2006年02月                             

大雨の日曜日(2006.02.28)

 研究所のオーディション。
 私と赤星が面接担当。
 田中と有馬は実技、あと田井中さんのダンス。

 豊橋から続いて、ずっと舞台に立ちたい人たちと、会い続けている。
 それぞれに魅力も持ってるけど、これだけ多くの人と会うと、突き抜けた個性というものがいかに得難いものか、痛感する。
 ただ個性的なだけじゃ芝居にならないから、いいんだけどね、偉大なる凡人でも。
  
 だけど、見せ物として、商売としては、オオって驚きが欲しいじゃないか。

 先日、狂言の千之丞さんとお話ししていて、習い事として能とか狂言とかやる人は多いけど、客から金をとるというのは、そういうお勉強とは、まったく別の世界がある、と仰有っていたけど、まったくもってそう思う。

 まあ今の時代が、そういう個性を伸ばさない力に満ちているのも確かでね。
 普通に生きてたら、個性なんか、どんどんそぎ取られていく仕組みが出来てて。
 だから、伝統芸能とか、芸人、役者の子とか、もとからそういう世界で育った者が、突き抜けてしまうんだな。
 がんばれ、普通の家の子供たち、である。
 
 オーディションのあとは隣の倉庫へ。
 若井田教室の卒業公演。
 トシノリ君や若手たちが、裏方協力していた。

 女子七人の卒業生。
 最初はティシュを掴んで、上ることも出来なかった子もいたそうな。
 それが、卒業公演のレベルを越えた、見事なパフォーマンスを見せていた。
 サーカスでもないし、ダンスでもない。
 新しい世界である。
 すみだの倉庫の感じも若井田アートにマッチしていて、何かパリ郊外のこだわりの芸術家のアトリエで、最新パフオーマンスを見た、って感じだった。
 校外はおろか、パリにも行ったことのないわしがいうのも変だが……
 ここでも、着実に何かが生まれ、進化しつつある。

 そしてここも七人は大泣き。
 それにしても、泣きながら、空中パフォーマンスして、危なくないのだろうか。
 ティシュ界のあやや、桧山宏子が、空飛びながら、落とした涙が、印象的であった。
 
 携帯の電源云々……をぼそぼそと語りかける、トシノリの手下で手伝いに行ってた、坊主頭の弁当箱男・新原が、何か新人ダンサーに見えて、おかしかった。

 おまけ

 『永田君に捧げる詩 君はあの頃のボク』

 きっと、ヒーローになりたかったんだね。
 颯爽と登場してね。
 お前たちは悪だ!オレがやっつけてやる、ってね。
 国民のためとか、社会のためとか、そんなことは本当はどうでもよくてね。
 ただカッコイイ、自分を見せたかったんだよね。

 気持ちよさそうだったもんなあ、キメゼリフを叫んでいた時の君。
 明日の新聞の一面トップが、自分の姿の写真で、君の頭の中に浮かんでたよね、たぶん。
 好きな女の子の顔とかも思い浮かんだかな。
 その新聞を持って、告白しに行こうとか、さ。
 それがねえ……
 赤面の至りだよねえ。

 でもボクは君を笑えないよ。
 だって、君はボクだから。
 ボクも時々、本来の目的なんかどうでもよくなっちゃって、自分のことだけ見せたい一心、になっちゃうことがあるからさ。
 まあ、最近はそうでもないけど、若い頃はいつもそうだった。
 
 だから、恥ずかしくて仕方ない。
 君を見てると。
 ああ、やっちゃった、って。
 数々の若気の至りのしくじりが思い出されて、胸がドキドキしてきちゃう。
 勘弁してくれよ、もう。
 恥ずかしいのは、君なのに、何でボクまで、そんな気分になんなきゃいけないんだよ。

 君が憧れる小泉純一郎もそういう人ではあるんだよね。
 自分内ヒロイズムで、成り立ってる人だよね。
 政治家のふりした大見得役者なんだよ。
 敵の大将に憧れてどうすんだって思うけど、君を見てると、そうとしか思えないよ。
 
