2005年10月                             

厚木へ(2005.10.30)

 厚木高校での講演は、PTAの方々のためであった。
 学生がいるものと思っていって、ちょっと拍子抜け。というか、自分のやるべきことの全貌を把握せず、ふらーっとそんなとこに行ってしまう私も私ではある。

 もっともPTAとはいえ、すでに私と同年代の女性が主力である。中には、高校の同級生だった人までいる始末。
 高校生の親かよ~
 いつの間にわしはそんな歳になってるんや、と軽い目眩を覚えつつ……

 同世代人へのメッセージも私にはいろいろあるので、ほとんど準備なしではあったが、気がつけば、予定の九十分を小休止もなしでしゃべり通していた。

 つくづくわしはおしゃべりじゃ。

 厚木高校の後は、市民応援団の皆さんと、間もなくある厚木公演についてのミーティングを駅前の居酒屋で。
 
 そこに厚木名物・駄菓子問屋の千石屋のミナヨさんとともに、近藤正臣さんや銀之丞さんの会社の星野社長まで現れる。
 社長が、厚木にいたのはまったくの偶然だったらしいが、何とも深き縁を感じた夜でした。

 風邪気味な上に、こんとこちょっとオーバーワークで疲れ気味なので、すぐに帰ろうと思っていたのに、おしゃべりな私は、ここでもダラダラと話し続け、ラストイチマエのロマンスカーにやっと乗ったのだった。

 さて明日からは、立ち稽古。

 スッゲエ傑作ですと、あちこちで言いふらしている。
 ちゃんと傑作にしなきゃイカン。

 ちょうど1年前が、福岡国文祭開会式のクライマックス前夜って感じだったんだな。
 時が経つのは、ホントに早いなあと呆れつつ、今の仕事に没頭する日々……
 
 

 

 



風邪っぽい(2005.10.28)

 昨夜は錦糸町の正しい居酒屋・天紫亭で稽古後ご飯を。
 さんまの塩焼きが食いたくて、魚の美味い天紫にこだわる。そこで六角とひたすらパチスロ談義を。
 
 北斗の拳についてはすべてのデータが頭に入っている六角さん。いろいろと教えて頂く。ちなみに、一昨日の稽古休みの日にも12時間、やっていたのだそうな。
 もちろん肩も痛くなる。
 それでパチスロの後は、必ずマッサージを受けるんだって。

 プロ野球投手かよ。

 私は5時間ぐらいやったら、もうお腹一杯だけどな。
 たとえもっと出そうでも、そんなにやり続ける気力がない。
 さすが、パチスロ禁治産者である。
 何という執念か。
 見習いたくはないけど、感心する。

 ちなみに公演耳より情報。
 今回は、それやこれやで、芝居の中にまで北斗の話題が出てくることになった。

 もちろん、なーんにも知らなくてもなーんの問題もないが、当然のこと、多少なりとも知っていれば、楽しみが増えること請け合いである。
 なので、是非、一度やってみようという気持ちのある方は、観劇前のご体験をお勧めする。

 はつきり言って腕時計問題後の私、コテンバンにラオウに負け続けなのである。
 んで、芝居のネタにでも使わないと、気が済まない状態になっていた。
 結果、芝居の中身にまでソレが反映されることとなった。
 まあ、本筋にはまったく関係ないけど、それにしては重要なモチーフとして扱われている感じである。

 この際、今年になって使ったパチスロ代が戯曲執筆のための取材経費として落ちないかと現在画策中である。

 さて今日は、稽古とスタッフ会議。
 明日は私に、別の用事があって、稽古はお休み。
 たぶん六角さんは、ラオウ退治であろう。

 私は厚木へ。
 母校厚木高校で、何か講演会みたいのを頼まれている。
 タイトルは「厚高生への伝言」
 
 しかし何を話すかはまだ決めてない。
 まあ、厚木高校に対して言いたいことはいろいろあるので、何とかなろう。
 一般の人も入場できるようなので、暇な人は覗きに来ればよい。1時30分からだ。

 
 今年出た本と、アトムのチケットを少しでもたくさん売って来ることが明日の私の使命である。

 講演会後は、厚木市民応援団の皆さんと公演のためのミーチングの予定。

 百鬼丸の時は文化会館が改装中だったので、厚木における私の責任公演は、何と きらら 以来である。

 今回も厚木では学生千円!!!の特別席があるので、若者たちは是非、無駄にせず、集って欲しい。




 



