2006年01月                             

ここ数日(2006.01.27)

 一昨日ラブ×3の稽古場に行ったら、植草が青ざめた顔で直立不動で待ちかまえていた。
 例の原稿の件の謝罪のためである。
 
 そんなに大袈裟に、反省してくれなくもいいんだが。別に制作者や編集者の養成所でもないんだし。
 まあ、芝居を頑張ってよ、と励ましといた。

 この日記を読んだという植本潤クンが、これ読んだ新人はさぞビビルでしょうねえ。チクリノートですねえ、と昨夜言っていたが、確かにそうだと思った。
 わしは彼らと、一緒に芝居創りする仲間みたいな気持ちではいるけど、彼らからしたら、たぶんそんなのとはほど遠い恐怖の最高権力者だったりするのだしねえ。
 ちょっとの薬も効きすぎる心配がある。
 
 さて、それでラブ×3の通し稽古。
 ガンとか健太とか、智らも駆け付けていた。
 何と律儀な先輩たちか。

 もっと酷いかと思ったけど、そこそこまとまって、とりあえず通った。
 行儀良くて破綻がなく、こじんまりとまとまるのが、今年の若者の特徴であろうか。
 でも、役者としては、それでは物足りない。
 この通しでも、まとまってるけど、ぐーっと胸に迫ってくる芝居はまだない。
 今年は特に、身近な話題の作品が多いから、余計にこじんまりと見えてしまうということもあるが。
 もっと、パワーを出せ、暴れろ!
 と挑発するが、はい!、という声がすでに枯れ果て、カスカスになっている。
 まあ、無理しないで、本番のために、セーブしてね、なんて気が付いたら、より軟弱なアドバイスになっていた。
 どうせこのチクリノートも見てるだろうから、メツセージは届くだろう。

 オメーらあんまり面白くねえよ。
 驚かしてくれよ、もっと。
 想定外の飛躍はないのか。
 
 今回は、犬飼が手伝ってくれているけど、これがなかなか良い。犬飼が指導してくれたパートは、細かい役者のイキが合っていいて、ビシッと一本、背筋が通っている感じがする。
 対して、私の担当のものは、明らかに稽古も不足しているし、細かい規律がなくて、もうグダグダである。
 こっちもやってよ、ビシッと背筋通してよ、と犬飼に頼んでおいた。
 そういえば、犬飼は、以前、下北沢で何かのユニット公演の演出とかもしたんだよね。
 何よりも犬飼の実力に驚いた。
 隠れた人材を改めて、発掘して得した気持ち。
 遅いか……

 そんで昨日は、昼間は稽古場に行って、あまりに未完成な作品の手直しをし、夜からはラッパ屋の芝居を見に。
 助手についてた則岡君から、今回という今回は本当に本が間に合ってなさ過ぎて、ピンチです。
 と聞いて、ワクワク(?)しながら行ったのに、何のことはない、いつもの通り緻密に出来てて、尚かつ、いつになく、メッセージ色の濃い見応えのある作品であった。
 鈴木聡さんは、演劇界の数少ない友人であるが、強かにして、柔軟で、一筋縄ではいかぬ人である。
 
 たまには無様な大失敗とか、見せてくれてもいいのに。
 これは友人にあるまじき発言か。
  
 そんなこというと、人の失敗望んでるみたいだけど、まあ、正直に言えば、望んでたりするのだろう。
 昨夜も、観劇後の宴会で、鈴木さんを目の前にして、そのような暴言を吐きまくっていたら、一緒だったキャラメルボックスの大森さんから、演劇界の発展のために、他の集団や作家の成功も祈らなくてはダメよ、横内君、と柔和な中にも、一本筋の通った感じで、お姉さんのようにたしなめられた。
 まったくその通り。
 分かっちゃいるけど、人の不幸は嫌いじゃない。
 
