2005年11月                             

あちこち(2005.11.30)

 番組収録。
 小林勝也さんと謝珠栄さん。
 どちらも顔見知りだったので、話しやすくて楽しくできた。と思う。
 勝也さんは、文学座の研究所の卒業公演で「愚者には見えないら・マンチャの王様の裸」という拙作を二度も演出してくれている。
 一度は、若き日の寺島しのぶさんと、内野聖陽クンと蟹江敬三さんのお嬢さんの桃子さんらがいたという、超豪華な卒業公演だった。
 なんちゅうか、文学座の研究所はセレブサロンなのである。
 
 にしても、もう4年もやってきたのだ。
 この番組の司会。
 まあ、月に1回程度の露出だけど。 
 なのに、街で見てますよ、なんて声をかけられることはまず皆無である。
 劇場にいる時ですら、滅多にない。
 それに比べて、今回の稽古中の六角はどうだ。
 電車男の阪神男イッパツで、顔がすっかり浸透し、錦糸町の回転寿司でも声を掛けられる。
 視聴率というものの威力である。
 
 収録後、駒場の劇作家協会に行って、一つ打ち合わせ。
 その後、北斗の荒野に挑もうかと思ったけど、着替えの荷物とか担いでいたから(昨日・買ったばっかのやつら。わしにはマネージャーなんかいないから、全部自分で担いで移動である)、メンド臭くて、帰宅。
 その途中寄り道して、青山のとあるパイ屋さんで、自宅用にパイを買った。
 
 と、そこで突然、頼んでもない、オマケのパイを女子店員さんが付けてくれた。
 扉座の横内さんですよねえ……
 芝居をよく見てくれているのだそうだ。
 
 番組を4年もやってるのに、とかついさっき語り合ってきたばっかりだったので、とても不思議な気分であった。
 そしてオマケのパイを有り難く頂戴しました。
 『アトムへの伝言』も是非、見に来て下さいと念押しも忘れずに。
 
 ちなみにそのお店は、いつもの高橋さんのヘアサロンの近くで、茅野イサム(最近太ってきたが、もてるオヤジはモテピタ、だと言い張っている)も好きで、どっかの小娘(ニキータ)同伴でパイを食いつつお茶とか啜っているらしい。
 今日も、満員で、空き待ちの列が出来ていた。
 茅野はいなかったけど。
 ところで、よく行くモテピタ・イサムはこの店員さんから、何かサービスを受けただろうかと、ふと気になった。

 明日は、セレブ感のカケラもない庶民の師弟の集う、扉座の研究所へ行く。
 ラブ3にやっと参加するのである。
 まずはメンバーの名前を覚えるとこからやり直さなくてはイカン……

 『アトム~』はただ今、小休止中。
 みんな、セリフ消えてないだろうか、とちょぃと不安。
 この間も、別の撮影とか入ってるメンバーもいるし……
 
 まあ、厚木で本番も含めて五回通したから、大丈夫だろうけど。
 それぞれに、セリフ合わせしといてくれよな、って感じ。
 
 心配と言えば、えなりかずきクンだ。
 ナンの面識もないのではあるが。
 今日、NHKですれ違った時、やたらに顔色が悪くて、とっても老けて見えた。
 そりゃ、ずーっとニコニコもしてらんないだろうけどな。
 
 人気者は大変だよね。

 

 



公演しつつ(2005.11.29)

 金曜日まで変な休みが入るので、調子が狂う。
 明日はNHK『深夜劇場へようこそ』の撮影。
 振り付け(最近は演出家)の謝珠榮先生と、文学座の小林勝也さん。スネークマンショウの克也じゃねえぜ。
 
 そうだ撮影なのに、もう新しい服がないなあ、なんて独り言を言って、気が付けばデパート内にいた。
 そんでたぶん明日のギャラ分ぐらいアレコレ買った。
 別にオシャレなんかしなくていい番組なんだがな。

 あと厚木のゲネの時、壊れたメガネを買ったお店で修理して貰った。
 日に日に目が衰えていってる。
 舞台稽古は今やメガネなしだと危険である。
 やたらに暗く感じるのだ。乱視が進んでて、とにかく輪郭がぼやけてまう。そんで、それを照明のせいにしてしまったりする。
 とてもヤバイ……

 でも、お店で修理を待つ間、お洋服で火が着きかけたお買い物願望に、拍車がかかり、新しいメガネを購入しそうになってしまった。
 
 普段はかけてないから、二個もいらんのに。
 
 なんちゅうか、この宙ぶらりんの状態がいかんのだ。
 もう一気に公演してしまいたい。

 

 



厚木の日々(2005.11.28)

 金、土、日と厚木公演。
 初日の特別公演は、ちょいとうすーい客席だったけど、芝居やってるうちに、少なめの客席がだんだん暖まってきて、存外楽しい公演になった。
 特に、子供が多くて、しかも小学生で(特別ということで、厚木市が子供とかを集めたのだ)、いくらなんでも2時間飽きずに見続けるのは辛いんじゃないかと心配したけど、それがまったく騒ぎもせずに、しっかり見ていた。
 タイトルに「アトム」なんて名乗っているけど、決して子供向けのファンタジーじゃない。
 厚木の子供たちのレベルの高さか、うちらの芝居の懐の深さか。
 両方の手柄と言っておく。

 そんで、土、日は、通常の市民応援団と、サポーターの方々の協力の元に行われた公演。
 両日とも満員で、気持ちの良い舞台だった。
 とにかく、これは、お客さんの前でやりたい舞台なので、やっと思いがかなってスッキリしたって感じ。
 
 暖かい拍手で、ロビーでも、良かったヨと、何度も声をかけて頂いた。
 この勢いで新宿に行きたい。
 
 今日の日曜は、終演後は、私は赤星と、厚木打ち上げを抜けて、横浜の杉田という街へ。
 来年から、再来年にかけて製作される、ダンスパフォーマンス公演に出演予定の人々との顔合わせみたいな宴会に出席を。
 これはアジアの舞踏家に集まって貰って、来年以降、横浜で合宿し、一つの舞踊劇みたいなものを創ろうという企画である。
 そんで、そのアジアの舞踏家たちが、今日は杉田の劇場で、ワークショップをやっていたのだ。
 私はその構成・演出をやる予定になっている。
 本当はワークショップも出たかったけど、大切な厚木公演だったから、宴会にだけ駆け付けたのである。
 中身については、まだノーアイデアではあるが……
 
