2004年10月                             

日記二十九日号(2004.10.30)

 すでにメッセに入っております。氷川きよしクンも加わり、ついに全出演者が福岡に集結しております。セットも建ち、照明もあたってる。まあ当たり前なんだけどね。
 んでいよいよ、明日、ゲネをやって、明後日が一回きりの初日で、楽日となるわけであります。
 にしても、この一週間は怒濤の如く過ぎていったね。ソウルチーム、南京チームが到着してからは、もう毎日、いろんなことが起きて、ハラハラしたり、興奮したり、めまぐるしい日々でした。書き留めておきたいこともたくさんあんだけどな。思いがたくさん有り過ぎて、書き出したら、朝までかかってしまいそうなので、今夜はやめとく。そのうち、ちゃんと言葉にします。
 当日のショウの模様は、福岡方面の人は生放送で、全国の方は翌日のダイジェスト版で、見ることが出来ます。ダイジェストでも、雰囲気ぐらいは伝わるはずです。でも、メッセに持ち込んだ、さまざまなモノの迫力は、画面じゃ伝わらないだろうな。韓国太鼓と和太鼓のバトルの腹にドスンと迫ってくる重い響きとか、我々が開発したポンピドウという前代未聞のサーカス装置の存在感とか。
 唯一、南京女子十五楽坊の美しさは、テレビの方が伝わりやすいかもしれませんがね。
 ま、運良く、メッセでこのライブを見る事の出来た人は、是非、ここでレポートして下さい。
 
 明日は午前中に小屋に入って、今日やりきれなかった場当たりをやっつけて、その後、通し稽古。
 一昨日なんかは、夜十一時に始まった照明作りが、翌朝の八時過ぎまでかかった。それでも終わりはしなかったんだが、今後の作業のためにも、いい加減帰って寝ようということになって、完徹組のスタッフ一同で外に出た時の、博多湾に降り注ぐ朝日の眩しかったこと!またしても台風が来るって予報もあったんだけどね。諸君、今度という今度は、我々は台風を吹き飛ばしたぜ。夜明かしの明かり作りの間に、台風は、旭日に変わっていたのだった。
 しかし、そんな調子で、特にここ2、3日は死にそうだった。で、一つ懸案事項があった。実は、今日の日のために、一ケ、お洋服を新調していたのだ。福岡の岩田屋デパートでな。一週間ほど前のことだろうか。まさか、こんなに慌ただしくなるとは思ってなかったので、明日受け取りの予定にしてたんだ。なのに、こんとこ毎日、小屋入りは十時とかで、出るのが十二時とかだ。このままじゃデパートにも行けないじゃないか。合間にちょいと抜け出して行こうかとも思ったのだけど、今のとこ一時間に2個づつぐらい問題が必ず起こって、呼び出しがかかる。ので、迂闊に消えていられない。どうしたものかと案じていたのだよ。ところがようやく今日ぐらいから光明が見えて、スケジュールが楽になって来た。明日は十一時からだし。岩田屋は十時開店なので、立ち寄っていける。
 そんな訳で、この危急存亡の時に、小屋入り前に優雅にデパートなんぞに寄ってから、ゲネに向かう私。
 だって三年もかけた大事業の完成なんだもん。これぐらい楽しんでも良かろう?



十月二十四日の日記(2004.10.24)

 新潟で大地震。しかし博多はまったく揺れず、稽古の後、部屋に戻ってテレビをつけて驚いた。東京も揺れたらしい。
 新潟にも扉座のお客さんがいるし、演出家の栗田さんは今や新潟市民である。被災された皆さん、心からお見舞い申し上げます。

 開会式創りは、いよいよ大詰めに入ってきた。
 福岡女子大の体育館を出て、今日から、博多の森の大体育館へ移動。昨夜はついにソウル太鼓チームと南京女子十五学坊が来福した。
 海外チームとの合体と、実寸の採れる稽古場での最後の仕上げと。やることが一気に増えて、とてもとても慌ただしくなってきた。
 特に海外チームとの合作は、言葉の問題もあって、進行がもどかしい。通訳して貰ってる間がね、待ち切れないんだよな。こっちはドンドン進めたいけど、リアクションを待たなきゃいけない。当たり前のことなんだけどね。
 おかしいのは演助のノリさん。俺の言うことを、いちいち通訳に対してもう一度繰り返すように言う。なぜに私の日本語を、同じく日本語で、もう一度通訳に語り直さなくてはならないのか、それはまったくの謎である。そのまま訳して貰えばいいんじゃないのか?通訳は俺の話と、ノリさんの話、つなり同じ話を二度聞いて通訳にとりかかるという、妙なことになっていた。
 俺の日本語、そんなに変か?そのままじゃ、通訳には伝わらぬのか?
 まあ、ノリさんも初めてのことで、ケッコウてんぱっているのであろう。
 
