台本書き(2005.09.29)
ぼらぼらの消えたパソコンに向かっています。
でもあんまり進みません。 芝居の書き方を忘れてしまったようで、半分ぐらいボーッとしています。 貯玉を全部吐きだしたせいか、書かねばと言う思いのためか、たぶん両方のせいで、北斗に行きたい衝動が沸き起こらぬのが、せめてもの幸いでしょうか。
ぐだぐだついでで、 ふと昨年の日記なんか見てみると、ちょうど1年前が、福岡へ旅立った日だったのですね。 国民文化祭を作るために、一ト月半の長期出張でした。 中洲のはずれの、ウィークリーマンションに引っ越したのです。 そういえば、その時、東京からちいさな観葉植物を1ヶ買って持っていったんです。 手間のかからない鉢植えなんだけど。 博多から小倉への引っ越しもずっと持ち歩いてね。 最後にはちゃんと持って帰りました。
それが今もうちにあって、元気に育っています。 少し大きくなったので、先日、鉢を大きくしてあげました。 あの時の博多は、まだ暑かったような気がしますけどね。 今夜の東京は、すでに秋の深まりみたいな涼しさですが。 まあ、あの時は、気温というより、こっちの熱気が熱かったような気がしますが。
あれからもう1年ですか…… 信じられないですなあ。 つい昨日の出来事のような、ずっと遠い日の思い出のような。 万博の終わりもそうだけど、僕らのやってるライブというのはね、作り上げた端から消えていくわけです。 集まった人々も、それを限りにバラバラになってね。 そういう切なさもまた、私がライブを愛する所以でもあるんですけど。
また集まろうね、何かやろうね、とか言っても、それぞれに新しい役目や目標が生まれたりして、実際は、それっきりってことの方が断然多い。 でもそれはとても健全なことなんですよね。 ずっと一つの思い出に止まることは、幸せとはいえないから。
それぞれにまた新しいことに夢中になって、そこで誰かと出会い、また絆を結び合う。 それでいいんですよね。
ちなみに、名古屋の時も、同じように小さな盆栽を一ヶ買って持っていってました。 ホテルの部屋に置いて、育ててた。 というか、共生してた。 これまたすくすくと伸びて、何か、妙にひょろ長い、変な枝振りの小盆栽になっています。 人生号とタイヘン丸です。
閑話休題(2005.09.27)
書き始めました。『アトムへの伝言』まだほんのはじまりの部分だけですがね。 しかしおそらく、キャリアの中でも1、2を争う傑作になりそうな予感がしています。 オオ、私が書きたかったのは、コレなのだ、って感じです。 まだ1行もないのに、すでにチケットは売り出しているという、いつも通りのふざけた事態になっていますが、大丈夫です。期待して下さい。
ところで、昨夜は万博総括だったので、書き落とした雑談を。
まず、デスクトップに泳いでいた日立提供のタイマイのぼらぼらですが、東京に帰ってパソコンを立ち上げると、画面に書き置きが。
「ぼらぼらは海に帰りました。今まで育ててくれてありがとう。けんすけとすごした毎日、楽しかったよ……」 みたいなの。
なんちゅうか、そっと消えた同棲中の女みたいな、海亀だと思わないか? 特に、けんすけとすごした日々……みたいな言い回しが、海亀を超越している。 そもそも私のこと、けんすけと呼ぶヤツなんかそんなにいないからね。 しかもぼらぼらがわしのこと、けんすけと呼んでたなんて、この書き置き見るまで知らなかった。 あいつ密かに、オレのこと、そんな風に呼んでたんだな…… もっとたくさん撫でてやれば良かったな。
ここにも一つの別れがあったのである。
にしても、ぼらぼら、わしのパソコンから、いったいどこを通って海に帰ったんだろうか? 確かに消えているのではあるが。
さてもう一つ。 例の北斗のパチスロ貯玉である。 実を申して、つい先日、合計をするとウン十万円分になっていることが判明した。 正確な金額は敢えて秘す。 もちろん勝ってるはずはないわけで、それ以上の投資をしているということである。 考えるとちょっと怖い。
愚行であることは百も承知。 けれど、その度に換金し、だらだらと使っていても、たいした違いはなかったろう。こうしてまとまった話しになる分、有意義と思いたい。ちなみに、パチスロ歴も十数年に及ぶと思われる六角精児がもし、私のような貯メダルをしていたら、ちょっとしたマンションは間違いなく購入できているはずだ。 ヤツはその金を、飲みと、パチスロに使い切っている。それでもで足りず、ほうぼうに借金まである。
何というか、今私は、もっと駄目なヤツのことを考えて自分が安心したくなった…… それはともかく、このまま貯め続けるのも面白いけど、パチスロ屋のカードにそんな金額が入り続けているのも心配である。お店が潰れても、たぶん保証とかないだろうし。 折しも誕生日であり、万博も終わりなので、当初の予定通り、馬鹿げた買い物に使ってしまうことを決意した。
まあ何でもよかったんだけど、ウン十万で、記念品となればやはり時計であろうと考えた。 今欲しいのは車なんだけど、残念ながら、それには及ばない。(ちょっとした中古なら買えたけどな……) そんで根城にしていた店を周り、ぜーんぶ換金して来たわけさ。 それは立派な札束であった。 こんなにあんのかあ~ と思うと、何か馬鹿な買い物の勢いが削がれてしまいそうだったけど、心を鬼にして、わしはコメ兵有楽町支店に向かったのであった。
なんで心を鬼にしなくちゃイカンのかは、自分でもさっぱり分からんが、自分内イベントを完遂することが私には大事なのだと、今は言っておこう。 時代は、自分内イベントだ。 一見、万博が無駄なもののように見えて、ケッコウ、面白く、世の中の潤滑油みたいなものになったのと同じようなものだ。 とにかくやるんだ、イベントは。理屈は後で考えよう。
名古屋のコメ兵が東京にも支店を出していて、そこに時計がドサっと安売りされていることを、わしは知っていた。 誰もが知ってる有名ブランドは排除しなくてはならない。 思わず、ロレックスとかカルチェとか、見入ってしまったけど、ここも自分を叱りつけて、名前ではなく、見た目のインパクトでの品選びを己に課す。 パチスロでコツコツ貯めた金で買う、ロレックスって、どーよ? なんか必死だな、お前、って気がしないか。 カラダ売って買う、ヴィトンみたいじゃねえ?