 んで、昨日は、芝居は面白く出来てたから、目出会いけど、蜜の味はナシ。
 こんなんでいいのか、オレ。

 目出会いと言えば、則岡クン。
 昨夜が、四十の誕生日であったそうな。
 宴会の席(三平酒場)で発覚した。
 知ってれば、ケーキとか用意したのに、と皆から言われていた。
 
 
 
 
 
 



らぶ×3(2006.01.25)

 昨日、起きて携帯をオンにしてみると、研究生の植草から留守電が入っていた。

 「らぶ3のパンフ原稿、八百字以内で、明日までで、お願いしまーす」

 あまりに簡単に、しかも締め切り直前依頼である。

 最近は私ももはや新鋭ではなくなり、原稿依頼とかも、事務所へのスケジュール打診から始まり、まずは企画意図ご説明から~、みたいな丁寧な扱いしか受けなくなっていたので、ちょっとのけぞった。
 
 一昔前なら、さやかなり赤星なりに言いつけて、叱って貰っていたであろう。
 
 一応コレでも作家なんだからね。
 いろいろ締め切りだって抱えてンだし。

 どんなに短い原稿だって、留守電にただ吹き込んで、それでハイって出てくるほど、安直なモノではないのだよ、なんて。
 
 何しろ、植草の声には、遠慮も申し訳なさのカケラもないからね。
 かるーく、明日締め切りでえす、守ってよ。
 みたいな。

 しかしまあ、言われたとおりに、今書いて、事務所に送信しました。
 
 植草って、去年高校を出て、そのまま研究所に来た子だ。
 18歳かな。
 当然、娘のような歳である。
 なんちゅうか、何て叱ればいいか、分かんないしな。
 下手に叱って、嫌われるのも、イヤだし。
 オレが黙ってやりゃ済むことだしね。どっちにしても、やんなきゃならんことだろうし。

 これはもう、本当のオヤジの心境ですな。

 しかしまあ、こういう、ちょっとのけぞるようなことが起きることが、新しき人たちと何かをやって行くってことの面白さでもある。
 そういうのが、心の底からイヤになったら、それが劇団を辞める時であろうな。

 そしてたぶんこれは、横内君、何か今の君は大先生みたくなってるけど、そんなに思い上がってはイカンよ、という演劇の神様の戒めでもあろう。

 ともあれ、仏のような今の私。
 
 もっともそんな小さなコトに拘って、叱ってる場合でもないのである。
 植草はじめ、ラブ×3メンバーは今、ギリギリの闘いの最中で大パニックである。
 たぶん、パンフのことなんか、なーんも考えてなくて、今になって慌てて動きだしたのだろう。
 
 まあ、何でもいい。とにかく芝居をちゃんと仕上げろ。
 芝居が上手くいけば、全部、許してやる。
 植草も芝居で、わしを黙らせろ。ということだ。

 明日はそのらぶ3の初めての通し稽古。
 風邪で、大中断があって、現場は混乱しまくりらしい。
 当然、ダメダメだろうが、もう時間もない。
 こっからが、正念場だ。

 ただし、芝居がマズイのは許さないから、覚悟してほしい。
 



雪の降る町を(2006.01.22)

 北国の人が見たら鼻で笑いそうな小雪であろうが、わしらには大雪であった。
 久しぶりにアウトドアブーツを引っ張り出して、履いて行く。
 もう十五年以上前に、初めて係わった映像作品で、長野の雪の中での撮影を見学にいくために買ったものである。
 その後、冬の北海道とかに行くときには時々使った。
 
 お昼頃一度、外に出かかって、十センチぐらい積もってる雪を見て、慌てて引き返し、この懐かしの靴を引っ張り出したのである。
 何かカビ臭くて、もう腐ってんじゃねーの、って感じだったけど、普通の靴ではヤバイ感じだったのだ。
 
