2005年07月                             

夏の旅(2005.07.28)

 一泊で名古屋。万博会場に。
 台風一過の夏であった。
 あの寒かった長久手の丘に、ユラユラと陽炎が立っていた。んで、立てなくなって倒れてる人たちもたくさんいた。
 そりゃ、あの炎天下、大行列なんかさせられたら、具合も悪くなるよなあ……
 私は病み上がりなので、体力温存を第一に、パビリオン巡りなんかもほとんどせず、風通しの良いところで、ジュース啜りとかに専念していた。
 
 万博では、出し物の一部に登場して貰う司会役のオーディション。これはアテンドの希望者から選んで舞台に出て貰っている。
 場内整理ではなく、出演なわけで、希望者も多い。こちらとしてもせっかくの機会なので、なるべく多くの人にチャンスを上げたいと思っていて、春から何度か選抜会を続けているのである。
 この中から、芝居に興味を持って、始めてみようか、とか思う人も出そうなので、我ながら良い企画であった。
 人を雇う経費もないので、苦し紛れのアテンド起用策だったけど、二流のプロが出て来て流暢に手抜きしてくれるより、ガチガチにあがってて、変な英語アナウンスとかやってくれるのが、とても面白い。
 
 昨日はインドネシアの王妃様ご一行がたまたまご来館であった。
 バリで仕入れた一つ覚えの『テレマカシー』で、ご挨拶したけど、あちらは流暢な英語でお話になられておった。でも王妃様、ご一行も長久手の夏の暑さにおくたびれのご様子で、何かグッタリしておられたな。
 とにかく、夏の万博は疲れる。
 夕暮れになって、良い風が吹き、前回同様、愛知県館の近くで即席ビアホールを。スタッフやアテンド・クルー諸君も交えて。
 ロバート・ウィルソンの猿の池イベントや、ふみや万華鏡を眺めつつ。
 どっちも話題の割には、実質あんまり面白くないと悪評が立っているものであるが、こうして夜風に吹かれつつ、眺めていると非常に贅沢で良い風情である。
 
 とにかくこの万博はあくせくと何かを求めてはいけない。
 何というか、この空間自体をぼーんやりと味わうようにすると、意外に趣深い体験ができたりするのである。
 今回は、個人的にはウクライナ館の女の子がとても味わい深かった。すっごくスタイルの良い美人なんだけど、世界で一番ブータレタ感じで、レジんとこ座って鼻毛とか抜いてるの。
 美人台無しの風情だよ。
 仕事は大嫌いなんだろうな。暑いしね。
 でもね、私がニコッて笑いかけたら、その時だけ、ニコッて笑い返してきたのさ。
 仕事は嫌いだけど、遊びは大好きよ、って感じでな。
 何か、変な娼館でも覗いてる気持ちになったな。
 まあ、それだけで、特に何があったという訳でもないのだが、万博だよなあと、劇作家は思ったのである。
 
 聞けば、夜な夜な、外国館主催のパーティが開かれているのだという。みんな、半年の長久手暮らしだから、そんなことでもしてないとやってられないのだろう。たぶんそこにはいろんなドラマも起きているはずだ。
 ちょっとした芝居のネタには、なるだろうな。

 でも私は一晩で東京帰り。
 MOPの千秋楽に間に合うように新宿へ。
 始まって二十分ぐらいのところで地震が来た。
 ユサユサと触れる劇場。
 どうなる芝居?
 折しも三上クンが酔っぱらってフラフラ動いて出てくるシーンであった。
 何か、テキトーなことでも言うかなと思ったけど、ひたすらまともに続行。途中、館内放送とかも入っても、それでも続行。
 それはそれで一つの見識であった。
 地震に対して、ツッコミはじめたらキリないもんなあ……
 以降、何事もなかったかのように、千秋楽の芝居は盛り上がり、終わった。
 マキノ氏言うところの集大成の芝居。
 自作盗作の世界とも言える。
 剽窃と換骨奪胎はマキノ氏の常套手段なので、集大成らしい舞台だったな。
 ボブ・デュランは自作から三回盗作すると言った、のだそうだ。
 甲斐よしひろ氏がそう言っていた。
 オレもたくさん、甲斐からパクってる、と言っていたのを思い出した。
 
