台風だね……(2003.11.30)
土曜日は、劇作家協会の戯曲塾の講義でした。 戯曲の書き方なんかね、人に教えられるものではないと思うのだけれど、それでも書くって孤独な作業だから、何というか、同志が結集して、それぞれの作業を白日の下に晒して、励まし合おう、ってそんな感じかな。 それにしても、講義の後、何人かとお茶したんだけど、みんな結構いい歳でね、バイトしながら戯曲書いてる、って。 かつて、演劇は若者の特権みたいなものだった。んで、青春の思い出みたく、年取るとどんどん去っていったものさ。卒業だ、って。 でもね、どんな仕事でもそうだろうけど、特に表現活動は、人生の幅が出てからが本当の勝負だからね。人間を描くんだから、人間のことよく知らなきゃ。そのためには、少しでも生きてた方がいい。それもいろんなことやって。 表現に、遅いってことはないんだよ、な。 四十過ぎてのデビューだっていいんだよ。 うちの茅野なんかそうじゃない。でも、かの世界の蜷川もそうだからね。焦ることない。大器晩成って言葉もあんだ。 と早熟の代表だった私が言うと、 嫌味に聞こえるね。 まあ、大逃げ、ゴール前でバテバテって、馬も多いスから。 さて、今日は日曜日。私は来年の仕事のための仕込みに入っています。 でも夕方からはお出かけ。 有楽町まで。 友人の三木眞一郎クンのコンサートがある。 台風の中のお出かけは嫌だな、と思ってだけど、何か今は晴れてるね。 どっか行ったか、季節はずれの、遅咲き台風。
金曜日(2003.11.29)
来年以降のための仕事と、資料集めに池袋へ。 こんとこのお気に入りはジュンク堂です。 なにせ、ひろーい。 西遊記関係と浄瑠璃関係の本を数冊。 何のためかは、まだ秘密。 来年になればわかるだろーよ。
んでその後、早稲田の銅鑼魔館に芝居を見に。 こないだまでうちにいた渡辺多恵子の出てるやつ。久しぶりに早稲田の学生演劇(だったのかな、ま、いいか?)を見た。 実は懐かしい空間なんだ。 学生時代、ここで加納さんが、今の花組芝居の原型みたいな芝居やっててね。篠井英介さんもいて、杉山も客演してて、んでその稽古手伝ったりしてさ。 泊まったこともあんだ、あそこに。 芝居見ながらね、そんな感慨に耽っておりました。 今夜のが良くも悪くも青い芝居でね。 今時はやりの、タレントもどきみたいな、ネタ見せ、とかいう、いい加減なアドリブとかはなくて、演劇に向かう真摯な姿勢は好感もてたけど。まあ、タダみたいな入場料でやってんだからね、その割にはよくやってんだけどさ。 おまけで言えば、私らも始まりは、たぶんあんな風だったからさ、人のことなんか言えないんだ、本当はね。スタッフにもお客さんにも、首かしげられつつ、ごまかし続けたんだよ。小さな進歩だけを免罪符にしてね。 しかし、今夜のは、やりたいことはわかったし、もっと面白くなりそうな芽はあるんだから、どん欲にがんばって欲しいよ。一応、早稲田のOBだかんね、後輩には期待したい。 戯曲の構造が見えてくるのが遅すぎる。1時間経っても、まだ何の話か分かんなくて、1時間半過ぎだもん、なるほど、こういうことなの?ってようやく分かるのが。 そこに至るまでに、私はすっかり昔のこと思い出して、郷愁に浸っておりましたよ。二十年前、あの舞台の奥辺りで、加納さんと芝居のこと語りつつカップメン啜ったな、とか…… 始まりから1時間をもっと引きつけてくれたら、よかったな。 でもね、多恵子はいいところに行ってるな、って思いましたよ。同世代の演劇人に混じってね。たくましくなった。そんで仲間として堂々とやってる。 うちにいる時は、何か自分の居場所を掴み損ねて、おどおどしてる感じがあった。まあ、周り全部年上の大先輩みたいな環境で、彼女はといえば、まだ何者でもない若者なんだから当然といえば当然だけど。 けど、やはり自分の足で立つ、自分の居場所がなきゃね、人間は生きないよ。成長もない。 そりゃ、多恵子だって、しばらく居れば扉座でそういう場所が出来たかもしれないが、何といっても時間はかかっただろうよ。それはもったいないと思うんだよね。だって多恵子みたいに若くて、演劇を本気で志してる若者はそんなにいないんだから、その若さを武器に今すぐ闘った方がいいじゃない。 若者は戦場を求めて行くべきなんだよ。 早稲田の学生でもない多恵子が、演劇の激戦区たる早稲田で、若き演劇人として迎えられて舞台に立ってる。 昔もね、時々そういう女の子が居たもんさ。 余所の学校の女学生とか、どこの人だか分かんないけど、明らかにふつうの学生と違う雰囲気を持つ女の子が、客演チックに早稲田の学生劇団の舞台に立っててね。んで、たいてい、一番目立つんだ、その子が。 多恵子もそうなれば、カッコイイし、その気配も少しあった。もっとあればもっといい。
