2005年01月                             

甲斐の夜(2005.01.27)

 甲斐さんにおよばれの夜。下北沢のお店で。
 国文祭以来、久しぶりにお会いした。終わったら一度、ゆっくりと思っていたんだよ、と言われ、喜んで参上。
 さしで、じつくりとお話。何しろ、小僧の頃からのファンである。いろいろ聞きたいこともある。話は尽きない。
 そして話題は、私の目下の遊び道具、愛・地球博に及び、しばし名古屋にいるのなら、ここに行って下さいと、いくつかのお店を紹介される。
 メシはここ。みそ煮込みはココ、手羽先はここ……
 なぜかお店の連絡先まで、付録に付けて。
 ここに至って、会席は、偉大なアーチストとの邂逅の場というよりは、ただの飲み会のような感じになる。
 偉大だけど、限りなく自然。
 つくづく不思議な世界を持つ人である。
 何となく、実験的な気分になって、今、甲斐バンドをかけて聴きつつ、これを書いている。
 それは到底、みそ煮込みという言葉なんか、そぐわない世界。ストイックで、傷だらけで、それでも挫けぬ、男の歌だ。
 けれど、だからといって、自分を偽ってそんな世界を演じているというのとは違う。この人の中では、印象的には異なるものが、ごくごく自然に共存しているんだな、きっと。
 憧れ甲斐のある、大人の手本だと思う。
 五十超えて、こんなふうにありたいと思いました。

 閑話休題。
 茅野の日記が久しぶりに変わっていた。
 田中の話題。噂では、聞いてたんだ。茅野が、田中にもう来ないで下さいと言われたということ。
 ホントだったんだね。
 田中クンもいよいよ、芝居の魔界に踏み込む覚悟を決めたのだね。
 でも男の子なら、そうこなくちゃね。
 黙ってオレに任せろ、だよな。
 その意気や良し!

 でもさあ、そんじゃ私は何なんだろうかね。
 早く私も田中クンから、言われてみたいと思う。
 もう、いいです、と。
 ま、順番ってものはあろうからね。
 その時が来るのを楽しみに待つとしよう、か。

 
 
 
 



水曜、木曜(2005.01.21)

 水曜日は、錦糸町。ラブ3の「バレンタインデー・バスケ部編」をメンテナンス。
 こんとこ週二回確実に稽古場へ。秋口に、福岡に行きっぱなしで、面倒みてやれなかった罪滅ぼしというか、罰というか。茅野は、もうまったく知らんぷりだし。田中とワシでやるしかないんじゃ。
 稽古の後、昨日、事務所の電話がゼンゼン鳴ってなかったことについて、全員を集めてお説教。
 スカスカの客席相手に、自分たちだけで感動して泣いたりするのは、みっともないから辞めてくれ。泣くなら、立ち見までギッシリ入った小屋で泣け!
 である。
 親類縁者を集めるのは当然のことながら、もっと扉座ファンに情報を届けて、見に来て貰えと、命令する。

 木曜日は、週刊金曜日の書評書き。の後、青山で、「深夜劇場」の関係者の皆様と新年会。
 鈴木裕美氏、林あまり氏、植本潤クンそしてスタッフの人々と。3年目突入の決起集会。
 おいしいスペイン料理を頂きつつ。
 にんにくスープの「アホ」と、アイマールじゃなかった「ア何とかマール」という牡蠣の瞬間薫製というヤツが抜群に美味でありました。
 ア何とか、の名前、さっきまで覚えてたのに、やっぱり忘れた。
 明日は事務所で、出版迫るエッセイ集の打ち合わせ。

 



事務所で(2005.01.18)