へろへろ(2005.10.26)

 朝から大阪に。
 新幹線で、西岡徳馬さんとか。木場さんとか、吉田鋼太郎さんとか、やたら役者を見かけると思ったら、コクーン天保組の引っ越しであった。
 私は、それとはまったく関係なく、NHKの番組収録のために。
 放送は来年の頭なので、とりあえず内容は秘しておこうか。
 ただ、このために、ここ数日は、勉強しなくちゃいけなかった。
 歴史のお勉強。

 そういう番組である。

 にしても、収録時間は実質1時間ちょい。
 往復に要する時間が、5時間。

 これどうよ?

 まあ、その間に読むべき資料を読んだり、アトムの原稿の校正したりしてたから、良いんだけど。

 アトムは、来月9日発売のテアトロに掲載される。

 明日は稽古。
 まだ出演者が揃わないので細切れ稽古。
 みんな忙しい。

 
 



稽古はじまる(2005.10.25)

 新作の稽古。
 団員たちの都合で夕方から。

 その前に、愛知県県庁の方々の訪問を受ける。地球博のスタッフだった方々。わざわざ錦糸町まで来て下さった。
 百八万人の人たちが私たちの演し物を観て下ったのだそうな。
 最低観客は9人だったとか。客引きやって協会から叱られたとか。
 今となっては全部、楽しい苦労話に花が咲く。
 お疲れ様、お疲れ様、と気持ちよく言い合って、万博を締めた。

 さて稽古場。
 総出演者は20人。
 少人数っぽい芝居だけど、意外に大勢出るんだな、と、自分で書いていながら、ちょっと驚く。
 年に一度の、新作づくりだから、なるべくたくさんチャンスを上げたいという気持ちもあって役をたくさん作った面もある。

 若者たちには、そのチャンスをモノにして欲しいとハッパをかけた。
 
 それにしても久しぶりの芝居作りだ。

 福岡開会式から愛知博と、この一年間、ずっと芝居のようなことはやっていたけど、厳密に言って、芝居とは言えない感じのものばかりだったから、こういう当たり前の芝居作りがとても新鮮である。

 百鬼丸に出なかった六角や伴と芝居をするのも、2年ぶりである。

 とりあえず読み合わせをし、その後私はスタッフ会議を経て、初日の飲み会に。
 とにかく久しぶりの感じなので、近況報告しあうだけで、瞬く間に時が過ぎる。
 
 茅野と交代制の年一創作体制に入って2年目。
 劇団が新鮮に面白い。
 
 



芝居(2005.10.23)

 丁寧な手紙付きの招待状を貰って、初耳の集団の公演を見に行った。
 招待状はたくさん貰うし、手紙を添えられていることも、時々あるんだけど、何か、これだけはピンと来て、まあ、劇場が家の近くだと言うこともあり、雨の中を出かけていった。

 義理ある舞台も、失礼することの多い昨今、滅多にない気まぐれではある。

 いわたかプロデュースという集団。
 行って知ったことだが、ここの台本を書いている岩田さんという人が、10年前に善人会議の新人オーディションを受けたのだそうだ。

 誰の頃なんだろう、山中とかだろうか……

 それで、観た舞台であるが、これがとても良い出来であった。
 隅々にまで気を配って書いてあり、丁寧に演出され、稽古が積まれた舞台。
 日常の中のささやかな、行き違いや衝突のドラマなので、退屈になったり、凡庸になったりしがちなところを、手間と時間をかけて、素材の味が上手く出るまで、根気よく煮込んで、独特の個性を漂わせた。
 そんな感じの仕上がりであった。

 集団としての歴史は新しいけど、やってる人たちは、素人ではなく、それぞれに魅力と才能を持つ人だと思った。
 すでに神楽坂の劇場は満員であったが、もっと人気の出て良い劇団だ。
 何より岩田さんは書ける作家である。
 
 最初から、自分はポジティブなメッセージを発すると宣言していて、その通りになっているのが、ちょっと予定調和的で、物足りない感じはある。
 今後作家としての世界を広げるためには、もう一度、自分の持っているモノも検証し直して、自分の知らない自分に出会ってしまうようなことが必要だと思ったけど、今のチカラは十分にプロとしてやっていけるものだと思った。