帰りに、居合わせた高木智と昨年の準座の折笠の3人で、学生相手のつけメン屋に。なぜか冷たいメンで、たいして上手くもないけど、ボリュームだけは充実。学生街だね。 ここでも何か懐かしモード。 学生時代はサボってばっかで、あんまり行かなかったのに。未だに俺は、時々、登校させられるんだ……
金沢(2003.11.27)
お昼から研究所をやっつけて、慌てて金沢の香林坊の待ち合わせ場所に車を走らせた。 すでに赤星と茅野、たかシは料亭の一室にて待ちかまえていた。 解禁の松葉ガニと、蟹シャブを頂きつつ、年間回顧の座談会。あっという間の2時間少し。その後、赤星君おすすめの酒場に場所を移して、歓談しばし。 んで慌てて、帰宅。 心底疲れ申した。 金沢日帰りだもんな。
深夜……(2003.11.26)
たいていこの時間は一日の納めというか、反省タイム。 今は新しい部屋(本棚に囲まれた穴蔵みたいなとこ)ですが、お香を焚いて、何か音楽を流してね。すこーし、瞑想的に過ごしています。 んで、気持ちが乗る時や、特筆すべきことのある時は、この日記を書く。って感じ。
今日は凄い雨でしたね、東京は。 この雨の中、渋谷で、福岡イベントのための第一回スタッフ会議でした。うちからは茅野、赤星、んで助手の則岡クンが参加。これがもう、日本を代表する一流スタッフの集まりと言ってよく、集まっただけで、計画がかなり具体的に進んでる感じだったな。 その前には来年の仕事の構想立てを道玄坂のロイヤルホストで、コーシーすすりつつ、独りでウンウンと…… 駅から少し坂を昇っただけでびしょ濡れになってね。おまけに渋谷で行きつけにしていた静かな喫茶店が知らぬ間に潰れてて、ちよこっとさすらったりして。 嫌なお日柄だぜ、って思ってた。 しかも同時に3つぐらいのこと考えなきゃいけなくて、こんな日に、濡れた身で、そんなの無理だよな、でもせめて一つぐらい突破口がみつかればいいな、神様助けてちょ、と思いつつコーシーすすり始めたんだが、何と1時間弱の間に、案件二つについて、ナイスアイデアをゲット。 雨降って、俺冴える、でありました。 人間ね、逆境とか、窮地とか、そういうのがエネルギィになるもんなんだよな。まあ、ポカポカ陽気で、快適空間で、さあ、何かアイデアひねり出せ、とか言われても、実際は難しいよな。気持ち良すぎると、なーんも考えなくなるもんな。 よくさ、人間衣食足りて、文化を創るとかいうじゃない?わしはそれを疑うね。充足はむしろ想像力を妨げる、ってそんな気がしない? 腹ぺこの奴は落ちてるモン探すために、下ばかり見てて星に気づかず、足りてる奴だけが空を観て、星とかみつけて、美しい物語を創ったのだ、って。実はコレ、自作『曲が悲』(強引短縮!)の中で、乞食に語らせたりしたんだけど、今書いたら、別のセリフになるかもな…… 腹ぺこな奴ほど、空を観て、ため息ついて、ナーンの役にも立たない空想に耽るんじゃないかしら。(たかシの好きな、かしら 久々に使用!) ああ、辛いな…… 何かいいことないかな、なんて。 実際、私、時に南の島とかでバカンスとかしますがね、そういう時にはたいしたこと思いつかないもんね。ぼーんやりお花とか眺めて、わあ、チレイ…… ぐらいしか感想持たなかったりしてね。 新説であります。そのうちにもう少し深く考察して、論文にします。
追伸 掲示板に書き込みしてくれた、トチボリ 君は以前、私の助手をしてくれてた人であります。劇作の傍ら、放送作家やってて、今やかなりの売れっ子なのらしい。 ま、私ゃ、たいした影響与えてないけどね。それでもご縁ということで。 扉座コネクション期待の才能であります。諸君、この名を覚えておいておくれよ。な。 明日は扉座通信のための座談会。金沢の某料亭で、そろそろ美味しくなりはじめの蟹を食しつつなのだそうです。たかシ会長の就任を祝いつつということで。夕方までに金沢の東急ホテル前辺りで集合となっています。 もう寒いだろうね、北陸は……
