2004年08月                             

八月の終わり(2004.08.26)

 昨日は、研究所に。今年度の私の初授業。ずっと忙しかったからね。夏休みを早めに終わらせて登場。しかしまだ全員の顔と名前が一致しない。
 久しぶりに俳優学校らしいことをやる。
 感心したのは、二年目の研修生たち。特にユキノ。昨年は高校出たばかりで、しかも演劇経験ゼロでうちに来て、はっきりいってナーンも出来てなかったんだが、見違えるほどの成長振り。諸君、日頃の研鑽というものを忘れてはイカンよ。
 研究所もたいしたもんだな、と思った。
 なんて、まるで他人事だね。

 その後、開会式の打ち合わせを、扉座から開会式イベントの製作に参加するメンバーを集めて、プランが実現可能なものかとどうか、稽古場で実験したりしつつ、敢行。
 
 三年目の智も福岡組。
 しかし、飛梅組は女ばかりなので心配だと、牽制球を投げておく。
 いえ、安心してください。ボクは仕事をやりに行くんですから、という顔が、すでに心配。
 
 一夜明けて、今日は事務所で、閉会式音楽劇の打ち合わせ。
 そんで明日から三日間、博多に行って、飛梅組の稽古。ケッコウ大人数のスタッフで乗り込んで、そろそろ本格的に指導する。はじめの話から、三年がかりで進めてきた計画がいよいよ動き始める。

 研究所の授業のあと、松浦がニヤニヤと寄ってきて、それがニセモノすか、などという。
 時計のことらしい。
 無礼者めが、本物じゃ、と言って、左腕を突きつけてやる。
 あのねえ、デイ表示のガラス小窓見ると一発でバレるんですよ。
 え?なにそれ?
 本物は、数字がもっと大きく見えるんです。
 そうか……

 俺のもニセモノなんで。
 と見せる腕には同じヨットマスター。
 見てくださいよ、だいぶサビて来ました。
 さびるロレックスかよ。

 にしても、松浦と仲間か……
 そろそろ、こいつとも別れようかと思う、夏の終わり。
 あいつとは、ひと夏の、思い出さ。
 なんてな。
 
 
 
 

 



ちょい涼しい……(2004.08.23)

 今日は一日、家で書き仕事。
 ラジオCMと閉会式の構想まとめ。とまりクンが飛ぶ劇場公演のためにカラダが取られて、こっちの進行が開店休業状態なので、仕方なく、茅野と二人でシコシコ準備を進めているのだ。先日の打ち合わせを受けて、ちょいと作業を。
 泊クンは誠実に、良いホンを書いてくれてるのだが、少しショウアップが必要なのと、あと多忙な出演者の出番のやり繰りとか、職人技がアレコレ求められるのである。
 しかしそこら辺は、モームス、だのサクラ大戦だの、ショウアップ化でひたすら生きてる茅野さんと、演劇界にはもはや居場所がなくなって、イベント作家になっている私ですから、むしろ得意の分野なので、あれこれと作戦を練っているのである。

 一方でオリンピック観戦だ。
 ちょっと前だけど、意外に感動したもの。
 中村紀洋の送りバント。
 なんか一瞬、高校球児に見えた。
 でも、バントを成功させて見せた笑顔が最高だったね。プロとかアマとか、そういうものを捨てて、一人の野球少年がそこにいたって感じでね。
 一方で本物の高校野球もやってたでしょ。当然、レベルはゼンゼン違うんだけど、ああ、同じ野球なんだ。この人たちは、精神の奥底で繋がってるんだ、って感じた。
 そしてそれを繋いでる、野球ってもんのステキさを再認識したね。単純に、楽しく面白いんだよな、野球そのものが。
 アテネのオールスターたちは、それを思い出させてくれてる。スゴイってより、楽しいって思わせてくれるもの。
 今のプロ野球の揉め事とか、その解決のヒントはそさういう風景の中にはないのかしら。
 もっと素朴に玉を投げ、それを打つ。その行為自体を尊び愛する精神ね。
 
 つまりは、それを愛する者たちが、それをやってることが何よりも良いことなんだよな。
 こころからそれを愛してもない者が、分かったようなへ理屈捏ねるなよ、ってことだと思うな。
    



