2004年04月                             

千秋楽コクーン(2004.04.29)

 早いモノで、東京公演は明日で終わり。
 ウンウン唸って、書いてたのはついこないだのことなのにね……
 で、今、別のヤツをうんうん唸って書いている。
 いつもウンウン唸ってるのか。

 明日は、岡村プロデューサーが張り切って、またくだらないオマケを準備しようとしているらしい。
 何やるかはなーんも知らないがね。
 やるかどうかも、よく知らないが、今まで毎回やって来て、今回やらない訳はないか。
 まあ、今回は、私が演出で、アイデアマンのプロデューサーも中味にはまったく手が出せなくて、ショーモナイギャグとか、小ネタとか、いろいろ溜まっているだろうから、楽は好きにやっていいよ、と言ってある。というか、お前が何か作れと、言われても困るしな。
 ちなみに、RUPの岡村ってのは、古い友人なんですワ。同い年でね。遊び仲間みたいなものでもあった。今はすっかり有名プロデューサーになってしまいましたがね。元は小劇場の役者で、映画も撮るし、テレビも撮るし、演出もするし、インチキ臭く、何でもやるヤツ。
 私が関わったジャニーズ演劇ってのは、全部こいつが画策したものなんです。NHKで横内謙介劇場なんて企画通したり。知らないよね、ほとんどの人は。本当にそういうタイトルのドラマ番組作っちゃったんだぜ。かれこれ十年前に。
 インチキ臭いけど、やり手ではあるんだね。
 その上に、とてもやりたがり。

 知らない人が誤解すると嫌だから、言っておくけど、中味で遊ぶのではなく、あくまでもカーテン後に、オマケがあると言うことなんすがね。
 ま、恒例なので、楽しみにしている人も多そうだし。
 やるんだろうねえ?

 という訳で、明日は久しぶりに、劇場に。
 気が付けば、祝日なのね。
 日付の感覚は、今年に入って、まったく消えております。
 
 どろろは、目下、三分の一てことか。
 それにしても、政治的に危険な話だよね。政治的に、って。マイノリティの問題においてさ。
 テレビでは二度と放送出来ない、ってのはよく分かるよね。もちろんテーマはヒューマニズムなので、中味を見れば、興味本位の差別表現なんかじゃないことは、すぐ分かるはずなのだが、にしても、今の時代の感覚からすれば、強烈だね。
 当然、私も単純な言葉狩り精神に屈することなく、政治的には多少軋轢起こしつつも、真実を描ききろうと決意を固めて、創作には臨んでおりますがな。
 こりゃ今や演劇でしか、出来ないことだなあ、としみじみ思いつつ、書いている日々です。
 



書いてるけど(2004.04.27)

 なかなか進みません。
 犬飼クン、当分稽古は始まらないから、どうぞゆっくり休んでいて下さい。
 しかし、そんな時に、座長も自由クンたちとともに埼玉にいたのですね。

 執筆中なので、手短にね。
 
 小川クンが偉いのは、プライドのリングで、自分が別に活動しているハツスルという出し物の宣伝を必死にやったことです。
 これを偉いというのは賛否両論あろうがな。私は感心した。
 だって、簡単に言えば、たとえばワシが明後日のコクーンのトニセンの公演の千秋楽の舞台挨拶で、扉座「百鬼丸」の宣伝を長々とやるようなもんですぜ。ちなみにワシが明後日これを敢行すると、たぶんいろんな方面に迷惑がかかり、しばらく出入り禁止とかもあり得るな。
 ジャニーズ事務所ってのは、そういうとこ厳しいんだ。ま、小川クンがたぶんプライドの盛り上がり見て思ったように、私だって、コクーンの満杯の座席見るたび、ここで宣伝してえって思ってるんだがな。
 
 まあ、小川クンの場合も勝てば、宣伝してよし、って約束が高田統括部長とあったらしいが。 
 しかし、小川クンの場合、勝たなきゃ、やりにくいからね。レコ選手を倒して、尚かつ、かなり無傷だったから、宣伝がたくさん出来たので、もし負けたら、出来ないことだったんだから。
 何かを背負ってる人はツオイなあ、としみじみ思ったのでした。

 それにしても、もう一つ思ったのは、格闘技の客席は、いかにも水商売って感じの、ケバクきらびやかな女性たちの多いことよ。たいてい、金持ってそうな男に連れて来られてるんだがね。
 まあ、今回みたく、研究会として正しく乗り込むのも良いが、男として一度はあんなふうに、ケバイ姉さん同伴で、乗り込んでみたいものだねえと、田中クンと語り合ったのでした。とにかく、あちこちでそういう風景が目に入って、気になって仕方なかった。いかにも成金オヤジみたいのが、プレイメイト・ジャパンみたいなの連れて来てたりさ。
 しかし、格闘技場ってのは、それがまた似合うんだ。劇場とか、コンサートではゼッタイにやりたくないけどナ。あそこでは憧れるぜ。あと、競馬場の馬主席とかな。
 
 とりあえず、その方面の方で、私らと一緒に格闘技見に行きたい人、おられましたら、ご一報下さい。ご商売は別でも、それ風の方なら大丈夫です。
 何が大丈夫なんだ?
 



