2003年08月                             

北九州一泊(2003.08.29)

 北九州芸術劇場へ行く。
 大、中、小の3つの立派なホール。演劇祭で始めて公演したのもはや10数年前。その時は単なる希望的噂に過ぎなかったのに、本当に出来上がっている。しみじみ感動。
 その小ホールを自在に使っている『飛ぶ劇場』の「生態系カズクン」を見る。国文祭のプロデューサーのハンズの菊池社長とともに。代表作であり5演目だそうで、手慣れていて、それでいてコクのある舞台だったな。3年前にトラムで見た時(作品は別)には、まだまだ未熟な集団って感じだったけど、格段の進化を感じた。さすが、これだけ立派な劇場を持つ街の看板劇団の風格だね。環境と責任が劇団も育てるね。
 「カズクン」は劇作家協会の新人賞を取っている。その時、私は審査員だった。数本の中では、推す方の作品だったけど、私のイチオシは実は別の人の作品だったんだ。その人のは落選。でもこの舞台を見て、泊クンが取って良かったのだな、と実感。私の不明を恥ず。

 終演後に、近所のお店に行って、泊クンと私と菊池社長の三人で食事。国文祭の閉会式(北九州でやる)への参加を要請する。快く引き受けてくれて、楽しい夜に。飛ぶ劇 は来年また東京に来るので、応援しなきゃ。
 それにしても、あんな立派な劇場が身近にあって、しかも自由にとはいえないけど、かなり勝手よく使える。そりゃ私たちにはそういう場所として厚木文化会館がありますけどさ、規模が違うよ。羨ましい限りだよな。
 東京でやるばかりが芝居じゃないって、もはや気持ちだけの問題じゃなくてさ、現実的な条件の上でも、そういう時代になりつつあるよね。誰かオレにあんな劇場、くれないか?
 
 ところでこの北九州行きの前後、ちょこっと時間が空き、本屋へ。たくさんの活字を眺めて、そういえば、このところ雑事に追われてばかりで、モノを考えてなかったなと、しみじみ反省。
 このままではひたすら馬鹿になってゆくじゃないか。
 本も読んではいるけど、全部必要な資料の斜め読みだしナ。

 で、なぜかふいに、こういう時は夏目漱石だと思い立つ。(もう馬鹿だから、深く考えられないのだね。偉い人なら漱石とかさ、思考停止だね)漱石の名作でも読んでないのケッコウあんだ、実は。粗筋だけ知って読んだフリしてたり。ダメよね、こういうの。しかし、とりあえず飛行機の中のことだしなと思い、薄目のヤツをということで、人生論集ってやつを買って読み出す。
 
 
 でも漱石はやっぱ偉いぜ。のみならず面白い。
 特に『私の個人主義』ってのに感服。まあ個人主義のススメのテーマは今の私たちには了解しやすいことなんだけど、それよりも、いかに西洋が優れていようが、私が私である以上は、私の意見を曲げてはならんというね。自己本位と言うのだけれど、この思想を語るところがね、とても興味深かった。日本史的にも傑出した知性の人であるわけでしょう。お札にもなるほどの。その人が、自分の力を信じることになかなかたどり着けなくて、苦しんだりしてたんだね。それが憂鬱な英国留学を経てさ、突然目覚める。つまり私は私で行くんだって。極めて単純な真理だけどさ、渋谷の路上でバカな若者とかでも言いそうなことだよ。けれど、探求に探求を重ねた結果、そう思い至って決心したっていうんだね。
 シンプルでね、そして強い。
 渋谷のバカ者たちと違うのは、孤独に生きる覚悟をしている点ですよ。だって異国に身を置いて、一人で必死に考えて掴んだんだもの、その決意を。私は私で行くというのは、その時代、ある意味、権力との対決を辞さず、学問の主流からも外れるという覚悟がなくちゃ出来なかったことですからね。個人というモノがまだ世の中でちゃんと確立できてない時代だよ。そこで先生は、個に目覚めるのみならず、自分本意でいく覚悟を決めたと言うんだ。これは真のロックンロールだよ。
 そして、
 さまざま壁にぶち当たりつつも、何とかそれをうち破った挙げ句に、そうか、オレにはこういう道があるのだ。その道を行くのだ!とそういう発見が出来てビックリマークが打てた瞬間にこそ、我々のココロには初めて安らぎが訪れるのだと、漱石先生は言う訳よ。学習院の学生に向けた講演なんですけどね。
 原文で言うとだね、
 「ああ、ここに俺の進むべき道があった!漸く掘り当てた!こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたははじめて心を安んずる事が出来るのでしょう」
 真の安らぎは、心の底からビックリマークが出た時にこそ!だ。
 これが今日の結論だね。by ソーセキだよ。
 安らぎは、安らぎの中にあらず。感嘆の中にこそある、だ。

 公演後、私は安らぎがどっかにねーのかと、探していたんだが、ちょっと探し場所を間違えていたかもしれんな、と思ったな。
 
 しかしそんな漱石の言葉の中に……
 スイカは叩いて良し悪しは分かるけど、人間は胸裏を真っ二つに切って割ってみなきゃ分からない。叩いただけで信じるな、みたいなことが書いてある。なるほどォ……なんだけどさ、しかし先生、人の胸裏なんかどうやって切ればいいんでしょうか?その方法が分かりません、教えて下せえ、だった。
 
 



昨日と今日(2003.08.28)

 昨日はお昼に事務所に行って、雑事あれこれ。『夜曲』組はプレ稽古だったようですがね。ゲストの大門さんのスケジュールがタイトなので、かなり不規則にやるみたい。
 んで、時間が空きそうだったので、急遽、コクーンの『オーバーシーズ』藤原紀香主演作に。演出が河毛さんだし(トンカツロックなど)前に知り合って、アゲインも見に来てくれた真中瞳さんも初舞台だったので、応援を兼ねてね。
 南米チリの内紛とそこに巻き込まれた日本人商社夫婦の話。強いメッセージがあって、ホンはしっかりしてて、演出もシンプル。チリのこととか良く知らないので、勉強になったし、なかなかに見応えのある作品。でも、初舞台の美人女優二人も使って(藤原・真中)なんでこんなハードな社会派やってるのこの人たち、って思うな。難しい演技が要求される。お二人とも堂々としてて、よくやってるけどね。舞台の上で等身大のリアルな芝居やんなきゃいけないというのは、初舞台では大きなハードルだよな。意欲は買うけどもう少し、気楽にやらせてあげたかったな、とも思う。たとえばもう少し小さい劇場であれば、また違った見え方だったかもしれないが。
 オレなら『マリリン・モンロー物語』やるな、なんて。レノン物語みたくね。でもそれも難しいか。余計に大変か……ダメだ。却下!
 というか、そもそも初舞台がコクーンとかさ、そういうのがどうなんだろうな。オレもそういうのいろいろやってるからさ、もろ当事者で、お前も片棒担いでると言われればそれまでだけど。やっぱり舞台にはそれなりの訓練受けさせてから出して上げたいよね。発声とか、身のこなしとか。恥もかけないじゃない、あんな大スターだと。本番以前に稽古場でも赤恥をかけない。しかし、最初から出来る人なんかいないんだから。これじゃ、天才的に勘の良い人と、たまたま柄が会った人しか生き残っていけないよ。今のシステムは変えてかなくちゃだよね。役者にとっても過酷すぎると思う。いろんな重荷背負いながら、紀香さんも瞳さんもよくやってると思うけどさ。
 ちなみにモンローは大スターになってから、アクターズ・スタジオの門を叩いて、演劇学校の生徒たちに交じって、イチから芝居の勉強し直したんだよね。映画をしばし休んでさ。

 瞳さんの良いところは、笑顔に曇りがないこと。声が通ること。まだこなれてないけど、ココロとカラダを繋げて大きく見せようと試みていたこと。生真面目な感じが役にもよく会ってた。まだ役を充分に見せてるとは言えないけど、真中瞳という人をしっかり見せてたって感じかな。可能性をとても感じる。何かやらせてみたいなと思いましたもともとガッツのある人だしな。あの久米宏さんが見込んだんだんだから。是非、このまま芝居を好きであり続けて頂きたいものです。

 ただ、メッセージ色の強い作品って、最近あんまり見ないからね、昔はたくさんあったけど、とても新鮮だった。そして気持ちはいい。何なの、これ。というか、おいてけぼりというか、他者に向かってまったく投げかけてこない、ノリ切れない内輪受けみたいのが多すぎるよ、最近。
 さすが、紀香さまの初舞台で、客席はVIPだらけ。で楽屋では、彼女への挨拶の人の列がずらりと。女王陛下との謁見って感じ。横内さんも、ご紹介しましょう、と河毛さんに言われて、ついに紀香だぜとか思って(何がだ!)嬉しくて、ウキウキ待ってたんだが、なかなか番が来ない。やっと番が来て、紹介されて、名乗って、よろしく、とか言い合って。ニッコリ微笑んで、ではサヨナラって……
 それにて謁見の儀は終わりでござりました。したが拝顔の栄に浴し、恐悦至極にござりました。
 終演後、瞳さんと、RUPの菅野、岡村と、ハイレグ河原も交えて歓談しつつ、ちょい居酒屋メシ。
 この夏は居酒屋メシが続いて、実は少し太りました。見た目は痩せたと言われますが、それは顔がやつれたのであって、無惨な腹ブヨが増加しております。次のテレビ収録までには痩せるつもり。
 
 さて今日は、北九州小倉に。新しい劇場で、泊クンの芝居を観に。
 一泊帰り。
 
 
 

 
 

オレなら『マリリン・モンロー物語』  
 
 



 一年(2003.08.26)

 昨日は、来年の国民文化祭の打ち合わせ。明日はその閉会式の打ち合わせで、北九州に行く。閉会式でやる舞台作品の脚本を、北九州・飛ぶ劇場の泊クンに依頼することになってて、新しい劇場で上演中の泊クンの芝居を見に行く。