 それはともかく、今日はとりあえずのお披露目である。それでも、十分に実力の一部は見せつけてくれていたよ。
 今日の特筆は、南京女子十五楽坊の出来。
 中国との交渉事は食い違うのが常識といわれていて、実は密かに心配していたのだ。
 ダイジョウブダイジョウブいいつつ、実は何も理解してなかったりするんじゃないだろうか、と。
 結論を言えば、疑って大変申し訳ありませんでした!
 すべて理想通りに準備して来てくれました。思わず、今日は不在たった音楽監督に、ダイジョウブでした!というか、とてもステキだよ!と電話をかけたのであった。
 逆にバッチリだろうと踏んでいた韓国チームがまだ本調子ではない。今日は少し早めに帰って、明日からの作戦をたてて来ますと、いうことだった。その実力に不安はない。問題は我が軍との組み合わせ具合である。今回のショウで、和太鼓とのセッションはかなり複雑なことを試みているので、一筋縄ではいかないのである。
 これは明日の一番のテーマとなる。

 今日はお昼に知事が激励に現れた。
 衣裳チームも福岡入り、にわかにスタッフも増えてきた。
 気が付けば、あと一週間である。
 ここからは、一気に時が飛んでゆき、アッという間に、その時はやってくるのだろうな。

 稽古の後、菊池社長らとイカを食う。贅沢に関サバも頂く。美味なり。また太りそうな予感。大変なはずなのに、なぜか太ってゆく、ダメな私。



二十日号(2004.10.20)

 台風で、稽古が急遽取りやめになりました。しかし扉座チームは、嵐の中でも会議に励んでおりました。
 昨夜は、焼き肉デーになりました。釜山からの特別参加である若者7人も、そろそろ焼き肉が欲しかろうと慮ったのであります。我々の宿舎の近くに、福岡で有名な店があるので、そこにご招待をさせて頂きました。
 たちまち「マイウー、マイウー」の合唱となりました。博多の焼き肉は彼らの舌にも合ったようです。キムチもマイウだと言っていました。
 それにしても、彼らは「マイウー」の言葉をすっかりモノにしておりまする。何か旨いものを食ったら、とにかくマイウー、と叫びます。たぶんこのまま帰国までマイウーで過ごすのでありましょう。
 その上に昨夜は、また一つ新しい言葉を覚えました。それは「ゴチになります」であります。お食事会が終わった時、誰に教えられたのか、全員で居並び、私に「ゴチになります」とアクション付きで言ってくれました。
 これもまた、韓国まで持って帰る言葉になりそうな気配であります。今後もし釜山に行って「マイウー」や「ゴチになります」の日本語を聞いたら、それは間違いなく、彼らが持ち帰った言葉のお土産でありましょうよ。
 他国から出演者として呼んでおきながら、ガイドや通訳をまったく付けず、電車で練習に通ってこさせるなんて、国民文化祭史上前例がないと、一時は問題になりかけた今回のプランですが、私が見る限りは、素晴らしい交流になっており、また彼らにとっても貴重な体験になっていると確信します。何よりも、彼らがこの滞在を心からエンジョイしています。
 私も若い時にこんな体験をしてみたかった。彼らを見ていて、とても羨ましくなるほどです。
 飛梅組の女子からはモテモテだしね。彼らもかなり積極的で、はや合コンまでかましている様子。実に頼もしい限りであります。
 
 
 
 
 
 
 



19日の日記(2004.10.19)