開始(2004.08.21)

 久しぶりに事務所に行く。
 サクラ大戦を終えた茅野と閉会式音楽劇の打ち合わせ。先月のアタマまで、百鬼丸とか建築ショウとか、もう顔も見たくないってほど、毎日顔を合わせてたのに、それもなんか遠いことのようで、オオ、久しぶりじゃのう、って感じ。
 その間にあったいろんなことを報告しあうだけでケッコウ時間がかかった。
 その前に事務所の玄関でブリキ男の足みたいに銀色にギラギラ光る靴のようなものを発見。明らかにメタリック素材。アルミかブリキか。
 聞けばイサムのブランニュー・サンダル。
 こんなの履いて大丈夫なのか?金属で足が切れないの?
 本当に、アルミ板かなんか切り抜いて、捻じ曲げて溶接しました、って感じの代物である。ある意味、鉄の彫刻みたいなやつ。
 つまり、またまた奇抜化に拍車がかかっているのであった。そのうち、またデジカメ撮影して皆さんにご覧にいれなくては。
 
 茅野といえば、
 事務所に生本の今月号が届いていた。今回の私の連載は、実は彼の話題なのであった。ネタに困って、身内のことで凌いだと、ここに記したことがあったが、その原稿が今掲載されている。
 文中では、茅野とは書いていないけど、わかる人が読めば、誰でもすぐわかる。
 オオ、ちょうどいい。今月はお前のことだ。
 と渡そうかと思ったのだが、書いた中身を思い出して、思いとどまった。

 そのワケは、生本勝って読んで下さい。

 誰もいない夏休みの事務所で、私と茅野、二人で顔を突き合わせ、じっと打ち合わせの日。
 

  
 



また暑い(2004.08.19)

 やらなきゃと思いつつ、気が乗らず、停滞の日々。
 寝ようかなと思うと、いろんな競技が始まって私の眠りを奪い取る。アテネは健康に悪い。

 あとさまざま食い違いが起きて、ブルーな数日。
 まあ暑さが悪いんだ。もう少し涼しくなれば、良いアイデアも沸いてくるだろう。
 今はなるべく体力温存に徹しよう。
 怒らない。
 キレない。

 怒るといえば、私がかなりのイラチで、怒りんぼであることは意外に知られていない。
 稽古でもかなり怒り狂ったりする。最近はもう、年に一回あるかないかですけどね、かつては一回の公演で一、二度はあった。いきなりクビじゃ!と叫んで、本当に団員を退団させてしまったなんてことも何度もあった。
 しかし、一度怒ると、自分が平常に戻るのに、時間がかかったりして、とてもくたびれるんだな。
 で、結局、いろんな進行が止まる。
 それにそもそも、怒らなきゃならないようなことの原因には、どこかでほかならぬ自分の行為や、存在そのものが関与していて、あらゆることが己に返ってくるものである。
 怒れば怒るほど、毒が自分に回るものだ。

 だからなるべく笑おうと思ってる。
 怒髪天を突いて笑い狂うみたいな。
 
 そうやって笑ってると、
 怒らないんですか?とか言われることがある。
 怒った方がいいですよ、とか言って、私の代わりに怒り出してくれる人まで出現する。
 それを見て、ますます笑ったら、今度は私が怒られたりして。
 それでも、
 いやあ、怒ってます、怒ってますよう、と。
 笑うのである。
 
 それでも、たまに本当に怒ってしまったりするんだけどね。
 仕方ないから、そういう時は、後でそのことをネタにして笑うようにするのである。
 
 井上康生負ける。
 早くプライドに来い。

 
 
 

 
 
 



お盆ですな(2004.08.14)

