直太朗(2004.07.29)
東京サンダンスという芝居に出ていた。 V6の井ノ原クンと、扉座の佐藤累央と、直太朗が、下北沢のダメバンドのメンバーという役だった。 ギターが弾けるヤツというのが、キャスティングの条件で、確かにギターは上手かった。でも芝居なんか出来るのかよ、こいつ?って感じだった。 最初の驚きは、稽古場の宴会で、直太朗が弾き語りで自作の歌を歌ってみせた時だ。 たぶん今も歌ってる歌もあったと思う。 演出の杉田監督もトニセンも六角もぶっと飛んだ。 何者だ、こいつ、に変わった。 でも、今の時代には合わないよな。惜しいな、と皆で言い合っていたものだ。
それが、今日、シブコウで。 思えば、彼のセリフにあったはずだ。シブコウでやってみてえ、って…… 今の直太朗あの頃の歌も良かったけど、それ以上に世界が広がり、名曲がたくさん生まれている。 加えて、ずっと彼と詞を共作している御徒町凧(カイトと読みます)が台本書いて演出して、芝居風のステージにしてる。スタッフも私と同じでね。演劇に気持ちが近い人たちなんだな。デビューがパルコの舞台で私の作品というのも、伊達じゃないのである。 そのカイトがね、ずっと前、埼玉アリーナでV6のコンサートを一緒に観た時、こんなこと言ってたんだ。 「こんなに広い場所の、ずっとずっと遠くのあのステージから、いったい何が見えるんだろう、って考えたら、何か泣きそうになっちゃった……」 詩人なのでね、言うことがちょいと違うんだね。 でもね、今夜は同じ言葉を彼らに返すよ。 「そこから、何が見えた?」 そりゃ、スーパーアリーナほど離れちゃいないけどさ、遠く高いところに昇ってたよ、君たちも。 そんでこれからも、もっともっと遠く高いところに行くだろう。そこから何が見えるのか、語ってくれよ。 って感じだった。 明日は北九州の閉会式音楽劇に出て頂く予定の某大俳優に、正式な出演依頼をしに行く。
一月遅れの(2004.07.28)
百鬼丸の打ち上げを、手塚プロの社長さんらと。 忙しさに紛れて、自分たちが何をやったのかさえ忘れていた。偶然に偶然が重なって、百鬼丸が生まれ、多くの人に祝福されたことを改めて噛みしめる。 幸せな夜だったな。ご馳走もたくさん頂いたしね。 深夜、帰宅すると、演劇ブックの取材原稿の校正が来てた。 奇遇にも、百鬼丸で貫徹の一日! 明日は、森山直太郎コンサートにシブコウへ。 扉座の衣裳チーム・ドルドルドラニが衣裳を担当。建築ショウ、そして国文祭の美術の金井勇一郎さんが美術担当。 さまざまに重なる縁。 じっくり鑑賞して来ます。
福岡も(2004.07.27)
日曜日は、福岡で、飛梅組の練習。 福岡女子大の体育館で。 女子大と言っても、夏休み中である。しかも体育館は冷房なんかない。すべてのドアを開け放って歌だのダンスだのを練習したのだが、これが暑いの暑くないのって、何だか久しぶりの感覚でありましたなあ。 夏の部活みたいなね。 でも、やる気のある百数十人のメンバーたち。それぞれ汗だくで課題に取り組んでいる。 成功させなきゃイカンという気にますますなるねえ。 暑いけど、手抜きナシで皆、がんばる。 でも時々ドアから吹き込んでくる風の気持ちよいこと。風ってもんが、あんなに気持ちよい、ってことも久しぶりに思い出した。 博多は、東京と違って、まだ海風が吹き込んで来るのであろうな。
