2003年10月                             

明日から(2003.10.31)

 いよいよ新宿シリーズ・夜曲が始まります。
 私も基本的に毎日劇場におります。実際的には、ナーンの役もないので暇な立場です。見かけたら、どうぞ気楽に声とかかけてね。
 
 昨日はね、お昼に国立劇場の演芸場というところに行っていました。道の面影、街の芸 という特別企画公演でね。ガマの油売り、講談、幇間芸、紙芝居、チンドンなど、昭和初期にあった大衆芸能を集めた企画。
 特に何の関係があるわけでもなく、発作的にただこれは見たいと思って行った。時々、そういうスイッチが入るんだな、私。変なモノがアンテナにかかって、行かなきゃと思い立つ。
 木曜の昼間だし、いかにも地味な企画じゃない。ガラガラだと思って行ったのね。んが、諸君、侮ってはイカンよ。年配の方々中心に、ギッシリの観客。私しゃ立ち見でしたよ。まあ、すぐに勝手に通路に座りました。つかこうへい事務所を紀伊国屋ホールで見ていた頃の得意のスタイルさ。
 んで、つかではなく、紙芝居とか見てきた。マジ紙芝居だよ。
 黄金バットと銀バットと対決とかさ。いるんだよ、現役でやって人が。まだ。懐かしいというより、初体験なんですけどね、紙芝居とか、無声映画の活弁とか。
 しかし、なかなかに良いモノでしたね。特に感心したのが、現役幇間の玉八さんの座敷芸と、三味線漫談の小円歌師匠のどどいつなど俗曲の数々。
 玉八さんがやった、天皇の真似で、婦人系図の湯島の場、分かれろ切れろき…… ってやつな。あれの男のほうを天皇の真似でやった物まね芝居。密室であるお座敷でしかあり得ない芸ですよね。
 それが皇居の真ん前の国立劇場で堂々とやられてる。久しぶりに腹から笑ったナ。
 一度、お座敷にこういう人たち呼んで、パアっと遊んでみたいものですな。玉八、アレやれ、とか言って。
 
 それにしても、こういうのがギッシリだっていう、これは素晴らしいことだね。おじさんおばさんも、もうテレビに飽き始めてるんだよ、きっと。

 さてその後は銀座に行って、手塚プロの松谷社長らとお食事およばれ。
 美味しい中華を頂いた後、銀座の大人クラブに。とは言っても、ここのママさんは元女優さんで、扉座を熱心に応援してくださっている方。働いてるのも女優の卵とかばっか。以前、茅野を連れて行ったこともあるところ。しかも現在は少し前にうちの研究生だった、Nも働いている。そこでバカ話兼芸術的雑談しばし。そんな訳で、なんか銀座といっても、錦糸町の劇団宴会みたいな感じになっちゃうんだなあ……
 けどさすがに銀座、不思議なモノをげっと。
 例の有栖川さんから送られてきた、結婚式のご案内状ってやつ。そのコピーだけどね。
 
 思い起こせば平成十四年八月十日 私たちは神楽坂にある神殿にて運命的に出会い心を開きました……
 
 とか書いてあるんだが、神楽坂の神殿てどこよ?
 うちの事務所の近くなんだが。
 恵比寿さんのことかね?
 細々と読むと本当に笑えるぜ、これ。 

 そーだ書き忘れてた。
 昨日の演芸で、チンドンも出てたんだけど、これだけはうちのチンドンも負けてなかったな。ニコラ連中でも遜色ないじゃんて、マジ思ったぞ。
 
 
 

 
 



本日は(2003.10.30)

 昨日はハンズで福岡の打ち合わせ。我が国のアートサーカスの第一人者の若井田さんにいろいろとアイデアを貰う。若井田さんは毎年、フランスのサーカスフェスティバルに行っていて、最新の情報を持っているのだ。
 とっても面白い話がたくさんあったけど、まだ公表できないことばかりなので、中味はそのうちね。

