2004年12月                             

25日(2004.12.27)

 またまた6時半という長時間のオーディションになった。全部で42本の作品を見た。
 なかから数本を選んで、公演にかける作品にした。
 しかしまだ全般に渡って、未消化なモノが目立つ。今年は秋に私も茅野も田中も、福岡に行ってて不在期間が長かったから、仕方ない部分もあるのだけれど、かといって、レベルは下げたくないので、というか、常に今までで一番!を目指さないと意味がないので、ここからの奮起に期待して、長い稽古を終えた。
 今年の若者たちは真面目で、やる気に満ちているので、たぶん大丈夫だと思うけど、真面目な分、少し迫力と面白みに欠けるかな。
 無難なモノなんかみたくないもんな。破綻があってもいいから、若者らしい情熱と切なさが見たい。
 ま、それはこれから鍛える。
 で日曜は、久しぶりに髪を切りに表参道に。
 いつもは頭皮に染みる薬品が今日は痛くなかった。ストレスで頭皮が痛んでいると、染みるそうな。
 ここに来てようやく、楽になってきたからね。まあ、年明けに仕事が回ってるだけのことなんだが、それでもちょっとホッとしてる感じ。
 で、とりあえず白髪を隠した。

 ついでに言えば、私、明日から、来年の三日まで旅行に出ます。
 完全なる休養旅行であります。南太平洋方面~
 本当はインド洋方面が希望だったんだが、申し込んだときにはすでに満員で、別の場所に回されたのであった。
 しかし、ついてる。
 インド洋方面だったら、完全に中止だった。
 といっても、何か天変地異関係がやたら騒がしいよな。こっちも何が起きるか分かんないけど、まあ、そんなこと言ってたら、どこだって危ないので、やりたいことをやるんだ。
 愛知博で取り上げる、南の海を、ちゃんと見ときたいと思ったのが、建前ではあんだけどな。
 そんなことは抜きにして、とにかくボーッとしたいというのが願いである。
 そんな訳で、皆様、良いお年を。
 また来年、劇場でお会いしましょう。

 追記
 福岡県庁の皆さんから、感謝の寄せ書きと、美しい帆船絵柄のお皿を頂いた。私の生まれた年のモノ。
 さっそく、勉強部屋の棚に飾る。
 新しい宝物が増えた。
 つくづく良い、出会いであったと思う。
 来年もそんな出会いをたくさんしたい。ね。


 

 

 
 



メリークリスマス(2004.12.24)

 自宅にて、静かな夜を過ごしています。
 昨夜は、稽古場でパーティでした。たかシ仕切りになってから、こういう催しが、面白くなってきたと思う。何というか、お客さんを楽しませる前に、自分たちが面白くないとダメでしょうという姿勢が、たかシ仕切りなんだけど、それがいいね。
 以前はね、何か義務感みたいな感じがあって、ああ大変だな、つて感じがあったんだよな、正直なところ。でも去年と今年のパーティは本当に愉快であった。
 ま、我々もおっさんおばさんになってきて、何と言うか、もうユルユルなのよね。人と会って、緊張するとか、そんな感じがどんどんなくなっていってね。前はお客さんとお話しするなんて、大仕事だったもんだけどね。
 という訳で、また来年もやれよと、たかシには言っておいた。
 天皇誕生日は、扉座の日と記憶されたし。

 今日はお昼から、ハワイより一時帰国の佐藤容子と愛・博(強引短縮!)の音楽の打ち合わせ。佐藤女史は今、ハワイ大学に留学中なのである。イブのお昼も仕事かよ、って感じだけど、彼女のスケジュールがタイトなので仕方ない。
 
 にしても、メリークリスマス。
 一年がまた経ちましたな。
 いろんなことがあった。
 良いことも悪いことも。
 いろんな思いを噛みしめて、少し自省的な聖夜であります。
 
 皆さんに幸福がおとずれますように。

 
 
 
 



イブイブ(2004.12.23)