練習後は、私と赤星だけ博多に残り、あんみつ姫という劇団のショウを観に。劇団ていっても、親不孝通りで博多歌舞伎と呼ばれるステージを毎日三回、ずっとやり続けているショウ劇団である。 そこの座長さんが、トマトさんといって、知る人ぞ知る素晴らしいオカマ・エンターテナーなのだが、開会式のことでちょっと相談があって、行った。 相変わらず素晴らしいパワーのパフォーマンスとアタマの回転の鋭く速いトークで、面白いステージであった。六本木に金魚っていうある意味・世界的に有名なショウパブがあるけど、そこによく似た感じだけど、ずっと手作り感があるんだな。もちろん言ってしまえば、チープともいえるんだけどね。しかし大御所金魚が長い歴史の中で、ピークを過ぎ、少し擦り切れて来た感じのある一方、あんみつ姫は、まだ勢いが持続してる感じ。鉄工所のクレーンに吊られて宙乗りやってる、トマトさんの頑張りに拍手。建築ショウもこの手があったかと、目から鱗だったぜ。そうだよ、鉄工所のクレーンだ。次はな! ともあれ、あんみつ姫、博多に行くことがあったら、見にいってみて。 立派な観光コースであります。
ところで、この親不孝通り。今は富孝と書くらしいがね。 この一角に、スーパー歌舞伎新三国志が縁起となって、建立された関帝廟があるのである。わかりにくい駐車場の一角なんだがね。ちゃんと関羽の像が祀ってあるのだよ。 そのお披露目が、昨年の冬の博多座プロモーションの時であったんだね。 素通りは出来ないと思って、ちゃんとお参りして来た。その後もいろんな人が立ち寄ったらしく、写真とか貼られてました。その中に、我々の訪問の記録もあって嬉しかったゾ。 赤星も驚いておった。 諸君も、博多に行って、親富孝通りに行くことがあったら、必ず立ち寄って、お参りするように。 追伸その② あんみつ姫で、ショウが始まる直前、とまとさんが私らの席にわざわざ挨拶に来てくれて、恐縮した私がイヤイヤと頭を下げたその時、またも左腕のソウル・ロレックスの止め棒が外れてチェーンが取れた。そのまま、なくさぬように赤星のイカサマ・エルメスカバンに棒と時計を放り込み、翌日、直して貰って再び腕に装着したものの…… このソウル野郎、ますます油断ならぬ感じになってきた。 この夏を越すことが出来るのだろうか……
くたばってます(2004.07.24)
出来事だけ書いておく。
水曜日、朝から名古屋行き。愛知博の建築現場へ。赤星やスタッフの皆様と。来年の愛知博で、とある仕事をする予定あり。さまざま問題のある博覧会だけど、はや建築は進んでいる。ホントにやるんだと確認。 それにしても暑い。しかも冷房なんかない現場にヘルメット着用で入って視察。この段階ですべての工事を止めて大規模な建築ショウをやらせてくれたら、面白いのにと、熱中症寸前のメット装着アタマで考えた。 愛知博の何をやるのかはまだ秘密。 打ち合わせ後、暑いのに、なぜかミソ煮込みウドン食って終電間際の新幹線で帰った。
木曜日、昼から打ち合わせ。 福岡の開会式のパーカッションについて、韓国からの強敵太鼓軍をいかに迎え討てばよいか、太鼓の先生佐藤さんと相談。 ソウルで撮ってきた資料映像を見せるが、気が付けば、赤星が、この子はスタイルが良いですとか、カワイイですとか、ほとんどカメラ小僧のような感覚で女子大生たちのことを説明。しまいには、太鼓に関係ない南京の女子大生の映像まで佐藤さんに見せ始めた。 ともあれ、打ち合わせ…… その後、厚木の市役所の人が来て、打ち合わせ。来年、市制五十周年なんで何か出来ないかと相談を受けている。今のところ明確なプランなんかなし。予算も驚くほどない…… で、これでは無理よ、といいつつも、思いつくまま、いろいろ言うと。それがケッコウ受けて、何とか実現したいです、という結論になぜか至る。世話になってる厚木のことだから、一肌脱ぎたいところなれど、また忙しくなるのかと、ちと溜息。何しろ暑すぎる…… その後、歌舞伎座へ。 桜姫と、四の切を観に。 段治郎が玉三郎さんの相手役だよ。かつて孝夫さんがやってたポジションだぜ。めまいがするような感覚。それにしても南北はおもろいね。人間がいかに無茶苦茶なものか、それを痛快に描いてくれる。それでいて、お洒落。ただのエログロにならずにエグイ。そこが絶妙。 