 昨年のとびうめ国文祭で、異国のパフォーマーとの共同作業の面白さに目覚めた結果、とにかく外国絡みの仕事は何でもやろうという方針を赤星と立てた結果、今回の企画に飛びつくことになったのである。
 これはこれで、とっても楽しみにしている。

 でも、厚木から終演後に、横浜に駆け付けて、異国のダンサーたちとの会食、面白かったけど、ちと疲れた。
 帰りは東海道線で東京まで。
 疲れたし、荷物も多かったからタクシーに乗ろうと乗り場に行ったら、私の前に何か見たことのある女の人。
 小泉チルドレンの、佐藤かおり?ゆかり?だっけ、刺客となって、野田聖子と闘った人である。
 もちろん面識はない。
 でも、まあ良い機会だし、公演の招待状とか渡しておこうか、とか一瞬思ったが、そういえば、かおりさんだっけ?ゆかりさんだっけ?と迷ったところで、勢いがなくなった。
 声かけるなら、名前ぐらいはちゃんと覚えてないと、いかんだろ?
 オレも、声かけられて、蓮池さんとか言われるの、嫌だもんな。(最近、似てるよねと、とある場所で言われて密かにショックであった)
 
 渡しても、来るわきゃないから、いいんだが……
 そんで、今もまだ、かおり?ゆかり?は解明していない。
 
 それはそうとアトムの話しに戻る。

 三日間、お客さんと共に自分の舞台を見て思ったこと。
 
 六角とたかシのコンビが、なかなか見事にお笑いをやっている。ホテルに帰ってテレビをつけると、毎日、何かのお笑いがやられてて、何となく見てしまったりしていたけど、下手なヤツらよりは確実に数段面白い。
 そんで、お笑いの基礎は、演技力なんだなあ、としみじみ思った。
 しかも、今回はお笑い部分では、ある程度、お任せのところがあって、二人とも何しだすかわからないから、私にとっても楽しみでもある。
 
 しかし、そういうことともに舞台を見て発見したのが、今回はかるーい芝居にしようと思ってたのに、思いの外、おもーいんだなあということだった。
 劇場がところどころで、おもーい空気に包まれていた。
 コント部分でそんなおもーい空気になったら、困るけど、てか大失敗ということになるが、幸い目下の所それはなくて、地の芝居の部分でね。
 
 前に茅野が、悲しい芝居だと、日記に書いていて、理屈ではその通りだけど、仕上がりは違うつもりでいたのである。
 でも、お客さんと見ていたら、なるほど、コレ悲しいんだなあ、と思ったのである。
 自分で創っていて、そんなことも分からぬのか、と叱られそうだけど、ナンというか、劇場で観客と共に見ることで、自分の作品の意味を改めて知るってことは、よくあるのである。
 
 それが厚木だけのことなのか、新宿に行ったら、また別なモノに感じるのか、それはまた、幕を開けてみて、劇場の中にいてみないと、分からない。
 
 金曜日、もう一度確かめてみる。

 厚木公演を見に来てくれた方々、どうもありがとう。
 新宿公演へのバックアップ、どうぞよろしくお願い致します!

 



明日、てか今日から~(2005.11.25)

 ゲネプロをやった。
 何とか、通った。
 けど、いろいろミスも多かったので、明日、お昼にもう1回、通し稽古して、本番を迎えることにした。
 本番前に2回やるなんて、久しぶりだ。
 でも、今回は何が見せ場って、そういう派手な演出はないし、そんなにタイヘンな場面転換もない。
 ひたすら、演技で見せる、シーンばっかりだ。
 なので、明日も芝居の確認をするのである。

 今日は岡森が来ていた。
 新国の公演が重なってて、本番が見れないかもとか言っていた。まあ、家が相模原だから、厚木は近いのであるが。
 感想を聞く間もなく、冷やかしに来ただけ、といいつつ、帰って行った。
 今、岡森が出ているのは、新国立の「肝っ玉おっかあと子供たち」という(タイトル、てきとーかも)ブレヒトっていう大作家の芝居で、大竹しのぶ様が主演の舞台だ。
 面白そうで、見に行きたい舞台ではある。
 しかし、人のことなんか構ってる場合じゃない。
 とにかく、こっちを完成させねば!

 明日からは、私は厚木泊まり。
 3回だけの公演だけど、ここで勢いがつくがどうかで、新宿への意気込みも変わってくる。
 明日は、バッチリ決めたい。
 何と言っても、コントとかあるから、お客がいないと、今イチぴんと来ない舞台ではあるのである。
 それに最初は面白かったさまざまなネタも、私らがすっかり慣れてしまって、六角とたかシが、必死で奮闘しようが、あんまり可笑しいと思えなくなっている。
 新しい反応に、飢えてきた今日この頃である。
 もちろん、大空振りみたいなとこも様々あるだろうけど、それもまた楽しみではある。

 ともあれ、そんなワケで、ドーンと幕を開けて参ります。
 たぶん日記の書き込みも止まるけど、結果報告をお待ち下さいませ。
 
 



予習2(2005.11.24)

 厚木での稽古は順調。
 いつになく余裕もあり、弁当時間がちゃんと1時間あったりした。
 えれえヤバイことが起きるか、それともチョー絶好調の予兆か?
 まあ、順調と言いつつも、今日、突然、美術の大変更を決めたりして、スタッフには苦労をかけている訳で、いつも通りなんだろうな……
 
 そんでいつになくカッコいい、舞台美術です。

 さて今日もプチ予習。
 劇中、六角と山中がコントをやると言ったが、コントは約2本半分。
 その中の一つの話し。

 贋皿屋敷というタイトルのコントをやるが、これは、同名の芝居の中のワンシーンである。
 芝居の作者も私である。
 一番近い上演でも、すでに5年以上前のことなんだけど、香取慎吾クンが主役やって、藤谷美和子様がヒロインで、青山劇場で上演された。
 そんで、香取君の芝居みたいに思われてるフシがあんだが、この作品の初演は、扉座と名を変える前の、善人会議プロデュース公演というヤツだった。
 岸田戯曲賞てやつをとったお祝いにと、私の友人のプロデューサーがいろんな人を集めて製作してくれたんだ。