東京(2003.11.23)
つくづく東京ってのは凄い街だと思うねえ。 昨日は、神田陽司の真打ち昇進披露公演を国立演芸場で。正直言って、講談というのをちゃんと聞いたのは初めてだったんだが、言葉だけでイメージを伝え、世界と人間を描く。まあ、落語の親類のようなものだけれど、落語より少し硬質な表現を使って前頭葉に訴えてくるみたいな、その感じが面白かったね。 日本語の面白さをしみじみと味わいました。 舌耕というのですね。 弁舌によって生活することなんだそうです。 舌で耕してしまうのね。んで、収穫するんだ。 ぬるぬるでふにゃふにゃなもんだがね。あの舌が世界の畑を耕すんだよ。鍬とか、シャベルだね…… でも、牛タンとか考えたら、意外に堅いもんな。舌も使いようってこってす。
んで、今日は綾戸智絵コンサートでした。智絵でしたね。智恵じゃなくて。ついでに言えば、上戸綾ともちゃいまっせ! ジャズであります。 関西弁をしゃべくるおばちゃんなんですが、ニューヨークテイストで、ばりばり都会派のシンガーという、得体の知れない人。 しかし、これは腰に突き刺さって来ました。変な言い方だけどね。頭でもないし、単純に胸とか腹でもない。なんか腰に来た、って感じなんよ。 説教臭いこととか、言う訳じゃないんだよ。だいたい、阿呆なことばっかりしゃべくる。んで、歌う。 けれど、しみじみと人生が漂ってくる。それは綾戸さんの人生なんだろうけどね、不思議に自分の人生も映し出されているような気分になるんだね。 善悪の彼岸に立ってね。 喜怒哀楽が、ぜーんぶ、一つになってね。 とにかく人生がある。良くも悪くも、人生があり。それがないことよりも、あることがたまらなく愛おしい、って感じ。 綾戸さんは言っておられました。 良いことも悪いことも、今、振り返れば、ぜーんぶ、ただ『あったこと』だって。 何もかもが、現実にあったから今がある。そしてその今に感謝してるって。 なんちゅうかね、この言葉。芝居の骨を一つ貰った感じでした。 若者には、甘すぎる言葉かもしれないけど、ちょっと長く生きてきて、喜怒哀楽を一通り味わって、んで、そろそろ二周め、の喜怒哀楽を味わおうか、っておじさん、おばさんたちの胸には、ふかーく響く言葉だと思うんだ。 諸君、東京は凄いとこだな。 毎日、こんなことがどこかで展開されてるんだよ。扉座もいろーんなことやってるしな。 今日のオーチャードホールの隣は、蜷川ハムレットだよ。大介が出演中さ。 明日はたかシが東京駅で暴れてるんだってよ。 地方の人たち、ごめんな。って感じだよ。 なのに、東京に、あるいは近郊に住みながら、そういうものをまるで避けているかの如く、テレビしか見ない人とかがまだ大勢居る。 悲しむべきことだと思うよ。 街に出ろよ。 な?
こんとこの私(2003.11.20)
働くよりも、あちこち行って大変。 もっとも遊びも多分に含まれているのだがね…… 火曜日は、K-1マックス!これは遊びでごわす。扉座格闘技研究会の活動でごわした。久しぶりに副会長の有馬と、格闘をみつめ申した。内容的には各選手のモチベーションがイマイチに見え、極上の盛り上がりとはいい難いものでしたが、武道館は見やすくて、よい活動になったと思います。 水曜は、青山劇場に『幕末太陽伝』を見学に。 広末・総司を見に行ったんですな。『きらら』に出てくれた鈴木祐二クンが桂小五郎の大役で、大活躍でござりました。大観衆の前で広末の胸を揉みしだいたりして。カッコイイ敵役だ。 明日は、小田原の商工会議所で、小田原のおじさんたち相手に演劇講座をやるという訳のわからない、仕事が控えておりまする。 んで、明後日は、講談の神田陽司クンの真打ち披露公演鑑賞。土曜の夜は『綾戸智恵コンサート』と劇場通いが続きまする。 その一方で、お昼の間は来年以降の仕事の打ち合わせが続き、ホンマに全部出来るんだろうか?と不安になり、その不安を打ち消そうとして、パチンコやってもーたりして。 なんだか、よくわからないうにただ慌ただしく日々が過ぎておりまする。 いちいち細かい感想書きたいとこだけど、疲れたので、出来事だけ羅列!