 んで、昨年の秋に、国民文化祭の下見に鳥取に行ったんだが、その時に一つ衝動買いをしたのだった。
 万年筆である。
 鳥取の街を歩いていたら、駅前に何か、鳥取って感じじゃないお洒落な(失礼!鳥取)お店があった。入ってみると、それは万年筆屋。しかも特注オーダーメイドなんだという。その名も『万年筆博士』
 本人の書き癖とか、主な使用目的に合わせて、ペン先を削り上げて作るのだという。
 私はここ数年、メモなどとるときには万年筆を使っております。かれこれ8年ほど前にロンドンに行った時に、記念で買ったパーカーのやつ。でも、後で気づくと全世界どこでも売ってるんだよな。
 まあ、ずいぶん使ったから、手に馴染んでるし、ペン先もなめらかなんだがな。しかし、以前の腕時計騒動の時と同じように、世界の名品みたいのでたまに万年筆のコーナーなんか眺めては、物欲の炎を燃え上がらせていたのです。でも、そういうのは主に外国製ですからね。国産のしかもオーダーメイドという世界はよくわかってなかった。
 で興味を持って、眺めたり話したりしているうちに、衝動がむくむくと膨らんだのだね。
 しかも店の奥ではちゃんと『博士』が万年筆を製作しているのです。その世界では知る人ぞ知る万年筆職人だとか。彼の製品は、見た目には、極めてシンプルで、パーカーなんかの方がずっとお洒落なんだけど、万年筆を作ってる博士の姿を見るとね、何か、職人の匠、って気配が一面に漂い、佐藤容子のアダージョなんか聞こえて来そうなんだね。
 で、またも買っちゃったんだね。
 たまたま視察に行った鳥取で、ちょぃと時間が空いて、ブラブラ出掛けて、ほんの30分かそこらの間に、私は万年筆を一本オーダーメイドしてしまった。
 その間、一緒に行った茅野はパチンコ屋におりました。
 もちろん、お安くはありません。言わないけど、聞くと、えっ、て思う金額。鉛筆で済むことなのにね。そんなにかけてどうすんの、って感じ。まったく私、赤字出して、劇団潰れるかもしれない、などと言ってるときに、マンション買ってたり、万年筆特注してたり、馬鹿じゃないのかね。しかし、すべて一昨年から去年にやらかした買い物なのよ。だから許して。その時は、国民行事である福岡国民文化祭に臨むに当たって、しっかりやるという決意を込めて購入するのだ、とか、それなりに理屈つけて言い訳してたんスがね。

 その時点で一年待ちでありました。お届けは来年の夏の終わりですって。
 でも、万年筆一本に、こんだけこだわるか、って感じだった。
 店員さんの前で、ペンを持って名前とか書かされてね。その書き方とか、持ち方とか、力具合とか、いちいちチェックしていくの。主に何に使うのかとか。
 私は思いっきり太いのが欲しかったんだね。一般的に太字といわれているヤツの、それよりも上。ところがこれが、あんまりないんだ。せいぜい太字止まり。でもここでは、ペン先も広いバリエーションで揃ってる。オーダーだからね。
 作家がメモとか取るのに使って、横書きで、太字で、黒くて…… などなど。
 オーダー表みたいのがあって、そこに細かいデータが書き込まれて行く。一流の品物、って感じであったな。んでワシも偉くなったのう、
って。やったことないけど、高級スーツのお仕立てとかも、たぶんこんな気分なのでしょうね。
 
 しかし、発注からはや10カ月。ほとんど忘れかけておりました。博士のことを。
 それが昨日、届いたのであります。
 桐の箱入りです。店主からのメッセージ付きで。
 何かうれしくて、昨日は、ずっとノートに無駄な書き物していました。まったく意味のない、名前とか、言葉とか。
 初めて、鉛筆買って貰ったガキだね……

 ただし、大きく、そして根本的な大問題が一つ!
 私、とても字が汚いのね。まあ、知ってる人は知ってるでしょうが、拙く汚く幼い。まったくステキ性に乏しい文字。堂々たる悪筆であります。
 なので太字でごまかいたいということもあるんですがナ。
 その汚い字で、何で道具にこだわるかなあ、と。こう指摘されるのがとても辛い。
 だから誰にも見せずに、こっそり書くんだ……
 
 
 
  
 
 


 
 



原稿書き(2003.08.24)

 土曜は、お昼から厚木で、子供演劇塾、と厚木関連事業のさまざま打ち合わせ。
 厚木の小学生30人が集まり、ダンスとか、発声とか、芝居とかをやる。ずっと使ってきた私の書き下ろし短編『さよなら先生』に続く、第二弾『がんばれ、先生』を最後に上演。厚木の小学校の先生だった犬飼先生が、プロ野球選手になって、松坂投手と日本シリーズで対決しているというもの。それを応援している生徒たちと、応援された犬飼先生の魂の交流を描いた、感動の物語です。
 『さよなら先生』も『がんばれ先生』もどちらも、名作なんだ。皆さんにお見せ出来ないのが残念なぐらい。いつかチャンスがあればね……もちろん、リアル小学生たちの出演でサ。ただし、どちらも上演時間3分ちょっとなので、アッと言う間に終わります。しかし泣けるんだ、コレが。
 尚、次回の子供塾は、冬休みに。厚木以外からの参加も一応出来ます。詳細は決まり次第またお知らせしますね。
 そして、来年の二月には、久しぶりに大人(特に熟年)のための体験講座を開催する予定。
 
 いろいろ書きたいこともあるけれど、『春秋』の原稿書きしなきゃなんないので、今日はこれだけ。
 ネタは何となくあるけど、まだ未整理なので、今から近所のロイヤルホストもしくはジョナサンに行って、ちょこっと下書きをするつもり。原稿用紙10枚分なので、大変なのさ。でもあと少しで一冊の本にまとまるはずなので、何とかしなくては……
 
 掲示板に、たくさんの励ましと応援をありがとうね。
 一昨日、ちょこっと座員会議やって、赤字とかマズイけどどうする?って話し合った。結論は出ないけどね、まあ、やめる時は、誰にも相談せず、私一人で、スパッとカットアウトで終わらせるつもりだから。もう何にも言わずに、参りました……って黙ってアタマ下げてさ。こんなとこにブチブチ言ってムズがってるうちはまだまだ。警報サイレンみたいなもんだね……
 しかし、激しく燃える、前向きの情熱はないのかよぅ!って感じだけど、何せ20年以上こんなこと続けて来てますからね。しかも今は私も皆んなもとにかく疲れ果てておりまする。
 しばしダメな人間に成り果てて、ダラダラするのを許しておくれ、って感じ。
 元気なのは、サクラ大戦の成功で調子に乗ってる、イケイケテング・茅野イサムだけだ。サクラの手柄で、別の大きな仕事のオファーも来てるらしいぜ。ますます高くなる茅野の鼻か。こないだも一際大人げない露出過多の服を着て、変なサングラスかけてた。
 その姿は、俺が劇団を救ってやるから、お前ら見てろ、って言いたげでありました。
 いいな、お前、一人、楽しげで……
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  



ありがとうね(2003.08.22)

 さっそく励ましの声を送ってくれてありがとうね。もう、ホントにね、ここに来て下さる方たちには何の文句もないの。いつも支えて下さってありがとう、って、それだけです。同じ芝居を何度も観に来て下さったりしてるんだものね。そういう皆さんの期待に充分に応えられない、自分が歯がゆいね。
 いつか皆さんが、広く世間に自慢出来る劇団になりたいものです。内容、というよりも環境的にさ。扉座、って言っても、何ソレとか言われるもんな。一般社会では。皆さんに苦労かけてるよね、ホントに。
 最近もね、私、『きらら……』観ました、よりも氷川クンと出てたでしょ、って言われることが断然多いのね。そんなのただのプロモーションで、ついでみたく隣に映ってただけなのにさ。なのに、凄いねえ、とか言われてさ。そんなの凄くねえよ!ただテレビの端っこに映っただけじゃんかあ。きららの作演出の方がずっと凄えんだよ、って思うけど、そっちはなかなか話題にされない。
 ま、それが芸能ってもんなんだろうがな。
 だからこそ、私もイベントの目玉には氷川きよしの名を出したんだがな。

 矛盾してんだよね、私自身が。ミーハーもやるクセに、本質も分かって欲しいとか。きっと欲張りなんですな。

 でも、ホント、ご心配かけて申し訳ない。大赤字は事実なので、ゼンゼン平気とは言わないけど、たった一回の公演で潰れるほど、横内の知的財産価値は低くないから、安心してちょうだい。ただしっ、これが続くとマジやばい。
 『夜曲』はゼッタイに満員にしなきゃダメだかんね。茅野、しっかりやれよ!って感じ。お前は、プロデューサー業投げ出して、演出仕事に走ったんだかンな。次はその演出で勝負なんだから責任重大だぜ。

 さて、今日は山川の『赤毛のアン』を観た。エステー化学がスポンサーになっての公演。開演前にエストーの会社の人が舞台に立って、会社のポリシーとか説明しちゃう。
 こういう演劇もあるんだよな。
 舞台は、ちゃんと作ってるし、山川もよくやってる。歌もなかなかいけるし、何よりも舞台上で、ただ一人自由なカラダとココロでいる感じ。これは見事。あとはそこそこのプロたちのはずなのに、なぜか不自由に見える。まあ、全席、エステーの景品チケットで、客席のテンションは低い上に、子供は泣くし、暴れるし、親のエチケットもなってないからね、乗り切れない気持ちはようくわかる。ピーターパンとかも子供天国だけど、あっちはやはり高いチケット買ってきてるからさ、親も気合いが入ってるんだよ。ちょんと観ろよ!って。
 これはそうじゃないからさ。所詮、消臭剤の景品みたいな気配がある。やる側も大変だなと同情するよな。
 そんな中で、本気でやってる山川は偉いし、見せどころではキッチリ勝負してて、この人は信じられると思ったな。もう一度、何かをやらせてみたいとしみじみ思った。まあ、舞台は二度目なので、ダレる余裕もないんだろうがな。
 それにしても、舞台の上の彼女と、楽屋での彼女の様子の違いは何だ。舞台ではケッコウ堂々としてるのに、楽屋に行くと、もう照れまくって、恐縮しまくって、一言の感想を私に言わせる間もなく、ひたすらに「ありがとうございました、ホントにありがとうございました」って何度も何度もペコペコして、もういい、わかった、俺は黙って帰るよ、って、そんな感じ。何のことか分かんないな、これじゃ。
 極度のシャイなんだな。
 でも、それが舞台に出ると変わるんだから、面白い。
 