 さて本日は、まず稽古場でらぶ3の稽古。少しずつ面白くはなってきているのだが、いかんせん数が物足りない。もっと作れとハッパをかける。今年度は茅野が忙しくてあんまり面倒みれなそうだから、その分オレがやらねば。しかしオレがやっていつもよりつまらなくなったら問題だもんな。オレのためにもしっかりやってくれ、って感じ。
 んでその後、下北沢へ。
 ボードビルショウの30周年記念公演に。
 本当に久しぶりのボードビル。
 おじさんたちが、未だに大人になりきれなくて、劇団ずるずる続けてるテイストが、ダサクもあり、暖かくもあり、初めて見る光景なのに、何か懐かしい感じ。
 彼らに追いつくにはあと十年か……
 というか、そもそも追いつきたいのかどうかが大問題だけどね。心から羨ましいとは言い切れんなあ。
 まだやってんのか、大変だなあ。みんなもう、劇団なんかいらないぐらい活躍の場はあるのになあ……
 とか、考えちゃう。
 まあ、わしらも今まさに劇団ずるずる存続中なわけで、少し遅れの同業者というか、同病患者というか、ある種の同志なんだよな。面白さよりも、大変さの方に感情移入しちゃう。
 そんで人ごとながら呆れてね。よくまあ、こんな馬鹿げたことを三十年も、と。
 もちろんそれはすべて自分たちにも返ってくる言葉なのさ。
 しかし自分でも呆れるような馬鹿げたこと、ってそんなにないからね。しかもそれを必死にやってるんだから、ある意味痛快でもあるんだよね。どうだ、お前に出来るか!って。
 出来る出来ないじゃなく、そもそもやりたくありませんねと言われればそれってきりなんですがナ。
 羨ましいとは言い切れない、微妙な偉業なのさ。
 私は石井さんとか一部の人を除いて、この劇団とはそんなに親しいわけでもないんだけど、たとえば座長のB作さんともさ、無言のうちにそういう連帯感が漂う。
 んで、今日は山本龍二さんが、ダブルキャストの初日で、ロビー乾杯があったんだが、そこでB作座長からいきなり、乾杯の音頭をとっておくれ、とご指名を受けました。
 私ゃ、ぜんぜん関係ないんだけどな。
 それでも、その馬鹿げた偉業の先輩後輩関係で、僭越ながら、大役を果たさせて頂きましたぞ。

 下北に行くのに、錦糸町から半蔵門線に乗って、三軒茶屋まで出た。そんで久しぶりに茶沢通りを歩いた。
 文京区に越す前は、代沢に居たので懐かしくてね。
 かなり変わったね。思わぬところにオシャレなお店が出来ていたりして。
 一年ぶりぐらいで麺増ラーメンを食った。
 下北では、前から、ここが一番好きなんだ。喫茶店は北と南の両・花泥棒。十年ぐらいそういうシステムだ。新しいとこはよく知らないんだけどね。
 ちなみに花泥棒は原宿にもあるって知ってる?原宿に仕事場持ってる頃はよく行ってたもんさ。
 
 
 



疲れ申した(2003.10.27)

 金曜日からの出来事。
 金曜日は赤星と博多に。国文祭開会式の練習場の下見と、閉会式の演目の打ち合わせ。の予定だったのだが、泊クンがギックリ腰になって打ち合わせがドタキャンに。
 仕方なく、宵の口から赤星と二人で中州探訪。でも不気味なほど人がいない。呼び込みばっかでさ。
 ダイエーと阪神の試合中だったんだね。
 ま、何ということもなく、明日は大変だからね、てことで、旨いイカ食べて退散。刺身で食べて、残りをてんぷらにしてもらい、それをオカズに明太子と白いご飯で頂く。スッゲエ旨かった。中州のソープ街にあるお店なんだけどね。以前、猿之助さんとの対談でご馳走になった。今回は赤星を接待したのだ。
 もちろん、イカだけだよっ。

 一方劇団は厚木でリハーサル中だったはず。土曜日は正真正銘、オレ抜きの初日になる。茅野が演出を始めた頃の合言葉が、ヨコウチが急死したらどうする?!だったんだが、もはや博多で行方不明になっても、まったく問題なく公演が進むようになった。劇団からは何の連絡もなし。便りのないのは無事の知らせだ。

 さて一夜明けて土曜は大変だった。
 お昼から、大野城市というところのまどかピアという劇場で、演劇の鉄人という催し。
 これは鉄人が出したテーマで、地元劇団が30分ほどの短編を作り、競うあうというもの。料理の鉄人の演劇版だね。んで鉄人というか司祭が私。
 恋 というテーマを出して、舞台美術家の太田創さんに舞台を作ってもらった。同じ舞台を使って、恋にまつわるおもしろい芝居を作ってみたまえ、って企画だ。
 これがなかなか面白かった。
 勝手にアイデアを出しただけで、その後、どうなったか心配だったんだけど、地元の演劇人もがんばった。みんなとゆっくり話したかったけど、次の予定があるので慌てて博多に戻る。
 来年もまたやりたいって言ってたな。東京でもやると面白いな、あれは。

 シンフォニーホールという立派なところで、文化祭一年前のイベント。氷川クンの歌うテーマソングのお披露目もあり。ただし氷川君は来ないよ。彼は今新宿で座長公演中さ。オレも見に行って、特製氷川茶と湯飲みをお土産に貰ってきたぞ。
 忙しすぎで、結局氷川クンのレコーディングは間に合わなかった。けどとてもいい歌ができあがった。
 甲斐さんの発案で、地元の小学生たちが合唱してお披露目。
 タイトルは 人生号。

