2003年09月                             

 九月の終わり(2003.09.29)

 慌ただしく時が過ぎて行きます。
 もう9月が終わりですね。
 
 雑事にばかり追われて、結局何も創造しない月でした。まあ今年は前半が忙しすぎたから、いいか。しかし10月は引っ越しがあって、ますます落ち着かないなあ。
 
 一方で『夜曲』が進行しています。
 劇団でやるのは10年ぶりなんだね。そんなに経ったような気はしないのですがね。ついこないだのような気がしてる。
 あの頃のことは、さまざまはっきりと覚えています。10年前の『夜曲』は演劇祭参加で北九州で初日を開け、その後、北海道や東北を回り、最後に東京紀伊国屋に帰るという大ツアーでした。
 その一方で、ボクは木村拓哉クンの出た『モダンボーイズ』の執筆を抱えてた。これももはや伝説の舞台ですね。公演を終えた劇場から、慌てて帰宅して執筆して、また劇場に行くという過酷な毎日だったのを覚えています。
 木村クンも若かった。売れ始めの頃だな。すでにファンは大勢いたけど、この前後に、ジャニーズ親派を越えて国民的な人気者になっていった。演劇に取り組む姿勢も真摯でね、良い芝居仲間って感じだったナ。
 菊谷栄という、昭和初期に浅草で活躍したレビュー作家の物語でね。エノケンの座付き作家だった人で、我が国のミュージカルの先駆者というべき人。戦争にとられて亡くなってしまうんですがね。
 実は、私の父方の親戚とこの人には浅からぬ因縁がある。菊谷は青森出身なんだが、親父の縁戚にあたる横内さんがこの人のパトロンだった。
 劇団の公演で青森に行った時に、たびょん劇場の牧さんからその話を聞いて知った。その後、浅草の軽演劇のことを調べてみると、確かに何度も横内さんの名が出て来るんだね。その横内さんご本人には、私は数回しかお会いしてないんですけど。文化芸能に造詣の深い人だとは知っていたけど、私が大人になり、オジサンの世界に近づくのが少し遅すぎた。結局、ご本人と菊谷やエノケンの話をする機会は持てなかった。
 『モダンボーイズ』が上演された時には、横内さんも、牧さんもすでに故人でありました。
 しかし牧さんは若すぎましたね。今年、久しぶりに青森に行って、牧さんがいないのがとても寂しかった……

 そういうえば、青森の二代目「たびよん劇場」で六角のライブをやるという計画はどうなったんだろう。やる時はオレも行くぞ。
 
 『モダンボーイズ』はいつか、『きらら』のようにもう一度手を加えて、劇団でやってみたいと思う作品です。レビュー劇場の話で、歌や踊りがたくさん出てくるのだけど、今ならば扉座でも大丈夫だろう。
 
 10年前の『夜曲』の話だ。
 六角が太っててね。それが放火魔の少年を名乗って登場した訳ね。
 さすがに本人が、不安がってね。もはやオレでは成立してなくないか、って。こんな小太りで、アゴが二重の不気味なオッサンが、無理矢理に若い衣裳着て真夜中の焼け跡で少女と会話してたら、ファンタジーではなく、変態猟奇物語に見えるんじゃないか、って。まあその時はサヨは鈴木真弓で、こちらもすでにインキチ少女なんだけどね。
 んで、奴は一方的に宣言した。
 ツトムは今回限りって。
 なので、10年前の上演が私や六角にとってはラスト『夜曲』なんだな。
 この時は岡森も辛そうだったな。鎧を着て、走り詰め、怒鳴り詰めでしょ。しかも、十五の動きは奴が25歳ぐらいだった初演の演出からあんまり変えてないからね。初演はスズナリだったから、むしろそっちの方が楽だったぐらい。何しろ、この時は地方の大ホールでの上演とかもあって、走る距離が格段に延びてた。
 んで、ある地方の小屋で、私は見てしまった。
 舞台袖で岡森が、吐いてくるのを。
 どっかカラダの具合が悪いのかと思って心配したら、そうじゃなくて、演劇のせいだと青息吐息で答えてた。
 見れば、いつも大きいとばかり思っていた岡森が痩せて小さくなっていた。胸板が薄くなってさ。
 
 大阪で生まれた女 という歌がある。
 
 踊り疲れたディスコの帰り、これで青春も終わりかなと呟いて、あなたの肩を眺めながら、痩せたなと思ったら泣けてきた……

 苦しげに胃液を戻す岡森の背中を見て、痩せたなと思い、六角の二重アゴを見て、太ったなと思い、これで青春も終わりかな、と私も呟いて舞台袖で人知れず泣いたのだ。

 そのツトムをうちで最も若手の一生がやり、十五をまだまだ胸板の厚い犬飼が初役でやってる。(実は犬飼はケツコウいい歳なんだがね、奴は苦労が長かったから、未だに若手の精神と肉体なのだ)
 これは劇団史が ギュッ と詰まった芝居なんだ。
  
 
  
 



 結果(2003.09.26)

 バニラ味だった。味選択なしの一味のみ。
 にしても、やっぱり苦しかった。バリウムの前に入れる、炭酸の粉が曲者なんだな。ようく分かった。それとあのフライングカーペットだよ。動くベッドな。タダでさえ炭酸で胃が膨らんで、苦しいところに持ってきて、そんな私を逆さにしたり、斜めにしたり、グルグル動かして。ありゃ絶叫マシンというか、拷問具だよな。
 
 まあ、それはともかく、諸君。聞いてくれ。
 どこも悪くなかったぞ。まあ、アタマの輪切りの結果がまだ出てなくて後日連絡だけど、あとはセーフだ。
 血圧が少し低いのと、尿酸値が正常ラインギリギリなのを除けば、何にも問題なしだとよ。
 低血圧だよ、私は。見るからにそうだろうがナ。

 あと通風になってしまったら、田中と同じだけど、とりあえずセーフゾーンだから、奴とは違うゾ。
そもそも私はビールとかたいして好きでもないからね。たぶんコレ以上悪化はしない。ウニはビールよりずっと好きだけど、ウニの暴食なんかあり得ないしネ。
 よかった。良かった。
 何か、俄に元気になって、引っ越し荷造りが捗る捗る……
 怖かったんだよ、マジで。前回のドックが5年前だからね。(ちなみにドックだったね。私ゃドッグドッグと言っていた。人間犬か?早く指摘してくれよ。恥ずかしいじゃないか!)
 ゼッタイに何か出ると、怯えてた。ホッとしました。
 これでどうにか厄年も無事やり過ごせそうかな?
 どうもご心配おかけしました。

 検査を逃げてる茅野や、これからドックを受ける六角、有馬に自慢したいねえ。あー良かったって、言ってやりたいねえ。バリウム辛いぞ。と言いたいねえ。
 インフルエンザ予防接種を先に済ませた小学生状態だよ。
 痛いぞ、痛いぞ、俺はもう終わったけどな!って。
 
 前立腺ガンの検査もあったんだが、この問診と言うか、アンケートみたいなのに笑った。
 尿の出具合とか尋ねていて、それに答えるんだけど、最後の質問が、このような排泄状態が一生続くとしたら、どうですか?
 っての。
 たいへん不満足、少し不満足、どちらでもない、まあ満足、とても満足……とか何段階かの評価なんだが。
 具合が悪い人にとっては、笑えないことだろうが、この質問はどーよ?
 今の排泄に キミは満足か?って、改めて聞かれてもなあ。
 まあ満足 ってのは分かるけど、とても満足 って、どんな排泄だよ。何か特別な境地がこの世にあるみたいでしょ?最高の放尿みたいな……
 ちなみに私は、まあ満足 にシルシを打ったが、尿のキレとか排泄回数などに特に問題はないから、これはとても満足とすべきなのかもしれないなあ、とか考えた。悪い人のことを思えばさ、今の境地で充分なんだから。けどさ、とても というほど日々充実した排泄をしているわけじゃないからね。困ってはいないけど、やったぁ とかも思わないし。その度に幸せを噛みしめてもいないし。いい放尿で良かったァ なんてさ。
 こんなんじゃやっぱり、とても満足 なんていう幸せラインではないな……なんて。
 余計なとこでアタマ使っちまったぜ。

 またシモの話ですまん。だって変だったんだモン。
 
 茅野の日記も始まったね。
 みんな応援してやってよ。
 大勢の人に読まれてると言う実感が湧くと、続くもんだからサ。掲示板にたんさく書き込んであげて。
 
  
 
 



バリウム嫌だ(2003.09.25)

