2006年10月                             

月曜日(2006.10.31)

 月曜なんて半端な夜、曜日に関係なく生きている演劇界の人々が大勢来て、正しい芝居者呑み会が開催された。
 これが深夜まで果てしなく続く。私は途中で帰宅。
 ダンドリ。に出てたゴローちゃん・篠山クンとかも来てくれた。
 一緒くたに、演劇人たちに混ぜる。
 未来へのためである。

 明日は、ようやく研究所に登場する。
 例によってラブ×3作りのシーズン到来である。
 
 さて昨日問題になった、カーテンコールであるが。今日はわざわざ稽古までして、正統派大人式を試みる。(中味にはダメ出しはあっても、稽古なんかしないのだが……)

 と、これが稽古の甲斐あって、とてもよろしい感じであった。某人気劇団俳優は、カーテンコールがとつても良かった、と言っていたとか。
 中味はどうかは聞いてないけど。

 思えば、カーテンコールは宣伝の場所なんかじゃないんだよね。この夜の、出会いに感謝しつつ、またの再会を祈る場でなくてはならないのである。
 いつの間にか、そういうことを忘れていたといたく反省。
 
 しばらくは、これで行く。

 あと元劇団員女子が、結婚したといいつつ、旦那様とご来場。
 とてもしっかりした、イケメンのご主人。
 とてもそんな普通の結婚をするようなタイプの子ではなかったので、その変貌ぶりに驚く。
 人って、変わるんだねえ。
 と言うか、もしかしたら、彼女の本当の姿をわしが分かってなかっただけかもしれぬが。

 劇場のロビーはわしにとって、世の中の定点観測地点である。
 いろんな人々の人間模様が見えてくる。
 ちょうどホテルのロビーのように。
 
 今日の芝居、かなり良いモノだった。
 今日をもって、初日かな、と思われ。こういうこと言うと、それじゃ今までのは何なんだ、金返せ、って声が聞こえてきそうだけど。
 これは、もう内幕の内幕で、しかも創ってる本人ぐらいにしか分からないようなことだから、単なる独り言として見逃して頂きたい。
 ただ、芝居ってナマモノだからね。
 いつ、どんな化学反応が起きて、内部に変化が生ずるか、それは誰にも予測できない。
 もちろん、変化の大半は稽古場で済まして来てるんだけど、何回かお客さんの前でやるうちに、また新たな流れが生まれたり、思わぬ発見があったりするのだ。
 
 今日で5ステージこなして、いろんな部分が細かく融合し合って素材に味が染みこんで来た、という感じかな。

 ワインだと思って下され。
 仕込み立てには仕込み立ての味わいがあり、寝かせたら、またそれなりに深みが出たりする。
 それぞれに味わいはあって、まあ好き好きではある。

 さて明日はどうなるか、より深みが増しているとは限らないのが芝居のやっかいなところである。
 今日の劇飲みで、おじさん軍団にアルコール濃度が高いことだけは確かであろう。


 
 
 
 



初日とか(2006.10.29)

 今回は、もう今度こそ間に合わないと思ってて。こんなんで無事に初日が開いたら、それだけで泣いちゃうだろうな、とか思ってたけど、わしが欲張りなのか、鈍感なのか、開いてみれば、なーんてことなく、いつもの感じで、涙なんか一個も流れず、まだ売れ残ってるチケットの心配とか、芝居はコレでいいんだろうか、とか、アレコレと気にして結局まだ感慨に耽れていない。

 昨日は、いきなりモーがゲロ吐き出したりして。
 お父さんの大事な日だというのに、そんな時に限って熱を出す人間のガキのようだ。
 慌てて病院に連れて行って、とりあえず、手当はして貰ったけど。それやこれやで、相変わらずバタバタの日々。

 そんな中でも公演は始まるのだった。
 初日は、安売りの日でもあって。おまけに土曜日で、満員で迎えられた。
 厚木以来、ちょっと間が開いたけど、客席のお陰でほどよい緊張感を貰い、もはや舞台上で居眠りできそうなほど図々しくなったベテランの皆さんも、ところどころセリフを間違ったりしていた。
 累央も、歌詞を間違ったし。(セリフも歌詞もお客さんはたぶん分かんなかったろうけどな)
 こういう失敗ってダメじゃんとか、思うかも知れぬが、緊張したり舞い上がったりして、間違うなんて、実は良い傾向でもあるのである。
 何しろ、わしら、もう25年以上こんなこと続けてるので、舞台という非日常空間が、日常化してしまっているのだから。
 たまに刺激を受けないとボケてしまうんだ。

 お客さんの反応は、どうなんだろうか?
 わしは初日は真ん中辺りの客席で観ていたんだけど、お客さんの顔をジロジロ見るほど余裕はなかった。
 途中、背後でイビキみたいのが聞こえて一瞬狼狽えたが……
 
 まあ、今回のは、見た目の派手さってのがあんまりないし、全体のリズムもアダージョだから、かなり眠りに誘ってる部分はあるのである。
 もちろん、寝られるのは無念なのではあるが。
 それでも、