 そのうち、どこかで耳にするでしょう。きっと流行ると思う。一度聞いただけで耳に残る歌詞とメロディー。これを大切に使いますと、甲斐さんに約束。
 その後、挨拶がてらのトークを舞台でして、私の後には、やはり文化祭で大きな出し物をやる、野村萬斎さんも出てトークして、その後、知事と私と萬斎さんとで写真撮影されつつ歓談とかして、九時過ぎまでさまざま活躍。
 ま、イベントは萬斎人気で大盛り上がりだったんだがな。私としては、何よりもテーマソングの疲労がうまくいったのが良かった。
 厚木もそろそろ終わった頃かな、と思いつつも、こちらはこちらで大変だったので、すぐに忘れた。
 便りのないのは無事の知らせであろう。
 イベントが終わって、関係者と会食。昨夜のイカ店に。イカ好きの菊池さんをお誘いして。二日続けでイカと明太子ご飯。でも美味しい。やっぱりてんぷら。あとまだ生きていて、口の中であちこちに吸い付いてくるイカ足。しかし甘いのだね、これが。
 日曜は朝から厚木に移動しなきゃいけないので、早めに解散。
 ホテルに帰ってヤレヤレと一休み、テレビを付けると甲斐さんが浜崎あゆみと歌ってる。
 オオと思いつつ、疲れたのでうとうとと、すると電話がなった。
 「甲斐でーす。今どうしてますか。」
 
 甲斐さんはイベント途中で帰ったのだった。
 「はあ、もう眠りかけてますが」
 「そうですか、ではまた東京で」
 申し訳なく思いつつも疲れと睡魔で、はい、と答えつつ電話を切ってまたウトウトと。
 するとその10分後にまた電話が鳴って。
 「甲斐でーす。やっぱり寝ますか」
 「わかりました。今から行きます。どこですか」
 咄嗟にそう答えてしまった私。しまったと内心思いつつも。
 しかし慌てて起きて着替えて、いわれたところに駆けつけた。
 指定場所は天神の屋台。
 黄色い看板目指してきて。
 って黄色い看板だらけじゃん。
 一見ずつ覗いていくと、一番流行ってないとこにサングラスの男。
 甲斐さんはそこに一人でいて焼酎飲んでた。
 かなり酔ってる。
 こっちはガキの頃からのファンだからね。素晴らしいことなんだけどね、二人きりで屋台だよ。しかしお腹いっぱいだし、何しろさつきまで半分夢の中にいたのだ。
 不思議な浮遊感覚のまま屋台に。
 で結局、二時半過ぎまでお話を。甲斐さんの話は面白いんだがな。ま、ここでは言えないことも多いけど。
 それにしても、話が終わる気配がない。仕方なく、私から、そろそろ帰ります、と申し上げました。
 甲斐さんもかなり疲れてる様子で、ケッコウへろへろみたいなのに、自分から帰るとは言わないんだよね。何なんだろうね、あれは。最後まで降参せんぞみたいなね。
 んじゃ、また と。堅く握手して帰還。甲斐よしひろとの、たぶん本日十回目ぐらいの握手であった。
 さすがに倒れるように寝た。

 んで翌日、目覚ましのダブル攻撃を受けて起床。博多から羽田に。んでんで羽田から、高速バスで厚木に。
 お昼には劇場に着いた。
 へろへろですよう。
 そしたら、なんか私と同じような感じでへろへろの有馬が、真っ赤な目と膨張した顔でウロウロしてる。
 いやあ、泊まりやったんで、飲みましたわ。まだ抜けまへん。
 と。
 ね、便りのないのは無事の知らせでしょ。
 ま、私も厚木にいたら、こっちに付き合うことになって、結局同じようなことだったんだろう、ってことさ。
 そこからお昼の公演。厚木の皆様との会食になだれ込み。しかし、さすがにもう体力の限界であった。
 宴会のさなか、途中で何度も白目を剥いて倒れそうになる。仕方なく、途中でこっそり退散。ロマンスカーに乗るなり爆睡。
 
 夜曲は 今度の土曜から本腰を据えて支えよう。
 もちろん舞台は見ましたよ。
 結論を言えば、便りのないのは無事の知らせ。
 留守にしても、ちゃんと恥ずかしくない舞台をやってる。これはうれしい。
 無理なスケジュールをごり押しして出演をお願いした大門さんが、ご馳走だね。
 茅野さんの演出は迫力あるわね。
 とは、私の実母の感想。
 あんたは、ひ弱っぽいからね、だってさ。
 さすが熟年殺しのイサム。
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 

 
 



今日は(2003.10.22)

 まず稽古場でラブ三。
 んでその後、国立劇場に行って猿之助歌舞伎。競伊勢物語ってやつ。これで派手比べ・いせ物語と読む。
 でもそんなに派手じゃなくて、猿之助一座には珍しい歌舞伎らしい歌舞伎だった。
 しかし上演時間が四時半から九時半だもんな。相変わらず長いおもだか演劇。
 