段治郎らおもだか一門、がんばってたよ。 四の切ではお師匠さまの義太夫に注目。相変わらずの男前ぶりと渋声、後家殺しっ!でござりました。登場の時、よっぽど声かけようかと思ったけど、やっぱちょっと恥ずかしくて出来なかった。 今ココでいう 「待ってました」 「葵太夫!」 四の切はもう何度となく観てて、たぶんすべて葵太夫の語りだったはずなんだけど、初めて義太夫に注意しつつ観た。じっくりと語りに耳を澄ませ、視点を変えて観ると、見慣れたはずの舞台にも、またいろいろ発見あり。 しかし、やはり猿之助のいない七月…… 暑くて暑くて、寂しい夏である。
終演後、お師匠さま行きつけのお店に。ご馳走になりつつ、いろいろお話を。 銀座で話題になっている、百鬼丸。少し鼻高し! 二時過ぎに帰宅。へろへろ……
金曜日、昼からハンズで開会式の打ち合わせ。 そろそろ具体的なプランが見えてくる、と同時に現実的な予算との摺り合わせも始まる。夢は大きく予算は小さい…… 前途は多難であろうな。 でもアクロバット若井田(ヨイトマケ)先生とアートサーカス研修所を作ろうという計画なども同時に話し合った。希望も大きく膨らんではいるのだ。 菊池社長に誘われて、渋谷のラブホテル街のライブハウスで、和太鼓デュオのAUNのライブを見にいく。今度の開会式でも太鼓を使うので、参考にと。素晴らしいパワーとノリ。太鼓が空きっ腹に響いた。そして実際に、いろんなヒントを貰った。今の私はいろいろ企画を抱えてるので、何を観ても参考になる状態。 良いモノは臆面もなくパクル。これで行こう。
追伸、本日、お昼の打ち合わせ中、突然、私のソウル産・ロレックスのチェーンベルトが外れた! 早すぎないか、壊れるのが…… 会議中なので、一人密かにショックを受けていた。 が、会議後、ノリさんが床に落ちていた、止め棒をみっけて直してくれた。 止めてる棒が一本抜け落ちたんだ。ヨカッタ。 ……って、どんなロレックスじゃ!
暑い……(2004.07.19)
一昨日帰ってきました。 北九州から、ソウルと南京、上海の旅です。 北九州のオーディションは最初、参加者が少なそうだったから心配したんだけど、舞台経験者という条件を真剣に受け止めてくれたようで、集まった人々のレベルが高くて驚きました。特に三十代以上の人たちに、歌えて踊れる人がたくさんいた。 地方にはこういう才能とパワーがまだまだ埋まってると思いましたね。 閉会式ミュージカルもやり甲斐がありそうで、楽しみです。 んで、その翌日、私と赤星クンは音楽監督の長谷川大ちゃん先生と博多で合流し、それに加えて福岡県職員の川越サンと男四人のアジアの旅に。 開会式ショウに参加して貰うソウルの韓国体育大学舞踊学科の学生さんたちと、南京の芸術学院の学生さんたちのパフォーマンスを見せて貰い、具体的なプランの打ち合わせをするためです。 韓国は太鼓と踊り、南京は、伝統的な楽器演奏(十二楽坊を想起せよ)なんだが、どちらもアマとは思えぬハイレベルで、私らは前回の訪問の時、その実力はすでに知っているので、どうだ、どうだ!の気分だったが、初めて見聞きした音楽監督はスゲエぜ!と悶絶しておった。 こりゃ、迎え撃つ日本側がよほどしっかりやらんと負けるぜ、と。 加えて、両大学とも、主に女子たちが活躍してくれるんだが、これが美しいのだ。遊び人的な美しさではなくね、厳しいレッスンで鍛えられつつ、それでいて、清楚で礼儀正しく、可憐である。今の我が国の学生には、あり得ない世界であるな。 ホント、女子十二楽坊なんか目じゃないぐらいに。 演奏の実力だって上かもよ、という意見もアリ。何しろ中国のコンテストでトップを取った子もいるんだ。しかも美少女。 この子たち、私らで引き取って、プロデュースして、新ユニットとしてデビューさせてしまいましょう。 と真剣に話し合っています。 打ち合わせは思いの外、スムーズに。どちらも、先生たちが一流の芸術家なので、話が早い。こちらがちゃんとリクエストを出せば、それを用意していてくれそうな気配だった。ここら辺、日本と少し違うね。日本の大学は一流になり損ねた人が先生やる率が高いモンな。