 甲斐と言えば、甲斐夏都って新人アーチストがいて、これがなかなかよろしい。
 最近のお薦め先物買い。
 
 
 
 
 
  
 



敗者いかず(2005.07.26)

 少し復活して、仕事に復帰。
 歯医者に行かねばなんだけど、まだセキがゴホゴホ出るので、こんなんで歯医者さんも迷惑だろうと思われ、自重する。
 また助手がモデルだったら、恥ずかしいしね。
 かなり寝て過ごしていたので、久しぶりに椅子に座っていると腰が痛い。
 あちこち痛くて、まるで老人だ。
 杉浦日向子さんが亡くなった。すれ違いのような面識しかないお方だけど、まだ若いのだ。同世代の人である。
 どっか痛いぐらいは、生きてる税、みたいなものであろう。
 さて、明日は、髪切り。
 のちに、NHKへ。
 佐藤信さんとシャンプーハットっていう劇団の赤堀さんにインタビュー。珍しく夕方からの収録である。
 佐藤さんはアングラの元祖にして、現代演劇界の巨星であるが、私の不得意分野系って感じなので、ちょぃと不安。不安のあまりに、劇作家協会つながりで斉藤憐さんに、私、何を聞けばよいのでしょう?なんてバカなメール質問をした。そしたら、ナイスなアドバイスをいくつか頂く。
 つくづく、もつべきものはコネである。
 赤堀さんはまったくの初対面。不思議な舞台を創る人だ。決して好みのテイストではなく、見ていて特に楽しくもないんだけど、何かしばらく経ってからいろいろ気になって来るみたいな、時間差で後を引く妙な磁力を持つ舞台。
 今は人気劇団なんだってね。
 ともあれ近づく嵐の中、渋谷に行くのだ。

 髪の毛はもう、どうにもならないほどボサボサに伸びた。
 その上に白髪が露出して来た。
 天使の手、ミス高橋に、若返りの秘術を施して貰ってくる。
 
 
 



グラグラ(2005.07.24)

 地震があったが、特にたいしたことはなかった。地方から、お見舞いメールも頂きましたけど、申し訳ないぐらい、ナーンにも壊れず、落ちず、ヒビ入らずでした。揺れたは揺れたけど、風邪でアタマがクラクラしてた時の方が揺れてた気がしたし……
 でも、ご心配くださった方々、どうもありがとう。
 それよりも、変な季節の発熱の影響か何か、昨夜、晩飯を食っていた時に、歯が欠けた。
 しじみの殻が、ガリっと当たったかな、て気がした後で、何か変なカケラが出てきた。
 歯の一部である。正確に言えば、被せモノの一部だ。しかもセラミックの良いヤツだ。保険の効かないコースの一本何万円かした自然色の宝物である。
 それが、何と自宅晩飯のしじみに負けた。
 せめて、料亭のアワビにでも負けてくれれば、まだしも負け甲斐もあったというものだが……
 確かコレは、以前住んでいた、護○寺のヤブ医者で入れたものだ。医者は若くてやたらに日焼けしていて、歯科助手二人がモデルみたいにスラットして、イケてる店だった。
 すっごい大きな英語の卒業証書みたいのが張り出してあって、しかもカッチョいい額に入っていた。何かアッチの大学で学んだ人なのかな、という感じだった。
 でも、これは後日、順番待ちの時に分かったんだけど、何のことはない、日大の歯学部の免状だった。日本大学なら、日本語でいいじゃねえかよ、なあ?
 まあ、真光元のおっさんの名誉学位の学校のではなかっ
が……
 ともあれそういう怪しいムード満点で、治療もやたらに痛かった。
 モデル助手につられて入ったんでしょ、といろんな人に言われたけど、その時は、歯の奥底まで膿んで、顔の半分が異様にふくれあがった状態で、とにかくこの痛みを取り去って下されというのが唯一にして最大の願いであった。たとえモデルがビキニで受け付けやっていても、ヤッタアと思う余裕もなかった。単に、その時、私の家から最も手近にあって、小ぎれいな店を選んだ結果である。
 助手のイケテル具合に気づいたのは、2回目からだ。
 ともかくそういう、怪しい医者に勧められて、入れたセラミックである。
 だから、ああ、やっぱり、と思う私もここにいる。
 