 今日は市川笑三郎が出色の出来。
 若手ホープで唯一の一門御曹司だった亀治郎が一座を離れたその穴を埋めて余りある活躍だった。芸人はしぶといねえ。まるで人がいなくなることが幸福であるかのような勢いで大役を活き活きと果たしている。
 イッツ、ショービジネスだね。去る者があり、一方で来る者がいる。
 うちも最近、出入りがはげしいが、見習いたいね。
 穴を埋めて余りある、山の盛り上がりを生む、新鋭よ出でよ、だ。
 
 いろいろ書きたい感想あるけど、家に帰って、積み上げたままの本の山を見てると、イライラしてきて、そのまま本棚整理に突入。
 とても疲れ果て申した。

 明日は、新宿コマにて、氷川きよしショー鑑賞の予定なり。
 
 



今日は(2003.10.21)

 久しぶりに稽古場へ。
 ようやく夜曲の完全キャストの通しを観た。まだまだ発展途上の芝居って感じではあるけれど、正しい筋道で一段一段ステップを上って行く感じが頼もしい。
 意外にも、茅野は地道で粘りの人なんだ。若いキャストを相手に本当に丁寧に指導している。若者たちは、その情熱と愛情を当たり前と思わずに、真摯に謙虚に受け止めて、精進するべきだな。少なくとも、今の私には薄れかけている気持ちだもの。
 もともとせっかちな私はとても、茅野ほど根気よく待ちきれない。ダメだと思うと速攻でカットしたり、プラン変更したりするからね。
 成長をじっと待ってくれる演出家ってのは、ありがたいものなのです。
 若者たちよ、その幸運を噛みしめて、期待に応えろよ。

 稽古場に かたシも来てたので、誘って飲み屋に。
 芝居に関係ないヨタ話をしばし。車の免許取得問題とかね。そのうちにツトム一生とか虎清高木とかも来た。
 前回、たかシが稽古場に来たとき、若者たちを誘ったのに、誰も来なかったらしいのね。
 たかシも若者たちに煙たがられるようなオヤジになった、つてことだよと嫌味を言ってやった。たかシはたかシなりに、アドバイスとかしようと思ってたらしいんだけどね。
 なのに誰も来なかったって、落ち込んでたんだ。
 それが今日は誘ってもいないのに数名来た。ま、茅野が引率した部分はありそうだけど。
 若者たちの姿を見るや否や、ヨタ話に盛り上がってたたかシの気配が俄に変わり、先輩モードに切り替わりました。
 そして我らのテーブルを離れ、焼酎グラス持参で若者テーブルへ。
 何を話していたのかはわかんないけど、高木にいろいろ語ってた。
 たかシも先輩になったんだなあと、しみじみ思いましたね。
 かつて、こういう場で、杉山に厳しいダメ出しを受けて、マジ泣きとかしてたんですけどね。
 本当に涙流して、途中で帰ってしまったり。
 
 そのたかシが一所懸命後輩に芝居のことを語っているんだナ。劇団らしい良い風景でありました。
 ただ内容はまったく不明。
 実は、免許取得の自慢話だったりして。

 教習所の緊急看護の実習で、一人マジモードで芝居して、緊急状況を表現して、教習所内で評判になったんだってサ。
 バカな奴でしょ。
 素人相手に、そんなことやるなんて。
 ま、風俗のイメクラで、風俗嬢相手に、マジでエロ教師を演じたりしている先輩がうちにはいるわけで、相手がプロであろうがアマであろうが、全力を出し切って演じるというのが扉座のスタイルともいえるんですがね。
  
 ともあれ、こうして夜曲は練り上げられているのです。

 明日はお昼に研究所授業。その後、国立劇場で、猿之助一座の舞台を観る。

 尚、パソコン問題はほぼ解決。
 いろいろご心配おかけしました。また日記ガンガン更新していくので、よろしくね。

 
 
 

 
 



つながった(2003.10.19)

 昨日、光ファイバーの人がきて、トラブルを解決して、おまけにつないでくれました。
 無事に、日記継続です。
 トラブルは機械そのものの不具合でした。私は悪くなかった。
 でもまだ、苦難の道は続きます。まず、旧メールアドレスをこの接続でどう使いこなせばいいのかがまったくわからない。前のサーバーも解約はしてないから、可能なはずなんだが。
 たぶん、何通かメールもたまってると思うんだがな。
 新しいサーバー経由でも見れるはずよねえ。
 ともあれ、つながった報告まで。
 まだまだ荷物の整理がつかないよう。



やはり(2003.10.15)