で仕事はちゃんとやり、ソウルではお買い物。 南京では、ひたすら熱烈歓迎の晩餐会に参加してきました。 ソウルでのお買い物は、もちろん、南大門市場や明洞でのインチキ品中心の怪しい取り引きであります。(値切ればかなり安くなるので、アレは取り引きである) そしてソウルを離れる時には、我々四人、それぞれに超高級時計をはめておりました。ただし、日本に帰るまで、ちゃんと動いてるのか、それぞれに不安になりつつネ。でも「スーパーAランクの完全なる贋物(闇商人の言葉のママ)」である私のヨットマスターは今のところ、正確に動いております。しかし、ヨットマスターと言う名のなのに、海はおろか水にも濡らしては絶対にイカンぞ、たぶん壊れるぞ!とはコレ如何に? 南京ではご馳走責めでありました。 初日の夜が、芸術学院のお招きで、翌日のお昼が省の外務室のお招きで、その夜は文化庁、そんで翌日のお昼にまた外務省と、その度に、グルグル回るテーブル一杯に、江蘇省及び南京のご馳走のありったけが並びます。 あひるの舌も食べたし、水かき付きのあひるの脚も食べたし、ハトの丸焼きも食べた。とは言え決してゲテモノはなくて、味付けもあっさりと我々に優しい高級料理でありますがな。それにしても、お腹いっぱいである。 その上に参るのが、乾杯の儀式であった。 白酒という、コーリャンの酒なんだが、アルコール度数が四十数度というウォッカみたいなやつを、小さなグラスで乾杯乾杯と、飲み干さなくてはならないのだね。しかも断ることが許されない。おまけに中国人は、皆、やたらに強いんだ。 死にますよ。それでなくても酒に弱いのに。 実際、赤星は二日目の宴会で、文化庁の若い女のお役人(ちょっとカワイイに)の乾杯攻めに沈められ、宴の途中から眠りに落ちたのだった。女の子の乾杯は断ってはいけない掟だ、とか脅されてね。乾杯を続けた。 私も日本における摂取量の半年分ぐらい、飲まされた。中国では良い文章を書く作家は皆、酒をよく飲みますよ、とか言われて。 酒が飲めるのがそんなに偉いのか! とウルトラ下戸の岡森のように叫んで暴れたい気分だったが、あちらでは酒が飲めるのがエライのだよ、岡森クン、なのであった。 しかし、この白酒というのが不思議な酒でね、アッという間に醒めていくのだね。確かに酔うんだけど、酔う端からどっかに熱が飛んで行くみたいに。 サンザン飲まされて、どうなっちゃうんだろうと思いつつ、お店を出て、街中をプラブラする頃には、スッキリしてる。寝てた赤星もバッチリ復活して、お買い物に走り回ったりしてる。 中国四千年の不思議でありました。 それにしても、赤星クンは、ホントにお買い物が好きだ。この世で一番お買い物が好きなのは、私と私のオヤジだと思ってたけど、その私がいい加減にせえ!と呆れたのだから間違いない。そう言えば、前回のソウルでは、赤星はすぐにダウンして、ずっと死んでいたのだった。とにかく、どこに行っても、チョコマカと走り回り、ずーっと何か買い続けていた。 帰ってきたら、すっかり真夏。 ソウルよりも、南京よりも、東京は暑い。
明日から旅っ(2004.07.11)