 自分にも出来るよ、あれぐらいと思っちゃったかな?
 ああ、恥ずかしいねえ。
 でもね、残念ながら、君とは役者の格が違うんだな。
 彼は、少なくとも君より芝居を知ってるよ。
 起承転結とか、序破急とか、芝居には流れがあって、良いタイミングで、大きくアクションし、キメゼリフをズバっと言うのが効果的なんだってことを知ってる。
 実はそんなの、素人の子供でも知ってることなんだけど、まあ、なかなか上手くはできないものだ。彼にはその才能はある。
 
 それがねえ。
 君の場合、流れも何もなく、登場していきなりキメゼリフで、その後、何も用意してないんだものな。
 
 そんなヒーローいないだろ?
 そういう役は、たいてい、ものすごい小物で、ストーリーの糸口だけに絡んで、芝居の終わりには、そんなのいたっけ、みたいなことになってるもんだよ。
 登場だけ派手で、引っ込みとか、オチとか、何も考えてないんだもんなあ。
 
 それじゃ、道化だよ。
 てか、道化だって、まともなヤツは、ちゃんと自分で退場するぜ。
 
 でも仕方ないよね。
 だって、とにかくヒーローになってみたかっただけだもんね。
 しかも、本当のヒーローって何か、なんにも分かってないんだもんね。
 それじゃ、無理だよ。
 
 でも笑えないよ。
 だって君はボクだから。



小学校(2006.02.25)

 病欠の遅れを取り戻すべく、必死にパソコンに向かう日々。

 そんななか昨日は、杉並の富士見ヶ丘小学校へ。
 劇作家協会のやってる演劇授業の発表会とシンポジウム。
 こっちは私はサボリまくり、人質として田中を送り込んでいる。
 最近は、何でも田中で、田中に頼りまくり。
 田中がいなくなったら、わし、とっても困るだろうな。

 しかしその田中もこのごろは私以上に多忙になってきて、下請けの下請けみたいな感じで、扉座の手下を使っている。

 それで結局、里沙までが小学校に投入されていた。

 正直、去年の発表会は、???って感じで、協会内でも、これはどーよって意見が多かったのだが、捲土重来、今回は素晴らしい出来映えであった。
 見学の劇作家たちが、これが見たかった!と叫んだね。

 そーいえば夏の夜、品川で、方向転換の作戦会議したんだよな。バカンス客に囲まれて、何かくらーい感じでな。
 どーします、って。
 この日記にも書いた。
 その時は、こんなに上手くいくとは思ってなかったけど……

 協会の篠原さんと、演劇仲間の関根さん、御大青井陽治先生、と田中や里沙、それら演劇人と、学校の先生たち、何より生徒たちが、協力してそれぞれの力を出し合い、まさに今ここでしか見られない舞台を作り上げてくれていた。
 
 見に来ていた渡辺えり子さんも涙を流して感激しきり。
 実は先日、NHKの番組収録でお会いしていて、もしかしたらインフルAをプレゼントしたのではと心配だったのだが、お元気そうで、その安堵と共に、私の感動も膨らんだのであった。

 学芸会じゃなくて、オリジナルの演劇になってたもんな。
 ちゃんとメッセージも込められてるし、斉藤憐氏が拘り続けておられた、広い世界に向けられた視野もあったし。
 舞台として、優れていたと、永井会長が言ってたけど、同感であった。
 小学校版、ラブ×3 みたいだったよ。

 扉座は、そのスタートで体験教室をやりに来ているので、犬飼やガンも成長ぶりを覗きに来ていた。
 律儀な奴らである。

 富士見ヶ丘小は、校長以下、先生方も素晴らしい。
 校長先生なんか「アトムへの伝言」までちゃんと見に来て下さっているのである。

 私に仕事依頼しておいて、私が一番大事にしている肝心の舞台は、見に来ない、みたいな人は多いのに。
  
 とにかく、この学校の先生たちは、生徒のことを第一に考えて、生徒たちと一緒になって、未知なるこの試みに、積極的に参加してくれる。
 声を大にして言う。
 その姿勢が素晴らしい!。

 タイヘンだったと思うがな。芝居者なんか、まともじゃないしね。腹の立つことも多かったろうぜ。
 実際、昨年はいろいろ誤解や衝突もあったんだ。
 
 だが、それを礎にして、我々は互いに進歩した。
 そのご褒美として、得たこの日の喜び、であった。
 何ものにも替えられぬ宝物だよ。
 スポット参加の里沙まで泣いてたけど、わしはサボッていた自分が悔しいかったな。
 それって一番だよね。
 参加してない人を悔しがらせる舞台だった。
 
