2003年12月                             

ラブ3(2003.12.30)

 昨日はラブ3の演目決定選考会。
 お昼の十二時から始まって、候補作を全部見終わったのが夜の八時頃。全部で四十四本だった……
 やる方も大変だけど、見る方も大変です。
 全部見たのは、私、田中、鈴木トシノリと、門肇クン。の四人。
 私たちは偉い!
 他の団員たちにも声を掛けたのに、みんな、忙しいのかな。と言うか、去年も八時間かかったからね。嫌な予感がしたんだろうね……一説では、サクラ大戦のゲネがあって、みんなそっちに行ってしまったとか。
 「所詮、権力に負けるんですよ……」
 と田中は言う。茅野に頭を下げに行ったんだと。
 しかし、田中よ、それは違うだろ?
 この劇団の最高権力者は俺だろうがよ?
 そもそも、そんなこと言う、田中こそが、あちらに、より権力があると思ってるのだろう。
 まあ、そんなことはどうでもよろしい。
 ともかく、見たぞ。
 例によって玉石混淆。
 ここに至るまでに、ある程度の選考はしてるから、そんなに低いレベルじゃない。というより、かなり面白いモノもあります。
 でも、全部はやり切れないので、中から十数本だけを選ぶ。
 それ以外はここで終了となる訳で、過酷なレースでもあるんだな。
 全部見た!四人で、入れ札をする。
 そんで一応、演目決定。
 今年は、年末年始、茅野が外に出たきりなので、いよいよ田中が本格的に現場責任者になる。
 もちろん私も後見には付くけど、基本的には田中ががんばらなくちゃいけない予定。
 若者を育てる場でもあるけど、それとともにうちの戦力を育てる場でもあるのだね。茅野はここで演出修行をしたんだからね。
 まあ、田中クンの性格は、あんまり演出家的ではないかもしれないけど、茅野が派手に派手に行こうとする分、地味に地味に行こうとする田中クンのスタイルが、いつかブームを産むことがないとはいえない。
 ここは一番、がんばれ、田中。と皆さんも応援して上げてください。
 ラブ3は年明けから、本格的な稽古突入です!
 
 
 
  
 
 
  
 



昨日、本日(2003.12.27)

 昨日は、髪を切りに表参道に。ヘアメイクの高橋さんたちに今年のお礼を言ったりして。
 終わって、喫茶店で一息ついてると、鴻上さんと会った。ちょうど思うところあって連絡を取りたいと思っていたところだったのでびっくり。知り合ってかれこれ二十年ぐらいたつのだが、初めて電話番号を交換した。
 その後、トップコートの俳優養成学校へ。俳優の卵たち相手に
特別講義を。同事務所所属のたかシも受講しに来た。途中で、よっぽど見本を見せてやれ、と指名してやろーかと思ったが、もしも、ヘボかったら、彼の進退に関わる問題になると思って自重した。
 それにしても俺の初歩的な演技についての講義を時々、へえー、って顔して聞いていたたかシ、今更何を驚いておるんだと、不安になった。お前、もしかして、こんなこと知らずにやってきたんじゃねーだろうな、って感じ。ま、たぶん知らなかったのだろうが……
 この講義はビダンという雑誌で取材されていた。そのうちこの時の模様が載るのかも。美男子のビダンだってさ。
 講義後、事務所の人たちが焼き肉屋で待っているというので、たかシと一緒に連れて行って貰う。
 そこにはなぜか、みのもんた さんもいて、大騒ぎだった。とびきり旨い焼き肉と かなり酔っぱらって、ご機嫌のみのさん。とても不思議な空間だった。
 
 さて一夜明けて、今日。
 みのもんた つながりとしか思えない展開で、トニセンと会議。私ゃ初めて赤坂のジャニーズの事務所に踏み入ったぜ。
 来年春の新作の話をしに。トニセン芝居は、いつもこうして書く前に私の構想を語り、三人の考えとかも聞いておくんだ。単なる人気者のお祭り芝居じゃ嫌だからね。そこは私たちの共通の願いなんだな。
 これはもう新聞発表もされてるからね。言ってもいいんだろう。次は 西遊記をいつもの通り、誤読と曲解てんこもり、だけど王道は外さない深読み横内版でやる。新西遊記です。
 ところでトニセンは、この後『学校に行こう』の撮りのある日だった。当然、みのさんとも会う日。昨日は俺が みのさんと会ったのだぜ。
 そんなにどこにでもいるのか、みのもんた?だよな。
 でも現場入りまでしばし時間があるので、メシでも一緒にしつつ話の続きを、ってことになり、某ホテルの中華料理店に。
 そしたら、そこで、みのもんた よりも遙かに強力なキャラクターが登場した。
 誰だと思う?
 私たちが着いたテーブルの隣に、その人はいたのだ。
 江木俊夫さんだよ!
 知らないかな?
 フォーリーブスの江木さんさ。マグマ大使に出てた、あの人。
 偶然だよ。V6の隣に、フォーリーブスがいたんだよ。そんで担々麺とか食べてた。
 昨日の不思議空間に輪を掛けて、チョー不思議空間だったよ。
 でも江木さん、ステキだったね。
 帰り際にさ、焼きそば食べてる三人にこんなこと言うんだよ。
 「V6入れてよ。代わりにフォーリーブス入れてあげるから」
 だって。
 三人なぜか、明るく ハイ! とか言ってたけど、私しゃ可笑しくてたまんなかったぜ。
 それにしても、江木さん、すっかりオヤジさんになってちゃってて、あれじゃ街で見てもわかんねえだろうな。
 