 そこまでしてどこに行ったのかと言えば、渋谷に打ち合わせに。
 お洒落なホテルの能楽堂で、狂言の会があって、そこに千之丞さんがいらしていたのだ。
 3月に上演予定の、新作狂言の打ち合わせである。
 第一稿は年末に仕上げて、渡してあった。
 それを上演に向けて、練り上げて行かなくてはいけない。
 
 何しろ、狂言言葉とかも分からないから、今のとこはコントみたいな感じになっている。
 千之丞さんというのは、人間国宝みたいな大名人で、しかも八十幾つという御大なんだが、極めて若々しい感覚をお持ちの方で、せっかく新しくやるのだから、新しく創る意味のあるものを、チャレンジ精神でやりましょうと励まして下さる気持ちの良い方。
 で、このコント風のままでもおもろいですなあ、とか言って下さるのであるが、わしとしては、それが良いと思ってそうなってる訳ではなく、どう書けばいいか分からぬ故に、コントになってるので、是非、勉強させて頂きつつ、も少し狂言スタイルに近づきたいとは思っているのである。
 ちなみに第1稿は、まったく現代の関西弁で書いている。
 見様見真似の、時代劇言葉も手の内にないわけじゃないけど、そこに捕らわれたら、むしろ可笑しさが半減して、私の真意がぼやけることを心配したのだ。
 
 ちゃんと笑える狂言にしたい。
 それが私の野望である。
 それも規格外の、破壊的パロディとして、馬鹿笑いを作るのでなく、狂言のもつ独特なオモシロさの中で、人間の存在そのものが、可笑しく見えてくるという正統的なアプローチで。
 もちろん現代にわざわざ新しく作る意味のある内容を備えた上で、であることは言うまでもない。

 まあそれぞれの狂言観があって、しかも流派とか、関西、関東とかで、根底の思想も微妙に違うし、一概には言えないみたいだけど、私としては、庶民の楽しみの、おおらかな笑い芸としての狂言に深い魅力を感じている。
 それは武士の高尚な嗜好品に収まりきった能とはまったく別なものである。
 その点、おおらかに笑いを求める、茂山家の流儀にシンパシーを感じている。というか、とりあえず今はそこが窓口だから、それしか知らぬとも言えるのだけど。
 
 今日見た、仁王という狂言では、庶民たちが仁王に願掛けをするところで、演者が全員、アドリブでそれぞれの願いを語っていた。
 雪が困るとか、ハゲを止めてくれとか。
 でもそんなことするのは、茂山家のやり方だけなのだそうだ。
 
 けど、そもそも狂言は、その発生からして、能とはまったく違うものである。
 たまたま世界遺産なんてものに能と一緒にされて指定されたけど、遺産とは失礼千万、能はもう進化は止まってるけど、庶民のための舞台である狂言は遺産などではない、一刻も早くそれを取り消して頂きたいと、訴えているのが千之丞さんである。
 その外見も、人当たりも、話しぶりも、まったく違うけど、猿之助さんと通底するものを深く感じざるを得ない。
 
 二人とも伝統の世界にいつつ、強い心の改革者、反逆児ってことだ。
 私は、まったくそういう精神の欠けた人間なのにね。
 
 つれはつまり、改革者、反逆児でもなくちゃ、私なんかと組んで仕事しようなんて思いつかないということなんだろうな。
 ともあれ、楽しみつつ、勉強してこの作業を進めている。

 この作品は、3月に、横浜の演劇鑑賞会対象に上演される。
 一般公開は、まだ未定……

 
 
 
 



ホリエモンとか(2006.01.20)

 やり過ぎた新参者が、手酷く痛めつけられている。
 世の中は、いままで、ちやほやしていたのに、ここぞとばかりに、石を投げつける。
 私は今まで、一度も彼を好きになれなかった。羨ましいとも思わなかったし、知り合いになりたいとも思わなかった。
 まあ、向こうもこっちに興味なんかなかったろうが。
 