 まあ、とりあえず表向き、私も尽力したような顔だけはしといたけど……
 その寂しさは自分が一番知っている。

 名は秘すが、先日の中学校とは大きな違いであった。
 そりゃもちろん、我々演劇人側の力不足も大いにあったけど、誰よりも生徒たちに近い学校側の人々に、情熱がなくちゃ、こんなことはうまくいくわけないのである。
 
 その後、校長先生からも打ち上げに誘われたけど、辞退して帰宅。
 仕事……
 まだ取り返せていない、遅れがある。

 にしても、オレがたまに外に出ようとすると、なんでこんなに寒いのよ、と嘆いてみる。

 さて明日は、第10期研究生のオーディション。
 これ以下の応募だったら、もう研究所は閉めるからな、と田中を脅していた人数には、実はほんの僅か届いていないらしい。
 富士見ヶ丘で、少し青い顔で、田中が弁明していた。
 
 まあ今週と来週の二度あるので、まだ増えるのかもしれないが。
 ここもまたエデュケーション部長・田中の仕事。
 
 競争率が落ちて、レベルが下がるのはイヤなのである。
 今や劇団経済のために、是非必要というわけでもなくなっているのだし。(というか、むしろ皆がここに力を注ぎすぎていて年々膨らむ運営費の増加が深刻化している。今や稽古場も研究生たちが占有してるし)
 
 それでも未来への投資になるのなら構わんのだけどな。
 つまんなくて、カッコ悪いことやるぐらいなら、辞めちまおうぜ、と思っている。

 9期は一見レベルが低く見えたけど、やってみると、歌とかダンスとかは、いままでに粒が揃ってまとまってたんだけど。
 ラブ×3Ⅸは、いつになく好評だったし。
 
 しかし最近、同じような履歴で、似たような者たちばかりが集まる傾向があるのがイカン。
 行き場のない、不安だらけの専門学校生ばっかみたいな。
 これは是非、打破したい。
 もっと野蛮な瞳をした若者はいないのか。
 
 昔の茅野みたいな。
 そんなヤツ、研究所なんかに来ないか。
 てか、来ても、こっちが落としたりするかもだけど……
 
 今回はかなり多彩ですと、田中は主張していたけど、さてどんなもんか。まだプロフィール一枚、見ていない。
 すべて明日。
 
 あと、明日は若井田スクールの第一回卒業発表会もある。
 地球タイヘン大講演会のメンバーも多数出演。
 エアリアルだけの公演て、どんなんだ?
 こちらも楽しみ。
  
 そいえば、9期の進級者、発表していいのかな。
 明日は来るはずだけど……
 
 
 
 
 


 
 



一週間(2006.02.20)

 訳あって、沈黙していた。
 今もまだ、言うべきタイミングじゃないかも、なのだが。
 インフルエンザAにかかっていたのである。
 
 でも、会ったじゃん。
 あの日居たじゃん、という声があちこちで聞こえて来そうだ。
 その通り、ほとんど予定通りに行動していた。
 つまり、私はばい菌を撒き散らして、生きていたのだ。

 ラブ×3の千秋楽。
 公演後に二つ打ち合わせをしていて、その間に何か急激に具合が悪くなった。
 
 で夜からの打ち上げをチャンセルして帰宅した。
 
 翌日は朝から名古屋へ。
 「雪之丞変化2006」の製作発表で。

 これはもう朝から辛かった。
 でも、必死でやって日帰り往復。

 その夜、案の定、具合が猛烈に悪くなる。
 あまりに辛いので、急患で病院に。
 そこで判明する。
 
 一週間、外出禁止と看護士さんに命令される。
 人にうつして迷惑がかかりますからね。

 しかし、今のギリギリの予定で、休むことも大いなる迷惑には違いなく……

 翌日。
 某番組収録。
 のちに別件で対談取材。
 その後脚本の打ち合わせ。
 そしてまたその後、観劇。

 思えば、信じられない激務だった。
 
 その翌日は、1日、家で仮死。

 木曜日は、昼からシンポジウムが一件あって、その後、芝居の打ち合わせ。
 寒い日寒い日であった。
 前日は温かかったらしいけど、死んでたから知らない。

 金曜日は卒業式と、謝恩会てか、卒業生たちとの呑み会。

 土曜は、この間にたまった数々の仕事との格闘。

 日曜は、七時半の新幹線で豊橋へ。
 8時過ぎの新幹線に乗って帰るまで、市民劇のためのオーディション。
 最後の方はボーンヤリしてた。
 まあこれは私に限らずみんな。
 何しろ三百人以上の参加者を見続けたのである。

