要なのは、お前じゃなくて、オトーさんでしょ! モーさんがそんな癒しエステをお姉さんから受けている間に、わしは喫茶店で、エッセイのネタ出しをウンウンと。 すっかり良い匂いになったサラサラヘアーのモーさんと、風呂にも入らず深夜までの宴会の香りと岡森や田中が吸うタバコのヤニがまとわりついて、何となくべたべたした髪のままの私で、ブラブラと後楽園から歩いて帰った。
明日はラブ3。 よく寝る研究生達と。
ラクビイ(2006.11.05)
千秋楽の前日夜である。
観てくれた人たちの感想を聞いたり、歓談したりした中で、徐々にまとまってきた、結局私は何をやろうとしたのかという問題。
一言で言えば、自分は演劇人、劇作家だったということを思い出して創ったんだと言うこと。
そんじゃ今まで何のつもりだったんだと質問されて、それを簡単に答えることは出来ないほど、混沌としていた気がする。 イベントやったり、万博やったり、今年は連続ドラマだし、ここ数年手当たり次第にやり散らかして来た。
その挙げ句、今回、演劇=劇場に帰って来たんだなあ、と思う。 今日は終演後、来年の仕事の打ち合わせがあって、演劇プロデューサーたちと会食になった。
そこで今の若者達は、セリフが始まるとすぐ寝るので、ミュージカルから極力セリフをなくしていかなきゃならん、と言っていた。 当たるのは、全編ノリノリの唄みたいな、作品ばっかりだと。
そんな中、より演劇に、よりセリフにとシフトするのは、実は、時代に逆行してゆくことである。
私自身、我が劇団の研究生が『ねばねば』見学の際に、30分も経たぬところから爆睡しはじめた姿を目撃した時には、もはや私が生き残る場所はないか、と暗澹たる気分になった。 身内が寝るようなものを、人様に見せて良いのか。
しかし、それじゃ、当たるミュージカル作りのようなことをみ、わしらもずっとせにゃならんのか。
私は決して、そういうのも苦手ではない。 むしろ、上手い方であろう。
ただ、芝居には芝居の醍醐味がある。 それはチャンネルを替えさせぬために、平均2、3秒でカットを変えるというテレビとはまったく別の、2時間だったら2時間をかけてゆっくりと何かを語って行くという行為である。
そんな贅沢な表現行為は他にはなんいだ。 これもまた一度テレビをやったからようく分かる。 テレビでは、伝えたいことが伝えられないなんてことはゼッタイないんだけど。その伝え方として、言葉を過剰に持ち込むことは容易ではない。
セリフではなく、極力、表情とか、アクシションで伝えることが肝要なのだ。 そういうことを書いてドラマを生み出すのも作者の喜びに違いはないけど、台詞書きの面白さを知ってしまった劇作家にとっては少し物足りない。 加えてテレビはゼッタイに飽きさせてはいけない。 チャンネルを替えるのは、服を着替えるよりも手軽なことなんだから。 それじゃ芝居は飽きさせていいのかよ、と言われたら、なるべく飽きさせないようにするんだと、いうしかないけど、そこは観客を信じて、たとえ少し退屈になっても大事なことはしっかりやることも芝居には可能な技なんだ。 劇場の客席に座り、目の前の芝居を観ないことは、服を着替えることよりも少し難しいものだから。
そもそも、そういうテレビのテンポとか、刺激とかに慣れてしまえば、そりゃ、生身の人間が、歌いも踊りもせずに演じるセリフ劇なんてのは、かったるくて仕方ないだろう。 ましてや、今の若者達は(我が研究生たちも)ドラマ以上に、目まぐるしくいろんな絵が動いていく、アニメが大好きだ。 でも何もかも、その平均値に合わせてしまったら、伝えられることも平均化して、劇世界は恐ろしくやせ細るぱかりじゃないか。
そういう若者に向けて、アニメより早くて刺激的な舞台を、という作戦も当然ありだし、私のテーマとして今後それを諦める気持ちもない。
でも、まあこれからはあんまりムキにならずに、演劇は演劇なんだと、半ば開き直ってやる機会を多く持とうと思う。
無理に張り合うことはない、テレビはテレビ、芝居は芝居として、それぞれ一番面白くなる方法に徹してやった方がいい。 連ドラは終わったけど、また何かやろうねと、約束してるし、アニメだって、私の周りには製作者が大勢いて、時に誘われたりもする。 そういう可能性を一方で持ったことで、敢えて芝居に徹する余裕も持てるようになってきた。 必死にテレビをやってみて、今、舞台に戻っきて、 たとえその面白さを分かってくれない人がいても、そんなことはいいじゃないかと、いう境地に私は今回、達したのであった。 芝居の好きな人は、たくさんいるんだから、その人達に確実に届くものを創り出すことにちゃんと力を注がなくては。 しかし、今回、多くの人には、それを受け取って貰えたと確信している。 そして、扉座のお客さん達は、芝居の好きな人たちだなあと思う。 だって、贔屓の俳優が、わざわざ老人の格好なんかしてヨボヨボの演技をしてる作品を、心から許し拍手を送ってくれるのだから。 心から感謝。