 でも、今はちょっと気の毒だな、と思ってる。
 
 助けたいなんて気持ちにはまったくならないけど。
 ただただ、破滅への道を転がり落ちていく、彼の姿を、可哀相にと思って眺めている。
 そんで、ちょこっと泣いたふりしてあげて、盛者必衰じゃのう、この世は無常よ、とかもっともらしく呟いて、自分が盛者でないありきたりな庶民であることに改めて感謝したりする。
 
 嫌だね、民衆は……
 とことん勝手で無責任で、残酷で、卑屈である。
 
 それにしてもホリエモン、ついに凡才を晒したな。
 攻撃だけで、防御があまりに手薄だったね。
 もっとずる賢くて、切れ者の参謀を側に置くべきだった。
 本気で天下が執れるなんて思っちゃったのかな。無邪気にね。
 たぶん世の中の正体は、もっとしたたかなんだよな。
 そんで、どっかに隠れつつ世の中を牛耳ってる魔王たちは、ホリエモンを潰す機会をじっと待ってた。
 も少し早くそれに気付いて、わざと失点したり、しばし世の中から消えてみたりするべきだったんだ。
 目立つストライカーをマークして消し去るなんて、プロのディフェンダーには最も簡単な仕事なんだから。
 本当の点取り屋は、ちゃんと消える動きを身につけているモノだ。

 まさか世の中が、自分の味方だと思ったわけではなかろうが、その底意地の悪さと、無情さ具合を知らなかったのだね。
 もちろんそんなこと、私だってよく知らない。
 ただ、こういう犠牲者の破滅をじっと観察して、学ぶだけである。

 さて、今日から、メガネの人になった。
 この暮れ、ふと妻に、針に糸を通して、と頼まれて、それがまったく不可能だったことにショックを受けた。
 悪くなってることは知ってはいた。
 だから、最近は演出の時とか、芝居見物の時などは、メガネをかけていた。
 でも、もはや、それだけではヤバイ気配になっていたのだ。
 バスの路線図とか、よく見えなかったりして。
 
 すでにメガネは一個もってたけど、たまにしか掛けないからと思って、かなりお洒落なヤツにしてしまってた。
 サングラスみたいな感覚である。
 青いメタルフレームで。
 
 それを毎日掛けてるのは辛いなあ、と思い。新調せねばと思っていたのだ。
 イメージは、昔のカタチの、上の方は黒のセルロイドで、下の方になると、透明になってく感じのやつ。
 敢えてオヤジっぽいのにしようと思った。
 
 だって今、みんなお洒落でしょ。
 うちの研究生でも、芸能人みたいなカタチのやつを掛けてる。
 しかし、後追いでソレを追っかける、しかも大人の財力で、そのコースの高級品を買ってまうみたいなのが、抵抗があったのである。
 ところが、そういう昔っぽいのが、ないのね。
 いろいろ見て歩いたけど、黒縁の、下透けオヤジ系みたいなのは、とても少ない。
 六角が、最近、いわゆるメガネ君メガネがないんですよ、と嘆いていたが、確かに、どれもこれも、シャープだったり、ハズしすぎていたりして、オーソドックスなのがない。
 本当にオヤジ向けのやつは、銀とか金のフレームになってるし。
 
 でも、今年のバーゲン探索中に、丸井で、まあ許せる範囲の今風デザインで、イメージに近いものをみつけて、発注したのである。
 何とかという職人さんの手作りフレームであった。
 鯖江で作られているのだという。
 
 それが今日できてきて、さっそく掛けて、打ち合わせに。
 裸眼では、免許更新も適わぬところまで来ていた我が視力。
 それが、見える見える。
 もちろん、何か、微かに世界が歪んでるみたいな違和感がまだあるけど、電車のシートに座って、週刊誌の吊り広告が正しく読めるこの感動。
 最近は、気になるところはわざわざ立って、読んだりしてたからね。
 
