劇団復帰(2006.08.30)
ドラマのまだ放送は続くが、私の仕事はようやく一段落。
しかし怒濤の如く押し寄せてくる、さまざまな予定たち。 土曜日は、お昼に横浜で、教育関係の会合に出てて、その後、錦糸町に移動、扉座アトリエで、犬の会を観劇。 呑み会まで出た。
日曜はたまった雑用を必死に片づける。 月曜日は、中野坂上で、栗田演出のオセローを観た。 火曜は、ダンドリ。の最終回分の有明ロケ見学に。久しぶりに六角とかとも会った。んで、その後、厚木に行って、文化会館の理事会に出席。 今日はやっと、特に用事がない感じの日だったけど、次なる課題に取りかからなくちゃいかんので、資料集めとかしたりしてた。 んで、何やかんやでまだ、何もゆっくり出来ていない。 しかし気が付けば、もう八月も終わり。
今後の予定を見て、少し暗澹たる気分になる。 この山を越えれば、この山を越えればと呟きつつ、歩き続けているけれど、声とも越えても山が出現してくる。 どうなってるんだろう。
観た芝居のこととか、ダンドリのこととか、いろいろ書きたいこともあるけど、いろいろ有りすぎて、もはやまとまらない感じ。 とりあえず、今はネバネバに向かわねばならない……
大和(2006.08.20)
田中が張り付いていた、大和の市民劇公演が、土曜日にあった。 満員の客席の中、1回だけの、旗揚げにして解散公演。 子供から老人までの、本物の市民約三十人が、1年間の稽古の成果を見せてくれた。
手放しで、褒めちぎって良い公演だった。 何よりも素晴らしかったのは、そりゃもう、出演者の皆さんだけど、 演出した田中信也と、本を書いた錦織伊代もとても良い仕事をしたと思う。 特に、伊代が、プロの仕事をした。 正直言って、前回のPPPにはちょっと注文があったんだけど、今回の経験が、彼女の可能性を大きく広げてくれると思う。 オーソドックスでありつつ、その中で、ちゃんと伊代の女の子ワールドの感性が生きていたのがとても良かった。
ワシは、アドバイザーなんていう、極めてええ加減な立場で、ほとんど傍観していただけであったが、我が手勢のチカラでこんだけのことが出来るというのが、誇らしかった。
今年は、もう一つ、茅野が故郷に錦を飾る、豊橋の市民劇が待っている。 茅野としてもまさか、田中に負けるわけにはいぬと思っているだろう。 しかし、なかなかハードル高いぜ。 座内競争!
今(2006.08.15)
最後の追い込みで、外界との交信も断って、机に向かっているんだけど、 どうしても記録しておきたくなって。
私は小泉という人は決して嫌いじゃないんだけど、それにしても、今日の開き直りは、許せないものを感じた。
自分が最後だから、って喧嘩を売ってもいいんだろうか。 後に残される我々はどうなるんだ? 公約なんて、今更、いいじゃないか。 こっちはどれもこれも、話半分だと思ってるんだから。
ワシは国際交流に関しては、何の功績もないし、不断の努力などしているワケじゃないから、偉そうなことは言えないけど、
しかし微力ながらも、ワシだって、ワシの仲間たちだって、アジアの友人たちと友好を深めようとしているんだよ。 機会がある毎に。 多少の努力だって、したことはあるつもり。
そう言うものに対して、 一気に冷や水浴びせるような、傍若無人な振る舞いでしょう、今日のは。 ワシらなんかより、本当に身を粉にして、交流のために働いてる人たちも、こちら側にも向こう側にも大勢知ってるから、ワシはその人たちのためにも黙っていられない。
そもそも、総理大臣は行かない方が良い、と言うのがワシの意見であるが、行くなと言えば言うほど、意固地になって行くのが、小泉という人だと了解している。 だから、どうせ行くのだろうとは思ってたけど、 コメントの一つ一つ、そしてそのニュアンスに、著しく挑発的なものを感じたのはワシだけか。 そもそも、今日が終戦の日で、国民みんなで、心ならずも戦争で亡くなった人たちのことを悼む時だということも、その姿勢の中で全部吹き飛んでいる。 お陰ですっかり何の日だか、分からなくなったじゃないか。 むしろまるで、闘う日本の復活宣言をした日のようになってしまっているし。 あまりにヒーロー気取りでな。 同じこと言うにも、もっと別の言い方とトーンがあるだろう。 そういう風に、国民の心を、踏みにじった責任は小さくないと思う。