 久しぶりに事務所に行く。
 茅野と、モボ鈴木クンと、四月公演についての打ち合わせ。上がってきた。モボ君の作品に対しての私の感想を伝えた。
 モボ氏はとても優秀な作家で、今年から来年にかけて、大ブレイクが予定されている旬の劇作家である。扉座登場は、その先触れとなるものである。だからこそ、大傑作を仕上げて欲しい。
 その一念から、すでに出来上がっているまとまりの良いホンに対して、遠慮なくあれこれリクエストを述べた。
 うちとしても大きな公演なので、こじんまりした成功では困るのである。
 今日はとりあえず、言い逃げ。
 
 地球タイヘン講演会で使う映像素材がいろいろ上がってきて、パソコンで見る。
 なかにアイスマンの実写が多数。アルプスで凍りづけになっていた五千年前の人間のミイラである。この人が大講演会の重要なキャストなのである。
 んが、何を隠そう、私はこの世で、一番怖いのがミイラなのである。
 人間の不思議展の、生々しい死体よりもずっと怖い。同じ死体でも、私とつては、別物なのだ。あの干からびた感じ、色肌合い、ところどころ崩れた面相……
 子供の頃、ツタンカーメン王の呪い という本が図書館にあって、たまたまそれを読み耽ってしまったことがそもそもの因縁である。
 そこに、古今東西のたくさんのミイラ写真が掲載してあった。その時は、わあきしょい……(当時そんな表現はないが)と思って見ていただけなのだが、その後で、一人夕暮れの道を家路に急ぐ刹那、ふいにとてつもない悪寒が私に襲いかかってきて、絶望的なパニックに陥ったのである。
 当時、私はまだド田舎だった小倉の外れに住んでおり、登下校路には、ふるーい感じの墓地もあったのである。折しも、その墓地を通りかかった時だった。
 以来、何よりもミイラが怖くなった。

 でも、怖いから、何か惹かれる私もいる。
 たとえば博物館などでミイラがあると聞くと、ああ見たくない、見たくないと思いつつ、なぜか吸い寄せられるようにそこに足が向き、気が付くと、誰よりも熱心に見つめていたりする。
 大英博物館に行った時など、悲鳴を上げつつ、エジプトコーナーのミイラルームにじーっと佇んでいた。他にもいろいろお宝があるのに、そこを離れられなくなってしまうのだ。
 テレビでも、ふと特集をみつけたりすると、思わず見入ってしまう。
 今もそうだった。
 他にもいろいろチェックしなくてはならないのに、なぜか一番最初に、アイスマンものをクリックし、一人でひえええっ、と呟きつつ、鑑賞していた。
 本当は好きなのだろうか……
 
 にしても、なんでアイスマン?と思うであろう。
 まあ、そこが今回の講演会のただならぬところである。今、スタッフは、必死で実物大のアイスマンも製作している。
 出来上がったら、当然、私が仕上がりをチェックするのであるが、それもまたしびれそうだな。
 今からドキドキする。

 追記!
 今日、しばし事務所にいたが、ラブ3の予約電話はまったく鳴らず。
 昨年のラブ3の客席があまりに寂しかったので、今回は何としても、全ステージ満席で熱い公演にして欲しいのに、これではとても心配だ。
 電話番で退屈しきっていたゆーかドンに、もっと必死で営業しろとハッパをかけた。
 もっと宣伝しなきゃダメだよな。知人友人は当然のこと、誰よりも扉座ファンにもっと観に来て貰う努力をしなければ。我々が未来の扉座を背負って起つのだから、今から応援して下さいとお願いをするべきである。
 

 
 
 
 
 
 

 



週明け(2005.01.17)