 そんな訳で、今日はメガネ記念日。

 ちなみに今、メガネをかけて世界が歪んで見えるのは、今まで私の衰えた眼球に歪んで映っていた映像を脳が、自動的に矯正して受け取っていた名残なのだそうな。
 今は眼球に歪んで映ってないのに、脳が習慣で手を加えちゃう。
 今まで脳が、勝手に修正してたんだね。
 歪んだ四角も、正しい四角に。
 
 脳って、たいしたもんだけど、ちょっと余計なこともするね。
 歪んだモノは、歪んだまま、見えてくれても良かったのにな。
 
 



授業(2006.01.16)

 二つの研究所を掛け持ち。

 一つはもちろん扉座のラブ×3。ようやく演目の体裁が整ってきて、演技の稽古が出来るようになってきた。しかし、ここからが問題なのである。
 それぞれ自分で作ったモノなのだから、イメージなど掴みやすいはずなのに、いざ表現せよとなると、かなり物足りない。
 技術が足りないのは仕方ないとしても、表現することに対するイメージの膨らませ方が、まだまだ行き届いていない。
 徹底的にやってるとすぐ時間がなくなるから、かなり妥協して進めているけど、けっこうストレスがたまる。
 今のとこ、物わかりの良い柔和なオジサンでいるけど、そのうち、オバサンみたくキリキリ怒り始めるかも。
 
 その前に、稽古場に付いてくれてるトシノリとか、犬飼とかが、厳しく指導してくれるといいんだがな。
 
 さて、もう一つの研究所とは、若井田久美さんがやっている空中サーカス学校である。
 同じ、すみだパーク内で今年から開校した。
 ここの人たちが、愛知博のタイヘン大講演会でもパフォーマンスをしてくれたのである。
 そんな生徒さんたちを相手に、演劇のワークショップをした。
 基本的には、セリフなんかしゃべらない表現の人たちなんだけど、私はラスベガスのショウとか見ていて、これからのパフォーマーはたとえそれがサーカスでも、演技力とショウ(ウー)マンシップが不可欠だと確信している。
 それで、若井田さんに、学校では是非、芝居の勉強もした方が良いとお薦めしたのである。

 こちらは、楽しい授業であった。
 まあ、全員若い女の子たち、ってのもあるけど、それ以上に彼女たちが、楽しんで参加してくれていることが嬉しかった。
 何で、こんなこと?
 ではなくて、これも面白い!楽しい!て感覚ね。
 
 空中芸が出来る人たちが、芝居やダンス、歌まで出来るとなれば、いろんな可能性が広がってくる。
 全編空中で上演される、ミュージカル、とかね。
 そんなことがいつか出来たら、スゴイだろうなと、思っているし、是非やろうと若井田さんとは話している。
 
 もちろん、そのレベルを目指すときには、こちらも楽しいだけでは済まなくて、表現に対して更に厳しく取り組むことが求められるのだろうけどね。
 まずは楽しんで好きになって貰わなくては。
 
 ともあれ、未熟だけど、未来の可能性を持つ若者たちと、たくさん過ごした日であった。

 追伸
 今、発売の「せりふの時代」で、演劇と教育についての私のインタビューが掲載されています。
 そちら方面に興味のある方、是非、目を通して、ご意見などお聞かせ下さい。
 私個人としてだけでなく、扉座はエデュケーション部を持ち、田中部長を中心に、演劇と教育の実践に取り組んでいます。



今日(2006.01.13)