今日は、カーテンコールを終えて楽屋に帰った役者が、拍手で舞台に呼び戻されていた。 何よりのご褒美だ。
最後に加えると。 芝居が始まってたちまち眠る研究生に私は腹は立てていない。 そういう者を生まれ変わらせて、世の中に送り出すのが私たちの使命だと思っている。 コレが終わると、次はそういう若者達との芝居作りだ。
オヤジ現る(2006.11.04)
少し痩せてたけど、紀伊国屋に来た。
芝居は明日観る、と言って、ロビーにてお客様お出迎え業務だけやって帰る。 とりあえず一安心。 そして、ついにあと2公演。
今年の年明けから始まった、試練のテレビ~舞台シリーズが終了する。 感慨深い。 梅雨明けの頃は、この日が来るのをひたすらに祈っていた。
昨日は、ダンドリ。のプロデューサーとか出演者が連れだって来てくれて、終演後お食事に。 何か、あの狂騒の日々が遠い昔のように懐かしい。
しかし気が付けばすでに秋深し。 今年ももう少しで終わりですね、って頃合いだ。 これが終わると私はまずタイに行く。 来年やる、アジアの舞踊実験ステージ製作のための視察である。 岡森クン(当時は岡本君)が幼少の頃過ごしたタイランドである。 彼は帰国子女なのだ。
高校時代、岡本君からタイの話は何度も聴いていたけど、行くのは初めて。 ついでに言えば、岡本君に強制的に教えられて、なぜか私はタイの国家、ブラテットタイが歌えるのだけど、訪れるのははじめてだ。 もっとも、行った日から帰る日までぎっしり、王宮ダンスを観る予定が組まれていて、おそらくゆっくり観光なんかしてはいられないだろう。 それでも、今までの書きと公演という、ストレス生活からは束の間、逃れられるはず。 その前にとにかく、きっちりと公演を終わらせなくては。 今のとこ、毎日ちゃんと芝居を観て、ダメ出しを続けている。 一つには私の責任公演が年1回になって、一つ一つを大事にするキモチが強くなってきたことと、あとは今回のような、ストレートなセリフ劇は、やり続けるなかでいろいろと、可能性が見えてきて、ちょっとずつ何かに気付いたりすることが多いからだと思う。
セリフをニュアンスを一つ、ちょっといじるだけで、人物達の見え方が大きく変わってきたりする。 それがやっててとても面白い。
先日、来てくれた、相川要の父、美木良介さんが、こんだけ大勢出てて全員主役みたいなの観たことないですよ、と感心してくれた。 これは嬉しい。 その通り、19人に役を創るって、スッゲー大変なことである。 台本が遅れた最大の理由が、そこにあったと言ってもいいんだ。 今回は全員に当て書きした。 しかも役割や個性が被らないように苦心しつつ。 これを出来る劇作家、そんなにいねーよ、と言っておく。
二度三度、観てくれる奇特な方々には、是非、その辺りを気にして頂きたい。 今回の芝居は、誰が絶対的な主役ってことはなく、いろんな人物の視点から、物語を捉えることが、たぷん出来るはずである。
父ちゃん(2006.11.02)
この劇中、六角が演じる老人は、平均寿命を越えた今も女房に尻を叩かれ、父ちゃんに頭が上がらぬ、永遠の半人前である。 でも、家族の絆に結ばれている、幸せな人、という設定である。 有馬演じる老人は、妻に先立たれて、その後は蝶々採りに生きている、孤独な老人だ。 まあ、そこらの背景は、ぼんやりと舞台に漂えばよいと思っているので、ことさら細かく説明はしてなくて、普通のお客さんはスルーして観ているかもしれないけど。
ところで、わしのオヤジである。 いつもロビーに立ってる私のオヤジが、今回は不在なので、どうしたんですか?と声をかけられることが多かったんだけど、実は長く入院をしていた。
そんなに深刻な病ではなく、ただじっと療養すればいいという類のものだったんだけど、持病に糖尿があったりし、その上に、ついでに別の、これまたそんなに深刻じゃないけど、この際治しておきましょう、という類の手術をオマケで受けて長引きました。 でも、2日前に無事退院しました。 この公演中に劇場にも現れるはずです。 ご心配おかけしました。
わしゃ今、別にオヤジに頭が上がらないということはない。心配は掛けてきたけど、とりあえず自立してちゃんとやってる。 ただ、今急にオヤジに消えられたら困ることが少なからずある。 というのも、10年ほど前から、オヤジがうちのスタッフになってしまったからである。 そんで経理関係のことを主に任せっきりになっていた。 まあ、細かいことは税理士さんにお願いしているんだけど、それでも任せっきりだったから、わしは何にも把握していなかった。 入院することになって、慌ててわしが多少の引き継ぎをしたが、細々とした計算とか、銀行の支払い振り込みも、今までそういうことと無縁で来たから、面倒なことこの上ない。 わしも知らぬ間に、事務所はちょっとした会社になっている。わしが社長である。 でも、わしはナーンも知らん。 まだオヤジに倒れられては困るのだ。