 水曜日は、愛・地球博の打ち合わせ。
 オールスタッフで。気づくと開催が3ヶ月後に迫っている。まあ、準備は進んでいるのだが、何しろいろいろ初めてのことなので、まだ予断は禁物である。
 んで、明日というか、すでに今日は、稽古場で劇団総会とドアクラブ会。昨年に続いての開催である。去年が意外に、といってはたかシに失礼だけど、面白い会になっていたので、今年も盛り上がればいいなあ、と思っている。
 現在、すみだパークでは、六角や伴の出る「劇場の神様」と、茅野演出の「サクラ大戦」が同時に進行中である。
 年末も押し詰まり、取り立てて、話題もなし。
 街はクリスマス一色。一人で歩くと何か寂しい。
 
 
 
 
 



土曜日(2004.12.18)

 水曜日の出来事から。
 博多に行って、夕刻より、知事と会食。福岡県知事は気取らない方なので、こちらもまったく遠慮せずにいろいろ好き勝手を申し上げる。
 知事は今回の文化祭の仕事をとても気に入って下さっていた。だったら、また何かやらせて下さい、私たちは、何でもやります、立派にやります、とあれこれ売り込む。
 これで福岡に行く用事がなくなるのである。せっかく知り合いもたくさんでき、街にも慣れたのだから、このまま居着く方策を我々としては是非、探りたい。
 「ずっと泊まってみたいホテルがあったんですよ……今回はお祝いですから」
 と会食後、赤星が宿に案内してくれた。
 そこは中洲のラブホテル街のど真ん中。しかも見るからにケバい外装のホテル。
 オメー、何する気だと、思わず身構える。んが、中にはいると、ケッコウおやじがたむろしてたりして。
 聞けば、有名なデザイナーズホテルであった。
 まんまと赤星に連れ込まれた。

 翌日木曜日は、小倉へ。
 午前中に、病院に入っている祖母を見舞う。午後から、北九州市民文化賞の授賞式。
 大きな宴会場で、立派な会であった。
 両親と妻、親戚に、小学校の恩師まで参加して下さった。
 あんまり北九州のためには働いてないので、戸惑う感じもあったのだが、みんなが喜んでくれるので、有り難かった。
 ここでは市長に、あの立派な劇場で何かやらせて下さいと自己宣伝。我々はやります、立派にやります、と。
 知事と市長に営業をかける、私は有限会社社長・作家である。
ちなみに、賞金は三十万円であった。
 この受賞が決まってから、私は勝手に三百万円と決めて、けっこう豪勢に大判振るいで奢ったりしてきたのである。文化賞だから、わし!とか言って。まあ、実際はその三分の一であろうとは読んでいたのだが。
 この時、初めて真相を知って、ちょっとびびった。この額はとっくに福岡に落としてしまっている、というか、きっとはるかに足が出ている。釜山学生食い放題焼き肉会とかさ……
 もちろん、内定の知らせを受けた時に、ちゃんと確かめておかなかった私が悪いのであるが。
 そんなことはいいんだ。金のことがいいたいんじゃない。これは名誉を頂いたんだから、そんなことより今からわしにたかってきても、もう遅いということ、それだけだ。
 夜はマイクロバスで移動して、妙見山というところの料亭で親戚の大宴会。
 子供の頃、住んでいたところの近くだからと、従兄弟が部屋を押さえてくれた。
 そういえば、その近くの神社の池に、当時飼っていた犬が落ちて、大あわてしたことがあったっけ。
 懐かしい山の麓。
 小倉の夜景を一望できる大座敷の床の間に、祝・市民文化賞受賞!みたいな横断幕。
 絵に描いたような故郷の祝宴という風情であった。
 ただ病院の祖母が授賞式にも、宴会にも参加出来なかったことが何とも残念。
 あと、うちの母が、いつもご面倒をおかけしている赤星さんも、是非ご一緒にと、お誘いしたのに、赤星さんは固辞されて、ひとりどこかへ消えられた。
 この時、奴は涙目で、ボク行かなくていいですよね、と私に訴えてきたので、この野郎、俺を親戚会に送り込んで、お前はどこに行くつもりだ、今度はどんなホテルを押さえているのだ、邪魔してやろうかと、限りなく意地悪な気持ちも沸き上がったが、親戚会の席上での思わぬ仕返しも怖いので、ここは大人の分別で、静かに解放してあげた。
 この夜も赤星セレクトで宿泊。
 会場だったリーガロイヤルホテルの中の特別の、ハナエモリ・デザインのお部屋だって。
 エルメスの紙袋がウェルカムグッズで置いてあって、オッと思って中を見たら、小さなせっけんが一個入ってた。
 赤星さんは、勉強家だねと妻が感心。
 何の勉強じゃ。
 部屋の窓から北九州芸術劇場が見えた。
 