 お昼から、表参道で散髪。
 同潤会アパート跡地のアンドービル、出来上がってきたなあ。
 久しぶりに参道の坂を歩いてみたりして。

 高橋さんらにも、お年始のご挨拶。
 最近、やたらにフケが出るので相談する。
 んで栄養水みたいなのを貰ってきた。
 
 その後、飯田橋の事務所へ。
 事務所内年始会議。
 問題はないけど、課題は山積み。
 でも前向きに取り組む決意。

 
 訃報あり

 スーパー歌舞伎などでお世話になった、戸部銀作先生。
 歌舞伎研究の大御所なんだけど、研究者には珍しく世界観の広い人で、私のことをいつも励ましてくれる心強い味方だった。
 猿之助ワールドが休止状態の今、更に辛いお知らせである。
 でも、先生から頂いた優しい励ましの言葉を糧に、次の課題に取り組む。ワールドの復活を信じつつ。
 合掌。
 
 



タレ目(2006.01.12)

 相棒には悪いけど、自分のオンエアを見た。
 普段は、敢えて見なかったりすることも多いけど、ゴールデンタイムだからね……

 にしても、久しぶりに我が姿を見て、しみじみと思う。
 
 ホントに目がタレてんだよね。

 蓮池さん、て言われるよね。

 特に左目がね。ことさら落ちてるねえ。
 鏡とか見るときは、自分で修正してるんだろうな。たぶん。

 まあ、俳優じゃねえんだから、いいんだけどさ。

 中身はね。
 もっといーっぱい話したと思うんだけどね。
 でもまあ、よくまとまってたと思う。
 一夜漬けの成果はあんま出てなかったようだが。一夜漬け蘊蓄部分は基本的にカットでしたね。
 まあ、それが見識というものか……
 
 私よりずっと若い早稲田卒のディレクターだけどね。スーパー歌舞伎とかずっと見てくれてたんだそうな。

 ありがたいこってす。
 最近、そういう話しが多い。学生の頃、見てて、今は出世して、ヨコウチさんに仕事頼めるようになりました、みたいな。
 相棒の、プロデューサーもそんな感じらしい。
 札幌でやった夜曲とか見てくれてたとか。

 良い客筋を持ってたってことで、嬉しいことである。
 みんなもっともっと偉くなって、わしらに仕事くれ!

 あと安心したのは、うひょひょ、って笑ってなかったこと。
 
 



水曜日(2006.01.11)

 11月に大阪まで日帰りで行って収録したNHK総合の「その時、歴史が動いた」が放送される。
 近松門左衛門の曽根崎心中誕生の、その時について。
 アトム作りで忙しい最中、必死の一夜漬けで勉強した成果を語った、はず。
 
 しかし何の因果か、相棒の真裏になる。
 
 劇団員の数少ないレギュラー番組と、滅多にない私のゴールデンタイム露出が、きっちり重なる。

 そんなものだよね……

 座内視聴率戦争じゃ!

 



おでかけ(2006.01.07)

 年末から、ずっと引き籠もっていたが、というか、いろいろ間に合ってないものの帳尻合わせに必死で、籠もらざるを得なかったのであるが、ついに本日、外出。
 
 茅野演出、そして累央とかガンとか健太など出演のサクラ大戦を応援に、青山劇場へ。
 芝居がどうこうというより、まず久しぶりにお出かけで、何か興奮していた私であった。
 
 まあ、お気楽な舞台だから、観客に徹して鑑賞を。
 と思っていたのに……
 
 我が軍の手勢が、思いの外、たくさんの出番を頂いていて、しかも、いろいろ危ういことをやってるから、その度に、冷や冷やして、やっぱり観客には徹しきれず、ドキドキしていた。

 今回は特に出演者が少ないので、まあ、目立つこと目立つこと。
 その度に、かけ声とか客席から貰っていて、有り難いことこの上ないのだけど、何というか、座長としては、うちの子たち、粗相をしておりませぬか?皆様、ご迷惑ではありませんか、と恐縮の気持ちになる。

 当の本人たちからすれば、たぶん余計な心配でござろうが。
 
 その為であろう、終わってからの呑み会に、いつもは来ているというガンと健太は、現れずであった。
 せっかく楽しくやってるのに、オヤジに変なこと言われてペースを乱されたら、かなわんと思ったんだろうね。