土日で、ショウの中身の全景をやった。東京から大勢のスタッフも来福。
その仕上がりぶりに、スタッフたちも驚いていた。
最も心配なのは、上演時間。宮内庁と福岡県警の厳しいお達しで時間厳守が大条件なのである。皇太子の移動時間というものは秒単位で、設定されているのである。一時お休みのお茶飲む、時間までね。そのお休みの際に、お茶を出す係りもすでに決められていて、身元調査とかされ、その上で、お茶を出す訓練を九月から受けているらしい。
いっておくが、別に裏千家のお茶を点てようなんてんじゃないのよ。普通の煎茶とかよ、たぶん。その茶碗の上げ下げを訓練させられるのである。置き方が3秒長いとか、1センチずれたとか厳しく言われてな、たぶん。
子供の頃から、そういう暮らしに慣れている人なら、それが普通なんだろうがね、外からそんなとこに来ると、そりゃ誰だって調子狂うよね、と思うよね。
私としてはなかなか機会のない、我が国の皇室の有り様を間近に見る好機なので、アレコレと興味深く観察していますが、大変な仕組みがアチコチにあるのである。
ちなみに、私は特に天皇制反対派や君が代拒絶派ではない。取り立てて、好き派でもない。国民の多数がそれでいいと思ってる今は、それでいいではないか、って感じ。それに、愚かだったのも誤りもすべて現実で、そのことを内包したまま、反省しつつ未来に向かうことも一つの生き方なんじゃないかと思うのである。日の丸も君が代も、そういう象徴として使い続けることも意義深かろうと。
変な文化も制度もさ、変だからって消すことは簡単だけど、一度消すと、なかなか復活は出来ないからね。残すことの面白さ、ってのもあるじゃない。
我が母校・厚木高校の応援団みたいにさ。全部消えてしまったんだよ。名作「ホテカル」で活躍した、あの変な応援団もさ。
しかしこれは劇作家うちでは、異端派である。多くの人が天皇制に積極的に異論を唱え、君が代を拒絶している。
てか作家とか文化人の多数はそうよね。反体制が基本スタンスだからね。私は別に体制好みじゃないんだけど、敢えて言えば反体制という体制があんまり好きじゃないんだね。一見正しく見えるけど、中身はデタラメな反体制をたくさ ん見てきたからさ。まだ初めっからインチキ臭くて案の定、中身もデタラメな体制の方が、マシだみたいなさ。
ちなみに劇作家協会は違うよ。ここはかなり真面目にいろいろ考えて議論とかしてる。
でもさあ、今となっては皇室も辛いぜ、きっと。大変だよ、あれは。
ここらで一回、あちら側の皆さんの、正直な気持ちを国民みんなで聞いた方がいいんじゃないだろうかね。天皇制が差別の元凶だってのは、まったくその通りでさ、で、その中でも一番差別されてるのが、実は今や、あちら側の皆さんなんだよね。だってお休みのお茶一つがそんな具合なんだよ。ここに至るまでの歴史の問題はさておきね。今一番大変なのは、あちら側だよ。俺なら、この時代にあの役目を担うのは嫌だな。

それはともかく、心配な上演時間だけど、稽古場のスペースの問題もあって、シーンの繋ぎが稽古出来ないのである。これは劇場に行かなきゃ、どうにもならない部分でもあるしな。しかし音楽で繋ぐ出し物なので、そんなに延びることはなかろう。まだまだ日数もあるしね。
ともかく、この時点でそんなこと心配するほど、仕上がってきている。
あと、飛梅組がいろいろ上達し過ぎてさ、がんばってる素人というよりも、下手な玄人みたいに見え始めているのも困ったことだ。
この人たちはあくまでも、一般県民なんじゃけんね。それが、たくさんたくさん練習して、玄人モドキのように見えるとこまで来てしもうたんやけね。ここんとこ、ちゃんと伝えておかなくちゃ、いかんなあ。
なんじゃこの下手なダンサーどもは、とか言われたら、悲しいぜ。

和太鼓双子のAUNと博多太鼓連合が練習に加わり、生太鼓の迫力が加わる。
あと、あんみつ姫のトマトさんも来て、初稽古。まだかるーく合わせただけだけど、すでに可笑しい。
我々のショウが徐々に全貌を現しつつある。

と、そんな矢先に、またも台風である。
やはり来たか。超大型だってよ。大型ばっかだし。
とにかく台風の年であることよ。 



日記16日号(2004.10.16)

錦糸町に行き、稽古場へ。
草刈さんと、嘉島さんの太鼓の叩き合いのシーン。小倉祇園の草刈さんと、江戸助六太鼓の嘉島さんが、太鼓の腕を競い合うという趣向である。
んで、まあ一回、軽くセッションしてみましようかと、いうことで、小手調べの叩き合いをして頂いたのだが、これがスゴイの何のって、二人が叩き始めるや否や、サーッと鳥肌が立ったのでありました。
芸達者の嘉島さんが見事に太鼓を叩くのは、さすがチビ玉、って感じなんだけど、驚くのは草刈さんの太鼓の見事さだ。小倉にいた子供時代に、祇園太鼓を叩いていたというのだけど、それから三十数年を経ても、消えていない感覚と技術があるらしいんだな。
小倉を離れて以来、練習なんかしてないんだよ。でもカラダに染みついたリズムがあるんだという。
とにかくカッコいいんだ。基本リズム担当のドロと、派手なオカズ担当のカンというのが、太鼓の両側から叩くのが祇園太鼓なんだけど、草刈さんは踊るようにカンを叩く。かつて小倉の若者たちは、それぞれにカンを工夫して、その格好良さを競い合ったのだそうだよ。その姿は、俳優になってから未だ人に披露したことはないものなのだそうだ。NHKのお祭りの番組で、叩く姿は少し見せたらしいけど、本当に格好いい派手なカンの姿は見せなかったらしい。
そんな草刈さんの祇園太鼓と、東京の太鼓をみっちりやってきた嘉島さんの江戸太鼓と、正真正銘、小倉と江戸の叩き合いが実現している。
思いがけぬ、ご馳走のシーンが出来上がった。
閉会式音楽劇のグレードは高いぞ。