 さて、明日はすぐに歯を治しに行く。
 もちろん、モデルの店にはいかない。
 とりあえず一番近いことろのドアを開けてみる。そんでまたやたらに、イケテる姉さんが出てきたら、即座に締めて、今度はジミーなおばさんが出てくる店を探しに行く。
 か、どうか……

 なにしろ、今回はまだちっとも痛くないから、助手の容姿で決めてまうかもしれん……
 でもねでもね、本当に助手を指名出来る歯医者さんがあんだよね。話しでしか聞いたことないけど、ホステスみたいなの揃えてお待ちしてます、って店があんだよ。
 歯医者って、行くの嫌だものな。そういう楽しみでもあれば、通うよな。
 アフターとか、同伴とかもあんだろうか……
 麻酔後で、食い物こぼしたりしたら、優しく拭いてくれたりして……
 しかしたぶんそのコースはベンツ一台分ぐらい、口の中にかかる計算だろうな。
 口の中のベンツってのも、なかなか洒落てるけど。
 普通のベンツもないのに、口の中にあってもなあ……



昨日から(2005.07.23)

 何か、変な風邪をひいた。扁桃腺かもしれない。
 喉の奥に、タンがからまって、呼吸が苦しい。外もじとじと暑いけど、加えて体内も、モアッと熱い。どしたらいいんだ……
 今日は厚木の子供塾に行く予定にしていたのに、キャンセルしてしまった。芝居とかもいろいろ見に行かなきゃいけないのに、とりあえず、思考も行動も停止状態。
 ぼんやりとして、ゼエゼエ言っている。

 にしても、山本亨だ。
 花園で会ったときに、真顔で止めればよかったと今更ながら後悔。とんでもない高所から、ジャンプしてるのを、偉い偉いと
誉めてしまった。
 春の「あずみ」の時も、若者に負けぬ立ち回りをやってるのを
、偉い偉いと言ってしまって、その勢いでますますおだてた。本人は「でしょ?」と笑っていたけど、あそこは真剣に気をつけてと言うべきだった。
 いくらなんでも、そりゃカラダが悲鳴を上げますよ。そんなことしてる上に、毎晩飲み続けだしね。決して若者じゃないんだから……
 今後のためにも、しっかり休んで、完治させて欲しい。

 今年は2度目の発熱だな。
 名古屋のホテルで、喘いだ時以来。
 あの時は寒いのと、熊本強行往復のハードスケジュールが重なって、苦しかった。
 今回はたいして、ハードでもなかったんだけどな。
 まあ、神様が休めと言ってるんだから、抵抗せずに、しばしサボる。


 

 
 
 
 
 



二十一世紀(2005.07.20)

 二十一世紀歌舞伎組の人々と会食。久しぶり。
 来年「雪之丞変化2001年」を久しぶりにやる予定になっていて、その決起集会のようなもの。
 猿之助さんが、本調子でない今、我々が結束してやらねば、とすでに右近さんたちは、この1年、必死に闘い続けているけれど、その仲間に私も入る。
 ゼッタイに成功させなくてはいかんなあ、と思う。
 しかし、2001年を未来のこととして書いた芝居で、その2001年がすでに過去のことになっている今、雪之丞変化の時代劇部分は良いとしても、それを取り囲んでいる現代部分が、とても今には通用しそうにないので、書き直さねばならぬ。
 タイトルも、2001年ではなくなる予定。
 にしても、不思議な感覚である。
 近未来だったのだ。2001年が。
 そう言えば、初演で軽井沢に呼ばれた頃は、携帯電話もなかった時代だ。
 弟子たちも、わざわざ別荘を抜け出して、公衆電話に電話をかけに行かなくては、誰とも連絡が取れなかった、と言っていた。
 かれこれ15年も前の話しで、それを思うと、ああ、昔話だと思うけど、本人の意識の中では、そんなのついこないだのことのような気もして、十年ぐらいがひとかたまりで、ビューっと飛んでいく。これも、歳を取った証であろう。
 最初にあったときは、別荘に缶詰になった私のお世話係で、ひたすら寡黙だった笑三郎さんが、熱く芝居を語っている。
 何か、人間が変わったんじゃないかなんて、びつくりしたけど、彼もすでに三十半ばになっている。
 一門の大きな柱なのだ。
 あの頃とは背負っているものが違う。
 自分では気づかないけど、私にもそういう変化が起きているのであろうか。
 まあ、わしはそんなに変わってない気がするが……