 安らかに眠れる舞台ってのは、なかなか良いリズムを持ってるってことなんだぜ。寝られもしねえヒデエ舞台ってのもこの世にはあるからな。
  
 と語っておられたのは、わたしの師匠・故三木のり平先生である。
 ものは言いようだが。
 
 お前らのは寝たくても、うるさくて寝られやしねえ。

 そうダメ出しされたこともあったけっけ。
 わしらもようやく、人の眠りを邪魔しない芝居作りが出来るようになったということか。
 
 なんのこっちゃ。
 こんなこと言うと、また誤解を生むだろうな。
 
 慌ててフォローしておくと、決して退屈な舞台じゃない(はず)なので、まだ観てない人はどうか敬遠しないで欲しい。
 
 初日に来てくれた大谷さんが、初めて累央を誉めていた。
 さすがに今までここには書かなかったけど、累央の芝居を観るたびに、タニヤンから酷評を頂いていたのである。
 まだ大役をやらせたらアカンと私は何度も叱られていた。

 しかし、昨夜、終わった後の呑み会で。

 ほら、ボクのずっと嫌いだった累央君、今日はとても良かったよ!

 まあクールでへそ曲がりな累央は、別に嬉しくありませんよ、とか言うのかもしれんが。大谷某がナンボのもんですか、みたいな感じで。
 でも、わしは嬉しかった。
 わしは大谷さんを演劇人の先輩として、敬愛して止まぬ者の一人であるから。タニヤンに、アカンでと言われるのは、とても気持ちよくないのである。
 
 昨年の舞台は敢えて、累央を使わず、新鋭売りだし期間終了、これにて一区切りみたいなことにしたのだけど、その間、あいつも余所のメシとか喰ってきて、成長したのだと思う。

 人の評価を覆すのは大変なものだ。でもそれをやらなきゃ、未来は拓けない。
 
 初日呑み会では、照明の塚本さんと久しぶりにじっくりと話した。
 もう20年ぐらいの付き合いだ。
 でも、今回ほど打ち合わせせずにやった作品はないよね、と塚本さんが言っていた。
 しかし、台本読んで、それで何をするべきか説明受けなくても分かったから、と仰有る。
 
 実際に、わしが言ったのは、ここは夕方から夜にして下さいとか。星空が欲しいとか。説明しなくてもすでに台本に書いてあることばっかりだった。
 
 しかし、ここには20年付き合ってきて、初めて出てきた世界がある気がすんだよな。一つの成熟のカタチがな。
 これは後に振り返ると、扉座の歴史の中でも一つのポイントになる作品になるんじゃないか。
 20年付き合ってるスタッフが、そう言ってくれた。
 
 わしとしては、そんなにいつもと違うことやってる気はしていないのだけど、まあ、新しい可能性が人に見えているののは喜ばしい。
 
 あとはお客さんがたくさん来て欲しい。
 昨日で燃え尽きたワケではなかろうが、今日は日曜なのに、満員には遠かった。
 2度目のカーテンコールで、岡森がまたチケット有りますと叫ぶ。
 ひたすら寂しい。
 
 でも明日からはアレをやめてしまおう。と今日は最後列で観つつ決意した。
 あんなこと言っても、たいして効果はないだろうしな。
 来る人は来る。
 来ない人は来ない。
 そういうもんだ。
 もう始まったんだから、後は作品が人を呼んでくれるのを待とう。
 
 ここからしばらくは、大人演劇みたいに、カーテンコールで何も言わない劇団になってみることにする。
 明日から実行。
  



明日から(2006.10.27)

 やっと新宿が開く。
 この数日半端に間が空いて、宙ぶらりんであった。

 ところで最近、犬が大ジャンプを習得した。結果、机に向かう私の膝にひらりと飛び乗ってくる。今も、膝にいる。
 面白いけど、邪魔だ。たまにキーボードに肉球を乗せる。
 そのまま、挨拶文ぐらい書けばスゴイが、そんなことは起きない。第一、小型犬の彼にしても、キーボードを操るには肉球が大きすぎる。
 誰か、犬用キーボードを開発しないか。
 と書いていたら、今、飛び降りた。

 さて、ひらりと言えば、ピーターパンである。
 
 ねばねばランド、というのは、別に年寄りの涎がネバネバしているという意味ではなく、ピーターパンが子供達を連れて行く国のことだ。
 
 それの年寄り版をやろうというのが、当初の目論見であった。
 それが紆余曲折あって、現在のカタチに収まってきたのである。

 さまざまあった曲折の中で、最も大きな事は、ネバネバランドが完全なおとぎ話の国から、少しリアリティのありそうな国になったことだ。
 年寄りしか住まない島、というのが、わしらのネバ島なんだけど、これはもはや空想の世界ではなく、現実にこの世にあるのである。
 島でなくても、年寄りしか住まない町というのもたくさん現実にある。
 それらの様子を調べるうちに、これはもう、おとぎ話ではなく、現実として描くべきだと思い至ったのである。
 もっとも、厳密にリアル世界なではなく、多少わしら的にフィクション味付けはしているが……