 細かい報告は敢えて秘すが、ザッとこんな感じ。

 思えば、いつになく忙しくハードな日々であった。
 そしてたくさんの人と会った。

 こんな時に限って、こんなことになる。
 人生というのは、そういうものだけどね。
 
 たぶん、誰かにうつしてるよな……
 本当にごめんねえ。

 
 
 



いそがしいぜ(2006.02.11)

 昨日は、右近さんと笑也さんの出ている能楽堂で、雪之丞変化2006の打ち合わせ。その後、そのまま栗田『マクベス』をみて、お食事に。
 マクベスでは、藤間紫の魔女に震え上がる。
 能楽堂の薄暗がりの中、老松を背に佇む、紫さんの背中からはっきりと妖気が漂っていた。

 ラストは、鬼女の如き、紫魔女が、錫杖を大きく振って何か、不思議な魔法のようなものを観客たちにかけて暗転。
 鮮やかな幕切れであった。
 んで、その紫魔女がいったい中空に、錫杖を使って何という呪文を書いてみせたのか、知りたくて、訊ねたら。
 
 『大入り』
 
 だって。
 腰が抜けた。
 おそるべし、伝統芸能である!

 終わって、栗田巨匠や笑也さんとお食事。
 いつか私が書いて、栗田演出で、21世紀歌舞伎組で公演したいという野望を語り合う。
 『龍神伝』をやってる頃は、そんなこと言っても、野望以前に、無謀な戯言としか思われてなかったけど、栗田さんがこうして右近、笑也のみならず紫さんさんまで演出している今となっては、結構リアリティのある話になっている。
 
 一夜明けて、土曜日は朝から、大船の先の本郷台というところへ。
 決死の早起きである。
 神奈川の未来の教育を考える集まりへ。
 それは午前中で終わって、品川に戻る。
 ちょうど、昼の公演に間に合って、らぶ×3を観る。
 
 お客さんは満員。
 それぞれに、自分のやってることの意味が分かってきたようで、走るところは走り、間をとるところは取るという、流れが見えてきていた。
 んが、その分、初日にあった疾走感が薄れている。
 まあ、ゲネからずっと昼、夜の繰り返しだから、疲れも出ているのだろうがな。
 ここら辺が若者芝居の難しいとこだな。
 上手くやりゃいいってもんじゃないんだよね。
 
 補助席まで出ている満員の公演が、空席のあった初日よりテンションが低いって、どういうことよ、って思うけど。
 わしらの若い頃も、そういうことがよくあった。
 観客のエナジーに負けるんだよな。
 よく、客を呑んでかかるなんていうけど、これはとても難しいんだよね。
 単に気合いを入れてかかりゃいいってもんじゃないんだな。
 気合いが、空回りを生むこともままあるし。

 何しろ、日本一の女優が、恐ろしい鬼女の形相で、最後に書き残すのは、大入り だぜ。
 この馬鹿馬鹿しさ、天晴れさが、芸なんだもの。
 まあ、そんな境地は、一生かけても辿り着けないものなもしれないけど……
 
 そこまでのことでもないけど、要するに今、彼らが挑んでいるのも、舞台に立つ立場の人間として、大衆に認めて貰える存在となれるかどうか、って勝負なんだろうね。
 満員の客席が単純に、ホームの温もりを与えてくれるんじゃないんだよ。
 満員てことは、その分、さあ何かやってみせろ、っていう要求の度合いも高まってくる。
 
 そこで、何か見せつけて、観客という他人たちを、自分の味方にしてしまえるか。もっと言えば、ファンという名の虜に出来るかどうか。
 これは本当に貴重な体験なんだ。
 その勝負の機会さえなく、辞めていく人たちもたんさんいるんだ。
 