 六角や岡森、杉山ら、劇団員に加えて、まだ新人だった西牟田恵さんとか、加納幸和さんとか、小劇場系のいろんな人が出てくれた。
 今流行の小劇場プロデュースの先駆けであった。
 
 その芝居の中で、六角と、客演してくれた、まだ朝のテレビ小説で売れる前だった、渡辺いっけい氏が、二人でやった、トメと常吉の肝試しシーンというのが、歴史に残る絶品であったのだ。
 
 厳密に言えば、コントではないのだけど、あんなに可笑しくて、間もリズムも完璧な芝居は滅多にあるもんじゃない。
 いっけいさんと絡むことで、普段は稽古嫌いの六角も、珍しく意気込み、何度も二人で合わせを繰り返していたものだ。
 その成果あって、息をもつかせぬ十分間が出来上がったのだ。

 今回、六角演じる、伝説のお笑い芸人の、持ちネタというのが物語の展開上必要になった時、私はまずあの時の、二人のシーンを思い浮かべたのである。
 それで、そのまま伝説のコントとして、その名も「贋皿屋敷と」として復活させることにした。
 稽古を始める時、山中に、とにかく、いっけいと六角のがサイコーに面白かったんだ、とネタばらしをしてやった。

 そしたら山中が、ちょっと狼狽えて、そのビデオは見た方がいいですかと聞いた。
 別にどっちでも良いよ、と答えておいたが、さて山中は見たのか、見なかったのか……
 
 まあ、いっけいの真似をしても仕方ないわけで、たかシ版を極めるのが彼の使命である。
 
 香取版はともかく、善人会議特別公演でニセ皿を見たなんて人は、たぶんアインシュタイン~経験者以上に少ないのではと思われる。
 でも知ってる人は、これまた楽しみポイントが増えることになる。
 さて、たかシはどこまでやるか?
  
 もちろん、そんなこと知らなくても、ナーンの問題もありません。
 今や劇団員の大半も、見たことのない芝居です。
 
  
 
 
 
 

 
 



予習(2005.11.23)

 間もなく、お披露目なので、今回の芝居の予習を。

 今回のポスターは六角の写真だが、実はこれは10年前「アインシュタインの子供たち」の舞台の小道具のために撮影したものだった。
 アインシュタイン~、はとある研究所で働く科学者たちの物語であったが、この研究所は、六角電器という家電メーカーの施設という設定だった。

 この六角電器の創設者が、六角清次郎という人物であった。

 物語の中ではすでに故人という設定であり、写真はその遺影という扱いであった。
 それは六角電器の会議室に、高々と掲げられていた。

 ようく見ると、チラシの写真の中の六角清次郎氏が、何か(掃除機の柄)を修理しているのも分かるはずだ。
 尚、清次郎氏は、この舞台では、研究者たちのクリスマスパーティの夜、幻想として登場していた。
 裏話をすれば、扉座通信にも六角が書いていたが、この時、公演の直前まで六角は大阪で別の舞台の仕事(私が書いたジュリー主演の『ザ近松』ってやつ)があって、まったく稽古できなかったのだ。
 そこで、メインは遺影として、登場はワンシーンだけにしたのである。

 チラシにあるサブタイトルのような「愛ある機械作り」という言葉も、この清次郎氏が残した社訓である。

 それにしても、10年前の写真の方が、今の六角より老けているように見えるのが不思議である。
 六角のお父さんの写真だと思っている人もいるらしい。

 今回も研究所が出てくる。
 でも六角電器の研究所ではない。
 
 ただし、六角電器の名は、舞台上のとあるところにちゃんと出てくる。
 一応、シリーズ第2作なのである。

 舞台を見れば、よっぽとぼんやりしてない限りは気付くはずなので、ちょっと心にとめておいて下さい。
 そんで、その名を見たら、なるほど、そんなふうに繋がっているのね、と納得して下され。

 まあ、この「アインシュタインの子供たち」を見たというお客さんは、今となっては、かなり少ないのではないかと思うけど……

 では今回出てくるのは、どんな研究所か、ということまで、今夜はお話ししましょう。

 研究所の所長の名は、柳恵三。
 実は、唯一、この人物だけが、「アインシュタイン~」に登場していた人物となっている。
 柳博士は、かつて六角電器の研究所のエースだった。
 東京大学を出て、マサチューセッツ工科大学に留学し、その当時、日本を代表する人工知能の学者だった。(ほんの10年前だけど、当時はまだパソコンなんか普及してない頃でした。舞台の小道具として使ったノート型のパソコンは、壊れたワープロだったものです……)

 その柳博士が、私財を投じて作った、ヒューマノイドの開発研究所が、今回の第一の舞台となる『森の里科学研究所』である。
 厚木の山奥に、森の里というところがあって、そこにひっそりと建っている設定だ。
 
 柳博士はその後、六角電器を離れ、というか引き抜かれ、アメリカの某最先端技術開発研究所に勤務していた。
 今回、劇中に登場する研究者たちは、皆、この時の部下たちである。
 とはいえ、アメリカ人とかはいない。
 そこら辺はまあ、ご都合主義になっている。
 
 この柳博士を演じているのが、杉山良一である。
 アインシュタイン~ でも、柳恵三を演じた。
 同じ人物を、違う作品で10年ぶりに演じているのである。

 こんなの劇団公演ならではの企画ですよ。

 冷徹な天才にして、野心家の科学者・柳恵三が、今はどんなことになっているのか……
 それは舞台を見て下さい。
 柳博士の出番は少ないけど、柳博士の物語こそが、今回の物語の根幹となるものです。

 にしても、10年前にやった芝居を元にして、今、新しいものを作ると、その10年前の舞台が、何かリアルな物語に思えてきて、柳恵三や、六角清次郎氏、という架空の人物たちが、実在の人たちだったような気がしてくるから面白い。

 しっかり予習できましたか?
 