とにかく普通なら、ゼッタイ買わないような高級品を探すんだ。 ウン十万を、そこで使うという前提で、何にするか必死に決めるのである。 買うか買わぬかは、迷ってはいけない。 なんちゅーか、今考えても馬鹿なイベントである。 しかもそれを、誰にも知られずたった一人でやっているのだ。ついでに言えば、パリウム飲んで、ニョーに問題を指摘された後である。 バリウム下しの下剤を飲んだ後でもあって、ずっとお腹はごろごろ鳴ってる。 まったく意味不明の自分内イベントだった。
やがて候補は二つに絞られた。 アラン・シルベスタインてやつと、ジェラルド・ジェンタってやつ。ともに時計職人の名前である。 ただし、一見すると、どうみても玩具のようにしか見えないモノだ。 パチスロで取ったんだ。 ヘエー。 で、何の違和感もない。 ゴチャゴチャとなって、変な時計~ 店員と相談の結果、まあ世の中で持ってる人はこっちの方が少ないだろうという、ジェンタを選ぶ。アランはダリみたいな時計師で、十分に変な時計だけど、けっこうファンがいるのだそうだ。 そう言えば、以前、加藤和彦さんがはめていたのを見たことがある。 加藤さんは、仕事でストレスが溜まると、時計を衝動買いしてしまうのだそうだ。それで実にいろんなモノを所有しておられる。 今回の私は、スロットコインが溜まって買うのであるが。
正価は百万近い新品が、人気薄もあって、グーンとお安くなっていた。 て言っても、ウン十万円だ。 しかし店員と、そんなこと話している辺りで、私の感覚は完全におかしくなっていた。 たいしたイベントモードである。 遊び感覚でアセアセとそんなもの買っている私のこと、店員はどう思っただろうか……
さて、決め手は時間表示であった。 これが従来の時計とはまったく違うのだ。何かデジタルみたいに、表示される。でも歴とした自動巻の複雑時計だ。 万博チックであると思われた。
それで今、すでにそれは手元にある。 実は、名古屋にもそれをして行った。 ただし、万博滞在中、三日間使ってみて分かったことだが、コレが、見にくいの見にくくないのって、いろんな部分が特殊すぎて、時間を知るのに一苦労なのである。 しかも、別段、誰からも注目されなかった。 あくまでも自分内イベントだから、それでいっこう構わないのではあるが。 と言うわけで、春先から始まった北斗の闘いは、こうして第一章を終えたのである。 もちろん、これで辞めるつもりはない。 来年は、今回の二倍の規模のイベントにしようと、考えている。 もちろん、輪を掛けて馬鹿げた買い物を目指す。 新作を早く書き上げて、闘いに向かわねばならぬ。
万博が終わった。(2005.09.26)
金、土、日と万博。
金曜日は、博士の一人の千回を見届けて、その後ハンズ菊地社長に誘われて、エキスポドームでのユーミンのコンサートに。万博内コンサートと思ってナメてたんだけど、これがとんでもない偉業で、生涯でもベストスリーに入る感動的なものだった。
6台のピアノとピアニストたちの伴奏。アジアのアーチストたちのカタチだけでない、心の通じ合った共演。華美ではないけど、センスよくまとまった演出。 何よりも人間に対して手間と金のかかった、ステージだった。 はっきりいって、コンサートなんか初めて見た、みたいな観客も大勢いた無料のイベント。だけど、この情熱と手間のかけかた。最後には、初めてコンサート来たオバサンもオッサンも、誰に促される訳でもなく、自然に立ち上がって拍手を送ってた。 ユーミン、おそるべし。 こんなドラマのあるコンサートみたことないよ。 ハンズのスタッフや、山中の所属事務所のマユミ社長とかも来てて、パーティの片隅に混ぜて貰って深夜まで歓談。(タイヘン大講演会の博士決起集会もやった今池・味仙で!おまけにムッシュかまやつともお話) 各界セレブたちも、その偉大さを称え合っておった。
結局、我が儘なアーチストが、一番、良い仕事をするんだよな。 代理店や協会から言われたままのカタチじゃ、こんなことは出来なかったし、そもそも実現しなかったろうと、ある関係者は語っていた。 アーチストから、発想が生まれ、それを実現する方向でゴーサインが出て、走り出したんだそうだ。 それはユーミンやスタッフの我が儘を通したってことでもある。 でも、それがモノ作りってもんだよね。
ユーミンの規模には遠く及ばないけど、今回の万博では、オレと赤星も。ギリギリまでオレらがベストと思うプラン、だけど管理運営する側からすれば、苦労や心配の種となるアーチストの我が儘としか見えないようなことを、何とか遠そうと努力した。ユーミンプランドのような権威はないから、地道な話し合いを重ねるしか手がなくて、その分骨も折れたけどね。
けど、やつぱりそうやってこだわったところが、評価を受けたし、一番面白くなった。 終わってみれば、俺たちのプランに反対したり、疑問を持ってたりした人たちも、ヨカッタです、って言ってくれた。 同じようなことがあったんだ。
つくづく最後に、良いモノを見た。 このことは、コンサートの感動とともに、しっかりと胸に刻みつけておこうと思う。 我が儘を言わなくなった私を見たら、誰か忠告して欲しい。
さて、土、日は、ラストへのカウントダウンであった。 博士たちが、一人ずつ千回公演を達成させていく。 誰か一人ぐらい、アクシデントとか、逃亡とかあって、挫けるだろうと思ってたのに、全員完走だ。 しかも、それぞれにファンがついて、熱い応援なんか貰っていた。 素晴らしい。
楽屋に行くたびに「お前ら、何で、次回作の予定がねえんだ!」と博士たちを叱る。 呑気な劇座は、今このタイミングで宣伝すべき演し物の支度をしていないのである。
何でも良いから、予定決めて、年内に公演しろとけしかける。 だって、こんなチャンスはないだろう。半年のがんばりで、客がついてるんだよ、キャラクターを越えて、今や俳優それぞれに!