秋深し(2003.11.16)
土曜日は、明治座に行って参りました。 『三人吉三 東青春』ってやつ。 コンドーさん、大谷さん、深沢アッちゃん、とかが出てるやつだね。んで脚本演出が、カムカムの松村武さん。 この企画を聞いた時から、簡単には行かないだろうなと、思いました。そもそも、松村クンの世界ってのは、単純じゃないからね。大衆受けするようなものじゃない。加えて、松村クンにとって初めての大劇場なんだよな。劇場空間もさることながら、システムが違うしね。役者集めの作法から、製作の思惑から、観客層も、稽古の仕方だって彼の流儀は簡単に通じない。 たぶん、彼は何も知らずに突入していくんだろうしね。 んで、大失敗かもな、と内心予測してた。
でもね、これはお世辞じゃなくて、私は意外に(失礼かな)面白かった。大衆演劇としてもさ、成立してると思ったな。 もちろん、これについてもさまざまな感想はあるでしょうがね。 第一に、役者がいい。 毬谷友子さんと近藤さんのコンビがステキ。特に、久しぶりに毬谷さんの舞台観たけど、嫌味でない逸脱というのかな。小劇場の感覚を知りつつ、頭よく、尚かつお行儀よく、明治座に収まっている感じ。芝居を観ることの楽しみを、思い出させてくれますね。近藤さんも、彼女の絡みが心底楽しそう。このお二人の絡みのところが芝居としては一番弾んでる。 第二に、黙阿弥の世界だったってこと。 正直に言って、脚本的には穴ぼこだらけだと思う。これでお話を分かれというのは、無理ですよ。たぶん明治座の客の五分の一にはチンプンカンプンだろう。 けどね、それでもお客は楽しんでいる。そもそも、黙阿弥の本てのが、多分に情緒的で、論理性には欠けてるんだよな。かなりいい加減なんです。でもその穴ぼこを江戸と芝居の粋が埋めて、反対に魅力にしてしまう。 言い換えると、芝居なんて、台本とか仕掛けとかでつまり理屈で見せるんじゃなくて、舞台の上で役者がカッコイイこととか、おかしなことやり、それをお客を楽しめば、それ以上でもそれ以下でもない、という徹底した劇場人感覚なのよ。 オシャレでステキ。馬鹿馬鹿しくて、面白い。 そういう意味で、松村ワールドは、企んでか偶然かは分からないけど、黙阿弥っぽかった気がした。 テイストとか、質やスタイルじゃなく、芝居そのものの有り様が、構造的に、重なって感じられたってことね。(ここらへん、演劇科の講義のようですね) おそらく、こんなのは黙阿弥じゃねえって怒ってる人は大勢いて、正統な演劇観で言えば、それは正しい批評だとも思うから。 けど、若者が抜擢を受けた以上、今までにない風は起こさなきゃ意味ないじゃん。
ま、興味があれば、観てみて。 三階席は扉座より安く観れます。
それにしても、最初の出番から、次までが2時間空いてる、大谷さん、楽屋はすっかり下宿化しておりましたナ。
帰って、福岡開会式の原稿にちょこっと取りかかった。 人のばっか、語ってる場合じゃねえよな。
日常(2003.11.15)
公演も終わって、作家の日常生活に戻っています。 お昼に、とあるイベントの企画会議を飯田橋エドモントホテルで。様々な思惑入り乱れて、進まぬ準備。いまはまだ私は半分傍観者。全部降りて、このまま傍観してようかなと、思うほど面倒くさそう。これまた国家的な行事なんだけどね……(公表はまだ先) その後、福岡関係の書き仕事をしに帰宅。 地味な暮らしだね。 そうだ、風呂入ろう、と思って、帰りがけに薬局で、入浴剤を購入。 それが、バスクリン「叙々苑の香り」 だったら怖いな…… とか、しょーもないこと思いながら、帰宅して机に。 明日はお昼、近藤正臣さんやタニヤンの出てる明治座へ。 カムカムの松村クンがやってる「三人吉三」だね。 コクーンでは、急遽、杉浦大介が何かの役を貰ったらしい、蜷川「ハムレット」のゲネがあって誘われたが、まずは近藤さんが先ですよね。