花園っ(2005.07.19)

 お昼に汐留方面で打ち合わせして、夕刻から新宿へ。花園の野外劇を観に。
 新宿で伊勢丹とか久しぶりに覗く。でも今年は見事にバーゲンを取りこぼした。まあ、無駄遣いしなくて良かったけど。もう秋物だもんな。でもいらんよなあ、秋物なんか。

 んで花園までの時間調整で、お茶啜ってたら、ユウカどん母娘に会う。ただのお買い物途中だった。友だちみたいな親子だね。と言うか、そうかユウカ辺りはわしの娘でもおかしくないんやなと、しみじみ思った。

 それはさておき、芝居である。
 久しぶりに演劇人になった。
 ジロチョウ一家のモボの作品。
 モボらしい、メルヘンチックな、後味の良い芝居。何度も書き直して、大勢の出演者の出どこ作ったりして、労作の後はよく見える。
 お疲れ様、怒濤の半年をよく生き延びた。まあ、しばし、骨休みしなよ、って感じ。

 ただな、今、この時期に新宿の闇市を描くって言うのは、これは神様がくれた、大ホームランのチャンスだったと思うのである。
 戦後60年で、今尚、過去のツケに悩まされている日本と、今まさに、闇市が生まれて、混沌の中にありつつ、ヤンキーゴーホームを叫んでいるイラクと、ロンドンの自爆テロだよ。
 今日の物語は、闇市を懐かしむ話だったがね、闇市はただ懐かしいのみならず、ジャストナウなんだな。
 新宿の野外で、新宿の昔を語りつつ、今へ対して強いメッセージを送り、人々の胸を打つ大チャンスだったんだ。
 しかし、舞台がそこに至っていない。
 うわあ、もったいねえ、って感じ。
 最後のダイナマイトはロンドンの爆弾だし、闇市の朝鮮人と日本人は、たとえばイラクのシーア派とスンニ派だよ。殺し合うしかないんだよ、何で分からないんだって叫びながら。それぞれに事情を抱えて。
 でも、アメリカに対しては、共通の敵愾心を抱いたりする。そういう複雑な愛憎が渦巻く場だろう。
 最後のゴールデン街の出現は、メルヘンの終わりとしては収まってるけど、その先に、イラクやアフガンの闇市があって欲しかった。
 そこでは60年を経て日本人が、GIの立場でいるんだよ。60年前に、占領された時の気持ちを忘れて、正義だと言い張って、介入してるんだよ。
 60年前の人たちが本当に助けて欲しいと思ったことを、60年後の人々が、やっているのか?もしかしたら、迷惑だ、余計なお世話だと思ったことをやっちまってるんじゃないのか?
 その60年の東京と今のイラクやアフガンの風景が重なる時、
60年前の敗戦の新宿で、魂や肉体を切り売りしながらも、生き抜いた人々の涙と怒りと少しの笑いが、我々に対して、重要な問いかけをしてきたのではなかったかな。

 この絶好球を、真芯で叩けなかったことは、反省材料にした方が良いと思う。
 今度、絶好球と出会う日のために。 

 今日はモボと語り合いたかった。
 されどモボは不在。
 毎日居ろよ、と言っておく。

 いろんな人にあった。三木シン一郎クンとか、山中たかシさんとか。多士済々。
 たかシさんのページ、視聴率高そうなんで、意識してますよ、とご挨拶しておいた。
 負けたくねえ……
 