イベントの博士役なんか、必死にやってる時じゃねえぞ、このチャンスをちゃんと利用しろ!!!って。 例によって演出家にあるまじき暴言吐きまくり。
けれど、あくまでも真面目な劇座の諸君は、今は目の前の舞台のことで精一杯ですモード全開で、わしの言葉なんかひたすら迷惑みたいやった。 まあ、この誠実さがあってこその、千回全力投球であり、そこが観客を集めたんだけどね。 ラストは感動の舞台。3347回かな。百万人以上が見たそうな。 若井田チームの、ヒロちゃんらも来て、カーテンコールに並ぶ。 このラスト公演を見るために、徹夜で並んだ人も大勢いたらしい。 オープンの時はガラ空きだったんだ。アテンドやクルーたちが外にまで出て客引きまでしたりして。それでも空席の方が多いみたいなのが普通だった。 それが途中から、行列が出来はじめて、いろんなとこで話題になり出した。何度も万博に来た人たちが、結局、何が面白いか、語り合いだした時に、タイヘン大講演会のことを話題にしてくれたんだ。特にネットのチカラが大きかった。 ネットの応援で、人気が出て、大企業の大宣伝に負けないパワーになっていった。 電車男だよ、ホント。
その結果、立派な人気館になったんだ。何度も脚を運んでくれるリピーターがたくさん生まれた。たぶんリピート率はナンバー1なんじゃないだろうか。
もう二度と見ないとか言われるがっかりモノも多かった万博なんだがな。 昨日なんか入りきれない人が大勢いて、隣の広場のスクリーンに中継を出して、それを大勢の人が見ててくれたんだぜ。 素直に感動したな。 声を枯らして客引きするアテンドやクルーたちに実は申し訳ない気持ちで一杯だったんだ。 「面白いから、騙されたと思って見に来て下さーい!」 なんて、哀しいよね。 でも、そうやって何とか、盛り上げようとしてくれるのは、しみじみ有り難かった。実際、そうでもして埋めてくれなきゃ、今度は博士や妖精たちが、ガラーンとした劇場で限りなく淋しい思いをしなきゃならなかったからね。 で、いつかは「もう一杯で入れません」て、彼らに言わせてあげたいと思っていたのだ。 それが、現実になった。 夢も、たまに、適う。 私は今回それを知った。
にしても、そんな風に苦労したから、ここがアテンドやクルーも本当に仲間になった。実際、舞台にも立って貰ったしな。 ともに感動を分け合い、昨夜は泣き合ったけど、それは真実の瞬間だった。 出演者たちと、スタッフたちがこんなに一体になったパビリオンはたぶん他にはない。某企業パビなんか、管理からの指示により、出演者とアンダントの会話さえ禁止だったと聞く。
そんなもの、おもしろくなる訳ねーじゃんよォ。 だから、あんなつまんねーことになってんだよ!
これは名古屋の劇座と、舞台スタッフ、そして我ら扉座の愛する演劇界というか舞台人のしきたりやルールに、愛知県や代理店の運営チームや管理チームががんばって適応してくれて、そのチカラが、関係者と観客を巻き込んだ結果の勝利である。 ユーミンを見て、人間のスゴさを痛感した。 僕らも何よりも、人間のスゴさを見せたかった。 人間のチカラで、観客と絆を結びたかった。
それは成し遂げられた、と思う。 東京のニュースでは、相変わらず、死骸や空き家やロボットが人気でしたとか、魂のないコメント語ってるけどな。 実際は違うよ。 一番面白かったのは、やっぱり人と人の出会いと別れだったんだよ。 何十回と行った人たちは、たとえば外国館の人たちと友だちになってたんだし、たとえば気に入ったパビリオンの仲間が出来てたんだ。 死骸や空き家やロボットなんか、見たのは1回だよ。 あとは人に会いに行ってたんだ。 私も昨日なんか、人多すぎで、なーんにも見れやしなかったよ。 買い物さえめげた。
けどね、多くの人が、ここで出会った誰かに、サヨナラを言い来る必要があったんだよ。混雑なんか承知でさ。 ほとんどのメディアは、そこがよく分かってないよ。 愛知の人たちが、ただ暇な物好きだった訳じゃねえんだ。
最後の夜、渋滞で動かないタクシーの中で、某プロデュース・スタッフがこう言った。 タイヘン大講演会の成功により、今後、こういう催し物では、ライブが大流行になる気配ですよ……
そうなったら、それは僕らの勲章だよね。 きっと大勢の関係者やスタッフが、ココを読んでくれているから、みんなにメッセージを送ります。
僕らはチカラを合わせて、未来に向けて、花の種を撒いたんだ。 たくさんの情熱と親切をありがとう! また会いましょう。
とってもありがとう(2005.09.22)
人間ドックの、ドッグじゃないよ、どっくだよ、の結果、ついに再検査命令が出てしまった。 ニョーに、ちょっと血が混じってるんだと。 結石とかの可能性もあるので、もう1回来て、ニョーを提出するようにとのこと。 大便は正しく取れたけど、不覚にもニョーに綻びが出た。 たいしたことなければいいがな、今のとこ、自覚症状はまったくないんだけど、結石は死ぬほど痛いというからねえ。 セイユーギッズに出てた、村木君が、公演中に膀胱から尿道を進む行く石と格闘してて、冷や汗を掻いていたものだ。 年が年だから、何かあっても仕方ないけど、イヤだイヤだ。 あとはとくに異常なし。 ひたすらニョーが問題だ。
ともあれ、こうして私は44になった。 明日から名古屋。 万博を終わらせてきます。
昨日は(2005.09.21)