楽、翌日(2003.11.13)
昨日の舞台は良かったね。 かなり無垢な一観客として客席に座って観ました。 思い出の紀伊国屋ホールでね。熱海殺人事件を観に来た時には、たいてい当日券の通路席だった。あの頃は補助席なんかなくて、通路に座って観たんだよな。ギッシリと詰め込まれて。 で、そのあこがれの劇場に初登場になった『夜曲』。 みんな震えていた、っけ。 私も怖くてね。客入れのずっと前から、客席奥上のスポット席に隠れてた。観客が劇場に入ってくるのを、心臓パクバクで見守ってたのを思い出します。 その時のことを思い出したな。 打ち上げの後、当時は、まだ私が自分ちの車を運転して、機材返しとかしてたんだが、その機材がギッシリ詰まった車を運転して帰宅してた。 深夜、東名高速を大和に向かって走ってたんだよ。 カーステレオからは、ユーミンだったから、サザンだったか。杉山がいつもいい感じのオリジナル録音テープを作ってくれてて、それを流していたんだな。 んで、一人でアクセル踏み込みながら、窓とか開けて、ヤッター!って叫んだような気がするな。 後部座席には半鐘が乗ってたよ。 火事の時、カンカン叩かれる、鉄の鐘ね。あれを生で叩いてたんだよ。紀伊国屋のサイドにある灯光室の上にぶら下げてさ。上まで上って叩いてたのが、今はテレビなんかで活躍してる菊地均也だ。入ったばかりで、セリフなんか一言もなしだよ。ただ高いとこに上って半鐘を叩くんだ。 均ちゃんも来てくれてたな。新生『夜曲』を観に。 懐かしい、本当に懐かしい。 それを茅野が復活させてくれた。 本当に嬉しいよ。
としみじみと打ち上げを終え、ほぼ明け方に帰宅。 今日はラブ3の稽古でした。 ただそこで、ちょっといろいろあった。 気分が滅入ることがさ。 それは限りなく空しさを感じることだった。 腹が立つというよりも、寂しくなることだな。 そーか。そういうものか、って。 大勢の人間がワサワサと動いていて、しかもその多くが若者で、私ら中年とは違う速度で毎日を生きてるからね。考え方が違うのも仕方ない。私らにはわからんこともたくさんあろうよ。 しかし、昨日の夢からたちまち覚めたな。 これが現実。 所詮、芝居は一夜の夢か…… 諸君、やはり消えてゆくのだよ。芝居は。あっさりと。 それが哀しいから、僕らはまた新しい夢を見るために、次の芝居に取りかかるんだ。
何のことだか、さっぱりわからないでしょうけどね。 世は無常であります。 無情じゃないよ。無常だよ。 私はナーンにも傷ついたわけじゃないんだ。 ただ、ため息をついただけ。
茅野の門出を(2003.11.11)
今回は本当に私はナーンにもやってません。 台本の一字もいじってないし、稽古もあんまり見ていません。役者にも、基本的に何も注文を付けませんでした。 茅野にお任せ。百パーセントの舞台でありました。 ご覧頂いた方、それぞれに感想があると思います。リクエストもあるでしょう。もちろん、まだ道の半ばです。『茅野版夜曲』もきっと完成までにはまだ時間が必要です。 でもね、確実に言えることは、今回をもって本当に茅野が、一人の演出家として歩き始めたということです。 今までも演出の名でやり始めてはいたけれど、どこかで私が後見についてるぞ、と。他でもない私自身が思っていた。 けれど、今回はそれも卒業。 これからは彼は、演出家として、私の同業者であり、ライバルになる。と思います。 さまざまご意見はおありでしようけどね、どうぞ皆さん、私たちの劇団が産んだ新しい演出家の門出を祝って上げてください。 明日で、その記念となるべき公演も千秋楽です!