 
 
  
  
 
 



稽古終わり(2005.11.22)

 朝から渋谷に行って、篠原さんとともに協会の打ち合わせ。NHKの近くの某ホテルまでアセアセと。
 隣で、山田太一先生が打ち合わせしてらして、思わずご招待状をお渡ししようと思ったら、何かヨレヨレのしかなかった。
 でも、仕方ないから、それをお渡し。
 講釈師、神田陽司師匠の真打ち昇進式でお会いして以来でござった。
 大人のためのワークショップとかでは、太一先生の戯曲をテキストとして使っています。見に来てくれたら嬉しいなあ。まあ、非常にお忙しいことではあろうが……

 その後、錦糸町へ。
 そんで最後の通し稽古。
 芝居は出来上がったような、まだまだのような。
 とても曖昧だけど、コントみたいな部分が多々あるので、ナンチュウか、早く人に見せてしまいたい、って感じ。
 この先はもう、人に見せなきゃ、完成しない。
 すべての芝居がそうだけど、今回のは特にそうだから、早く開幕してくれ、と思う。
 初日が待ち遠しいのである。
 そんな芝居はなかなかないぜ。
 不安でたまらない、とか言うのが普通だけどな。
 何せ、シリーズ最高傑作の自信作である。
 その上、最後に完成させるのは、お客様方である。
 ともあれ、稽古を打ち上げて、稽古場撤収。

 私は、その後、三軒茶屋に行き、劇作家協会会長と副会長と、打ち合わせを。
 坂手副会長の終演を待って。
 芝居も見たかったけど、それにはちょっと間に合わなかった。
 
 にしてもさ。
 あまりに不合理な移動であった。
 今も演劇界(非商業系)の中心は、渋谷、新宿、下北沢~
 そして世田谷方面、つまり西方なんだよね。

 しかるに、我らの本拠地は、東方の錦糸町にある。
 そのために、演劇界との付き合いとなると、大きく東へ西へと駆けずり回る始末となるのだ。
 
 にしても、ちと疲れ申した……
 もはや何もする気がしない。

 でも、明日からは、その西の更に西、厚木まで行くことになる。
 
 追伸
 新宿公演も、まだ客席が埋まってない。
 「百鬼丸」の時よりも良いペースではあるらしいが。
 「百鬼丸」も直前まで、かなり空いてて、こんなんで大丈夫なのかと思ってたら、バタバタと埋まりだし、気が付けば、最後の方は満員になってた。
 だから、まあ、今回もそのうちに、バタバタと来るだろうと、信じているけど、それにしても、うちのお客さん方は、あまりに油断していると思う。
 きっと、いつ行っても、空いてると思ってるんだろうな。
 まあ、当たってはいるけど。
 しかし、去年と違って、劇場のルール変更で、補助席とか出せなくなってるらしいから、なるべく早く予約して下さいませ。
 
 扉座公演は、来春もありますが、私の責任公演は、来秋までありません。
 年に一度のことですから、どうぞよろしく!

 あと一足早く、厚木で観る人は、感想とか書き込んで、盛り上げよろしくね。

 



いろいろ(2005.11.21)

 今日は稽古は休み。
 何だか休んでばっかじゃんて感じだけど、六角とたかシは今日も撮影。二人がいないと芝居にならないし、その上、オーバーワークも心配だから仕方ない。
 かく言う私も、いろいろ溜まった仕事をエイヤとやった。
 でもまだまだ山積みのノルマ多数。
 明日も朝から、渋谷に行って、協会の仕事やって、お昼は最後の通し稽古やって、そんで夜にまた三軒茶屋まで行って、協会の会長らと、ミーティングがある。
 とは言え、忙中閑あり、ちゅうか、無理矢理閑作り。
 池袋にちょっと出撃!
 古くから使ってる(というか結婚の時の記念品)モンブランの万年筆が、壊れたのを修理に出していたのが、直ったので、取りに行かねば、という表向きの用事を口実に、戦場に。
 しかし、今日は北斗ではなく、巨人の星だ。
 昨日、六角が、あんまり巨人の星、巨人の星と言っているのを聞いて、衝動が抑えがたくなった!
 やりてえやりてえ、とお経のように繰り返していた。
 パチスロ巨人の星が登場したのである。

 んでさっそく、勝負。
 が、2万円ほど、たんたんと注ぎ込んだが、小当たりがショボンと2回だけ。
 なーんの興奮もなく、何が面白のかもまったく分からずじまいで、ただ飛雄馬と一徹のノックとキャッチボールとうさぎ飛びをぼんやりと眺め続けていた。
 こんなことなら、黙って北斗やれば良かった。
 でも日曜なのでとても込んでて、よさげな台もなく、盛り上がりゼロで今日を終えた。

 そういえば、最近、うさぎ飛びって見かけないねえ、と思いました。
 
 



土曜日(2005.11.20)

 気が付けば、初日まで一週間を切っている。
 芝居は、その後、順調に縮まってきて、ただ今2時間5分あたり。
 最初の通しから20分分を切ったことになる。
 
 今回は踊りとか、集団パフォーマンスみたいな技モノがなくて、トントンと稽古が進み、稽古から10日ぐらいで、通し稽古をやった。
 この調子じゃ、別の芝居がもう一本仕上がるぜ、という感じの余裕だったが、六角と山中には「相棒」の撮影があって、たちまち時間が切迫してきた。
 終わってみれば、ちょうど良い加減の進行になっている。
 
 前半にダッシュしておいて良かった。

 今日は茅野が通しをご見学。
 感想とか聞こうかと思ったけど、気が付けば、芝居なんかドーでも良い感じの楽しい宴会になっていて、何も聞かず。
 まあ、個別にダメ出しを受けているんだろう。

  
 
 

 
 
 



長い一日(2005.11.17)

 お昼から「セリフの時代」の取材。
 演劇と教育の問題について。
 本来なら、原稿を書くべきなのだが、ちょっと今、難しいことを考える気分になれなくて、インタビューで勘弁して頂いた。