角野さんと河原さんをインタビュー。 角野さんという人は、とっても論理的な俳優さんで、お話も的を得ていて、お上手だった。 でも、もう少し、ご本人の地肌のようなものを引き出せたら良かったのになあ、とちょっと悔いが残る。 角野さんって、一見真面目そうだけど、抜け目がなくて小ズルかったり、いきなり狂ってしまったりする、おかしな魅力があると思うのよね。 学者じゃなくて、やつぱり役者なんだよな、って感覚さ。 そこにもっと踏み込みたかった、というのが個人的な反省である。ま、難しいことだけど。
河原さんは「井川遙版 ハカナ」の時に出てて、面識はあるものの、じっくり芝居の話はしたことがなかった。 何と言っても、伝説のハイレグ時代は、舞台に本物のうんこを並べていたり、丸裸でお客に抱きついたり、我々の思う演劇の枠をぶち壊していた人だから、油断ならぬ、というイメージなんだけど、実際は、極めて常識のある知性的な人であった。 まあ、その後、普通にいろんなお仕事してるんだから、当たり前ですけどね。 僕ら、打ち上げとかでも暴れてた、とか誤解されてますけど、飲み屋で裸になんか誰もなりませんからね、と河原さんは言ってたけど、確かに、そういうとこで裸になるのは、むしろ扉座だったりすんだよね。 表と裏の面白さだね。 扉座花見とか、ホント、とんでもないですからね。
さてその後、錦糸町に行き、すみだパークスタジオの方々と、若井田チームの皆さんと、今後のサーカス学校の展開などについて話し合い。 若井田チームには、がんばって貰わなくてはならない。今年は予定より生徒が集まらず、ちょっと苦戦しているのだ。 まだ世間の人々から、認知されてないから、仕方ないんだけど。 でも愛知博でも良い仕事ぶりで、評判は上がっているので、これからが勝負だ。 すみだパークの方々も応援してくれているんで、何とか成功させたいものである。
同席していたのが、お弟子さんの、ヒロコちゃんとアキちゃん、共に愛知博やサクラ大戦でも、活躍してくれた、美少女エアリアルアーチストである。 ホントに可愛いんだから。 写真でお見せ出来ないのが残念である。 のみならず彼女たちは、すっげえ、曲芸が出来るんだからね。高いととこに平気でぶら下がったり。 こういう人たちのプロフィールを載せておくホームページとか、ゼッタイ作った方が良いよと、田中と2人、力説する。 ボクでも出来たんです。誰でも出来ますと、田中はマジ説!
愛知博でも、せっかく彼女たちの演技が話題になってるのに、名前を調べる手がかりもないからね。 名前だけでなく、写真を見て姿や顔も分かれば、こんなにカワイイ女の子たちだったの、と、ますます話題になりファンも付いたろうに…… とてももったいない。 さて、 以前、ここでもその女優ぶりを紹介した、すみだの若奥様、久子さんが、パークカフェ内に、インディアンジュエリーのお店を出していた。 どっちかというと、茅野の世界っぽい石とか金属だな。 しかし、 ほほう、とかいってイチイチ説明受けながら見学した流れ的に、素通り出来なくなり(宝石展示会とかの宿命ですな)、若井田組の先生とお弟子様たちに、いっちゃん安いやつを、ありがとう、そんでがんばって記念にプレゼント。 もっと立派なヤツは関係が変わってからね。 ヒロちゃんと、アキちゃん、オジサンの言ってることの意味分かったろうか?
閑話休題。 まったく別の話。 諸君は、正しい大便の取り方 を知っているだろうか? そんなものに正しいも間違いもあるものかと侮るなかれ。 正しく取らないと検査が正しくできないんだから。 私は、そのパンフを熟読し、二日分を正しく採取した。 そう、明日は、人間ドッグである。 それを思うだけで、膨らんだ胃の壁をバリウムが伝う感覚が蘇り、ゲップが出そうになる。 はい、ゲップは我慢ですよ。まだまだですよ……
限りなく気が重いが、逃げていても仕方ないので、明日は朝から、人間ドッグ……
明日は(2005.09.20)
明日は、深夜劇場へようこそ 収録。
ゲストは、角野卓造さんと、元ハイレグで今はともさかさんの旦那様の 河原さん。なんちゅー紹介じゃ。
そのためにビデオを見たんだが、河原演出作品に、虎が出てた。ベンガルとかじゃねえよ。
石松に出てた、白秋やってた、虎クンだ。 出てきた途端、オオって、思ったら、クリオネ製作の舞台だったんだね。 加えて、むかーし、魔女宅に出てた、持田真樹ちゃんが、かなり大人になって、刺激的な芝居やってた。 真樹ちゃんも、いーね。 最近はいろんな舞台に出てるみたいだけど、頼もしいって思いましたね。
でもね、やっぱり、角野さんだよね。圧巻だよね。 放送するのは井上ひさし先生の「黙阿弥オペラ」ってやつだけど、正味三時間ちょっとですよ。ビデオで上下巻です。 勘弁してよ、と思うじゃん。 そんなにゆったり、人の芝居見てる場合じゃねえんだよ、こっちは…… でもね、見入ってしまいましたね。 上手い人ばっか集まって、やってるのもあるけど、良い仕事だなあ、って思う舞台なんですよね。
終わって、ちょっと溜め息付いて、ヤバイぜ、って思いましたね。 省みたのですね、自分が今、進めつつある仕事を。 同じ劇場でやるしね。 良い刺激と言えば、そうなんですが、簡単なことじゃありませんねえ。 こんだけ濃密な仕事に勝つって言うのは。 まあ、負けないでやろうと思って、その後、またうんうん唸りましたがね。