夜打ち(2005.07.16)

 まともな仕事じゃないなあ、と常々思う。
 昨日は七時から十二時過ぎまで、銀座で打ち合わせ。
 今日は午後10時!から12時過ぎまで品川で打ち合わせ。
 
 特に今日は、劇作家協会のことで、富士見ヶ丘小の卒業公演について、青井陽治さんらと、扉座から出向している田中なんかも一緒で。
 演劇人が集まるためには、こんな時間しかないのである。
 青井さんのお稽古終わりに合わせて、品川プリンスの24時間営業のファミレスみたいなとこで。でもね、ここがチョー満員なのだ。
 もちろん遊びの人たちですよ、皆さん。
 盛り上がってるぜ、品川って感じ。
 あまりに賑やかで、わさわさと人がいるから、時間を忘れてしまいそうであった。

 にしても、そんな場所で、そんな時間に、小学校の学芸会の正しいあり方について、語り合う俺らって、何よ?と我ながら不思議に思うのである。
 浮世離れしてるなあ、というか、世間の常識の外側じゃなあ、と思わざるを得ない。
 わしらはいたって真面目に話し合っているのだけれど、周りはバカンス早取り、梅雨の合間の週末の夜!って感じで埋まっててさ。
 レストラン空間に、亀裂が走っとった……

 てか、要するに、わしも遊びたいと思ったのだろうな。
 遊んでないわけでもないんだけど、最近はもっぱら一人遊びばっかりだから……
 


 
 
 
 
 
 



うつうつ(2005.07.14)

 年に何回かある、作家の生理日。
 イライラして、カラダか重く、頭が痛い。
 女の生理日になったことはないから、生理日というのは正しくないかもしれないが、作家の生理日はこんなのだ。
 まあ、どちらも、なってみなきゃ、分からんだろうな。
 とにかく、全部、嫌になってまう。
 やんなきゃいけないことは目白押しなんだけど、とりあえず、明日までに何か、ってわけでもない状態なので、余計に気だけが焦って、神経がピリピリするのだ。
 その勢いで今日は、思わず万引きをしてしまった。
 というのはウソ。
 
 昨夜は劇作家協会の戯曲塾だった。
 大人から子供から、経験者や素人や。いろんな立場とか、経歴から、人は劇作家を目指すのである。
 その中に、タツヤとイヨもいた。
 二人はすでに、金取って客に見せている立場だからね。受講生の中でも、玄人よりなのである。
 でも、オーソドックスってもんを全く知らぬ人たちなので、こういう場に来て、古典のタイトルとか耳に入れておくだけでも、何かの役には立つであろう。
 私だって、こう見えても、大学というところで、演劇の授業を受けたりしたことがあんですからね。
 それが今の仕事にどれほど役立ってるかと言えば、劇場や稽古場で、役者や観客、スタッフたちから学んだことの百分の1にも満たないというのが真実ではある。
 でも、いろんなことを知ってると言うことは、心の余裕のようなものでね。なけなしの金だけでやるギャンブルの迫力はスゴイもので、時として神がかることがあるが、やはり、お金に余裕がある人の方が圧倒的に優位なんだよな。
 六角なんか、本気でパチスロやる気なら、とりあえず十万は入れて来て下さいって言うぞ。
 とまあ、これじゃまったく理屈として成立してないけど……
 しかし、知的好奇心とか、教養というものがない人に、面白い戯曲が書けるはずはないのである。
 そうだな、問題は知的好奇心だな。
 やっぱり、面白いお笑いの人は、蘊蓄とかも達者じゃない。
 いわんや、劇作家をや。
 である。
 
 タツヤ君とイヨさんの健闘を祈る。
 講座の後で、パブリック地下の食堂で、受講生らと会食した。
 ちなみに昨日の講義は、シャイロックについて。

 シェイクスピアは「ベニスの商人」を笑い話として書いていて、当時のロンドンの社会常識としても、金貸しのユダヤ人は、もっとも忌み嫌うべき存在であり、堂々とイジていい存在だった。たぶん、シャンロツクがポーシャのトンチ裁きでギャフンと言わされるところで、観客は大拍手だったはず。
 ところが、現代の上演では、シャイロックは悲劇の人として演じられ、そこに涙する観客までいる始末。
 なぜか?
 シェイクスピアが、シャイロックを単なる悪党ではなく、生身の人間として描いてしまっているからである。
 ユダヤ人には、お前たちと同じ血が流れていないというのか!
 なんてセリフを忌み嫌うべきこの悪党に言わせてしまっているのである。