 土曜日は、冷たい雨の降る中、新宿タイニイアリスへ、熊本の劇団きららの公演を見に。3月に熊本である劇作家大会でお世話になる、きらら座長の池田さんにご挨拶がてら。
 熊本から東京への大遠征である。しかも全部持ち出しだという。我々も地方公演では、さまざま苦労しているので(特に動員と経済面)、他人事とは思えない。レベルの高い演技と、誠実な芝居作りに好感を持ちつつ、がんばれえという気持ちになった。
 にしても、こんな時に限って冷たい雨とか降るんだよな。それが現実。でも、そんなこともいつか笑い話になる。劇団史には、災難史、受難史が不可欠なんだ。
 日曜日はラブ3で錦糸町に。大雪だったら行かないと宣言してたのだけど、雨だったから、仕方なく行った。まあ、若者は雪にも雨にも負けずにやってるんだから、なるべく予定通りやらなきゃね。
 途中、御徒町の多慶屋に寄って、お菓子を買い込む。稽古場への差し入れ。カゴ二杯分。でも、もって一週間だろう。
 んで、ラブ史上初の女子プロレス物語「カズトン江原」と、こんとこ個人的に凝ってこだわってる誘導灯モノの稽古を夕方まで。
 誘導灯は、建築ショウでやってすっかり気に入り、福岡の国文祭でも使った。私の専売特許にする予定である。ただし今回は大まかな方針決めをやった後、我が高校の後輩にして、お側去らずの演出助手・則岡クンに構成演出を委託した。去年、この手で一つ、「電話マトリックス」ってやつを作って、うまくいったので二匹目のどじょうを狙うのである。
 家では、間もなく出版のエッセイ集のゲラ校正。いよいよカタチになってきた。
 
 どうでもいいけど。
 久しぶりにバーゲンに行った。
 ケッコウ、耐えていたんだけど、ギャルソンとヨージが同時開催になった、この週末、つい伊勢丹を覗いてしまったのである。
 月末から、来月にかけて、植本クンの旅公演の都合で、番組の撮りが凝縮して続く。で、次の収録からは新年度のものだしなあ、と思ったりしてるうちに、これは是非、新しく揃えなくてはと思ってしまったのである。
 まあ、理由はいつも後付で、そんなこと考えずに、見た途端、ひたすらお買物モードに突入してたんだがナ。
 昨年は福岡で、いろいろ式典とかパーティとかあるしなあ、とこれはまあ、半分は正しい理由ながら、こともあろうにプラダのスーツとか後先考えずに揃えてしまったので、秋から暮れにかけては、ドルドルの大屋さんに一昨年百万革コートを買いかけた樫山の大バーゲンがまたあるよと、誘われても、しばらくは我慢と言えたのに、年が変わって、また煩悩が復活した。
 新居のクローゼットもそろそろ一杯になってきている。
 オレは馬鹿なんじゃないだろうか。
 
 


 
 
 
 
 



劇場の神様(2005.01.15)

 タイトルが良いよね。こけら落としに相応しい。芝居者なら、誰だってピンと来るものだよ。かくいう私も、「フォーティンブラス」って作品で、劇場の神様を書いてるものね。
 でもね、原田さんの小説をそのまま舞台には出来ないよと、思ったし、大谷さんにもそう意見したのである。小説と戯曲は、似て非なるものだからさ。かなり別物にしないと、まとまらないと思うよって。
 ところが、天才大谷さん、凄いねえ、不可能を可能にしたねえ。小説の中のセリフもそのままで、完全舞台化だものなあ。
 しまいのところで、便所が出てきた時には、参った!と思いましたね。
 このシーンは映像じゃなきゃ表現できない、というのが、私の直感だったんだけどな。表現しちゃってるものな。立派に成立させている。
 という訳で、新春の芝居、とても良いものでした。なのに、客席が異様に寂しい。新しい劇場で、運営体制がまだ整っていないことが原因のようだけど、もっと多くの人に見て貰いたい作品だと思いました。
 特に扉座ファンの皆さんにはね、楽しいと思います。
 横内が関わってない、扉座プロデュースなんじゃないの、ってぐらい見覚えのある役者ばっかりですから。
 千住の小屋も素晴らしい。北千住の駅の上です。
 山田まりやが少し大人になって、演技がとっても自然になってる。そこも見てやって下さい。
 あと、六角の、竹村健一が良い。
 

 

 
 
 
 
 