 小倉優子ちゃんて子も出てた。グラビアアイドルなんだって。そう言えば、水着写真とか見かけたことある。ロリ系の子。(ちなみに私はお姉さん系が好き)こちらはもう、完璧なお人形さん。笑ってしまうぐらい。手足にピアノ線でも付いてんじゃないかと、私しゃ思わず目を凝らしてしまいましたよ。だがそのお人形さんのことを、最前列に、何人かの親衛隊ぽい小太り男子たちがずらっと並んで座って、ジトっ、とみつめてる。変にそこだけ空気が濃密な気配でね。
 しかし、この公演はエステー化学の消臭剤とか買った人が、応募して抽選に当たって、初めてチケットがもらえるはず。いったいどーやって、最前列をあんなにずらっと確保するのだろう。
 素朴な疑問でありました。

 
 
 
 
 
 
 
 
 



20日の日記だよ(2003.08.21)

 今日は、河合さんのお墓に。お礼参りに。成城学園前まで。
 駅前でひまわりを買う。河合さんは菊が大嫌いで、ひまわりが大好きだったのでね。今度はお墓の左右両サイドに正しく飾れる分量を。ちょうど束になってるサービス品があったので、ラッキーと思って購入。が、購入しつつ、ガラスケースを覗くと、そこにはサービス品より少し大ぶりな高級ひまわりたち。まあ、いいか…… と思ってそのままサービス品を4束買った。けど、店を出てから、またも河合さんの声が耳に聞こえてくる。何で、こんなことケチるんだよ…… って。いえ、ケチった訳じゃなく、いい具合に束だったし、ほら、ひまわりだけじゃなく、白い花も混ぜられててキレイですから…… 白い花の名は? いえ、これは……分かりません。 わかんねえのか! すみません!
 何でこんなこと自問自答してんだろう、しかも15年も前に死んだ人と。って馬鹿馬鹿しくなるぐらい、河合さんの声が聞こえて、また叱られたような気がした。
 ともあれ、無事に終わりました。客は少なかったけど、みんな面白いって言ってくれてます、と報告。
 しかし…… 客が少ないのは、面白くない、ってことなんだよ! とまたまた声が聞こえてきた。すみません、がんばります! とまたお詫び。(少ないとは言っても、近年ではイチバン入ったんですけどね。今回は時期が悪い上に、規模がでか過ぎた) 
 その後、飯田橋事務所に。
 赤星と田中と公演のプチ反省。
 まだ未決算ながら、しかも覚悟はしてたけど、大きな赤字が残るであろうことを知る。やっぱり……無理な公演だッたんだよね。しかしその大まかな金額を聞いて、背筋が寒くなる。洒落にならない金額じゃん…… 
 世間では、その何分の一かの金のために人が殺されたり、自殺してたりする額じゃん……
 扉座、いよいよ潰れるかもしれません。
 実は私は、この秋に引っ越しを予定してるんだよな。ついにマンション買っちまってさ。目下建築中だけど。あのお部屋、一度も住まずに手放すことになるのかなあ…… 一生懸命働いてるのになあ。お金もケッコウ稼いでるはずなのになあ。あちこちで、いろんなことやっててさ。でも全部、劇団に吸い取られて行くんだよなあ…… 劇団が私から奪い取った分で、かるーくフェラーリ何台か買えてるんだもんな。
 ま、もともと裸一貫だからさ、なくして困るモノはないけど、辛いなあ。
 ホント、劇団活動はしんどいんすよ、皆さん。俺にはフェラーリの代わりに劇団がある、ってのが私のキャッチフレーズなんすけどね、フェラーリはみんなが欲しいけど、劇団はあんまりいらないって……
 悲しいよね。
 今日は少しブルーになる。
 そしてまた河合さんの声が聞こえる。キミたち何で儲からないか、わかる? はい、それは僕らの芝居が面白くないからです。 そうだよ、世界一の傑作なら世界中から人が見に来てゼッタイに儲かるもんね。
 その通りです、河合さん!
 
 働こう、っと。
 今からやんなきゃいけない仕事は山ほどあって、どれも手ぐすねひいて待ちかまえてンだ。でも劇団じゃないから、それらはお金が貰えるからさ。
 さて、また出稼ぎのシーズンだ。
 いつか、世界一の傑作作ってやる。

 明日は、お昼から山川恵里佳の出てるファミリーミュージカルを観に。グローブ座のフォーティンブラスに出てくれた女優さん。彼女に期待してるんだ。良い感覚してる。フォーティンブラスの後に、ファミリーミュージカルってことないよな、と思いつつも。ま、それぞれに働かなくちゃイケナイ事情はあるからね。

 せみの声 ハタリと止みて 風涼し
                      ケンスケ
 
 
 
 
 
  

 
 
 
 
   

 
 
 



サクラ(2003.08.20)

 行ってきました。茅野イサム演出のサクラ大戦スーパー歌謡ショウ。
扉座業務をぶん投げて出向していった逃亡プロデューサー、半端な仕事してると許さんぞ、という意気込みで参りましたが、ちゃんとプロの仕事をしていました。全体を通す大きなリズムとテンポをちゃんと作っていた、これが何より。元々、横山智佐をはじめ、ここの一座の人たちはポテンシャルが高いからね、多少難しいリクエストにも懸命に応えている。茅野が入ったことである緊張が生まれ、それぞれに未知の領域へのチャレンジが生まれていることが見て取れた。
 まあ、よかろう。

 終演後、サクラ大戦総指揮の広井王子さんらと居酒屋へ。以前、サクラにゲスト出演した猿之助一座の春猿もいた。
 さまざまな話を。
 茅野が入って明らかに演劇チックになり、全体のレベルが上がってる、今回のショウ。それでも古くからのファンの間では賛否両論なんだって。ゲーマーの世界はこだわりが大きいからね。
 はっきりいって、茅野参加以前は、客いじりとか、アドリブとか、ファン以外の我々にとっては、緩すぎて辛い部分が多々あったんです。それを茅野が入って、演劇モードに改革した。明確な規律を導入してね。勝手にセリフは変えない、とか。
 出演者も今回はそれを受け入れて、というか積極的にそのルールに乗って新境地に挑んでる。私なんかが見ると、それは心地よく、今後に期待が膨らむことなのよね。芸のある人たちなんだから、余計なことせず、ズバッと勝負してくれた方が気持ちいいんだ。
 でも、緩いことを懐かしがるファンがいる。これは歌謡ショウじゃない、って。しかもそれがかなり多数いるのだという。
 考えさせられますね。
 観客にとって、作品が洗練されて、良くなってゆくことは、必ずしも嬉しいことじゃないって。そういうこともあるんだよな。
 あのダサさや下手さが良かったんだよ。何か、もう僕たちのモノじゃなくなってしまったみたいで、寂しいですぅ……って。
 すべての創造者、表現者にとって芸の向上は絶対的な目標な訳で、下手でいいんだ、なんてのは、ゼッタイに自分で言うべきことじゃないんだけど、観客には確実にそういう感覚がある。
 かくいう私もね、前に言われたことがある。善人会議から、扉座に名前を変えて少し経った頃かな。意識的に、ちょっと大人の芝居をやったんだね。そしたら、あるお客さんにこう言われた。
 素晴らしいけど、少し寂しい気がしたって。
 この人たちは、もう、一緒に遊んでくれないんだなあ……って感じたって。
  
 まだ発展途上の芸人に対して、このままずっと変わらずにいてくれ、と言うのは、贔屓の引き倒しというものです。成長を妨げるべきではない。しかし、ファンというのは、どこか保護者感覚だからね、育てば育ったで、寂しいんだよな。我が手から離れてゆくようでね。
 その気持ちは分からないじゃない。
 顧みて我々のこと。
 まだまだ下手くそだし、もっと上手くなんなきゃイカンと思ってるんだよ。けど、思いと勢いだけの小劇場時代から比べたら、数段に技術は向上し、洗練もされてきてる。『きらら浮世伝』なんか、その洗練の一例だよな。下手な大劇場で一万円とってる芝居よりもずっと高級だったはずだよ。技術的にも演技的にも。
 でも必ずしも、それが受け入れられる訳じゃない。
 小劇場の客には濃厚過ぎるよ、って言う人もいたな。言い得て妙かもね。
 この問題はもう少し考えてみなきゃ、だな……
  
 明日は田中と事務所でさまざま打ち合わせ。もう寝る。
 
  
 
 
 



休息日(2003.08.19)

 目覚めてもカラダが動きませんでした。
 昼近くに起き出して、ぼんやりと。野茂もすでに交代してたな。一つだけ池袋で用事を済ませて、すぐに帰ろうかなと思ったけど、ついパチンコ屋に。梅宮辰夫と松方弘樹がカジキ釣りをする新台に挑戦。まったく出ず。でも今日は熱くはならず。程良きところで潔く撤退。所詮、カジキなんか生涯縁のないものだろうしな。
 