 だから俺は機械は信じないんだ。
 今日、新居にいろいろ荷物が届く日だったので、留守番方々昼から夜まで新居にずっといて、マニュアル片手に光ファイバー接続するつもりだったが、案の定、停滞した。
 経験上、こういう時には一人でがんばらず、すぐに降参してサポートに電話する。んで電話で指示を受けつつ、試したのだが、どうにもならない。そのうちに向こうも不思議がって、これは大元の回線の不具合の可能性がありますとか言い出して、そのままお待ち下さい。後ほどこちらから……
 なんてうちに夕方になり、夜になり、それでも連絡は来ず、しびれを切らして、どうなりましたかというと、担当者が不在だって。
 二人きりにしないでくれよ、俺を!機械と!
 ね、
 俺は機械と相性が悪いんだよ、つくづく思い知った。
 結局、本日は断念。
 明日以降も予定も立たず。
 まだ古いパソコンから書き込みしてます。
 しばらく更新できないかもだけど、ごめんね。
 その空白の間、私は機械と格闘してるんだと思って、同情して下さい。
 さらば。



買い物大好き(2003.10.14)

 すでにノートパソコンを買った。
 まだ荷造りも終わってないのに、大変大変とか独り言をいいつつ、寸暇を惜しんでサクラヤまで買いに行った。
 やっぱり私は買い物大好き。
 まだ光ファイバーには繋いでいない。
 この日記はあと二日で、オサラバの自宅からです。

 ご縁なので富士通にしようと思ったけど、結局NECのラヴィに。初めからずっとそうなので、変えるのが不安なんだな。同じなんだろうがね。
 最初に扉座にパソコン導入しようと言い出し、自分用と事務所用の二つを茅野イサムと買いに行った時に、なんかのハズミでバリュースターになって、以来、事務所もずっと同じ銘柄なんだな。
 デザイン用にマックも一応あるけどね。
 
 我らの観客には他メーカーの方とかも大勢おられると思います。ごめんなさいね。でも将来は良くて安い物なら切り替えも検討しますから、どうぞ情報を下さい。
 扉座で使って貰えるなら、無料提供したいとかサ。

 それにしても、近頃は かやのそと の方が盛り上がってる。
 何しろ写真つきだもんな。
 かやのそとはこっちじゃねえかよ。
 稽古場にもロクに行かず、ひたすら肉体労働に明け暮れてよう。
 日記にも、たいしたニュースがねえし。
 
 ま、とにかく荷造り!
 
 
 



ひたすら荷造り(2003.10.12)

 例の引っ越し埃症で、鼻水とくしゃみが止まらない。
 でももうカウントダウン状態なので、サボッてはいられない。ひたすら働く。鼻水を垂らしつつ。
 劇団公演では、もはやクギ一本打つことのない私が、なんでこんなに働いてるのか、自分でも不思議だが、不思議がる暇もない。
 サツカーとK1をみつつやったけど、作業の片手間なので、まったく集中できなかった。
 ああ、早く終われ、この苦行。
 
 あと、インタネットの仕組みが変わるのね、光ファイバーってやつ。それはいいんだけど、俺のWIN95タイプでは対応できず、新しいのを買わなきゃいけない。それはいいんだが、その後さまざま設定して、新しい方式で繋げて、ここに日記が上手に書けるようになるまで、どれほどかかるか。
 日記は途切れさせたくないのでがんばるけど、少し心配。初めてパソコン買った時には、わけわかんなくて。電話回線でちゃんと接続できるまで、何度泣いたことか。
 マニュアルが酷くてな。無茶苦茶な日本語だし、電話サポートなんていつも混んでて繋がった試しがない。
 まあ、その時からずいぶん月日も経ったから、システムも変わったと思うけどね。
 
 ちょっと不安。
 不明なことがあったら、ここで質問するので、パソコン通の人、教えておくれ。



疲れた(2003.10.10)

 きょーは、引っ越しに先だって、本だけを新居に運び込みました。研究生の奥クンと瀧田クンと栗崎クンが働きに来てくれました。
 なあんだ、本だけかと侮るなかれ。自分でも驚くほどたくさんの本がありました。本だけは全部、運んでしまう予定だったのが、誰よりも自分が挫けて、積み残しが出てしまい、まだ何百冊か残ってそうです。
 研究生諸君もその膨大な量に呆れつつ、疲れ果てました。
 それにしても、うちのマンションの前に入ってくる時に、瀧田クン運転のトラックは思いっきり音を立てつつガードレールを擦るし、転居先の新居(近くに越すのよ)まで、私の自転車で単独移動することになった栗崎クンは、ほんの5分で着くはずなのに、なかなか到着しなくて、よく聞けば、茗荷谷をはるかに通り越して、後楽園のラクーン辺りまで走っていたそうな。
 私が春日通をひたすらまっすぐ、と言ったのを彼なりに実行した結果らしい。携帯連絡がなかったら、上野まで行ったのだろうか?
 君は、フォレスト・ガンプか?
 素晴らしい若者たち。
 お陰で楽しくプレ引っ越しが出来た。
 
 それにしても、疲れた。
 今夜はおやすみなさい。
 免許を取ったたかシに頼んでも良かったな。
 
 



昨日と今日(2003.10.09)