木曜の夜(2005.01.14)

 本日は久しぶりに、自宅近くで一日過ごした。
 たまった原稿書きなど。
 エッセイ集の後書きも書いた。いよいよ、本になる日が近づいてきた。考えてみれば、久しぶりの出版物である。こんとこずっと戯曲は私家版にして、自費出版スタイルで通してたからね。
 がんばって売らなくては。
 んで明日は、ようやく千住の劇場へ。
 「劇場の神様」を見に行く。

 愛・地球博については、みんなに報告すべき、アッと驚く企画があるんだけど、まだ言えない。
 別にチケット売る訳じゃないんだから、どーでも良いっちゃどうでもいいんだけど、やっぱり自分が関わることが、話題にならないのは寂しいからね。それでなくても、元々が地味なものなんだから、ほっとくとひたすら、地味に止まってしまうのだ。
 ここに来て、何とか、世間をアッと言わせる手だてはないものかと、必死に考え始めたのである。
 思うに、これは福岡での国文祭の後遺症だね。刺激が足りないと、どうにもつまらないんだね。
 かなり大変なことやっちゃって、もう二度とゴメンだと思うのかといえば、さにあらず、もはやカラダが普通の刺激では満足できないものになっているのだね。
 んで、今更ながら、自分が興奮できる、強い刺激を求め始めているのである。
 
 うーんと簡単に言えば、もっと大変な仕事になんなきゃ、つまんねえよ、ってことなんだけどね。
 コレかなりヤバイ傾向だよね。
 何かSMプレイで、死ぬとこまでやっちゃう人とか、連想するよね……
 
 
 



激務(2005.01.12)

 名古屋日帰り。その後、十時過ぎにハンズの菊池さんと会って、二人新年会をなぜか早稲田の居酒屋で。
 明日というか、今朝も早くからアクロの若井田さんたちと錦糸町で打ち合わせの予定。もはやヘロヘロになっている。
 名古屋では、愛・地球博で私が担当している、地球タイヘン大講演会の建設中現場で、中身についての記者発表であった。
 万博会期中に三千回の講演をやる環境博士を演じるのは、名古屋の老舗劇団・劇座の天野さんというベテラン俳優さんである。今日は天野さん演じる博士のお披露目でもあった。
 さすが名古屋の重鎮俳優で、華のあるパフォーマンスを記者たちに披露して下さった。
 にしても、本日の長久手は寒かった。
 春から秋にかけての開催なので、冷房設備はあるけれど、暖房がないのである。んで、まだ建築中の会場に教室型のストーブだけが置いてある。
 ストーブに当たりながら取材を受けて、何か、井戸端会議のような変な感じであった。
 


 
 



サクラ大戦(2005.01.09)

 サクラ大戦を観に、青山劇場へ。
 冒頭、現れる面白い男。田中真弓さんと、やたらに息が合っていて、キレの良い役者。どこの人だろうなあ、と思って眺めてたら、声に聞き覚えがあって、扉座のガンちゃん(岩本達郎)だった。
 正直に言って、こんなに面白い、ガンちゃんを舞台で観たのは初めてである。舞台以外の、酒場や花見では、破滅的に酔っぱらった面白いガンちゃんを観たことがあったが、それでもこんなに面白かったか、どうか。
 本日の特筆事項だ。今回はガンが面白い。
 ちなみに田中真弓さんというのは、声優の世界でのビッグスターである。私は真弓さんの「デブヤ」の歯切れ良く、即妙な感じのナレーションが大好きで、密かにファンだったりするのである。
 そんな真弓さんと、息ぴったりのガンちゃん、凄いぞと思いましたね。
 にしても、劇団の時より面白い、って、それはどーよ?
 劇団でも面白くいてくれよ。今度会ったらようく言っておこう。
 小倉の「エタナリー」で一緒だった、チビ玉・嘉島クンも今日来ていて、終演後は、横山クン、広井さん、園岡新太郎さん、イサムなどとミニ新年会に。
 今年最初の演劇飲み会であった。
 明日は一日、原稿仕事の予定!