 年の瀬にいいもの見たな。
 
 
  
 
 
 
 
 


 

 
 
 

 



思えば……(2003.12.25)

 去年のクリスマスは、ジョン・レノンの「ハッピークリスマス」が頭の中で鳴り続けでありました。
 もう一年経ったんだね。
 今年はウォーイズ、オーバーの歌声も空しく、戦争が起きて、終わって、それでも不安な感じのまま、時が過ぎてゆく。
 去っていった人たちもいた。それは、しばしの さよなら という意味と、永遠のさよなら という意味との二通り。
 しばしの さよならは、哀しむことばかりじゃないよね。新しい関係の始まりともいえるのだから。でも、永遠のさよならは、いつかはくる仕方のないことだけど、限りなく寂しいことだ。

 今年は特に、芝居の世界の肉親たちというべき大切な人を失った。
 高校時代からの恩人だった、元神奈川青少年センター館長・田村忠雄先生と、私の友人であり、扉座の音楽指導の先生だった、木内康子先生。
 お二人とも癌でした。
 去年の今頃、田村先生とお会いした時、先生はすでにホスピスに入っておられ、死を覚悟しておられました。
 神奈川の演劇を頼むよ、という言葉とともに差し出された右手は、とても細くなっておられたけど、私の手を握る力は強かった。
 私としては、田村先生との出会いが、演劇との出会いとも言える訳で、忘れられない言葉となりました。何が出来るかわからないけど、せめて先生の仕事のどこか一部分だけでも引き継ぐことは、私の使命であろうと思っています。

 木内先生は若すぎたな。
 癌と知ったのは、数年前でね。一時はやっつけた感じだったんだ。けれど、先生に襲いかかった病魔はしぶとく、叩いても叩いても、甦り、先生を蝕んだ。
 何度苦しがってる様子にハラハラし、治った!と聞いて手を取り合ったか。で、また、再発……と聞いて、哀しくなったり。
 それでも、絶対に弱音を吐かなかったナ。絶対にやっつけるから、って言って。明るく歌い続けてた。
 もし、私がこの先、先生と同じ運命に直面したとしたら、何としてもあのスタイルを真似しようと思うよ。きっと大変なことだろうけど、あれが手本だと、今から自分に言い聞かせてるんだ。
 思えば、ハッピークリスマスを一緒に歌っていた頃は、かなり具合の良い時期だったな。累央のトレーニングを本当に熱心にやってくれた。それがほんの一年前。
 先生は演劇をよく知ってる人でね、芝居の中の歌、ってのを追求してくれてた。単に上手く歌えばいいっていうんじゃなくて、役で歌うとか。芝居の中で、その歌がどんな意味を持つのか、とか。
 大切な人をなくしてしまったな、と。去年のことを思い出せば出すほど、しみじみ思い知るよ。
 これからの私は、木内先生なら、こう言うのかな?そんなこと思いながら、歌を聴いてゆくのだろうな。
 
 もちろん、いろんなことがありながらも、やっぱり時は進んでゆく訳で、私たちは新たな年を間もなく迎え、また次なる舞台創りに向かって動き出すのです。
 寂しがってばかりもいられない。ともに歩んでいくべき、仲間や、お客さんたちも大勢いるのだしね。
 
 クリスマスや元旦とか、誕生日なんかがね、最近は、そんなに嬉しくないんだよな。子供がいないせいもあるだろうがな。
 そういう一年の節目節目が、いちいち、自省的な時間を作り出すのです。
 そんで来し方行く末をしみじみと慮ったりしちゃう。
 その上で本気で、自分の身の上だけのことじゃなくて、家族や、仲間や、お客さんたちや、見ず知らずの人たちにとっても、良いことが起きてくれたらいいな、って考える。

 人が喜んでる顔見るのが好きだから、こんな仕事してるんだしね、きっと。
  
 確実に人生の残り時間が減っていることを痛感する、クリスマスと年の瀬に、ここから自分には何が出来るのか、自分に問いかけつつ、今年のイブを過ごしています。
 久しぶりに、ハッピークリスマスを聴きながら。
 
 皆、良い夜を過ごしていますか?
 メリー・クリスマス!
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 



パーティ(2003.12.24)