 明日は8時過ぎからいよいよ人間どっぐ。
 チョー久しぶりで、何か病気が発見されそうで怖い。
 まあ、ほっといても病気は良くなる訳じゃねえから、早くみつけたに越したこたあ、ないもんね。だから嫌だけど行くんたけどさ。
 私ゃ、バリウムが特に嫌だよ。あの胃の中に鉛が入ってくるみたいな感じね。しかもその後でゼッタイにゲップすんなって命令されてさ。苦しいよね。そんでその上に、アッチ向いたりこっち向いたり、斜めにされたり、ひっくり返されたり……
 ソフト拷問だと思わないか、アレ。しかもチョコ味だの、ストロベリィだの、子供騙しな甘い味がしっかり付いてたりして、悪趣味だよな。嫌だ嫌だ……

 でも胃カメラはもっと辛いって言うよね。それは未経験なんだ。要精密検査で、やることになるかもしんないんけどね。それは嫌だな。心理的にも辛いねえ……
 以前、キャラメルボックスの成井クンが、人間ドッグで胃潰瘍がみつかって、ストレスが一番悪いからって、公演を取りやめたことがあんだよね。
 今やうちには茅野がいるからね、何かヤバかったら、任せて休めばいいのかもしんないけどさ。後のこと考えると、困るよな。今はまださまざま予定通り進めたいなぁ……
 検査嫌だよう。
 若者の諸君はいいよなあ、こんなことしなくていいから。レントゲンとかで足りるんだモンなぁ。
 歳をとるのはホント辛いよ。
 周りもみんな病人だからね、同世代の人ほとんど。肝臓だの、糖尿だの、痛風だの、どっかしら悪い。俺だけ無事な訳がねえんだ…… 

 たぶん何か発見されるよな……今回は逃げられないよ、きっと。
 健康なはずないもんな。私の暮らしぶりで。
 でも今、休むわけにはいかないからなあ。
 嫌だ嫌だ……
 でも、それと同じこと言って、茅野はそういう検査は当分一切お断り!って、人間ドッグを辞退したんだよ。しかし、何かあったとして、ソレをほっといたらますます事態はヤバくなんだよ、って。そう言ってたのは私なんだよね。
 他人にはちゃんとそう言えるのにな。
 
 こんなに嫌がってても、明日になって、チョコ味とイチゴ味、どっちにします?とか看護婦さんに聞かれると、じゃあチョコ味で。とか微笑みながら言ってしまうんだろうな、俺という奴は。怖い顔で睨み返して、味付けナシでやって下さい、とか言ってみようかな。味付けナシはセメントみたいな味なのかな?
 そんな意地張っても、何の手柄にもなんないがな……

 ゴメンなせっかく読んでくれたのに、陰気な愚痴だけで。
 でも明日はもっとブルーかもしんないぜ。
 
 
 



23日(2003.09.24)

 講釈師・神田陽司さんの真打ち昇進パーティ。
 パレスホテルにて。
 盛大な大宴会。
 隣の席は山田太一さんだった。
 ゆつくりとお話しできて、とても光栄であったな。
 
 トンデモ本の唐沢俊一さんとか、山田太一さんとかに続いて、私も祝辞を。
 いろんな人が集まってる、すごいパーティなので緊張した。しかも、宴が進んでも、お客さんたちがダレないのだ。宴会場中に、みんなのスピーチを黙って聞こう、楽しもうという体勢が続く。
 まあ出る人出る人、面白いこと言うから飽きないというのもあるけど、ここらはさすが、伝統話芸たる、講談関係の集まりだなと感心したな。言葉をみんなが信じてる。面白いモンだと、信じてる。
 普通の宴会は、たけなわになると、ダレも祝辞とか聞かなくなるモンね。
 ダレも聞いてない、寂しいスピーチ……
 嫌だよね、あれ。人がやるのはお気の毒だし、自分がやるのは尚、辛い。もうヤメようよと泣きたくなるよね。
 んで、今日の私なんか最後の方の挨拶だったんだよ。最悪の予感じゃない?しかしそれでも大宴会場の皆さんがケッコウ盛り上がって聞いてくれたんだ。
 嬉しいねえ。
 ガヤガヤの中でのほとんど独り言状態を覚悟して行ったので、あまりの集中度に珍しく緊張しつつも、反面かなり気分良かったな。かけ声とかもサービスで掛けてくれたりすんだもん。
 待ってました!とかさ。
 たぶん、私のことなんか知らないだろう講談関係の人とかがさ。良い声で掛けてくれた。
 話しのプロたちに混じって、何か言うなんておごかましいこと甚だしいんだがな。ノセられて、調子に乗ったよ。で、ケッコウ受けた!
 もちろん、お客さんたちも勢いで笑ってただけだけどさ。空間全体がホットなんだよ。とても暖かい。
 客が良ければ、ヘタでも面白くなるという、よい例ですな。
 すべての宴会がこのように在ればよいのに、としみじみ思いました。

 話し言葉の復権だよな。
 講談協会は、会員30人ぐらいなんだって。劇作家協会は約400人だよ。演劇がマイナーだって言ったって、協会員になろうなんて劇作家だけでもこんなにいるんですよ。それに比べて講談は、もはや絶滅寸前だよ。
 しかし、何かの力に溢れてる。可能性を持ってると思いましたね。
 声だし日本語の、斉藤孝先生じゃないけどね、語られる言葉を愛するということは、とても大事なことですよ。
 話す方も嬉しいし、聞くのも楽しい。語ること、聞くことが退屈だったり苦痛だったりするのは、人間としての危機なんだ、と思うナ。

 明日も検便。
 新発明は効力発揮だったぜ。
 そんで、錦糸町へ。研究所授業と『夜曲』稽古を少し覗こうか。
 
 
 
 

 
  



42歳と1日(2003.09.23)

 引っ越し作業の日々。
 買い物とかな。
 特にイベントはなし。
 40過ぎたオヤジの誕生日だもの、そんなもんだよ。妻帯者だしね。
 着飾った男女を集めてステキなパーテイを代官山で開いたり、してみたいけど、方法もわかんないしな。そもそも着飾った男女が揃わンだろうぜ。着崩れたとか、薄汚いとか、そういうのは大勢いるがね。

 そんなことより、人間ドッグって感じ。
 明日から検便が始まる。いきなりびろうな話題でごめんなさいよ。
 気の弱い人はここから読まないで下さい。所詮、中年オヤジの日記ですから。こういう話もアリなんです。
 この検便がね、今は便利になって、何か特製スティックなんですよね。ギザギザのついた長い爪楊枝みたいなの。で、これにブツをコスリつけて容器に収めて下さいと。非常に手軽です。
 しかし、少し前にやはりドッグでこれをやった時に、大問題が起きたのさ。つまり我が家のトレイの問題なんだが、常にブツが水没してしまうタイプの構造なんだね。せつかく手軽なステックでも、ブツが水没してしまうために、大苦戦必至なんだな。
 ほら、岸というか、土手が豊かなタイプの便器もあるじゃない。ブツが全部は水没しないやつね。土手をすべり落ちて行くタイプ。あれならズラしたりして、工夫も出来るんだけど、うちのは岸や土手がないんだね。一面が湖水さ。ダイレクトに水没していくんだ。
 でどーしたかというと、うちのマンションのロビーに来客用トイレがあって、それは土手アリ式だったので、わざわざそこまで用を足しに行ったのさ。
 またアレやんなきゃいかんのかと、少しブルーだったんです。めんどくさいというか、情けないんだよ。変な容器持って、わざわざロビーに降りてって、ウンコするなんて……そんでうちに一部持って帰るんだからさ、間抜け極まりない。しかも今回は明日と明後日二回分を提出しなきゃイカンのだ。二度もやんのか、あんな哀しいことを……と暗い気持ちになっていた。(今日の日記、たかシ の世界みたいナ)
 ところがね、才能のある偉い人はいるもんだね。そういう苦労をした人々の声も高まったんだろうよ、アチコチで。俺のブツは水没して困るんだ、つて。
 そして新兵器が編み出されていた。何と、水上シートですよ。湖水にコレを浮かべて、その上にやって下さいという、一枚の紙。そんなアイデア商品が同封されていた。この紙は多少の重量にも耐えて浮き、しばらくは沈みません。そして、使用後はそのまま流せます、というの!ブツを乗せてこの紙がユラユラ浮いてる間に採取して下さい、だって。
 誰が発明して商品化したのか知らないけど、ヤッタね。たぶん儲かってるし、多くの人々を感心させてる。
 ドクター中松かな?
 やられたと思ったな。これは俺が発明して特許取るべきだった。
 と、多くの人が叫んでいるはずさ。もちろん俺も叫んだよ。何でも少し考えて、俺が商品化しなかったんじゃ!と。
  