 それは、喜劇という企みの中では、明らかな失敗である。
 水戸黄門の悪代官が、突然、被差別民の怒りを黄門様にぶつけはじめて、視聴者をシーンとさせてしまうようなことなのだ。
 でも、だからこそ、シェイクスピアはひと味違う作家であり、四百年を生き抜いているのである。
 何しろ、そんな風に解釈が変わったのも、初演から二百年後のことだからね。
 深い……
 
 とまあ、そんなことを言いつつ、いろいろと。実践的にセリフを書かせたりして。
 扉座ではあんまりやらない、というか、やったこともないアカデミックなことを、戯曲塾ではちゃんとやっているのである。
 
 いまもまだ、塾生は募集中です。
 問い合わせは、劇作家協会まで!
 
 
 
 
 



事務所(2005.07.12)

 久しぶりに外に出る。本当に、一歩も出なかった三日間だった。
 事務所で打ち合わせ。
 さまざまな懸案事項があり、銀座で会って以来の茅野なども交えて製作会議であった。
 その後、私は北千住に行って、番組の相棒の植本潤の出ている、鈴木聡さんの芝居を観る予定が……
 なんたることか……
 シアター1010に行こうと思って、エレベーターのボタンを押しても、受け付けてくれないのである。
 何かイヤーな予感がして、一つ下の階で降りて、止まったエスカレーターを登っていったら、そうだったのか。
 月曜なのに、公演はお昼だけだったのであった。
 誰もいない、無人の劇場ロビーに私は一人立ちつくしたのであった……
 慌てて、潤に電話しようとしたら、留守電が入っていて、横内さん、どーして来なかったのですか?だって。
 まさか、北千住で、昼やってるなんて思わなかったよ!

 改めて潤ちゃんにお詫びの電話入れたら、今、みんなで飲んでますけど、来ます?って。
 そりゃ、昼しかなかったら、飲んでるよなあ。
 でも、そんなもん、時間間違って来て、飲み会だけ出られるかよぉ……
 と言ういうことで、思わぬところで、思わぬ自由が私の手に。

 この時点で、愛を取り戻す 決心が決まったと報告しておこう。もうそれしかないと、自分で自分に言い聞かせた。と言うか、言い聞かせられた。
 で、とりあえず池袋に急いだオレ。
 北千住でも良かったけど、よく知らぬそんなとこで、変な落とし穴とかにはまったら怖いので、ひたすらホームを目指したのである。
 んで、入店。でもスッゲエ混雑。
 世の中の人は、仕事終わりに全員パチスロやってるんじゃないだろうか?
 空いてる台がないのである。
 この時点で、今日は深追いすることは辞めると決意。上限は1万円までだ。
 
 店内を徘徊することしばし、ようやく空いた台に座り、3千円でBBをひく。
 最も勝ちにくいと言われているサウザーに、たいした予兆もなく唐突に勝った。
 これは奇跡的な引きである。
 んで一箱ぐらいになったのだが、その後、ダメダメが確実なモードに停滞し始めたので、速攻ヤメ。
 私のパチスロ生活の中でも、1、2を争う、早撃ち終わりであった。でも、ちゃんと勝ったので偉い。

 いつもなら、もう少しやってることなんだけど、何というか、久しぶりの外出で、とっても疲れた。
 人に酔ってるような感覚だ。
 愛を取り戻す より先に元気が戻っていなかった。
 
 実を申せば明日も外出。
 明日は夕方から、例の戯曲塾の私の初講義である。
 伊代と達哉がいるはず。
 奴ら、どんな具合になってるんだろうか?
 少し楽しみではある。