 でも、正直に言って、今日は負けてるヤツの方が多かった気がする。
 しかしはや、明日で最後の舞台だ。
 
 明日も満員らしい。
 まだもう一度、チャンスはある。
 今日、取りこぼしていた者たち、
 一人でも多く。
 観客を自分のファンにしてしまわなきゃダメだ。
 
 明日以降、君たちはもう、それぞれに役者の看板を背負って、生きて行くのだから。
 
 
  
 
 



9回目の初日(2006.02.10)

 らぶ×3Ⅸの初日。
 
 朝から、杉並区役所に行って、来年の劇作家協会小学校講座のための打ち合わせというか、陳情をし、その後、いろいろ課題のことを考えつつぶらぶらし、新馬場へ。
 
 多くの劇団員が集まる。茅野も稽古場から抜け出して駆け付けてきた。
 有馬も犬飼も、指導者として最後までアドバイスに余念がない。
 我が研究所も、9年目を迎えて、ようやく劇団の一部として、劇団員全員にとって大切なものになってきたようだ。
 以前は、わしと茅野の2人で必死にやってる感が強かったものだ。
 終演後の団員呑み会(研究生たちはそれぞれに散って解散。いつも初日はスタッフと団員だけで宴会をする)で、笑いあったのだが、研究所設立の時は、たくさんの反対意見があったのだ。
 役者が役者を教えるなんて、ゼッタイ嫌だ、という意見が多かった。
 そもそも研究所のプランは、茅野が制作スタッフになった時に劇団運営のことを考えて導入しようと主張して始まったものである。
 それは劇団の構造改革の時期であった。
 自前の稽古場を持つためには、劇団として継続できる仕事を持つべきだ、と茅野改革部長は繰り返し述べたのである。
 しかし、世の中の多くの演劇研究所というもののいい加減さを知っている座員たちは猛反対だった。
 うちまで、そんなインキチビジネスに手を染めるのか、というワケだ。
 その抵抗勢力の急先鋒が有馬であった。
 でも、その有馬が今や、毎日らぶ×3のためにダメ出しをしに、朝から通ってきて、誰よりも若手の面倒を見ていたりするのだから、不思議な話しである。
 ただ、有馬の名誉のために言っておくと、それは別に有馬が現状に妥協して、金儲けに迎合したとか、そういうことではなくて、他の研究所とは違う、本気モードでやり通すという、改革派の姿勢を認めてくれたからだ。
 
 そして年々情熱を高めてくれている。
 結果、今年あたりは団員も全面協力みたいな、おおきな流れになっている。
 その厚みが舞台にも、強く反映されていると思う。
 いろんな目で、チェックされて、さまざまに叩かれ、励まされて、何よりもたくさんの愛情が注がれているという感じがした。
 
 気持ちの良い初日であった。
 
 今夜の舞台は座内注目ポイントも満載であった。
 ある研究生が、茅野イサムの真似をしていて、これがわしらも感心するほど似ているのだが、らぶ×3の製作突入の頃から外部の仕事が忙しくなった茅野本人は、まったく目にする機会がなく、ここまでそんな演目があることも知らずに過ごし、今日、やっとその物真似茅野を目撃したのである。

 どれほど怒られるか、と研究生たちは怯えていた。
 なんちゅうか、そのニセ茅野は、かなりバカげた道化的存在なのである。
 しかし、あにはからんや茅野は大喜びであった。
 ここら辺、やはり少し常人とは感覚が違うと、有馬の感心しきりであった。
 茅野は言ったもんだ。

 オレ、近藤正臣の気分が分かったぜ。真似される人気者の気持ちがな。なかなかいいなあ。

 この図々しさと、どこまでも自分本位の世界観。
 少しおとなしめの今年の研究生たちにも是非、見習って貰いたいものである。

 ついでに言えば、今日の茅野さんは、すっげえ変なサングラスをかけて、劇場に現れた。
 いや、正確には、サングラスを持ってきて、劇場でかけた。
 普通、室内に入って取るものですよね。入ってきて、かけるの変ですよね。
 と、これまた有馬の鋭い指摘である。有馬は、細かい茅野ウォッチャーでもあるのだ。
 
 そのサングラス、わしには夜店の景品みたいに見えた。
 聞けば、流行通信系デザイナーの新作だという。
 里沙が飲み屋でこっそり隠して、明日からの真似コーナーの小道具にさせようと企んだが、かなり大事な宝物らしく、しかと目を光らせて、見張り続け。里沙の手が触れるや否や、バシと叩き払い、死守したのであった。