 ドアクラブ会長・山中たかシ、プレゼンツのクリスマスイブイブパーティは如何だったかな?何しろ、うちの狭い稽古場の開催で、人数限定ということになってしまいましたが、ちょうどいい塩梅であったかな、とは思います。外れてしまった方々、本当にごめんなさい。

 我々はホスト、ホステスとして、皆様をお招きしたのね。ホストといっても、歌舞伎町のやつじゃなく、パーティのホストですよ。ま、我々も一部、混同して、必要以上にケバくなってたところもありますがな。
 今夜はそのホスト役の我々も、かなり楽しく過ごせた、と。それを報告したいなと。実はお客さんと面と向かうというのは、緊張するんですよね。出来れば、少し距離を置いていたい。ある意味、それが本音ですよな。特に役者ってのはシャイですからね。でもね、今夜のは、山中会長の仕切の良さと、お集まり下さったお客様たちの優しさで、メンバーがかなりリラックスしてた。これは特筆すべきことですね。
 フレンドリーでありつつ、大人としての節度と慎みに溢れていた、大変気持ちの良いパーティでした。皆が良い笑顔でいられたものね。それは劇団の成熟であり、不遜ながら、観客の成熟でもある、って思います。芝居の舞台と客席という、特殊なけれど、とても深い関係で互いに過ぎゆく時間を共有しあって来たことによって生まれた、暖かい絆だよ。
 私たちは皆さんのことが大好きです。
 そんなふうに心の底から思ったよ。
 この気持ちを大切にして、期待に応えていかなきゃ、って。
 
 ドアクラブの歴史に新たな1ページが加わりました。
 また来年もやりましょうと、皆の口からそういう言葉が出ておりました。
  
 クリスマスに良いことがあった!
 とてもよい気分だよ。ありがとう!

 



厚木子供演劇塾!(2003.12.22)

 第4回目の子供塾。
 ダンスティーチャー田井中先生が、気合い入りまくり、一時間半以上に及ぶレッスンの末、大作を完成。なかなかの見応えであったナ。
 それにつられて、最近、子供方面は田中クンに任せきりだった私も発憤。いつもより、本格的に演技指導を致しました。
 厚木の小学生、四年から六年までの希望者、約五十人対象でありました。
 発声練習とか、セリフ練習を経て、子供ワークショップのために私が書き下ろした作品『さよなら先生』に続く第2弾、『がんばれ先生』を稽古し、最後には発表。緊張感があり、良い体験講座だったゾ。
 
 んで、終了後、ある女の子のお母さんが私に話しかけてきた。
 実は、その子は四年生になった今年、一回も学校に行かなかったのだそうだ。不登校である。
 しかし、そんなこととは露とも思わなかった私。後でメンバーに聞いても、誰もそんな気配すら感じていなかった。
 だって、他の子たちと何も変わったところはなく、ごく普通なのだ。
 今回の塾には彼女が自分で出てみたいと言ったのだと言う。
 そしてその気持ち通りに、最後までカリキュラムを皆と一緒にこなした。踊り、発声をし、演技をした。
 そんなことをやり遂げられる子が、不登校ってのはどういうことなのか?
 お母さんの心配は計り知れない。うちの子はどうでしたか?と不安げに訊ねてきた。お母さんは、見ないで、と言われて、見学をせずにいたのだという。
 大丈夫。ちゃんと出来てました。活き活きとして、元気にやっていました。
 嘘じゃなくて本当なんだよ。
 今でも、その子が不登校なんて信じられない。
 
 学校って何なんだろうね。私ははっきりいって、ずっと優等生でしたからね。そんで要領が良いから、虐められたりしたこともない。なので決して居心地の悪い場所じゃなかった。厚木高校で落ちこぼれたけど、その時には演劇と出会っていたしね。
 だからさ、学校が嫌で嫌で仕方ない、って気持ちはイチマチわかんないのだね。
 けどさ、今、こうして、少なくとも私が見た限り、何の問題もない子が、学校や先生や、友達たちとの関係につまずいて苦しんでるんだな。
 彼女がズレているのか、それとも彼女を取り巻いているものの方が異常なのか。それは分からないけれど……
 この子には救いがあるべきだと思いましたね。そんで、そういう救いの道のヒントに、今日の体験がなったらいいなと心から思ったね。
 大丈夫だよ。学校の枠には、はまらなくても、学校の枠組みが、この世界のすべてじゃない。君は僕たち扉座の枠組みの中では、活き活きとして、元気にやれたんだ。
 君が生きていく道は、たくさんあるよ。
 な。
 
 終了後、厚木市民応援団の皆さんと忘年会。わいわいと飲み食いし、今年の応援のお礼を。
 宴会でのMVPは田島さん。
 少し狭い座敷で全員が入りきれなかったのだが、気が付くと、応援団の某ダンディおじさまと、別の小部屋で完璧ONE ON ONE 状態。しかも2時間半みっちりと。
 誰も入り込めない空気を作っておりました。
 さすが、オヤジ殺しの、ミユ。
 