さて、私の日記的には…… 今日は『深夜劇場へようこそ』の撮りがありました。 ゲストはつかこうへいさんと、大谷亮介さん。 つかさんには緊張しましたね。何しろ、私が芝居を始めるキッカケとなったあこがれの人ですからね。まあ、今までにも何度かお会いして、お食事をご馳走になってはいるのですが、今回はインタビューですからね。 しかも、今では私だって、この世界で食ってる演劇人になってる訳ですから。単なるファンとしてじゃなく、跡を継ぐべき者として、いろいろと聞いておきたいじゃないですか。 でもやっぱり、気が付くとつかさんのペースに乗せられてたな。肝心の質問は上手くはぐらかされていたりしてね。 つかさんから、新しい言葉を幾つ引き出せたのか。ちょっと不安だな…… オンエアは来年です。 大谷さんは、植本潤ちゃんも私も、前からの知り合いなので、一転してかなり気楽に楽しく出来た。 大谷さんが、例によって、説明に夢中になって立ち上がって芝居とか始めてくれたらオモロイね、と潤ちゃんと話していたんだが、案の定、大谷さんは突然立ち上がって、くれました。 やったあ!と心でガッツポーズ。 あの番組で、話しつつ突然立ち上がったのは、たぶんタニヤンが初めてだろう。 このインタビューは絶対に面白いはず、と確信。 でも、さすがのタニヤンも、ちょっと自重気味だったかも。画面からははみ出さなかったみたい。 まあ、おかしな人だけど、気が狂ってる訳じゃないからね。当然といえば当然なんだけど……
金曜日……(2003.11.08)
今日は客入れをサボって、キル・ビルを観に行った。 紀伊国屋の裏のピカデリーね。 一生と大門さんの出てるタランティーノさ。 深作監督に捧げる、ってやつ。 でもね、正直に言って、ちょっと、どーなのよ? 血がドバトバとか、首がゴロンとか、そういう過激さがどーのこうのは、言わないよ。スプラッタも面白いもんは面白いと思うぜ。ストーリーも無茶苦茶だけど、それだっていいんだ。私の仕事はまったく別の方向を向いてるけど、だからって真逆のモノを嫌ってる訳でもないんだよ。支離滅裂でも、面白いモノは面白いと思う。
けどな、この映画の場合、何か妙な日本情緒がね、私の心にブレーキをかけるんだな。 タラ監督、日本のチャンバラってもんを少し誤解してんじゃねえかな。北野監督の座頭市が、新しい感覚でありつつ、懐かしくもあるチャンバラだったから、私ゃ嬉しくなったんだけどね。キルビルのチャンバラは、ノレないなあ。 一言で言うと、行間がないんだよ。 間というか、静の佇まいがサ。 日本の美しい立ち回りは、静と動のハーモニィなんだと思うのね。そんで、美しく明るく、哀しい。 おもろうてやがて哀しき、って感覚だよ。芭蕉の句の世界に通じる明るくて、哀しい、矛盾の世界ね! 殺伐、って言葉があってさ、もしかしたら、タラ監督はその境地を目指してるのかもしれないけど、だとしたら、日本刀の世界じゃないのよ。 日本刀には魂が宿ってるんだよナ。 その魂に触れたいとしている気持ちはわからんじゃないんだが、それと殺伐は絶対に相容れない。 日本刀の斬れば玉散る氷の刃、って、言うでしょ。八犬伝なんかじゃ、銘刀村雨て刀が出てくる。斬れば斬るほど濡れてきて、玉のような雫が飛び、雨が降るって言うんだよね。 雨の降る銘刀さ。 血の雨の中に、玉の雨が降るんだ。 これがジャパニーズ・チャンバラだろ。 で、玉の雨とは何か? 涙なんだよね。 刀が泣くんだよ、人を斬って。 泣きながら斬るんだよ、クールにしか見えない心の奥底で、涙を流しているのが日本のチャンバラなんだよ。 座頭市の殺し文句だって、ああまた人を斬ってしまった、じゃん…… 北野版じゃ言ってなかったけどね。 でも、ズバズバ斬った後に、市のアップが必ずある。そんでその時、市は涙なんか流してはいないよ。でもね、何とも言えない陰が漂う。そんで目には見えない涙の気配が漂う。 タラ映画は違うもん。 哀しみがないんだ。 斬り合いは哀しくなくちゃ。 深刻にやれとか、真面目にやれとか言ってるんじゃないよ。ましてや人を簡単に殺す描写がケシカランなんて、単純なこと言ってるわけじゃない。 大いにズバズバやって欲しいよ。 けどな、チャンバラやるんだったら、本質的にチャンバラにせんと、その面白さが半減するって意味なんだよ。 日本刀をナイフや拳銃みたいに扱っちゃつまんないんだよ。ましてやゲームの最終兵器扱いも違う。単なる、すごい武器、って感じで扱っちゃ、つまんないんだよ。 刀は生き物なんだ。 って感じ。 ある意味、人間が使うんじゃなく、刀が人間を操ることがあるぐらいのものなんだ。 日本刀を出す以上は、それ自体が登場人物・一人分ぐらいのつもりで描かないと、日本刀の意味がないんだよ。 そういう感覚、日本人なら分かるよね。 万物に霊魂が宿るという、日本的思想がわからんと、そこらへんの感覚を共有するのは難しいのかもな…… サニー千葉は、そこらへんのとこ、もっと説明してあげて欲しかったな。 少なくとも、タラ監督が我々の文化に大きな興味を持ってることは確かなんだからさ。 まあ、個人的な感想なので、気になったら、自分の目で確かめてみてね。 一生と大門さんが出てくるのは、とても嬉しいよ。 なんたってハリウッド映画ですからね!