 金曜日は、朝、もう一度、祖母の病院に妻と一緒に行って、会の報告。
 頂いた盾を見せる、と九十二歳の祖母はベッドの上で
 なんたる神仏のご加護やろかい、とスーパー歌舞伎のセリフみたいなことを言って、盾に手を合わせた。
 ああ、良い賞を頂いたと、改めて感謝。
 妻を空港まで送り、その後、私はまた博多へ。
 今度は駅前の都ホテルであった。この日は使い勝手でチョイスの模様。
 お昼には3年間、ともに汗と涙を流してきた県庁のスタッフと会食。
 この方たちとは、語り出したらきりがない思い出話がある。ぶつかり合ったことも、何度もあった。何しろ県職員と、民間のしかも芝居屋、イベント屋のジョイントだからね。
 簡単には分かり合えない。それを何度もぶつかり合い、その度に話し合い、互いに考えて、何とか仕事を進めてきた。
 でも、それ故に固く結ばれた絆がある。
 皆、今は穏やかな顔。ほんの二ヶ月前は、疲労困憊とストレスで、皆、恐ろしい顔だったのに。
 県には、今、来年以降文化祭を開催する県が、話を聞きに来ているそうだが、皆さん、福岡の真似は出来ん、とため息ついて帰られます、ということだ。そういう口調もかなり得意げ。
 ぶっちぎりだね、大手柄だね、って感じ。
 その夕方からは、佐藤さんを偲ぶ会。
 開会式の飛梅組、閉会式の永遠座、年末の平日にもかかわらず、大勢が集まった。
 最初から、そんなにメソメソやらないで、明るく語り合い、再会を楽しもうと決めた。佐藤さんはいつも冗談を言って、笑ってる人だったからね。
 佐藤さんが呼び寄せた、同窓会だ。
 懐かしい顔顔顔……
 名前はますます忘れている。でも顔ははっきりと覚えている。
 ここでも語り出せばキリのない思い出がびっしり。そして、ここが生んだ次なる展開もたくさん。
 知り合って、芝居を始めていたり、友達になったり。海峡を越えて釜山まで芸術大学の男の子に会いにいった子もいる。
 AUNと競演してくれた太鼓連合は、来春、県から派遣されて南京へ行って公演をするという。南京の女子学坊たちに会ったら、よろしくと伝えてくおくれと若い太鼓打ちに伝言。
 それやこれやで、瞬く間に時間が過ぎた。
 飛梅組は、今も出来る佐藤さん直伝のハンドクラップ。
 永遠座たちも今も歌える「エターナリー」。
 そして大使の馬場姉妹の津軽三味線や民謡演奏。
 たくさんの音とメロディを佐藤さんへ届けて、お開き。
 また会おうと、約束。
 
 その後は、ハンズのスタッフと中洲へ繰り出して最後の夜。
 忘年会シーズンで、かつて見なかった街の盛り上がり。
 三日間、食い続け飲み続けで、疲れ果てそれでも三時までがんばって帰還。しかし何かよく眠れず、少し早く起きてしまって、結局予定より早い便で東京に帰ってきた。
 