さて、その後、福岡に。
到着して、さっそくスタッフたちとミーティング。
明日は朝から、福岡女子大で稽古である。
閉会式に負けてはならじである。



明日は福岡(2004.10.15)

 今日も錦糸町の稽古場。何か東京に帰ったような気がしない、結局、ずっと稽古場にいるわけだからね。
 でも、博多組とは違って、こっちは私が長年慣れ親しんだ、セリフとト書きの世界である。
 ある意味、安らぐ。もちろん、気は抜けないけど。
 何よりも驚くのは草刈さんの気合いである。稽古場に来て二日目なんだよ。なのに、もうすべてのセリフが入ってる!いったいどこで入れてきたんだ、って感じ。
 あれよあれという間に、草刈さんの全登場シーンが展開されていった。公開までまだ一ト月あんだぜ、早すぎないか?
 稽古の初めは、山川恵里佳さまの歌稽古であった。これも心配はまったくなし。ま、赤毛のアン見て、この子は出来ると確信してたから、驚くことじゃないんだがね。
 そもそもブイロクの長野クンの『フォーティンブラス』に出てて、その時に、なんと芝居心のある子だろうかと、感心したのが始まりである。
 本人も芝居が大好きで、その時以来、うちの公演には欠かさず来て、酒を飲んで行くようになった。そういう点で山田まりやに似てる。山川クンも、世間ではバラエティ専門の小娘としか思われてないもんな。
 でも、実は演劇人の魂を持っているのである。
 うちの芝居に来て、飲み会に出たら、演劇の魂持ってることになるのかよう、という突っ込みの声が聞こえるが、そうなのである。うちの芝居に来て、飲み会に出る奴は、演劇の魂が注入されるのである。
 
 あと、稽古で特筆すべきは、小倉から来てる、橋本茜。もともと大きい人なんだけど、稽古場でも存在がとても大きい。こんな大きな仕事は初めてなんだけど、堂々としている。昨日から一夜経って、少し落ち着きが出て、ますますドドーンと構えている。頼もしい新人女優だ。東京で、何か一つ目立つ役でもやれば、あっという間に注目されて、売れちゃうんじゃないかと思うよ。
 少し般若顔でな。二十四の若さで、何かすでに女の情念が溜まりまくって、いつ爆発するか分かんないみたいな、危険な気配がプンプンしててな。
 怒らしたら、殺されそうでな。
 昔の桃井かおりみたいな感じだよな。
 
 もう一つ、秘密のアクロ稽古場に行き、若井田先生と打ち合わせ。そんで、ついに秘密装置の実演を見せて貰う。
 まだ誰も見たことのないモノである。キダムでだってやってない。
 当然だけど、スゴイ。
 しかし、まだ練習段階で、もっともっとスゴクなるはずだ。
 とにかく、その装置の異様さと存在感にまず圧倒される。実にスゲエものを作ってしまった。
 
 稽古の後は、草刈さんの対談を収録。福岡のテレビ番組のために。
 草刈さんは小倉人である。私も母の実家が小倉にあり、小学生の頃少し住んでもいた。
 その縁で、今回福岡の仕事を依頼されたのである。一応、郷土の作家という訳だね。
 しばし小倉話で盛り上がる。
 でもただ素晴らしいところって感じじゃなくて半分は悪口みたいなもの。何しろ、パンチパーマ発祥の地なんですよ。草刈さんのいた中学なんか、一年中ガラスが割られてて、ちゃんとガラスがはまっていたことがなかったんだそうだ。卒業式で先生が殴られて死んだこともあったらしい。
 でもね、そんな悪口叩きながらも、こうして、たった一回の上演のための作品作りに励んでいるのである。それも小倉で、小倉についての芝居をやるからなんだ。
 故郷ってそんなもんだよね。
 特に、草刈さんは小倉では辛いことが多かったそうだから、心中の複雑さは計り知れない。
 愛して憎んでいる。

 今回の出演依頼を受けた時、運命を感じたんだ。
 
 そう仰った言葉、どこまでも重く。そしてステキだったな。
 お陰でとてもやりがいのある作品になった。
 
 さて明日は錦糸町で稽古を見て、夜の便で福岡に戻る?行く?土日は東京から、全スタッフが総結集する。
 いよいよ、カウントダウンに突入だ。
 

 
 



峠のような(2004.10.14)