山本寛斎スーパーショウ『アボルタージュ』を武道館で観る。 寛斎・三十年の活動の集大成というにふさわしい力作。やりたい放題。立派なのは、自分ですべてをやってること。自分で企画して、自分でお金集めて、バアっと使ってるんだよね。 生きることは、消費なんだよな。貯蓄じゃねえよ、放出なんだよ。持ってるモノ全部吐き出せ!使い尽くせ! で、大水鉄砲から大量の本水も大放出であった。 天晴れとは、こういうことであろう。 ただ、全体の規模に比して、たぶんリハーサル時間が足りないんだろうな。もう少し練り上げられたら、良かったなあ、と少し残念。不用意な暗転が多すぎるよな。各シーンは盛り上がるのに、全体で散漫な感じになっちゃったな。有名女優さんたちも、ただ歩くだけだしね。キレイだから、いいんだけど、あまりに本質と無関係すぎて、他人事ながら心配になった。上戸彩だけ見に来たファンとか、怒るんじゃねえか、って。 闇雲に集めることもパワーだ、って、寛斎イズムは分かるんだけどナ。 そこら辺りがね、同じ水をじゃばじゃば使ってるラスベガスの『O』なんかの洗練とは、違うんだな。たぶんあっちは何十倍もお金と時間かけて練り上げてるんだから、単純に比べてはイカンけどね。ちょっと悔しい。
ともあれ、これから同じような大空間(福岡マリンメッセ)で、スーパーショーを作らなくてはならない私には大いに刺激になり、且つ、参考になった舞台であった。 そんで、負けないぜ、と決意を新たに。 まあ、ビックリショウとしたら、適いっこないんだけどね。予算が違い過ぎてさ。こっちは有名人も、氷川クンだけだし。 でも感動の深さは負けぬつもり。 こっちには、ドラマがあるんだ。
で、明日は北九州。 閉会式ミュージカルのオーデションのために。 明後日はソウル、その後、南京に。 帰国は土曜の夜であります。 今、あたふたと荷造り中。 さて、前回の韓国で、空港から出た途端に具合を悪くした赤星クン、今回はどうなるか。雪辱は適うか。 ドキドキのキムチ、ビビンパ復讐戦開幕であります。
そんな訳で、しばし更新出来ませぬ。 皆様、お元気で!
あつい(2004.07.09)
変なメールがやたら来るのでメールアドレスを変更した。 たぶん怪しいサイトを覗いて回ってるうちに、変な地雷を踏んでしまってたのだろうな。 エッチなメールって訳じゃないんだがな。ウィルス対策しなさいよ、さもないと、酷い目に遭うよ、て感じのやつが、海を越えて各地から。 それも一日に約五十通ぐらい。 なるほど確かに酷い目に遭うねえ、と感心するけど、その前にそういう迷惑やめてくれよ、と思うよな。 ウィルスは実はウィルス駆除の製作会社が作ってバラ撒いてンじゃねえの、と疑いたくなるね。
しかし、このまま、一週間、韓国中国ツアーなんか行ったらどうなるんだろうと、不安になった訳よ。 帰ってきた時に、受信ボックスはどうなってるか…… んで、慌てて変更したわけさ。 あと生本の原稿を書いた。 ネタに困って、幹部Kのこと。 困ると、近くのヤツをネタにする。 幹部K、幹部R、ここらへんはよく使わせて貰ってる。済まないと思いつつ、これも君たちのプロモーションだよ、と開き直っておこう。
七夕さんですね(2004.07.07)
良く晴れたこと。 年に一度の恋人さんたち、さぞ良いデートが出来たことでしょうよ。
すでに福岡関連の仕事に本格的にとりかかっています。 坊主アタマ・イサムと、その一味は『サクラ大戦』の稽古突入のようですが……
今日は缶詰にしている泊クンと、閉会式音楽劇の打ち合わせ。あと、もろもろの打ち合わせの日でした。 今は、旅立つ前の原稿書き。
と言うのも、この日曜日に北九州に行って、閉会式の舞台に出る人のオーディションがあり、その後、ソウルと南京に行って、海外招聘組の最終打ち合わせをやってくることになっているのであります。 全面的に西へ西へ!の三蔵法師モードであります。 不東 であります。 本願成就適うまでは、東へは帰って来ない、と言うお師匠様の決意ですね。 ま、そんな大袈裟なモノでもないんですが。