 昨日は、錦糸町稽古場に。まずラブ3。9月のはじめから取りかかって、ようやくそれらしい作品が出てきた。今回は茅野がいろいろと忙しいから、オレと田中で当分支えて行かなくちゃならない。いつも以上にハッパをかける。
 うちの稽古場のすぐ側の3スタに、中井貴一さんと段田安則さんの二人がいた。二人芝居の再演の稽古らしい。お二人とはセゾン劇場の『陽だまりの樹』でかれこれ5年ぐらいみっちりと付き合っている。でもそれ以来なので合うのは久しぶり。しばし稽古場にお邪魔して歓談を。
 これは福島三郎クンの作品なんだが、オレにもそういうの書かせてよと売り込んだりしつつ。何しろね、『陽だまり』をもう一度という声はずっとあるんだが、段田さんがあんなに大変な役、もう出来ないよと言ってるらしいんだ。中井サンは国体級のテニスプレーヤーだから体力が違うんだが、段田さんは筋金入りのプレステプレーヤーだ。もうカラダが動かないよって。過酷な芝居なの、アレ。しかも若い侍の役だからね、段田さんは。
 俺も最近は、動かない芝居も書いてるんだよ、と言っておいたぜ。
 
 んでその後、『夜曲』の稽古に。
 作曲の笠松さんもいた。初めて稽古場で会ったねと嫌味を言われた。こっちは週イチ出勤だから、ね。なかなか現れないと思われてる。でもね、サボってんじゃないのよ。茅野に気を使ってんのよ、そこわかってよね。
 さて、先週からこの日は横内主催宴会やるから、いつもより早めに終われと、茅野に申し伝えておいたので、さすがの茅野もねばらずに7時には終了した。で、サヨ役の松下恵さんに、肉と魚、どっちが良い?と聞くと、お肉という即答。本当は私はサカナの旨い正しい居酒屋・天紫亭で、さんまの塩焼きとか食べたかったのに。ちょっとがっかり。まあまだ22歳の若者ですからね、肉が良いんだ。可愛い顔して。
 んじゃ焼き肉だな、と思ったんだがね。何しろ15、6人だよ。彼女だけなら、秋葉原の万世にでも行ったんだがな。いくら錦糸町が焼き肉の都でも、座員一同繰り出して好き放題食った日にゃ、また10万円コースになっちまうだろう。しかし週イチ出勤なんだからケチケチせずにドーンと行くか、いやいやこの財政難の折、豪傑ぶってる場合じゃないだろ、などと密かに葛藤。
 セコイと言えばセコイけどさ、諸君、ちょいと人を誘って10万焼き肉とか経験したことあるかね?私はねえ、自腹で30万焼き肉までは経験したことがあるんだよ。忘れもしない『いとしの儚』大阪ツアーの時だ。激安の店だったはずなのに、70人ぐらいいて、請求書見てびっくりしたね。そう言えば煙で向こうが見えなかったよ。んでその煙に紛れて団員たちが、勝手にどんどん注文してたナ。そもそも劇団ツアーに70人がいってることがおかしいんだがね。この時は群衆役の研究生も全員ツアーに参加させたんだ。サウナとかに泊めさせて。で可哀想だから、オレが焼き肉食わせてやると、豪傑ぶったんだ。制作費からじゃなくて、オレが払うって。時計懊悩の頃じゃないかな?アレさえあれば、カルチエのパシャとか、かるーく買えたのにと泣いたね。
 後で痛いよ、豪傑焼き肉は。
 そりゃ豪傑ぶる快感も悪くはないがね……、このご時世を思うとね。赤字で劇団潰れると大騒ぎしたのはつい一月前なんだ。忘れるなよ!
 
 とは言え、恵ちゃんはゲストなんだ。他ならぬゲストのリクエストなんだから、と山寺から飛び降りる覚悟で決意しました。そんで、たまーに行く、元関取のやってる焼き肉屋に予約の電話を!ところが幸いに、いや生憎、水曜が定休日であった。ここは旨いんだけど、若者大勢体勢で行くには少し大人向けでサ、ここに行ったら、間違いなく10万円以上コースだったろうナ。
 まあ、まだ早い時間だから、ブラブラさがしましょうと茅野が言うので、とりあえず駅方向に。すると途中で、七輪焼き という看板発見。激安焼き肉なんて書いてある!私は知らんかったが、茅野は時々使ってるらしい。とりあえず錦糸町北口方面の焼き肉取り扱い店は全部押さえておくシステムなんだ、彼は。
 んてんでな、この焼き肉大王が耳元で「座長、ここなら安く済みますぜ」だってよ。
 お言葉に従って入りました。確かに半分で済んだ。
 豪傑にはなり損なったがナ。
 それでも「おう、諸君、何でも好きなだけ頼め、死ぬほど食え」とは言えたゾ。とくかく安い。キャンペーン中で中落ちカルビが300円!一番高い和牛カルビは千円。でも、私らが何枚か頼んだら、和牛はたちまち売り切れた。うちはこういう高級品はあんまり出ないんで、だってサ!で仕方なく300円カルビ追加!
 それにしても一つの不安は、恵さんがどう思ったかな?ってこと。こんな安い焼き肉、初めて食ったんじゃないかしら。お腹壊してないか少し心配。たぶん扉座の人々は何ともないだろうが。