劇場のこと(2004.04.23)

 掲示板の書き込みに応えつつ……
 コクーンは良くできた小屋なのだけれどね、唯一、ところどころ見切れの出るのが難点なんだよね。
 もちろんそれは分かってて、最大限、配慮したつもりなんだがね。舞台稽古中も俺とノリさんは、何度もあちこち走り回って確認したし。それでも多少、観にくいところはあるんだよな。それに、まあ、我々とお客さんとの視点もちょっと違うだろうし。我々としては、大事なところは必ず見えるように作ったはずなんだけどね。
 たとえば問題のソファだって、稽古場では壁にひっつけて置いてあったのを、少しでも見やすくするために、かなり中央寄りに置き直したんだよ。でも、今以上に、真ん中に置くと、とてもバランスが悪くなるんだね。第一、不自然になる。俳優の動線も制限されるし。で、ギリギリの妥協点を探りました。二階のバルコニーだってよく見て欲しい。みんなかなり不自然な出方で、なるべく早く真ん中の方に出てくるように動いてる。あそこの床には見切れラインがテープで引いてあります。ここから上手寄りに立つと、見えないお客さんがいますからねって。なるべくココより内側に入って演技してねって。役者たちも理解してる。
 一応、それなりに対処はしてたつもりです。
 ならば最初から、そんな大道具使うなよ、って注文が出そうだが、そもそもコクーンで完全に見せようとすると、舞台の半分以上が使えないことになるんだね。S席に限っても、かなりの部分を演技禁止エリアにしなくちゃならない。
 つまりね、コクーンでは、最初から観にくい席というのが存在するという前提で、公演をやってるんだね。
 その分、たくさんの座席が舞台に近くなっていて、臨場感は得られるように出来てるんだけどね。ならば金額を変えてくれ、というのは一考の余地ある意見だけど、これも考え方次第だな。多少観にくくても、とにかく近いのが良い席だと言う意見もあるし、全部見えなきゃダメだって意見もあるし。
 ここら辺は制作サイドの判断ですよね。
 正直言って、作ってる方としてはね、多少観にくい席が出来ちゃったって、カッコ良く演出したいってのが本音です。文句は制作で処理してよ、って。
 何でもかんでも真ん中で、前向いてやるなんて、ダサイもん。思いっきり端っことか、奧とかで、大事な芝居させてみたりさ。でもそうすればするほど平等感はなくなるよね。
 たとえば欧米の演劇なんか、そこらへんかなり割り切ってるよね。見きれとか、あんまり気にしない。そもそもあちらでは観劇は差別的な文化だったからね。階級によって座る席が違うという。ハナから劇場にはよく見える席と、見えない席があるんだって。で、よく見える席を中心に演出する。
 正直に言えば、その方が作ってる方も面白いんだ。
 でも、その反面、見えない席も、かえって面白くなったりするんだよ。見えないなりの楽しみってもんが生まれてくる。観客が乗り出して、必死に見ようとしたりしてね。それが劇場の興奮を生んだりする。横から見た、忘れられない舞台って経験したりしてね。
 たぶんコクーンはそういう劇場のあり方を、チカラとして取り入れようとしている小屋だ。
 こんなこと言っても、見えなかったお詫びにはなってないだろうけどな。
 まあ一般論として、劇場は平等ではつまらないと言う考えがあることを言いたかった。
 たとえば、歌舞伎座がさまざま見にくいからと、国立劇場では、かなり平等に見える感じで、座席を作ったんです。でもね、これが役者にも観客にもとても評判が悪い。何かつまんないと言うのだね。歌舞伎座なんか花道が見えない席とかあるから、国立では改善して、みーんなから見えるようにしたんだ。でも、それで客席がすごーく散漫な感じになってしまった。
 試しに行って見比べて見て下さい。確かに、国立はダメだから。歌舞伎は歌舞伎座で見たいと思うと思うよ。
 