 何か書いてて情けなくなってきた。
 もうヤメタ。42にもなって何やってンだ、俺。

  
 
 

 



42歳(2003.09.22)

 21日深夜ながら日付変わって22日。
 42回目の誕生日。でももはや誕生日はまったく嬉しくないぜ。5年ぐらい前から、5年に一度回って来る程度で結構、って感じ。
 信じられないよ、自分がそんな歳になるなんて。ずっと20代の終わりぐらいのつもりでいるのに。
 でもま、お祝いとか言ってくれる人も大勢いて、それはとても有り難うね。少しでも良い歳の取り方が出来るようにがんばります。そろそろ厄年脱出でもあるしね。
 不惑のフォーティツーに期待して下さい。なんのこっちゃ……

 さて台風の中、稽古場に行って来たよ。『夜曲』の稽古。まだ本読みですがね。茅野イサム、気合いを入れてネチネチとやっていましたよ。意外にね、細かいんだよね。一見力任みたいな気がするじゃない。派手に派手に、動いて動いて、みたいなさ。
 ぜんぜん違う。一言一言にこだわって、小さなダメ出しを積み上げて行くんです。何度も繰り返してね。だからあんまり進まない。茅野の稽古は長いって評判です。ま、私がかなりせっかちで、その上に適当にパッパと進めてしまうから、余計に茅野の粘りが際だつ傾向もあるのだがね。
 意外に私の方が豪快ぽく勢いに任せた稽古のはず。イケイケドンドン、ハイ本日終了!みたいなね。
 茅野イサムは見かけによらず細かくこだわり、ミッチリとやる。
 稽古場のトタン屋根を豪雨が激しく打つ、急に寒くなった扉座稽古場で、役者のセリフと茅野の声だけが淡々と交互に響いておりました。何か、邪魔しちゃいけないなって感じで、私は稽古途中で、そっと帰りました。
 と言うわけで、『夜曲』の稽古は始まりました。さあ、やるぞ、って感じではなく、ジワジワと動き出したって感じでね。
 でも茅野イサム、今回はさすがに貫禄が出てきて、地に足が着いてる。だてに調子に乗って天狗になってねえぜ。
 意外に細かい、天狗の活躍にも期待しようぜ、諸君。
 
 今日は引っ越し関連作業と私用の日。
 明日23日は神田陽司さんという講釈師の真打ち襲名披露パーティにお呼ばれ。
 んで25日は、お誕生日アンド住宅ローン返済まもなく開始記念人間ドッグとなっている。
 
 神田陽司という人は神田紅さんのお弟子さんなんだが、かつて、シテイロードという情報誌の演劇担当記者だったんだな。今や知ってる人も少ないだろうがね、ぴあのライバル誌だったんだよ。15年前までそういう雑誌があった。彼は、高校演劇時代から私を知っててね、というか憧れてたそうでな。まだ記者になる前の学生時代に、劇団の稽古場にも遊びに来たりしてた。んで芝居好きが高じて演劇記者になったんだが、ある日突然、講談をやるんだって言い出して、記者を辞めて紅さんの弟子になっちゃった。
 私はなんて愚かな!と思ったんだよ。黙って記者やってろよ、って。しかしまあ、その後シティロードは廃刊になったから、続けてても大変だっただろうがね。
 それ以上に、地道に続けたんだね。講談を。好きになったんだろうね、それほど。雑誌社の月給捨てて、前座から修業を始めてね。
 んで苦節約20年、とうとう、今月、真打ちになると言うわけです。
 おめでたい話ではあるんだがな。
 しかし、私、講釈師になってからの彼はまったく知らなかったんだ。講談も聞いたことなかった。最近、慌てて資料貰って、見始めたところ。
 真面目な人でね、彼が人前で大声で語るなんて、ちょっと想像もつかなかったんだけど、当然ながら、高座の姿はなかなかサマになってるんだよね。講談・長島茂雄物語とか、講談インターネットとか、奇抜なネタを得意しているんだそうで、風変わりで面白くてね。
 神田陽司クンも期待できるよ。
 42歳・横内の回りもなかなか人材がいるよね。新鋭演出家とか大衆演劇とか、講談とか、いろんなとこにサ。

 あと、未確認情報なんだけど、何でだろう? で流行ってるお笑いの若者たちいるじゃない。テツ、トモ?あの人のどっちかが、山形出身で、鶴岡だか酒田だかで、善人会議の芝居を観て、そんで大きく影響受けて、自分も何かをやろうと決意したんだって。そう自伝に書いてあるっていうんだけど、ホントかね?そもそも自伝が出ててるのかね、あんな若くして。
 これは山田まりやが情報のネタ元なんだが、その真偽知ってる人いる?山田がそれを読んだはずはないからね、怪しいんだ。

 あと、ちょっと悩みなのは、真打ちの襲名披露パーティってまさか手ぶらじゃ行けないよね?ちゃんとしたホテルでやんだぜ。いったい幾らご祝儀持ってけばいいんだ?結婚式と思えばいいのかな。それにしても親戚ランクか、友達ランクか?まったく見当もつかなくて困るぜぇ。

 
 
 
 

 
 
 
 



台風の夜(2003.09.21)

 今日は夕方から、浅草へ。
 公会堂で、京一郎の出る芝居を観に。今年も異色の研究生がいて、その一人が京一郎。今度『夜曲』に出て貰う大門さんの紹介で、大衆演劇の世界から、現代劇の世界に進出してきた若者です。芸歴はかなり長い。15歳からやってるらしい。でも、ずっと大衆演劇、しかも関西の舞台でやってたので、セリフとかに独特のクセがあって、これを直さないといろんなことが出来ないからと、扉座研究所に入れられたんだね。
 昨年のラブ3では大衆演劇の演目をやりましたが、あれはまったくの偶然。でも私もずっと興味があって、自分の芝居とかに何かの要素を取り込めないかなと思ってて、実験的にやった部分もあるのね。で、こんな若者がいるんだけど、と人から話を聞いた時に、真っ先にうちに入れましょうと言ったんだ。
 そんなこともあり、彼が扉座で学ぶ前に、実は扉座と私が奴にいろいろ教えられているところもあるんです。特に着物やカツラに精通してて、『きらら』の時は裏方として非常に助かった。タエさんの着物とか、ずっと京一郎が着付けてたのね。
 で、今日は、奴が知り合いの芝居に出るからと。
 新舞踊のお家元で、胡蝶さんという人のリサイタル。踊りと芝居のオンステージですな。そのなかで『明治一代女』という新派の名作が出てて、しかも京一郎が座長の相手役で出るという企画でした。
 演目的にも彼には手慣れた世界なのでしょう。まだそのまんまになってる独特のクセも味わいに見せつつ、若者らしくさわやかにやっていました。何と言っても、浅草公会堂の大舞台で、まったく臆さず堂々としてるのが立派だな。プロって感じでしたね。研究生なのにね。まあ、うちの研究所は、すでに子役で名を売ってた一生も所属してたとこで、座員よりもずっとプロって奴も平気でいる不思議なとこなんですけどね。
 なかなか楽しみな奴です。
 ただね、やっぱり、今の芝居の仕方だけじゃ、現代の演劇界で活躍するのは難しいな。正統な歌舞伎の御曹子が新感線演劇の主役をやる時代だからね。ロックに乗って踊り、セリフを言うんだもんね。ましてや京一郎は、邪道の大衆演劇出身なんだから、もっと融通無碍、変幻自在であるべきだと思う。やっぱり現代のセリフのテンポとか、型を破って感情を表現したりすることとか、今様の技術も習得しなきゃイカンね。
 ま、そのために扉座に来たんだから、ここから少しづつ手ほどきしていきます。
 ラブ3には出るはずなので、見てみてよ。
 ラブ3で、何だか変な間合いの若僧だなと思われたら、失敗。ありがちな若いアンチャンに見えたら、むしろ成功。とにかく、今は一言でもセリフを言わせると、ケッタイな過去が透けて見えて来てしまうのね。何か古風で、微妙な間合いのセリフ廻しでサ。この若者、何者よ?って感じなんだナ。
 そりゃ、白塗りさせてカツラと着物で、踊らせたりしたら、男でも女でもキレイに化けて、楽しませてくれるんだけどね。カツラも着物も自前で凄いの持ってンだけどね。それは別に普通に出来るんだから。むしろ、普通の若者のセリフを普通に言えない。可笑しいよね、ソレって。