 福岡シリーズ、もこれで本当に終わったかな、って感じ。
 さて、次に向かわなくては。
 明日は厚木子供演劇塾。その後、久しぶりに厚木の市民応援団と、またまた忘年会!誰か、大正漢方薬くれ。
 
 
 
 
 

 
  
 
 
 
 
 
 



明日から(2004.12.15)

 三日間ほど福岡へ。
 明日は反省会兼お疲れ様的なお食事会。知事らとともに。
 で、あさっては、小倉で、文化賞というやつの授賞式。
 小倉では不幸な事故も起こしたし、結果いろんな方々にご迷惑もおかけしたから、晴れがましいことは辞退した方がいいんじゃないか、とも頭をかすめたが、そんなことしても誰も喜ばないだろうし、またいろんな方に心労をおかけすることになろう、とも思い、予定通り、ありがたく頂きに行くことにした。
 まあ元々が、今までやったことよりも、これから何かやってくれよ、という意味の受賞としか思えぬものなので、今までのことよりもこれからのことを固く肝に命じてお受けしようと思う。
 特にあの劇場では、もう一度、何かやりたい、やらねばならぬ、と思うのである。
 佐藤さんだって、それを望んでくれるはずだ。私はそう信じている。
 というか、そう言ってたんだ。すぐまた次やるからさあ、って。私には約束がある。さあ、次だね、っていう約束が。
 
 さて、そして明明後日は、飛梅組や永遠座の人たちも集結して、佐藤さんを偲ぶ会を博多で開く予定である。
 出来ればもっと楽しく、ひたすら愉快にみんなと再会したかったけどね。
 それでも、再会は再会だ。
 たくさん語り合って来ようと思っている。
 我々の人生の航海は、続くのだ。
 いろんなことがあるけれど、あの大きな船をともに漕ぎ合った絆は、何よりの励ましであり、慰めであり、明日への希望であるはずだ。

 と、そんな訳で、帰りは土曜日。

 



月曜日の夜の書き込み(2004.12.13)

 昨日は、新人戯曲賞の選考会。
 マキノノゾミさんも初めて参加した。結果、私と斉藤憐さんと、永井愛会長とマキノ氏、という大衆作家(憐さん説)が増えることになり。選考にも異変が起きた。
 こういう賞は、たいてい、前衛的な方が評価を受けやすいのであるが、今回に限り、目新しく分からんものよりオーソドックスな分かるものを書く方が大変なことだってあるんだ、という大衆作家の主張が通ったのである。
 誰が読んでもよく分かるものは、その分だけ、誰にでも文句が付けられるのである。ラーメングルメみたいなものでな。誰でも食えるから、ろくな味覚センスを持ってなくても一言言えちゃう。が、簡単に分からない難解っぽいやつは、何しろ分からないから、文句も付けようがなかったりする。そもそも分からないことが、自分が頭が悪いからなんじゃないかしら、と不安になったりするしな。うさぎの料理とか初めて食って、うまいまずいは分かんないだろ、って感じ。
 分からないものは、ふつう、こんなの分からん!で斬り捨てられたりするものだと思うけど、演劇界はとりあえずインテリぶりたい人々の世界だから、なかなか素直に分からないとはいえなくて、分かったふりで、とりあえず語ってみたりするんだな。んで、そんななかで、分からないモノの方を有り難がったりしてしまうことになったりすんだ。
 まったく馬鹿げたことなんだがな。
 そんで、ここ数年は、分からない派がずっと不利だったんだな。協会の中枢部にも簡単に分かる芝居よりも、そう簡単には分からない芝居を書く作家の方が多かったし、審査員も前衛派が多数派だった。
 それがバランスが変わったってわけ。
 もちろん、分かる派の作家が、分からない作品を気に入って推すこともある。実際、私もそういうことがあったからね。
 ただ、難解で分からないモノを書く才能もたいしたものかもしれないけど、誰が読んでも分かるようなモノで面白い戯曲を書くのは、実はもっと難しいものだということを、分かる派の作家は身にしみて知ってるから、分かる傾向のホンに対して、初めて大きな声援が送られた、そんな会になったのだった。
 今回マキノさんは、病欠になった清水邦夫さんの代役で、急遽登場になったんだけど、それがある意味、時代の変わり目ともなった気がする。
 まあ、そもそも、現代音楽と歌謡曲を比べてどっちかに賞を上げようとしているような無理もあるんだ。
 そういう意味で、審査員の好み、専門分野の偏り、ってのが大きく作用もする。もちろんそれぞれに長くこの世界で生きてきたプロたちだから、圧倒的に優れた作品がある時は、ジャンルなんか越えて、すんなり一つにまとまるんだが、今回はそういう飛び抜けた作品がなかったのも、ジャンルの違いが論争の焦点になった原因でもあった。
 しかしかくいう私だってね、岸田戯曲賞という賞は、数えるのも嫌なほど、何度も続けて候補に上がっては落選してた。
 ところが、審査員数人が入れ替わった途端に受賞に決まったのである。
 所詮、人が選ぶモノなんて、そんなものだよ。
 だからそんなモノに惑わされずに、いかに自分のスタイルをしっかりと築き上げていくか、そこが肝心なのである。