 しかし、そうなると問題はピーターである。
 
 リアルな国のピーターパンってどんなんだ。しかも年寄り島のピーターだ。

 少なくとも空は飛ばんだろう。

 まずここから私の考察は始まった。
 でも、たちまち行き詰まったのは、ピーターパンというのは、永遠に大人にならない人な訳で、それが年寄り島とどう関わっているのかという問題だった。
 しかも今回はゼッタイに年寄り以外、出さないで行きたいと思っていた。
 当然、ピーターも年寄りでいて欲しいんだけど、それじゃピーターじゃなくなるではないか。
 結果、辿り着いたのは、

 何だかよく分からない人、

 としてピーターに出て貰うということだった。
 こんな風に言うと、身も蓋もないけれど、ここに至るのに、あれこれと呻吟し、結論を出すまでに数日を要しているのである。深く深く考えた結果が、あの、ピーターなのだ。
 
 決して、どーでもいいと思って、あの感じになったワケでないことをようく覚えておいて欲しい。

 劇中、知ってる人は知っている、ピーターの名ぜりふを、何だか分からない人がいう。
 厚木においては、それに対するリスポンスが異様に早すぎて、何だか分からない人が、言おうと思っていたことの半分ぐらいがレスポンスに喰われて消えてしまった。

 台本上は、レスポンスはないものと想定して、書かれている。
 でも、厚木公演ではリスポンスがあるだろうと、わしらも想定していた。厚木は客席も極めてリラックスしていて、何でも有り状態なのだ。
 だから覚悟はしていけれど、それにしても早すぎた。
 
 少ないセリフを、客に喰われた、わしらのピーター改め、何だか分からない人、は明らかに悲しんでいた。

 もちろん、一通り見ても、何だか分からない人が、何だか分からないままの、お客さんも大勢おられると思う。
 それはそれで、まったく問題はない。

 だって、何だか分からない人、なんだから。
 
 犬は、寝始めた。


 
 
 
 
 



ねばの中味(2006.10.26)

 構想段階では、半分は病院を描くつもりだった。
 かなりリアルに、寝たきりとか、惚けた老人たちの描写をしようと。
 それが出来てみれば、表面上はまったく舞台に出現しないことになった。

 一つにはあんまりリアルにやるのは、辛いなあと、これはもう素朴に思ってしまったというのがある。
 今も生きている、祖母に捧げる気持ちで書こうとすると、どうしても、寝たきりでおしめ替えられてる姿なんてのを、舞台に出す気持ちにならなかったのである。

 これを甘い、と言われたら、それはもう仕方ない。
 私は実は結構冷たい人間だと自負しているけど、うちの祖母と言う人が、ホントに仏様のお使いなのではないかしら、という感じの善人なので、どうしても意地悪な気分になりきれないのだな。
 とはいえ、そんな祖母のことも、ある意味、意地悪に観察して、不完全な人間として描いてしまっている部分もあるのではあるが。
 まあ、人間だものね、奇跡的にお使いにはなれても仏様そのものには現世ではなれませんわな。

 ただ、だからと言って、ただ脳天気に老人の楽園なんか描いてもそれはそれで、つまんないので、あくまでも、表面上の楽園の向こう側には、地獄の如き現代の姥捨て場たる、老人病院の病室は物語的には存在しているのである。
 ただし、あるけど、描かない。
 これが、今回の挑戦である。

 それはこの半年、テレビドラマをやったことが、大きく影響している。
 裏を描かないというのは、テレビドラマではかなり特殊なことなのである。
 たとえば、待ち合わせに遅れる恋人が居たとしたら、待つ側と待たせる側、その両者を交互に描くのが映像なんだよね。

 しかるに、芝居では、その一方しか描けない。
 まあ、現代演劇においては様々なテクニックで両者を描くことは可能なんだけど、それはまさしく映像的手法なんて言われるもので、演劇の常套手段にはないものだ。
 芝居では、待つ側か、待たせる側か、そのどちらか一方を描いて、それでいて、描かぬ一方のことも伝えなくちゃイカンのである。
 で、それが面白さになるかどうか、描かぬ事が却って効果を上げられるか、否か。
 そこが演劇人の腕の見せ所なのである。

 ところがテレビではこの技が、あんまり求められないのだ。その意味で、今回のドラマで私はかなり、得意技を使わせて貰えなかった感はあるのである。
 まあ、その技の駆使がテレビでやって有効であったかどうかは、疑問ではあるが。

 ともあれ、そういう意味で、今回は片方を敢えて描かぬ、演劇独自の技で勝負することにしたのだった。

 その成果が如何なるものかは、皆さんの目で確かめて欲しい。
 ただ、一目で分かるのは、病室場面をすべて捨てたために、大道具が一杯で済むことになり、全予算をねばホテル中庭の建設に投入出来たということである。
  
 それによって、中庭が手間のかかったステキな空間になった。
 今回は特に空が綺麗。
 これは無邪鬼の時に欲しかった、雲ドロップというもの。
 でも、お安くないので、手が出なかった。
 ホリゾントに明かりを当てるだけの青空はどうしても、すくんでしまう。
 雲マシンで雲を出しても、抜けるような青空って訳にはなかなかいかないのだ。
 