 ま、いろいろいるんです。これからの扉座を楽しみにしてて。
 ちなみに、京一郎は、京 一郎 ではなくて、そのまま キョウイチロウ なんだって。途中で切らないで欲しいんだと。
 今思いついたけど、京一郎と明日次郎なんてコンビ、面白いと思わない?別に明日次郎はどこにもいないけど。
 
 明日は『夜曲』の稽古を覗きに稽古場に。まだ下準備の本読みらしいけど、プレッシャーをかけに行くンだ。
 台風は酷いのかな。そしたら挫けるかもだけど。
 諸君も気をつけて。




 
 
 
 
 
 
 



昨日今日(2003.09.17)

 昨日は『深夜劇場ようこそ』収録。
 シェイクスピア学者の河合先生と、女優の小島聖さん。河合さんは東大の先生にしてはとても気さくで、お話の上手な人でしたね。まあ、私も『ハムレット』やってて、多少は心得のある世界になっていたので、どの話も興味深く聞けました。何よりも私と一個違いの学者さんですからね。世間的には決して若くない歳だけど、学者の世界では41、2歳なんてまだ若僧のはず。珍しい存在です。是非がんばって頂きたい。あんまり偉くなりすぎないうちに、仲良くなっておこうと思いました。
 小島さんは、良い雰囲気の人でしたね。
 グラビアとかで、かなり際どいカッコウとか平気でしてるから、どんなに気合いの入った人なんだろうと身構えていたけど、とても自然体で、シャイな感じの人でした。で最初、これじゃ話が弾まないんじゃないかと心配になったのね。あんまり、おとなしい人なんで。けれど、話し始めたら、これまたいい感じで自然体の人でね。自分の中の失敗作の話とか、隠そうともせずにサラっと話しちゃう。
 テレビ関係の人とやった舞台が。自分のなかでは、思い出したくない作品カテゴリーに入ってしまう傾向が多いんです、とサ。
 やっぱり舞台は、芝居の世界の人とやるのが面白いし、楽しいと仰ってました。
 ナメてるとは言わないけど、テレビ方面の人が少し舞台を誤解してるんじゃないかって口振りだったな。演技をさせずに、ショウをさせようとしすぎじゃないか、って。もっと客の方を向けとか、相手役との関係を無視して、作為的に笑わせる仕草をさせられたりとか。演劇の演出家にはあんまりそういうことは求められなくて助かる、って。
 演技の好きな人なのね、彼女は。舞台に立つという行為より、芝居をしたい人なんだ。コレ似てるようで、違うことだもんな。
 けれど実はテレビ関係の人に限らず、演劇関係のなかでも、要求されることはままあるんだけどね、演技よりもショウが。それでもテレビ方面の人にそういう誤解の傾向があるって言う主張は、何となく理解できたな。
 たいがい舞台で、細かい演技は伝わらないって思い込んでるんだよね。クローズアップが使えないから。言葉で説明したり、大袈裟な身振りとか照明とか、そういうことしないと伝わらないと思ってる。
 でもね、役者がちゃんと仕事をすれば、大きな舞台でも違いに伝わるんだよね。たとえ背中向きでも、大袈裟に動いたりしなくても、思いの外、客からは見えるし、わかるもんなんです。役者が肩に力を入れたり、抜いたりするだけで、背中の大きさも変化して、その存在感も違って見えるんだよ。
 それを過剰に振りをつけたり、演出をつけたりすると、余計に人間サイズのそういう表現が見えにくくなるんだ。たとえばね、マイク使うか使わないかでも、芝居は別モノになるぐらい変わる。そりゃ、マイクなしでは聞こえないっていう場合は仕方ないけどね。晩年のモリシゲとか、杉村春子さんとかさ。しかし多少声が小さくても何とか肉声でやり通せば、微かなニュアンスがちゃんと伝わって、芝居は良くなるもんなんだよな。客だって耳を澄まして聞こうとするしさ。
 
 ここらへんがなかなかテレビ関係の人には理解されないね。まあ、テレビの人たちとかは編集してナンボだと思ってるからさ。イジルことが仕事なんだよな。でも芝居はね、あるところからは役者の肉体に全面的に依存して突き放すしかないものですよ。演出はその手助けをするべきでね、役者の肉体をライブ感覚から遠ざけたり、躍動を封じる方向で仕事をしてはイカンのです。
 所詮、我々芝居モノは重力と時間の束縛から逃れられないんだ。だが、だからこそ、生み出せる人間らしい感動があるはずなのだよ。重力や時間と、敢えて仲良くすることでね。飛ぼうとせずに、そこにドテと居座ってみるみたいなさ。
 小島さんにはきっとそういう芝居感覚があるんだと思う。頼もしいね。
 小島聖さんとは、是非、何かやってみたいと思いましたね。

 今日は朝から研究所。
 『LOVELOVELOVE』へ向けての準備開始。でも、まだメンバーたちの意識は低い。役者顔にぜんぜんなってないんだよな。自分たちの仕事が何なんだかわかってない、って感じ。俳優の仕事ってこういうことだろ、なんてしばし説教。
 来週からの奮起を期待して解散。

 明日はラジオ日本で番組審査会。番組審査委員ってやつの一員なんだな、私は。放送法で決まってるんだよ。こういう審査会を必ず定期的に開くこと、って。そのために各界の有識者に審査を依頼すべしと。有識者なんだね、私は。
 明日もたぶん麻布の蒲焼き弁当を頂きながら、番組に対する意見を述べる、お昼のひととき……
 私は密かに、月イチのうなぎの日 と呼んでいる。帰りには、ちょっとした謝礼を貰う。不思議なひととき。

 


 
 
 
 
 
 
 



 モノとの格闘(2003.09.15)

 明日は朝早くからNHKで『深夜劇場へようこそ』の収録。二本分。相棒の植本クンが『浅草ギンコ……』って奴に出てて、その舞台稽古か何かの関係で、いつもより時間が繰り上がってる。早く寝なきゃ、また顔色悪く映っちまうぜえ。と言っても、なかなか急に早くは寝られないのよね。
 運動でもすれば、寝付きはよくなるんだろうがね、ここ数日、いつも以上にまったく動かぬ日々であります。

 とは言え、引っ越しのためにモノとの格闘は続いています。あと、買い物煩悩との闘いね。インテリアとか、最新家電製品とかさ。
 ついつい見てしまうんだね。で、どんどん物欲が膨らんでゆく。しかもインテリアなんか、これはもうピンキリだけど、誤ってピンの方を見始めたら、とんでもない青天井ですからねえ。イス一個で何百万とかさ。けど、名のあるデザイナーのとかは、見始めるとやっぱり何かステキなのよね。心がどんどん誤った方向に惹かれていっちゃう。
 ヤコブセンとか、さ。微妙な曲線と、座り心地でさ、まあ、そこいらの世界になるとちょっとした美術品スからねえ、座る以上に眺めるとか、何よりも所有してるという無形の喜びが値段のうちなのでしょうがね。
 たいした部屋じゃねえんだよ、美術なんかいらねーはずなんだよ、ホントはさ。なんで今はまあ、眺めているだけですけどね……
 けどなあ、家を買うなんて滅多にない人生の大きな区切りなんだから、一つぐらい何か記念のシルシになんて、またしても危険な衝動が起きないとも限らない。そして例によって、その衝動に添って行動してしまうかもしれない。んだよねえ……
 ヤバイんだよね、誰よりも私が私の行く末を疑ってしまう。諸君、各所のインテリア売場で、しかも高めの輸入品コーナーとかで、もし私を見かけたら、黙って目を見て、静かにクビを振ってね。ダメダメ、って。節約の神様みたくさ。間違っても浪費の悪魔の顔でイケイケと焚き付けたらアキマヘンで。

 それにしても、『シブシー』という芝居を書いたのが、かれこれ14、5年前かな。『きらら』の少し後さ。
 そんなかで、何にも持たずに家族で放浪しているジプシー一家の親父が言うのさ。何も持たずに旅に生きるか。物に縛られて動けなくなるか、私たちは旅を選ぶんだ、って。
 茅野の演じたタケマツのセリフだね。
 バブル真っ盛りの時代に、横内さん、こんなセリフ書いてステキ って言われたもんさ。
 その時は、私自身もさ、決して嘘偽りではなく、自分だって旅を選ぶような人間だと思ってたんですけどねえ。芝居さえやってられたら、何にもいらんよ、私は、って気がしてた。ジプシーみたく、風に吹かれて芝居を続けて根無し草人生生きるんだよ、なんてね。
 結婚はしてたんですけどね。まあそれがキッカケで書いたみたいな芝居ですから。けれど妻の年収に、はるか及ばぬ低収入でね、半分ヒモみたいなもんでしたからね。生活のリアリティみたいのは限りなく希薄だったな。精神はジプシーだったのさ。
 それが今や、マンション買って、インテリアの前で唸ってるんですよ。欲しいなあ、買えねえのかなあ……って。
 大嘘つきだよな、私は。
 この場で声を大にして言うぞ、俺の演劇を信じてはイカンぞ諸君!特に初期の頃の作品に出てくる、善良にして美しいセリフは全部嘘だ。今の私の中味は、詩や歌ではなく、欲と金で埋まってるんだよ。完璧な俗物だぞ、このオヤジは。信じてはイカン。