 これは来年大流行するんだぜ、と言っている。
 さてね。

 明日はわしは、らぶ×3は、お休みして、「雪之丞変化2006年」の打ち合わせを、今回演出を担当する右近さんらと。その後、そのまま右近さんや藤間紫先生の出ている、栗田芳宏氏演出の「能舞台マクベス」を観てくる。

 

 



ゲネ(2006.02.09)

 新馬場、六行会ホールへ。
 今年から運営体制が変わったようで、ラブ×3の聖地となりかかっていたこの小屋も、もしかしたらこれで最後かもしれない。いろんな思い出が、ある場所になったが……
 
 明日の昼間の稽古を残して、とりあえずちゃんと通っていた。
 それぞれに疲れは隠せないけど、精悍な顔には、磨きがかかっていた。
 ただし、それは素顔の場合。舞台ではみんなメイクや髪型が変すぎ。慣れてないんだろうがな。
 わざわざ、お多福とかひょっとこにしてどうすんだ、って感じ。
 まあ、笑いポイントではある。
 
 今回の特選品は、コンドルズ・ダンスである。
 年末にまとまりつつ作品群をざっと見渡して、ドリーム感が乏しかったので、慌てて取り組むことにした実験的野心作である。
 昨年、深夜劇場でインタビューした近藤良平氏のコンドルズで行こうと発作的に決めた。
 昨年のいろんな発見物の中でも、イッパツで気に入ったモノだったし。

 んで、例によって、我が扉座の腕利きコレグラファー、田井中女史に、コンドルズで、と緊急発注を。
 天才田井中は、ただそれだけで意図を汲んで、しかもたんなる真似ではなく、新しい扉座作品に仕上げてくれる。
 一昨年の、コンタクト、もそうだった。
 四季の舞台で見たコンタクトが気に入って、これはコンタクト、と言ったら、ちゃんとコンタクトテイストの扉座ダンス小品に仕上げてくれた。
 
 今回もそんな感じ。
 これは扉座本体にも取り入れてみたい感じのシーンだな、と思えるものになっている。
 
 まあ、見てみて。
 ちょっと良いから。
 
 明日から四日間で、一気に公演する。
 これが終わると、春が近い、って気がする。
 寒い寒い冬をスクラムが、吹き飛ばしてくれるのだ。

 パチスロ報告。
 2月になって、突然、バカづき。
 昨日も、打ち合わせ帰りに、ふとホームグラウンドに立ち寄り、空いてた中でもっともハマリの深そうな、アラエボ2(北斗じゃないよ。新作ですよ)に運試しのつもりで座ると、それがその後すぐにハイモード確定の札ささり。
 しばしは、まったく気配もなく、この札ガセかよ、と怒っていたが、徐々にかかりだし、突然、アラビアオヤジがサバを砂漠からつり上げて、怒濤の大当たりに。
 あれよあれよと五千枚の噴火であった。
 
 何だよ、大変そうな顔して、遊んでるじゃんと言われぬために、ここには書かなかったが、実は先日、北斗でこれまた設定6をひき、四千枚をゲトしている。
 一月の不調を取り戻した感ありである。

 んで、ちょうど始めて1年で、気分も区切りもいいし。
 ここらで、すぱっと辞めようかと、思い始めている。
 
 その気持ちが半分と……

 アラエボの大噴火の感触がカラダにはっきり残っていて、ああ、またやりてぇ、と思う気持ちが半分と。
 ただし、しばしは忙しくて、行く暇なし!
 
 のはずなのだが……
 はて、どうなるか。
 



らぶらぶらぶ(2006.02.05)

 寒い寒い稽古場へ。
 やってる方も辛いだろうが、見ている方も北風に吹かれつつだ。一応、屋根も壁もある場所なのに、本格的な北風がなぜか吹き込んでいるとしか思えない、極寒の地である。

 でもそんな稽古場に研究生たちが通って来るのも、明日で終わりだ。明後日からは、六行会ホールに移動する。いよいよ公演態勢に入る。

 夕方から、通し稽古。
 有馬、犬飼、あとスタッフとして手伝いの若手メンバーたちが見守っている。皆、紙切れを握りしめ、それぞれにダメを書き取りつつ、しっかり見つめる。
 