 でね、もしも今回のコクーンの芝居を面白かったと思ってくれたとしたら、それは、たとえばわざわざ二階の横の見にくい席から、必死に身を乗り出して、見ようとしてくれた、まさにあなたが、劇場にいてくれたからなんだと思うのですね。
 たぶんあなたが、劇場の空気を暖めてくれたんだ。イライラしたかもしれないけどね、ミエネーゾ!とか。でも、そういういろんな要素が詰まって、劇場の熱は生まれる。そして、まさにそのその時、その座席からしか見ることの出来なかった何かが、そこにはあったんじゃないだろうかな。役者の横顔とか、微妙な光の角度が作る陰影とか。みんながゆったり、同じように、まるでテレビみたいにさ、同じ感覚で芝居を見たら、それは平等かもしれないけど、たぶん、とってもつまんないな。
 
 程度問題だけどね、今回の見切れが、常識外れのものだったら、本当にごめんなさい。
 でも、芝居を面白く創るためには、そういう配置やデザインも必要だったんです。これでも、制作からの要請を受けて、かなり妥協はしたんです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



ようやく(2004.04.22)

 書き始める。
 間に合うのか、今からで。いくら原作があるとは言え、そのまんまじゃ、芝居にはならない話だよ。
 ま、あんまり焦っても、またやり直すことになるかもしれないから、確実に一歩ずつね。
 西遊記だって、何とかなったしね。
 しかし、ついこないだ、同じようなこといって、ヒーヒー書いてたのに、また、新作だよ。
 辛いよう……
 
 今、午前三時。
 そろそろ寝よ……
 
 そうだ、久しぶりにアクセスナンバー・プレゼントをやろうかと思ったんだ。
 あと一万ヒットで、33333333?じゃない。3が多すぎたかな。とにかく、オール3の大フィーバーね。
 これをゲットした人には(証拠を残すこと!)、何かあげましょう。
 ただし、条件は、百鬼丸公演中までに達成のこと。そんで公演中の劇場に本人もしくは、代理人が証拠を持って来れること。大フィーバーだから、少し立派なものにしようかな。て、今までも、私の個人的な景品はなかなかのものだったはずよ。
 まあ、何かはそのうち考えるさ。

 明日も地道に作家活動……
 



今日は(2004.04.20)

 朝から演劇教室をやりに杉並の富士見ヶ丘小学校へ。
 今年、劇作家協会が一年計画で、演劇の特別授業を請け負うことになって、その第一歩として、厚木でやってきた体験教室を。私、今年はそういうセクションの担当理事になったのね。教育部っての。
 その記者発表が昨日あり、ニュースでも取り上げられたらしい。で、私も写ってたようだが、それを見て顔色がチョー悪いという感想がたくさん寄せられる。
 疲れてるんだね……
 出てたよ、顔色悪いね、大丈夫?だって。
 この体験教室は、凄くて、来週にはなんと吉田日出子さんの朗読の授業があり、その後も、斉藤憐、鴻上さん、とか谷川俊太郎、小椋佳なんて人たちもやってくる。大変な実験なんです。
 扉座としては今までの実績をみせつけるのだと、気合いを入れて臨みました。
 しかし、予算がまったく足りなくて、今回は私の個人的な持ち出しで総勢十数名で乗り込んだのだ!いいかね、私の持ち出しだよ!茅野も演出家として現れてね、子供相手に本気で演出してた。ここんとこ、特記事項なり!杉並がよっぽどがばってるみたいだけど、それ以上に、劇作家協会と扉座はがんばってるのである。世間は記憶しておくべし。
 すべては演劇と世界の未来のために、なのよ。
 テレビカメラが三台も入ってたりして、子供たちのテンションも高く、大成功のうちに終了。トップバッターの任務は果たせたと思う。
 
 その後、講談社で、編集の人と会う。
 小説を書かないかと誘われている。夏まではまったく暇なしだけどね、秋からの福岡行きの間なんかに、一つ挑んでみようかとも思う。
 何をどう書けばいいか検討もつかないのだが、ずーっと前に少し挑んで挫折した小説書きだ。
 その後帰って仮眠をとって、そして百鬼丸!
 合間に、メール処理。
 閉会式の泊クンのプロット案が上がってくる。
 これもそろそろ進めなくては。
 単なるお祭り台本ではなく、やる意味のある舞台にしたいと思っている。泊クンも期待に応えて深いテーマを持ってきてくれてる。ただ、あんまり暗くしてはいけないので、ここらが考えどこかな……
 

 



千秋楽(2004.04.18)