 高い時計だって持ってるしな。健全な社会人はゼッタイしないような無駄遣いだぜ……(私のページのエッセイコーナー内、煩悩の記を参照のこと。結論は書いてないけど、後日ちゃんと買ったのである、某高級時計を) 
 そもそも時間なんか気にしないのがジプシー精神じゃんかよう。ボロボロの服でも、空と風と歌があれば心が満ち足りてるはずなのにさあ。
 それが宝石みたいな値段の腕時計巻いて、その上に旅にはまったく必要のないというか、邪魔にしかならないインテリアが欲しいって。どういう了見なんだよ、と独り突っ込みをやっています。
 でもねえ、そうやって揺れれば揺れるほど、欲しくなんだよね。ステキに見えていくんだよね。
 それが物欲ってもんなんだよね。
 
 明日もなあ、代々木に出るからなあ、帰り途中とかに立ち寄ってしまうかもなあ、新宿とか、池袋とか。最近は洋服コーナーもあんまり覗かないで、無駄な買い物手控え状態の、良い傾向だったのになあ、今度は洋服よりずっと高いコーナーだからなあ、危険だなあ……
 つまるとこ買い物大好きなんだよなあ。
 こんな私に誰がしたんだ。

 尚。
 明日のゲストは英文学者の河合祥一郎さんと、女優の小島聖さん。オッサン、オバサンばかりじゃなくて、たまには若い女優も呼びましょうよう、と私が強く主張した結果、小島さんが来てくれることに。選んだのはプロデューサーですけどね。二方とも私は初対面。しかし彼女、今時の女優には珍しく、いい感じで色っぽいスよねえ。マリリン・モンローみたいでさ。
 おい、今度は色欲まで掻き立てるのか、テメーは……
 と一応、自分で叱っておきます。
 おやすみなさいませ。 
 
 



土曜日は……(2003.09.14)

 引っ越しの支度。粗大ゴミを出す手配とかして、その後、ちょいと読書。『ハムレットは太っていた』という本。ふざけてるみたいな題だけど、真面目な学芸書だよ。ハムレットは太った男だったはずだという説を展開している論文なんだな。当時のイギリスでは、体格がよいことこそ、良い男の条件だったんだという考えに基づいた考察ですね。
 著者の河合祥一郎さんが来週の『深夜劇場へようこそ』のゲストなんだ。前から読みたい、というか読まなきゃな、と思ってた本なので、急いで読み上げました。
 扉座で『ハムレット』やった時にはすでに出てたんだけど、累央は太ってないからね。余計な情報に惑わされたくなくて、その時には知ってて敢えて読まなかったんだ。
 改めて読んで、なかなかに面白い本です。
 シェイクスピアは、書斎人ではなく、劇場人なんだ、っていう結論に、私も大いに賛同します。近くにいる役者たちの体格とか、個性とかをふんだんに取り込んで芝居書きをしていたはずだという考えね。
 劇作家としては当然そうだと思ってる。シェイクスピアも劇団の座付き作者ですからね、劇団事情を踏まえずに自由になんか書けるはずない。まして、本人も役者だったんですから、それぞれの役者の立たせ方とか、活かし方とかにすごく敏感だったはずだな。こんなチョイ役を振ったら、奴はヘソを曲げるだろう。だから、ここで少し出番を増やして美味しいこと言わせておこうとかさ。
 でもそういう感覚があるから、シェイクスピアは面白いんだ。人間味があって、適当にいい加減でさ。芝居者が共感できる、人間臭さに満ちてるんだね。
 ま、興味があったら是非一読を。
 
 んで、その後、『サクラ大戦』の広井王子さんと新宮寺さくら・横山智佐嬢ともう一人セガの方と、池袋で会食を。前々からの約束で。
 食事の前には、池袋のサンシャイン通りにある大正浪漫倶楽部という、『サクラ大戦』グッズ販売所兼、カフェに立ち寄り、しばしお茶を致しました。
 私は智佐姫に敬意を表して、ノンアルコール・カクテル(つまりジュースじゃんか!)のサクラを飲んだぞ。
 
 広井さんはいつもの仕事に加えて『天外魔境』というゲームの発売時期で、毎日多忙の極みの様子。それでも遊ぶことを忘れない、私たちの手本であります。
 疲れを見せずにこうして私とも会う。
 ここ数年、未来のコラボレーションを見据えて、会食しています。ラスベガスまで世界のびっくりショー視察にも行ったしな。
 久しぶりに、さまざまな情報交換と雑談を。
 それにしても、サクラのグッズは凄いねえ。見るモノ、聞くモノ、いじるモノ、着るモノ、食うモノ、集めるモノ……
 あらゆる種類が揃っている。
 それに比べて扉座グッズの品数の乏しさよ。とほほ。
 劇団員フィギアとか作れねえのかよぉ。コスチューム着せ替え可!内蔵スピーカーからはセリフも聞こえて来ます、みたいな。
 売れる訳ねえか……
 
 
 
 
 
 
 



すこしサボった、ごめんなあ(2003.09.12)

 サボリというより、数日ネタがなかったね。

 今日は朝から、研究所。その後、久しぶりにタニヤン(大谷亮介)さんと会って雑談的打ち合わせ。ある芝居の企画が進行中なので。まあ、どんな係わり方をするかはまだ未定なんだけど。タニヤンが演出する予定の舞台が再来年にあるんだな。
 横内ィ、手伝ってくれやあ……と言われてる。
 大谷さんとは、日生劇場で上演したジュリーの『ザ近松』再演以来、仕事をしていないんだけど、何かそろそろやってもいいかなと思い始めてる。
 タニヤンと芝居の話するのは面白いんだ。
 芝居キチガイですからね。北斎が画狂人ならタニヤンは劇狂人。
 ただし強烈な個性の人でね、この人とあんまりミッチリ付き合うと、かなりこちらのペースを乱される。だからあんまり軽率には乗らないことにしてたんだ。
 でもたまに恋しくなるのね、こういう毒というか刺激は。何と言ってもすべてが演劇的だからさ。
 数年前のある時、たまたま大阪で打ち合わせがあってね、私はその人のうちに名古屋まで移動する予定だったのに、大谷さんがあんまり必死に語るモンだから、ついムキになってそれに付き合ってしまい、気が付いたら、名古屋行きの最終に乗り遅れたことがある。まあ、東京で話しているような気になってしまった私も迂闊だったんだがな。
 仕方なく慌ててビジネスホテルを取って一泊した。
 でもね、その時実はタニヤンも東京まで帰らなくてはいけない予定になってたらしい。私以上に大切な用事があってさ。気づいて私以上に慌てたんですね、タニヤンは。かなりショックを受けてた。
 しかし「まあ続きは後日、東京でやりましょう」とプロデューサーが延々終わらない打ち合わせに、うんざりしつつ締めようとしているのを「ウルサイ今盛り上がっとるんや、黙っとれ!」みたいな勢いで止めておいて、あとで「しまったもう帰れへんやないか、どないすんねん!ここは大阪やんけ、いい加減で止めてくれや」と大騒ぎしてたタニヤンはかなりエキセントリックでありましたな。
 私はしみじみ、タニヤンとの仕事は大変面白いけど、4年に一回ぐらいでいいかな、と思ったのです。
 でもその4年もとっくに過ぎてるんですね。
 横内、もう4年経ってるで!
 顔を会わせる度に、せっつかれております。
 そして本日もタニヤンはタニヤンでした。つい九段下のグランドバレスなんていう場所を指定してしまったんです。扉座の近くなので、たまに使ってるんだな。そのホテルのカフェですね。でも少し前まで、ここはファミレスみたいなカジュアルな空間だったんだよ。それが知らぬ間に改装してやたらお洒落になってた。しまったと思ったんですが、すでに遅くそこにタニヤンが来てしまったんですね。
 タニヤンはあんまりお洒落な場所に入れてはいかんのです。
 案の定、話してる間に、エキサイトしてきてね、身振り手振りが次第に大きくなってきた。打ち合わせなのに、芝居が始まっちゃうんですね、この人は。そもそも、この人とはあんまりパブリックな場所で打ち合わせをしてはいけないんです。マジで立ち上がったり、踊り出したりしてしまいますからね。
 んが、そんなことは本人はまったく関せず、タニヤン・ワールドを面白可笑しく展開してゆくのだね。お洒落なカフェであってもね。
 でで、なぜか話題が、勝新太郎が神棚に拝むときの姿がとっても迫力あってモノ凄いものだったという話題になった。話もいきなりあちこち飛ぶんだな。何でそんな話になったか、まったく思い出せないよ。とにかく勝新の話になったんだ。勝先生は、楽屋の出入りの時などに神棚に手を合わせてらしたんだそうですね。ただ、その時、叩く手の音がとんでもない大音響だったんだって。二礼二拍手の、手の音ね。凄い迫力で、楽屋中にビビッと響いたんだって。
 あんな、こんなふうなんや……
 と言って、突然、タニヤンは手を叩く訳よ。
 お洒落なホテルのカフェでさ。横綱の土俵入りみたく構えてさ。
 勝新太郎の真似で、とてつもない大きな音を響かせて手を叩く。
 そういう時、この人は興奮してて、すっかり勝新太郎になりきってますからね。
 パーン!パーン!
 カフェ中に響きましたね。勝新の柏手が!
 カフェ中のお客と従業員が一斉に私たちに振り向きました。
 でもタニヤンはぜんぜん気にもせず、言うんですな。
 「なあ?こんなンびっくりするやろ?」
 びっくりしますよォ、ていうか、恥ずかしいですよォ。
 