 いろいろやらなきゃいけないことがあるんだけど、人がぐーんと減った東京にいると、休み休み、って声が聞こえてくる気がして、何かやる気が沸いてこなくて、ぼんやりとしがちだ。
 そんな中、昨日は新宿厚生年金会館へ、サクラ大戦を見に。茅野の演出もはや三回目、その上、たかシがいてルオウもいて、ガンとかケンタとかもいて、かなり扉座色に染まっているのである。
 イサム演出はもう、新鋭の域を超えて、安定の領域に入ってる。一晩で二本分の芝居を見ることになるんだが、破綻なくまとまってる。
 たかシたちも、大舞台に臆することなく堂々とやってるしね。
 ただ、去年辺りまでは、茅野が何かやるというと、大丈夫かとか、扉座が混ざると、大丈夫か、とか、ハラハラして、その度ごとになんか大きなイベントが起きてる、って感じだったけど、もうそれも当たり前な感じで、それはとても良いことなんだけどね、しかし、ちょっと寂しい。
 こうやってみんな大人になってくてか、巣から巣立っていく、てかね。手がかからなくなって、それぞれの世界を作り始めていく。
 それをずっと望んでいたのだから、いいんだがな。
 な、訳で、見終わっても、取り立てて、何も言うことなし。飲み屋に行っても、しょうもないことしか言ってなかった。
 
 にしてもなんかぼんやりしてるなあと思い起こせば、夜中にサッカーとかやるのがいかんよ。アテネ時間は我々殺しだね。試合が始まる時間は普通に起きてる時間なんだ。が、終わりの時間は寝てなきゃイカン時間だよ。
 昨日は、当然のこと、開会式を見たしね。
 いいショウだったね。
 でも、俺にだって予算さえくれれば、あれぐらい作るぜ、と思ったな。
 考えてること自体は、私が今やってること、やろうとしてることとそんなに違わないのよ。福岡のイベント、愛知の万博、どちらもその規模と何よりお金のかけ方が段違いなので、単純に比べられても困るんだけど、その延長線上にアレがある、って思う。
 何といっても、これからですよ。
 アクロバットパフォーマー養成だって、来年から始めるんだからさ。
 
 
 



夏休みなし(2004.08.10)

 国民文化祭の打ち合わせ。
 音楽監督の長谷川さんと。一緒にソウルで高級時計を買った仲間だ。でも監督のブルガリはすっかりトチ狂いはじめ、一日に何十分も遅れるようになったらしい。その上、これをハメてから、ロクなことが起きねえんだ、コンチクショウ、ということになり、外してしまったらしい。
 やっぱし時計は、時計メーカーじゃないとダメなんだよ。ブルガリは所詮宝石屋なんだから、って。
 さてね?
 とりあえず、アロンアルファで修理した私のロレックスは今も動き続けてるかんね。しかも別に悪いことも起きてないしね。

 明日は、朝からNHKで「深夜劇場へようこそ」の録り。
 ゲストは照明家の原田保さんと、俳優の若松武さん。若松さんは初演「きらら浮世伝」の初鹿野さんですからねえ。でもゆっくり芝居の話すんのは実は初めてだ。
 その後、錦糸町すみだパークで、すみだシアターフェスの打ち上げを社長さんらと。
 でも、主なるテーマは、若井田先生のアートサーカス学校設立に向けての相談になる予定。
 みなで、ラスベガス行きましょうと、けしかける。
 でもホント、芝居の好きな人も馬鹿にせず一度、行くと良いと思う。ただのバクチの町じゃないから。
 アートサーカスは侮れない。
 わが国でも、必ず、その時代は来る、てか、実はもう来てる。



ウィルス(2004.08.07)

 私のパソコンが完全に病気になった。変なメールが送られてくるのはアドレスを変えて何とか止めたけど、原稿とか書いてるときに、変な画像が何もしてないのに勝手にジャカジャカ飛び出てくるのはとても困る。
 まじめな原稿書いてるときに、いきなり HОT!とかいって女の人にお尻突き出されてもねえ。
 うれしかない。
 相手はこちらを完全にそういうのが嬉しい人だと決めてかかってる様子であるのも情けない。
 んで駆除とかも試みたんだが、迎撃されてる様子で、なんともすっきりしない。調べたら、リセットみたいなシステムがあったから、ええいご破算じゃ、と思い立ち、イチから出直すことにした。もちろん、ある程度のバックアップを取った上でね。
 そして、昨日 ことに望んだのである。作業自体は驚くほどに簡単にできた。
 生まれ変わりじゃ。
 んが、さて、では必要な部分をバツクアップから復元させようと思ったら、これがCDロムに書き込んでいたつもりが、どうやらまったく落とせてなかったようで、復元しようとしても、肝心のデータの姿がどこにも見えず、メルアドとか、お気に入りとか、ネットへの接続とか、すべてが消え果たのであった。嫌な予感はあったんだけどね、ああもう、やっちまえ、状態になってしまったのだ。
 けど案の定弱りました。
 接続はケーブルの相談室に駆け込んで何とか解決しましたが、あとはどうにもなりませぬ。
 な訳で、今までメールをくれた皆さんのデータも失いました。
 アドレスも変わってるので、どうにもなりませぬ。申し訳ありませんが、用事がある人はとりあえず、扉座にメールをください。
 