 早く新作に取りかからなくてはならないので、ちょっと悩んだけど、サンモールに行くのはやめて、一日新作のために使った。
 結局『曲がり角の悲劇』は一度しか見なかったよ。
 劇団の公演なのに、初日にも楽日にも行かなかった。これは二十数年やってきて初めてのこと。
 でもね、これもまた新しい扉を開けることなんだ、って思う。ロビーとかで私と会うのを楽しみにしてくれてる方には申し訳なかったけど、まあ、あそこにいても、ご挨拶してるってだけですからね。私が今やるべきことは、ご挨拶ではなく、創作活動なんです。でしょ?
 何よりも今回の作品は、正真正銘、徹頭徹尾、茅野の世界のものなんだしね。
 そりゃ、私の作ですけど、今回のためにまったく手も入れてないからね。
 扉座の中にも、ついに新しい宇宙が生まれた、ってことなんで、私としてはとても嬉しいんです。本当に寂しくもないし、悲しくもない。ずっと理想としてたことだからさ、ここからどんどん才能が育って、いろんなことやってくれるようになったら面白いって。
 茅野の仕事もね、最初はところどころ手伝ってました。「そらにさからうもの」ぐらいまでかな。演出プランをあらかじめ聞いたりして。意見言ってね。
 でも、もう最近はまったくお任せです。そしてお任せして、何の問題もない。稽古見なくても、初日にいなくても、楽日をサボっても、ちゃんと作品は仕上がり、立派に公演も出来ている。
 そもそも、すでに余所でケッコウなギャラとってプロとして演出の仕事してる人なんでね、もはや私がゴチャゴチャ言うのは失礼なことなんだよな。感想は言うけど、アドバイスなんかもしないよ。プロ同士なんだからさ。
 むしろ、今やライバルだからね。
 そこんとこ、皆さんもご理解下さいね。
 確かに、今までは、何から何まで私が一人でやるのが扉座でしたけど、すでに新時代に突入しているのです。だから、私が何もやらない、扉座の公演もあるし、それはたとえば新人公演やまして番外編なんかでもなく、れっきとした本公演なんです。
 まあ、扉座というブランドはずっと私一人のテイストで来てたから、新たな茅野テイストが加わってくることは若干の違和感とか、抵抗感が生じることも仕方ないでしょう。
 しかし、たとえばイッセイ・ミヤケだって、一つのブラントの中で、数名のデザイナーがいるし、それぞれに世界を作って評価を得てるしね。
 私らも二十数年の歴史を持つ集団ですから、そういう展開も必然的に生まれるものだし、こうやって新世界を生んでいって、尚かつ評価を得ていかなきゃダメでしょ。
 私はそういうつもりで、茅野に公演を任せてるんだよ。
 
 まあ見ててよ、そのうち茅野さん、大ブレイクするから。
 二、三年のうちに売れっ子演出家の一人に必ずなるはず。実はすでにそうなりかかってるんだがね……
 意外に扉座フアンの方がそういう認識甘いかもな。まあ、役者の印象の方が強いモンね……
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 



百鬼丸(2004.04.17)

 とにかく新作にかからなくては、いけない私。
 西遊記をやっと仕上げたと思ったのに、休む間もなく、次なる魔物が襲いかかってくるんだ。
 手塚治虫の どろろ ですよ。
 これを芝居にする。
 マンガのままじゃ、芝居にはしにくいので、例によって、私なりの演劇的な仕掛けを考えなくちゃならないんだがね。
 でも、まだ書き出すには至らず……
 早くしなきゃ、と思う反面、いや焦るな、じっくりじっくり…… ともう一方で諫める私。
 サンモールにいても、コクーンにいても、もはや頭の半分はいつも、百鬼丸のことで、かなり上の空です。
 とにかく、早く取りかからなきゃ。
 