 コレ実話ですよ。つい先ほど、九段下で起きた実話です。
 
 
 
  

  



劇団会議(2003.09.09)

 『きらら』後と『夜曲』前で劇団総会を稽古場で。
 いろいろとご心配をおかけしましたが、財政難問題は何とか解決のメドがつきました。私の新居も、どうやら取られずに済みそうです。もちろん、年内はもう一つ『夜曲』があって、こちらがまた大打撃のようなことになれば、次はマジにやばい感じになると思います。出演者の少ない作品だけど、出ない劇団員も皆で協力して、公演をもり立てましょうねと、確認し合いました。
 あと、いろいろな問題について話し合ったけど、中味は秘密。お昼過ぎから始まって、夕方までみっちりと。その後、数人で、行きつけの台湾料理屋にいって、晩餐でありました。
 劇団も、一応組織なんでね、イチイチ面倒くさいね。
 ヤクザの組みたく、オヤジすなわち、私が思い付きとかで何か言うと、即座に数名がオスとか言って、動いたりしてくれると楽なんだけどな。その不届き者、とってきますぜ、オヤジぃとか言って。鉄砲玉が懲役も覚悟でドスとか握ってね。
 しかし、そういう親分肌じゃねえんだよな、私は。まあ、子分肌でもないんだがね。
 この世には子分肌、ってのもあんのさ。子分としての適正を持っている奴ね。親分なんかゼッタイなれないけど、子分になると俄然光るというか、気が付くと、誰かの子分になって可愛がって貰ってるとか。大半の人は知らないと思うけど、融合の佐野クンとかね。その典型的な例さ。(ここは知ってる人だけ思いだして笑ってくれ)
 彼はケッコウキャリアを持ってる俳優で歳も実は見た目ほど若くはないんだけど、天性の子分肌で、今は井ノ原快彦の一の子分をやっている。実は井ノ原クンの方が年下なんだけどね。メシを食うときも遊ぶときも、全部井ノ原クンの世話になっててね。イノッチが来ない?というとどこからでもすぐにすっ飛んでくる。片道切符でさ。帰りは親分が送りを出してくれるから、とにかく親分の元に辿り着けばいいんだ、子分としては。山中なんかもその遊び仲間だ。んで佐野とほぼ同世代。けど、奴の場合は子分肌じゃないからさ、イノッチとも友達ラインを保ってる。さすがに先輩風を吹かせるまではいってないようだがな。
 先輩風は、六角の風だな。
 なにせイノッチは一時、六のことを人生の師とも公言してたほどだからね。前にV6の本が出て、その中の井ノ原クンが尊敬する人のコーナーに、松田優作とともに六角精児の名が挙げてあったんだよ。今はもうそうじゃないみたいだけどナ。今は尊敬する先輩というより、近所のおじさんみたいな感じになってるみたい。まあ井ノ原クンも世間は広くなったし、さまざま経験も積んできたからね。本当に尊敬できる人ともさまざまで出会ってしまったのさ。六角としてはそれが寂しいらしく、今度は相葉を手なずけるんだなどと言っておった。が、相葉クンも『嵐』になって、たちまち売れてしまったからね。相葉後輩計画はとん挫したらしい。
 ともあれ、親分肌ではない私が仕切ると、すぐに会議とかになっちゃうんだね。劇団なんて愚連隊みたいなもん(六角精児が本日会議にて曰く)なんだがな。それでも会議になっちまうのさ。思うに、私は学級委員肌なんだな。何やっても級長さん仕切なんだ。
 意見のある人は挙手して述べて下さい。
 とかさ……

 ちなみに学級員肌にも数種あるのを知ってるかい?
 それは一学期肌と、二学期肌と、三学期肌さ。
 一学期はわかりやすい優等生が選ばれるんだよね。運動もできて、頭も良くて、って奴。だってクラス分けしたすぐ後で、目立つ奴をみんなが選ぶからさ。
 で、二学期になると、多少、それに加えて人となりと言うか、しばし付き合った上で皆が了解した味わいみたいなモノが加味されるのさ。真っ先に気はひかれなかったけど、あとで食べてみたら美味しかった、ってタイプだね。
 何を隠そう私はこれさ。いつも二学期の級長だったね。
 いい線はいってるけど、パッと見で皆が食いつくタイプじゃあないってことだね。少年時代のルックスがパッとしないんだ。小太りだったしね。持久走とか死ぬほど嫌いで、いつもケツの方をあえぎながら走ってた。これでは一学期の人気投票は勝てないのさ。そんな自分を変えたくて、後年、過酷なダイエットを敢行して痩せ、あとプチ整形して、今のような人になってるんだからね。
 私はしばし皆と付き合って、それから堅実に選ばれる奴だった。
 ちなみに、三学期はと言うと、これは期間も短いし、最後だからと言うことで、遊びの要素が入ったり、或いは、地味だけど何かを一筋にがんばった人への功労賞的な要素が入ったりしてね。
 三学期は、選ばれる基準が少し変わるんだね。んで異色の人が選出される。
 三学期肌は個性派さ。もしくは社会派苦労人さ。
 その中で、私は間違いなく二学期肌だよ。
 存在感としてはかなりつまんないけどね。そういう肌なんだから、仕方ない。
 
  
   
 

 



花粉症(2003.09.08)

 お昼、銀座に、早稲田時代の同級生で、今は書道家になっている綾部光洲クンの書展を見に行く。
 『きらら……』に大勢、教え子である早稲田の学生諸君を連れてきてくれたんだ。早稲田で書道の講義もしてる偉い先生。
 今回は『夢みる力』とか『きらら……』のセリフとかを書いてくれてた。よく私のセリフをテーマに取り上げてくれている。テーマとはいわないか?画題?書題?
 いくつかの横内関連の作品うち、二つの作品を記念に譲ってもらうことに。どっちも立派な額に入っててなかなかいい感じ。『夢みる力』は私が依頼して書いて貰ったんだがね。しかし今回は特にきららの重三のセリフ「俺たちは走ることをやめたら云々……」を書いてくれたやつが、とてもコンパクトにまとまってて気に入った。一瞬、相田みつを かって感じなんだけど、ちゃんと私のセリフが書いてあんだ。
 走ることをやめたら、俺たちじゃなくなっちまう。
 って。
 これは新居に飾りましょう。
 