 しかしね、今はこのパソコン、極めて快適です。おなかの中から寄生虫が消えてますからね。お通じスッキリ、ストレスなし、って感じ。
 ご一新てやつだね。今までは一度、ご破算にして、新しく始めましょうっての。
 事故とか、災害ってのは困るけどね、何というか、こうして古い垢とか、しがらみみたいなのから、パアっと解放されて、リスタートってのも悪くない。
 私が、ときどき無性に劇団を解散したくなるのも、根底にはそういう欲求があるからかもな。何もかも捨ててな。一人になりたい。しかも、もう演劇とかとも無縁になってね。飲み屋でたまたま知り合った女と二人、何の縁もない北陸あたりの町に行って、二人住み込みでパチンコ屋で働いたりしてな。
 
 しかしそこでまた演劇とか始めて、仲間が生まれて、劇団とか作ってしまったら、笑うな。しかもやってまいそうだしな。私の場合。結局、同じこと繰り返すんじゃん、みたいな。
 そもそも、今のパソコンの健康状態だって、いつまで持続できることか。どうせ私はそのうちまた、怪しい秘境探検を敢行してしまうんだろうしな。変な病気がウヨウヨいそうな魔界をね。
 でもせっかくこうしてキレイなカラダになったのだから、しばらくは、健全に過ごそうね、とパソコンと語り合っている。

 昨日はメリル・リンチで、コレド日本橋のピカピカのオフィスで、演劇ワークショップをやった。
 リクエストあれば、わしらは、いついかなる時、誰の挑戦でも受けるんじゃ。
 幹部相手ということで、扉座の中年殺し、フケセン田島美幸を投入した。皆さん、エグセクティブ・ビジネスマンなんだが、とても熱心にやってくれて楽しかった。美幸も久しぶりに、オヤジに囲まれて幸福そうであった。

 にしても、メリルだぜ。正直な話、わしらはそれが何の会社なのか理解できていないのであるがな…
 オフィス内のドリンク・ベンダー、飲み放題の無料ですぜ。好きなボタン押したら、いつでもどこでも、好きなだけコーヒーもジュースも飲めるんだぜ。
 次回は、水筒を持って行って、満タンにして持って帰ると美幸は言っていた。

 

 
 



中国(2004.08.06)

 中国が大変なことになっている。
 何で、そんなにブーイングなのか。つい先日、中国しかも、大虐殺の南京に行って帰ってきたばかり。毎日毎日、熱例歓迎で嫌な思いなんか一つもしなかったのがウソのようだ。
 もちろん、虐殺記念館なんていうのがあって、中国の子供たちは必ず遠足で訪れているらしいから、日本人は悪いことをしたヤツらだという感覚が育っていても不思議ではないと思う。あれを見れば、誰だって憤るし、許さんと思うだろう。
 また前回行った時、無錫を案内してくれたお役人の人と茶館で、じっくり話した時に、とにかく靖国参拝の問題の季節が来ると、しつこいぐらいに非難のニュースが繰り返されているのだとも聞いていた。潜在的には、反日感情はかなりあるのだと、率直に教えてくれた。
 それにしても、自分が触れてきたものと、テレビの中で起きていることのギャップが大きすぎて、戸惑う。
 少し前に、三国志ツアーに行った時には、重慶にも行ったんだ。でも、なーんにも危ない感じはなかったんだがな。
 やはり、ぼんやりした旅行者の目には見えてこないものがあるんだな。
 