 イラクで人質にされた人たち、無事に解放されて良かった。
 で、晴れてもう一歩、踏み込んで意見を述べることにする。
 周りの反対を押し切って、自分で望んで行った人は、死んでもいいんです。
 そりゃ家族は、助けてくれ、って言うだろうけど、たぶん本人は死んでもいいと思ってるんです。
 んで、いくら反対されても、行きたければ何度でも危険を冒して行くんです。しかし、それで良いのです。
 戦場カメラマンの一ノ瀬泰造って人が、私は大好きだったんだけど、彼はカンボジアに行く前にこう書き残してた。
 地雷を踏んだらサヨウナラ。
 んで、アンコールワットで、クメールルージュ(ゲリラ)に捕らえられて殺された、のらしい。
 でも、彼はそれできっと後悔していない。
 もちろん家族や友人は行くなと言ってた。なのに彼はその反対を押し切って行った。当時、戦火に晒されたアンコールワットを撮るのは戦場カメラマンたちの夢だったんだね。
 んで彼はその夢に果てた。
 犬死にだという人もいるし、親不孝という人もいよう。
 だけど、私は彼を支持する。(以前、芝居に書こうと思ったことがあって、ケッコウ調べてたんだ)
 そんなふうに家族や世間を振り切って、自由に生きることが出来なくて、後悔してる人をたくさん見てきたから。
 今回のイラクの問題は、政治的に問題が大きくて、その上でいろんな立場の人たちこれを利用しようとしたから、こんなに大袈裟になったけど、たとえば一ノ瀬や、沢田の時なんか、たいして話題にはならなかったんだよな。
 その時は、単に物好きが危ないと行って、勝手に死んだ、ってのが、世間のとらえ方だったんたじゃないかな。
 我が国の身の振り方とか、今回の戦争の是非論とか、考えるべきことはたくさんあるけど、ただイラクに行って、捕まってしまった人たちのことだけを純粋に語るなら、一ノ瀬たちと同じでいいんじゃないのかな。取り立てて、褒め称えることも、非難することもないんだよ。
 彼らが勝手に好きなことやったんだよ。
 人騒がせな、って怒るのも変。別に騒がせてはいないんだよ。私らが勝手に騒いだだけだ。
 そしてたとえば、今回のことで、捕まったジャーナリストたちが、もう二度とイラクに行けなくなったとしたら、彼らは死んだ方がマシだったと思うのではないかしら。
 カメラマンなら、解放されたら、そのまま残って撮りたいと思い、記者なら取材をしたいと思うのは当然のことでしょ。でも、今はそう思うなって、皆が言ってるんだよね。不謹慎だって。
 常識的にはそれでいいと思うけど、本人の気持ちは忸怩たるものがあると思うよね。ジャーナリストならね、助かって嬉しいよりも、もっと心に思うことがいろいろあんだろうよ。
 目的を何も果てせぬまま、日本に強制送還されるのは、たまらない屈辱だと思うよ。
 ま、多くの人たちに迷惑かけたから、詫びに帰って来いってことなんだろうけどね。
 
 
 
 
 
 



曲がり角の悲劇(2004.04.15)

 ひどい座長でね、今日やっと『曲がり角の悲劇』を観た。今回は稽古もろくに観てないからね。ほとんど何が行われているのか分からなかったから、意見の出しようもなかったのだね。でも、ようやく今日観たので、感想を。
 まず良い悪いはお客さんたちが決めれば良いことなので、悪評の出ることにまったく異議はナシ。観た人が好きに観じればよいよね。
 で、これはまったく私的な感想です。
 一言で言えば、良くも悪くも茅野のテイストだね。そりゃ大元の作品を書いたのは私であって、ほぼ書いた通りにやってるので、そこには私なりのテイストがあったのだろうけど、何しろ十五年前の作品ですからね。正直言って、自分でも忘れてるんですね、どんな作品だったのか。人間、十五年も経てば、ほとんど別人ですよ。今夜、この舞台を観ながら、本人である私が驚いてるんですから、何で俺、こんな作品書いたんだろう、って。今やこれをこのように書いた動機も不明なんだね。
 ただね、これだけは覚えてる。この時、私はかなりの野心家だった。本気で演劇界に一石を投じる決意で、決死の覚悟でこれを書いた。
 と言うのもね、当時の小劇場では、起承転結のあるストーリーなんか書くのは、ロクでもない作家だったとレッテルを貼られる時代だったのね。今となってはまったく意味不明な流れなんだけど、物語の解体とか言って、訳がわからないほうが正しい演劇という呼ばれていた時代なんだね。しかし、私はそれに疑問を持っていて、だったらシェイクスピアは駄作なのか?ギリシャ悲劇はどうなるんだ、とか。やたら大袈裟な青臭い理屈を捏ねて、そういう批評を批判していたんだね。
 訳が分かって面白ければ、その方がいいじゃんなんてさ。
 で、単刀直入にストーリー演劇をやろうと思った。この部分、今となっては、その決意自体が意味不明だろうがね。今や演劇にストーリーがあることは当然と言う、健全な時代になりましたからね。
 その頃は、これはかなり冒険的な作品だったのよ。
 あと、笑いの排除ね。この頃の傾向では、とにかく笑いがないとダメという時代だった。観客との一体感を笑いで産むのが主流だったんだね。でも、当時最先端を行きたかった私は、敢えて悲劇に挑むんだと、悲壮感を漂わせて、新境地に挑んだのね。
 初演の時、ずっとフアンだった人に怒られたの覚えてるもん。いつ白馬の王子が現れて、すべての世界をひっくり返してくれるかと楽しみにしていたのに!と。
 今改めて観ると、それでもかなり笑いを狙ってる部分はあるんだけどね、当時はこれでも画期的だったのよ。笑いを排して、尚かつストーリーまである、なんて。
 変な時代だったんだね。
 しかし、そんな観じて作った芝居にハマった人と言うのも結構いてね。
 何を隠そう、茅野イサムはその筆頭だったのだね。
 初演再演と風役で出演しながら、たぶんこの芝居をどんどん好きになっていったのだろうね。
 今夜観ていて、そうつくづく思った。
 茅野はこの芝居が大好きなんだな、って。どんな部分が琴線に触れているのかも、何となく感じられてね。
 それならばそれでいいじゃないか。思うとおりにテッテ的にやってくれよ、あるがままに、好きにさ。
 と心から思ったね。
 好きも嫌いもなく、俺は見守り、そのままに受け取るよ、と。
 幕内の人間がこんなこと言っちゃいけないんだけどね、そう言う意味でも、好きなモノを好きと言いつつ、好きなようにやっている茅野はある種、天晴れだったな。
 そして思った。
 確かに書いたのは私ですが、もはや『曲がり角の悲劇』は茅野の財産なのだ、って。
 今の私にはとても演出できない作品だね。
 何しろ茅野は三月の初め頃、ケッコウ寒い日に、ランニングシャツ(本人曰わくタンクトップ)一枚で、汗掻いて稽古してたからね。
 熱い熱こそが、茅野であり、『曲がり角』なんだな。
 今やあらゆる熱が冷めかかってる、半端なオヤジにとっては、茅野のバイタリティは驚きだね。
 今夜、私が茅野と交わした言葉はただ一言。
 5年後に、もう一度、今度は野外でコレをやってくれよ。
 一つの作品がもし二十年生き残ったら、嬉しいものな。