 正真正銘、画に描いた空で、超古典的な手立てではある。
 でも、これも演劇ならではのものだと思う。

 明日は、ネバネバのもう一つのモチーフ、ピーターパンのお話を致しましょう。



お休み(2006.10.24)

 今日は休日。
 でも、やんなきゃいけないことがある。

 次なる芸当の支度である。

 といってもエンジンはまったくかからず。

 明日は、演劇と教育についての座談会へ。
 演劇の教科書を作ろうというテーマみたい。
 出来れば良いね、とは思うモノの、難しいだろうなあ。
 だってわしだって、高校時代から数えたら、かれこれ30年ぐらい演劇ちゅーもんに関わってきたが、未だにどんなのが正しいセリフ術なのか、何が正しい発声なのかさえ、まったく分からないのである。

 あの役者良いなあとか。上手いなあとかは、感じてるけど。それが正しいかどうかは、知らないし、どうしたらそうなるか、なんて誰も説明してくれないのだ。

 説明を試みている人は大勢いるけど、みんな言ってることがパラバラだからね。
 演劇観そのものが、まったく違うし。
 これはこの5年演劇人のインタビューをしてきたから、間違いない。
 もちろんジャンルや思想は違っても、大きく演劇として重なる部分は少なからずあり、それが一流の領域にいる人になればなるほど、自在に境界を超越して影響を与え合ったりはしているものだ。
 でも細かいやり方、テクニックは、やっぱりバラパラなのである。

 そういう意味で、サッカーみたく、子供から一流選手までが、同じテキストに基づいて、テクニックの完成を目指すなんて言うのは、ゼッタイに不可能だとしか思えぬのである。

 だから、ちょっとびっくりかもしれないけど、扉座では発声練習というものがない。役者が個々にやってはいるけど、全員でアメンボ赤いな!なんてやらない。
 ボイストレーニングは、若手中心に定期的にやっているけど。
 
 稽古してて、わしがイメージする声とか言葉がそこに現れれば、それでオッケーという理屈である。
 あとは勝手に研鑽を積んで下さいという感じだ。

 それはたとえば、某大手劇団なんかに言わせたら、まったく有り得ないことだと思う。みんなが同じセリフ術を駆使してこそ、出来上がるのがアンサンブルだろうと。
 
 でも、私に言わせたら、その大手劇団の登場人物全員が、同じような声としゃべり方で演じている舞台には大きな違和感を抱かずにいられない。
 ハムレット王子と墓堀りが、等しく立派な良い声で、母音をやたらに響かせて話しているのは、変だと感じるのである。
 
 ここですでに教科書は躓くだろう。
 まあ、最終的には権力の大きな方の勝ちだろうから、わしに勝ち目はなかろうが。
 それでもわしはその教科書に対して、ブチブチ文句を言うだろう。
 
 しかし、こんなこと言ってると、なんかカット部分ばっかの座談会になりそうだな……
 



厚木(2006.10.23)

 例によって厚木ではゆっくりと稽古が出来て、オマケに今回は大人演出なので、サクサク進んで、2回完全通し稽古が出来た。

 これにてかなり余裕の初日を迎えた。(それでも緊張してベテランがセリフ飛ばしたりするから芝居は面白いんだけど)

 それに加えて、何といっても我がホームの厚木市文化会館。客席を埋めてくれた応援団、サポーターの皆さんのお力で、殊更に温かい雰囲気の劇場。
 そんなに可笑しいのか、と作った本人が不思議に思うほど一つ一つに反応してくれる。
 ちょっと、わしらのこと甘やかし過ぎじゃないか、と半分思いつつも、初日でカチカチになっても仕方ない生まれたての舞台を、調子に乗せてくれる有りがたさ。
 
 つくづくわしらは幸せな場所を持っていると、いろんな巡り合わせに感謝する。
 
 それやこれやで、気持ちよく厚木の②ステージをやり終えた。
 そんでいよいよ、新宿シリーズへ。
 
 しかしその前に、明日はやっと一息つける。

 こりゃ、幕が開かないかも、と一瞬不安のよぎった時期もあるこの公演。
 すでに私の電池は切れている状態ながら、厚木で暖かな拍手を貰って少し息を吹き返した。

 新宿はそんなに甘くはないけど、今回は、甘く受け入れられたいなんて露とも思わず作った(一つには余裕がなくて、やるべきことをやるんだと開き直ったからでもあるが)、私の中では結構硬派な作品なので、むしろ辛目の真剣勝負が楽しみである。
 
 え、これで硬派?
 という声も聞こえてきそうではあるが。
  



ねばゲネ(2006.10.21)

 厚木でゲネ。

 何と、多忙の極みの横山智佐さまが、わざわざロマンスカーで駆け付けてくれた。
 あと、応援団の皆様も。

 現在の中味時間二時間8分。これはもうちょい縮まるはず。
 いつもなら、テンポアップ!とかけ声も掛け合う頃合いなんだけど、今回はちょっと様子が違って、老人力描写のために、慌てず急げの、矛盾命令。
 いかに力を抜くかが、一つのテーマとなっている。

 今日の感想としては、昨日に続いて、かなり綺麗な舞台だな、ということと、意外に緊密な時間空間になったなあということ。
 登場人物が多いので、とっちらかってしまうんじゃないかと、それが不安だったんだけど、結構、良い感じで絡まり合ってると思えた。