 そして本日は雑誌宝島の取材で、富士通のパソコン開発の偉い人とインターフェイスについての対談。
 汐留のすっげえオフィスの中で、新しく出るウィンドウズの最新種の説明を受けつつ、パソコンの過去現在と未来を語る。
 何か、オレでいいの?って感じじゃん。
 だってよぉ、何を隠そう。オレのパソコン、未だにウィンドウズ95だぜ。しかも何年か前にマトリックスにかかって、半分病んだままだぜ。ウィルスを隔離だけして駆除できないでいるんだぜ。
 こんな奴が、そんな対談やっていいのか?
 とりあえず、わかったようなことはしゃべってきたがな。うちのホームページのこととか、語りつつさ。だってパソコンらしい使い方は、ここでしかやってないんだもん。
 月末頃出るはずだから、皆で仕上がりを楽しみにしようじゃないか。
 俺は錦糸町で焼き肉を制限なしで劇団員に食わせてやるし、汐留で最新技術についても語ってしまう、デキる男さ。
 それにしても、何でオレが呼ばれたの?って後で赤星に聞いたよ。そしたら、
 「ホームページで日記をコマメに書いてるからだそうです」だと。
 ホントにそれでいいのかFMV?
  
 でも仕事に繋がってるね、この日記!
 普段ゼッタイ会えないような人とお会いできて、パソコン進化の話とか聞けて、面白かったしな。
 買い換えるときは富士通にしようぜ。

 今からは『生本』の原稿書き。
 
 
 
 
 
 
 

 
 



山形から(2003.10.05)

 一昨日は山形演劇鑑賞会の40周年パーティに。立派なパーティだった。文学座が公演中で、北村和夫先生はじめ大勢の座員が参加してた。私もその末席に。
 それにしても、鑑賞会方面での、オヤジ(実父)の知名度に驚く。会う人会う人、皆さんが口々に、パパさんとはいつも親しくお話しさせて頂いてます、と。息子(私)よりずっと顔が広いのね。そんで、おそらくフレンドリー。
 お父様はホントに気さくで陽気なお方で、って皆さん仰言る。
 しかしそれって、息子さんは高慢で陰険で、ってことなんじゃねえの。まあ、向こうは筋金入りの営業マンでこっちはアーチストだから構わねえけどよォ。
 でも、こんだけ有名だと、オヤジのこと話してれば間が持つので、とても助かる。優秀な営業員だな。
 
 その翌日は、山寺に。独りで!
 5月の時、近藤さんがツアー途中で山寺に行くといってたのが、何か羨ましかったので。
 しかし山寺の長い石段(800段)を登り始めてすぐに後悔。山の上にあんだ、名前の通りに。こっちは日頃まったく動いてないのでね、登り初めでケッ躓いてヤバイと感じ、同行がいるわけでもないので、そっと引き返そうかと思いましたね。  
 しかし、先日、健康体であることが大々的に判明してるんだし。こういうことを怠けてはいけないと思いました。頂上まで上り詰めれば、煩悩が消え去ると言われている山のお寺なのです。
 それに、その昔、かの松尾芭蕉が登り、
 静けさや 岩にしみ入る 蝉の声
 と読んだ場所でもありますからね。
 芭蕉も登ったのだから、私も登らなくてはと自分を励ました。何しろ独りなので、独り言も切ないんだ。
 ああ、辛い……とか。まだか、ああ……とか。
 
 んでも、何とか登って、お参りして、景色見て、降りてきた。
 感想は、
 頂上からの眺めが良かった。(小学生だな、これじゃ) 
 
 実は朝飯を食わずに行ったので、ペコペコでした。
 途中で力こんにゃくってのを食べたけどね。マジこんにゃくのみだし。で麓の休憩所のようなとこで何か食べようとしたのだけれど、これがソバソバソバソバ……
 知ってる人は人は知ってるだろうが、私は蕎麦アレルギーなんだ。なのにソバハソバソバ……
 結局、我慢して山形に戻り、結局ラーメンなんか食ってしまった。
 