 でもね、無錫の人も、南京のお役人さんも、日本語がペラペラでとても日本贔屓の人たちなんだな。そんで中国と日本はもっと交流して、仲良くすべきだと思ってる。南京の女子大生だって、みんなニコニコして迎えてくれてる。報道されてるのがすべて中国の態度じゃないことも真実である。みんながあんな態度じゃないよ。
 ただ、だからこそ、と言う感じで、南京の案内役をずっとしてくれてた、日本担当の外務官の周さんがこの前行った時、力説してた。小泉首相は、どうして靖国に行くんですか?と。
 あれがあるたびに、イチイチ反日感情が刺激されるんですよ。それで、私たちの仕事もやりにくくなる。どうして、そんな日本との交流を嬉しがって進めるのか、と。私は日本が好きだから余計に困るのです、と。
 どうして?
 と言われても、本当のところ、どうしてなのか、私らもよく分かってないからね。どうやらそれが選挙の票に繋がってるらしいことぐらいは推測出来るけどね。我々は周さんに上手く説明出来なかった。
 ただ、これだけは言える。
 正直いって、靖国という場所に、私はまったく関係ないし、ピンと来ないのだな。で、まあ、どうでもいいや、と思ってる。けれど、あちらでは、それを大問題にしてる。我が国のことなんだから黙ってろ、という言い方もあるのかもしれないが、やはりそれは新しい時代を築いてゆく感覚ではないな。
 
 とにかく対話が必要だと思う。
 古い考えにとらわれて、もう動けなくなっている老人たちは、ほっておけばいい。それは日本人も中国人もね。恨み合ったままで死ぬしかない関係というのも、この世にはあるもんだよ。
 でも、我々はね、てか、まだ新しい考えを持つことの出来る者たちは、問題の解決ということに力を注ぐべきじゃないだろうかな。それも言葉の力でさ。
 
 今度の福岡では、南京からたくさんの若者たちが来るからな。
 私も今一度、考えて、新しいアイデアをもっておかなくちゃイカンと思ってる。私はブーイングを受ける日本人のままではいたくないよ。状況を改善したい日本人だ。
 
 明日は夕方から、メリル・リンチというところで、エグゼクティブ・ビジネスマンのための演劇ワークショップ。
 思いも寄らぬところからの依頼だったので、思わず自分で引き受けてしまった。
 しかし、一流会社というのは、やはり侮れませんね。明日は、幹部クラスの人たちが強制参加で、私の演劇教室を受講することになってる。
 部内コミュニケーションの活性化と、それぞれの能力開発のためだって。
 新しいビジョンである。
 
 



本日は(2004.08.05)

 久しぶりに家でひたすら、机に向かってお仕事でした。
 まずは国文祭開会式の台本、こんとこの各セクション折衝において、細部が明解になってきたので、ここらで一通りの整理を付けておこうと。
 これについて、何かやるたびに、たった一回きりのことなんだよなあ、と思う。もったいないというか、次のない、つまり完璧な一回勝負の怖さというか。
 まあ、元々がライブに生きてる人間な訳で、芝居こそが一期一会の表現なんだから、いつもと同じと言えばそれまでながら、上演回数一回なんてのは、高校演劇以来やってないからねえ。
 これをどう考えて、臨んで行くか。
 言葉じゃ何とでもいうのだが、気持ちに収まりがつくのはもう少し先かな。

 ともかくそんな訳で、原稿書き。その度ごとに使う予定の曲とか聴きながら。
 「氷川きよしベスト」もかなり聴き込んだぜ。

 とそんなこんなで家から一歩も出ず。
 よく働いた、で少しのんびりしようかと思ったところに、メールが一通。前に書いた原稿の字数がまったく不足してた。自分でも何かやたらに短い原稿だな、窮屈だな、と思っていたんだ。
 にしても、半分ぐらい足りない。ほんとにぼんやりしていますね。
 慌てて、書き足した。
 ちなみにこの原稿は、週刊金曜日の書評のコーナーである。
毎週担当してる訳ではなく、月に一二回なんだがな。
 ちなみに田中クン、週間じゃなく週刊だ。よろしく。あと、春秋の連載はもう終わったから。よろしく。

 明日は朝から、何と朝だよ。劇作家協会の理事会。こんとこ参加できてないので、何とかせねば。
 その後、愛知博の打ち合わせ。
 愛知博で、何やるのか、そろそろ発表の頃かな、とも思う。
 