 これはまあ、一安心。
 今回はいわゆるグランド・ホテル形式というやつで、ホテルのロビーで人々の人生が交錯するというドラマ形式の定番を使っている。扉座では初めての試みだけどね。
 でも、やってみて、なるほど定番となる理由のある、理に適った方式だと、感心した。
 古典というのは、やはり力のあるモノである。

 でもその一方で、古典を正しくやるためには、こちらにも技術と経験が必要である。
 これはずいぶん、スタッフに助けられている。
 スタッフも、シブイねえ、渋いねえ、とお互いに呟きながら、それぞれが持つ渋い技術の披露のし合いをしている。
 まあ、普通のお客さんにはあんまり関係ないことかもしれないけど。
 今回はスモークマシンも使わないことになった。
 もちろん、ムービングライトなんかも使わない。
 30年前からあるマシンと技術で勝負という舞台だ。
 しかしそれを私が注文した訳でなく、各スタッフの判断である。
 
 何よりも戯曲が、そういう渋いことになってるんだよ、とはスタッフ側の意見。
 今回はキャストを置いておいて、そういう話題でスタッフ同志が盛り上がっている。
 もっとも、渋さというのは好みの分かれるところで、扉座はもっと馬鹿馬鹿しくやってくれ、というリクエストもあろう。
 けど、これは25年やってきて、初めて出来た境地なのだと思う。
 
 皆さんにどう受け取って頂けるか、とても楽しみになってきました。
 
 いよいよ明日から開幕。
 明日は私は厚木泊まりであります。
 初日報告も出来ないので、初日を観た人、是非、レポートをお願いします。
 例によって、厚木も新宿もまだお席に余りがあります。
 いつものことながら、中味で噂になって、人を呼ぶしか手がありません。
 ご協力お願いします!

 では劇場で!



ねばねばの国(2006.10.19)

 厚木で舞台稽古初日。

 いつになく綺麗な舞台セット。
 一見、翻訳劇風の世界という感じが結構出ている。

 んで夕方前からキッカケ小返しという稽古に取り組んだのだけど。これがかつてなくサクサク進む。
 いわゆる、キッカケが少ないのだ。
 場面転換も、大きなモノは今回はない。

 今まで、則岡クンが立てた稽古スケジュールというのが、予定通りにサクサク進むなんて事はまずなかったのだけど、今回はまったく予定通りに進んだ。

 では、音響とか照明が暇なのかというと、決してそんなことはなくて、実はいつも以上にずっと存在し、かつ変化し続けている。
 そこら辺のことは、たぶん観て貰うとわかる。

 んでんで、これは実はかなり高度な技なのである。と思う。
 一言で言えば、音と明かりが、いかに自然を自然に表現するかということに挑んでいる。
 たとえば、ねばねばランドが夕方から夜になってゆく、なんていう場面があるんだけど、ただ暗くしてしまったら、何も見えなくなるので、オレンジの夕景から、蒼い夜の景色に、ナチュラルに変わっていくという芸当が必要なんだね。

 そこら辺が、音も明かりも舞台セットも、今日は見事に処理されていたので、サクサク進んでいたのだった。
 思えば、うちのスタッフは、皆、一流ですからね。
 今更ながら、って感じだけど。

 普段は、わしの作劇上、いろんな仕掛けがあるので、目を引く派手な動きにばかり意識が向きすぎて、そういう細かい職人技を見過ごしていたなあ、と改めて痛感した。
 
 とにかく、いまだかってない、美しい舞台になっております。
 出てくるのは、爺さんと婆さんだけだけど。

 しかし、稽古ではかなり塗りたくったと思えたメイクも、舞台に立つと、まだまだ足らず、もっと年取ってくれぇとばかり注文していた。
  
 全員、あと10歳老けなきゃイカン。
 どんな芝居や。



昨夜は(2006.10.18)

 稽古場最後の日。
 最後の通し稽古をして、その後、私は青山へ。

 劇団本谷有希子 を見る。
 番組で知り合って、是非見たいと思っていた。
 そこで久しぶりに高橋一生に会う。
 本谷さんと、仕事の話があるとかないとか、偶然来ていた。なかなか良い位置にいるなあ、いつせい君。
 泥棒が入った舞プロの人とも会って、お悔やみ(?)を。
 被害は少なくないようだけど、とりあえず誰にも怪我とかはなくて、それが不幸中の幸い。
 芝居は、面白かった。
 って、これじゃ身も蓋もないけど。詳しい感想は別のところで書く予定である。
 それにしてもまだ20代半ば。
 その実力、ただならぬ新鋭である、と改めて思う。
 
 もっと近くにこういう新鮮な才能がいてくれたらいいのに。
 まあ、彼女のような人はたぶん10年に一人ぐらいの存在だから、身近にパッと出現するはずもないのだけど。
 私が知った時には、遅すぎた。ということか。
 最近、そういう流れに対する感覚が明らかに欠如していることを強く反省。
 今年から来年にかけては、ちょっと劇場に通おう。
 
