2006年05月                             

5月も終わり(2006.05.31)

 戯曲塾が始まったり、ユタカの月が終わったり、雪之丞が終わったりした。
 でも、目下はずーっと続いている仕事に、時間を取られ続けている。

 もう情報公開が解禁になったので記しておくと、今、取りかかっているのは、7月からの連続ドラマである。
 フジテレビでやるやつで「ダントリ」という。

 そもそもは母校である厚木高校のダンスドリル部が世界大会で優勝したりしたことをドラマにしようという話だった。
 んで、実を申せば、私はまったくテレビなんかやったことないのに、厚木高校物語なんだから、やるべきでしょう、みたいなことになって、始まったのだった。

 でも目下、進行しているのは、ダンスドリルちゅーか、チアダンスをやる高校生の女の子たちの話にはなっているけど、ゼンゼン厚木とは関係のない話になっている。
 まあ、ディテールには、厚木の想定が残ってはいるものの、進学校の生徒たちの話じゃなくて、二流高校の落ち零れの女の子が、初めて生き甲斐をみつけるみたいな感じだね。
 そういう意味で、まっとうな青春ドラマが目標になっている。
 やはり特殊な厚木は、ドラマにゃしにくいのだ。

 にしても私は、深夜の若者ドラマとか、2時間ドラマなんかもまーったくやったことがないのである。
 それがいきなり、連ドラだ。 
 普通、そんなのあり得ませんねえ、と呆れられている。

 テレビシナリオというものの体裁自体、まったく分かってなくて、基本的な用語から学びつつ、なのだ。
 どこでシーンを分けたらいいのかとかも、今尚、よく分かってないし。
 スタッフに迷惑かけつつ、何とかやってる。
 
 ともあれ、たぶん夏までは、そろそろ始まる撮影と追いかけっこしつつ、打ち合わせて、帰って犬を抱き、書く。たまに雑用、でまた打ち合わせて、帰って犬をいじって、書く~
 日々となる。
 
 見にいかなきゃイカン芝居とかもたくさんあるのだが、何しろ時間が自由にならない。

 アッという間に6月である。

 
 
 
 
 
 



血統書(2006.05.21)

 犬屋から、血統書が届いたので、取りに来て欲しいと連絡を受ける。
 が、ここで新事実発覚。
 最初に聞いていたのと、誕生日が違ったのだ。

 たいしたことねーじゃんと言うなかれ。
 その誕生日にちなんだ名前がすでに付けられて、通称モーちゃんになっているのだ。
 尚、正式名は敢えて秘す。
 誘拐とかされたら困るし。
 
 慌てて、本当の誕生日に生まれた人の名前など調べてみたら、ハナ肇とか。
 今更、ハナにも、ハジメにも変えらりゃしねーじゃんか。
 というより、ハナ肇じゃ嫌だし。

 仕方がないので、血統書を勝手に書き換えることにした。
 将来、年齢詐称事件とかの火種になる恐れはあるけど。

 明日は、劇作家協会の戯曲塾開講式。
 昨年は、生徒数激減で、協会倒産のピンチであったが、今年はいろいろ改革して、何とかノルマクリア。
 責任者として、とりあえずホッと一息。もちろん、それだけの授業をこれからやってかなきゃイカン訳で、問題はこれからではあるが。
 ワシが授業をやるというより、ワシの役目はコーディネイト役である。そんなことしてる余裕なんかないんだけど、これも成り行き上仕方ない。あちこち義理とか責任があって、大変なんよ。

 明日は昨年度の生徒の優秀作品をプロがリーディングするという催し。
 扉座からは、犬飼クンと岩本クンが出てくれる。
 ちょうど休演日だったので、引き受けてくれた。他にも、有名俳優が出てくれる。
 漢字読みとか間違えたら、ちょーかっこ悪いからねと、脅しておいた。

 世田谷パブリックのシアタートラムで、7時からやってます。
 良かったら、見に来て下さい。
 確か、入場無料だったはず。

 
 



犬とともに(2006.05.19)

 ひたすら引きこもりの日々。
 たまに外に出て、人と会うと、何かドキドキする。

 何かドキドキして、調子が狂ってしまいそうだから、「ユタカの月」新宿初日も初日乾杯終わって12時過ぎには帰ろうと思っていたけど、役者たちに、たまにしか会えないんだから、とか言われて、強引に誘われた。
 まあ、たまにしか会えないからな、確かに。

 んで、2時ぐらいまでダラダラと。茅野や蓬莱君もいて。
 しかし、あんまりたいした話はせず、プロレスとか、サツカーのことに時間を費やした。
 意味なし雑談の夜。

 犬が来てから、ずーっと家にいるのが苦痛ではなくなってしまった。
 今までは、何にもなくても、とりあえず1回ぐらいは外出してコンビニ中心にブラブラしたりしてたもんだが。
 