 今度、茅野に紹介しようと思った。
 茅野は、今、新しい作家との出会いの時期なのである。 

 発作的に行った舞台で、こういう作品に出会うことは稀だし、それが多少なりとも縁のある人の、作品だと知って、嬉しくなった。

 うちの役者も観て使って下さいよ、とお願いしつつ、次回公演の招待状を岩田さんに渡して帰ってきた。

 
 



髪切りとか(2005.10.22)

 久しぶりに散髪へ。
 もちろん白髪隠しも。

 しかし、その色つけ作業が脳天に沁みる沁みる……

 疲れてるときや、寝不足の時は沁みる傾向大らしいが。
 それでも、白髪を消すのが優先である。
 美しくなりたい、女の執念にも似た、決意。
 
 ついでに鼻毛もやってもらえば良かったか。

 あと今日は、一日、調べ物。
 アトムとは違う世界のこと。
 故あって、付け焼き刃もいいところの、一夜漬け勉強。
 
 赤星から、
 こんな話し来てますけど、どうします?書き上げて稽古の最中って感じの時だと思うんで、断りますか?
 
と言われた時、

 アホかあ、そういうちゃんとした感じの仕事は、何があってもやらなアカンやろ。と。
 
 なぜか関西弁でたしなめ。強引にやることにした仕事である。
 引き受けておきながら、冷静に考えて、その大変さにちょっと焦り、慌てて支度に取りかかっているのである。

 簡単に言うと、近松の世界について、語って下さい、みたいなことである。

 近松は、その名も『ザ近松』っていうジュリーの音楽劇を大谷亮介氏とやっているのだが、調べたとこともかなり忘れているし、そもそもアカデミックに考えたことがなかったことに、今頃気づいたのであった。

 まあ、資料は残ってるから、それを頼りに勉強しているのであるが。

 実はまだまだ、他にもやらんとアカンことがあんねん。
 もちろん、アトムのことも考えなアカンし……

 何でこんなに忙しいんやろ。

 でも、結局、全部自分で引き受けているのである。
 どれもこれも、話だけ聞くと面白そうなんだもの。



来週から(2005.10.20)

 来週から稽古なのだが、やっつけるべき用事が次々と襲いかかってくる。
 来週に持ち越すと、地獄になるので、今のうちにとせっせとこなす。
 
 結石疑惑も晴れたので、欠席をしない。
 しょーもねー~

 今日は朝から劇作家協会へ行き、来年の戯曲塾の運営についての会議。
 その後、富士見ヶ丘へ行って、今年の小学校演劇授業の卒業制作をいかに進めるかの会議。

 小学校では、久しぶりに扉座田中に会う。
 田中は今日も私が会議に出ることを知らなかった様子。
 どうもご無沙汰していますと田中と挨拶。

 最近は、互いに、何をやっているかをよく知らないのである。
 皆さんと同じように、ここの日記や書き込みで情報を得ている状態である。

 大企業でもないのにな。
 にしても、同時にいろんなことが進行している。

 それぞれの世界が一つになれば、これはスゴイ・パワーだろうと思うぜ。

 茅野の動きだって、日記で知った。
 山中だって、日記で知った。
 だから日記がない上に書き込みもしない自由クンなんか、今、何をどうしてるか、まったく知らない。
 しかし、そんな人々と再会し、いよいよ月曜から毎日の稽古である。
 
 これはかなり新鮮である~



 追伸

 久しぶりに戯曲をテアトロに掲載してもらいます。
 来月の9日発売の号です。
 初日の遙か前に、戯曲先行公開になります。
 究極のネタバレですが、読んでから、観るのも面白い観劇法です。 
 
 ともあれ、シリーズ最高傑作、錦糸町が泣いた、アトムへの伝言をお楽しみに。
 
 
 
 



尿(2005.10.19)

 やっと尿検査に行く。
 とにかく家ではせずに、あちらへ行って、一番搾りを提出せねばならぬ。
 家の前からタクシーに乗って、放尿へ急ぐ。(地下鉄でも行けるけど、ちょっと遠回りなんだ)
 何と贅沢な小便か。

 そんで、提出してから、結果待ちで1時間ちょい。
 ドッグセンターから外出し、
 スポーツ新聞とか読みつつ、朝飯を食う。
 何しろ、今日の用事は、そこでおしっこするだけなんだ。
 変な用事だけど、大事な用事。
 そうか、古田が監督かあ、などと独り言をいい、再び戻り、結果を聞く。