何か、我慢できなかったので、つい書いた。 福岡で一緒にステージを作り上げた、韓国や中国の若者たちと、話したいと思った。 アレが日本のすべての姿勢と思われるのはとても困る。 まあ、実際のところは、あちらの人々も、意外に冷静に、アレはアレ、コレはコレと区別して受け止めているのだろうとは思うけど。 井上ひさし先生でなくても、これは呆れる。
亀田(2006.08.02)
お昼過ぎにお台場で打ち合わせ。 何か、万博みたいなことになってた。 フジテレビの入り口も、F1のパピリオンみたくなってて。 会社の入り口が、あんなことになっていいものかと思うが、そこがテレビ局ってもんなのだろうなあ。
こないだ行った汐留の日テレ前もやっぱり遊園地みたいなことになってたしなあ。 そんで驚くべきは、どう見てもチープなイベントなんだけど、たくさんの人が集まってるってこと。 メディアの力はスゴイ。
ともあれ打ち合わせして、この直し分は速攻で貰えたら、現場が泣いて喜ぶと思う、ということだったので、寄り道せずに帰宅。 すぐに取りかかろうと思ったら、ひっかかってしまった。
亀田長男のチャレンジである。 早い回のKOもありそうだったので、まあ晩飯がてら、観終えてから取りかかるか、と思ったのが運の尽き。 メシは終わり、お茶もデザートも終わり、犬との遊びが終わっても、まだ鈴木英一郎(ナレーター・元扉座座員)が亀田家の歴史なんか延々と語っている。
引っ張りすぎたろう、いくらなんでも。 6時台のニュースからずーっと煽って、七時半から間もなく間もなく、って言って、始まったの8時半じゃねーかよ! まあ、まんまと引っかかったワシが悪いんだろうが。 その辺りのテクニック、テレビドラマやるなら見習ってねと、誰かに言われそうだけど。
んで、おまけに12回フルタイムでしょ。 すっげー長い息抜きになっちまった。 メディアのやることはえげつない。
ついでに言えば、試合結果もね。 えげつねーよな。 さすが協栄ジム、金平パワーはまだ健在、と思ったのはワシだけではなかろう。 加えて、TBSも、暗躍したか。
あれじゃ、ベネゼェーラ人、怒り狂うだろう普通。 しかし、案外、ニコニコで帰ったりして。2人の子供にお土産山ほど抱えて、とか。 だとしたら、やっぱり、ゲンナマが動いたってことだろうがナ。 まあ、ボクシングらしいと言えばらしいけど。
でもな、ホントに良い試合だったから、素直に負けでも良かったんじゃないか。 負けても、興毅選手から、人心は離れなかったと思うがな。 ワシなんか、倒れてから、半泣き顔で戦い続けた、彼に、初めてココロからの声援を送りたくなったがな。 初めて19歳の繊細な若者が、がむしゃらに大きなモノに挑戦してゆく、その素顔を観た気がしてね。 とっても好感が持てた。 だからむしろ、結果に残る違和感が、また余計なプレッシャーを生み出してしまうんじゃないかと危惧するな。 スキャンダルとしては面白いけど、そんなの抜きでも、もう充分にドラマチックなのになあ。 何か大きな力が、そういう自然な展開をねじ曲げてしまったんだろうな。
などと、無駄に饒舌になり、また仕事が滞る私。
明日は横浜で、先生のためのワークショップを。
聡さんとひさしさんと尚史さん(2006.08.01)
土日は、戯曲塾の夏季短期講座。 シナリオ書きも少し休んで、お役目に。ちなみに今、私は8話をやってます。
聡さんは、軽妙に自作「裸でスキップ」の解き明かしをしてくれた。 話自体が面白いのは、いつものことだけど、その中でも、戯曲書きの極意が散りばめられている。 塾生たちは、ちゃんと汲み取れたかな。 受け取る側の能力ってのも、大いに試されるなあ。