 営業だったのか、マジだったのか。
 それは謎。

  
 
 
 

 
 
 
 



軽井沢(2003.12.20)

 脳梗塞で入院していた猿之助さんは、とても元気でした。あちこちで、怪しい噂が流れていて、一時危篤だった説とか、半身不随説とか、多くの人が心配してたみたいだけど、倒れたなんてのが嘘だったみたいな感じです。
 実際、倒れた訳じゃなく、精密検査で、梗塞がみつかっただけですからね。入院も自分で歩いてしたそうだし。
 ただ、病気だったのは本当なので、徹底した低カロリーアンド減塩食事生活で、かなりスリムになられておりました。
 でも、それがかえって、精悍な感じで、若返ったと評判であります。
 元気ついでに、今日もきっちり打ち合わせがあり、新三国志Ⅲについて、一部、書き換えリクエストが出ました。何よりもそれこそが元気の証でしょ。
 そして、またまた用事の増えた私……
 
 ところで、お昼頃から、軽井沢は雪がチラチラしておったのですが、入院騒動のお話とか、打ち合わせとかしているうちに、いつの間にか本格的に降り出したのでありました。んで、お食事とか頂いているうちに気が付けば、かるーく50センチほどの積雪に!
 なんだなんだ、と俄に慌てた、私たちでありました。
 今、タクシー呼ばないと、別荘前まで車が入ってこれなくなるかもしれません……
 だと。
 試しに、外に出てみたら、北の国から で見るような本気丸出しの猛吹雪でありました。
 こんな吹雪の中、タクシー走るのかよぉ、って感じ。
 しかし、雪国のタクシーは つおい。
 ぐわしぐわし、雪をかき分けて、中軽のキャベツ畑の真ん中の猿之助亭まで我らを迎えに来てくれて、ほぼ視界3メートルぐらいのマジかよ、なーんも見えないぜ的、真っ白吹雪の中、ハイビームバシバシ飛ばしつつ、結構な速度を出して、新幹線駅まで無事送り届けてくれたのでした。
 
 東京に帰ってきても、今夜は寒いね。
 皆さん、暖かくして、お休み下さいませ。

 猿之助さん、ハワイとかグアムとかで療養すればいいのに、としみじみ思った日。そしたら打ち合わせも大喜びだぜ。

 
 



早起きっ(2003.12.19)

 早起きして、厚木に。厚木第二小学校で、体験教室。これはもう、田中クンに任せていて何の問題もないので、久しぶりに実施状況の確認に行ったって感じ。
 第二小六年生は、とても優秀でしたね。明るくて、積極的で、気持ちの良い体験教室だった。
 終わりの時に、各クラスの代表さんから、お礼の言葉を貰ったのだけど、それぞれに自分の言葉で、心のこもったお礼を述べてくれて感動しました。こういう人たちが育てば、スピーチ下手な日本人という定評も大きく覆せるのでは、と思ったね。
 水曜日に、ゆとりの教育枠に演劇の取り入れを検討している杉並の小学校や教育委員会の人たちとお会いしてお話ししたのだけど、今日じっくりと見ていて、やっぱり厚木の活動はかなりレベルの高いモノだと、自画自賛的ながら思います。
 だってうちの主力俳優が、子供相手にマジ演技してんだよ。
 理屈じゃなくて、一緒に稽古することでさ。
 まあ、そんなやり方が、どこでも出来るわけじゃありませんと言われれば、その通りで、厚木は運がいいとしか言えないのだけれど、出来れば、全国の小学生に同じような体験をさせてあげたいね。演劇に限らず、音楽でも、絵画でも、本物に触れる体験をね。こんだけ豊かな時代なんだからね。日本各地にも配備が決まった迎撃ミサイルの一本分で、かなり賄えるはずなんだがね……
 明後日は、この教室の拡大版を文化会館で。
 見学も自由なので、興味のある人はどうぞ。特に教育に携わっている方などは、是非、見て頂きたいです。
 
 それにしても、突然の六時過ぎ起き!
 いつも四時頃寝てる暮らしなのでね。
 帰りのロマンスカーでは夢遊病者の気分でありました。
 
 さて、明日は、猿之助さんのともへ行き、打ち合わせ。軽井沢への日帰りです。
 
 



ああ……(2003.12.17)

 なかなか仕事が進まない……
 あれもこれもと少し手を広げすぎているのだ。話を持ちかけられた時には、どれも簡単に出来そうな気がして、まあこれぐらいは何とかなるだろうと思って引き受けるのだけど、実際に取りかかると、どれもそう簡単にはいかなくて、停滞してしまう。そんなの当たり前なんだけどね……
 そんでグズグズしだして、出来れば逃げ出したくなる。
 全部、自分で、やりますとか言ってくせに。
 何でこんなにやんなきゃいけないんだ!とか切れそうになったりして。
  