 結果
 今日のには血は混じっていませんでした。
 ほっと一安心。
 蛋白も糖尿もナシ。

 とりあえず、来年の誕生日検査までは、安心か。
 それにしても、それでは、こないだの血は何だったのか?
 まだアトム執筆前ながら、何とかせねばと唸っていた頃かな。
 
 唸りが、内臓を痛めたか……
 まあ、芝居書きは、カラダに悪い。
 これは確か。

 そんな風に、身を削って書いた、やつを間もなく、稽古し始めます。

 



雨の日に脱稿(2005.10.18)

 昨日は宣言通り、ラオウに行った。
 結果は惨敗、というか、途中でバカらしくなって、試合放棄したって感じ。
 
 何しろ、2、3、1、1、1である……

 何のことか分からんだろが、分かる人よ、察してくれ。
 それぞれ三百以内ぐらいで来たから、出ない台でもなかったと思うが、何度、追い銭かけなきゃいけなかったか……
 三連続で、いきなり燃えみかん、食いの、復活なし。しかも最後は7ながらレインボーなのに、いきなりみかん食い死、というやつを見て、血が逆上し。その後、2チェスルー2回見届けた後、一筋の落涙とともに心が折れた。

 なんだよ、クソッ!

 とちゃんと声に出して、台を叩いて退店したぜ。
 読まなきゃいけない本が数冊あるんで、その後はみたすらサテンで読書した。

 夜になって麹町に移動。
 南京の周さんと1年ぶりに会う。
 赤星、ハンズの菊池さんも集まり、お食事を。
 しかし、よりによってこんな時に、小泉の靖国参りである。

 親日家で、知的な周さんは、自分からはこの話題に触れない。でも、無遠慮なワシらが触れる。
 以前、ココにも書いたけど、周さんは、南京という場所で日本との交流担当という仕事についている。
 かなり難しい立場だ。
 でも親日家なので、いろいろと日本のよいところを紹介してくれたりしているのだ。
 
 ただ、どんなに頑張っても、この靖国の問題が出るたびに、南京で、お前の好きな日本がまた裏切った。みたいに言われて哀しい思いをしているのという。
 まあ、この件に対する中国の反応もちょっと過剰すぎると、私も思うのであるが、実際、そうやって軋轢は生じているのだから仕方ない。
 
 しかしそういって哀しげにする周さんに、すんませんねえ、と詫びるしかない私であった。
 まったくなあ、もういいじゃねえかよ、来年で終わるんだからよぉ、純一郎である。
 へそ曲がりだから、行くなって声が上がれば上がるほど、絶対行く、って誰か言ってたけど。それが当たってるんだろうな。
 
 ただ、そんな日にも、こうして日本人と中国人が友情を結び合って、思うところを正直にぶつけあって、喧嘩にもならず、もっと仲良くしたいよねえ、と言い合える関係もあるのである。
 こういう小さな絆がたくさん結ばれていくしかないのだ。
 所詮、国なんて融通の利かないものなんだ。
 そんなものを超越して、私たちは、付き合って行けばいい。
 
 それには私たちがやったように、文化で交流するのが一番だ。と確信を深める。

 さて、
 
 アトムである。

 ついに脱稿し、事務所に送信した。
 今頃はもう印刷されて、一部は劇団員の手元に届いているんじゃないだろうか。

 予定通り、来週から稽古に入る。
 まあ途中、別の仕事したり、生理になって停滞したりしたが、だいたい2週間での書き上げだな。

 書き出すまでは、いつも通りもっとながーくかかってるけど。
 
 途中で言っているように。
 傑作。
 
 もしつまんなくなったら、それは役者のせいである。
 



地震とか(2005.10.17)

 夕方前に激しく揺れた。
 昨日今日と、ひたすら書き。
 揺れてる時も書きだった。
 かなり長く揺れた気もしたが、特に何が落下するワケでもなくやがて終息。

 さて、新作はついに、ゴールが見えた。
 その上、とりあえず、ゴールに入った。
 でも、まだ事務所には回さず、もうちょっと手元においておく。
 一日ぐらい放って置いて、もう1回アタマからざっとアタって、それで提出ってことになろうか。

 スタッフ、キャストのためには少しも早く渡した方がいいのは分かってるけど、後で変更する方がお互いに面倒臭いことも多いから、水曜日ぐらいかな。みんなに配れるようになるのは。