 橋本真也が急逝した。
 変な太り方だったもんなあ。
 四十だって。早いけど、用心しなきゃいけないとこだよな。
 合掌。

 あと、生本に フォーティンブラスに出てた若手女優の西山繭子が小説を連載し始めた。
 何を隠そう、彼女は某私立学校で教師をしている私の妻の教え子でもあったという、数奇な運命の人である。
 にしても、オレの隣で、いきなり小説連載なんて生意気すぎねえか。
 オレなんか、すっごく頭の悪い感じのおバカ雑文載せてるのに。ちなみに今月は、中原三千代と、鈴木里沙の話題。久しぶりの劇団ネタなので、興味がある人は、立ち読みでもしてね。


   



離島(2005.07.09)

 ここ数ヶ月、一人離島にいる感じ。
 あんまり人に会ってない気がする。劇団員の顔も見ていない。とは言え、決して遊んでいる訳ではなく、かつてなく予定に追われているのである。
 私の場合、芝居屋で、たまに演出もするから、またやがてワサワサと戸外活動が始まるのだけれど、小説家とか漫画家なんてのは、こういう暮らしが一生続くわけで、それは辛いなあとしみじみ思う。
 よく編集者だけがお友達、なんて話しを聞くけど、さもありなんと思う。
 家にいることも多くて、とは言え、あんまりじっとしてるのも辛いので、散歩なんかしてみたりする。
 引っ越してきて、1年半だが、家を離れてることが多かったので、それも新鮮ではある。
 今の住み家は古い町にあって、近所に見どころというか、旧跡みたいなのもたくさんある場所だ。
 先日は、うちの近くの一帯は、河童が出ることで知られた湿地だったということを知った。そういう立て札が立っていたのである。徳川家光がお鷹狩りの後、立ち寄った休憩スポットだったとか、そういうところもある。
 近所には滝沢馬琴の墓のあるお寺なんかもあるんだけど、ぶらりと歩いてみたら、本当に近くてびっくりした。
 以前、八犬伝やる時は、わざわざ探してお参りしに来たんだが。近所に引っ越していたのだなあ。
 そういうところを、平日の昼下がり、サンダルつっかけて、顔色の悪い、若いのか年寄りか分からん感じの男がふらふら歩いているのである。
 傍目にはどうみえているのだろうか?
 
 でもなあ、いっそ本当に離島ならいいのになあ。
 バリとか、タヒチとか、そういう方面でなあ。
 まあ、あんなとこ行ったら、ゼッタイに働かないだろうがね。

 ひたすらパソコンと対話。
 やっつけるべき雑文もたまってる。
 見たい歌舞音曲もたくさんあるが時間がとれぬ。

 



昨日、今日(2005.07.05)

 昨日は劇作協の役目で、杉並の富士見が丘小へ。今年の6年生諸君に会う。指導の篠原さん、関根さんの奮闘もあり、とても元気な授業。3月期の終わり、みんながどうなってるか、とても楽しみ。
 その後、お台場に行って、打ち合わせ。
 
 今日は、朝から軽井沢!
 意外に暑かった、避暑地。実に1年半ぶりである。
 当然、おもだか山荘へ。猿之助さんと12月のお誕生会以来の再会である。
 しかも、単なるご挨拶やご機嫌伺いではなく、打ち合わせだ。来年の企画について。いよいよ休止状態が終わりを告げるのだ。
 久しぶりの打ち合わせで、ちょっとドキドキした。
 でも、猿之助さんは元気で、すっかり復活なさっていた。まだ幾分後遺症が残っているけど、打ち合わせをするうちに、目に光が灯ってくるのが分かる。
 12月は、お会いしただけで、胸が詰まるような思いがして、何か上手く会話できなかったけど、今日は自宅ということもあり、猿之助さんも、こちらもリラックスして、雑談もたくさん。
 ついでに懐かしのビデオなども見ることに。
 昭和47年、藤山寛美が演舞場から扮装したまま人力車で、歌舞伎座に駆け付けて、猿之助さんの兄役として一ト月舞台に登場し続けたという、伝説の公演のビデオである。
 そして何と、寛美の弾くアコーディオンに合わせて、旦那が、兄弟仁義を歌うという、信じられない光景が展開される。
 それも歴とした大歌舞伎の本公演である。
 歌舞伎座で、こんなバカげたことしてたんだと、驚き。
 今、勘九郎さんがやっているようなことは、決して突然変異ではなく、そういう伝統も、歌舞伎の中には確かにあるのだと、改めて認識した。
 最後は何か、打ち合わせというより、楽しみ会みたいになり、笑い転げていた。
 その後恒例の大ご馳走に。
 猿之助さんの食事制限も解けたらしく、美味しそうなモノがずらりと並ぶ。山荘専属の料理長と、加藤和彦さんの豪華な作品たち。
 調子に乗って食べ過ぎて、満腹になった。