 久しぶりの東京は、ホントにホントに峠の如き山場であった。昨夜待ち合わせ時間を聞き間違えて、午前十時に目黒駅に到着。赤星の現れる十一時半まで呆然としつつ、喫茶店でうたた寝をするハメになる波乱の幕開き。しかしっ!
 何とそこにうちの制作の太田さやかが出現。何でこんなとこで鉢合わせするんだ。わしゃ、夢かと思ったぜ。
 でもお陰で、たまっていた諸連絡がし合えて、地獄の如き無駄な時間が有意義なものに一気に転換した。さやかは、目黒のアニメ制作会社に、仲尾あずさの台本を撮りに行く途中であった。それにしてもこの偶然。峠越えに向かう時、雲間から光臨なり、って感じ!
 さて、ヤマハスタジオに向かい、氷川きよしさんと打ち合わせ。開会式ショーの全貌を語る。
 実は当初の予定から比べたら、いろいろやらなくてはならぬことが増えているのである。それで、きよしさんは最初戸惑っていたようだが、一つずつの説明に、一所懸命に耳を傾け、理解しようと努めてくれる。疑問点は遠慮なくこちらにぶつけてネ。実にまっすぐで真面目な青年である。そこで私も気合いが入る。
 今回のショーは、出会いをテーマにしていて、全出演者に、今までなかった初めての出会いをして貰うつもりであること。そのために、きよしさんにも新しいモノにチャレンジし、今まで誰も見たことのないようなモノを産み出す気概で望んで欲しい、と思っているということ。
 前例のないショーを作るんだ。
 その思いは、私がこの仕事に取り組んでから、一貫して追求していることであるが、今日、究極のリクエストとして、私も遠慮なく、きよしさんにお伝えした。
 きよしさんはすべてを聞き届けた後、それは是非やりたいことですね、と応えてくれた。
 良かった。
 お腹のそこから、ホッとした息が吹き出してきたね。
 大きな峠を越したそこには、希望に満ちた、大平原が広がっていた。
 そんな感じ。
 その後、スタジオ内できよしさんの『翼あるもの』を生で聴かせて貰う。居合わせた一同、この人はホントに歌のうまい人だと感動する。
 そして独自の世界にきっちり仕上げる、その強烈な個性。甲斐よしひろの曲が、ちゃんときよしワールドになってゆく。
 今後の稽古では、このきよし声の、翼を使って気分を高めて行く予定。
 がっちりと握手して誓い合った。
 大成功させましょう。
 まっすぐに私の目を見る青年であった。

 さて、慌てて錦糸町に移動。今度は閉会式の稽古と、アクロの稽古場視察だ。
 閉会式はすでに読み合わせを終え、草刈さん参加の下、稽古が進行していた。
 すでに皆、セリフも入っている。歌も踊りも入ってる。その上に、役の雰囲気まで掴んでいる。山川恵理佳も狙い通りの味を出してる。『飛ぶ劇場』の、新鋭橋本茜も、初めて参加した東京稽古で、いきなり草刈さんと絡んでいるのに、ビビった様子もなく、堂々とやってる。やはり大器だな。夜の飲み会では、今日一日ずっと震えてましたと告白してたけど、震えつつも自分に負けていなかった。そこが凄い。
 それにしてもまだ一ト月あるのに、こんなに具体的に稽古が進んでいるというのは、予想を越えている。ここでも峠の向こうが見えている。
 そして茅野イサムの成長ぶりも痛感した。ちゃんと演出家になってるもんな。当たり前だけど、バリバリ仕切って、シーンを作り上げてゆく様子を見てて、オオ、もうプロじゃんと思った。
 本人や、周りの人たちは、何を今更、って感じだろうがな。
 頼もしい姿であったゾ。
 でも、それもこれもただの幸運じゃないんだ。何もかも数年前から、周到に準備してきたことが、今、カタチになりつつあるのに過ぎない。
 上手くいって当然なんだ。
 改めて今、読み返して、閉会式の台本はよく出来てる。それだって、泊クンには苦労をかけたけど、妥協なしで完成を目指し、何度も書いては書き直して貰った結果のものだ。
 この芝居が北九州だけで、しかもたった二回しか上演されないことが、残念でしょうがない。と稽古を見守りつつ、思った。
 
 一方同じく、錦糸町で進行しているアクロシーンの製作も凄いことになっている。
 今回のためにスペシャルで開発された、秘密装置、その名もポンピドゥ。それが秘密の稽古場に運び込まれて、すでに特訓が始まっているのだ。
 これもまた公開が楽しみである。
 若井田久美先生、渾身の作品になるはずである。
 
 それやこれやで、あちこち大変な一日であった。合間には、衣裳や道具の打ち合わせもあったし。
 夜は閉会式チームの懇親会。久しぶりの錦糸町・天紫亭にて。
 草刈さん、恵理佳さん、嘉島さんも参加。それぞれに初対面なので、私が繋ぎ役になって必死にお引き合わせ。あることないこと、しゃべりたおして盛り上げてやったぜ。
 
 峠を越えた、見晴らしのよい高台にて、つかの間の至福の一時!の感じであった。
 明日も、この稽古場とアクロ虎の穴へ。
 あまりに今日がバタバタだったので、どちらとも、もう少しじっくりと見てみようと思う。
 