 今回は特に切羽詰まらず、綱渡りもせずにちゃんと稽古初日に全編が間に合いそうなワケで、いつものことながら、横内は偉いと自分で自分を誉めておく。
 さて、明日は誰が何と言おうと、ラオウに会いに行く。
 もしかしたら、開店から突入するかも知れない。

 もっとも一日中、ラオウ追跡をやっているワケにもいかず、さっそく処理しなきゃイカン課題が山積みである……
 何冊か、本も持ち歩くことになる。
 
 あと、夜には南京からいらした、中国の友人と再会する。
 国文祭の時にお世話になった、江蘇省のお役人さんである。
 1年ぶりの再会だ。

 

 
 



追いかけられて(2005.10.15)

 それなりにジワジワと進み、もう最後のコーナーが見えてきている。
 一方で、今後の仕事が、次々に襲いかかって来る気配を見せ始めている。
 書き上げても、次は演出があるのだから、別に暇になるワケじゃないんだがな……
 
 それでも、ここ数日で、どんどんお誘いやら、質問やら、脅しやら、お願いみたいのが、来ている。

 まあ、すべて自分でやる、と言ったものだから、仕方ないんですがね。
 それにしても気が重いぜ。
 マラソン走った後で、はい、次は水泳ね、みたいな。
 確かにトライアスロンという競技はあるが……

 心身共に疲れ気味。
 書き上げたらちょっと休みたいけど、そうはいかんだろうな。

 今日、トシノリ君に、セリフの一部を八戸弁にしてもらった。
 9月頃には、全部、八戸弁かもっていう噂もあったんだが、今日の依頼はほんの数行。
 
 それでも、私が方言辞典とかで調べて書いたのが、トシノリ先生に朱ペンをケッコウ入れられ、戻ってきた。
 全編八戸弁なんかにしてたら、どえりゃ~タイヘンだったじゃないか。
 こんなの一部で良かったぜ。

 ともあれ、そういうワケで、トシノリ君が、ほんの一部だけど、新作のセリフを誰より早く読んだ劇団員になったのであった。
 あれだけじゃ、絶対に、中身は把握できないと思うけど……

 
 



書き書き(2005.10.13)

 いよいよ第3コーナー回って最後の直線が見えて来た、っていうところ。
 でも、まだ一気にスパートしてダッシュ出来る距離じゃないって感じ。
 だから、まだ休み休み、振り返り振り返り、通り過ぎてきたとこ、チョコチョコ直しながら、進んでるところ。

 ここ4、5年、そうなんだが、書きの最中、時々、異常に寝付きが悪くなってしまう。
 軽い不眠症みたい。
 何日も連続で続いたりはしないけど、かなり辛い。
 いっそ寝ないで、書き続けちゃう手もあるとは思うけど、単純作業じゃないから、量こなしても意味がないのだ。
 寝不足でぼんやりしたアタマじゃ、芝居なんか書けないもんだ。

 そこら辺、たとえば音楽なんかはどうなんだろう?
 麻薬とかやったら、芝居書きは絶対無理だろう。私の場合、酒でもアウトだ。
 うつらうつらと、構想を練る段階なんかは、そういう時に思わぬ発見があったりして、良いときもあるけど、本気の書きは、まったく不可能だ。
 でも、ミュージシャンとか、絵描きとかは、シャブシャブでも、傑作作ったりするわけじゃん。
 
 やっぱり脳みその使う場所が違うんだろうな。

 ちなみに今日は本当は、ニョーの再検査に行く予定だったのだ。けれど、昨夜、突然襲いかかってきた不眠のために、断念したのだった。
 何しろ、ああ眠れない~と悶々とするうちに、夜が明けてしまった。
 これで、仮眠みたいな睡眠で、ニョー検査に行くのも辛いし、結果もますます不安になる。
 ニョー検査は来週に延期。

 そこまでにはゴールしよう。
 あと十日とちょっとで稽古開始なんである……
 ふう……
 

 



(2005.10.11)

 世間は連休だけど、関係なく芝居書き。

 今日は、横浜に、野外能を見に行く予定だったけど、雨で中止になった。
 芝居は、三分の2ぐらいまできてる。折り返しの頂上に登り切ったって感じ。ようやくラストまでが見渡せる高台に着いた。
 この場合、頂上で終わりではなく、登って下りて、一行程って話であるので、あしからず。