きんしちょう(2004.08.04)

 久しぶりに錦糸町に行った。
 すみだパークの社長さんと、エアリアルの若井田先生をお引き合わせ。若井田先生のアートサーカス学校をパーク内に設立できないか、相談。
 アートサーカスの将来性など、一生懸命説明して、是非、ご協力下さい!とお願いするのであるが、何か『マネーの虎』みたいだな、と思った。どうぞ我々に、出資して下さい、ってやつだ。
 しかし、社長は建築ショウも観ていてくれてて、ケッコウ好感触。来年から、一つ研究所が増えているかも。

 その後、サクラ大戦の稽古場に、差し入れを持って、激励に。
 茅野と、たかシとかルオとかガンとかケンタとかトモとか、いろいろ我が軍がいる。うじゃうじゃいる。
 ご迷惑をおかけしていないかと心配。
 広井さんにもやたらとご馳走になっている様子。
 うちのワンちゃんたちが贅沢を覚えちゃいけないので、ドッグフード以外あげないで下さい、なんだがな。
 
 ともあれ、皆、元気でやってる。
 茅野クンのランニングシャツ姿と、サンダルと坊主アタマ姿、今の季節ならぴったりだった。
 でも何か、夏休みの子供会のキャンプの兄ちゃんに見えたのは私だけか?
 
 そういえば、田中クンがトップページにやっと私の日記の存在を示してくれた。
 別にいいんだけど、ずーっと放置されてる茅野ページだけトップページで表記されてて、こまめに書いてる私のことに触れてくれないのはなぜ?だうして?
 とこの前、赤星クンの前で呟いてみたから、加えてくれたんだな。
 にしても、どうして、田中クンは茅野クンの方ばかり見てるのかなあ。よっぽと好きなのか、もしかしたら弱味でも握られてるのかなあ。
  



八月(2004.08.03)

 日曜日、デザイナーの吉野さんの、隠れ家懐石料亭に行った。吉野亭の忍者屋敷的一間を、特別にお座敷にして、週に一組だけお客さんを入れるという特別和食亭である。
 本格的な懐石で、わざわざこのために一流の料理人さんが来ている。でもお運びするのが日頃会ってる友人。しかも、まったく普段着のジーンズにTシャツ姿、ってこれどうよ?
 まあしかし、とても美味しいご馳走に、何よりもこんなとこにこんな空間が、という贅沢感。大人の東京ウォーカーって感じで、面白、美味しく過ごした。

 その前には本多劇場へ。平栗あつみさんの出てる、コミック・ポテンシャルを観に。
 とても久しぶりの加藤健一事務所公演。
 今となっては、同志ともいうべき、八十年代から続いてる残り少ない集団ですな。満員で大受けの客席。何より。
 それにしても、観客席の年齢の高いこと。新橋演舞場かと思ったね。
 始まりの暗転で、曲が流れ出した。
 と当時に笑う、客席。私は何のことか、さっぱり分からなかった。なぜ笑うの?って。
 そしたら、別に頼んだ訳でもないんだよ。平均年齢高めの客席にありがちな、感想や驚きを声に出して述べる、おばさんの声がどこからともなく聞こえてきたのだった。
 「ああ、冬ソナ、冬ソナ、ははは……」
 そうか、これが冬ソナのテーマなのかと分かったところで韓国語の歌詞が始まった。
 にしても、おばさんはなぜ、声に出して、解説するのか。頼んでもいないのに。
 新橋演舞場を十年やってるけど、それはまだ解けぬ謎である。というか、私もそのうち、そんな風に声に出して、何か言うようになったりするのだろうかね。確かに、最近、時々、テレビに向かって何か言ってたりすることはあるんだよな、怖いけど。
 「たしたもんだよ、イチロー君は……」とかさ。
 
 あつみさんとは、お茶でお話し。
 あつみさんは秋から半年、ロンドンへ演劇留学。文化庁の研修生として。
 これから先の女優人生を考えた時に、もう一度勉強したいと思ったのよ、だって。
 ようく聞いておき給え、劇団員たち。

 
 

 
 





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