水曜日……(2003.11.06)
お昼に研究所。んで新宿に向かうが、夜まで時間が空いてたので、まだ見てない座頭市を観た。 正直言って、いままで北野作品は面白いと思ったことがなかっだけど、座頭市は傑作だと思う。明るくて、悲しい。座頭市の本質を見事に描いている。弱者の視線、けれど本能的に真実を射抜く視線。全編に鋭い視線が満ち溢れている。 その上で、私が泣いたのは、座頭市がラストで目を開くところ。 世間では賛否両論あるみたいだけど、この一点に置いて、私は北野監督を人間として尊敬できると思った。 座頭市は、やはり勝新のものなんだよ。俺のは偽物さ。といううそぶき…… その潔さ、ダイディズム、義理深さ。でもただ感傷にはながされることなく、独自の世界を展開し、新しい境地に至る。 表現者の鑑だね。 夜曲、終演後は、山田まりやらと居酒屋に。 まりやどんが、元気そうで何より。 内臓が全面的に傷んでいるらしい。若いときから、ずっと人に気を使って生きてきてるからね。 そろそろ自分に気を使いなよ、ってことだよね。 今日は久しぶりに、物思う日であった。 座頭市のお陰ですな。 次は キルビルなんだけど、さて、どうかね……
日記っ(2003.11.04)
今日は一日自宅で、地味な仕事。生本原稿とか。 昨日は、お昼の公演で終わりだったでしょ。んで茅野と恵ちゃんとあと、お客様数名とお食事に行ったのですが、夜が長い長い…… 何しろ、五時からスタートして、途中場所を六本木ヒルズなんてとこに移して、お開きが十二時過ぎ。 気が付けば七時間だよ。 芝居は二時間なのにさ。 よくそんなに語ることがあるなあ、と呆れますね。 まあ例によって、ほとんど芝居の話はしないんだけどね。どーでも良いような、でも語ってると止まらない話たち。 松下恵クンはこういうだらだら飲み会が不慣れなようでナ、あんまり酒も飲まないし、気の毒な気もしたが、これも経験だからね。一生も誘ったのに、奴は逃げて帰りやガッたんだ。 まあ、一生の場合、恵クン以上に酒がダメで、晩ご飯食べたらすぐに眠たくなっちゃうから、絶対に途中で帰ってだろうがな。 私は彼を、いつも子供と呼んでいます。 んで、 もう眠たくなっちゃった?って。七時過ぎたら聞くことにしてるんだ。
それはともかく、恵クンも少しさぞ呆れていたことであろうよ。 この大人たち、バカじゃなかろーか、と思ったのではないかしら。 しかし集まっていたのは、それぞれに名も地位もある人なのよ。話題とかホーフでね。 それでもバカ。 そんなもんだよ。 だから芝居なんかやってんだもん。 それにしても、そんかなバカ話を六本木ヒルズ。しかも何か初めて行ったら、絶対にたどり着けそうにない迷路の果てにある隠れ家的バーで。んでんで、何とかっていう高級シャンパンで。夜曲の帰りになあ……(もちろん人の奢りだぁ!) 茅野ぉ、俺たち、偉くなったよなぁ、って感じ。 オレは近所に住んでるからね、って、茅野は威張っておったがな。帰りにちゃんと店の名刺握ってやガッた。 貴様、誰を連れ込むつもりだぁ。 まあオレも、一応、一人でも辿り着けるように、お店パンフだけは握って来たがな。あそこは素敵で、かっこいい空間だが、しかるべきタイミングで茅野とだけは鉢合わせしたくないとしみじみ思いつつ、帰宅したのだった。 明日は研究所。 その後、紀伊国屋ロビーに。 明日は、山田クンが来るらしい。元気になったろうか?