 でもね、ラストまで見渡せるとこまで来んのが、一苦労なんだ。
 それまでは、向こうに何が待ってるか、分からないけど、ひたすら進んで行かなきゃ行けない、苦しみ。しかも登り道。

 まあ、芝居書く人にしか分からない感覚だろうけど……

 ともあれ、進んでいる。
 かなりの手応え感じつつ。
 アインシュタイン~の続編でありながら、今までにまったくなかったタイプの芝居になる。
 未だかつてこれほど、笑えて、泣ける、芝居はなかったであろう。
 という感じに仕上がる予定。
 特に今回は、笑いそのものがテーマになってたりするのだ。
 間違いなく、私の代表作になるので、まだチケットの予約をしていない諸君は、早くしておくように。 

 さて、以前、紹介した天才ピアニストの、辻井伸行君だが、彼は今、ポーランドのワルシャワで、ショパン・コンクールという大変な試合に臨んでいる。
 5年に一度しか開かれない、ピアニストのオリンピツクみたいなやつだ。彼は最年少の挑戦者である。
 このコンテストは予選からファイナルまで、勝ち抜くとまるまる一と月かかるという。
 世界各国の天才が集まる大会らしい。

 友人の神山典士が、彼のルポをホームページでやっている。
 元々、超人的な辻井君だが、ここに来てますます神がかってきたようだ。他の選手と比べたらゼンゼン少ない練習時間で、それでも、ポーランドに行ってから、また新たなインスピレーシュンを得て、新境地を開いてるらしい。
 この街では、きっとショパンが聞いてるよ。
 なんて他愛もない言葉が、彼の魂を揺り動かすのだ。
 
 すでに、あちらでも注目を受け始めている様子。
 最初の予選は通過したらしい。
 今もこの時も、彼は闘っている。

 私ゃ、すでに彼に音楽発注してますからね。
 でも、そんなに大きくなりつつある彼に(もしも一等なんかになったら、その時から世界のツジイになっちゃうからな)、フラレないよう、私も頑張らなくては……

 



備忘録(2005.10.08)

 ワケもなく、そこに行けば何か良いことがある気がして、後楽園ゆうえんち経由で事務所に向かうことにする。
 遊園地内のカフェにでも座って、考えをまとめようかと思ったが、思いのほか人が多く、断念。
 あまりに楽しげに盛り上がる人たちの中で、ウンウン唸るのは、ちょっと苦しい。
 閑散としているのを狙って行ったのに……
 
 仕方なくドームホテル・ティルームに落ち着き、アトムの後半構想練り直しに取りかかる。
 折り返し地点に差し掛かった、この辺りが肝心要のチェックボポイントである。ここで慌てずに、今一度、ファーストシーンにまで遡って、構築し直す。
 当然、イチからの書き直しも覚悟しつつ。
 案の定、手直しの必要を数箇所発見。
 辛いけど……
 でも、それで段違いに良くなるのだから、悲しむべきことにはあらず。いつものことさ。
 まあ、まだ時間に余裕はある、と勝手に決める……

 歩いて移動して、
 飯田橋にて、某学校関係者の方々と打ち合わせ。

 続いて、
 今回の公演には出演しない、累央、麻里と会って、面談。公演の間の空いた時間を無駄にせぬようにと、指示。
 今回は、続く世代の者たちに、チャンスを与えるために、敢えて、二人は外したカタチになっている。
 特に問題があったワケではないので、あしからず。
 二人はそろそろ劇団の枠を飛び出して、次のステップに進む時期である。
 私は今までも、そういうことを度々やって来ている。彼らにもその時がやって来たというだけのこと。それは成長の証でもある。
 独り立ちの時だ。(劇団を辞めるワケでもない) 
 
 その後、厚木高校時代の演劇部の一個上の部長だった、横田先輩の訪問を受ける。
 今は神奈川の教育関係のポストに就いておられる。
 仕事の話もそこそこに、事務所近くの居酒屋で飯を食いつつ、来し方行く末を語り合う。
 懐かしく、でも未来への夢に溢れた幸福の時間。
 今はまったく別の世界にいるはずなのに、絆は結ばれ、思いは重なる。
 なんちゅうか、人智を越えた、不思議なご縁を感じる。