ところで、もうお手元には届いているでしょうか、扉座通信。 私もつい先日、受け取ったのですが、やっぱり、デタラメなこと言ってます、私。 次回作を大いに語るのコーナーです。 大いに嘘を語っています。 というか、この時には、嘘じゃなくて、本気で書いてあるようなことやろうと思ってたんですけど、今となると、もうまったく違います。 ガセネタじゃん、ってぐらい。 すみません、皆さん、忘れて下さい。 高校生なんか、結局一人も出てこないことになりそうです。 八戸弁も、たぶんトシノリが、ちょっと言うぐらいで、もしかしたらゼーンゼン出てこないかもしれません。 そんじゃ何のためのインタビューなんだ? すみません、私にも分かりません。 まあ、また一つ幻の舞台が生まれて消えた、ということで。
アトムの構想(2005.09.17)
なかなか前進しないけど、方針は固まってきて、プロット作りの日々。 その一方、やるべきことも多数。 読まなくちゃいけない本もいくつか。アトムとも関係ないモノ。今そんなの読んでる気分じゃねえよと思いつつも、全部自分で引き受けた仕事だから、仕方ない。 来週はいろいろ忙しいし…… 久しぶりに番組収録があって、恒例となったお誕生日ドックがあって、翌日からは名古屋にも行く。 万博の最後を見届けに行くのだ。 博士の千回講演達成が三人分あるし、もちろんラストステージにも立ち会いたい。 今、あちらは連日、20万人近い人が押し寄せていて、大変なことになってるらしい。 スタッフ側もいよいよカウントダウンに突入していて、感動モードというか、すでに泣きが入り出している。 最後の最後にはどうなっちゃうんだろうか、って感じだ。 あれほど閑散としていた我が講演会にも、かなり熱心なファンがついていて、すでに最終公演にいかにして入場するか、予約の争奪戦も始まっている。 東京では、もう何の話題にもなってない感じの万博だけど、名古屋じゃ、大事件になってるんだ。 まあ我々が圧倒的に評判になって、一番になるという目標は、冷静に見て半分ぐらいの達成というとこかもしれないけど、それでもこんなに盛り上がるとは思わなかったからな。 とにかく、うちのパビリオンについては、悪口が少ない。これが素晴らしい。 大きなとこに比べたら、やっぱり最後まで露出で差をつけられ続けてしまったけど、評判の中身は上だから、胸を張ろう。 最後には、みんなと一緒に泣いてくる。 もっとも半年がんばり続けた人たちのテンションには到底ついてけないだろうがな……
ぼらぼらと博士と直太郎(2005.09.16)
私のパソコンの画面を泳ぐ万博日立館提供のタイマイのぼらぼら にストレスがたまっていて、今、いっぱい撫でてあげたら、喜んだ。 しかし ぼらぼら 万博が終わるとどーなるんだろーか。 日立館の閉館とともに消えたりするのか? よく分からん…… あと実は一昨日、鳥取の万年筆博士(江古野博士にあらず)に新しい万年筆を発注してしまった。 先日、カタログを見ていたら、もう一本無性に欲しくなってしまったのだ。前に作ってもらったヤツは今や、手放せぬ必需品である。(昨夜語った芝居の構想をメモる時の大事な道具だ)んで、どんどん書き味がよくなってくる。 私の稀代の悪筆文字がキレイにならないのは、いかんともし難いが、馴染み具合がとってもいい。 んでんで、もしこれが壊れたりしたら、イヤだなあ、と心配になり始めた。もちろん壊さぬように大事にしてるけど、ともかくどこに行くときも携帯してるので、何が起きるか分からないし。 それに、前回と等しく、今、発注して、出来上がりは来年の秋なのだ。 一年間待つのである。 にしても、壊れたら、どーんとテンション下がってしまいそう、だから予備を確保しとこう、なんて思わせちゃうんだよね。 モノに宿る実力も無視できない。
ところで新万年筆をネットで注文したら、以前ホームページでご紹介下さりありがとうございました。 なんて博士から返信が来た。 恐るべし博士、そんなとこまでお見通しか。 アドレスとかを知らせたことなんかないのだよ。 確かにこの万年筆のことは書いたけどね。 バカげた買い物シリーズの一つとしてね。 あの時はまだ、実力を知らなかったから、こんなものに十万ですぜ、みたいな書き方だった……不明を恥ず…… でもそういうとこまで心配りしてるとこが、鳥取みたいなとこにありながら、全国に万年筆博士ありと名を轟かせるような名店となる秘密なんだろうな。製品の良さは当然のこととしてね。 扉座も見習わなくてはいけません。
さて、今日は銀座で、バスケの新リーグの仕事の打ち合わせ。扉座イベント部門の仕事だ。(これもおいおいお知らせします) その後、いろいろやって、私と赤星は最終的に、NHKホールで直太郎コンサートへ。 ユーミンに続いて、男2人でコンサートだ。 ホモ疑惑その2だな。 でも、直太郎の客層は、ユーミンとは違って、その筋っぽいのは、我々だけだった……(我々も違うけど)
心底、歌がうまいなあ、直太郎って、と素人みたいな感想ごめんよぉ。 もちろん、楽曲!も素晴らしいけどね、今日はしみじみと、歌を聴いた、って気がする。 上手い歌はたくさん聴いて来たんだ。この人生の中でも。 でも、なんというか、たとえば、彼が さくら~ と歌う時、本当にさくらが、舞ってる気がするんだよな。彼が震わせる空気の狭間に、はっきりとさくらが舞うんだよ。 こんな歌手はそんなにいないと思うよ。 生きとし生けるすべてのものへ~ を最後にギター一本で、ステージにあぐらを組んで座って歌ってくれた。 飾り気ナシの、そのままの歌。 昔、芝居の稽古場で、初めて彼の歌を聴いた時とまったく同じような、その感じ。 今や大アーチストだけど、新のアーチストってのは、肩書きとか、名前とか、そんなの抜きで、人の魂を震わせるものだって、当たり前だけど、簡単にはいかない大事なことを思い出させてくれた。 本物はギター一本でも、鳥取駅前にあっても、スゴイ。今日の結論である。