 その後、衣裳合わせ。
 その演劇と教育問題の聖地、富士見ヶ丘小の演劇教室に行くために、田中がトップバッターとして衣裳装着。
 まあ、特別な衣裳でもないので、簡単に済んで、きやつは、杉並へ。
 たぶん田中が今、忙しい。
 その次に忙しい、山中と六角を後回しにして、どんどん衣裳を着せていく。
 まあ、今回の作品は大半が有りモノ、なんだがね。
 
 その中でも、山中と六角だけは、特注品が何点か。
 それはもう、いわゆる出オチに近い、反則系衣裳。
 ま、本番を楽しみにして下さい。
 創立二十五年目にして、まだこんなアホみたいなことやってんのかと、全米が泣くこと請け合いである。

 相棒の撮影が夕方まであった六角の到着を待ち、衣裳を着けての通し稽古。
 着替えのために止め止めで、なんやかやで、九時半まで……
 くたくたでござる。

 ちなみに本日の芸なかタイムは、2時間8分ちょっとであった。
 すでに最初の通しから、20分近く短縮されている。
 厚木の初日までに、あと3分切って、2時間5分以内に収める予定である。

 明日もひたすらお稽古!



本日は(2005.11.16)

 通して、2時間11分。
 そんなに切ってないのに、どーして?
 田島名人が、たっぷりの間を縮めてくれたお陰とおもわれ。
 通しの後、三軒茶屋に行き、戯曲塾&教育部の相談。
 ハードな一日。
 
 明日はお昼に せりふの時代の取材。
 その後衣裳合わせと、またまた通し。
 
 北斗に行ってない!
 



通し稽古2(2005.11.15)

 お昼から稽古場行って、稽古。
 
 途中、FM川崎というラジオ局の電話取材。最大26分で~
と言われ、そんなに語ることねえぜ、と思っていたが、気が付けば、きっちりしゃべり倒していた。
 何と、おしゃべりな私……

 その後、通し稽古。
 今日は2時間19分。
 この一週間でケッコウ切ったつもりだったのに、がっかり。何としてもあと10分稽古場で切らねばならぬ。
 長くなったのは、
 途中のコント部分に、やたらとオカズがついていたせいもある。
 今回は、コントが入るのである。
 それもきっちり、お笑いとしてのコントだ。
 六角と山中が、お笑いコンビとして、ネタを披露することになっている。(テアトロ掲載の戯曲読んだ人は、もう知ってるだろけど。あのコンビは、二人が演じるのである)
 
 もちろん台本はあって、稽古もしてるのだけど、本物のお笑い芸人の話でもあり、そう言う意味で、即興性も大事にしたく思っている。なので、その場のノリでいろいろ変わるのは想定内となっている。でも、それであんまり長くなるのは困る。
 ここら辺の按配は、今後の検討課題であろう。

 久しぶりに稽古場に田中クンが来た。
 で、通しには出て貰ったのだが、何かやたらに緊張し、ただ立っていればよいところで、何だかフラついている。
 演劇インストラクターとして、それはどーよ?
 ワークショップ参加の皆さんに、リラックスして自然に立ちましょうとか言ってンじゃないのかい?

 まあ、ぜーんぜん、稽古してなくて、いきなりテンションの高い稽古場の、それも通し稽古に放り込まれたから、緊張も無理からぬ事ではあるが……

 稽古後、田中クンだけ居残りを命じて、小返しを。
 思えば、今稽古場にいる若者たちは、皆、研究所の田中クンの教え子たちである。
 師弟共演ではないか!
 ますます、田中に恥をかかせるワケにはいかん。

 帰りはたかシに車で送ってもらった。
 途中、上野で、山頭火ラーメンを奢る。
 たかシも、相棒の撮影と掛け持ちで、死にそうになっている。
  
 何しろ、お笑い芸人の役なので、好きなことし放題なんだけど、出番が多すぎて、まだ遊ぶ余裕なんかない。
 稽古場で、時々、大爆笑を引き起こしているのは、全部、トチリである。
 
 たかシ、全開まではもう少し時間がかかりそう。
 対して六角師匠は、たかシと同じくらい出番は多くて大変なはずなのに、唖然とするほどのノーストレス。
 リラックスしまくりで、やり放題で暴れている。

 今日は通しの途中で、発作的に意味なく、エビの天ぷらをロッテの渡辺のフォームで投げつけて、それが伴美奈子のあご辺りを直撃していた。
 伴はそっとエビ天を拾い、舞台の真ん中に置き戻した。
 結果、ますます無意味に、しばらくの間、エビ天が舞台のセンターに放置されることになった。
 
 それにしても、コントの中とはいえ、何でロッテの渡辺が突然登場するのか、まったく説明もナシ。
 しかも、六角は元々野球が下手くそで、投球フォームなんか、カタチにも何もなりゃしないのだ。
 
 加えて、実はそのエビ天は、後のシーンでも使う小道具で、その場面になって、オオ、エビ天がない!どっかに投げてしまった!
 と、慌てる始末。
 
 田中クンに六角師匠のリラックスの百分の一でも分けてあげて欲しい……



多摩から錦糸町へ(2005.11.14)

 朝から多摩へ。
 故佐藤一憲さんの一周忌。扉座は稽古開始を遅らせて、大勢で参加。
 ぽかんと突き抜けた秋の青空。

 そう言えば、佐藤さんの病室から見た小倉の空も、こんなふうに良く晴れて、青かった。
 それじゃ一足先に、東京に帰ってるからね。
 うん、すぐに治して年内には太鼓叩き始めますから……
 そう言い合って笑顔で別れたのに、その翌日、彼のカラダの中、寝ている間に出来ていた恐ろしい血栓が、肺に飛び、大切な血管を塞いでしまった。
 未だに信じられない出来事だった。
 
 私には早い1年だった。
 でも、それぞれの関わり方の中で、彼が消えてしまったこの1年間は途方もなく辛くて長い時間だった人たちもいるはず。

 厳粛に、言葉少なに、手を合わせる。
 でも、見上げればやっぱり快晴の空。
 そして紅葉の多摩の丘陵。
 
 鳥たちの囀りに混じって、佐藤さんの叩く陽気なリズムが聞こえてきた気がしたのは、私だけだったか……
 
 音は消えていない。
 私たちが、耳を澄ませ続けている限り。
 
 夕方からは錦糸町で稽古。
 山中と六角がテレビの撮影で、かなり時間を取られている。
 かなり早いピッチで進んできた稽古だったけど、それやこれやで、停滞気味である。なので、早朝からの撮影との掛け持ちで、見た目にも明らかに疲れている、たかシを待ちかまえて、休みも与えずに稽古に駆り立てる。
 気が付けば、夜になってた。
 