 ただ今、14日の午前2時半。
 眠いはずなのに、まだいろいろ高ぶって眠くならない。

 日本代表、オマーンを破り、最終予選へ。
 追記。久しぶりの自宅で、体重計に乗った。福岡で太った……大変な毎日のはずなのに、なぜ太る、俺。


 
 
 
 
 
 
 
 



東京より(2004.10.13)

 一時帰京であります。閉会式ミュージカルの準備は茅野イサム隊長のもと、粛々と進んでいる様子であるが、総指揮官として、明日は東京組の顔合わせに出席するのである。草刈正雄さんが稽古場に初見参なのである。
 しかし、実はその前に、私は氷川きよしさんに会うことになっている。進んでいる博多の稽古の様子をお知らせし、きよしさんの出番などについて打ち合わせることになっているのである。
 またミュージカルの稽古を横目で睨みつつ、博多組とは別に稽古している、アクロバットチームとの打ち合わせ、衣裳の打ち合わせなど、東京にいるスタッフ・キャストたちと会ってさまざま煮詰めるという、あれやこれや盛りだくさんの一日である。死ぬかもしれん。
 
 一昨日、ついに釜山組が登場した。結論から言えば、ズラリとモデルが並ぶというのは、ガセネタであったな。平均身長七十センチってとこだ。むしろ、ずんぐりガッシリ型が多いといっておこう。
 イベント学科とか、演劇科とか、モデル科も確かに一人だけいたけど、ん?て感じのカワイイ二十歳の若者であった。
 でも、それぞれに男らしく、好感の持てる若者たちだ。今の日本の若者にない、強い目ヂカラを感じるね。まあ、ホームシックにかからなそうな、強い奴らを送ってくれとリクエストしてあるから、これが韓国のスタンダードじゃないかもしれないけど。
 登場の夜は、扉座チームも全員参加して、居酒屋で歓迎会をやった。飲む飲む、飲む!日本のビールはアルコールが入ってませんね、と、底なしで飲み干していった。
 とはいえ、ちゃんとアルコールは入っているから、そのうち全員すっかり出来上がった。彼らに付き合って飲み続けた扉座組も、最初は言葉も通じないし、モジモジとかしてたけど、そのうちに酔っぱらって訳が分からなくなって、でたらめ英語や、手振りなどで、会話を始めた。そんでやたらに盛り上がる。
 有馬はいつの間にかアニキと呼ばれて、ご機嫌で乾杯を重ね、景子も、ケイコさんキレイですね、と口説かれていたりして。(そう言ったのはヨン君という、竹内豊似の映画俳優志望の若者。ヨン様というと怒る熱く色気のある二枚目クンである)
 早い話が、扉座宴会の少しパワフル版になっていった訳だ。
 アルコールのチカラは偉大だとつくづく思ったね。アルコール抜きではこうはいかんだろうな。ガンなんか、しばらく黙ってたのに、気が付くと大声で、しかも完全な日本語で、彼らとアレコレ話してたもんな。でも妙に通じ合ってるようで、互いにガハガハ笑い合ってるのが不思議に愉快であった。

 扉座は国際化が著しく遅れてるからね。パスポートさえ持ってない奴もたくさんいるんだ。今回のは実に良い経験である。とりあえず、釜山に公演に行こうか。実際、呼ばれてたりもするのである。
 
 さて昨日は、甲斐よしひろさんのコンサートが、福岡であった。パリーグのプレイオフもあったけどね。
 稽古が延びてしまって、必死に駆けつけ、何とか後半の盛り上がりから参加。
 福岡で聴く甲斐は格別に良い。まあ、福岡で見るホークスも格別だろうがね。(実は、有馬はそっちに行ったのである。福岡で赤星のパソコンが壊れてどうにもならなくなり、それでは困るのでヨドバシカメラで新しいのを一つ買ってやったら、何とプレーオフのチケットが貰えてしまったのである。有馬は昔からホークスファンだからね。あげたんだよ。第五戦まで行かなきゃムダになる券だったけど、ラッキィにも五戦突入だったし。そんで今夜は稽古を抜けていいから、行っておいで、と温情をかけて上げたのは何を隠そう私である。稽古は大事だけど、こんなこと一生に一度あるかないかじゃない。そんな時にたまたま福岡にいて、しかもチケットが手には入るなんて。こういうご縁は大事にしなきゃ。それでまた有馬も頑張れるんだからネ。怒ったらイケンよ、みんな)

 一方こちらは三十周年記念コンサートで名曲全曲演奏である。『観覧車』もやってくれたよ。しみじみと懐かしい。隣に赤星がいたんだが、奴も懐かしがっておった。『観覧車』は初演の「曲がり角」に使ってるんだ。それは赤星の初舞台で、死体の役だったもんだ。
 ラストソングは聴くと自然に泣いてしまう、破れたハートを売り物にして、だ。これも曲がり角で、しかもラスト盛り上がりで使った曲。
 こっちはこっちで、運命的な夜だったのさ。
 