んで、初日は井上ひさしさんの講義もあった。 これが何というか、鬼気迫るものがあった。 シェイクスピアを語り、チエホフを語り、小山内薫を縦横無尽に語る。そのどれもが、我々劇作家にとって、こころに刻みつけておくべき珠玉の言葉たちであった。 半ば素人の塾生に対しても、あくまでも我々劇作家は~と語りかけられるその謙虚な姿勢。 演劇界の巨人にそう呼びかけられると、我々ももっと勉強して、この人の境地に少しでも近づかねば、いやいや是非近づきたいと思う。
それに加えて、最後の方で最新作「夢の痂」について語られたその思いの重み。 鈴木聡さんと、最後列に並んで聴講していたのだが、これほど真剣に心の底から、我が国の行方を憂い、天皇に怒り、戦争を憎んで、一本の芝居を作るのか、と、聞きつつ、背筋がすーっと伸びていく感じだった。 作家の覚悟に触れた瞬間であった。
2時間の予定が三十分延びたが、一度も座らず、最後は腰を叩きつつ、皆さんに是非覚えていて欲しい、そしてご自分で調べて欲しいと、昭和の歴史を語られた先生。 あんまり、同業者のことを先生と呼ぶ習慣はないんだけど、自然に先生と呼びたい気分。 つい先日、朝まで生テレビの靖国論議を観ていて、結局、例によって結論の出ない水掛け論に虚しくなって、寝た後だっただけに、ちょっとした衝撃だった。 つまり、オレは作家なんだから、傍観者でいてはいけないのだな。 当たり前のことに、ふかーく気付かされたのであった。 優れた戯曲は、何十年か後の賢者にしか見抜けない、時代の奥底に流れる重大なモノを正しく写し取っている。 その言葉は劇作家を続ける限り、井上先生の口調とともに覚えておこう。 井上さん、ガチンコだな。 聡さんの呟きに深く頷いた。
その後、塾生たちとビールで歓談。 いつもならそれで帰るとこだけど、井上さんの講義の後で、何か聡さんとさまざま話したくなって、下北に移動して、久しぶりに無駄話を。 聡さんとの話で、道具談義なった。 今、万年筆に凝り出しているのだとか。 こちらは、いつか語った鳥取の名品、万年筆博士の愛好者で、ペンについては一家言ある。 しばし、万年筆談義。 材料代はかけたいじゃん、という聡さんに同意。 ついでに、モーレスキン?というメーカーの手帳のことを聞く。 ゴッホとかヘミングウェイも使っていた名品だよ。 これは知らなくて、悔しかった。 手帳界ではよく知られているのだとか。 これは慌てて、昨日購入。 今や私も持っている。 小さな手帳が千六百円。
でも、それで芝居を書く気持ちが、ちょっとでも盛り上がるなら、安いもんでしょ。
またまた同意。 聡さんと会うと、イチイチ同意することが多くて、悔しい。
で2日目は、鴻上さんの劇作家のための身体ワークショップ。 我ながら、良い企画だった。
内面があって、表現する方向ばかりでなく、表現することで出会う、内面があることに気付こう。
これだけで、重大な現代思想であり、哲学じゃないか。
これも受け取る側の感性が試されるなあ。ぼんやり受けてるだげしゃ、ただのレクリェーションみたいな時間だもんなあ。 それにしても、我が塾は程度の高い講義をやってると自画自賛であった。
あと日曜は、あづさの芝居に。 あの、あづさが、大活躍していた。 柄に似合わず、普段は万事控えめな人だからね。 ちょっと感慨深いモノ有り。 それにしても、作演出の三ツ矢雄二さん、すっごい多忙なのに、芝居作る時間がどこにあるのか。 わしら、芝居書きしかやってないのに、書くのが辛いとか嫌だとか、文句垂れたら罰が当たりますな。 新しい手帳も買ったことだし、がんばろうと思った。
昨夜は打ち合わせで、成城の撮影所に。 午前3時まで打ち合わせがかかったが、セットの撮影は、まだまだ続いていた。 うちのドラマのキャストはみんな若いから、顔は崩れないけど、ベテラン女優とかだったら、かなりヤバイ時間帯です。 確かに、帰り際、便所の鏡に映った、わしの顔は、極楽とんぼのことで、謝罪している欽ちゃんの顔によく似ていた。 いつもは、福山とか、藤木なのに。
気付けば、八月~ 犬をシャンプーに連れて行ってやった。 良い匂いになって帰ってきた。
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