追伸 一晩寝たけど、面白さはまだ減ってない。 なんか、まとまるかも。 この方針で進むために、渋谷のリブロで関係資料を買い込む。 今から資料読みかよ、と呆れるなかれ。 いつも、そんなもんだ……
昨日今日(2005.09.15)
昨日は、事務所で制作会議。いろんなことについて。メインは来年の春の公演。茅野の責任公演で、トップス初登場になる公演だが、それをどうするのかについて。 方針は決まったので、そのうち発表されるであろう。今まででの茅野公演のあり方を抜本的に改革し、新しい世界作りに取りかかる予定である。 我らも改革の時代だ。 にしても、私の秋の新作公演はまだ1行も書き出していないのに…… その後、世田谷に行って、劇作家協会教育部部長としての仕事をあれこれと。久しぶりに講義もして、その後は懇親会。 伊代と、澤田達哉も元気に参加していた。 2人とも、活躍していて何より。特に達哉、またシアターアップルでやる某有名パフォーマンスチームのコントコーナーの仕事を依頼されたという。 今年の初夏に続いて2度目だ。てっきり一回目で、お払い箱だろうと読んでいたのに、こちらがびっくり。 むしろ、評判が良いのだという。 劇作塾の飲み会でも、まあトビラザもやったことない、アプルでやるんです、とか言いつつ、得意げにビラを配っておった。 怖いモノ知らずというか、思い込みと根拠のない自信の勢いというか、呆れるのを通り越して、感心した。 活躍するのはめでたい。 この勢いで、1コーナーでなく、全体の台本も書かせて貰え。
今日は1行もない新作の構想練りをウンウンと。 しかし、ウンウンの甲斐あって、ちょっと光が見えてきた。 今のとこは、これでいいじゃん、オレやっぱ天才じゃん、と思えている。 今夜一晩寝て、明日の朝、まだ半分ぐらいそう思えていたら、ようやく書き出しに向かって、進められそうだ。 いつものことだが、書き出すまでがタイヘンなのである。もちろん書き始めても書き直しとか、全部捨てて一から出直しとか、難所の山はあるのだが、自分で いいじゃん! と思っていよいよ一行目にとりかかろうか、という気分になるまでがホントにしんどい。 ここら辺のこと、戯曲塾の人々に、上手く伝えたいなあ、としみじみ思うよ。
ナニをどう書くか。タイトルとか、大きなテーマとかは半年前に決めているのに、実際書くまでには、私だって何日も呻吟し、苦しむのですよ。 書き始めたら、そこは技術も経験もあるから、かなり早いけど、これでいいのか?この方向で面白くなるのか……切り口を見つけたり、登場人物の姿が、言葉にして書けるような気分になるまでには、何度も練り直ししてるんだ。
戯曲塾の人々は、今、プロツト作りってやつに取り組んでいるのんだけど、私が今まさにその作業中なんだ。 そんでベガスから帰ってからのこの3週間で、バージョン違いも含めたら、もう20ぐらいの荒筋を組み立てたんだ。自分の公演だから、イチイチ丁寧に書きはしないけどね。メモと頭の中の構想としてさ。
でも、どれもイマイチ気に入らず、今日まで物語の迷路を彷徨していたのである。良いとも思っても、翌日に見直したら、魅力がすっかり消えていたり、思わぬ不備に気づいてしまったり。 プロット作りは本当にタイヘン。 でもここをしっかりやらなきゃ、結局全部やり直すことになるから。私はここで粘るのである。
で結局、これから届く扉座通信のインタビューとかで、田中クンに話したストーリーとは案の定、ゼンゼン違う話になりそうだ。 ゴメンなあ。 まだ変わるかもよ、とはいいつつ、ケッコウそのラインには拘って追いかけていたのである。 でも、いいな、と思いつつも、心のどこかで、イマイチやなあ、と思い続けて、すっきりしなかったのだ。
八戸の落ちこぼれ高校ロボット研究部が、伝説の六角博士のコーチを受けて心技体が一体となった究極の横綱ロボットを作って全国制覇する、っていう話し。 そのためにトシノリ君から、八戸弁を習う約束まで取り付けていたのに…… 私を天才だと思わせてくれた、今日の名案では、ロボット部も、八戸も、六角博士も今度の話からは消えそうだ。 まあ、明日、やっぱり凡才になってて、また新たに何を言い出してるか、分かんないから、すっかり消えたとは言い切れず、八戸編の復活、再検討もあり得るので、それはこの日記の中だけの話しということでね…… 今回の新作についてはちょっとずつ、ここで情報を流すので、公演に向けて、皆さん気分を高めて下さい。 ネタバレとか言って、中身のことを知るのが、とっても嫌な人は、見ない方がいいかもしれません。 もちろん、肝心なとこはゼッタイに漏らさないけどね。取材で話す程度のことは、ここに真っ先に書くってことだ。
選挙前日(2005.09.11)
錦織伊代のPPPを見に行く。 トシノリや景子も出ている上に、数代に渡る研究生たちが出ている。客席にも、トビラザ関係が勢揃い。尚かつ、大和の演劇教室の皆さんまで。