 本谷さんに挨拶だけでもしてこようと思ったけど、すでに業界大集合のような、演劇オヤジとオバサンたちでごった返す円形劇場のロビー。
 ちょっと気後れして、何も言わずに劇場を出た。
 
 前から気になってた、カレーうどんを喰って帰宅。
 帰ったら、バタンキューだった。

 ところで昨日の最後の通しは、なかなか良かった。
 まあ、全員、実年齢の二倍から三倍の人生を生きた人物を演じなくてはならないので、まだまだ課題は山積ではあるが。
 昨日は調和が取れていた。

 また今回は、若手。といってもすでに本谷さんより年寄りなんだが。まあ、その若手のなかに、良い仕事をしている者が数名現れている。
 敢えて名指しにはしないけど、舞台を見れば、一目瞭然であろう。
 
 今回はかなりベテラン中心の舞台だが、その中で、強い印象を残せたら、それはかなりの力であるはず。
 今日から厚木入り。
 



ひたすら(2006.10.16)

 有馬が戦国の合戦に、また、たかしが、事件の捜査に行って不在なので、かるーく流して終わろうと思っていたら、半端な時間に戦場から有馬が帰還してきた。
 NGがたくさんあって、それをことある毎にわしがブツブツ言っているので、かなり必死に時間を遣り繰りして駆け付けているようだ。
 早朝からのロケを終え、一番早い新幹線で、東北から帰ってきたのだ。
 偉いといえば偉いけど。
 こっちだって必死なんだから、当然の義務ではある。
 ちなみにタカシは、事件の早期解決はならなかったようで、結局現れなかった。
 
 しかし想定外の有馬の到着の結果、それではアソコもココもと、ずるずると稽古が伸びて、結局、いつになくみっちりとやるハメに。
 それでまあ、いつも余裕がなくてスルーしている若者のシーンを中心に、あれこれ注文出来たから、良しとしよう。

 若者とは言っても、役柄的には、皆、老人。素のまんましか、見せようのない若者達は、当然のこと、手こずっている。
 だからダメ出しすればするほど混乱して、おそらくは明日あたり、オメーなーにやってんだよ。という感じになると思われるが、そういう試練を乗り越えたところにしか、表現の完成はないわけで。
 まあ、しっかりと苦しめ、悩め、と言っておく。

 とは言え、そろそろ稽古も終盤、トシノリ以下と呼ばれる新鋭チームは、さまざま小道具作りなども課せられ、大変な仕事をやり遂げつつある。
 今日はその慰労も兼ねて、稽古後、ちょっと一杯に。
 
 ずーっと酒断ちしていた杉山も、今夜は参加。
 持参の杜仲茶で、ショーチューを割って飲んでいた。
 んが、途中で杜仲茶は尽き、半ばからはかなり濃いめのお湯割りに。
 別れ際にはヘベレケになっていた。
 昔は毎日のようにこんな姿だった気もするが、久しぶりに見る杉山の酔い姿。
 明日、ちゃんと来てくれるかどうか心配である。

 明日、明後日と稽古場では残り2日。完全な通し稽古を2連チャンでやる。
 もちろん、まだまだやる余地はあるが、ちゃんと間に合って、細部にこだわる余裕も生まれつつある。
 9月の終わり頃の絶望的な感覚からすれば、これは奇跡に近い。
 過ぎてみれば、これぐらい当然じゃん、という気持ちになってしまっているけど。
 
 横内、エライと自分で誉めておく。



みほとり(2006.10.12)

 実は今回の芝居には、参考図書がある。
 この世に一冊しかない、手作りの自分史だ。
 作者は私の祖母。タイトルは「みほとり」だ。

 明治の終わりに生まれた祖母の、幼い頃から、80いくつまでの人生が、自身の言葉で綴られている。
 公民館で習ったワープロを駆使して、書き上げた労作である。装丁も祖母自身の手で、極めて個性的に仕上げられている。

 その人生を舞台化するのは、ちょっと難しかった。
 明治、大正、昭和を生き抜いた女の一代記で、当然のこと戦争の時代も挟まっていて、女優芝居にはうってつけの素材だけど、まあそれは劇団でやることもないだろう。

 ただ、祖母には大切な登場人物の一人になってもらい、『みほとり』の中からも多々、引用させて貰った。
 今日、その『みほとり』を三千代に貸した。
 見せない方がいいかなとも思ったけど、このところの稽古でだいぶ芝居が見えてきて、更なる深みを求めるには、こういうことが効果的であろうと思われたのだ。

 たった一冊だけ作った、自分史を、祖母は私にくれたのである。
 祖母は私が作家になったことをとても喜んでいてくれている。今も北九州で存命だけど、この春に一時危篤に近い状態になった。
 折ある毎に手紙をくれて、ついでにお金を入れてくれていたりした。結婚してからも、それは続いていて、ヒモだった頃には大いに助けられたものだ。
 別に、祖母のためだけにコレを書いた訳でもないけど、特別な思い入れは確かにある芝居となっている。