 来年そうそう取りかかる某プロデュース公演の新作。
 福岡の開会式ショーの台本。
 猿之助さんからリクエストされている新三国志の一部変更代案提出。(旦那さま、無事退院のとのこと。まずはめでたし。退院後、ただちに軽井沢のお家に向かい、ついては来年の打ち合わせをしたいので、すぐに横内を呼べ、との仰せとか。最近私の身辺が少し平穏だったのは、旦那さまが病院にいらしたからだったのね……また忙しさの地雷復活!年内に一度軽井沢に行くことになった……)
 それと、今日、春秋社の小島さんからメールが届いて、今まで書きためた雑文を集めて本にしましょう、とのこと。とても嬉しいんだけど、これも新たに書き足したり手を入れたりする必要あり。ま、来年の仕事だけど。
 そのうえに、なぜか突然、ラジオCMを年内に一つ作ることに。某会社のやつ。これなんか、はずみでつい、受けちゃった、やつの典型ですな。
 実はあたし、ラジオCMの天才なのね。かつて、遊び半分で作った処女作が賞まで取ったりしてる。今も劇団の棚にはその時の作品テープがありますよ。旭化成のやつで、善人会議ラジオシアターってタイトルでね。一分のラジオコントなんだけど。劇団員総出演で作った。
 んでその時のディレクターから突然電話がかかってきて、出来るかな?って。
 たぶん、その電話を受けた時が、何か調子の良い時だったのだろうね。
 俺は何でもできるぜ、どーんと来い!モードな。
 たいして根拠はないけど、そんな気分の時もたまにあんのね。まるで躁鬱患者だけどさ。
 たとえば今日みたいに、やんなきゃやんなきゃ、と焦ってて、そのクセ、なーんにも進まないような時には、速攻でムリムリ!って言ったはずなんだ。こういうのってタイミングてか、相性かな。まあ、彼とやって、良いことがあったって記憶も大切なんだけどサ。
 ともかくそんな訳で多忙な日々に拍車がかかっておりまする。
 明日は、ラブ3稽古から、杉並に行き、斉藤バンスキング憐先生らと、杉並の小学校で演劇授業などを展開しようと言う会議に出席。厚木などでの実績があるからね、田中部長を同伴して。演劇と教育について、演説してくる。
 
 つくづく思う。
 俺は何屋なんだ?
 
 
 



無邪鬼終わり(2003.12.15)

 岡山、広島と行ってきました。
 岡山も広島も楽しんでくれてたみたいでよかった。山中と犬飼が言うには、久しぶりの劇団員だけ公演が、意外に新鮮で、やってても楽しいんだそうです。
 今夜は山口でラスト公演だった。
 第一次無邪鬼、これにて目出度く打ち上げです。今まで無邪鬼を応援してくれた皆さんありがとう。寂しいけどね、

 時が過ぎるのは哀しい事じゃない
 それはまた一つの扉を開くこと
 ですから。
 
 でも私は劇作家協会の新人戯曲賞選考のため、一人で帰ってきました。
 案の定、私が推した作品は通らず。
 長野の劇作家・黒岩さんの『カナリヤ』という作品が受賞しました。
 けど、今日の審査会はとても面白かった。
 特筆すべきは司会の川村毅氏。明晰で、ダイナミックな仕切がとても新鮮だった。口調はやたらに偉そうで乱暴なんだけど、その言ってることの内容は繊細で気配りがあるんだよな。
 私とは結構遠い距離にある感じの演劇人ではありますが、何といっても、小劇場ブーム時代からの同時代人で、何というか、共通の記憶があるような気がするな。
 じっくり語り合ったことはないんだけど、ともに一つの時代を生きて来た共感てのは確かにあって、不思議な連帯感を感じるんだ。まあ、私の一方的な思いかもしれないが。
 マキノさんとか、鈴木聡さんとかは、時々会うし、描く世界も近いからね。仲間って感じだけど、川村さんや平田オリザ君とか坂手君とかはこの協会でもない限り、接点のない人たちだからね。
 面白い。
 公開審査と言うことで、人が聞いてることを意識しつつ、皆審査をするんだけど、それ自体がそれぞれの演劇観を語り合う場になる。だから、審査員にとっても、作家同士がお互いに演劇を語る貴重な場になってる。
 その仕組みが今日は特に際立ったって感じ。

 審査会後、トップス下の串焼き焼き屋で、宴会。
 新人作家たちと、永井会長、えり子さん、オリザ君、坂手君、そして別役さんらとしばし歓談。
 それぞれに現代の演劇界において重要な仕事をしている人たち。
 とても気持ちよく、良い時間だった。
 何しろ、こちらは無邪鬼ラストを抜けて駆けつけてますからね。つまらない目には遭いたくなかった。
 でも、今夜は愉快。

 サダムの捕まった夜。
 と覚えておこう。
 
 
 
 



忙しいぜ(2003.12.11)