 追記
 昨日は、福岡国文祭のテーマソングのお披露目式で福岡ドームに行った。で、氷川きよしクンの始球式が終わった後は、そのまま野球観戦に突入。東京で、三本当時に開けてる非常時に野球見物かよ、って感じだけど、それもまあ仕事の一部のようではあった。
 それはともかく、問題はそこに甲斐よしひろ さんがいたこと。まテーマソングの「人生号」の作曲者ですからね。甲斐さんとダベリつつ、ドームにいたんだ。
 その一方、東京では『曲がり角……』進行中だったわけでしょ。これは運命なんだよね。と言うのも、初演の『曲がり角……』は全部甲斐バンドの歌を使って上演してるんですよ。当時、私は甲斐バンドにハマりまくっていたんですよ。たぶん甲斐バンド聞きつつ書いた気もする。ナギが海を見にいこうとする終幕のシーンなんか、「破れたハートを売り物にして」という歌が、テーマですからね。ナギは破れたハートを売り物にして、海に向かおうとしたんだよ。
 それから十五年たって、茅野テイスト『曲がり角……』が上演されている、まさにその時に甲斐さんと合ってた、というこの運命の不思議……
 
 今夜の舞台、私の中では甲斐バンドが鳴ってたよ。
 
 
 
  

 
 
 
 
 
 



初日(2004.04.12)

 昨日、コクーンの初日が開きました。
 とても良い初日であったと思います。私的には、一週間ぐらい前からすでに、これは上手く行ってるという確信が生まれていたので、早く人に見せたくてしょうがありませんでした。で、やっと人々にご披露できて、満足です。
 ま、見た人が、どう思ったかは、しらないけど……
 何しろ、アイドルのステージであることなんか、半分以上忘れてマジに演劇やってますからね。
 しかも、ちょっと暗めの話でね。
 しかし、今までだったら、こういう芝居を創ってると、劇団でやれべきじゃない、なんて人に言われたり、自分でも思ったりすることが多かったんだけど、今回は、じゃ劇団でやるか、と言っても少し難しいところがあって、トニセンを中心にして今回集まった、キャストだからこそ、出来たモノ、生まれたモノという気がします。
 昨日のうちに、仲間内から聞いた感想では、とにかくキャスティングが絶妙で、しかもそれぞれに光ってるというのは、共通の意見だった。初舞台で、学芸会以来のセリフという井上和香さまも、きっちりハマってるって。
 プロデュース公演としては、何よりの手柄じゃないかしら。
 さて、今日も渋谷に。ダブルキャストで、もう一人のキャストの初日なので、見守りに。
 そんで明日は博多に。
 我が故郷、扉座には未だ帰還かなわず……
 水曜日にようやくサンモールに行けそうかな。
 そして、一刻も早く百鬼丸にとりかからねば、だ。
 