 ここら辺が良くも悪くも、田中の世界である。
 先頭に立ち、ぐいぐい引っ張るタイプの茅野は、あくまでも稽古場の王様として演出席に君臨する。
 人の意見を聞かぬ訳ではないが、基本的にはオレがまとめると、全身が主張している。
 なので、茅野が仕切っている時に、茅野を飛び越えてアドバイスしたり、ダメ出ししたりするのは、私だけだった。
 でも田中は、穏やかな共和制である。
 みんな、思うところあったら、どんどん指導してやってくれ。という姿勢。
 だから稽古が終わると、それぞれに気になるヤツを捕まえて、ダメ出し大会が始まる。
 その風景は一種壮観ではある。
 私もいろいろダメはあったのだが、田中のダメ出しがあって、その後、それぞれ先輩たちからアドバイスが与えられているのを見て、もはやわしが言う必要なし、と相成った。
 
 しかし、普通、こんなことすると、統率というものが執れなくなって、大混乱になるものである。
 でも、そうならず、これはこれで不思議に統率が執れている。
 田中ワールドではある。

 それにしても、研究生たちは、仕合わせである。
 みんななーんの得もないのに、一所懸命、相談に乗り、指導してくれるんだからね。時には本気で怒ったりしながら。

 どこの劇団が、座員総掛かりでこんなに必死に研究生たちのことを構うだろうか。
 劇団の新人ならいざ知らず、大半は、この公演限りで、劇団を去って行く者たちなのである。
 もはや劇団のためではなく、自分たちの後に続く、演劇を志す若者たちのため、それ以外の何でもない。
 
 もちろん、その期待と責任を若者たちも分かっている。
 
 その証拠に、ここ数日、みんな、良い顔になってきた。
 厳密に言えば、草臥れ果て、髪はボサボサ、服もドロドロ、近づくと臭かったりする。
 でも、頬の肉がそれぞれにそげ落ちて、眼には光が灯っている。
 寝てなくて、食ってなくて、寒さに震えてて、着たきりのボロ纏いで、まるで野良犬のようだけど、迂闊にからかうと噛み付かれるような、野生の匂いが少しずつ漂い始めている。
 社会の中では、堕落、脱落の容貌かもしれないけど、若い役者としては輝いている。

 やっと無能な専門学校生の、馬鹿な穀潰しの顔じゃなくなってきた……
  
 今日の通しもまだ決して及第点には届いていない。
 だけど、発表会から、芝居への脱皮の気配がしてきた。
 
 なんで、たかが研究所の卒公に、こんな手間暇のかかることをするのか。
 それは、何よりも観客のためである。
 どんなものでも、つまんないものを人に見せたくない、と思うことから始まったのだ。
 
 自分の作品がよく使われるので、何度かその手の公演を見てきて、残念ながら面白かったことが非常に少ないのだ。
 まあ、研究生公演なんだから、仕方ないんだけど。
 
 でもつまんないと分かっててやるのは、私たちはイヤなんだ。面白いと思ったモノが、つまらないと言われることは仕方ないが、自分たちでつまなんと思うことを、平気でやるようになったら、芝居なんてやる意味はまったくなくなる。
 たとえ研究のためでもだ。
 少しでも多くの、芝居好きのお客さんに見て貰いたい、そして熱い拍手を頂きたい。
 
 たとえば扉座の公演より、サテライト公演が面白くなるには、どうしたらいいのか。
 やるからには、扉座の本公演を越えるようなものにしよう。

 大いなる自己矛盾であるが、それがサテライト公演スタートの合言葉だった。そして今もこうして踏襲されている。

 だから、ラブ×3には、観客が不可欠だ。
 それもちゃんとチケットを買って集まってくれる観客が。
 だって、ただ親類縁者や友人たちに、自分の姿を見せるためだけにやってるんじゃないんだから。
 未知なる観客を笑わせたり、泣かせたり、感動させるために、こうして苦労を重ね、血と涙を流して来たんだから。