 朝から東京横断みたいなことになって、稽古もしたし、お腹も減った。
 またもや六角、有馬と今日は三千代を誘って、行きつけの韓国家庭料理店へ。
 安くて美味い、太平町の名店。
 
 そこには何とトムプロジェクト公演の稽古中の風間杜夫さんや綾田俊樹さんたちが先客でいた。
 その上にわしらも座り、狭い店は、たちまち演劇関係者だけで満席になった。
 なんちゅうか、錦糸町は今、すごいことになっている……
 
 今日は古株の会合になったので、古い話をアレコレと。
 思えば、六角と三千代も、ホントに長い付き合いだ。
 下手な家族よりずっと長く時を過ごしてきた。
 こういう絆は、他には得難い。
 
 今回の芝居はところどころにそういうものが感じられる、と思う。
 そして私らは今、そういう絆で結ばれた劇団での芝居作りを心底楽しんでいる。
 本当はお客さんより、楽しんではいけないんだけど、これが本音だ……
 でも、かつては、そう言えない時もあった。長くて貧しい旅が辛かったり、それぞれに我が儘で勝手なことを考えてぶつかり合ったり。
 そんなことを語り合うのも、今は愉快なのである。
 
 そんなこんなで生と死が交錯した一日だった。
 でも、重く辛いというよりも、しみじみと大事な一日、だった。 

 あと
 昨日は、辻井クンのリサイタルだった。
 私には未知なる演奏曲ばかり。
 ドビュッシー、ショパン……
 でも、前回のスロバキアフィルの時よりも、明らかに、迫力を増している。
 ピアノのオリンピックを闘ってきた、その痕跡を感じた。
 最年少での挑戦で、ファイナリストになり損なったと言っても、予選通過だけで大手柄なんだ、本当は。
 でも、本人には大きな挫折感があったのだろう。
 彼は自信に満ちあふれていたからね。
 
 しかしである。

 その挫折感が、演奏を大人にさせる、ってこともあるんじゃないかな。
 音に悲しみが漂うというか……
 人生の先輩として、少しだけ偉そうに言わせてもらうと、無垢で無邪気な天才は確かに凄いけど、傷を負った天才は、また別の凄さを見せるものだ。
 ましてや、人の心に届けるモノじゃないか。
 悲しみを知らないものが、悲しみを表現できるはずはないんだ。
 
 とにかく、昨日の辻井クンは、もう無邪気な少年ではなかった。
 とは言え、まだ大人でもなくて、敢えて言えば青年というやつだろうな……
 見た目は、まだまだ少年なんだけど……

 アンコールで弾いてくれた、即興曲「ワルシャワの思い出」。
 ドビュッシーとショパンの煌びやかな音の舞踏に幻惑された私の、音痴脳みそ、にひたすら優しく、癒しをくれた。
 どこまでも優しく、ぬくもりを持つメロディ。
 しかも、今、この時に、彼の指が生み出す、一期一会の即興曲。
 やっぱり、スゴイ作曲家だ、と改めて思った。

 追記
 愛知県館パビリオンのアテンド仕切りの田中姉さんから、思い出のプレゼント。
 アテンドの若い男の子たちが作った、思い出DVD。
 タイヘン大講演会の軌跡とか、パビリオンの日常風景とかが、ぎゅっと詰まった、その上に、とてもセンス良く面白く編集された私家版ドキュメンタリーである。
 素晴らしい!
 
 今年も終わりが近づいているのだね。
 今は『アトム』作りで、一杯だから実感ないけど、気が付くと、もう年末なんだろうな。
 
 明日は2度目の通し稽古。

 
 
 
  
 
  



稽古といろいろ(2005.11.12)

 稽古しつつ、果たすべき役目を粛々と。
 生本原稿書きをして、稽古場に。
 途中、サテンに寄り、読むべき本を読む、とか……

 稽古後は、六角、有馬、たかシと里沙、幸、景子というメンバーで錦糸町の韓国家庭料理店へ。
 与太話をしつつ晩飯を食う。
 またしても、隣に座った女性3人客から、テレビに出てますよねえと、六角が話しかけられる。
 当然、速攻でマネージャーとなり、公演の宣伝に励む。
 六角ブーム、本格的じゃん。
 
 さて、明日は稽古を休みにして、私は辻井クンのショパンコンクール帰国記念コンサートへ。
 辻井君の挑戦は、結局、予選通過で終わり、10人のファイナリスト入りは叶わなかった。
 けれど最年少の挑戦であり、予選通過だけでも、快挙である。
 こないだ、ニュースステーションでも取り上げられていたらしい。
 実を申せば、辻井君のソロリサイタルは初めて参加する。というより、そもそもまだ知り合って半年だ。
 それでもすっかり私は彼のファンであり、今、最も気になるアーチストの一人だ。
 明日は、しっかとその音を耳に刻みつけてくるぞよ。

 明後日は、佐藤一憲さんの一周忌のセレモニーが、相模原で行われる。
 命日には少し早いけど……

 あれからもう1年だ。
 未だに佐藤さんがいないということが信じられない。
 フラっと、稽古場に現れそうな気がしてならない。
 
 この秋の風の中、いろんな音が響き続けている。
 もちろんその中に、佐藤さんの音も鳴り続けている。



朝から(2005.11.08)

 パンフの撮影で、清澄公園に。
 文豪風なイメージで行きたいというのがデザイナーの吉野サンの意向であった。
 言われるままに、ポーズとかとる。
 文豪風になってたかなあ?
 でもカメラマンの山脇さんも、オッケーとか言ってたら、それで良いのだろう。

 こういう時の私は、ひたすら人任せな人間になる。
 今回パンフ作りは、すべて田中らスタッフにお任せ。私はナーンの意見も挟んでおらぬ。
 出来上がりがとても楽しみ、というまるでお客さん気分。
 尚、今回も売り物にするらしい。