 楽屋で甲斐さんに会う。
 『翼あるもの』を開会式で使ってることを初めて告げた。というか、ずっとお話ししそびれていたのだ。最初に許可をとらなきゃなのにね。でも気持ちよく、やってやってと言ってくれたよ。
 六十歳のお母さんたちまで、ロックミュージカルチックに歌ってますぜと報告したら、ウケてくれた。
 そして当日、メッセに来てくれるよう改めてお願いして来た。
 その『翼あるもの』見たいなあ、ビデオで撮って送ってよ、だって。
 甲斐さんも期待しとるけんね。ますますがんばらんとイケンよ、飛梅組の諸君。甲斐さんは五十なんやけね。それでも、あんなにロックしてるんやけね。
 
 それやこれやで町に出る。
 ホークス優勝を待ちかまえる、博多の町だ。
 んが、結果はご存じの通り。
 有馬も泣いて電話をかけてきたナ。
 今の住処が中州に近い場所なので、夜通しのドンチャン騒ぎで眠れないことを覚悟したが、拍子抜け。
 その代わり、ラッキイ池田夫妻らと親不孝通りのケンゾウの店で夜更けからダーツに興じることとなり、そっちの方で睡眠時間を減らしたのであった。

 どうじゃ読み応えのある 長編日記であろう!


  
 



日記(2004.10.11)

またしても台風である。直撃されたのは東海関東で、珍しく福岡は無事なのであるが、我々の進行は打撃を受けた。今日、こちらに来るはずだったスタッフが来られなくなったのである。まったく台風年である。山根一真さんの説では、こうしてどんどん台風が来るのも、しかも大型化してるのも、全部地球温暖化の影響らしいですがな。
にしても、ニュースで見て呆れるほどの大雨ですな。
みなさん、ご無事でしょうか?被害に遭われた方々には、お見舞いを申し上げます。
来るはずで来られなくなった人たちの中には、韓国釜山の学生七人もいる。昨年我々も乗った釜山と博多を結ぶ空中翼船で来るはずだったのが欠航で、明朝、門司に着くフェリーに変更になったのだ。
釜山から参加の釜山芸術短期大学の学生諸君は飛梅組に参加する予定である。通訳は付かず、いきなり我々と共同生活に入って稽古するのである。私たちはそれを博多ウルルン滞在記と呼んでいる。飛梅組に男子が少ないので、全員男子である。
人選は昨年、釜山でお世話になった大学教授の姜先生にお願いしている。これはまだ未確認で、明日になればはっきりするのだが、来る学生はどうやらモデル科の学生だという。その大学には、モデル科というのがあるのだ。我々が行った時も、それはチェック済みである、というか目についていた。妙にスラリと背の高いお嬢さんたちが一塊りでいるなあ、と思ったら、そこにモデル科の看板があった。我々の目には女子しか入らなかったけど、おそらく男子もいたのであろう。
韓国男子モデル七人の来福である。若きヨンさまたちである。
昨今の韓国イケメンブームの完全なる先取りである。我ながら、自分の企画力の確かさに関心する、って、たまたまなんだけどね。しかも、まだ噂の段階だし。女性が圧倒的多数の、飛梅組。励ます意味も含めて、モデルの卵たちが来ますぜ、と教えてあげたくて仕方なかったのだが、もしもそれがガセネタで、明日、全員のテンションがどっと下がるようなことがあってはいかんと思われたので、敢えて黙っておいた。
さて、どんなものか。
結果は明日報告する。 

 



日記  8日(2004.10.08)

今日は稽古はお休み。博多に来て初めての稽古休みだ。私はたまっていた原稿仕事などやっつける日。
何か博多に行きっぱなしになれば、ケッコウ時間が空いて、いろいろ出来るような気がしていたのだ。それで博多にいる間にやりますよ、みたいな仕事をたくさん作ってしまった。けれど、これが間違いであった。読むべき本や資料も今のところ、まったく目を通していないし、書くべきモノにも手を着けていない。これからはますます忙しくなるので、きっとますますやらないだろうな。
昨日も夜からが大変だった。
稽古終わりで、まず福岡県庁に行って、見るべき資料を見て、打ち合わせをし、その後東京から、新企画で打ち合わせたいという人たちと会って、遅い晩ご飯を食べつつ話しを聞き、そうこうするうちに、赤星の携帯に舞台監督の小林さんから電話が入って、打ち合わせたいことがある、と。この時点で十二時近くだった。
東京ならば、では明日とか、明後日とか、なるはずなのだが、監督も近所に泊まり込みなので、今から会って相談した方が早いでしょうということになり、そこから合流して打ち合わせ。まったく違う場所にいてそれぞれ別の打ち合わせしてたのに、電話を受けてから合流まで約十分。なんたる近さ。しかしこうしてどんどん忙しくなってゆく。
優秀なスタッフの働きで問題はたちまち解決し、打ち合わせ終了。今日が休みということで、若い劇団員たちとちょっと遊ぶ約束あり。彼らは焼き肉とか食っていたらしい。
午前一時半過ぎにトシ、ケイコ、トモらと合流、近所のダーツバーに。奴らと会うため中州に向かう途中、ガクっと肩を落としてフラフラ歩く老人とすれ違った。と思ったら、有馬クンだった。例によって全身全霊を飛梅組に捧げる猛稽古で疲れた後、焼き肉食ってマッコリ飲んで、ボロ雑巾状態になったようだった。
すぐ側をすれ違ってゆく私にも気づかぬ様子。
その後ろ姿に、思わず手を合わせ、ヨタヨタと寝床に帰る彼の無事をお祈りした。