 
 
 
 



あちこちで(2004.04.10)

 私は朝から渋谷の小屋にこもりきり、明かり合わせと場当たりと。
 一方、同じ時に、新宿では扉座が、同じく明かり合わせやってるんだよね……
 最近の私、劇団の状況にすっかり疎くなりました。このホームページでいろんなニュースを知る次第です。
 渋谷、新宿に重なって、下北で有馬と門クンが出し物を準備していたり、中野でうちの元研たちが、劇団旗揚げしていたり。
 お客様には大変申し訳ないよねえ。
 全部見るの、大変だもんねえ……
 しかし、どれもが必死に作ってる、はずなのでねえ。どうか、熱い応援をお願い致しますよ。

 イラクで人質が取られてしまいましたねえ。
 これをどう考えるか、どう解決するべきか、かなりの難問ですねえ。
 もともとは派遣反対派です。私は演劇人による対イラク反戦朗読会にも出演しましたからね。
 でもね、この場合はねえ。
 家族の人たちが、自衛隊を撤退させろとか言うのは、どうかな、って思うのね。そうでもして無事を祈りたい気持ちはようく分かるけどさ。
 だったら、まずあなたたちが、もっと必死に止めるべきだったんじゃないの?と言いたくなるよねえ。だってイラクに行けば危険なのは、最初から分かってるんだから。
 心情的なことはさておき、理屈としてさ。家族のあなたが止めないでどうするの、と。
 何よりも本人には、そういう覚悟はあったはずでしょう。もし
そんな覚悟がなくて行ったのだとしたら、これはもう本人の大過失だよね。しかし今回捕まった三人とも、自分の行動に自信と誇りを持って、家族の反対も押し切って、敢えて行ったんじゃないのかね、自分の信じる道をね。
 だから死んでも仕方ないんだ、とは言わないけれど、たとえば私ならばですよ、頼むから国民の皆さん、騒いでくれるなと言いたくなると思うね。自分でそうやりたいと思って、反対を押し切ってやったことなんだから、出来る限り自分でその後始末もしたいと思うな。
 ましてや国の世話になんかなりたくないね。自分なりにイラク人に何か訴えて、それでも通じなかったら、自分の力不足と諦める。もしも、誰に頼まれたのでもなく、命令でもなく、自分の意志でそう決めて行動したのならね。その点、私はむしろ自衛隊にこそ同情するし、この先の危険を案ずる。だって彼らは任務として命じられて行ってるワケだから。人質になった三人よりも、ずっと選択の余地はなかったはずなんだ。断ることは可能でも、他の仲間が受けているのに、自分は断わるなんて、そう簡単に出来ないじゃない……
 イラクのために良かれと思って、わざわざ行った人が、こんな災難に遭うのはとんでもない不条理で、心から同情しますよ。けれど、この出来事が、何か妙な政治的駆け引きに利用されるのは、とても嫌だな。左翼系の人たちは、これを盾に即刻自衛隊撤退を訴えるんだろうし、マスコミもここからどんどん人情に訴えて来るだろう。見殺しにするのか?と。
 でも、そのなし崩し的なセンチメンタル洪水には巻き込まれないようにしようと私は思っている。
 それは三人に、志を感じるからなんだ。たとえ危険と分かってても、それでも行くと自分で決めて行った人たちなんだから、つまらない感情論で、彼らの志を汚しては気の毒だと思うわけ。
 マスコミは、家族の気持ち、なんかに振り回されずに、そもそも彼ら自身が、何を考え、何をしようとしていた人たちなのか、しっかり報道するべきだね。
 親の言いつけにも背いて、勝手にイラクに行った人たちなんだよ、言葉は悪いがね。でもそれだけに、親兄弟にも分からない深い決意があったはずなんだ。それこそがイラクや、全世界に伝えられるべきことなんだと思うね。
 良い会社に勤めなさいと言われ続けていた、親の言いつけに背いて、芝居なんか始めた息子だから、特にそう思う。
 
 
 
 



初日!(2004.04.07)

 新三国志の初日、段治郎クンの代役にて。一門から段四郎さんと亀治郎さん親子が離れていて、今日の舞台に立っているのは、ほぼ二十一世紀歌舞伎組のメンバーだけに。しかも、段治郎は私が最初におもだか芝居に関わった、パルコの雪之丞変化でデビューした人です。
 すげえと思う反面、大丈夫かぁ!と……
 しかし段治郎はよくやってた。
 師匠の代役なんだけど、単なる代わりではなく、師匠とは違う謳凌を演じて見せてくれて、尚かつ、胸を打つ芝居をしてくれた。
 若々しいのは、何よりの特権で。セリフとカラダのキレと勢いが良く、これは師匠の謳凌にはなかった輝きだ。
 もしこれが孔明のようなカリスマ性に溢れた役だったら、もっと苦戦しただろうけど、謳凌は等身大の人間的英雄なので、むしろ段治郎クンの方に味わいを感じるぐらいだ。