 本日、先輩から聞いた名言。
 逆風を受けて、若者や大人たちがあまりに簡単に挫けてしまう昨今の風潮を嘆きあっていたのであるが……

 ヨットは逆風の中でも、前に進む。

 と。
 逆風も、その受け止め方では、前に進むチカラになるのであるよ、諸君。
 しかと心に刻んでおこう。
 まあ、私の場合、最近は、逆風ってよりも、タイヘン続きの暴風圏って感じなんだけどね……
 
 はたまた、逆風より辛い、凪ってのもあるやもしれず。

 ともあれ、めまぐるしき、一日であった。

 さらに本日は、さまざまな打ち合わせ面会の最中、友人より嬉しい知らせあり。
 オメデトウ、オメデトウである。

 あとあと、ドームホテルで考え中に、つい気になって引き抜いた鼻毛が、

 白かった……

 そもそも人前で、鼻毛を抜くのが、どうよ、なのではあるが……
 長考にはいると、無意識でよくやってまう。
 そんでたまに、引き抜いた後、くしゃみをしたりする。
 にしても、鼻毛の白髪は、ちょっとヘコむ。
 

 
 

  
 
 
 



地道に(2005.10.07)

 執筆をしている。
 傑作の予感はずっとしているけれど、(まあ傑作じゃないと思ってやることはないんだが)まだ全貌が見えていない。龍の頭は確かに捕まえている感じなんだがな……
 慎重に龍の姿のまま、捕獲しなきゃイカン。だんだん蛇になるのはとても困る。
 竜頭蛇尾ってヤツですな。
 そうならないよう。ともかく頑張って書いてる。
 
 ネタとしては、ホームランのネタなんだ。
 ヒットは間違いないんだけど、これは二塁打で終えてはイカン。それぐらいのモノなんだ。
 半分は自分を戒める意味で、そう書いておこう。

 ちなみに、やっぱりロボット相撲は消えてなくなった。
 街の工場も消えた。
 変わりに、柳恵三という人物が、キーパーソンとして現れている。
 と言っても、分かる人は、極めて稀だろう。
 劇団員でも2、3人ではないかしら。
 分かる人は当ててみたまえ。

 さて、制作のさやかから連絡が来た。
 チケットがケッコウ売れているのだという。
 それも遠くのところに住む方からの申し込みが多いって。
 そうだな……
 百鬼丸以来のわしの新作なんだけど、その後に、博多に行って、名古屋に行って、それからやっとの公演だもんな。
 ずーっと地方に出てたワケで、そういう意味でも、東京以外にずいぶんタネを撒いてきたもんな。
 見て欲しいよ、アチコチで仲良くなった皆さんに、私の一番ベーシックな仕事ぶりを。
 
 ともあれ、ありがたいことである。
 そういう人たちの期待に応える意味でも、必ず立派な龍に仕上げなくてはならぬ。
 
 乞うご期待じゃ。

 
 
 
 



作家の生理日(2005.10.04)

 分量的には、三分の一ぐらいのとこには来ているのだが、何か気持ちが萎えて来て、ウダウダとしてしまった。
 ネットサーフインしたり、前に買っておいて読んでなかった本とか読み始めてしまったり。
 どうせ、ココまで書いた分も、書き直したりしなきゃいけないとこが出てくるのだから、油断してる場合じゃないんだが、
 気持ちが向かっていかない……

 ああ、いらいら、する。
 万引きしに行こうか。

 イライラしてはじめたショーもないこと。
 
 万年筆博士ペンの登場によって登板回数の減ったパーカーの万年筆を朱ペンに改造すること。
 朱ペンは、ボールペンを専ら使っていたけど、そうだ、赤いインクってのもあんじゃないか、と発作的に思いつき、お昼の散歩のついでに買ってきたのだ。

 単にインクスペアを、黒から朱に変えるだけのことである。

 が、かれこれ10年ほど、黒で使い続けてきたペンは、いろんなとこに黒の思想が染み着いているらしく、スペアを入れ替えたぐらいでは、なかなか赤くなってくれないのであった。
 
 書いても書いても、朱に黒が混じり、茶色のようになってしまう。
 思わず、スペアを取り出して、何度も確かめたが、確かに朱だ。
 けれど、それが黒い思想に汚される。

 赤化できない焦りを感じた。

 そして当局は、じれて、強硬手段に出た。
 ペン先を握りしめて、洗面所に行き、水攻めをもって、染みついた黒思想の一掃をはかったのである。
 水の色が完全に透明になるまで、水にさらし続けた。
 拷問だ。
 すっかり黒を吐き出すのだ。
 一点の残しもないように!
 その上で、新たな思想を受け入れよ、赤く染まれ!赤く染まれと叫びながら。 