日記(2004.10.07)

1日から博多に入って、開会式の稽古に突入しています。パソコンも持って来ているんだけど、ネットに繋がってないので、日記更新が出来ませんでした。今は田中クンに原稿を渡して、アップして貰っています。
住んでいるのは、ウィークリーマンションです。かなりの繁華街で、ついフラーっと遊びに出てしまいそうになります。というか、すでにフラーっと出歩いたりしています。とはいえ、連日、遅くまで打ち合わせとかが続いてて、大暴れする元気は残っておりません。何しろ、みーんなでこっちに住んでしまっているので、終電の心配もないし、当然のように夜中までが活動時間に勘定されてしまうのですね。んで、十一時からミーティングとか、平気で言い出す。
そんなことを平気で言い出すのは、今回の鬼の演出助手スペシャル・コンビ、則岡クンと有馬クンです。特に今回、有馬兄さんのエネルギィは凄まじく、体内マグマふつふつ、脳内物質ピリピリ、大噴火間近の様相であります。
相手は素人なんだから、そんなにムキになって、やらなくてもいいじゃないのさ、と私が呆れるほどに、素人集団「飛梅組」に愛情を注ぎ込み、鬼の特訓を課しております。まあ、こちらの要求がとても素人集団相手にしているものとは思えないぐらい高度なものにどんどんなっていってる事情もあって、特訓するに越したことはないのですがね。にしても、まるで劇団の新人を相手にしているかの如く厳しく厳しく、ビシビシ愛しております。
そんで稽古終わりにはすっかりとご自分が疲れ果て、先日の東京から来たスタッフの歓迎宴会の途中で、ぐっすり眠ったりしておりました。実は兄さんは結構いい歳なんでね、途中で倒れなければいいんだけどね、と案じております。
彼らのお陰で私は比較的のんびりと、穏やかに稽古時間が過ごせるのでありますがね。
さてそんな私は今、博多では、機会があればとにかくイカを食うようにしています。ラーメンもいいけど、やはりイカです。まずは活き作りの刺身で、そんで刺身の後のゲソとか、ヒラヒラ?頭?傘?の部分とかを天ぷらにして頂きます。これと白いご飯に明太子があれば、私は満足です。
もちろんラーメンもせっせと食べてはおりますが、イカが形勢有利です。
稽古は予定よりもサクサクと進んでおります。みんな熱心に集まってきてね。仕事や家庭もあるだろうに。必死にやって来ては、有馬に叱られてる。
しかし厳しい特訓の甲斐あって日に日に上達しております。何しろ百五十人の登録なんで、未だ町で会っても、誰だかわかんない状態なんだけど、稽古だけ見てると、本当に劇団のように見え始めた。
これは凄いことであります。今から、当日が楽しみです。
ただ、いろんな人がいろんな背景を持って来てるから、稽古のやりくりとか、キャスティグにとても手間取ってる。突然辞めたりする人もいるしね。そりゃ、百五十人いれば、いろんなことも起きるしね。
その整理が有馬やガン、幸たちの仕事である。そんで連日夜中まであーでもないこーでもないとやっている。
たとえば若者たちを遊びに連れて行ってやろうと思っても、有馬兄さんや則岡クンがダメって顔するんだ。まだ仕事が山ほどあんだぜ、って感じで。何か、私が邪魔してる雰囲気になってとても気まずい。仕方なく、一人で出歩くしかなくなってしまうのである。

追記
『ハムレット』でガートルードを演じてくれた金久美子さんが亡くなった。博多で訃報を聞いた。美しく凛々しい女優さんだった。久美子さんとは気が合った。顔も似ていた。心残りはあれが私の作品ではなったこと。久美子さんのためにセリフを書いてみたかった。同世代の美しい大人の女の言葉を。
また一つ大事な宝物を失ってしまったな





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