 チケットの売れ行きも稽古場で発表されていた。
 まだまだ売るべき座席がある。

 死ぬ気で売れと言いたい。
 少しでも知っているひとがいたら、買って見に来い!と言え。
 自分で売れないチケットを、誰が売ってくれるというのか。知り合いも見てくれないものを、世の中の誰が金まで出して買ってくれるものか。
 まずは間近にいる人たちから、自分のファンにしてしまえ。それが出来ないヤツは、芸能なんかやってはならない。

 くわえて、私からも宣伝しておきたい。
 
 ようやく、人様にお見せしても構わないような、芝居になりかかってきました。たぶん初日には、間に合うでしょう。
 もちろん、不足は多々ありますが、その足りぬ分は、これが最初で最後という、命がけの必死さでカバーします。
 人間が命がけになってる姿なんて、オリンピックとかならともかく、なかなか身近にはないじゃないですか。
 でもそれがここにはあります。
 ま、命がけってのはオーバーだけど、全身全霊、一つのことに打ち込んでいる姿だね。
  
 特に扉座のファンで、まだラブ×3を見たことがないという方々に、是非一度、見に来て頂きたいです。
 出てるのは研究生たちですけど、裏と稽古にはびっしり扉座のメンバーが張り付いています。
 技術と精神の両方を、全力で伝授しています。
 
 これもまた、扉座なのです。
 
 そして、もし面白いと思ったら、やりたいことが何もみつからない若者に、これを見に行け、4月からここに行け、と勧めて下さい。
  
 
 



もう2月やで(2006.02.01)

 あんまりまとまったことしてないのに、またまた月日だけが過ぎて行く。早すぎる。

 そんな中、明日はまたラブ×3に。
 前回からどれぐらい練り上がったか、確かめてくる。

 ところで、パチスロだが。
 あれ以降も実は細々と、というか正直なところ、太ぶとと、継続していたのである。
 んが、今年に入ってまったくあきません。
 0勝七敗、3引き分けぐらいの感じ。
 てかそれじゃあ、3日に一度やってる計算か?
 まあ、それは大袈裟でも、五敗は確実だな。
 
 そんで、もっと困ったことが、ここに来て北斗の拳が、お店から徐々に消え始めているということだ。
 
 思えば昨年の今頃、ふと気の迷いでバチスロというものをやりだしたら、いきなり鉄拳フィーバーに突入し、一撃七千枚オーバーの衝撃的デビューから、その後吉宗とか囓りつつも、ある日ついに北斗と巡り会い、気が付けば、夢に見てしまうほどに、ハマってしまった日々。
 ついでに芝居の小ネタにまで使った。

 それが終焉の時を迎えている気配なのだ。
 このところも負け続けも、明らかに店側が、北斗の幕を引きたがっている傾向にしてやられている感が強い。
 北斗を締めて、別の新台を開けてるらしい。アラジンとか。

 今、私は迷っている。
 はじめてちょうど1年。
 北斗の終わりと共に、ここらでスッパリ辞めてしまおうか、と。

 忘れもしない、去年のらぶ×3の初日の後、ダラダラと飲み屋に移動しながら、パチスロ好きの奥慶太郎と話していて、オレはパチスロの天才だと思う、と言ったら、そのうちにゼッタイに酷い目に遭いますからと太鼓判を押されたものだ。
 もちろん、それは正しかったワケで、その後はもう酷い目に遭いまくりである。そもそも未だに、ビギナーズラックで獲った七千枚以上の獲得がないのである。
 
 あれからちょうど1年なのだ。
 奥慶太郎も、清水の次郎長の後の頃、わたしのよく知らぬ間に、消えた。
 
 その後、例の貯玉も、また貯まっている。
 9月以降、まったく手つかずで、ちょっとずつでも貯めていったから、気付かぬうちに、またそこそこになっている。
 負けてるのに、また貯まってると言うことは、それ以上にやってるということでもあるのだがな。
 やはり、恐ろしい無駄な時間と労力の投入であろう。

 一度冷静になって、今の財産を確認し、今後のことを検討したいと思う。
 時節柄、これを元手に株式とか始める、というのも面白いとは思うが、それには足りないだろうな……
 そもそも、アレって、いくらから始められるんだろうか?

 しかしなあ、またわしのことだから、夢中になってしまったりするかもしれぬ。
 でも、今度は株じゃあ、危険すぎるなあ。
 早いとこ、全額下ろして、また何か記念品にしてしまうか……
 と、自問自答の日々。
 
 
  





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