 稽古場で、坂本クンに久しぶりにあった。宝塚の植田景子さん演出の舞台。植田さんは、以前からの知り合いだ。一年のドイツ留学から帰ってきたという。
 一月になったら、錦糸町でアソボーねと、植田さんも交えてちょぃと立ち話し。
 
 

 
 



土曜日(2004.12.11)

 エッセイのリライトやまとめをやっている。
 その一方で、明日、紀伊国屋ホールで行われる劇作家協会の新人戯曲賞の公開審査のための戯曲読み。
 全部で6本。
 単純な私には解読不能な、観念芝居みたいのもあって、読み通すだけで苦痛だったりもするのだけど、公開審査では、つまらない!残念!などと一言で斬り捨てる訳にもいかず、というか、他の審査員は分かってるのに、私だけ分かってないみたいなカッコ悪い事態もよくあるので、分からないものも、何とか自分なりに咀嚼して、一通り語れるようにしとかなきゃイカンのである。
 でも、今回はちょっと良いのが何本か。
 例年、私が推すのは必ず落ちる、というのが慣例であるが、さて今年はどうなるか。にしても、私が推すのは、みんなが誉めないというこの状況、それだけ私の演劇観が現在の業界の感性とズレてるということで、これじゃ私の芝居そのものが、あんまり誉められない訳だし、人気も出ないわなあ、と、妙に納得したりするのである。
 そんなこんなで、明日は劇作家協会の一日である。
 ちなみに私は常任理事という要職にある。
 んが、実はなーんもしてない。割り振られた役目も田中に押しつけてるしな……

 レッズが負けた夜。
 別にファンじゃないけど、Jの始まりの頃、むちゃくちゃ弱かったレッズが気になって仕方なかった。もう10年以上前の話。
 



九日(2004.12.10)

 猿之助さんの誕生日パーティが開かれた。
 一年ぶりにお会いした。
 玉三郎さん、朝倉先生、加藤和彦さん、門弟たち、我々スタッフ……
 おもだかグループの大結集。療養に入られてから、我々の前に初めてのご登場である。
 決して、全快というご様子ではない。けれど、お元気であった。うれしい夜。
 前にも書いたけど、ここ十年、猿之助ミッションというか、宿題が出てない状態はなかったんだ。それが今年、初めて宿題のない長期休みに入ってしまった。
 ずっと宿題を重く感じ続けていて、宿題のないお休みが欲しい、なんて思ってた。けれど、いざ、宿題なし、まあせいぜい自由研究に没頭してて下さい、みたいなことなってみると、これがとっても寂しいんだな。
 人間てのは、つくづく身勝手で我が儘だねえ。
 でも、今日、やっとお会いして、そろそろ宿題を下さいと直に言えた。
 笑ってくれたな。
 しみじみと、幸せを感じたよ。
 良い夜だった……