 結局座長とか、親とかって、そういう役回りなんだね。
 
 ともあれ、我が手勢の者たちが、皆さんに可愛がって頂いていることは、頼もしく、また嬉しいことであった。

 呑み会では、嘉島さんや広井さん、智佐さんらと専ら歓談。
 ちょうど1年前と同じ店の同じテーブルで、こんなメンバーで青山帰りにそこにいた。
 なんちゅうか、それが一昨日ぐらいのことのように思える、この時の流れの早さよ。
 
 1年前もそうだったけど、今宵もまた、広井王子五十二歳の、とてつもない世界征服への野望を聞く。
 知らぬ人が聞けば、詐欺師のオオボラみたいだけど、実際、やっちゃう人ですからね。
 いつもポジティブ、この人に付いていけば、何かいいことあんじゃないかと思わせる。
 
 ずっと引き籠もってて、テンション下がり気味だったけど、新年からチョー景気の良い話を聞いて、オレまで大儲けできちゃうような気がしてきた。
 まるで言葉のユンケルである。
 
 その広井さんと意見が重なり合ったこと。

 正月って、間に合ってない、仕事の帳尻合わせする、貴重な時間なんだよね……
 はげしく同感。

 やっぱ広井さんも、働いてたんだ。
 まあ、とてつもない野望実現のためには、当然だろうけど……

 明日は初錦糸町。
 らぶ3稽古!
  
 



働き始めてる(2006.01.04)

 細々とした原稿書きは、大晦日も元旦もやってたけど、そろそろ大物に取りかかっている。
 目下の課題は、5月に名古屋の中日劇場で上演予定の「雪之丞変化2006年」の改訂。
 
 今回は10年ぶりの上演になるのである。
 初演はその5年前ぐらい。元は2001年といっていた。
 まだ2001年が未来だった時に創ったのものだ。
 加えてそれが、私が猿之助さんとの出会いの作品だった。
この辺りの詳細は、是非拙書、夢見るちからは眠らない を読んで欲しい。06年も絶賛発売継続中である。
 
 ただ、そんな風に古い作品なので、そのまま上演してもドーよ?ってとこが多々あるのだ。
 役者も、かなり年を重ねてきているし。
 あの当時はまだ、笑也さんも右近さんもホントに若かった。

 当時、笑也さんが男役で、しかも青年医師の役なんか演じるところが、話題になったりしたんだけど、女形では年齢不詳でまったく問題ないが、もはや青年医師って訳にもいかんだろう、という感じでもある。
 とは言え、今までの上演が、お客さんの支持を得てきているので、まったく別物になるような変更も出来ない。
 美味しさはそのままで、材料と調理法を変えて。
 みたいな、ちょっと無茶な課題ではある。

 なので正直、ずっと気が重いとこはあったのだが、いやいや、これは大事である、単なる懐かしのリバイバルではない、重要ながんばりどこだというモチベーションが今はある。 
 
 先日、猿之助さんにお会いして、その口からはっきりと、新しいモノに取りかかろうという言葉を聞いたことである。
 来るべき猿之助復活のためには、ここで失敗する訳にはいかぬではないか。ちゃんと繋ぎをやっておかなくてはイカン。
 そんで出来ることなら、猿之助さんの創作意欲を大いに刺激したいと思う。
 ちょっと不遜だけど。
 
 雪之丞06が、猿之助伝説第2章の幕開けであったと、後の世に語り継がれるようなモノにしようじゃないかと、そんな野心に燃えての、仕事始めである。
 
 
 



謹賀新年(2006.01.01)

 あけましておめでとうございます。

 テレビ正月をダラダラと過ごしています。
 
 ボクは須藤元気にもう少しやらせてあげたかったです。
 入場ショウは一番良いと思いました。
 
 あと北山たけしという人がとても気になりました。
 てか、誰?

 





build by HLimgdiary Ver.1.23