夜曲(2003.11.03)
紀伊国屋ホールで夜曲をやるというのは、我々にとって特別なことです。 劇団を始めた頃、ここで公演できたら、もう死んでもいいとまで思った、あこがれの紀伊国屋ホール。そこから声を掛けてもらって、ようやく進出がかなった、その幸福を産んでくれた作品、夜曲。 僕らの歴史は 夜曲から始まったと言ってもいい。 まあ、今の若者たちはね、そんなに有り難くは思ってはいないのでしょうがね。紀伊国屋ホールなんていったって、なんだかオンボロの小屋だな、ぐらいにしか思ってないかもしれない。 でもね、二十年ぐらい前には、やりたくても、やれない小屋だったんだよ。たとえいくらお金を積んでも、貸してはもらえない。だいたい常連で埋まっていてね、新人は年に一人いるかいないか。それも向こうから声がかかるんだ。そろそろやつてもいいよ、なんて。 登竜門と呼ばれていたんですよ。 つかこうへいも、野田秀樹も、鴻上もみーんな、ここから飛び立っていった。 あのころ、僕らの世代の演劇人は、誰が一番初めに紀伊国屋に出るかを競い合っていたんです。 だから懐かしい。 それも思い出の作品、夜曲のリバイバルだからね。 今日は、六角もいて、二人で客席で観てた。実は私、夜曲を客席で観たことは今までなかったんだ。いつもホールの一番後ろのスポットライト置き場から観てた。一番遠くのたかーいところ。 かつての私は、公演中にお客さんに姿は晒さないようにしていたんだよ。今はいつもロビーに立ってるけどね。全く違ういかたをしていた。客入れまではそこらをウロウロしてるけど、会場から観客が出終わるまで、裏に隠れてたもんさ。それはそれで若い信念であったな。 観客と仲良くなんかならないぞ、なんて。これは真剣勝負なんだ。と気負ってた。 一度劇団をやめようと思って、それからいろいろあって、もう一回やろうか、って時からだね。やり方を全部変えてロビーに立つようになった。劇団を背負う新たな覚悟の表明かな。すべてをあるがままに受け入れる決心をしたんだね。当然、辛い批評なんか置いていく人もいるじゃない。あからさまに落胆した顔観てしまったりとかさ。いい時ばかりじゃないからね。でも、すべてが自分のモノなんだって、覚悟を決めたんだね。この集団の顔として、責任は私が取るってことを決心した。 そんでやり続ける姿勢を示し続けよう、と。 それはともかく、 六角と観る、夜曲。 しみじみとしたものがあるな。 まだ互いに感想なんか一言も言い合ってないけどね。 言いたいことは何にも言わなくてもだいたいわかる。 言えることは、頼むから、大切にしてくれ、ってことだな。 俺たちの思い出を、軽々しく扱わないでくれ、ってこと。下手なのはいいんだよ。まだ若いんだから。あの頃の俺たちはきっともっと下手だった。大道具なんかも、全部自分たちの手作りだし、衣装も小道具もチープだった。 だから今の出来に細かくどうことは言わないよ。いいところもダメなところもある。 ただ、これは俺らを育ててくれた作品で、ここは俺らにとって故郷とも言うべき場所 なんだ。 新しい若者たちが来て、俺らがかつてやったことを繰り返す。それは良いんだ。むしろそれを観ているのは、どこかでくすぐったく、切なく、微笑ましい。歳を取ることの喜びだ。がんばれがんぱれと思える。 だからこそ余計に、願うんだ。ここで夜曲をやった以上、決して逃げないでくれよ。とことんまで戦ってくれよ。この道をギリギリまで行く覚悟を決めてくれよ、って。俺たちは俺たちなりに命がけだったんだよ。へなちょこなとこもたくさんあったけど。 君たちなりの命がけを見せてくれよ、って感じなんだナ。 楽日までに、百倍成長しろよ。 俺たちは、夜曲で紀伊国屋に出て、生まれ変わったんだ。明日やめるかもしれない演劇好きの若者たちから、それで生きる覚悟を決めた演劇人にさ。 君たちも生まれ変われ、ってことだ。
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