 覚え書き
 奈良の少女殺人事件の犯人、小林薫。冴えないロリコンでダメな新聞勧誘員だって。
 ふとツトムを思い出す。
 我が『夜曲』の田山ツトムである。
 実はこのツトムという名は、やはり幼女殺人の犯人であった、宮崎勤からとったのであった……
 というのは嘘で、その事件が起きる前にすでにその名を付けていたのであるが、その後、事件が起きて、宮崎が捕まった時、やっぱりツトムだったか、と思ったモノだ。
 私の芝居のツトムは、道化役として、笑われるのが仕事であり、一見すれば、小林や宮崎とは、まったく別のように思えるけれど、本質は、社会に順応できず、自分で作った怪しいファンタジーの中に自閉している、危険人物である。
 今回の薫は、武士の十五に出会えなかった、裏・田山ツトムだね。
 もう一度、ツトムを書く時が来るのかな。
 漠然とした予感を感じつつ、蚊帳の外チックに暗いニュースを傍観している。
 
 
 



 
 
 
 
 
 

 



始動(2005.01.06)

 すでに働き始めています。
 今日は、お昼から、愛・博 の打ち合わせを、パビリオンの総大将・山根一真プロデューサーと。
 その後、錦糸町に移動して、ラブ3の稽古というか、作品作り。「紙切りシンデレラ」という演目を、口立てで作っておりました。
 ちなみに明後日は「ガストン江原」に取りかかります。
 まあ、大半の方は何のことか分からないでしょうが。そういう短編を作っているのです。
 にしても寒いですなあ。南の島とは大違いだよ。一見同じような青空に見えるんだけどねえ……
 しかし、この寒空の下、私のカラダはついに脱皮を開始しました。灼けた皮膚が、剥け始めてきたのであります。
 今このときも、全身がかゆくてかゆくてしかたありません。んで、あちこちポリポリかくと、ハラリホロリ、ボロボロと、皮膚が剥がれて参ります。
 時には、どうせ剥くなら、細切れにしないで、なるべく大きな作品にしてみようかと、慎重にゆっくり剥がしてみたりもいたします。
 リンゴの皮むきみたいにね。途中で切れずに全部剥けたら、願いが叶うの……
 みたいに。
 今も私の勉強机の片隅には、そうやって剥がれ落ちた私の皮膚が、小さな山を形成しております。
 大工さんの出した、カンナ屑みたいであります。
 何か捨てるのもったいない感じで。

 これで私も、一皮むけた良い男になるんだろうか。
 とりあえず、この皮の山を一晩置いておこうと思います。

 
 
 
 
 
 
 



すでに明けてた(2005.01.03)

 帰ってきたら、東京のあちこちに雪が残っててびっくりした。
 年越しはタヒチで迎えた。
 実はインド洋のモルジブに行く計画を立てていたのである。しかし、人気がある上に、飛行機便が少なくて、キャンセル待ちまでしても、結局取れなかった。仕方ないから、暖かくて海の綺麗な別のところとリクエストしたら、勧められて太平洋のタヒチになったのである。
 運が良かった。
 津波のニュースは、ホテルのニュースで見続けていて、犠牲者の数が日に日に増えて行くのを愕然と眺めていた
 とは言え、目の前の現実はあくまでも穏やかな太平洋の、澄み切った海と白い浜辺であった。あいにくの雨期で、半分ぐらいは曇天で、時々、蜷川幸雄の演出のような大げさなスコールという感じだった。けれど、曇天の合間、太陽が照りつけている時に、ビーチでぼんやりしていたら、たちまち全身が焼き焦がされる。
 タヒチの太陽を嘗めてはいけません、という注意をあらかじめ受けてはいたが、赤道の下の太陽は、想像を絶するパワーであった。
 今、私はカラダの数カ所に火傷のような赤膨れが出来ている。鼻はすでに皮が剥けて、ボロボロである。たちこち痛くて寝返りを打つのも辛い……
 でも、久しぶりに陽に当たった気がする。カラダを動かしたのも何年ぶりか、ってかんじ。
 行く前は、鼻風邪気味の上に、腰がかなりヤバイ気配であったのだ。そんな状態で十一時間、飛行機に乗って、着いたときには、ますます具合の悪い感じになっていた。
 しかし、南国の空と海と太陽は、そんな私を見事に蘇生させてくれた。風邪はたちまち消え去り、腰の違和感も日に日に消えていってくれた。
 暖かさと、適度の運動と、何よりもなーんも用事のない毎日というストレスのない暮らし。
 インド洋の人々には本当に申し訳ないけど、私には必要な休みであった、と思う。
 インド洋の人々には、せめて寄付をしたい。