 田中はそのために火を噴いて働いている。

 それを終えて稽古場に行って、稽古。
 有馬が工学院の授業(先生なのだ)から帰ってくるのを待って、何と通し稽古。
 いくらなんでも早すぎるタイミングだけど、とりあえず最後まで各自の居所は決めたから、まあ、全体でどれほどの長さで、どこが出来てて、どこが出来てないのか、確認のために無理矢理やってみた。

 案の定、セリフも入ってないとことかあったりして、各所で多々ノッキング。
 時間も2時間25分かかった。
 例によって紀伊国屋延長料金との闘いがここから始まる。
 目標は2時間10分以内。出来れば、2時間5分までに入れることだ。
 しかし、今の時点でこれなら、たぶんキッチリ入ってくるだろう。

 芝居については、半分は私が自分の書いたことを確認する通しみたいなもんだったんだけど、当初感じた、これは傑作になるという予感は、ますます膨らんだぞよ。
 まあ、好き嫌いはあろうが、未だかつてない手法の芝居で、と言っても大きく奇をてらっているわけでなく、極めてオーソドックスでありながら、新しい、ものになるはず。
 その上に、ここが大事なんだけど、絶対に退屈させない。
 芝居をよく知らない人でも、絶対に楽しめるエンタテイメントに仕上がる。
 それも、歌とか踊りとかの力ではなく、純粋に言葉と肉体の表現のみでね。

 もちろん、こっから細かく稽古して完成させて行くわけで、まだ油断してはイカンのだけど。
 
 1年半ぶりの新作は、期待を絶対裏切らない。
 これは約束できる。

 通しが終わって、思ったこととか新人たちに言ったりして、その後、また田中とパンフの仕事。
 今度は、バンフのためのインタビュー。
 今回、田中は、出演もするのだけど、稽古どころではない。
 だいたい、2時間ほどしゃべり倒したが、ヤツは今からそれを全部原稿にまとめるらしい。
 撮影して、稽古して、そんでその後にまたしゃべり倒したワシも大変だったが、田中はもっと大変そうだ。

 ちなみに今日の通し稽古で田中はなぜかガチガチに緊張し、少ないセリフをトチっておった。
 まあ稽古してないんだから仕方ないけど……
 でも、今や田中はエデュケーション部部長として、全国を飛び回り、人々に芝居を教える立場である。
 あんまりかっこ悪いと、面目丸つぶれだろうなあ……

 全国の田中先生の教え子の皆さん、田中クンに励ましの言葉をかけて上げて下さい!

 
 
 



有明コロシアム(2005.11.06)

 新バスケットボールリーグが開幕。
 扉座イベントチームがその栄えあるオープニングショウを担当した。
 私は春ぐらいから、赤星と基本構想や段取りだけ立てて、あとは茅野にバトンを渡した。

 そんで、こんとこは、アトムにかかりっきりで、すべて茅野と赤星にお任せだった。

 でも、二人とも立派にミッションをやり遂げた!
 素晴らしい出来映えであったぞよ。
 少ない予算ながら、チャチくなく、我々の愛する演劇的要素も満載で、感動の出来る内容だった。
 たった二十分だけど、きっちり歴史に足跡を残したね。

 ついでにわしの妹の倅。つまり甥まで、子役で引っ張り出してな。
 わしとしては、あんまり訳の分からない伯父さんの世界に少年を引きずり込みたくはなかったんだが、他に適当な子役が見当たらないという理屈で押し切られ、おまけに本人と回りの家族が二つ返事で引き受けてしまい、わしも唖然とする急展開で、気が付けば甥が大舞台の真ん中に立っていた。

 でもこの小学生が、なかなかよくやった。
 大舞台にも物怖じせず、リハーサルでも出来なかったことなんか、突然、本番でやってのけたりする。
 それが今時のガキのずうずうしさなのか、本人の性能の良さなのか。
 ここ数年、各地のガキに芝居を伝授し続けている犬飼(はだし雪駄)先生が、いや性能の良さですよ、といってたらから、才能があるのかも知れぬ。

 まあ、あんまりその気になられてもややこしいから、楽しい良い思い出に止めておいてくれればいいけど、それにしても、今日のステージはバッチリ決まった上に、場内の歓声とか盛り上がりも凄かったからな……
 消えないだろうな、その瞬間の血の逆流は……

 ともあれ、我がチームはミッションを無事果たして、その後は他の劇団員たちもともに、試合観戦。
 我らが東京アパッチ対新潟アルビレックス戦。

 これがサイコーに面白かった。
 もちろん我らはアパッチ軍の一員なワケで、応援のモチベーションが半端でないと事情もあった。
 せっかくオープニングが上手くいっても、今日の試合に負けたら、関係者一同のテンション下がりまくりだもんな……
 頼むから勝ってくれやあ!
 であった。

 でもそんな事情を差し置いても、この試合はスピーディで、カッコよく、エキサイティングな見せ物だったぞ。
 わしら扉座軍と、ショウの出演者たち(楽屋乾杯でかなり出来上がってた!)は終始ノリノリで、ずっと叫び続けであった。
 
 試合はずっとアパッチ優勢で進みながら、最後の最後にアルビレックスが根性で追い付いて、何と延長戦にまでもつれ、その後、アパッチがギリギリのところで、勝利を掴むという劇的なもの。

 終わったとき、わしらの声はみな枯れていた。
 稽古でも誰も枯らしてないのに。

 試合後は、月島に移動して、もんじゃで身内の打ち上げをヤッタ。
 久しぶりに楽しい一日であった。

 頭の悪いバスケット協会の内紛に業を煮やし、謀反を起こしたカタチで数チームが飛び出して作られたのが、このbjリーグで、そのために本家の協会からのさまざまな妨害工作が図られ、まったく世間的に話題にもなっていない。
 
 でも、今日のは掛け値なしに面白かった。
 わしらはすっかりアパッチブースターで、また応援に来ような、と誓い合ったのである。
  
 
  
 



昇天!(2005.11.03)

 本日前半は、早起きしてパソコンに向かい、ひたすら別件仕事。何と再来年の企画のもの~

 昨夜は戯曲塾の後、斉藤バンスキング憐先生と、女流劇作家篠原さんとで教育部ミーチングとなり、やはり帰りが遅くなった。
 錦糸町で稽古して、三茶行って、ゼミやって、打ち合わせしてヘロヘロで寝た。
 その結果の、いつにない早起きであった。

 んで午後過ぎまでがんばり、その後、もうダメだ、これ以上働いたら、具合が悪くなる、馬鹿なことしなきゃ、愚かなことしなきゃ、という切迫した気分になり、当然、二千××年の荒野に向かう。

 そこで諸君、喜んでくれ給え!
 