 明日は、劇団協議会というところで会議。私、何とか委員って立場なので。(自分の立場の名は知らない)
 そんでその後、演出家・茅野イサムが働いた『サクラ大戦』を見に行きます。『きらら浮世伝』のプロデューサーがいつの間にかサザンから逃げ出して姿が見えないと思ったら、こんなところで働いていたのです。
 最初は、演出の手伝いって話だったのに、気が付けばどっぷりと働いたそうな。広井王子さんは茅野クンがいてくれて助かりました、と言ってたけど、こっちとしてはロビー責任者が持ち場投げ出して、楽しげな現場に行ってしまったのですからねえ。そりゃ、大変な劇団公演の下働きより、派手な現場の仕切役の方が愉快であろうがな、茅野クン……
 まあ、今更言うても、せんなきことじゃ。君は演出家になり給えと言い出したのは私だしな。
 
 と言うわけで、明日は、イサムの働きぶりを見に行く日です。
  
 



さっき帰ってきた(2003.08.18)

 大阪では、結局日記の更新ができませんでした。パソコン委員の田中クンが忙しすぎたヨ。
一言で言って4甲斐の公演は荷が重かったナ。こんなお盆のまっさなか、2回でも良かったぐらいだと思う。街にも人がいないんだからさ。
 で、とにかくお客さん集めに苦労しました。今回はすべての公演でそうだったんだけど。最後の最後まで気が休まる時がなかった。
 しかし仕上がりはね、見てくれた方々には、とても気持ちよく受け入れて貰えたと思う。全ステージで拍手が止まなくて、カーテンコールがダブルになりましたからね。今日の千秋楽は、予定してあった私が登場しての最終コールを終えて、客電をつけてもまだ手を叩いてて下さって、急遽、もう一度全員で舞台に出て、私も改めて挨拶しました。最後まで言葉は発さないつもりだったんだけど、ついに言葉付き挨拶です。近鉄劇場も最後なのでね。
 というわけで、今日は良い千秋楽でした。
 拍手がごほうびです。本当にありがとう!
 なにはともあれ、過酷な大公演がようやく終わった。気が付けば、はや秋の気配って感じじゃないか。また夏のない年を送ってしもうた。
 
 今日は近藤正臣さんも来てくれた。この夏は、今年建てた某渓流名所の別荘に居続けで、東京公演も来れなくて、今日が初『きらら』だったんですよ。17年前のセゾン版は見て下さってますけど。「良い芝居になったやんけえ」と誉めて下さいました。「アゲイン」の千秋楽に、宣伝協力して下さいましたもんねえ。山崎をよろしく!なんて。
 思えば春の「アゲイン」からホント、走り詰めでござりましたぜ。
 あと、222222番、ゲットのお客様には、ちゃんと景品をあげましたよ。貰った人、どうぞ自慢して下さいね。他ではゼッタイに手に入らない特製ブランド品ですからね。
 手に入らないと言えば、『きらら』パンフレット、本当にごめんなさい。ご招待の方に差し上げる分まで、ホントに使い切ってしまいました。もはや劇団内でもレア物化しております。リクエストに応えて再々増刷したいとこではあるけど、ご覧の通り手間のかかるものでね。コスト的に難しだろうな……
 とパンフのことを謝り続けていたところ、今度は台本まで売り切れてしまいました。こちらも途中増刷したのにです!
 こちらもごめんなさい!
 しかし戯曲本が300冊売れるって、凄い事よね。それも本屋じゃなく、一カ所だけの販売でね。ホント、戯曲は売れないんだから。世の中ではそれが常識になってる。
 扉座の観客の程度の高さを物語っておりますね。
 
 と売り切ればかりが続く中、なぜか大阪初日という、半端な時期に新製品登場!それは『アゲイン』のDVDです!2003年の舞台の完全収録版ね。ちゃんと3カメでプロが撮ってます。扉座初めての影像化作品となりました。これはインタネット販売もするはず。
 大阪の物販コーナーでもすでに数本売れました。好評なら、第二弾第三弾も検討します。

 ともあれ、皆さん、応援をありがとう!
 『きらら』は終わっても日記は書き続けるから、読み続けてね。
 


 

 



 ありがとう(2003.08.13)

 サザン公演が終わりました。昨日は補助席まできっちり満員。よかったよかった。でも昨日みたいな日がもう何日かあったら、もっと良かったのにぃ。
 しかし多くは望みますまい。少しずつ少しずつね。
 さて、若手とスタッフは今日すでに大阪に向かっています。私は明日、朝の新幹線で大阪に。お昼、2時30分からのラジオ、(毎日放送)に多江さんと宣伝出演します。
 んで、その後、近鉄小劇場に。いろいろと劇場条件が変わるのでね、仕込みから、対処法を考えなくちゃならん。もう疲れきってヘロヘロですけどね。最後の近小だからさ、良い舞台にしたいじゃないの。近鉄消滅後の大阪公演のメドも立ってないしね。ここでキッチリお客さん掴んでおかなきゃいかんだろ。と言うわけで、
 あと少し、がんばります。
 そちら方面の方々は一人でも多くのご友人やお知り合いを引き連れて来て下さい。また関西方面にお知り合いのある方も、どうぞ観客動員にご協力を。とにかく行きなさい、と命じて下さいませ。
 千秋楽の舞台の上で、よっぽど言いたかったんですけどね。大阪に宣伝ヨロシクって。
 しかし、今回は、芝居の雰囲気を守るために、敢えてやせ我慢を致しました。ここでは素直にお願いします。
 どうぞお助け下さいませ、皆様!

 昨夜の舞台、ロビーでモニターテレビで見ててね、思ったこと。
 大門の上で重三が叫ぶシーンね。いかにも若い作家の書いた、青臭いシーンですよね。まあ、横内演劇らしいといえば、こここそ横内演劇らしい部分なんだろうけどね。でも今の私から見れば、ちょっと照れくさい感じはあるんだよ。手放しで素晴らしいとは思ってない。15前には命賭けで書いてるから、チカラはあるけど、それにしてもあまりにストレートじゃなあ、ちょっと照れくさいなあ、って思ってます。だって一人で、門の上で、大演説だもんね。もし今の私が『きらら』を書いたら、たぶん、あんなシーンもセリフもないと思うね。もう少し、複雑なドラマにして書いてると思う。
 んでさ、お客さんの中にも、そんなふうに感じてる人は多いと思うのね。あの一人芝居はどーなのよ、って。説教臭いとか、アンケートにもあったしね。(しかし説教じゃないよね。正しく言えば、演説だよ、あれは)
 けどさ、あのシーン、アーチストとかクリエイト系の人たちにとても評判がいいんだよね。何か書いてるとか、描いてるとか、創ってるとか、表現してるとか。そういう人たち。ちょっと恥ずかしいとか、言うのは、一般のお客さんの意見だね。
 昨夜も終演後、映像監督、スタイリストさん、カメラマン、絵描き、という人たちとの飲み会になって話してて言われた。あそこ、ぐっと来るよね、って。
 で、さまざま聞くとね、それぞれにああいう経験があんだよな。もうダメだ!っていう挫折の崖っぷちに立たされて、独りぼっちになって、でも悔しくて、コンチクショウ!と一人で叫んだ、ような経験が。
 フザケンナ、こんなのはオレじゃねえ!って。
 皆さん、一流の人たちなんだけどね。でもそりゃ、ずっと順風ではありえない。逆風に曝されて、絶望も孤独も味わってるんだ。けど、そこから立ち上がった。だから今があるんだね。
 重三の姿は、青臭いし、独りよがりだし、暑苦しいけど、そういうもんなんだよ、生きてくってのは、特にクリエイターとかアーチストとか、独立独歩で自分の夢をかなえていくのは、実は不様な闘いなんだよ、と皆さん仰るのさ。
 あの場面には、そういう真実がある、って。ストレートだけど、ストレート以外で描いては、伝わらない真実だよ、って。

 で思ったんだね、今の私にはこの『きらら』は書けない、っていうのは、つまりこういうところなんだな、って。平然と不様を晒してしまってるんだね。というか、他に手がないから、全力の体当たりをしてる。
けど、それが単なる勢いとか、ヤケクソじゃない、ある種真情あふるる体当たりなんだよね。だってリアルな感情であることに間違いはないんだよな。若き日の私にとって。

 ふと思い出した。
 ずっと若い頃のこと。
 大手町のパレスホテルで鍋洗いのアルバイトをしていんだ。金にはなるけど、辛い労働だった。朝7時から夜11時まで、ひたすら厨房の鍋類を洗う。人間丸ごと煮炊き出来る巨大鍋もあるからね。軟弱な私は、そのバイトの翌日には手が上がらなくなってた。すべて劇団の運営資金創りのためだよ。
 あるバイトの夜、鍋との格闘にホトホト疲れきって、帰宅途中、日生劇場の前を通った。朝は雨が降ってて、帰りは星空だった。で、手に傘を握ってたんだ。
 当時、日本で一番お洒落で高級な劇場だよ。一方こちらは、名もない自称劇作家さ。演劇が大好きだけど、演劇からはまったく愛されてなくて、仕方なく金稼ぎのために朝から、鍋を洗ってきたんだ。演劇人なのに、劇場ではなく、ずっとホテルの地下の洗い場にいたんだよ。でコックさんたちに叱られながら、鍋を洗ってた。
 何か無性に腹がたってねえ。私はいつもは温厚なんだけどねえ。その時は、本当に、怒りが腹の底から沸き上がってきた。誰に対してってこともないんだよな。だって明らかに自分の力不足なんだしね。敢えて言えば、現状に対する苛立ちだよな。
 これが俺かよ、俺はこんな男になりたかったのか……って。まさしく大門前の蔦屋だよな。
 んでさ、傘を投げつけたんだ。日生劇場の玄関に下がってる、ビロードの旗に向かって。その時の演目が刺繍されてる、お洒落な垂れ幕のような、旗が下がってたの。タイトルは忘れたけど、真っ赤な生地に金の刺繍があったのは、はっきりと覚えている。
 その旗に向かって、コウモリ傘をね、槍のように思いっきり投げつけた。
 別に何にもならなかったけどさ。傘は旗に当たって、そのまま落ちてきた。旗はユサユサと揺れただけだよ。
 蔦屋が門に向かって、草履とか羽織とか投げつけるじゃん。でも、門はびくともしないじゃん。あれだよ。
 
 22、3の頃じゃないかな。
 あの時の私には、怒りがチカラだったのだろうな。コンチクショウって言うことで、挫けそうな自分に鞭を入れてた。
 日生劇場の壁によじのぼりゃしなかったけどね、俺は鍋洗いでなんかで終わらねえぜ、と叫びたい気分だったのだと思うよ、きっと。
 とまあ、そんなことを思い出したのです。

 だから大門のシーンはあれでいいかなって。

 明日から大阪です。厚木の時みたいに、劇団パソコンで書き込むつもりだけど、もし出来なかったらゴメンね。
 日記楽しみにしてます、と声をかけてくれるお客さんが多かったので、励みになってます。 
 どうもありがとう!