まだ寒い二月でしたね。 南京に行ったのは。 で、孫悟空の人形とか買って帰ったのでした。 『セイユーキッズ』の執筆中で、気分もカラダもヘロヘロだったものです。 今度は、少し、気分的にも余裕ありだ。 明日は久しぶりで、一日自宅にて、机仕事。 そう言えば、昨日やっと髪を切り、今日は衣替えをした。 止まっていた日常生活がようやく甦りつつあります。 ずっと見てなかった映画とか、他の人の舞台とかも見たいね。 まずは我々のお師匠様の出てる歌舞伎座に行かなきゃイカンのだがね。そうそう、山本寛斎の武道館イベントも行かなきゃ。 建築ショウのライバルだ。
追伸 とりあえずの記録
まあ、まだ話半分ながら…… とあるプロデューサーが、建築ショウを見てくれて、面白がってくれて、ニューヨークのとあるアメリカ人大物プロデューサーに連絡してみたら、興味ありと返事があった、とのこと。 ちょうど、ニューヨークに別件で行く用事が今月内にあるので、資料を持って行き、話してみたいとのこと。 そんで今日、そのプロデューサーと会って、あれこれ話した。 まあ、急に何かが決まるなんてことはなかろうが。 それにしても、誰も信じてなかった、大ボラのような夢が、ケッコウまじに転がり始めた。 とりあえず、ブロードウェイで、建築ショウという名が語られることは確かだ。 気持ちいい転がりじゃん!
まだ人に言えるような話じゃないんだが、もしかしたら、これが何かの第一歩になるかも知れないから、一応、記しておくことにする。
ありがとう!(2004.07.05)
怒濤の連続公演が終わりました。 個人的には、『say you kids』から、『百鬼丸』そして『建築ショウ』まで、半年間、ほんとに一息つくもなく、無心で創り続けた気がします。 でも、全部、やり遂げた。自分を誉めて上げたい気持ちであります。折しもバーゲンシーズン。何か、お買い物に行くことにします。
とは言え、これでバカンスと言う訳ではありません。ここからまた、更なる魔物との新たな闘いが始まるのであります。 具体的にはいよいよ福岡の国民文化祭開会式と閉会式の製作にとりかかります。 んで昨日終わっていきなり今日、すでに仕事に取りかかっています。 今日は、閉会式の音楽劇の脚本家、泊クンと飯田橋で長い打ち合わせを致しました。今日から四日ほど、彼をホテルに缶詰にして、脚本を書いて貰うのであります。北九州とこっちで、やりとりしてるとなかなか進まないので、缶詰になって貰って、一気にやっちまいましょう、と言うことになったのです。 まあ、自分が缶詰になる訳ではないので、かなり気楽ではありますがね。ちなみに、今彼に入って貰ってるのは、奇遇にも私が生まれて初めて缶詰になったホテルで、またまた深い因縁を感じております。その時の作品は『きらら浮世伝』でありました。 『建築ショウ』の楽日は、皆、泣きましたな。 我々が初めて取りかかったショウと分野のモノだったんですが、一つ一つのシーンにお客さんたちが、拍手を送ってくれて、我々を気持ちよくノセてくれてね。 芝居とは違う、興奮が生まれたね。 そんで何回も続くカーテンコール。少し前の熱い小劇場の盛り上がりの再現だったな。 私的には、私の最も重要な武器であるところの、セリフと言うモノに封印をして、別の手立てで何かを伝える作業だったんだが、実際の上演でも、脳みそや肉体の中の、普通の芝居では使われない別の部分が使われ、刺激された感じだった。 だから、創作課程でも、不思議にストレスがなかったんだよ。過密な突貫工事で、もう無理!って感じだったのにもかかわらず、ホントに愉快にやってられた。 何か新しい劇団立ち上げた気分でね。 昨夜の打ち上げも、皆もそうだったけど、私もハイテンションでありましたな。ウォーウォー!叫び続けでね。 『建築ショウ』は本気で、海を越えるまでやり続けるぞ、と誓い合ったのでした。 明日はやっと髪を切りにイケル。 白髪も目立ってきた。 若返る!のだ。
もう終わり?(2004.07.04)