でも、翻って思うに、すでに七十を越えたオヤジが、まだ倒れないでくれと思われることはともかく、今倒れられたら困る、なんて思われることはおいそれとないことである。 労りの気持ちでなく、本当に困るよ、という願いである。 それが人を元気にするのは言うまでもなかろう。 退院したって、ただ家に帰ってぼんやりするだけでは、張り合いもなかろう。しかるにわしのオヤジには、3ヶ月ほど不在だった間に、貯まりに貯まった仕事が待ち構えているのである。 必要とされているのだ。 劇中も、麻里演じる老婆が 働き始めたら、みんな元気になっちゃって、と言ってるが、それは決して絵空事ではないんである。 それは、わしがオヤジの姿を見て実感したことだ。 実際、前の会社を退社した時、オヤジはどこにも行き場を失って、とても元気がなくなっていた。 それが事務所の手伝いを始めて以来、見る見る元気になって、気が付けば、ただの手伝いから重役社員になったのである。それがあって、茅野イサムも、製作業務から離れて、創作業務に専念できるようになったと言ってもいい。 それやこれやで、まずは退院、めでたい。
ただし、タカシがやってるネバホテルオーナーは、オヤジのイメージではまったくない。 わしのオヤジはあんな豪傑じゃなく、平均(たいらひとし)型の勤め人である。たいらひとし を知らぬ人は、調べよう。
というか、そもそも今の源之進がわしのイメージかと言われたら、そんなことはなく、かなりタカシのアレンジ型である。
海よ!
なんてセリフはどこにも書いてない。
公演はいよいよ最終コーナーへ。 みんな応援頼む。
錦糸町(2006.11.01)
昼は錦糸町。 研究生の授業を。先日の杉田成道さんの特別授業において垣間見えた、研究生の現在に少なからぬ不満を感じていたので、半分は今までの総括的ダメ出しみたいなことになった。 そんで、
らぶ3に突入するぞと命じる。 ラブ×3も、ついに10年目に突入なんだそうな。 10周年記念、ドカーンとやらにゃイカン。
その後、新宿に向かう途中、最近わしは滅多に昼飯みたいのは喰わないんだが、終演まで喰わぬのも辛そうだったから、錦糸町駅内の六角お薦めのクルクル寿司に入る。
安くて上手いけど、店のオヤジが、一言多い感じで何かしょーもないこと時々言うんですよ。
と何度も語っていた。 それを確かめに行くことにした。 一目でそれと分かるオッサンが、可笑しいぐらい、確かにしょーもないこと言っていた。 オヤジギャグが寒いとか、そういうレベルのことでなく、六角批評通り、一言多い感じだった。一人納得しつつ、回転寿司を食った。 錦糸町に来る機会があったら、是非、皆も確かめてみると面白いとおもう。重ねて言うが、別にオヤジの発言が面白いワケじゃないぜ。ああ、また何か余計な一言言ってるナ、と黙って心で思うことが面白いのである。 当然簡単な面白さではなく、それを感じ取るチカラが客席側にも求められるものである。 そして劇場へ。 昨日もしっかり客席で観て、ダメ取りしていたので、ちゃんとダメ出しを。 いつもなら、そろそろ飽き始めて、ダメも取らなくなったりする頃だけど、今回はまだ興味が続いている。
終演後、いつもの役者系宴会へ行くかどうか迷ったが、ダンドリ。のメイフィッシュメンバーが来ていたので、敢えてそちらをお食事に誘ってみた。 何を隠そう、わしはあの期間、ひたすらホン書きに縛られていて、出演者達とゆっくり話したこともなかったのである。 当然、六角や幸乃も来るだろうと思っていたが、それぞれにお客さんがいて、何かわし一人に。 結果、国家的な美少女たちを相手にわし一人。 なかなか良い眺めであり、厚木高校の同級生のオヤジたちが観たら、さぞ羨んでくれるだろうよ、という光景であったはずだが。 娘といって良い、若いお嬢さんたちでしかもそれぞれに大事に育てられている、将来を嘱望されている新鋭女優さんたちである。 わしゃ立場が立場だし、劇団員相手みたいに好き勝手なセクハラ放言も出来ず。 ひたすら、分別のあるインテリ脚本家先生の役目を果たす。 良い眺めの中に居るのもケッコウ大変なのである。 もちろん、楽しかったけど。
明日は昼公演有り。 みんな、まさか忘れてねーよな。
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