 最初は長いと思ったけど、カットにカットを重ねて、すでに二時間10分は余裕で切っている。
 もう少し刈り込んで、エッジを立たせるつもり。

 昔の芝居仲間の、松田かほりさんに客演して貰っている。
 ジプシーの若奥さん役をしていた上原優子の大学時代の同級生で、その後、ニナガワスタジオに入り、蜷川作品を多々支えていた。
 最近では、山中の出た、カムカムミニキーナにもよく出演している。
 実は初めて出て貰ってるのだけど、何かずっと前から一緒にやってるような感覚で、お互いに何の遠慮もなく、自然に溶け込んで、作品作りに熱中している。
 この松田さんと、三千代と、伴が扮する3人の老婆が、六角、岡森、有馬扮する、3人の老人にナンパされるというのが、基本ストーリーである。

 チラシを作った時とかなり構想が変わっている。
 老男女6人恋物語 というのが今現在の正しい認識だ。

 昨日今日と、帰ってからさまざま文章書き。
 稽古後に働くのは、以前はよくやっていたことだけど、最近は本当に辛い。
 でも、がんばったオレ。
 
 みんな応援しような。
 私が劇団のために書いて演出するのは、年に1回なんだから、
 ゼッタイ、見に来てよね!



雑文とか(2006.10.08)

 書き上げてから、パソコンに向かうのが、もう嫌で嫌で、メールも一週間分ぐらいまったく開けてなかった。

 そろそろ雑文書きなんかにも取り組まなきゃイカンくて、机に向かってみたものの、心の底から、言葉を考えるのが億劫で、結局何もする気にならない。

 各原稿、たぶん遅れるので覚悟して欲しい。

 今朝、起きて、ヤンキースを観ようと思ったら、すでに終わっていたらしく、虚しくチャンネルをグルグル回した。
 そしたら、思いがけなく、NHKハイビジョンで、新三国志の完結編の放送を目撃した。
 わしが、その放送予定を知らんというのも、どうかと思うが。
 時々、再放送でリピートされているのである。

 三部作完結編の初演の年の博多座での公演である。
 この翌年、本当のファイナルでは、猿之助さんが病欠で、段治郎が代役したから、猿之助版ファイナルの舞台である。

 思わず見入ってしまった。
 何か、もうずいぶん遠い昔にあったこのような気もし、細部は忘れていた部分さえある。
 それでも観ているうちに甦るさまざまな記憶。

 ふと旦那はどこで、どんな気持ちで観ているのだろうと、気になった。
 病気で、休養に入られてから、3年になろうとしている。
 たまーにお会いすることもあり、元気じゃないか、と思ったりするのだけど、稀代の完全主義者としては、自分で自分の状況に納得が出来ぬ限り、復活はしない決意のようだ。

 この10数年は、いつも自分の劇団をやりつつも、同時に猿之助一座の宿題を抱えていた。
 その宿題がずーっとなくなっている。
 
 でも今日、改めてスーパー歌舞伎を観て、これはやっぱり続けて欲しいなあ、としみじみ思った。
 
 明日も世の中は休日らしいが、わしらはねばねば。
 そろそろ通し稽古。
 稽古突入しまだ10日ほどで、通しはかなり早い。
 皆ケツコウ気合い入れて、セリフも早く入れている。
 やれば出来る!

 
 



速攻(2006.10.06)

 今日で、最初から終わりまで、一通りの手をつけた。
 まだ通せはしないけど、とりあえずの全貌が見えた。

 まだまだやることはたくさんある。
 今回は、スペクタクルもビジュアルサービスもなく、基本的に芝居で勝負の舞台になる。
 そういう意味で、じっくり作り上げていきたいところではある。
 とは言え、何だか俳優達がそれぞれに忙しくて、なかなかスムーズに稽古が進まない。
 各方面で皆が活躍してくれるのは、望むところではあるが、悩ましい問題ではある。

 それやこれやで、出来るときにドーンとやらなくてはと思い、休憩もあんまり取らずに、ドーンと進めている。

 台本が出来ない出来ないとぼやき続けていたので、多くの人が心配してくれている。
 でも、もはやその心配は脱したので、ご安心を。

 んで、肝心の芝居の手応えであるが。

 見に来てね、というのはいつも言うことなので、いろいろ言っても、それで関心が深まるということもないのであろうが、今回は特に扉座をずっと見てくれている人に、是非見逃さずに見て欲しいなあ、と今日稽古しつつ考えた。

 今回のだけ見ると、何か妙なことやる劇団だなあ、と思われてしまいそうな不思議な芝居だ。
 しかし、私たちのことを見てくれてきた人には、たぶん、通り一遍以上の何かが伝わると確信する。
 皆で、老人をやるということが、単なる見せ物作りでなく、我々にとって、とても意義深いことなのだ、ということも、深く分かって貰える気がするのだ。

 作劇的にも、新しいことにチャレンジしている。
 特に、それを意識したワケでもなかったんだけど、今、演劇にしか出来ないことを純粋に追求している、と自負する。
 それは一年間、テレビと付き合ってきた副産物でもあろう。
 演出的な部分のみならず、舞台の戯曲というものをこれほど殊更に意識して書いたのは久しぶりである。
 それが上手くいってるかどうかは、皆さんの感想にお任せするけど、扉座が、単に芝居書きと俳優達の集まりなのではなく、演劇観や特に人生観までを共有しつつ創作をし続ける劇団なのだ、ということは鮮明に伝わるはずだ。