  

 
   
 
 

  
 
 

  
  
 



新宿の千秋楽(2003.08.12)

 長い新宿公演がいよいよ終わります。
 日曜は山田まりやが来てたので、少しお話、カラダを壊したって話だったので、心配したけど、ひとまずは元気そうで何よりでした。
 んで大阪に。
 新幹線では、ひたすらボーッと。何か良いアイデアが浮かぶかと期待して、敢えて本とか持たずに乗ったのに、結局何も浮かばず。サンヨーの工場は、ラジカセのカタチしてるんだな、とか、景色を眺めて子供みたいな感想だけ独り言で言っていた。まだいろんなこと考えるアタマになってないみたいね。
 大阪着いてホテルに入って、すぐに一度出て、タコ焼き買って、慌ててホテルに戻って、テレビでプライド観戦。一応、扉座格闘技研究会員でもあるのでね。別にタコ焼きはいらない感じながら、一応大阪なので、それらしくと思い、走って買ってきた。子供かオレは。
 だもプライドが大切だったんだもん。
 我々ライブに生きる者としては、チケット買って会場に赴くのが原則なんだけど、今は仕方ないネ。決勝はドームに行きたいね。試合では、吉田の強さに呆れ、桜庭の憤死はひたすらみつめる。プライドは真剣勝負だからな、期待通りになかなかいかない。けどそこが日頃、ドラマというものににどっぷり漬かってる私には心地よいのかもね。先を読んでもムダな、ドラマを超越した世界。それをみつめてると、きっと何かがリセットされるんだな。だから、ドラマのあるプロレスにはあんまり心が動かないんだろう。子供の頃は大好きだったのに。ちなみに一番好きだったのは猪木だったけど、もう一人マニアックに言わせてもらうなら、ダスティ・ローデス。知らないだろうね。スタン・ハンセンに似たアメリカの陽気な暴れん坊なんだけど、少しオカマっぽくて色気があんだ。太った古田新太がガイジンになって、マジにプロレスやってる感じ。エルボーとかが得意でした。一人もついて来れないね、この話。
 んで就寝。
 翌朝はテレビ局に営業周り、午後から営業を兼ねてワークショップを関西イエローキャブのお嬢さんとか地元の劇団の諸君を相手に。
 イエローキャブすか?って感じですね。しかし寺崎要さんていう有名放送作家が扉座の為にと、コーディネイトしてくれたのだから、有り難く感謝しつつ、演劇なんかゼンゼンやったことなーいモン、て感じの子たちにも優しく易しく演劇を説いて参りました。そんで扉座を観に来るのだよ、お友達とか大勢連れてくるのだよ、って。
 みんな、ハイ!って言ってたけど、ホントやろうなぁ!バックレたらしばき倒すド!

 しかしそれにしてもまだ大阪のチケットも売るほど残ってる!
 お盆のまっ盛りだしなあ。しかも阪神一色じゃん。
 けどね、近鉄劇場が来年のアタマで取り壊しなんだよね。これが近小では最後の公演になるんです。そちら方面にお友達のいる方とか、是非、宣伝にご協力下さいな。
 黙って観に行き、って。

 ともかく、ワークショップをやって、帰京。新大阪駅の美美卯で「おろしうどん(冷)」を。これが好き。アゲインの時、小ブームが起きたコンビニ「冷やし月見うどん」の同じ種目のダントツチャンピオンだね。しかし、これは超メジャーメニューなので、それを語っても私に手柄はまったく無し。それがつまんないね。
 7時半に東京に着き、新宿に。
 終演のロビーに立つ。
 漫画家の、さかもと未明が来てて、相変わらず大きな声で大騒ぎして、ごった返すロビーでお客様たちに呆れられつつ、ツーショツト写真なんか撮る。「素晴らしいので、宣伝します!先輩っ!」て。実はこの人も厚木高校の同窓生なんですナ。エロマンガとか描いてるし、セクシーモデルとかもするし、とても真面目だけが取り柄の厚木高校にいたタイプには見えないけど、三個下の後輩。けどアタマが良いのはすぐわかりますね。今、スパ では経済マンガなんか描いてる。でもちょっと普通じゃない。ロビーでも派手なカッコウと大きな声が目立つ目立つ。
 その名は知ってたけど、まさか後輩とは知らなかたのね。それが去年の厚木高校百周年の新聞座談会で知って、以来、時々会ってます。「いちご畑」の時は稽古場にも遊びに来て、やっぱりワアワアうるさくして、岡森に静かにしろヨ、と怒られてた。うるさい岡森に言われるのだから、大物です。あいつオレらの後輩だぜ、って言ったら、岡森も呆れていたな。
 ともあれ、大きな声で応援してくれる頼もしき後輩なり。「私のホームページ、月間9万ヒットなんですよう!」だと。
 我々も見習いましょうぜ。
 しかし、意外に厚木も変わり者が多いのかも。木原先輩とか、ミナトヤ同輩とか、未明後輩とかネ。というか、私の周りに変わり者が集うのか。しかし、みんな必死に応援してくれてるから、変わり者だけど、良い人たちだ。
 
 さて、お客さんが帰った後、私は荻窪へ。銀之丞さま主催の宴席アリ。楽日は、バラシで打ち上げなしなので、スタッフと慰労会がやりたいと言ってくれました。銀さま、行きつけの隠れ家レストラン。
 2時ぐらいまで、馬鹿話。
 すっかり、ごちになりました。
 ヨッ、大物スター!って、銀の字は、飲むとどこまでも気が大きくなる良い酒です。威張るんじゃないけど、気が大きくなって、どんどん大物になる。性格が明解で非常によろしい。

 んで帰宅。
 日記書こうかと思ったけど、そんな余力はありませんでした。

 ふう……
 今夜は補助席までぎっしりだ。
 当たり前だ!といきがりつつ、ちょこっと嬉しい。
 カーテンコールは地味にやります。
 カーテン後に言葉なし。それが今回のテーマなのさ。
 
 
 
 



土曜の日記じゃあ(2003.08.10)

 久々のダブル。やり終えて、みんな疲れ切ってたな。
 しかし、今夜もさまざまなお客人がいて、わしはアフター活動もやって来たぞ。
 まずは『アゲイン』でお世話になった、会津若松の演劇鑑賞会の皆様、台風の中、バスでわざわざ来て下さったのだ。大変ありがとうございました。また会津でやらせて下さいね!
 そんで、厚木高校演劇部の一個上の先輩で、私を芝居の道に誘っておきながら、自分は日テレのお天気お兄さん、今は予報士になって活躍中の木原実先輩も日テレビご一行様を引き連れてご来場でした。
 「ケンちゃん、行くよ」
 と先輩に言われれば、その命に背くわけには参りませぬ。高校の一個先輩は、永遠に先輩なのであります。
 一軒目の居酒屋は当然のこと、二件目の新宿二丁目、オカマ・カラオケバーまできっちり、お付き合いさせて頂きました。
 しかし疲れたぜ。
 実を申せば、今日はお昼と夜の本番中、途中、気になる部分だけ慌てて劇場に入ってチェックしつつも、締め切りの迫った『生本』のエッセイをサザンの隠し部屋に籠もってしこしこ書いておったのだ。
 んでんで、開演前と後には、何喰わぬ顔で、お客様のお出迎え、お見送りなんかやってさ。
 私の忙しさを案じて下さる書き込みがございましたが、分かってくれてアリガトー!って感じだよ。みんな横内クンを支えておくれよう。大変なんだよ、あれもコレも、成立させるのは。こういうの八方美人というのだろうがね(劇団名じゃねーぜ)。あっちにもこっちにも、良い顔したいって、これは私の性だろーがな。こうして今日まで来てるから、今更方針転換も出きんのさ。
 
 と言うわけで、明日は終演後、大阪に行きます。西にも良い顔しにいくんだよ。東奔西走だぜえ。明後日、大阪で公演のプロモーションを兼ねたワークショップがあるのだ。新宿の次は大阪に行って『きらら』をやり収めて来なきゃイカンからな。
 なので、日記も一日空白になる。ごめんよう。
 月曜は開演にはたぶん間に合わないが、終演までには帰ってくるつもりです。
 あと明日は、シンシア・まりやがやっと観に来る。こんとこカラダ壊しまくって大変だったみたいだが、これはどうしても見るのだと、ガッツでやって来るのだ。諸君、まりやクンを見かけたら、ガンバレや、と励ましてやっとくれ。また、扉座で、まりやを観たいぜ!なんてさ。
 またうちで芝居をやるんだ、ってそれが今のあいつにとって最大のモチベーションなんだかンね。

 

  

 
  
 
 
 



金曜の夜は(2003.08.09)