 あとは引っ越しの荷造り。
 当面は本と資料との格闘が続くだろう。たいした家具はない家なんだ。ひたすら本が強敵。作家と学校の先生の家だからね。

 が、私の前に思わぬ伏兵が現れた。今こうしている最中にも、苦しくて仕方ない。
 それはホコリであります。誇りでなく、塵埃、ダストね。無制限連続
くしゃみと、鼻水ずるずる。まるで花粉症みたい。
 私は花粉症は出ないんだよね。そもそもいつも馬鹿にしてます。花粉症を。
 あんなものは、昔はなかったんですよ。誰もそんな病気になんかなってなかった。それがほんのついこないだからですよ。猫も杓子も花粉花粉て。そんなものねえ流行に流されて、気持ちでかかってるだけなんだよ、実態はないんだ、花粉症は現代の幻しだと主張してます。
 でもね、この引っ越し症は、リアルだよ。花粉症はないけど、引っ越し症は確かにこの世にある。
 もうさっきから私、鼻水流れっぱなしで、くしゃみ連続百回の勢いですよ。鼻のすすり上げ過ぎで、何かアタマも痛くなってきた。
 諸君、引っ越し症は辛いよう。
 でも何度も言うが、花粉症はこの世にはないよ。それは気の迷いだよ。つい十数年ほど前まで、そんなもの誰もかかってなかったんだからね。
 と、この春も花粉症の者たちを前に説教してしていたら、うちの舞台監督の大山クンが反論してきた。
 「俺もずっとそう思って、花粉症の奴を馬鹿にしてたんですよ。しかし、突然、きましてね。ついに自分も。来るんですよ、花粉症は。ないと思ってても、ある時、突然降り掛かってくるんです。横内さんも笑ってられるのは今だけかもしれないすよ」
 などとぬかすのだ。
 そんなことあるか。それはキミの心が緩んでいるからだ。油断したから、流行に惑わされたんだ。
 そう言ってやったぜ。
 この世に引っ越し症はあるが、花粉症はないんだ。ないと言ったらないんだ。

 何の話だ?今日は自分でも意味不明だ。
 ひそれにしても、終わらない、くしゃみ。辛い夜だぜ。

 
 

 



わたくしごと の 日(2003.09.07)

 土曜はひたすら私用の日。
 購入したマンションの内覧会ってやつ。受け渡しは月末で、引っ越しは来月半ばあたりなんだがな。
 75歳までのローンですよ。払い続けられるのかねえ。そもそも私、本当に75歳まで、やってるんでしょうか。こんなことをこのまんま。本人はかなり不安なのに、銀行というか住宅何とか公庫は貸してくれちゃったんだよな。頭金とか、ほとんどナシですよ。無理だろうと思ったら、何とかなりますよって。今は金利も安いしね。もちろん、妻の持つ社会的信用の高さがこれを可能にしているのですけどね。
 堅気の嫁の威力であるな。当然、半分は妻の持ち物です。
 それでも私の仕事部屋はあるのだ。
 今の仕事部屋がもう資料と本の大散乱で、雪崩が起きた後の機能停止状態悪環境なので、とにかく大きな本棚だけは作り付けでいくんだと、それだけが私の主張でありました。
 で、部屋の二つの壁いっぱいを全部特注の大きな本棚で埋めたんだけど、この本棚が何というか、大きすぎたね。これはもう、本棚にばかり気合いが入りすぎて、著しくバランスが悪い。
 まず本棚そのものが奥深く巨大なんだね。何というか、研究室の標本棚みたいな感じになってんのさ。ホルマリン漬けの脳味噌とか、ずらりと並べたいような感じ。しかもこれが、すべての空間を塞いでいる。巨大棚の摩天楼に挟まれて、ひっそり暮らす私になりそうな予感。
 そこに人間が入ること忘れてたンじゃない?って感じ。人間とは私のことで、忘れてたのも、どうやら私なんだがね。
 しかし、もう大地震が来てもビクともしないぐらい、その研究棚はしっかりと据え付けられている。今更、変更もできないので、そこに本と私を入れてみるしかないのです。
 なかなか難しいねえ。
 それでも所詮、集合住宅だからねえ。これが新築の一軒家だったりしたら、もうどうなるんだろうねえ。図面とか見ても、よくわかんないからね。
 俺は舞台装置の図面とか見慣れてるから、わかってるつもりだったんだけどな。
 まあ、とりあえず、これで本の雪崩が食い止められることは確かです。だって最近の本は平積みにするしかなくて、下の方に紛れたてしまうと、これはもう遭難行方不明必死なんだよね。アレ、買ったはずなんだかな……とか。メンド臭くて、放っておく。しかしある時、新たな雪崩が発生して、山の様子が変わると突然出てきたりして。でもその時は、すでにそれは用済みとかさ。
  
 あとね、パンフレットが凄いよ。芝居に行くたびに、頂くんですよ。パンフをさ。毎月確実に3冊は増えるでしょ。多いときは10冊とかさ。ちょっとした財産だね。20年前のからあるからさ。自分が係わってるのももちろん含めてね。置くとこがなくてクリアケースに入れてるんだけど、もはや重すぎて持ち上がりません。中味がプクリと膨らんで蓋も閉まらない状態なんだ。
 これは引っ越し屋さん殺しですよね。
 腰の悪い私は、もう何を言われても、笑われても白い目で見られても、決して手を触れないようにしようと、今から決意を固めています。
 こんなことで死ねません。75まで借金返し続けなきゃイカンのですから。
 
 

 
 
 
 
 
 



書き続けてますな(2003.09.05)

 日記が続いてるよう。
 たぶん生涯記録だと思う。こんなに書き続けてるの。
 たぶん、読者がいてくれてるからだね。日記なんだから、客の意向や反応なんか無視して、好き勝手なこと書くんだとか、思って始めたけど、やっぱり意識しちゃうよね。
 そもそも、本当に、身辺雑事や私の気持ちをありのままに書き晒すことなんかゼッタイに出来ません。問題も起きるよ、あちこちに。人に言えないことだらけだもの。
 たとえば一例を挙げるとね、夏目漱石の話の時ね、確かに漱石は懐かしみつつ且つ面白く再読したのですが、実はもう一冊、その日のうちに読み終えた本があったのね。
 しかしこれは半分ポルノ小説なんだね。丸茂ジュンて人の。マグナム北斗というアダルトビデオの有名男優がいてね、その人の一代記。
 漱石とポルノを代わる代わる読みつつ、けど最後のコーナーを曲がって一気に読んだのは、マグナム伝の方でしたね。
 なのに私は、漱石の方のことだけ書いて、マグナムのことには触れなかったのだね。
 どっちも触れれば正直なんだろうけど、やっぱり人に晒しているという意識がこうさせるのだね。
 これは別に隠す必要もないことだから、どっちでもいいことなんだがね。それでも、見栄えの良い方を選ぶね。ちっぽけな私は……
 
 それはともかく、そのマグナムはさ、伝説的に大きな男だったんだな。何がといって男そのものがね、巨大だった。中学生の時に、すでに突出していたと言うのだね。
 天からそういう授かりモノをした男が、どんな風に生きていったか。所謂千人斬りを達成するんですがね、彼は。そこにも屈託があり、夢と希望と挫折があり、人生があるんだね、巨根一つで成り上がり生き抜いた男にも。
 漱石からも学ぶ、マグナムからも学ぶ。これは大切ですね。
 
 大きいと言えばね、そういうテーマでいつか書こうと思ってるのがあんだよね。どうまとめたらいいかよくわかんないのと、本当にこれが成立するかわかんないから、ずっとほったらかしなんだけど。
 劇団では無理かな、とも思うけど。じゃどこでやんだって、検討もつかない。けど、面白いはず。

 弓削道鏡って男がいるんですよ。一応坊主ってことになってるけど、とんでもない生臭でさ、何時代だったかの女帝に取り入って、黒幕となって権力を握ってしまう。
 その手段がさ、アレだってのね。飛び抜けて大きかったと言われているのですよ。ま、あまりに見事に女帝を転がしたから、そういう噂も立ったんだろうけど、道鏡といえば、大きかった、と言われている。
 本当にデカかったのか、単なる誹謗中傷なのか、そこら辺も絡めてさ、やりたいんだな。テーマは権力とエロスだよ。
 女帝は何に身と心を奪われてしまったのか。
 同じような男で、ロシアにはラスプーチンというのもいる。エカテリーナって女帝をコマシてやりたい放題やった。この人も坊主だよ。人々から憎まれて、殺されて河に捨てられたのに、生き返ってまた暴れたという伝説まである。やはり大きかったという噂があってさ、精力絶倫、人生爆発って感じだね。
 今、思ったけど、これ、宝塚のグランドロマンでやったら面白いよな。もちろん、あんまり猥褻には出来ないだろうけど、たぶん面白くなると思うな。
 
 今日は少しアダルトでしたね。

 少し早いけど『生本』の原稿を書いた。
 あと、中央林間に時代の通帳を解約した。20数年ぶり。
 明日は引っ越しのダンボールが届く。いよいよ作業か……
 面倒くせえぜ。
 
 



授業(2003.09.03)