 にしても、今日は良い日であった。
 長島が球場に現れた時と等しく、猿之助が打ち合わせに帰ってきた記念すべき日と記憶したい。
 久しぶりに見た猿之助さんの笑顔。そして、毒舌もチラリ。
 まだ休み休みの復活のようだけど、来年が楽しみになってきた。

 明日はまた来年の大仕事の打ち合わせ。
 扉座プロデューサー赤星と新宿某所へ。
 
 
 



気が付けば(2005.07.02)

 早くも7月である。
 何か引き籠もり気味に、一人仕事をしているうちに時が過ぎた感じ。
 外には、なーんにも成果物が出てないので、サボッてるみたいに見えるだろうが、久しぶりに地道に作家生活をしている。

 でも今日はちょっと渋谷に。
 知り合いのバンドのライブがあって、覗きに行った。無名だけど、なかなか見込みのあるインディーズ。そのまま征けばヨシって感じで、何の意見もなかったけど、強いて言えばという感じで、途中で水を飲むなと、言い残して帰ってきた。たとえば今日は、三十分ぐらいの出番なんだから、我慢せいや、と。

 わしは、バンドが、途中で水分補給するのが、どうも好きではないのである。してもいいけど、せめて目ただぬようにしたまえと言いたくなる。

 だって、カッコよくないんだもの。
 バーボンとか、テキーラとかさ、そんなのグイグイやりながらとか、それはイカシてると思うけどさ、新人の、しかも未熟なヤツが、ポカリとか飲みつつ歌ってるの見ると、お前はバンドを辞めて、普通に働けと言いたくなる。
 と、かねてから思っていたら、氣志團の翔やんが、同じような発言をしているのを、目撃したのである。
 
 オレらは絶対、ステージで水飲まないって決めてますから、って。

 な?
 分かってるヤツは、分かってンだよ。
 舞台ってのがどんな場所で、芸人てのが、どんな存在であるべきなのか。
 ロックも、パンクもわしに言わせれば、芸人だからね。
 何もかもを、見せ物にして、それで食ってく訳だからね。
 ロッカーが、隙だらけの背中で、ポカリなんか飲むとこ、客に見せるなって言うことだ。中身はポカリでも、瓶はテキーラにしとくぐらいの手間かけろよ。
 芸人は、水飲む姿も芸にしなきゃ、だ。

 にしても、最近のバンドはやたらに水分補給をすると思わぬか?
 歌う前から、ちょぃと一口、みたいなことしてるぜ。
 そんな一口は、楽屋で飲んでくればいいじゃんなあ?
 オープニングで、いきなし休憩みたいな姿見せるメリット、どこにあんだ?
 それも、ロックがさ。
 それともあれがカッコイイと思ってるのか?

 さておき、
 バーゲンでもある。
 つい、デパートに寄ってまうた。
 要るか要らぬか分からぬようなもの、空気に飲まれてまた買うてまうた……
 まだシーズン全開でもないのに、先日の表参道以来、ちょいヤバイ気配濃厚……
 北斗の次は、お買い物煩悩か……

 あと今日、NHKで、タイヘン大講演会が全国的に紹介されたらしい。
 てっきり名古屋ローカルだと思って、見落とした。
 先日、新聞にも批評が出たりして、密かなブームとなりつつある。だって珍しいぞ、パビリオンの批評なんて。


 
 





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