 モーちゃんは、ゴミ捨てのために外に出ようとして、軽く着替えはじめただけで、お留守番の気配を察し、ミドリムシ(お気に入りのオモチャ)をくわえてヒーヒー鳴き出す。
 何で、ミドリムシをくわえるのかは謎である。とにかくそれをくわえて鳴くのだ。何か夜汽車の駅ホームでハンカチをくわえて泣くメロドラマのヒロインのように。
 
 ミドリムシは、モーちゃんが来た時に、一緒に犬屋から来たものだから、彼にとって最後の心の拠り所なのであろう。
 
 とにかく、その姿が何とも切なくて、まあどうでもいい外出はしなくていいか、って気になってしまうのだ。
 それで今日も一歩も外に出なかった。

 それによって仕事がスッゲェ捗るのなら、良いのだけど、まあ、そうはいかんなあ。
 でもでも、パチスロに行かなくなって、明らかに、銀行のATMに行く回数は減っている。
 またあんまり外に出ないから、下ろしたお金もなかなか減らない。
 素晴らしき犬効果である。

 と、そんなことを最近思っていたから、初日の日は、ついデパートなんか寄って、いるかどうか分からないズボンとか、買ってしまった。
 油断はイカンなあ。

 とはいうものの、今、モーちゃんが外出できないのは、まだワクチンをうって間がないからで、あと10日ほどすると、晴れて彼も公園デビューを果たすのである。
 新しいスボンはその時に履こうかと思っている。
 
 ケッコウ、終わってる、私。



ユタカの月(2006.05.14)

 土曜日に厚木に行って、扉座公演に立ち会う。
 『ユタカの月』
 ついに稽古場にも行かなかった。こんなことはまったく初めてだ。
 ホンの書き上がりも大幅に予定より遅れたので、結局、最初の方しか読んでなかったし。

 初日に、お客さんと一緒に見ることに。

 これがとても良い仕上がりであった。
 1時間半、小さな座敷で半日のうちに起きた、出来事。
 そこに、いろんな人生が、多少すれ違いつつ、ぶつかりあって、内出血の痣を残す。みたいなの。

 厚木の、ごく一般的な、お客さんたちも良い芝居と言ってくれていた。これが何より。
 演劇界期待の新鋭だけど、それが普通の市民まで説得力があるかどうかはまた別の問題だからね。
 業界では、スゴイと言われてるンすけどねえ、とか。そういう弁解はアチコチであるものだし。
 でも、キチンと厚木の客席に届いていた。(観客が少なすぎるのが哀しかったが)
 
 そんなに熱心な蓬莱作品の観客じゃないから、正しい分析は出来ないけど、茅野がどうしても蓬莱さんに依頼したいと言い出した時は、心配があった。
 蓬莱さんの芝居は、オフの部分の多い芝居だ。
 普通は、描き出す、人物たちの衝突とか葛藤とかをあまり克明にせずに、それはウラとして、衝突前の焦燥とか、衝突後の屈託とか、そういうところに細かい目を向ける作家だと思うのである。

 しかしそれがシブイとも言えるワケで、横内作品とは異質のものを探そうとする時に、茅野がここに向かうというのも、理解は出来るのであるが。
 ただ、それが、扉座で茅野演出となった時に、互いの良さを消してしまったり、お互いに無理をしている感じみたいなことになることもあろうと思うのである。
 何よりも新作だと、計算が立たないし。
 
 ワシが横から出て行って、アレコレ指図も出来ない関係だし。

 なので、もうワシはひたすら黙って、蓬莱さんと茅野に全面的にお任せしようと思ったのであった。
 台本が遅れていると聞いた時には、内心、ヤバイかもと思ったりもした。(そこら辺のことは、稽古場日誌とかにも出てこないしな。当然だけど~)

 でもその心配は杞憂であった。
 蓬莱さんの特色もよく現れていつつ、扉座の味わいもキチンとある作品になった。そして思いの方、明るくて、笑える。

 ただ、台本遅れの関係で、明らかに前半の濃度と、後半の濃度に濃淡がある気配は隠せないが。

 それはしかし、これから長いトップス公演を重ねて行く中で、次第に練り上げられてゆくことであろう。

 これはやる度に、味わいが出てくる舞台なので、俳優は一つ一つを大切にして、少しでも面白くしていって貰いたいと思った。あと、お客さんに来て欲しい。
 これは自信を持って、見に来て、て言える。短いから、お手間取らせませんし。