 でもバカンスは終わり。
 明日から始動である。

 今年はまず、エッセイ集を出版して頂く予定。春秋に連載していたモノを中心にしたモノ。ケッコウ真面目な文章で、大学の入試問題にも使われたりしたものである。今回は多少手を入れ、また新編も少し加えた。
 当然、ラブ3もやる。今年はいろんなことを新年に持ち越したので、これからが大変だろう。
 あと、ずっと用意している、愛・博。愛知県館の出し物『地球たいへん大講演会』の支度。3月25日の正式オープンである。
 万博自体、世間的にはあんまり盛り上がってないみたいなのが寂しいけど。しかもその上に、愛知県館の存在が極めて地味なのも輪をかけて寂しいけど。
 でも、まあ、私のことなので、たぶん善戦する、と思う。今や演劇界に行き場を失い、イベント屋となっている私だ。これ以上に行き場を失うと生きていけないので、失敗は出来ない。

 んで、それが終わると、一つ、今までやっこなかった、まったく新しい試みに挑戦してみようかと思っている。
 まだ何も言えないけど、『八犬伝』でスーパー歌舞伎に関わってから、ずーっと数珠繋ぎに何かの宿題が猿之助さんから出続けてたのが、猿之助さんの休養で十数年ぶりに途切れたために、突然出来た長期空白によって、生まれた時間を費やす仕事だ。
 決まれば大仕事。
 でも、これも何かの巡り合わせかな、と思っている。

 で、春の扉座公演は茅野にお任せ。
 今年は、春は茅野の責任公演。秋というか初冬に私の責任公演を行う予定だ。
 モチーフは何となく用意があるけど、例によって詳細はまだ未定。
 今はまだ、南国気分が抜けてないけど、たちまち慌ただしく、あれこれ予定に追いかけられるんだろう。

とりあえず今月見に行く芝居。
 サクラ大戦
 劇場の神様
 あと何本か。まだ予定は立たず……
 そう言えば、こないだ、すみだパークの稽古場で久しぶりに近藤正臣さんに会った。
 すると近藤さんが、桟敷童子、という劇団を知ってるか?面白いぜ、などと言ってた。吉祥寺の地下劇場まで行って見たんだそうな。どこで情報を仕入れているのか知らないけど、なかなか鋭い。この人は、綾戸智絵のことも、かなり前から、良い良い、って言ってたからな。信じられる目利きの一人だ。
 今年は、私も何か発掘してやろうと思っている。新人とか、埋もれた才能とか。そのためにも、忙しがってばかりいないで、がんばっていろいろ見に行かないとね、付き合いの観劇ばかりじゃなくてね。
 そうそう『深夜劇場へようこそ』が3年目に突入。クビにならないようにして、2年は持たせような、と植本潤クンと誓い合っていたので、当初の目標はクリアである。相変わらず、評判はほとんど耳にしないけど……
 
 ともあれ、そんな感じで、今年もよろしく。
 皆さんにとって、良い年となりますように!

 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 





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