 大阪の最初の方は、堅くなって、周りもドキドキだったらしいけど、一ト月の公演を乗り切って、今日の凱旋。少なくとも私の目には、風格を持って立派に見えた。他のメンバーも、危急存亡の今、この時こそ、死力を振り絞って公演を支えなくては……
 という気迫に満ちている。
 しかも今日は初日と言うこともあって、お客さんたちがかなり熱い応援の気持ちを送ってくれていた。
 いろんなことを考えながら見てしまいましたよ。
 猿之助さんは今も療養中で、劇場にも来られなかったけど、歌舞伎組の声よ、師匠に届け!と心から思いました。
 そして、少し泣いた。
 今までのこと、これからのことを考えてね。
 でも信ずれば、夢はかなう!
 劇中で何度も言われる言葉だけど、今日は私も心底それを祈りの言葉として聞いたな。
 猿之助さんとまた、新しい作品を創ることが出来ますように!

 それにしても、出演はなかったけど、猿之助の演出はやっぱりスゴイよね。本人が出てない分、その才能の凄さが見えたと思うね。
 演出の腕だけで、客を呼び、もっと仕事をしたいと、かねがね猿之助さんは言っていたけど、今回の公演がその実力の証明になるはずだと思う。
 ともかく、猿之助は出てなくても、面白く見れる舞台だと、私は思うね。
 今日来てくれた、横山智佐さま、広井王子さま、お二人とも、段治郎、いいねえと、感心しきりでありましたぞ。

 さて、私はそんな初日を終えて、涙を拭きつつ、渋谷の文化村へ。仕込みの様子を見に。
 良い感じに道具が立ち上がっておりました。
 明日は明かり合わせ。
 こちらもそろそろカウントダウン。

 



ご無沙汰です(2004.04.06)

 いよいよ6日で稽古場撤収です。私は明日の稽古終わりで伸び放題の髪切りに行って、7日は演舞場スーパー歌舞伎の初日へ。結局大阪公演には行けなかったからね……
 猿之助さん休演は大変残念ですが、段治郎クンが奮闘してがんばっているようです。そりゃ、風格や芸は師匠と比べようもないだろうけど、若いエネルギーでカラダだけは動くからね。実は楽しみにしているところがない訳でもないんだ。
 セイユーキッズと、新三国志と 曲がり角の悲劇 と。
 何と私、今月は3本立て興業なのであります。
 その上に、そろそろ新作にとりかからなくちゃいけない。セイユーキッズも、私の仕事は微調整に入りましたからね。あとは優秀なスタッフが支えてくれることであろうよ。
 今日、稽古場で、井ノ原クンが、日記読みました、と言ってくれたので、井ノ原クンを誉めておこう。
 今回の井ノ原クンはスーパーマンです。芝居やって、殺陣やって、中国四千年の京劇と雑伎もやって、ついでにコンテンポラリーダンスまで踊ってる。コンテンポラリーダンスなんて、どんなものか、ワシも彼も、振り付けの川崎先生から教わるまでは、実はよく知らなかったのだがな。
 よく知らなくても、踊れちゃう。スゴイね。
 しかし、まあ、何よりもお芝居が上手になったこと!
 もう立派な舞台俳優だね。あとはシリアスなシーンで、余計な妄想に勝手に入って、ニヤニヤしたりしないことね。あと二回しかない貴重な通し稽古中に、今日の井ノ原君は、突然吹いてしまって、相手役の長野クンに大変迷惑をかけました。
 しかもその理由が、真面目なシーンなのに自分の着ている衣裳がコッケイに感じたからだと言うのだけど、本当に可笑しいのは、着てる自分じゃなくて、それを間近に見ている相手役なのよね。その相手役が笑うのを堪えて、真面目にやってるのに、自分が先に笑ってはイカンじゃないか。
 まあそんなこんなで、井ノ原クンはがんばってやっています。

 追記。
 本日5日。帰りがけに、ちょこっと、一人突きしてたら、何とマスワリ達成!ついに生涯初マスワリ。しかも偶然入った玉は一個もなし。ブレイクで一個入り、その後すべて、狙いのところに沈めて達成!おめでとう!あめでとう!

 
 





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