アッという間の建築だったな…… 明日のお昼で終わり。大勢のお客さんがはるばる錦糸町まで来てくれて、こんなことならもっとやればヨカッタ、なんて。まあ、欲張るのはダメだね。また、機会をみつけて、開催します。今回は見落としてしまった方々、どうか、それまでお待ち下さいナ。そんで、今回来て下さった方には、今回以上にパワーアップした建築をご覧に入れます。 初日に、見に来て下さった永六輔さんが朝のラジオで、とても面白かった、と話してくれたんだそうですね。私ら、誰も知らなかったんだけど。それを聞いて、倉庫の近所にお住まいのおばさんが、何だ何だ、と来てくれたりしたそうです。 永さんと言えば、天下の目利きでありますからねえ。 嬉しいじゃないのさ。 ともあれ、明日でおしまい。 最後まで、無事に終わりますように! あと神様、この梅雨時に天気を良くしてくれてありがとう!その上に、なかなか涼しい日々で、助かっております。 野外劇やってる感覚で、終演後に倉庫を開け放して、風に吹かれてビール酌み交わしたりして、とても愉快です。 犬飼淳治の真似が出来た。
梅雨の合間の空に (2004.07.03)
ついに、我らが轟組の槌音が轟いた! 我らの地下足袋が、ツルハシがスコップが、錦糸町の大地を揺るがした。 はるばる我らの現場までやって来てくれた、満員のお客様たち、どうもありがとう。
仲間でさえ、なかなか信じてくれなかった、プロジェクトです。お前は、黙って芝居やってりゃいいんだよ、なんてね。 でもそんなこと言われるたびに、内心で闘志を燃やしておりました。ゼッタイ面白くしてやる!って。 まだまだ、やり足りないところはあります、課題も山積み。でも、 永遠に建築中! それがコンセプトです。今回は出来なかったけど、次回以降には、やりたいと考えているコトもたくさんあるんだ。まだまだ発想は止まってない。ここから、どんどん進化してゆく。それが僕らの建築作業だ。 しかし、すべては今夜のパフォーマンスが上手くいかなきゃ、未来に転がり出さない訳で、そういう意味で、勝負の夜だったんだ。 私としては、大満足。 良いモノをお見せしたと自分で思えるよ。 夢は言葉にすれば、こうして適うんだ、としみじみ思った。 言い続けてたからね、建築ショウは何としても実現させるぜ、って。 そんでこうして実現したんだ。 久しぶりに劇団を旗揚げした時のことも思いだした。あの頃も、私はプロになりたいなんて言っても、信じてくれない人がたくさんいた。でも、中にはお前は出来るよって、まだ何者でもない私を励ましてくれた人たちもいてくれて、それが私のチカラになった。 はるばる錦糸町の倉庫まで来て下さった方々の止まない拍手が、これからのチカラにきっとなる。確かに建築ショウの誕生を祝福してくれた拍手だったもの。
あとお陰様で、すべての公演がほぼ満員状態になります。明日の昼と夜に若干の余裕がある程度。(なので、是非、明日の二回をご利用下さい) これからは見たくても、見れない人が出てしまう、そんな状況です。観た人がずーっと自慢出来る、今回はそんな公演になりそうですし、必ずします。
建築ショウ、無事、開幕! 倉庫で飲んだ乾杯のビールの旨かったこと。 ただ一つだけ残念なのは、ここに木内康子先生がいなかったこと。(我々の歌の先生にして、演劇仲間。昨年他界されました) 昨年の建築ショウのトライアウトが、先生との最後の創作活動だったんだ。 「早く、やってよ、私の命のある間に……」 先生は半分冗談ぽく言ってたんだ。 歌えない、踊れないのが常識だった、扉座にミュージカルの楽しさを一生懸命教えてくれた、木内先生。私たちに歌のココロを植え付けてくれた、大恩人。
今夜の舞台は、木内康子先生に捧げます。 シーズンズ、オブ、ラブの歌声の中に、今夜は、先生の美しく力強い声が混じっていました……
いよいよ(2004.07.02)