 台風が来て、何となくお客さんたちも足早に帰って行って、私も疲れて来てたし、三丁目に行って、清流めん、だけ食べて帰って。一休みと思って、うたたねして、気がつけば今朝、今は10時。外ではすごい風です。あんまり雨はないみたいだけど。
 そろそろ劇場に向かわなくては……
 昨夜は、直太朗が来た。ハムレットの時以来ではないかしら。すっかり売れっ子になってしまって。あの頃はまだ時々道ばたで、歌ってたのにね。
 終演後もまだ何か仕事があると言って、急いで帰っていった。売れっ子になった京伝みたくさ。
 ケツコウじゃないの。どんどん書いて歌ってくれよ。うちも頼むぞ、だね。

 さて、一方そろそろまた『生本』締め切り。ネタがねえと、困っていたのがつい最近だと思ったけど、またナーンにも考えてない。今日中にネタ仕込まなきゃ。では新宿に向かいます。


 



いろいろあり(2003.08.08)

 朝から本八幡に。木内先生にオヤスミナサイを言いに。
 安らかな寝顔だった。
 一度、家に帰り、雑事をして、気分を変えた。自分の中で、一晩ぐらい経った気持ちにリセット。
 んで劇場に。
 今日はさまざまな人たちが来てくれた。
 金田龍之介さん、『生本』仲間で、直木賞候補作家の角田光代さん、と編集デザインの山口さん、他多数。
 あと『厚木高校物語』の会長でお馴染みのリアル・ミナトヤと、同じく同級生だった松枝クン。ミナトヤ会長は、横内副会長の公演を盛り上げるために、25人の新入社員を引き連れて来てくれました。彼は今、経営コンサルタント会社のスターコンサルタントで、後輩の育成もやってるんだが、これからのビジネスコンサルタントは生の感動を知らないといかんのだ、と言いつつ、後輩たちを引率してきてくれたのだね。芝居なんか初めて観た、なんて感じの人も中には数名。国民全部を芝居好きにしなきゃイカンと言ってくれてる。しかし嬉しいじゃないか。こうして応援をし続けてくれてる。高校時代からの親友たちだよ。『ホテルカリフォルニアー厚木高校物語ー』を観た人はわかるよね。たかシの演じた、あの会長です。公演後、会長とその後輩たち、そして元サッカー部フォワードにして演芸担当部長だった松枝クンと居酒屋宴会を。あの公演以来、リアル会長とたかシは義兄弟の契りを結んでいるので、当然、たかシも参加。盛り上がり過ぎて帰宅が3時に。
 盛り上がった話の中身とか、いろいろ書きたいけど、今夜はくたびれ申した。早起きだったしナ。

 昨日の福岡での記者発表、大きな反響アリ。やっぱり凄いね。電波のチカラは。とりあえず、私の姿もカットされずに映ってたみたいね。ちなみにあのお洋服が、例の、稽古の途中でバーゲンに行って購入したものの一つナリ。派手なシャツに見えたのは、袖口の裏地です。こうして少しまくり上げて派手な裏地を覗かせて着るのがオツです、と店員に指導されていたのであります。一応、スーツ。だから知事と並んでも問題なし。でも、演劇人としての逸脱も残す。これがコンセプトでありました。
 しかし、国民文化祭のカッコワルイ、黄色いお祭りハッピとか着せられて台ナシのシーンもあったな。一緒に並んだ甲斐よしひろさんは結局着なかったんだよ、ハッピ。俺はナーンも考えず、手渡されるとたちまち着ちまった。ここが芝居者とロッカーの違いだな、と痛感しました。





 
  



福岡から(2003.08.07)

 6日の分です。
 5日の夜、入れ込みだけやって最終便で福岡に。長浜でラーメン食べて、就寝。屋台で、ユーミン・シャングリラのスタッフに偶然出会い、日本の狭さを思い知った。というか、皆、考えることは同じというかね。
 6日は、朝から、来年秋の国民文化祭のイメージソングと開閉会式の記者発表でした。
 イメージソングを歌う氷川きよしクンと、作曲の甲斐よしひろさんと、総合演出の私とで福岡県庁で大々的に。お昼のワイドショーなんかでもすでに流れたみたいね。ま、すべて氷川クン人気のおかげですけどね。居並ぶ記者たちに向かって(東京からも40人!) 『きらら』もよろしく、絶賛上演中とか叫びたかったぜ。明日のスポーツ新聞とか、ケッコウ掲載されると思います。でも、たぶん、私の姿だけチョン切られてる可能性ありだな。スリーショットなのに、氷川クンと甲斐さんのツーショットに強引にされてたりね。まあ、ここらはショービジネスのど真ん中の出来事だから、何があっても驚かないけど。
 しかし今回の出会いは私にはとても嬉しいものです。甲斐さんへの憧れは、以前ここに書いたから、書かないけど、もう一人、今回は作詞にきたやまおさむさんが参加してくれてる。フォーククルセイダースのベースの人ね。九州大学の精神科医でエッセイなんかも書いているステキな方。『新三国志Ⅲ』の長相思の作詞もして下さってます。
 実は北山さん、『きらら』を見に来て下さった。で丁寧な感想のお手紙まで下さった。
 どこかの批評なんかより、ずっと心に沁みる感想だったな。手紙なんで詳細は私の心にしまっときますけどね、ちょっと語ると、禁制と創造の二律背反がアイデアの源泉であり、アーチストはその間をしたたかに生きてクリエイトをするものなのだ、ということについて書いて下さったのだけれど、そこにこそ、私が着目して欲しい視点があったのでね。敬愛する言葉の達人に、そのポイントで共鳴して貰えたことが、とても嬉しかった。この芝居にある笑いはね、これが書かれた15年前のバブル時代の影響の影なんかじゃないんだよ。そもそもバブル時代の気分にこれほど逆行してた舞台もなかったんだから。あの頃は、表層と逃走を描くのがナウってやつだったんで、深層と闘争を描いた『きらら』は時代遅れと言われたんですよ。発表当時は!
 それはともかく、血と涙を流しつつ、それでも言葉やイメージのチカラで笑ってみせるのがアーチストなんだ。しかしその闘いにこそ、真のクリエイトがあるんじゃない?
 だから私らも、何言われてもヘラヘラと、笑ってみせますよ、って感じだな。

 3時頃に予定行事を終えて、空港に。5時過ぎに羽田に着いて、サザンシアターに。発表のスーツ姿のまま着替える場所もなく帰って来た。で、客入れ後に、軽装に衣裳替えを。客入れと客出しで衣裳を替えたお洒落な私でありました。
 しかし疲れた……
 でも初演の時のプロデューサーが来てくれていたので、飲み屋に直行。サクラの花びらの中で、河合が笑ってたよ、と言ってくれた。河合さんの盟友だった人なんだ。

 これも心から嬉しかった。
 やってよかったと思ったな。
 六角も、明日ロケがあって5時起きで山中湖に行かなきゃイカンのに、プロデューサーの言葉を聞きに、飲み屋に付き合ってた。長い『きらら』もそろそろ終盤に向かってきた。さまざまに来し方を振り返り、行く末を思う。
 そして明日は朝から、告別式に。
 扉座のボイストレーナーだった木内康子先生を送りに行きます。 

  
 



4日、月曜日のこと(2003.08.05)

 朝から悲しいお知らせを聞く。
 ご遺族の希望で、詳細はまだ言えない。お通夜とお葬式の日は決まったようなので、もはやこの事実を隠す必要もないと思うけど、今この時、ここでは、私にとって、また劇団にとって大切な方が亡くなった、とだけ言っておきます。
 関係者の方は、告別式の日取りなど劇団に問い合わせて下さい。
 
 壮絶な闘病生活でした。そして闘病中も、芝居と音楽を愛し続けていた。痛むカラダにむち打って、稽古場に何度も来て下さいました。本当についこないだまで。私たちに音楽を授け続けてくれていた。
「横内さん、私はもう時間がないのよ。早くミュージカル作って!あなたの作るミュージカルが見たいのよ」とこの春に言われた言葉、今となってはそれが遺言になってしまいました。
 また一つ大きな宿題が残ってしまったな。
 でも、オリジナルの面白いミュージカル作りたいんだと、言い出したのは私で、誰よりもそれを楽しみにして下さり、アドバイスして下さっていた方なのでね。約束はあるんだ。ずっと前から。忘れはしない。ただ、やる以上は、納得がいく作品に仕上げたい。そのために時間をかける。こうして約束が残った以上、いい加減なモノは作れない。それだけだな。
 
 そんな訳で、今日は一日、雑務をしながら家から出ず、さまざまに物を想った休日でした。
 「きらら」に取りかかってから、死を想うことが多くなってるんだよね。気取った言葉で、メメントモリ、なんて言うのかな。
 河合さんのことや、川谷拓三さんを思い出したり、そしてまた今日の悲報。
 死を想うことは、一見、ネガティブな作業のようですけれどね、でも死を想えば想うほど見えてくるのは、生きていることの意味なんだな。
 だって、去っていった人たちは、皆、この世のことを語り、この世に思いを残しているんだ。そして語りかけてくれている。やがて君にも必ず死は訪れるけど、それまでを大切にしろ、って。
 あの世に行った誰も、あの世に私たちを誘ったりしていないよね。俺たちは行くけど、お前らはそっちで、まだしばらくガンバレって。春町のようにさ、向こうから語りかけてくれている。
 運命の巡り合わせだろうな。今この時に、私たちが芝居をやっているのは。しかも、いつも以上に死を想いつつ、死の国からのメッセージが過剰に籠もった芝居をやっているのも。
 
 「きらら」を観に行かねば、とずっと言い続けて下さっていました。成功を信じていると。逝ったのが休演日というのも、あの人らしい心遣いです。
 「メソメソしないで、明るくやってよ。お腹から声出して。こんな良いセリフが言えるのを幸せだと思いなさい。客席の隅々まで届けなくてどうするの!」
 そんな声が聞こえてくる。
 