まずは集団としての勢いがある。 客席も単にお付き合いで来てるという以上に、期待を持って来ていることがわかる。 なんか劇団らしくなってきたな。 私が見たのは、昨年の明石スタジオ以来だけど。 1年ぐらいの間に、伊代の筆も演出力もすごく成長している。良いスタッフが一所懸命やってくれてるのも頼もしい。 前回の時は、まだ、ひたすらガンバレガンバレって感じだったけど、今日は冷静に評価出来た。 このまま行けば、マイナーメジャーになるのはすぐなんじゃないかな。それぐらいのチカラはある。 女の子の劇団は世に出やすいしね。 ちょっと影響力のあるオヤジを味方にすれば、たちまち人の噂にのるし、なんだなんだと関係者も集まってくる。 まあ、私もそういうオヤジの一人ではあろうが、この際、扉座色のない方面で売るのが得策だろう。でもそれが可能だと思う。 ただ、そうやって実力を付けてくると、当然のこと、次なる課題が生じてくる。 今日のホン、思いの外、よく書けてると感心したんだけど、それはあくまで予想以上ということで、絶対的にスゴイって思ったわけじゃないんだな。 まあ、そんな風にスゴイなんて思うのは、滅多にないことで、そんなのが出来上がってたら、大事件ではあるんだけど、しかし、今後、マイナーメジャーになって、その後、本多劇場とか紀伊国屋ホールとか、将来的に行けるような存在になるかどうかは、このボーダーを越えるか否かにかかっているんだ。 この場合、問題はテクニックじゃない。そんなものは経験でこれからどうにでもなっていく。 では何かというと、作家としての人生観とか、哲学みたいなものだ。 ここはタイヘンだよ。 たとえば、今日の芝居は、生者が死者からメッセージを受け取るストーリーだったけど、これは劇作的には王道中の王道である。言い換えれば、それだけこの世にはその筋の傑作があるというこだ。 そんな中で、今、新しい作家が同じテーマで何かを書くときに、それは今までの作品と何が違うのか。なぜそれが新しく語られなくてはならないのか、それをしっかりを見せなくては、頭一つ抜け出すことは難しいということだ。
そんなこと伊代に求めるなよ、PPPに求めるなよ。 そういう気分も確かにある。でもね、どうやら伊代とその仲間たちが目指しているのは、単なるピンク少女たちの不思議感覚じゃないんだよね。 前回の芝居もそうだったけど、そういう少女感覚とともに常に、生と死のドラマが提示されている。 である以上は、やはりそういう大きなドラマをキチンと新しいモノにして見せて、大人の観客も納得させていくチカラを付けなくてはいけないだろう。 そういう意味では、伊代の勉強も、役者たちの演技もまだ不足が目立つ。 死=涙 というのはあまりにも幼すぎるな。 友だちが、自然に病気で死んで行くような歳の大人になると、死者からのメッセージっていうものは、今日の舞台みたいに、単純に感傷的には聞こえて来ないんだよね。もっと複雑で、いろんな響きを持ってるもんなんだよ。 時には滑稽だったり、虚無的だったり、思いもよらない気持ちがかき立てられるもんなんだよ。 だから、今日のみたいに一色で括られると、死って、そんなものか、って思っちゃうな。
もちろんPPPは若いんだから、そんな大人の視点はいらない。 でもピンクの世界の死生観は必要だろう。 それがピンクの世界の死生観じゃなくて、死のテーマが出てきた途端に、ありきたりなドラマの構図で感動を追求し始めちゃう。 今日の舞台はそこが弱いと思うのである。 ピンクの死を見せて欲しいじゃんか、やっぱし。
まあ、ありきたりでもドラマを成立させるチカラを得ているということだから、それだけでも充分に誉められるんだけどな。 ともあれ、今後に期待が出来る。 これは嬉しい。 今泉がハマってて面白かった。 それぞれにがんばってて、またちゃんとしどころを与えて貰って、良く見えたけど、中でも最もハマってた。 そういう点に伊代の才能を強く感じた。 これじゃ今泉を誉めたことにならないか…… ともかく見た目がよい。まるで動く人形だ。
鬱(2005.09.09)
たくさん考えなくてはならない。 読まなきゃいけないものもたくさん。 生本も、また締め切り。 こないだ書いたばっかなのに。 その上に、明日は、業界組合のお役目を果たし朝から新宿まで行かなきゃならん。 当然、買い物するね、この感じじゃ。
また来た生理日イライラモード……
タイヘン講演会の博士ページ見てたら、日立館提供のパソコン内小動物のことが載ってた。 仕事したくない病の勢いで、クリックそしてダウンロード。 の結果、今、私のパソコン画面には、タイマイの「ボラボラ」がふわふわと泳いでいる。 カワイイ。
イライラながらも少し癒され。 けれど、こればっかいじり回して、またしても仕事が進まなくなり、新たなイライラのタネか。
それにしてもこれ、万博終わりで、死ぬのかしら? だとしたら、おそろしく短命となるが…… カメなのに。 ちなみに、劇団では、鈴木里沙がボラと呼ばれているけど、うちのボラボラはまったく関係ないのであしからず。 正月に行った、タヒチの島の名である。 そこで私はウミガメと泳いだ。 ああ、なんてのんびりとした幸せな時間だったことか…… いろんな役目ありすぎだぜ。
外回り(2005.09.08)
風が強い日だった。台風14号大暴れの後の東京。
お昼に能楽堂へ。 千之丞さんに会いに。 「寝音曲」という狂言を御簾の間という、舞台脇の小部屋から覗かせて頂く。 たった二十分の演目。 だけど、濃密な時間。 話としては、ナーンにもない、他愛もない従者と主人のやり取りなんだけどね。 おかしみが溢れている。 見れば見るほど、不思議な芸能である。
その後、喫茶店で、お話を。 来年の仕事なんだけど、最初に依頼された方向では、あんまり面白くならないと思い始めて、どうしましょうかと。 一言で言えば、原作が用意されてたんだけど、それをただ舞台化しても面白くならない気がする、というのが私の主張。 私がいつもかかる病の発病ではある。 こういって、三国志の劉備を女にしちゃったりするのである。 が、こういう時の私は必ず傑作も作っているのだぜ!