建築ショウの初日です。 こないだ、百鬼丸の初日があったばっかりなのに、もう次の初日だぜ。しかも今日は、サクラ大戦の稽古初日で、こっちの稽古をしばし中断して、茅野や累央たちは、同じパーク内の別の稽古場に、サクラの顔合わせしに行ったりしてた。そーいえば今回客演するたかシも来てたな。今日は遅刻ナシでな。 ひたすら忙しいよ。どうなってるんだ、ワシら。 しかし、今日は涼しくて、とてもラクだったよ。明日もこのぐらいなら、助かるんだけどね……
ともあれ、怒濤の如く、突貫工事で、何とか納期に間に合ったかな、って感じ。もう少し余裕があれば、とも思うけど、こんな特設会場が使える機会は、そうあるものではないからね。無理してもやりたかったし、実際、やって見る価値があったと思う。 まあ、見てみてよ。 誰もが、アッと驚くはずサ。
建築ショウ(2004.07.01)
怒濤の如く進行中! いよいよ明後日開幕だ。でも未だ工事中!間に合うのか、突貫工事。て言うか、ゼッタイ間に合わすがな。 またまた嬉しい悲鳴。日曜日の前売りが完売です。朴クンからも報告が来てますけどね。あと、金曜日、土曜日も残席は残り少なくなってきました。紀伊国屋より、ずっと狭い倉庫ですからね、もう、入れないとなると、テコでも入る隙間がなくなります。どうか一刻も早いご予約をお願いします。金、土の昼夜なら、まだお受け出来ますから。 建築ショウの得体が知れなくて未だ迷ってる皆さんには、是非騙されたと思っての、ご来場をお奨めします。今回は倉庫での公演と言うことで、かなり発想当初のプランに近く、普通の劇場空間では不可能なことをたくさんやってます。今回を見逃すと、もう二度と見れないこと必至です。 まあ、好き好きでしょうけどね、私らは自信ありますよ。百鬼丸に続けての連続ヒット!です。 ただ、ちょこっと心配なのは、なにぶん、本当の倉庫なので、クーラーと言うモノがないことであります。扇風機とかは全開で回して行くつもりですけど、くれぐれも軽装でおいでになられることをお願いします。まあ、暑くて、当たり前って感じのショウではあるんですけどね……
さて、私は、お昼の稽古を抜けて、同じ敷地内にある6スタ特設劇場へ、石坂の出てるオカリナビブラートのゲネプロ見学に。 我々のショウとまったく違う、静謐な空間と世界がそこにありました。とっても涼しいし…… 石坂が良い役やってます。詩人で、頭の良い人の役、たぶんこっちの建築現場に来て、ドカタの棟梁でもやってる方が似合うに違いはないのですが、劇団では見られない、石坂クンの姿ですね。まあ、私が石坂クンに先入観を持ち過ぎていてるだけかもしれなくて、本人は内心、ずーっと二枚目のつもりなのかもしれないんだけどさ……てか、たぶん、二枚目なんだよね。 何か、憂鬱そうな詩人の顔とか、ケッコウ気分良さげにやっております。 劇団主宰の篠原夫人、寿子さんがとてもステキ。実は、すみだパークスタジオの社長のお嬢様なんだけど、そんなこと抜きにして、小劇場にはいない雰囲気を持つ女優さん。ストレートで背筋がすーっと伸びてる。 ご主人の要さんは、開き直って、この妻を中心に作品作りしちまってもいいんじゃないかね。演劇界には、そう言う系譜があるよね。 唐十郎と李麗仙でしょ、清水邦夫と松本典子、近くはマキノノゾミとキムラ緑子。みーんな、妻のためにせっせと書いて、そんで傑作書いてるじゃない。 今度会ったら、ご主人に勧めておこう。 ちなみに、私はぜーんぜん、違う系譜の作家です。一人の為に書き続けるなんて、ゼッタイに無理だな…… 何せ、百鬼丸のすぐあとに、建築ショウやってる、節操なしですからな。
ともあれ、今、錦糸町があついぜ。(マジ汗だく)
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