 志半ばだと思う。まだ死ぬような歳じゃなかった。さぞ無念だろうな。家族のことも気がかりだったろう。
 でもね、本当に太陽のように明るく人々を照らし、励まし続けた人でした。肉体は燃え尽きても、その輝きは消えずに必ずこの世に残る。何万光年を旅して跳び続ける星の光みたいにさ。
 私たちは、その光を道標にして、これからも歩くでしょう。
 あなたの魂の輝きを見続けて歩く者たちは、ゼッタイに迷わない。仲間も、教え子も、お子さんたちも。だから安心して。
 どうか、安らかにお休み下さい。長く長く続いた厳しい闘病の疲れを癒して下さい。
 また劇場で、お会いしましょう。
 今回は歌はないから、気楽に芝居を楽しんでよ。そして終わったら、乾杯して、いろんな話して笑い合おう。

 
 



昨日(日曜日)の私 (2003.08.04)

 お昼公演は4時頃に終わります。早いねえ。
 この日曜は、山形とか福島とか、『アゲイン』ツアーでお世話になった地方の皆様が、大勢新宿に駆け付けて下さいました。遠いところ、本当にありがとう!また東北ツアーに行けるように頑張るからね。

 さて終演後、今日は六角、佑二、そして多江さんらと食事飲み会。(ちなみに、ら とは 中沢純子と大衆演劇の若手スターながら今年研究生になってる京一郎、あと2時間ほど遅れてたかシも参加) 
 近くの小汚い中華屋です。昔っからあるとこだけど、普通女優さんなんかいないはずのお店。馬券売場のソバで、競馬溺れのオッサンたちが集うとこだもん。
 しかし、これが居心地よく、私も9時過ぎまでいた。芝居の話より、ごく下世話な馬鹿話中心に。私以外の者らは、その後もどこかに繰り出したかも。多江さんも、なかなかに酒飲みなのよね。明日は休みだし、とことん行くモードだったかも。最後はゴールデン街か?
 
 と言うわけで、今夜は少し休憩モードです。
 深夜講義も休もう。
 
 せめてもの、本日ニュース!
 お篠の妾宅シーンで、火鉢の中の鉄瓶が、とてもナイスな感じで倒れた。今公演最高の出来。鉄瓶に初日が出た!(初日が出るとは、合格がオッケーマークがついた、ってこと)
 しかしこの鉄瓶、倒れて白い煙が立ち上ること、諸君は気づいてたかな?一応、これも演出ですからね。スタッフはこのために数日かけて仕掛けを作ってるんですから。
 けっこう、細かいところまで、作り込んでるんですよ、私ら!
 次見るときは、鉄瓶にも注目のこと!
 あ、講義口調になってる。 
 



ごめんよう(2003.08.03)

 日記の日時について少し訂正です!
 たとえばこの日記は3日と表記されていますが、実は2日(金曜日)の深夜に書いているのです。従って2日付けで書いてあるのは、1日に起きたことだったのですね。何しろ帰宅して、これを書き始める頃には、12時を回って日付上は翌日になっちゃってるのです。
 しかし、土曜も金曜以上にノリの良いお客さんたちで、良い出来の舞台だったから、ご安心を。
 土曜のことで言えば、多江さんが、あるシーンで、出色の演技やってくれましたね。敢えてどことは言わないがね。朝のミーティングで、ちょっとチャレンジしてみてよ、とリクエストしたら、すぐやってくれた。これがドンピシャ。客席の一番後ろで見てのですが、ああ、この人やっぱり凄い、って震えが来ました。だって稽古とかしないで、いきなりやって出来ちゃうんだもん。少しイメージを話して伝えただけなのに。どのシーンとは言いませんが。哀しい場面でね、作者が不覚にも泣きそうになった。多江さんに拍手。

 さて今日(正しくは2日土曜日)の出来事。
 終演後に、黒衣とか受付周りとかを手伝っている若手たちを連れて、中日の飲み会を開きました。先輩たちは敢えて呼ばずに、若者限定でね。サザン近くの居酒屋です。若者たち、ところどころミスもするけど、よく働いてるのでね。そして、最後の最後まで、この調子でよく働くように、少しガソリン入れておこうという企画です。
 しかし、若者の飲み食いは気持ちよいね。最近、劇団宴会で下手にコースなんか頼むと、料理が余ったりするんだよね。中心メンバーが高年齢化してて、特に脂っこいモノがなかなか減らない。
 それが今日は、気持ちよく皿が空いてゆきました。おい、残すな、全部喰えよ。ハイ!ガバガバガバ……みたいなね。制限時間いっぱい、飲み放題も頼み放題だったし。こういうのは奢り甲斐があるってモンです。
 で、解散後、ほろ酔い良い気分になって、新宿をフラフラと。梅雨明けの夜風がいい感じで、フラリとパチンコ屋に。この場合、風は関係ないか。
 ビーチクラブという最新台があったので、まずは千円。実はこの台、こないだの休みの時に池袋でハマって、3万円ほど飲まれてんだよね。これは日記には書かなかったけど!ビキニのお姉さんが活躍する台なんだけど、リーチ予告がお姉さんからのメールで知らされるの。「がんばって!」とか「すき!」とか突然、画面に出てくる。それが何かよろしくて、ついハマってしまったんです。パチンコ自体が久しぶりだったのだが、博打で3万円も使ったのは昨年のラスベガスツアー以来じゃないかしら。
 それはともかく、おっ、アレだ!と思って調子を探るためにとりあえずの千円を入れたら、何と、それが確立変動一発引き当て。ビキニのお姉さんが、ビーチ遊びで揃えてくれて。ヤッタァ、オメデトウ!と誉めてくれた。その後もイモヅル式に出て、1時間半で2万5千円に。かなり取り戻しました!
 で、気が付くと、腹が減ってて。懸案だった、この夏3杯目の清流めんに。飲み会の後なのに、腹が減ってる、ってどういうことよ?と思うでしょうけど、飲み会じゃほとんど喰わなかったのよね。何を隠そう、もはや油っぽいものが誰よりもダメになってきてるのが私なのね。だからサラダとか、枝豆とか、そんなものしか喰わなかったの。
 そしてようやく帰宅。
 でおもむろに夕刊開けたら(朝日)「きらら」の劇評が出てた。おっ、大きい。カラー写真付きで朝日に載るなんて5年以上ぶりだぜと喜んだのもつかの間。半分ぐらいはけなしている……とは言わないまでも、きっちり注文付けられてる。「惜しい」なんて言われて。何だ、惜しいって?何に惜しいんだ?賞でもくれるのか?
 書いてあることは、こちらが見せたいと思ったこととかなり視点が違う、って感じだから。別に気にはならないけどね。
 それにしても、
 こんな非常時なんだから、手放しで誉めてくれれば良いのに、ツイてねーな。と一人呟いた。そーいえばパチンコがアッサリ出過ぎたな……と、妙に納得したりして。
 しかしまあ、天下の朝日新聞にこんなに大きく載っけて頂いただけで、良しとしようじゃないの、諸君。ホント久しぶりだから。扉座はもう消えたなんて思ってる人も世間にはいそうだもんな。そういう人たちが思いだしてくれるキッカケになれば有り難い。この業界では、無視されることが何よりもマズイからね。とりあえず話題になるのは喜ぶべきことだ。

 とすっかり大人になった私でした。10年前には、同じく朝日の劇評に対して、演劇雑誌の誌上で噛み付き返して、某評論家と罵り合いの公開往復書簡まで交換したこともあったのに。
 と言うより、今回はそれ以前に、誰から誉められても貶されても、まったく気にならないんだ。誉めにも貶しにもどちらにも、そうですか、ありがとう、って感じ。
 何とでも言って下さいナ。私なりには今あるこれがベストです、と本気で思ってるからね。まあ、あとは見解の相違とか、好みの問題かなって。これ以上の舞台はこの先もう創れません、なんて言うんじゃないんだよ。「きらら浮世伝」という作品においては、たぶんこれ以上のモノは出来ないでしょう、って。たとえ他の才能ある人がやっても、これは越えられないだろう、って、そう言う自負だね。
 そう言う意味で、「きらら」とはキッチリ闘い、決着をつけた。と思ってるのさ。そんでこれは私の大きな財産になったと確信してる。誰が何と言おうとね。
 聞く耳は持つが、聞いても核心はきっと揺れない。当分はね。
 
 
 
 
 

  
 
 
 
 
 



いよいよ折り返しです(2003.08.02)

 八月になりましたな。
 ようやく明るい太陽が出てきました。でも来週の座席にはまだまだ空きがある。これが不安の種。扉座にかかる雲も早く消えてくれ!信ずれば、夢はかなう、と思ってやってますけど、現実は甘くないかな。しかし、まだ時間はある。芝居が客を呼んでくれる。そう信じてやってます。来週はホントのホントに満員で迎えたいよう!
 何しろ、長いね。いつもの倍だもの。土日が三回も来るなんて、初めてです。で明日、明後日はお昼だよ!夜はないから気を付けてね。
 
 ところで今日の芝居、良かったね。客席も良かった。舞台にグッと集中力が満ちていた、と思います。と、こんなこと言われても、ほとんどの人は一回しか見ないだろうから、何の事やらでありましょうがね。本当に芝居は毎日違う。役者の体調とか、微妙な間の違いとか、さまざま原因はあるんだけど、お客さんというのも大きいものです。見る気が漲ってる人々が集まると、最初から芝居は気持ちよく走ります。そうい気が少ない人々が多いと、走り出すまでに多大なエネルギーがかかる。
 良い観客に巡り会いたい。これは芝居者の永遠のテーマなんだね。一方、観客は常に良い芝居に巡り合いたいと思ってる。なのになかなかそういう出会いが実現しない、この不思議。だから芝居は面白いんだけどサ。諸君、良い観客になってくれ給え。ワシらは良い芝居を創るよ。
 