 もうまったくダメダメモードで、何台かに渡って三万ぐらいもってかれてたんだ。
 こないだ麻雀で、電車男にオカルトチックにというか、日本シリーズの阪神タイガース的に打ちのめされていることだし、こりゃたぶんしばらく博打運はないのだ、当分ダメだ。今日だってこれ以上やっても絶対にダメだ、ダメだダメだと何度も思いつつ……
 と理屈では分かっていても、もう今日は仕事はおろか、活字を読むのさえ億劫で、パチスロ場から離れたくないという、そんなネガティブな気分だけで、私のケンシロウはダラダラと破滅への道を歩いていたのである。
 
 とそんな時、突然アミバが出てきて、
 オレは天才だ……覚悟しろ!と闘いに向かってくれた。
 偽りの天才、アミバは闘ってくれれさえすれば、そのまま百パービッグボーナスゲットである。

 そしてキター!!!
 レインボーの7!
 以前ここで紹介した、北斗マーク揃いのレインボーには及ばぬが、とりあえず期待大の虹色だ。

 けれど、何しろこっちは、電車男の呪いがかかってるし、こんところの引きがまったく弱い。
 とにかくこの二月は、継続しないで、アッという間に倒れるケンシロウにしかお目にかかっていない。
 
 どうせ、ぬか喜びであろう。
 呆気なく終わるのだろう、と自虐的にせせら笑う私であった。

 ところが、今日の虹は本物だった!
 いきなり燃えるみかんを投げつけられるも、すかさずトキが現れて、かわしてくれた。
 んで、次には攻撃で、百烈拳!
 しかもそれがラオウにヒットし、ラオウは青い衝撃波に包まれつつ白目を剥いて吹っ飛んだ。

 するすると10回を越え、当然のように、ユアシャも聞こえてきた。

 ここまででも、時計購入問題以来ずーっとなかったことだ。
 本当に本当に久しぶりのユアシャだった。
 もちろん、歌ったさ。
 
 とりあえずユアシャまでは辿り着いたけど、そのうちまたショボンと終わるに決まってるんだ。
 あんまり期待しちゃいけない。
 これで充分。
 ユアシャが歌えただけで、幸せなんだと、自分に何度も言い聞かせた。
 
 だが今日のケンシロウは真の勇者だった。
 とにかくラオウの攻撃をかわす。
 トキとなり、レイとなって、闘い続ける。
 
 19回目のラオウのキック攻撃を受けて倒れつつも、すぐに自力で立ち上がったケンシロウの姿を見た時、私の目から本物の涙が溢れ出た。

 簡単に諦めるなよ。
 信じて闘い続ければ、勝利を得ることもあるんだぜ。
 
 ウオーと叫びつつ、立ち上がるケンシロウの姿は、私にそう語りかけていた。
 
 疑った私を許してくれ……
 
 心から、私はケンシロウに詫びたのだった。

 20を超えたら、もう、ラオウ昇天までケンシロウの負けはない。
 ただし、前回、初めてのラオウ昇天は、21回目の出来事だった。ちなみに六角師匠の最高記録は47連なのだそうだ。
 
 もちろん少しでも長く続いて欲しい。
 でも、わたしはもうここまでで感極まり、胸がいっぱいだった。
 あとは無我夢中でよく覚えていない。

 ハッと気づくと、32回目。
 総メダル4千三百数枚の時に、最後のバトルシーンとなり、ラオウは天に還ったのだった。
 
 ラオウよ、私にはあなたが最大の強敵だった……

 この場合、強敵と書いて、とも と読む。

 折しも、新作の稽古の最中。
 記念すべき、2度目のラオウ昇天であった。

 諸君、
 ツキが変わったよ。
 イケイケでいこーでないの。


  
 
    



六角と……(2005.11.01)

 六角精児と昨日は麻雀をやり。(茅野、有馬とともに)
 今日はパチスロをやった。
 昨夜は私をコテンパンにした六角だったが、今日はラオウにコテンパンにされていた。まあ、コテンパンてほどやってないから、コテン ぐらいだろうが。
 ともあれ、久しぶりに会ったのが嬉しくてか、成り行きか、ダラダと遊びほうけている私ら。

 でもそろそろ遊びも終わり。
 明日は、稽古後、私は三茶の劇作家協会戯曲塾へ行かねばならぬ。
 本当のこと言えば、人の書いた戯曲なんか、構ってる場合じゃないんだけどな。
 受け持ちの生徒がいるから仕方ない。
 公演の宣伝もしなきゃいかんし……
 
 それにしても、驚く六角精児の顔の知られぶり。パチスロ後に錦糸町のクルクル寿司に入ったのだが、そこで『電車男』と言われ、若いお嬢さん方に握手を求められる。

 昨夜、麻雀をしつつ、茅野がしきりに、売れてる人にはかなわねえ、と嘆いていたが、稽古後にパチスロとかやって、しょーもない与太話ししてる時にまで、そんなことがあると、確かに、そんな気分になる。

 ついこないだまで、そんなことはなかったのに、テレビの力ってのは、ホントに怖いモンですなあ~
 もちろん、私はマネージャーに徹して、皆さんに次回公演のチラシを配らせて頂きました。

 でもこれで、もう六角も変な場所とか、迂闊に出入り出来ません。
 有名になるのもタイヘンだよね。

 今日のお昼は、週刊金曜日の取材も受けた。
 公演のこととか。
 ちょっと宣伝が足りてないので、とても助かる。
 
 有名な六角さんが主役の新作です。
 皆さん、早くチケット買って!
 
 
 
 
 





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