基本的には、お好きなようにやって下され、と言って頂いて、ちょっと安心。 自分なりに、このとこ狂言に触れて、その面白さを追求するものが、やりたい気持ちになっているので、ゴーサインを得て迷いが晴れる。 もっとも、すぐに取りかかる訳にはいかず、取りかかりは年末頃かなあ、という感じなのであるが…… その後、しばし四方山話を。 千之丞さんの話は、知的な刺激に満ちていて面白い。 夕方からは青山に移動。 ハンズの菊地社長と、まったく別の仕事、の可能性について話し合い。というか、情報を頂く。 その場に、思いがけぬ懐かしき顔が。 とびうめ国文祭の音楽監督、長谷川大さん。 長谷川さんの仕事「赤い夕陽のサイゴンホテル」とかは見てたけど、会うのは久しぶり。 打ち合わせもそこそこに居酒屋に行き、皆で、いろんな事話しつつ、晩ご飯。
やらなきゃいけないことは山積みながら、人との会話を楽しんだ日であった。
小倉(2005.09.06)
日曜日から一泊で小倉へ。 祖母の看病もかねて。 半年前に見舞いに行った時、ほとんど寝たきりだった祖母が、 私の来訪を知るなり、「ケンちゃん」と言って、起きあがり、 別れ際には病室の外まで、看護師さんの手を借りて立ち上がって 見送ってくれたのである。 けれど昨日は、小一時間ほど病室にいる間、ついに私のことが思い出せない様子だった。 ケンちゃんよ、と言われても、首を傾げて、じっと考え込む。 「何や、わからん……」という呟き。 何か、ひどく悩ませてしまったようで、申し訳なかった。 雨の日とかは特に調子が悪いようで、たまたま巡り合わせが 悪かっただけかもしれないけど、少し切なかった。 でも仕方ない。 九十五歳だもの。 今回私を会社の講演会で読んでくれた従兄弟らと会食。 従兄弟も北斗にはまっていたらしく、ひとしきり北斗話し。全国的に人心を掌握しているのだ、おそろべし北斗。 立候補すれば、トッブ当選確実か。
今日は、その講演会。 従兄弟の勤める某保険会社のセミナーみたいな会で、私はひたすら演劇の効用を説く。 ビジネスに何の役に立つのか、分からないけど、劇薬商人としては他に商うモノもない。 でも異業種の変人の戯言を皆さん熱心に聞いて下さった。 従兄弟が『夢見るちからは眠らない』を必死に販売してくれる。 ナイスアシスト! 血は水よりも濃し! さて北九州からの帰りの便は、台風で欠航に。 福岡に回る手配を。 んで新幹線で博多に向かったんだけど、その車中、何かそのままずっと電車に乗ってたくなった。 もちろん、そのままでは博多終点なので、乗り換えは必要なのだが……
んで、発作的に予定変更。 博多駅で、今来た線路を引き返すことにした。 そんなことなら小倉から乗れば良かったのだが、乗ってみて、はじめてカラダが電車を欲したのだ。 飛行機をキャンセルして、のぞみ号に。 5時間の新幹線の旅。 駅弁買って、週刊誌読んで、途中、居眠りしたりして、また起きて、車窓を眺めて…… どんなに長い旅かと思ったけど、これが意外に快適だった。 空港での待ち時間とか、羽田から家までの細かい乗り継ぎとか、そういうことを考えると、乗ったら後はひたすら揺れに身を任せてカダゴト行くだけの列車の旅、なかなかよろしい。 一人鉄道研究会だった。 ビュワーンと飛んで行く、景色を眺めつつ、故郷のことや、仕事のことや、人々のことをゆっくりと考えた。
写楽(2005.09.03)
写楽考を見てきた。 「きらら浮世伝」と重なる世界というか、執筆の時、大いに参考にさせて貰った作品である。 かつて善人会議の頃、私達を助けってくれていた、青年座の綾部さんという舞台美術家の代表作でもあった。 何度も聞いたものだ、西田敏行が演じた、伝説の舞台の話。 今回はマキノさんの演出。 マキノさんとの出会いは「きらら」である。京都の演劇祭で、これがマキノさんの演出で上演されることになって、その時が 本格的な出会いである。 厳密なる初対面はその少し前、やはりマキノさんが演出した小劇場大結集忘年会公演「広島に原爆を落とす日」で、私が吉田茂の役で出演した時だ。 古い話だが。 そう私は、キャストだったのだ……
ともあれ、いろんな意味で、思い出深く、縁のある作品。 そこにルオが出てる。 進行役という、矢代静一ならではの役。 本当に司会をする役だ。 あんまりルオに向いてるとも思えないけど、マキノさん流の 新演出の中では、ギリギリ成立してたかな。 なにしろ、ロックな写楽考だから。 うじきつよし が政治番組の司会やってたりする感覚かもと思いました。 にしても、ルオ君、自分の語ってることの何分の一かは、たぶん理解してなくて、それがバレてる感じが切ないぜ。
フェノロサなんて、何者か知ってるのかね?
この辺の新劇は、ホントにインテリの娯楽ですからね。私はましだしも写楽関係のことを調べたことがあるからいいけど、なーんにも知らない人が見たら、かなりわかんないとこがあるはずの舞台ではある。 昔の演劇人はやる方も見る方も頭良かったんだねぇ、物知りだったんだねえ……
でこの舞台で、感動したのは、何と言っても、西山水木。この人ともふるーい付き合いですがね。 ああ、実直に、頑固に、でも大好きな芝居とズルなしで付き合ってきたんだなあ、そんで、こんなにキレイに役を演じる人になったんだなあ、と年上の人だから、そんな言い方は失礼なんだけど、心から感心した。 決して収まりの良い芝居ではないのである。 実は写楽なんか描いてなくて、作者は、別に写楽でなくても言えることを、無理やり写楽の話にしてる。 そのデコボコ具合が、面白い作品でもあるのだが…… ただその中でも、お芝居らしいとこがあって、それは蛇足の如きラストシーンなんだけど、この場面の水木さんの芝居によって、この舞台が青い説教劇から、人間ドラマに昇華したといっていい。 ちょっと大袈裟だけど、ホントにいいから。(多くの人は前半の水木さんを誉めるだろうけどね。確かに良いけど、水木さんにしか出来ないことじゃないと思うんだよな。でも、ラストシーンは今の彼女にしか出来ないことをやってると思う)
久しぶりに、水木さんを見たけど、 ああ、私はこの人とやらなきゃいけなかった、と思いましたね。 古い仲間たちが良い仕事をしているのを見るのは、気持ちいい。そして、励みになる。 自分のやるべきことも見えてくる。 伊達に古くから業界にいるわけじゃないんだ。
明日は従兄弟に頼まれた仕事のために北九州へ。 台風が来てンだよね。 カトリーヌか?
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