 さて今夜の講義を始めます。
 ゴッホやモネとか、ドビッシーなんていう偉大な芸術家に歌麿や写楽、北斎が多大な影響を与えているという話。
 これは調べればすぐ分かる。ゴッホの手紙の中に、浮世絵の素晴らしさを語ってるのがあったり、北斎の絵をそのまま模写してる絵まで残してたりする。梅の枝の絵とかさ。
 しかし、そもそもヨーロッパの人たちに浮世絵が知られるキッカケとなった原因はと言うと、実は偶然みたいなものだったんだね。
 江戸後期辺りから、向こうでも日本に対して興味を持ち出す頃があるんだけど、その時に最も人気を博したのは、焼き物、陶磁器だったんだね。で、どんどん輸出された。浮世絵なんか、知らなかったんだ。ところが、この焼き物を向こうに送る際に、割れちゃいかんというので、紙に包んだのだね。しかし当時の紙は今より貴重品ですから、新品ではなく使い古しの紙を使った。で、その紙が、浮世絵の紙だったんだね。向こうの人は荷を解きつつ、その包み紙に驚いたんだそうですよ。何コレ?オモロイじゃん!みたいな感じでさ。
 これでわかることはね、浮世絵というのは、それほど庶民的なモノだったってことなんだね。歌麿の大首絵でソバ二杯分の値段だったそうな。安くはないけど、金持ちじゃなくても買えたんだね。でどんどん新しいのが出る。今で言うグラビアだよね。ビキニの女の子たちだったり、ベッカムやキムタクだったりさ。そういう人気者が出るたびに、新しい絵が売り出されて、庶民は次々買った。だから、包み紙にも使うわけさ。もう流行遅れだな、なんて思えばさ。雑誌だから、全部は取っておかないよ。
 稽古場では俳優たちに、グラフィックデザインとかポップアートの世界なんだと説明しました。大衆に受けなきゃ意味のないアーチストたちなんだよ。
 歌麿が描いたのだって、どこかのお茶屋の看板娘の何とかちゃんとか。フードルの何とかちゃんとか。完全にブロマイドだもんね。篠山紀信だよ。みんな可愛く、キレイに描いちゃうしね。一方、写楽はさしづめアラーキーだね。過剰に真実を暴いちゃう。モデルに決して優しくない。
 分かりやすいね。この説明はナイスだな……

 寛政の改革のシーンで、女を描いても、女の名を添えるな、ってお触れが出るでしょ。これは、本当に出されたお達しなんだけど、つまり具体的にどこの誰だ、って明記して印刷しちゃイカンてことなのね。人気者を作ることまかりならん、てことなんだよ。そんなこと、と私らは思うけど、江戸の支配者たちはなかなか狡く強かなんだ。今の世の中見てもわかるじゃん。政治家のお願いなんかより、ビッグアーチストの発言の方がずっと世界に対して影響力がある。ジョン・レノンなんかその最たるモノじゃん。そして現代においてさえ、ジョンは叩かれた。
 黙って許されるはずがないよね。江戸の人気者たちが。山東京伝なんか大スターだからね。京伝ブランドの扇子とか手ぬぐいとか、江戸一番のお土産だった、って言うんだから。だから京伝が最初に見せしめにされちゃった。
 ちなみに、今回のパンフの『まじめなる口上』っての。茅野の挨拶ね。これは蔦屋の刷り物のパロディなんです。蔦屋が京伝を復活させる時に、このタイトルで序文を書いた。京伝は私の頼みで、再び筆を持つ決意をしてくれたのです、という内容なんだね。なかなかに感動的なものです。実話では京伝は、お咎めの後も書いたのです。蔦屋の情熱に促されてね。
 その蔦屋も写楽計画で挫折した後に、程なく亡くなっています。明らかに中途半端で終わってるからね、写楽シリーズは。その理由はさまざま考察されてるが、写楽の正体とともに今もって日本史の謎なんです。ただその写楽が百年後に海を渡って、世界を席巻した。
 良い仕事はきっと報われるのです。

 どうよ?いい話じゃん。
 
 

 
 
 
 

  



 今日は(2003.08.01)

 シアターガイドの今井さんが来てくれたなぁ、と思ったら、今井さんは編集長に就任したそうで、おめでとうございますでした!って、これはまだ言ってはいけないのかな。でもおめでたいことだから良いとしましょう。今井さんには、うちの高橋麻里が、今月見る芝居というコーナーでお世話になったのね。それ以前の話では、私、シアターガイドの会社から戯曲を三冊も出して貰ってるのだよ。まだシアターガイドがこんなに盛り上がる前のことだね。持ってる人はいるかな?『陽だまりの樹』と『夢の海賊』と『龍神伝』。その後、会社は戯曲出版業務から撤退したみたいだけど…… もしかして、それはワシのせいか?いつの日かその本たちにプレミアが付くように頑張るから許されよ!
 ともあれ、就任おめでとうとか、いいつつ、一方で、サクラ大戦のさくらさんで『そらにさからふもの』に出てくれた横山智佐さまとかも忙しい稽古の合間に駆け付けてくれていて、今夜も終演後にワサワサと居酒屋ご飯だった。正直そろそろカラダが辛いね。清流メン、にフラリと一人で行きたいよう……

 さて今日の外題はヘア。
 と言っても、エッチな話ではなく。今回の舞台の、女たちの髪の話。男たちはカツラですけどね、女たちは地毛を使えないか、というのが私の希望だったのね。ずっと付き合いのある、というか、私や茅野の髪を切ってくれてる、表参道に店出してるヘアメイクさんがいて、その人に相談してね。なかなか腕の立つ人なんだ、高橋ちか先生。室井佑月さんや手塚真さんの専属ヘアメイクでもあるんだけど。最近のメインは、私と茅野ね。表参道の交差点のすぐ側のトゥシュドゥボア、ってお店です。お蕎麦の増田屋の高級バージョン店の隣辺り。とりあえず世話になった分宣伝せねばじゃ。
 それはともかく。
 歌舞伎や舞踊を知ってる方には、少し違和感があるとは思うんですけどね、あれは本当の花魁じゃないなんて。もちろん、私も一応分かってはいるんですよ。同じような時代劇では花魁役にもカツラを使ったこともありますしね。ただ、いつも思うんだけど、あの時代劇カツラ、特に映像系でない舞台用のヤツは基本的に、女の人には大き過ぎるよね、何か妙に頭が大きくなっちゃう。やっぱりアレは、女形という特殊な表現のために開発されてるんで、何か違うよな…… っていつも思ってたのね。それでも、様式的な芝居の時は、やつぱりカッチリ被った方がそれらしくなるとは思うんです。おかしくても奇妙でも、そういうもんだよって、感じでね。
 ところが今回は、それではイカンと、思ったんだね。花魁を単なる見せ物、飾り物にしたくなかったんだな。あくまでも生身の肉体を銭金で弄ばれる性的奴隷としてリアルに表現をしたかった。
 もちろん、モノのように飾り立てることでかえって哀しさが出るのだ、という歌舞伎的な演出も捨てがたいよ。けど、その場合は、どうしても、型という様式美の追求がなくては、美しさが哀しさに見えるというマジックは成立しないからね。その究極のカタチが男が女を演じてみせる歌舞伎の美だね。それは猿之助先生から直伝でイヤと言うほど学んできた私なのです。歌舞伎は、徹底的に美しく飾り立てることで、哀しみや苦しみまでも表現してしまう。乞食でもキレイ。でも哀しい。しかし今回の芝居では、そういう美の追究よりも、ダイレクトに心理を追いたいですからね。そもそも我々の芝居には、型なんかないわけだし。
 たとえば お篠の場合には、肉体と精神の葛藤という、テーマが重くのしかかって来るのだけれど、そのお篠をあんまりカッチり作り物の美の中に入れてしまうと、肝心の肉体が見えて来なくなると思うんだな。ただただ、キレイねえ……みたいなね。
 舞伎や芸者ならそれでもいいかもしれないけど、花魁はあくまでも性的な奴隷ですから。肉体が売り物なんだよね。そこんとこ、この舞台ではキッチリやっておきたかったんです。だから、メイクも不自然にはならないようにリクエストしてるし、衣裳や髪型も、なるべく女性の肉体を生々しく感じられるように、コスプレチックな要素を削ぎ落として舞台にのせているのです。男の演じる歌舞伎とはまったく別の表現で、ドラマを見せるためにもさ、生身の女性が演じる面白さを際立たせたいと強く思ったのだよ。その分、富三郎市松の女形コンビは短くて大変な早変わりの中で、ちゃんと白塗りまで完成させてるのです。リアルな女の肉体との差異を明確にするためにも、こっちは歌舞伎に作ってね。だから、二人とも意外にキレイじゃない?それは違うか……
 
 日舞なんかを本格的におやりの方には、前帯にしても、小さすぎるとか感じられた方は少なくないと思うんだよね。太夫さんなら、もっとデカい帯だろうとか。しかし、演出的にはそういう意図をもって敢えてそうやってるわけです。
 
 もっともそのせいで木村タエさんはじめ女優たちの髪の毛には多大なダメージを与え続けております。皆さん、女優たちに差し入れとかする時は、ヘアケア製品なども頭に入れておいてちょうだい。

 あと……そうだ、今日はMOPのキムラ緑子さんとかも来てくれた。私が昨日差し入れた、豪傑寿司をとても喜んでくたれた様子。豪傑ぶった甲斐があったというものです。舞台挨拶で、扉座横内からの豪傑寿司と紹介もしてくれたようでございます。『きらら』も見に行って下さいなんて。
 いいすか?諸君。他の劇団の看板女優が、自分んとこの舞台の上で扉座の宣伝してくれたんすよ。扉座ファンである諸君が、どうして自分の職場や学校や地域社会、ご家庭で宣伝しない理由があろうか?いやない!
 反語を使った強い否定で、君たちの奮起を促し、今夜の講義を終わります。
 尚、今後は私のことを豪傑座長と呼ぶように。
 
 
 

  

 
 





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