 んで昨日は茅野、赤星と合流して、国民文化祭の開会式視察。話題の焼き肉トリオですな。今回は蕎麦だけど、私はゼッタイ食わないから、コンビ・プラスワン(ボクは見てる)だ。
 山形は井上ひさしさんがプロデューサーという話だった。んで、井上さん作の朗読劇がある、と。
 テーマは水。
 かなり期待してた。というより、実はビビってたの。あんまり素晴らし過ぎると困るなと思ってた。次に福岡でやるのが私だからね。素晴らし過ぎると次がやりにくいじゃない。
 でも、幸いにしてその懸念は消えた。
 鳥取のよりは面白かったけど、まあ普通だな。
 何しろ、プロデューサーご本人がいないんですからね、どうしてか理由は知らないけど。
 井上さんのテーマの絞り込み方とか、これにあわせて作られて、会場でお土産に配られた水についてのアンソロジーの文庫本とかは、さすが井上先生って感じだけど、演出が物足りないんだよな。朗読劇部分のみならず、トータルなイベントとして。とても曖昧だった。
 先生は名前だけ担ぎ出されたのかなあ、って気配が漂っちゃう。式典とイベント全体が井上ワールドになってたら、好き嫌いはあるにせよ、もっとインパクトがあって心に沁みる催しになっただろうにな。
 でもま、井上さんは演出家じゃないんだからね。やっぱり、全権掌握の演出家不在じゃ一つの世界を成立させるのは無理だよな。
 
 とまあ、イチャモンつけつつも、次は私の番だから、密かに緊張しておりました。何しろ山形市は20万都市。県全体でも120万だって。福岡なんか市だけで、100万オーバーだからね。規模が違う。
 んで、私や台本書いて終わりじゃなくて、準備から当日はもちろん、後かたづけまで現地に張り付いてやる気でいんだからさ。横内は名前じゃなくて実で働くんです。

 そのために韓国にも行ったんだからね。ただ焼き肉食いに行ったんじゃねえぜ。
 あれはあくまでも国文祭で、韓国の芸能を招聘するための調査及び視察旅行だったんですよ。茅野と赤星はただの焼き肉ツアーのつもりだったのかもしれないけど、私は大きな責任を持って福岡の顔として韓国の芸術家の方々と親交を深めてきたのですからね。
 そこんとこ、声を大きくして申し上げておきます!


 
 
 
 
 
 
  



山形へ(2003.10.01)

 今日は、稽古場へ。
 ラブ3と『夜曲』。『夜曲』はもう通し稽古してるんだぜ。早いよなあ。犬飼なんか、すでに声が枯れ果てて、楽日目前みたいな状態だし。
 過酷だねえ、茅野稽古。
 あんまりゆっくり出来なかったけど、この調子でいけば、間に合わないってことはないだろうナ。むしろ、そんなに慌てずじっくりやれよ、って感じ。

 稽古場になぜかナボナがあった。
 何でナボナ?と思ったら、有馬の差し入れなんですと。
 にしても、なぜ?と思ったら、ダイエー優勝記念なんだそうだ。
 やりましたな。こうてきましたんや、と言うてた。
 まあ、そこで私は、そうか、なるほどと了解したが、若い人は、そう言われてもますます、なぜなぜ?状態であろうな。
 そもそもナボナって何?って感じじゃないかしら。
 
 何を隠そう、ナボナはお菓子のホームラン王なんだけどね。
 分からない人は、近くにいる関東出身の30歳以上の人に聞いてみて下さい。ダイエー優勝と、ナボナにどんな関係が成立するのか。

 ともかく、私はそのナボナのチョコクリーム味を一つ頂いたんだが、思えば、実は人生初ナボナだったかもしれないと、思うのだった。
 ずっとその名は知ってたけど、食ったという記憶がないのさ。古い古いお菓子だから、うんと前に食ったことあんのかもしれないけど。
 おそらく今日が初ナボナだ。

そこで一首

  ダイエーが勝ったと君がくれたから
              10月2日はナボナ記念日
                         ケンスケ
 
 ところで関西人の有馬が、なぜに福岡ダイエー・ホークスを応援しているのか?
 その理由は分かるかな?
 ホークスの歴史を知れば答えは簡単。
 そういう意味では、私はライオンズ派なんだ。小学生時代は北九州にいて。小倉球場によく行ってたからね。

 さて明日から三泊で、山形です。
 明日は山形の演劇鑑賞会の40周年記念パーティがあって、是非出席して来いというオヤジの命令で出掛けます。ちなみにオヤジは糖尿病の生活指導入院というやつで今は事務所もお休み中です。
 あんなに痩せてるのに、糖尿なんだね。もともと家系的にヤバイんだ、横内系統は。で、私も心配されてる。んが、検査の結果は先日の報告通り。
 それはともかく、明日はパーティ。
 んで、土曜は国文祭の開会式。
 昨年鳥取で開かれた国民文化祭が、今年は山形なんだ。早いね、もう一年経った。万年筆博士の鳥取から一年だよ。
 さて山形では、どんな物欲が刺激されるのか?万年筆博士に対抗できる、逸品はあるのか!
 引っ越しで物入りなんだから、出現するな、山形逸品よ!なのでありますがナ。

  
 
  

 





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