 俄に慌ただしくなって参りました。
 本日はお昼に、来年春の舞台の打ち合わせ。劇団公演ではないやつね。年明けから執筆にかかる予定。
 んで、稽古場に急いで行って、ラブ3稽古。今回の秘密兵器的大作に取りかかる。ふと思いついて、恋愛テーマのラブ3でなんでコレをやってなかったんだって素材を劇化。きっと皆様に、喜んでいただけるモノと確信しております。が、今時の若者はもしかしたら知らないかもな……
 ヒントは……
 「君のためなら死ねる!」

 稽古場に一昨年の卒業生の細川たかしクンが来てくれた。以前、日記にも書いた、サニーサイドシアターで自作自演のユニット公演をやった人です。
 今回のラブ3で何か手伝って貰えないかなあと思って。なかなか才能のある若者だからね。
 新しい演出家としては、現在、茅野がデビューしてがんばってて、その次の田中信也が未だどうなるかわかんないけど、ともかくラブ3で修行中というところ。
 次は書き手が欲しいんだな。一門の弟子となり、次代を担ってくれる書き手がね。芝居だけじゃなく、映像とかにも展開していきたいしな。
 とにかく、良い才能がたくさんそばにいてほしいんだ。
 細川と稽古場を出て錦糸町でかるーく食事。で打ち合わせ。まずはラブ3に一本提供して貰う相談をした。
 でもゆっくりしてる暇はない。
 何しろ師走。先生の端くれの私も走る。
 
 次の行き先は、早稲田のアートボックス(劇場)。杉山の出てる、蘭学事始を見に。
 ギリギリで駆け込む。
 これはマキノノゾミの弟子である、モボ鈴木君の作品。
 思えば、このモボ君の存在が羨ましかったのかもしれんなあ。優秀な弟子なんだよ。筆が立ち、知識豊富で慎み深く、何よりも師匠を心の底から敬愛している。
 こういう弟子が俺も欲しいと思ってる。
 マキノ氏が朝のテレビ小説を書いてた時も、ずっと側にいて、手伝いをしていた人でね、その時の顛末を一冊の本に纏めているのだが、これが傑作でね。今年読んだ本の中でもベストテンにきっちり入る名作です。
 高田の『泣き虫』とはまた違うタッチで、男の切なさ、生き様が描かれてるんだな。そして友情という、僕らが忘れかけている、大切な言葉を思い出させてくれるのさ。
 今時こんな師弟愛があるんだね。でももはやこれは男の友情物語だよね、という話さ。天下の、朝のテレビ小説執筆記なのに、なんか二人だけの南極点越冬隊記みたいな風情でな。むさ苦しく、冴えないのさ。バトミントンの羽根が風に流されたりしてな。
 ま、興味のある人は、オフィスマキノの通信販売で取り寄せてみて。

 んで、その偉い弟子が公演をし、そこに杉山が出てるんだ。
 杉田玄白たちの物語だよ。『解体新書』発行記だ。江戸時代青春プロジェクトXだね。
 優秀な弟子だね。
 師匠の作法をちゃーんと踏襲してね。
 良くも悪くもお弟子さんですなあ、って感じ。今日、居合わせたマキノ氏は、でもこれは俺の世界ちゃうぞ。横内さんのタッチやろ、と言ってましたが、さてね。
 力作で、良くできてる。
 こんだけ分かり易く、ストーリーを展開して、尚かつ、退屈にしないというのは、簡単なことじゃない。人物の書き分けが出来てる。しかも数人分きっちり。ということだしね。
 今読んでる新人戯曲賞の最終候補作たちに決して引けを取ってないもの。
 ただ敢えて、欲を言うならば、結末を急ぎすぎてるかな、と。
 お前に、この本を受け取る覚悟があるか!
 という啖呵を切るのだけど、この言葉が吹き出すには、まだ少しマグマが溜まりきってないんじゃないかな、と思った。
 この言葉が弾みというか、何かのリアクションとして瞬発的に出るのではなく、もっと心の奥底から、じわーって感じで出てくるような劇構造になってたら、もっとジーンときたろうにと思う。
 ま、そんなのが上手く書けてたら、もはや弟子などじゃなく、わしらの手強きライバルであろうがな。
 言わずもがなの、イチャモンだけど、マキノさんが、日記読んでるよ、とか言うモノだから、つい書いてしまった。(な?意外な人が見てるんだよ、これ。気を付けなきゃね……)
 宣伝になれば良しじゃ。
 モボ君はまもなく大成する逸材だから、諸君、後の世で威張るためにも今のうちに観に行き給え。今ならば、よく来て下さいました!と心の底から感謝されるからね。芝居道楽は、出始めのうちから贔屓にするのが醍醐味なんだよ!