 そういう意味で、今回のものは、大きなターニングポイントになる作品になる気がする。
 劇団にとっても、私にとっても。
 さまざまな困難を越えて、尚劇団を続ける意味をこの舞台が教えてくる気がする。
 
 久しぶりに、オリジナルメンバー全員揃いで、しかも彼らが中心になってやる芝居でもある。
 考えてみれば、それも4、5年ぶりぐらいのことなのである。
 それだけでも大切な公演だ。
 
 ここまで時間に追われて、いろいろ考える暇もなかったけど、今日、ちょっと一息ついて、この芝居のことを考えた。

 岡森の誕生日で、若者達の手により、稽古場にケーキが用意されていた。
 わしらには、そんな洒落た風習は、なかったんだけどなあ。
 え、そんな普通のことやるの、と一瞬退いたが、
 岡森がとても無邪気に喜んでいた。
 
 それを見てたら、ちょっと羨ましくなった。
 
  
 
 
 



稽古(2006.10.04)

 時間があまりないので、真面目に稽古をしている。
 演出なので、雑談をしてる余裕もない。
 
 それと久しぶりの外出活動で、終わり頃にはヘロヘロで、家に帰っても、何もする気力が沸かず、バタンキュー状態である。
 バタンキュー、というのはかなりオヤジ言葉っぽくて、最近耳にしないが。

 そんなこんなで、ただ稽古して日が過ぎている。
 まあ健全ではある。

 いきなり追記

 今朝、出掛けようと思ったら、何か靴が湿っていた。
 よくみたら、モーがシッコを引っかけていたのだった。
 
 何かよく知らんメーカーの安い靴と、ちょっと高いグッチのスニーカーとが玄関に置いてあったのだが、モーはちゃんとグッチの方に引っかけていたのだった。

 やめてくれよぉ、

 と一応クレームはつけたものの、モーは何のこと?みたいにとぼけていた。
  
 オレと妻と、テメーしかいねえのに、こんなことするのはテメーしかいねーじゃねえかよ。
 妻が犯人だったらちょっと怖い。

 
 
 



始まった(2006.10.01)

 ついに書き上げた。
 今年になって、ずーっとずーっと、何かをパソコンに向かって書き続ける日々。

 とくにテレビが終わって、息つく間もなく、今回の新作に取りかからなきゃいけない展開は、本当に辛かった。
 なあ、自分で引き受けた仕事だから、文句はいえないんだが。

 ともあれ、台本書きは終わり、稽古に入る。
 開始時期は少し遅れたけど、他のカンパニーの具合を見渡すと、こんなのは遅れたうちに入らない、と言い訳する。

 もっともそれやこれやで稽古期間が短くなって、これからも大変なことに変わりなし。
 でもまあ、自宅に引き籠もって、ひたすら自問自答を繰り返す毎日の辛さとは、まったく異質なものだ。
 つくづく書くのは辛い。
 戯曲塾で、鈴木聡さんが、まあ書くのが辛くない作家なんかいないんです、と第一声で言ってたけど、まったく同感。
 好きで始めたはずなのに、おかしな話ではあるのだが。

 中味は、追々、小出しに紹介していくけど、

 今回は
 老人・青春グラフティである。
 平年年齢が我が国の寿命以上という、老人たちしかいない島で起きる、恋と友情と冒険の 二日間の話で、老人しか出てこない。
 老年男女6人恋物語でもある。
 
 当初は、老人の病院を半分は描くつもりだったけど、いろいろ考えているうちに、病院部分はどんどん減っていった。
 介護とか、老人医療とか、そういう社会背景的なものはとても大切なんだけど、それはまあ、誰か別の作家の方が私なんかより上手く、鋭く書いてくれるような気がする。
 それで、楽しい老人パラダイスの比重を大きくした。

 そんなワケで、今回の役は全員、老人。
 それもほぼ80過ぎばかり。
 ただ今、これからそれをどうやって成立させるか、ひたすら試行錯誤することになる。
   
 それでね、じっと一人で、ブツブツ言って、パソコンに向かうより、はるかに楽しい。
 書き上げた夜明け頃。(最後の3日間は、ほとんど寝なかった。テレビの最後の二話から、こんなことが続いた。ホントに死ぬかと思いましたよ)
 もう当分は、セリフもト書きもかかねーぞ、コノヤロウ。とモーにだけ聞こえるように、啖呵を切ってやったぜ。

 今だから告白するけど、誕生日の辺りは、まだまだ先が見通せてなくて、苦しい時期だった。
 人間ドッグで、ちょっとした胃潰瘍でも発見されて、ドクターストップでもかからねえかな、と真剣に思ったものだ。
 でも、結果、ナーンにも問題なし。
 ちょっとガッカリして、仕事を続けたのであった。
 
 それが書き上がってみれば、そんな苦しみも嘘のようで、こんなもの、いくつだって出来る出来る、みたいな気持ちになってしまうのである。
 それで、またたぶん、何か頼まれたら、引き受けてのだろうナ。

 とにかく、始まった。
 





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