 どうやら、その厳しい教化が効を奏したらしく、やっとこの反革命分子も、その先端から、赤色思想を発しはじめた。
 しかしまだまだ色が薄い。

 こいつが深紅の思想を語りはじめるには、まだしばらく鍛錬と教育が必要なようだ。

 なんの話しじゃ。
 作家の生理日は、自分でもワケが分からぬ。
 



見てもうた(2005.10.02)

 昨日は、久しぶりに事務所に行って、打ち合わせを。11月のバスケット関連のことで。
 もう情報がここにも載ってたな。
 いろんなことやるんです、わしら、ホントに。
 劇団維持のため、もあるけど、それ以上にこっち方面のことは、現在のわしらの興味の向くところという事情もある。

 大規模イベントの正しいあり方の追求ちゅうかね……
 わしらはグループで、その方面でのオーソリティになる決意なんである。
 来たる日のラスベガス、もしくはマカオ進出に向けての、ね。
 BJリーグがあまりに話題になってないのが、心配ではあるけどな……

 さて、それ以外は書き。
 地道に進めてます。
 
 んが、今日はテレビを見てしまった。
 ツタンカーメンのやつ。
 大嫌いなミイラものだ。
 わあ、やってる。ヤバイと思ったら、我慢できなくなって、たちまちチャンネル合わせて、そのままじっと見始めてしまった。

 とにかく、嫌なのに見てしまうのだ。
 しかも、じぃーっと見てしまう。
 相変わらず怖い。
 でも見てしまう。

 これは何なんだろうか。
 途中、ちょろっとアイスマンも出てきた。
 こっちはすでに見慣れた仲間。
 それでも、やっぱり、内心でジトリと嫌な汗が流れるんだけどね、今も尚。
 でもエジプトのミイラよりも、ずっと親しみを感じた。

 前にも述べたが、私は呪いとかは、まーったく怖くないのである。
 アイスマンだって、いろんな噂があったけど、ゼンゼン気にならなかった。
 ただ、ひからびて、じっと動かないミイラがひたすら怖い。何もしない、動かない。それが何より恐ろしい。
 
 そういえば、愛知県館のアイスマンである。
 もちろん、作り物なんだが。とりあえず、丸モノで、ケッコウ手間暇かけて作られている。
 
 本物とポーズが違うと度々指摘されていて、わしも違うじゃん、とスタッフに言ったのだが、入れるケースのスペースの都合で、仕方なく変えたのだと報告された。
 なので、愛知県に来るまでの間に、ちょっと溶けて、腕が動いた後のアイスマンとわしは解釈していた。
 ただ、顔とかはかなりリアルに出来ていた。

 んでそれは普段は奈落に収納されていた。でも妖精役の子たちの中には、奈落から出るために待機してるときに、アイスマンの方はゼッタイ見ない、って言う子もいたな。
 そりゃ、奈落の暗闇に横たわるミイラ模型も怖いぜ……
 わしも出来れば見たくない派だ。けど、あればたぶんじっと見てまうけどね。

 それはともかく、そのアイスマンを、扉座で引き取りませんか、という話があった。
 差し上げますから赤星の車に乗せて持って帰りませんか、って。
 しかし、あんなもの貰ってどーすんのよ、と言うことになって、我々は辞退した。高速の料金所とかで、引き留められて大騒ぎになったりしたら、面白いとも考えたものの、劇団倉庫に安置してあるのも、怖いしな。

 んで、その後、どうなったかは、正確には分かんのだが、
 打ち上げで耳にしたとこでは、博士たちの劇座が引き取ったとか、取らぬとか。
 まあ、いつどんな芝居にミイラが必要になるかは分からないから、いいんだが……
 どこにどうやって置いておくんだろうと、ちょっと心配だ。

 でもま、半年間、三千回以上、ともにステージを支え合った共演者だから、彼らには特別な絆も生まれているのかもしれない。
 劇座アトリエ公演の時なんかは、是非、彼も客席に座らせてというか、横たわらせて、彼らの芝居を見せてやって欲しいと思う。
 
 しかしその隣に座ったら、暗転の時とか、さぞ怖いだろう……

  
 
 

 
  
 
 
 
 
 

 
 
 





build by HLimgdiary Ver.1.23