 実はもう一つ、良いことがあったけど、それは内緒。
 自分に起きたってことじゃなくて、大好きな人に起きた幸せ。
 人の幸せで、自分が幸せになる、なんてあんまりないことじゃない。
 基本的には他人の不幸の方が、刺激になってしまったりするものね。
 でも、たまあに、人の幸せを、心から幸せに感じることもある。
 麻布に飾られたクリスマス・イルミネーションが、とってもキレイに見えた夜だった。

 

 



火曜日の夜(2004.12.08)

 お昼から杉並の冨士見ヶ丘へ。三月に熊本で開かれる劇作家大会の打ち合わせを、教育部の篠原さん、扉座から教育部へ出向している田中クン、あと大会本部の坂手さんらと。
 演劇と教育の問題についてのシンポジウムを担当する予定なのである。
 その後、協会の教育部がこの一年、演劇の授業を請け負っている富士見ヶ丘小学校へ。
 今は、青井陽司さんが、二月にやる発表会のための作品作りに取り組んでいるのである。
 その見学を。
 パルコの「ラブレターズ」とかを演出している大御所ですぜ。それが小学六年生の学芸会の作・演出をやっているのである。
 なんたる贅沢!
 しかし、小学生たちはその有り難みがあんまり分かってない感じで、青井さんの指示や注文を軽やかに無視してたりして。
 一筋縄ではいかないもどかしさ。
 でも、これもすべてまだ実験段階であり、授業をやる方も、受ける方も、初めての体験ばかりなのでね。これを積み重ねてゆくしかないんだろう。
 その中で、わがエデューケーション部の田中クンは、獅子奮迅の活躍ぶりであったぞ。
 小学生に混じって、同じ課題を実演したりしてな。
 青井さんに、それでは田中クン、やってみようとか、指名されて。
 田中は、こうして今年の授業のほとんどに参加しているのである。事務所としては、ロスなんだけどね、これも未来への投資である。
 田中には、この分野のスペシャリストになるように申し伝えているのである。
 彼は真剣にそのミッションを進行しているのだ。

 その後、来年以降の企画について、打ち合わせあり。
 赤星と目黒で合流。
 目黒で待ちぼうけを食わされたのは、あれはまだ開会式前だったな。氷川さんに会いに行く時だった。
 なんかもう遠い昔の出来事のようだ。

 日曜日には、錦織の芝居を見に行った。久しぶりの明石スタジオ。
 伊代はまだかなり若いんだけど、(十六じゃないけどね。て、コレ分かる人は三十五以上やね)なかなかよくやってる。
 集団のまとまりもいいしな。元研の安藤が劇団を支える役者として堂々とし、実際に舞台も立派に回している。
 しっかりした女の子劇団って感じがしたな。
 そりゃ作劇の点とか、演出にしても、まだまだ未熟だけど、志の高さは見た人誰もが感じたはずだ。
 ただし、すごおくまっとうな芝居を追求してるから、その分道は険しいな。
 今、褒め倒すのは簡単だけど、たぶん世間はそんなに甘くない。今の伊代たちは、あまりにストレートすぎて、隙だらけってかね。それは良い点なので、是非、その感じをなくさずに継続して欲しいけど、話題になるとか、客が増える、っていうのは、そういうのとまったく違う観点で、もっとしたたかに、多少ズルくやんなきゃ上手くいかないことだからさ。
 かつての自転車キンクリートなんか、本質はとても真面目だったけど、そこらへんを上手にプロモーションして、ぽんじょの女子大生ってのを売りにしたからね。そしてそれにインテリ親父たちがまんまとハマって、応援についた。編集者とか、テレビマンとか、新聞記者とかさ。
 今でいえば、毛皮族 なんてのが、そういう現象を巻き起こしている。いつの時代もそういうモノは求められているんだな。
 まあ、伊代たちがそんなことする必要はないんだけど、その分、行く道は厳しいと覚悟した方がいいだろう。
 そんで、本当の実力を地道につけていくしかない。オーソドックスってのは、そういうもんだ。
 問題はそれに耐えきれるかどうか。各個人と、集団がね。
 このまんまの感じでいいから、五本続けなよ。そしたら何か起こるかもしれない。
 と私は伊代に言ったんだが、私の時は五年と言われたからね。そんで実際それぐらいかかったんだ。何とか、話題の端っこに登場出来る程度になるまでにね。
 