 終演後は、厚木宴会。
 最近はずっと引きこもりの日々なので、久しぶりにたくさんの人にあって、嬉しかった。
 本当はもっとダラダラといて、ついでに泊まってしまいたい気分だったけど、今は引き籠もらなくちゃいけない時期なので、勇気を持って、ロマンスカーで帰宅。

 子犬が待っているし、と言い聞かせて。
 犬のおかげで、最近の私はまあ、健全に引き籠もることが出来ている。パチスロ行かないし。
 
 それにしても変な日だった。
 行きのロマンスカーが人身事故の影響で四十分遅れ。
 帰りも、また人身事故があって、15分遅れ。
 湿っぽい、小雨の土曜日。
 
 人が死にたくなる日だったのか。

 
 
 

 
 

 
  



雪之丞(2006.05.07)

 6日に昼と夜の通し稽古。
 今日のお昼に初日。

 16年前、初めて猿之助さんと会った、中日劇場である。
 その時に、雪之丞変化2001年の依頼を受けた。
 まさか、その劇場で、16年の時を経て、上演することになるとは思わなかった。

 大劇場のための作品ではないし、少し古いし、不安だらけ。しかも、猿之助さんは不在である。
 もちろん16年間やってきた、その経験を元にして、今に通じる作品に直したつもりではあるけれど。

 でも今日の初日、いろんな心配とか、不安とかは、客席で見ているうちに、どんどん消えていった。
 何というか、これで大丈夫、というよりも、いやいや、今わしらは誰に何と言われようと、コレを見せるんじゃ。と思えてきたというか。
  
 お客さんがどう感じてるんだろう、なんてことを忘れて、ちょっと自分の世界に入り込んで、万感胸に迫るものがあった。
 来し方行く末を思ってね。

 芝居としては、問題もあるとは思うんだ。長くて、テンポが出てないとこもまだまだたくさんあるし。
 でもな、パンフレットに、21世紀歌舞伎組の校歌みたいな芝居なのだと、猿之助さんが書いてあったけど、
 その言葉通り、我々にとって、大切な何かに溢れた芝居って気がすんだよな。
 やる必死に必然に溢れているというか。

 面白いとかつまらないとか、そういうのを越えてる気がした。旦那不在のこの劇場で、我々が我々の原点と向き合ってるって感じ。原点というのは、つまり旦那から植え付けられた、創造の精神であり、創造へ向かう姿勢に他ならないんだけどね。
 終わった時のお客さんの拍手の熱さは、そういうものを感じてくれたものだったと私は思う。

 青春の夢を越えた、また新たなる夢との巡り会いってのは、今回書き加えた新たなテーマなんだけど、それはそのまま、猿之助さんへのメッセージであると私は思ってる。
 二十一世紀歌舞伎組を、早く元気になった旦那の指導の元、歌舞伎団へ進化させて貰いたい。そしてその新スタートのホンを書きたい。
 この舞台から、そのメッセージを届けたいナ。
 
 今日は満杯で、素晴らしい拍手に包まれたけど、明日以降は、まだソールドアウトの状態じゃないらしい。
 スーパー歌舞伎だって、名古屋で満員御礼なんか、そんなに簡単に出ないんだから、これで満員にしていくのは、かなり大変なチャレンジではある。
 けれど、この芝居には底力があんじゃないか、と思えた。
 
 原点をみつめる歌舞伎組の舞台の熱が、観客を必ず呼び寄せると確信する。
 



連休(2006.05.04)

 例によって世の中の暦とはあまり関係なく、目下の課題に取り組む日々。
 特別なことと言ったら、「深夜劇場へようこそ」の撮りが一本分だけあって、遊・機械の白井晃さんと、初めてお話らしいお話をしたことと、またまたまたユーミンのコンサートに行ったぐらい。まあ、これは妻のリクエストに応えたという感じだが。
 こんとこ半年に1回はユーミンのステージ見てる計算になる。
 
 でも何度見ても、毎回、どっかで泣かされる。
 今回は「埠頭を渡る風」。
 若き日、杉山良一が編集して作ってくれたカセットテープに入っていて、オンボロのブルーバードでドライブしながら、何度も何度も聴いた、青春の一曲である。
 なんかワアっといろんなこと思い出し、

 もうそれ以上、もうそれ以上、優しくなんてしなくていいのよ~

 のとこで、不覚にも落涙した。
 杉山が元気なら、聴かせてやりたかった……
 って、ヤツは今も元気なんだが。オセンチついでに、突然、視点が遙か未来に飛んで、そこから今を見つめているような感覚になっちまって。
 凄い芸術ってのは、こうして時空をねじ曲げるものであろう。

 あと、今週は土日に名古屋へ。
 中日劇場「雪之丞変化2006」の舞台稽古と初日を見届けてくる。
 その他は、仕事と、犬いじりであった。
  
 
 





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