 明日は、午前中に、公明党の国会議員の人と何か文化対談みたいなのして、その後に岡山に向かう。
 『無邪鬼』ラストツアーです。
 これにてしばし無邪鬼も冬眠。
 日曜に帰って、夕方、紀伊国屋に入ります。

 では行ってきます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 



無邪鬼(2003.12.10)

 北九州から来てくれた、飛ぶ劇場の泊クンと来年の閉会式ミュージカルの打ち合わせ。
 泊クンのアイデアで面白くなってゆきそうな気配。
 それから、無邪鬼の稽古。
 棟梁、犬飼と、サブがたかシという変なコンビ。職人チームの親方が実年齢では2番目に若いというかなり無理なキャステイングの上に、初登場たかシが妙な役作りで臨んで来るので、ますますけったいなことになってる。
 ま、たかシに貞介のところをやってくれと頼んだ時から、こうなることは分かってはいたんだが。そのまんまん大人しくやるわきゃないものね。
 とにかく変な職人が一人、紛れ込んでるんだな。
 確かに、面白い見せ物ではあるんだけど。
 こんな珍しいモノが、普段のうちのお客さんにお見せできないのが残念ですわい。
 
 稽古後、同じ敷地内で稽古していたサクラ大戦の横山智佐を誘って、錦糸町の韓国料理店に。同じくサクラの岡本麻弥さんも合流。
 なかなか楽しい夕餉でござった。
 それなのに、今、劇団で一番忙しい茅野氏は、扉座もサクラも欠席で、つんく組の打ち合わせに行ったそうな。
 無邪鬼の稽古では、累央が茅野の代役だったのだ。

 明日一日、無邪鬼稽古やって、団員は先乗りで岡山に移動。
 私は金曜の朝まで用事ややっつけてから岡山に。
 
 稽古しながら、木内先生のことを思い出す。
 無邪鬼の時には必ず会っていたのに……
 先生、今は別の本番抱えて忙しい時期なのかな、なんて。
 この世にいないなんて信じられないナ。
 今も稽古場に声の響きは残ってる。
 もっとお腹から、声だして!
 って……


  
 
 



煩悩坊主(2003.12.07)

 早起きした。扉座衣裳部、ドルドルドラニ様プレゼンツ、オンワード樫山大バーゲン参加のため。
 九時半に田町集合。
 本日のクライマックスは某高級ブライドの革コート。定価は目の玉飛び出て犬に食われるほどの高級品。それがぐーんとお安くなって、それでもちょっとしたサラリーマンの月給分てやつ。
 冷やかし半分で着てみたら、私にぴったりサイズなのね。デザイナー、スタイリストが二人揃って、いーね、イーネと褒めそやす。その上に、割引分考えてご覧なさい。こんなお買い得はないわよ、と勧める。こんだけのものなら一生モノよ、と繰り返す。
 でも、そんなこと言われなくても、勝手に心は動いておりました。何しろかるーい。革なのに。薄雲を纏っているような着心地。まあ、薄雲なんか纏ったことはないんで、いい加減な感覚ですけど。
 煩悩坊主の心は、悪魔の声をまたしても聞いておりました。
 買ってまえ、買ってまえ。そうすれば楽になるぞ……
 楽になんかなるはずないんだよ。そんな高級コート着ていく場所もないんだし。汚さぬか、盗まれぬか、心配が増えるだけなんだ。
 なのに、悪魔は、楽になるぞ、楽になるぞ、とそそのかす。買い物煩悩に苛まれたことのある人ならわかりますよね、その感覚。
 品物を前にして、うんうん、唸るからね。苦しいんだよね。買ってまうか、ええいっと立ち去るか。
 いずれにせよ、決めてしまえば楽になるんだ。
 しかし、諸君、今日の私はブレーキがちゃんとかかったぞ。
 煩悩坊主を黙らせた。
 この秋は、お引っ越しで、さんざんお買い物しましたからね。しばしは大人しくしていようと、何度も自分に言い聞かせていたのだね。
 んで、止まった。
 よい子の私。
 でもまた、来年来ますって、そんな宣言はしてしまった。己の煩悩をなだめるためにサ。
 これはきっと来年にはありませんよ、と言われたけど。
 どうせまた、ブランニューなのが登場してるに決まってるもんな。
 来年は、この時期に、自分で自分に立派なご褒美あげたくなるように、がんばって良い作品を作りましょう。
 そう心に言い聞かせて、薄雲コートとさよならしたのさ。
 とはいえ、何といっても、バーゲンですから、ちょこっとお買い物はしたのです。呆れるほどではないけどね。
 うち一つが茅野さんの世界の革ジャケ、っての。
 それ何よ?とデザイナー、スタイリストに聞き返したね。彼女らが言うのだ、コレは茅野ワールドだって。ゴルチェとか見回りつつ。
 まあ、言われてみれば、妙に納得の言葉なのだけど。
 さあ、諸君、想像したまえ。それはどんなワールドだ?
 そのうち、諸君にもご開帳の時は来るであろう。
 刮目して待って居てくれ給え。
 
 今日はその後、一つ、新しい仕事の打ち合わせをして、銀之丞と久しぶりに会って、芝居を見て、その後、銀ちゃんのとこの社長さんにご馳走になって帰って来ました。
 それにして、朝から稼働していると、一日は結構長いね。何か二日分生きた気がするよ。
 皆様、良い日曜を!
 