 もちろん応援はするけれど、私がそうだったように、基本的には孤立無援だと思った方がいい。
 たとえば今、私一人がどんなに応援したって、山は動かない。見た人みんなが素晴らしいと、言ってくれた時に本当の山は動くのだ。千秋楽の明石スタジオに空席があるうちはまだなんだよ。
 厳しいけど、それだけ期待してるってことだ。
  
 久しぶりに、大勢の卒業生の顔を見た。
 みんながんばれ。
 
 
 
 
 
  
 
   
 



やらんならんこと(2004.12.04)

 劇作家協会新人戯曲賞の候補作をちゃんと読むこと。来週の日曜日に紀伊国屋ホールで選考会がある。
 春秋社から出そうとしているエッセイ集の原稿をまとめること。本当は今年中に出す予定だったのに、遅れてる。
 そんでまた生本の締め切りが来る。
 来年以降の私の身の振り方を決める。何をどうやるのか。実はほとんど決まってない。
 来年、熊本で開かれる劇作家大会の私の担当部分をどうするのか、そろそろ決めなきゃいかん。名前ばかりとはいえ一応、これでも理事なので。
 年内はもう、何もないと思ってたのにな。
 読みたい本とか、たくさんあんだけどな。
 
 ちょっと嬉しい知らせがあった。
 ずっと療養生活だった猿之助さんのお誕生パーティがあるらしい。
 かなり良くなってきたという話で、博多にもいらしたらしいが、ついに復活の日が来たか。
 まあ、慌てることはないけど、とりあえず良かった。

 あと錦織伊代の芝居が始まってる。
 元研究所生で、今は新興劇団の座長。
 評判の良かった前回の公演を見逃しているので、今回は何とかして見に行く予定である。

 
 
 
 
 
 
 
 



劇団で(2004.12.01)

 まずは研究生の稽古。
 前よりは多少進歩したかな。けれどまだ芝居になってない。私が面白いと思うことを押しつけるつもりはないけれど、そんなのテレビのコントで見た方が面白いよ、とか。その方向は扉座のベテランにかなわないよ、とか。
 そんなものと比べられても、彼らも困るだろうけど、比べられて、それ以上に面白いと言われなくちゃイカンということなんだ。
 今の君たちだからこそ、出来るモノ、やる意味のあるモノ、輝けるモノを探して持ってこい!ってことだ。
 そろそろラブ3創りに本格的に突入する。
 その後、アクロの若井田さんと会談。来年、私らの稽古場の近くに開校する予定のアートサーカス学校の相談。
 私がやろうやろうとけしかけた経緯もあり。なんとしても成功するように応援しなくては。
 体操経験者や、アクロバットの方向を探している人とか、役者でも、何か一つスキルとしてカラダ系特技を持ちたいと思っている人とか、あちこちにいるはずなので、そういう人たちに情報を届けなくては。
 今後、アートサーカスがますます隆盛を極めていくだろうことは、間違いないのだから。
 そしてそれから、錦糸町の韓国料理屋で、茅野、山中、赤星、田中と座談会。
 今年の扉座を回顧する。
 とても久しぶりに劇団員が集まった感じ。
 特に山中は、夏以来別のとこにいた、って感じだからね。
 三時間以上あれこれと語り合う。
 原稿にするのは、門肇クン。
 テープ起こしだけで、おそろしく大変なことになりそうである。
 明日は、春秋社の小島さんと、書きためたエッセイの出版の相談。と、手塚プロの社長さんらと会食。
 本は今年中には出したかったのだけど、ちょっと厳しいかな。
 
 
 
 





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