 朝から、研究所初講義。いつになく、正しい演劇の講義を致す。
 しかし、我が研究生たちはモノを知らなさすぎる。歌舞伎を見たことがあるモノは4、5人。能に至っては、2人ほど。『静かな演劇』なんて言葉も知らなかった。
 これじゃ、私が演出している時に話してることも、半分以上、意味不明であろうことよ。
 まあ、研究生に限ったことではなく、劇団員であっても、似たようなものだと思われるがな。
 面倒くさいから駆け足で、能から歌舞伎、明治の演劇改良運動から新劇の誕生、アングラ、そして小劇場までの演劇史までをザッと語ってやる。黒板をちゃんと使ってナ。
 学校だね。
 本格的な白墨式黒板があんだよね、うちの稽古場。『ホテカル』の舞台装置だったものなんだけどね、そのまま捨てずに新稽古場に設置したんだ。手が白墨だらけだよ。 
 ノートとかとってる奴もいたがね、まあ、二度とそれを読み返すことはないだろう。まあ大半は、何の事やら、であったろうな。
 しかし、たとえ聞く側が受け取らぬとしても、語って置かねば気が済まぬから、独りでしゃべった、って感じ。
 
 まあ別に役者になるのに、演劇史とか理論は関係ないからね。仕上がりが良ければ、まともにセリフ読めなくても構いませんよ。頭ばっか良くて、理屈知ってて、だけど演技か下手な俳優ほど、哀れな者はないからね。
 けどさ、それにしても、最近の知的レベルの低下は由々しき自体だよ。実はそれは観客にも感じるのだがね。知らないことを恥と思わない。自分の知ってることがすべてだと思ってる。
 知らないことは仕方ないけど、心配なのはさ、知らないことに安住し、開き直ると、何も学べなくなるし、成長しない人になるってことなんだよね。
 たとえば演劇といっても、古典芸能から前衛実験劇まで、さまざまなスタイルと理念があるワケよ。そして僕らが知ってるのなんか、たいていはそのほんの一部なんだよね。ほぼ25年以上演劇やってきて、さまざま見てきた私だってそうですよ。でやればやるほど、見れば見るほど、何が正しくて何が間違ってるなんてことはないのね。ただ世界は広い。人間の想像力は果てしないと思い知るばかりでさ。せいぜい面白ものとつまらないものがあるってだけでさ。優劣やまして正誤なんか判断できない。
 なのに、たまさか演劇を少し囓っただけの青二才が、あの演技は間違ってるとか、許せないとか、そんなこと言えるはずがないじゃない。好き嫌いにしたってさ、客はともかく、表現者は簡単に口にしてはいけないね。だって、未だ好きになれてないだけかもしれないじゃない。たとえば能の演技なんか、誰だって最初からいきなり好きにはなれないよ。慣れとか、訓練とか、積み上げて、初めて面白さに気づくモノもあるんじゃない。
 狭い知識しか持っていない者が、そこだけを拠り所にして、何かを言うのは、自殺行為だよ。それは自分の成長を止める行為だ。
 もっと自分を疑わなくちゃ。
 知性というのは、そういう力だな。

 分かったかな、研究生たち……
 俳優だから、頭で分からなくても、感覚で掴んでくれればいいんだけどな。
 
 
 
 
 



金髪!(2003.09.02)

 金髪にはならなかった。
 少し、やっちまいましょうか、と相談がまとまりかけたけど、結局穏当に。少し短くなっただけだな。意気地なしの私です。
 んで、もみあげに出がちな白髪を染めてもらってね。出るんだよ、白いのが。悲しいよな。でも俺だけじゃなくて、銀ちゃんも出てたからね。テッペン辺りは茶パツなのに、こめかみたかりに。サイドラインが危険なんだよね。オヤジの白髪。ちなみに茅野はなぜか胸毛が白い。

 で、10時からの打ち合わせ……のはずが舞台監督到着が30分以上遅れて、11時近くから。終わったのが午前1時30分。て、そんな打ち合わせあるのかね。飲み屋に流れてミーティングやりました、ってンじゃないのよ。ちゃんとした事務所の会議室だよ。話自体はまだあんまり煮詰まったもんじゃないから、楽なモンだけど。それより私はそれまでの時間潰しに苦労しましたよ。コーヒー何杯飲んだことか。
 
 さて、明日はついに、というか、やっと研究所の授業。実は未だ私、一回もやってないのね、今年の授業。明日は名前覚えるとこから始めないとな。
 んで、こっから今年度のラブ3創りにかかる。茅野が『夜曲』で忙しいからね、私と田中で進めなくては。
 それにしても、すでに辞めた奴が数名いるんだよね。結局、何にも教えるどころか話す間もなかった。
 何しろね、入学式の翌日から来なくなったのまでいンだからね。俺がさ、演説したのね。
 「君たちは若いので、時間を無駄使いするな。やる以上は全身全霊をかけて打ち込み給え。そしてその課程で、もし、コレは違うと気づいたら、いい加減にダラダラと続けることはお互いのためにならないから、スパっと辞めて次のことに向かい給え。そのためにも、やる時は限界までやり給え。そうすれば、ゴーがストップかが見えてくるだろう」
 とまあ、こんなこと。
 そしたら、その演説聞いてるうちにコレは違うと思ったのでしょうな。翌日から来なくなった、んだそうです。(それも伝聞なんだ)
 授業料は一括払いで払ってるんだよ、そいつも。
 どう思うよ、諸君?
 しかし、その若者とどっかですれ違っても、たぶん私、まったくわかんないだろうね。

 ともあれ、今から新学期。
 
  
 



土日(2003.09.01)

 気が付くとはや9月だった。
 土日は、私用に明け暮れる。とはいえ、たいした用事でもないので、要するにダラダラしていたな。
 特筆すべき事はなし。
 敢えて言うなら、175Rを聴いて過ごした。知ってるかね、諸君?そもそもコレ、何て読むかわかる?
 今の私はちゃんと読めます。でもつい数日前まで読めなかった。
 北九州に行った時に、泊くんと話してて、そんで北九州出身の芸能人とか有名人て誰よ?てことになったんだけど、栗原小巻とか、草刈正雄とか中尾ミエとかさ、ちょっと古過ぎないってことになって、今だよ今、今の人!とわめいていたら、それは175Rですよ、ってことになったのさ。北九州のバンドだって。
 何じゃそれは?知らん!と言ったら、もうすでにメジャーですよ、と笑われた。
 知らんもんは知らんのだから仕方ないが、最近、こういう現象が多い傾向にあるのでヤバイね。反面、当然知ってるモノと思って話してると、若者から誰スか?それ。とか言われてしまう。
 
 んで、テレビとかで、訃報ですとか言って、誰かが亡くなったニュースが流れるじゃないか。ほんの少し前までは、よく知らない人が多かったものですよ。親や親戚のおじさんおばさんに聞かなきゃわかんなかった。それ、誰?とか。
 でも、最近は、まずたいていの人のことを知ってますね。そんでしみじみ、あの人が亡くなったか……とか思う。知り合いとかの話じゃないよ。テレビの有名人とか、スポーツ選手とかさ。つい最近まで元気でやってたのにねえ……って。でもそのつい最近が20年前だったりすんだよね。そしたら若者に、ソレ私の生まれた年ですとか、言われるんだよねえ。
 スマップが6人だったことを知らない奴もいるんですぜ。ジャニーズファンの中にも!
 初めて会った時は、香取クンなんか中学生でさ、中居クンにパシリに使われて、泣いてたもんですよ。昼飯にマクドナルド食ってて、シェイク頼んだだけで、シンゴが何シェイクなんか付けてンだよ、生意気じゃん、て小突かれてたもんですよ。草薙クンが舞台に出たら、何だツヨシか、って、立ち上がりかけたファンが溜め息とともに座り直したもンですよ。その舞台の脚本は私が書いてて、妻は京都までソレを見に来たんだけど、その何だツヨシか……ってファンの声が非常に印象深かったらしくて、それ以来、草薙クンは我が家では、しばらく、何だツヨシか、って呼ばれてたんだよう。
 
 でも私らが子供の頃、オッサンやじじいたちがこんな風によく語ってたもんな。堺正章のお父さんは喜劇俳優で、エノケンと一緒にどうしたこうしたとかサ。
 同じ事だね。ヤバイよね。
 でも俺は175R知ってるぜ。CDだって持ってるぜ。

 明日はトゥシュドゥボアに。髪を切りに。『きらら』のお礼も言いにいかなくちゃね。
 ついでに金髪にでもしてみようかと、思案中。175Rの歌にゴールデンヘッドで行こうってのがあった記念に。
 んで金髪にして、何の因果か午後10時から福岡の打ち合わせ。マジに午後10時からだからね。あり得ないよね、普通。でも普通にあるのが私たち。
 まあ全部、青山近辺なので、ブラブラして時を過ごそう。無駄使いはしないようにして……
 
 
 
 
 
 
 

 
 





build by HLimgdiary Ver.1.23