  
 
 



読書(2003.12.05)

 新人戯曲賞の作品を読み始める。雑くなっては申し訳ないので、一日、一本ペースで、全部で六本。気に入ったモノは、読み返すつもりで。
 その一方で、本屋に入り、ずっと気になっていた高田延彦の『泣き虫』を買い、のんびり読もうと思いつつパラパラページをめくり出すと、これが止められない止まらない。
 途中の打ち合わせを挟みつつも、何と今日一日で読み通してしまいました。
 高田とか、いっても、多くの人、特に女子には何のこと?でありましょうがね。向井亜紀の旦那さんの格闘家です。
 私、一応、格闘研究会の名誉総裁ですし。
 だから内容も、代理母問題ではなく、格闘技問題が中心の本です。
 でも、ふかーい、人生がある。
 男の中の男の生き様がある。
 しかもただカッコイイだけじゃなくてさ、結局、生きるって限りなく不様なことなんだよ、でも、その不様を正直に晒しつつ生きるのがいいんだよ。誤魔化さず、自分の弱さとか、至らなさとか、そういうものをじっと見つめつつさ。真のプライドってのは、そういう生き様を持つ人の胸にしか、宿らないのだよ、ってことを教えてくれる。
 今、午前二時ですが、もう少し、物思いに耽っていたい気分。
 
 これでまた自分の仕事は、少し停滞ですけどね。



研究所とか(2003.12.04)

 研究所行って、帰って原稿書きして。
 そろそろ、戯曲コンクールの作品も読まなきゃ。今年は6本が最終審査作品。
 14日に紀伊国屋ホールで公開審査なんだ。その日『無邪鬼』は山口でラスト公演のさなかなんですけどね、私だけ一足先に帰って審査会に出る。
 ところでこの審査会、ほとんど毎年、審査員として出てるんだが、私の推すものが一位になったためしがないという不吉なものです。もはや名物になりつつあるほど。
 横内が推すと、落選という。
 それほど、私の感覚が世間とずれてるってことなんでしょうかね。
 なるほど、私が面白いと思うモノと他の演劇人が面白いと思うモノが、これほどズレてるのかと、自分のポジションをつくづくと思い知る場となっているんだね。
 
 それやこれやで忙しい。

 サクラ大戦が同じすみだパークで稽古中で、冷やかし半分で茅野の様子を覗きに行った。
 サイパン帰りの若大将、真っ黒になって鼻の頭が擦り剥けておりました。
 ますます怪しい人相だったな。
 とても知性的な人には見えないぜ。
 
 



どうでもいいこと(2003.12.01)

 本日は、大谷亮介さんと新宿で会議。再来年に大谷さんがやる作品の相談役なんだな。しかし仕事なのか、ボランティアなのか、よくわかんない立場。

 それはともかく、
 バカみたいな事だが……
 菊川怜を見るたびに、実は私、何か懐かしいような、むずがゆいような気分がしてたんです。正直に言えば、下半身系に訴えてくる何かを感じていたというか……
 でも菊川さん、って、そんなタイプじゃないじゃない。セクシー系というより、スリムでスマートな才媛ってやつだものね。
 変だな…… と思ってたのさ。
 やつぱり俺はインテリフェチなのかしら、なんて。
 んで、昨夜突然気づいた。
 菊川さん、東てる美に似てるんだ!
 ちづる じゃないよ。てる美 だよ。
 こんなこといってもわかるの、きっと五、六人でしょうがね。分かった人だけ笑ってください。
 てる美さんてのは、後で橋田ドラマのメンツになったりして、すっかり実力派女優みたくなってたけど、僕らの青春時代には、ポルノの女王だった人ですからね。
 こっそり買った平凡パンチで何度お見かけしたことか。近代映画特別号とかね。(分かる人だけ、泣いてください)
 その、てる美 様に、菊川様がどことなく似ているのですよ。画像を比べた訳じゃないから、これは私の中の勝手な結びつきであります。
 でも、そうか、そうだったのか…… と思った瞬間、菊川様を見るたびにいつも感じていた不思議な感覚の謎が瞬時に解けて、かるーい感動が襲ってきたのだった。
 何で俺、菊川怜に感じるんだろう?ってずっと謎だったのさ。
 
 閑話休題。
 ポルノついでに書いておく。
 最近の読書でベストだったもの。
 団鬼六の『最後の愛人』
 久しぶりに、小説読んで泣きました。鬼六先生というのはSM小説の大家で、この作品も決して上品なものではないんですが、エロスもここまで極めると、ロマンとなり、ついには愛としか言いようのないモノへと昇華してしまうという、素晴らしい世界であります。
 
 清く正しく美しい、扉座ファンなら分かってくれるはず。尚、他の鬼六作品は読まなくてよし。でも神髄を究めたくなったら、近著では『美少年』がお奨め。

   
 





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